東亰ザナドゥ ―秋晴れの空へ向かって―   作:ゆーゆ

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5月21日 ファースト・ミッション

 小日向君が高幡先輩へお礼を言いそびれた5月21日の放課後。私は昨日に続いて新作サンドのネタを考える為、久方振りに日が暮れる前にアパートへ帰宅した―――と思いきや、玄関の鍵を開けたところで携帯が鳴った。着信は時坂君からで、相談があるから来て欲しいと頼まれた場所が、あのヤナギスポーツ店。向かった先の店内には時坂君と店主のヤナギさんの他、私と同じで部活動が休みとなったソラちゃんの姿もあった。

 相談主は時坂君ではなくヤナギさんで、時坂君は仲介役として私に声を掛けてくれていた。どういう訳か時坂君の左肩は気の毒になるぐらいびしょ濡れで、本人も「あれ?」と首を傾げてしまっていた。傘の掛け方に変な癖でもあるのだろうか。

 

「試作品のモニター、ですか」

「うん。アキちゃんもラケットとシューズはイズノ社製の物を使ってるよね」

 

 ヤナギさんはカウンターに真新しいシューズを置いて、相談内容を丁寧に説明してくれた。

 テニス界のトップメーカーと言えば当然オネックス社で、同社に続く形でイズノスポーツ社が名を馳せている。オネックス製のラケットと比べると、イズノ製は扱いが難しい玄人向けが多いというイメージが一般的だ。テニス部の先輩らも例に漏れず前者を使っている一方、私はまるで正反対の印象を抱いていた。お兄ちゃんはイズノのラケットを愛用していたし、私もお兄ちゃんが残してくれたラケットを今も使用している。テニスシューズには特にこだわりが無いけど、ラケットとメーカーを合わせる意味合いでイズノ製を履いていた。

 

「それでアキ先輩がテニスシューズの、私がランニングシューズのモニターを?」

「そうなんだ。暫くの間、試してみてくれないかな。後々感想は聞かせて貰うけど、耐久性のテストが主目的だからね。普段通り運動に使ってくれるだけでいいからさ。どうかな?」

 

 成程。試作品のシューズは女性用だし、運動部に所属する私とソラちゃんが適任と考えて選ばれたという訳か。勿論断る理由は見当たらないけど、私はイズノとヤナギさんの繋がりの方が気になってしまう。世界屈指の総合スポーツ用品メーカーとして、国内外を問わずにその名を轟かせるイズノスポーツ社と商店街の個人店が、一体どんな関係にあるというのだろう。もしかしてヤナギさん、その世界では凄い人なのだろうか。

 

「ソラ、アキ、頼まれてくれるか?」

「あ、はい。勿論いいですよ」

「私もです。まだ発売もされていないシューズを使える機会なんて、すごく貴重ですから」

 

 それぞれピッタリのサイズが一双ずつということは、元から私達に依頼するよう考えていたに違いないし、こんな機会は滅多に無い。後にも先にも今回ぐらいのものだ。有り難く使わせて貰うとしよう。

 試作シューズを受け取った私とソラちゃんは店内の一画にある長椅子へ腰を下ろして、サイズの確認を兼ねて試し履きをした。感触は若干硬めだけど、使っているうちにすぐ馴染むだろう。耐久性が高い割には軽量だし、確かにこれは新しい感覚だ。

 

「引き受けてくれてありがとな、二人共」

「こちらこそ。時坂君の今日のアルバイト先は、ヤナギスポーツだったんですね」

「いや。これはバイトっつーか、単にヤナギさんから頼まれただけなんだ」

「あはは、コウ先輩らしいですね」

「何だそりゃ?」

 

 ソラちゃんの言葉に疑問符を浮かべる時坂君。私もソラちゃんと同意見だ。時坂君が沢山の人から慕われている理由がよく分かる。本人にその自覚が無くても、一ヶ月も同じ時を過ごせば自然と理解できるというものだ。

 小さな笑みを溢してテニスシューズを脱ごうと手を伸ばすと、時坂君は私の肩をポンと叩き、声を潜めて言った。

 

「アキ、シューズを脱ぐのは少し待ってくれねえか」

「え・・・・・・でもテニスシューズは、極力コート上で使いたいんですけど」

「そうじゃなくってだな。っと、来たみたいだ」

 

 時坂君の視線の先は、店内の入り口。たった今扉を開けた意外過ぎる来客の方に向いていて、今度は私が大きな疑問符を頭上へと浮かべた。

 

(柊さん・・・・・・?)

 

 運動部に所属しているソラちゃんや私はともかく、柊さんがヤナギスポーツを訪ねる理由らしい理由が思い浮かばない。それに時坂君の口振りだと、柊さんがここへやって来ることを事前に把握していたようだ。隣に座っているソラちゃんまでもが成程といった様子で頷いていて、私だけが事情を察していないように思える。たちまちに置いてけぼりを食らった気分だった。

 

「柊、そっちはどうだ」

「『フェイズ1』の深度三十五といったところよ。この面子なら充分過ぎるぐらいだわ」

「そうか。ならユウキに声を掛ける必要もなさそうだな」

「あ、あのー。何の話をしているんですか?」

 

 私が横槍を入れると、柊さんは上着からサイフォンを取り出して言った。

 

「遠藤さん。貴女に預けたサイフォンと補給食、今は何処に?」

「鞄の中にありますよ。補給食は二つ入ってます」

 

 柊さんの予備サイフォンと、二パックの補給食。柊さんから手渡される際、「常々持ち歩くように」と言われていたから、財布やアパートの鍵よりも意識して確認するよう心掛けていた。サイフォンのバッテリーも昨晩にしっかりと充電してあるし、言い付け通りいつだって―――

 

「も、もしかして」

「ああ。お前の場合、シューズは履いたままの方がいいだろ。力を貸してくれるか、アキ」

 

_______________________________________

 

 案内された先は、ヤナギスポーツの南側と面している裏路地。近所では野良猫の溜まり場として知られ、衛生面を問題視されている一方、猫好きのソラちゃんにとっては憩と安らぎの場所でもある。そんな裏路地の突き当たりに、『それ』は大きな口を開けて待ち構えていた。

 

「ほ、他の人には、見えていないんですよね」

「ええ。少なくとも一般人の目には映っていない筈よ」

 

 異界化の特異点であり異界に繋がるとされる、『ゲート』。私が死人憑きに取り込まれた際にも目の当たりにした、両開きの門を模した別世界との境目。ゲートの前方では円状の紋様がゆっくりとした速度で回っていて、ゆらゆらと揺れる様は蜃気楼を連想させる。溜まり場に一匹の猫も見当たらないのは、柊さんが口にした『一般人』に属さないからだろうか。

 

「でもこの間見たゲートとは、少し様子が違うような・・・・・・?」

「いいところに気付いたわね。この状態は『フェイズ1』。ゲートの色合いで大別することができるのよ」

 

 眼前にあるゲートは、全体的に黄色掛かっている。柊さんによれば、これは『フェイズ1』。異界としての脅威度は低く、現実世界への干渉は発生しない。対して死人憑きが関わっていた異界化は『フェイズ2』。ゲートが朱色に染まっている場合、高確率で特異点を介した超常現象が発生する。死人憑きが引き起こしていたポルターガイスト現象もその一つだ。

 しかし『フェイズ1』だからと言って油断はならない。『フェイズ1』は『フェイズ2』の前兆でもあり、いつ後者に変貌するか分からない。ある程度予測は可能なものの、最悪を想定して異界は治めておいた方が良い。異界の最奥部にあるグリードさえ倒してしまえば、ゲートはその口を閉ざして『フェイズ0』に落ち着く。執行者である柊さんは常日頃から異界化を未然に防ぐよう、こういったゲートを閉じ続けているそうだ。

 

「そして協力者である俺達の役目でもあるって訳だ。アキ、手を貸してくれるか?」

 

 身を屈めてテニスシューズの紐をきつめに結び直す。もしかしなくたって責任は重大だ。あんな事件が再発する可能性が猫の溜まり場に転がっているだなんて、今でも受け入れ難い。でもだからと言って、私だけが知らない振りを決め込む訳にはいかない。これまでの常識が通用しない現実と非現実が横並びをして、目の前にあるのだ。

 

「分かりました。一緒に行かせて下さい」

「おう。頼りにしてるぜ」

「宜しくお願いします、アキ先輩!」

 

 私の不安が伝わったのか、柊さんは私の左手をそっと握った。私は一度大きく深呼吸をして、柊さんと一緒に歩を進めた。

 

______________________________________

 

 まず感じたのは、息苦しさ。次に重力が強まったかのような重々しさと、夢見の真っ只中に抱く浮遊感。感覚が薄らいでいるのにも関わらず、身体に圧し掛かってくる負荷だけが明確。前回と違って冷静さを保てている一方で、アプリに記されていた通りの苦しみに苛まれてしまう。

 視界が明瞭なのも前回との違いの一つ。光源は見当たらないのに周囲は明るく、上下左右の広さはトンネルぐらいだろうか。コンクリートと金属の中間のような材質の通路が、視線の先へと続いていた。奥では通路が三叉路になっていて、その先の様子はここからでは窺えなかった。

 

「落ち着いて遠藤さん。以前教えたように、まずはソウルデヴァイスを顕現させましょう。それだけでも大分楽になる筈よ」

「わ、分かりました」

 

 私以外の三人の手には、既にソウルデヴァイスがあった。時坂君は広範囲に届くレンジングギア、ソラちゃんが手甲型のヴァリアントアーム、柊さんの両刃剣エクセリオンハーツ。特徴も以前に聞かされていた。

 サイフォンとソウルデヴァイスにどんな関係があるのかは、この際どうでもいい。どうせ聞かされても理解できないに決まっている。私は三人に続いて専用のアプリを起動し、見よう見真似で液晶をなぞった。

 

「わわっ」

 

 心臓の辺りに熱を感じた直後、気付いた時にはライジングクロスが右手に握られていた。テニスシューズの側面では、前回同様に歯車のようなデヴァイスがくるくると回っていて、先程まであった筈の重苦しさは綺麗サッパリ消えていた。私のソウルデヴァイスを確認した三人は、手早くサイフォンを操作しながら異界の情報を整えていく。

 

「異界深度三十二、広域度二十一です。行動目安時間は二十分程度でしょうか。限界時間は考えなくてもよさそうですね」

「濁度はちょい高めだが、前回と比べれば大した値じゃねえな。属性値は霊、鋼、焔が二対一対一ってところだ。柊、今回はどうする?」

「私とソラちゃんが前衛、時坂君と遠藤さんは後方からの支援をお願いするわ。時坂君は遠藤さんのソウルデヴァイスの特徴を考慮して、しっかりとリードしてあげなさい」

「了解だ。アキ、宜しくな」

「は、はい」

 

 使い方は分かる。異界での動き方は教わっているし、部活動のおかげでスウィングスピードも取り戻せた。何より、みんながいる。私と時坂君はお互いのソウルデヴァイスを重ねて軽く音を鳴らしてから、異界の最奥部を目指して歩き始めた。

 

_______________________________________

 

 柊さんとソラちゃんがジェル状のグリードを動きで攪乱しながら、後方に陣取っていた時坂君が長距離から牽制する。一方の私は外側から円を描くようにして高速移動でグリードの背後へ回り込み、フォアハンド・ジャックナイフの形でライジングクロスを振るった。振り切った直後、イメージ通りの打点から三つの赤色の光弾が放たれ、グリードへと襲い掛かる。着弾してすぐに、グリードは一度眩い光をまき散らしてから消滅し、オパール色に輝く宝石のような小石が地面へと転がった。

 

「一丁上がりだな。柊、まだ反応はあるか?」

「最奥部の反応が最後ね。一息付いた後に進みましょう」

「あ、あの。私、上手くやれてますか?」

「充分過ぎますよ。流石はアキ先輩です!」

 

 小石をせっせと拾い集めるソラちゃんが、満面の笑みを浮かべて答える。勝手が分からない上に終始一杯一杯だったからピンと来ないけど、素直に受け取れば順調に前進できているようだ。

 柊さんから教わったグリードとの戦闘時における定石は三つ、『後の先』『守より攻』『避から攻』。今一イメージがし難いそれらを、私は理解に近付けつつあった。グリードは例外無く問答無用に牙を向いてくるけど、言ってしまえば当たらなければ問題にならない。というより、現時点では当たる気がしない。自分でも信じられない程に身体が動くし、何より感覚が冴えてあらゆる物が止まって見えてしまう。スポーツの世界で言う『ゾーンに入る』という表現が一番しっくり来る。

 

「でもテニスと違って、声は出さねえんだな。『どりゃああ!』とか」

「む、無茶言わないで下さい。そんな余裕無いです」

「まあ出せとは言わねえけど、やっと分かってきたぜ。柊が言ってた常時発動型のスキルの一つが、その移動速度ってことか」

「・・・・・・『ギアドライブ』のことですか?」

「ああ、そんな名前なんだな」

 

 私自身まだ完全には理解できていないけど、私の脚力がライジングクロスがもたらしてくれる力だということは間違いない。身体能力の向上と相乗して、私の両足は意のままにどこまでも動く。翼と言ってもいい。多分本気を出せば、垂直跳びで天井に手が付いてしまうだろう。でも怖いから絶対にやりたくない。

 

「お互いのソウルデヴァイスを知ることは重要よ。遠藤さんはまず自分自身で理解を深めることから始めましょう。貴女のソウルデヴァイスにはまだ可能性がある筈だわ」

「が、頑張ります」

 

 不思議と感覚で分かる。ギアドライブの名称も自然と思い浮かんだ物だし、ギアドライブはライジングクロスが持つ力の一端に過ぎない。数で言うなら、もう二つ。私が掴み切れていない何かが眠っている。それだけは確かな筈だ。

 

「あの、私からも聞いていいですか?」

 

 私はソラちゃんが手にしていた袋を指差して言った。息絶えたグリードの亡骸は、その全てが先程の様に小石へと姿を変えて散らばっていた。ソラちゃんはそれらを一つも見逃さずに拾い、袋に収集し続けている。その目的が分からないのだ。少なくとも単に綺麗な石を集めているという訳ではないのだろう。

 

「あれは『ジェム』といって、貴重な異界素材の一つなの。生物学における『培地』の原料のような物かしら。異界に関する研究開発には必須と言っていい素材だから、現実世界では高値で取引きされているのよ」

「あんな石が・・・・・・ちなみにですけど、あれでどれぐらいの価値があるんですか?」

「そうね。約一ポンドと見て、ざっと七千ドルってところね」

「ええええっ!!?」

 

 ドルで言われても即座に驚愕してしまう、想像を遥かに超えた価値があった。たったの十五分程度で拾い集めた石が、七千ドル。柊さんからは冗談の程が微塵も窺えない。時坂君やソラちゃんまでもが平然としていた。柊さんが言っていた異界での金策とは、ジェムのことを指していたようだ。

 モリミィにおける給料日は25日。まだ手にしたことはないけど、初となる賃金に対する感動が急速に薄れていた。絶対に慣れたくないけど、私も感覚が麻痺してしまうのだろうか。それだけは絶対に嫌だ。

 

「俺達も最初聞いた時は驚いちまったけど、結構真剣な問題なんだぜ」

「補給食を補充したりソウルデヴァイスを調整するだけでも、数十万円飛びますから。今でも収支プラマイゼロですし、これからもっと必要になるかもしれません」

「異界と関わる者にとっては大切な使命の一つね。無事に異界から生き延びることができるよう、異界技術の恩恵に与る一方で、私達は研究開発の素材を提供する・・・・・・1950年代には平衡状態に達した、特有の社会構造が存在しているのよ」

 

 柊さんの言い回しはひどく難解に聞こえてしまうけど、端的に言えばこうして異界の素材を持ち帰ることは重要な意味を含んでいるようだ。高校生の私にとっては目が眩むような価値があっても、現実世界でも一日にして兆単位のドルが動くと考えれば、異界が関わっているから特別という話でもないのだろう。

 

「これ以上の長居は無用ね。そろそろ前進するわよ」

「アキ先輩、もう一踏ん張りです」

 

 サイフォンで残りの行動目安時間を確認する。残り時間はあと三分間半。深度や広域度によっては行動限界時間を設けることがあるらしいけど、この異界ではその必要が無く、あくまで目安だ。ゴールはもう目と鼻の先、みんなに従って最奥部を目指せば、無事に帰還できる。

 一本道となった迷宮の奥へと歩を進めると、やがて前方に広く開けた空間が見えてくる。前後に気を払いながらゆっくりと前進し、後衛を務める私と時坂君が空間に立ち入った途端、突如として乾いた破裂音が周囲に響き渡る。後方へ振り返ると、ゲートにも浮かんでいた朱い円状の紋様が揺らめいていて、来た道を完全に塞いでしまっていた。

 

「こ、これって」

「アキ、前だ。今度の相手は少しばかり厄介だぜ」

 

 足元から伝わってくる振動、発生源は十メートル程前方。見れば、古代文明の遺跡から飛び出してきたかのような巨像が一歩ずつ、私達を見下ろしながら足を動かしていた。数は左右に二体、サイズも威圧感もこれまで相手取ってきたグリードとはまるで別物だ。

 

「それぞれ二対一で当たりましょう。時坂君と遠藤さんは左をお願い。グリード戦の基本に立ち返って、確実に仕留めるわよ」

 

 ソラちゃんと柊さんが先陣を切って駆け出し、横薙ぎに振るわれた巨像の腕を掻い潜って奥側へと滑り込み、二体のうち一体の注意を引いた。まるでお手本のような二人の動きは実際に私の為、こう立ち回れという無言のメッセージを兼ねていたのだろう。今に始まった話ではないし、異界に入った時から様々な場面で三人の心遣いを垣間見ることができていた。

 

「時坂君、さっきと同じ流れでいきますか」

「ああ、初撃は任せてくれっ・・・・・・!」

 

 伸縮自在のレイジングギアの切っ先が、巨像の頭部へと真っ直ぐに襲い掛かる。巨像の注意が時坂君へ向いた隙を見計らってギアドライブを加速させて壁際に走り、跳躍からの三画飛びで巨像の背後へと回り込む。着地と同時に撃ち込んだ光弾が巨像の背で爆ぜ、頭上からパラパラと破片が降り注ぐ。

 決定打には程遠いものの、手応えはある。見た目通りに頑丈なグリードのようだけど、今の要領で叩き続ければいい。巨像の視線がこちらへ向いたら時坂君が、合わせて私、その繰り返しだ。

 

「時坂君、私がっ、か、くぁ・・・・・・!?」

 

 姿勢を屈めて駆け出そうとした、その時。突然地面が揺れて、声が詰まった。水中で目を開けているかのように視界がぼやけ、鋭い耳鳴りと込み上げてくる吐き気のせいで、立っていられなくなる。

 

「アキ!?」

 

 時坂君の声に返したいのに、声が出ない。四つん這いの状態から何とか視線を上げると、巨像は頭上に掲げた右腕を、今にも振り落とそうとしていた。

 もう間に合わない。そう考えた矢先に、間に割って入るように飛び込んだ時坂君の身体が遥か遠方へと飛ばされ、背中から叩き付けられてしまう。ソラちゃんの悲鳴が聞こえたのは、その直後のことだった。

 

_______________________________________

 

 終始意識は繋ぎ止めていた。ソラちゃんと柊さんによって巨像がジェムと化してすぐ、ソラちゃんが私に、柊さんが時坂君に肩を貸しながら、私達はガーデンハイツ杜宮の101号室、ソラちゃんの部屋へと向かった。

 

「そう。少量だけ口に含んでから、ゆっくり飲み込んで・・・・・・気分はどう?」

「大分、楽になりました。少し、気分が悪いですけど」

「無理をしては駄目よ。少しずつでいいわ、次第に良くなる筈だから」

 

 ベッドの上に寝かされた私は、柊さんの静かな声に従って、赤子のように補給食を与えられた。情けなさで涙が零れてしまいそうだったけど、泣いたら泣いたでより惨めな思いをしてしまう。

 

「コウ先輩はどうですか?」

「大丈夫だって、柊の術式のおかげで痛みもねえさ。それより柊、アキはどうしちまったんだ?」

 

 三人の視線が私へと向いた。柊さんは顎に手をやりながら、一つの可能性について語り始める。

 

「おそらくだけど、常時発動型のスキルが関係しているのだと思うわ。そういったソウルデヴァイスを使う適格者は、他者に比べて消耗が激しい傾向にある。彼女の場合は、それが顕著なのよ」

「でも気付かねえうちに倒れるぐらいだぜ。いくらなんでも激し過ぎねえか?」

「適格者として覚醒してからまだ間もないことも、一因なのかもしれないわね。時坂君やソラちゃんにも覚えはあるでしょう」

 

 消耗が激しい、か。言われてみれば、確かに極度の疲労が原因のように思えてくる。吐き気や眩暈なんかは典型的な症状だろう。補給食には即効性もあるおかげか、先程よりもかなり身体が楽になってきている。このまま休んでいれば、直に自分の足で歩けるようになるに違いない。

 

「ごめんなさい、遠藤さん。貴女のソウルデヴァイスの特性を見抜けなかった私の落ち度だわ」

「そ、そんなこと、言わないで下さい。私の注意が足りなかったんです」

「とりあえず事後処理を済ませちまおうぜ。アキは俺が看とくから、二人に頼めるか」

 

 異界攻略後の必須事項。その一つにフェイズ0となったゲートの監視がある。異界の主を討伐したことで脅威度もゼロになったのかと言えば、実のところそうでもない。極僅かな確率で、間を置かずにフェイズ1へと戻ってしまうケースがあるそうで、フェイズ0へ移行してから向こう三十分近くは油断してはならない。逆に言えば三十分が経過して以降の変化は前例が無く、可能性はゼロと判断してもよいとされていた。

 

「分かりました。アキ先輩、冷蔵庫の飲み物とか、自由に飲んで頂いて構いませんからね」

「ありがとう、ソラちゃん」

 

 私と時坂君を残して、柊さんとソラちゃんはゲートがあった裏路地へと向かった。時坂君は私に代わって台所に立ち、コップを探し始める。他人の部屋の冷蔵庫を開けるのは誰だって気が引けるものだけど、それが他者の為なら迷わずに行動する辺り、時坂君らしいと思う。

 ソラちゃんの部屋は思いの外可愛らしい小物の類で溢れていて、室内に干されている空手着や専門誌を除けば、私なんかよりもずっと女子高生らしさが感じられた。

 

「アキ、何が飲みたい?」

「すみません、お水をお願いします」

「水でいいのか?俺が言うのもなんだけど、色々入ってるぜ。スポーツ飲料とか」

 

 正直なところ、今は水しか喉を通りそうにない。この調子なら明日には全快してくれるだろうけど、やはり今は大人しくしていた方が良さそうだ。

 私は上半身を起こして、時坂君が注いでくれた冷水を一口飲み込んだ。ただの水を存分に味わった私は、テーブルの上にコップを置いてから、時坂君に頭を下げて言った。

 

「その。私のせいで、あんな目に遭わせてしまって。何て言ったらいいか」

「聞いてなかったのかよ。もう痛みもねえし、そもそもアキが謝ることじゃねえだろ」

「でも私、自分のことばかり考えていて。覚悟はしていたのに、私のせいで他の誰かが、なんて。考えていませんでした。軽かったんです」

 

 私の言わんとしていることを察したのか、時坂君は私から視線を逸らし、口を開こうとはしなかった。かと思いきや、突然上着を脱ぎ始め、左腕の袖を捲り上げながら、まるで予想だにしない返答を並べた。

 

「どうしても謝りたいってんなら、俺じゃなくて柊に言ってくれ」

「え・・・・・・柊、さん?」

 

 謝るべき相手は時坂君ではなく、柊さん。その意味を問う時間すら無く、私は時坂君の左腕、上腕部に薄らと刻まれた『傷痕』に目が止まった。

 

「4月に柊と異界へ飛び込んだ時の傷だ。左程痛みも感じねえ切り傷だったけど、まだ傷痕が消えなくてな」

「・・・・・・軽傷、だったんですよね?」

「まあそうなんだけどよ。なあアキ、この間俺が言った『生存率』の話を覚えてるか?」

「あ、はい。あの後に私もサイフォンで調べたんです。確か82・2%でしたよね」

 

 ―――貴女は異界に飲まれたまま、行方不明になっていたかもしれない。カラオケボックスで突き付けられた可能性が、生存率という数値を伴うことで、一気に現実味を帯び始める。今回の異界探索だって同じだ。もしあの場に私しかいなかったら、私はあのまま果ててしまっていたに違いない。

 

「俺達は知識も経験もゼロに近い。柊が言うように素人も同然だ。そんな奴らがプロでも生存率八割強の世界に飛び込んでいいのかって、今でも考える時がある。柊が俺達の協力を快く思わねえのも、当たり前だと思わねえか」

「時坂君・・・・・・」

「俺達は自分で覚悟を決めちまえばそれで終いだ。でも柊は、全員分の覚悟を背負ってる。普段は表に出さねえだけで、柊が一番恐れてるのは俺達のことだ。俺達の傷はあいつの傷でもあるんだ。そんな馬鹿な話があっていい訳ねえだろ?」

 

 だから、か。だから時坂君は柊さんの知らないところで、左腕の傷を心に刻んでいる。時坂君が傷を負った時、柊さんはどんな顔をしたのだろう。私が倒れてしまった時は、どれ程の葛藤に苛まれたのだろう。少なくとも私達の比ではない。巻き込んではならないという理念と、私達の意志の板挟みになりながら、それでも柊さんは私を受け入れてくれた。異界に踏み込もうとした時、そっと手を握ってくれた。それが柊アスカという人間で、だからこそ時坂君も同じように苦しんでいる。全く逆の立ち位置にありながらも、二人共似た者同士。本質的には同じだ。

 

「だからアキ、改めて言っておくぜ。お前の力を貸してくれねえか」

「え?」

「全員で力を合わせれば、一人分ぐらいには手が届く筈だろ。俺達は柊の協力者だ。あいつの足枷にだけはなりたくねえし、成り下がる訳にはいかねえんだ。それだけは分かってくれ」

 

 きっと時坂君は、今回の一件で私が臆してしまうと考えたのだろう。改めて言われなくたって、そんなつもりは毛頭無いというのに。

 時坂君らがどういった経緯で柊さんの下に集ったのか、話は聞き及んでいる。柊さんがいなかったら、時坂君はこの場に立っていなかったかもしれない。ソラちゃんもユウ君も、私だってそう。何より誰もが柊さんを慕っている。救われた云々は、建前上の動機に過ぎないのだろう。

 私達には充分な知識も訓練経験も無い。でも『単身』は当て嵌まらない。私達の生存率は私達次第だ。適格者の数だけソウルデヴァイスが存在するように、可能性だって統計では語れない。

 

「勿論です。私なんかでよければ、今後も協力させて下さい」

 

 私が差し出した右手を、時坂君は握って応えてくれた。

 

「ああ、こちらこそだ・・・・・・ワリィ、暑苦しく語っちまった」

「あはは。何だか話が置き代わっちゃった気がしますね。時坂君は良い意味で口が上手いです」

「柊には負けるっての。先週だったか、口論になった時も惨敗したしな」

「そうなんですか。ちなみに、どんな話を?」

「満面の笑みで『もしあなたが一流の消防士だとして、水が入ったバケツを持った素人集団を連れて、火災現場に踏み込む勇気があると言いたいのね』だぜ。怖過ぎだっての。エルダーグリードもフェイズ0を決め込むレベルだろ」

「そうして貰えると私も楽ができるわね」

 

 私が初めて目の当たりにした壁ドンは、私が知る壁ドンではなかった。

 

_______________________________________

 

 時坂君が放課後アルバイトへ向かった後、私は自室のベッドに移り、柊さんと二人で今後の方針について話し合った。

 まずは私のソウルデヴァイスについて。覚醒してからまだ間もないとはいえ、今日の一件とライジングクロスの長短所を鑑みて、私が異界化に関わる際には必ず『事前』に補給食を摂取するという取り決めが為された。相場を聞いてしまった以上心苦しいというのが本音だけど、また異界で力尽きて倒れるよりかは遥かにマシだ。

 二つ目が自己管理とソウルデヴァイスの調整。補給食は勿論、異界探索に必要となる物資は自前で用意し、更にサイフォンを介したライジングクロスの改良を重ねることで、より効率的な立ち回りを身に付ける。要するに柊さんや時坂君らが当たり前に行っていることを、今後は私にも求められるということだった。

 

「サイフォンを介した改良と言われても分かり辛いかもしれないけど、実際に触ってみれば自ずと理解できる筈よ。今後もそのサイフォンは貴女に預けておくわ」

「あ、ありがとうございます」

「異界関連の技術者には私の方から話を通しておくから、遠藤さんは・・・・・・ねえ遠藤さん。さっきから何を笑っているの?」

 

 目を細めて私を見下ろしてくる柊さん。口元をタオルケットで隠していたつもりだったけど、バレバレだったようだ。

 二人っきりで話をするぐらいだから、もっと酷な言い方をされるとばかり思っていた。客観的に見て今日の私は『強引に足を突っ込んできた素人が急にぶっ倒れた』状態だった訳で、何を言われたって文句は言えないというのに。私自身は退くつもりがなかったけど、それとこれとは話が別だ。

 でも柊さんは当然のように、私の居場所が在り続ける可能性を示してくれた。ついこの間は「全て忘れろ」と言っていたにも関わらず、柊さん自身が私の意志を汲んでくれている。時坂君の熱烈な弁舌は一体何だったのかとさえ感じてしまう。噛み合っていないような、その実噛み合っているような。

 

「まあいいわ。異界探索に関わる支出管理は、全て時坂君に任せてある。入り用の時は時坂君にお願いすればいいし、彼と一緒に関係者を回れば顔も覚えて貰えるでしょう」

「時坂君が・・・・・・柊さんは、時坂君を信用しているんですね」

「どちらかと言えば信頼かしら。人間性まで認めた覚えはないわ」

「でもすごく仲が良いように見えますよ」

「遠藤さんよく聞いて。貴重な良識人枠を自ら捨て去るような言動は慎みなさい。この先やっていけるかどうか不安になるの。お願いよ」

 

 私はいつの間にそんな立ち位置にいたのだろう。柊さんから頼りにされているような気がして胸が熱くなる想いな一方で、柊さんが頼るべきはどう考えたって私ではなく時坂君ではなかろうか。

 

「貴女は随分と彼のことを買っているのね」

「男性じゃなくて、人として好きです。柊さんも、同じですよね?」

「・・・・・・だから、余計に困るのよ」

 

 柊さんは指で摘むように眉間を押さえた後、そっと小声で呟きながら立ち上がり、玄関口へと歩を進めた。

 

「まだ調べたいことがあるの。今日はこれで失礼するわ」

「はい。今日はありがとうございました」

「それは・・・・・・フフ、こちらこそ。これからも宜しくお願いするわね、遠藤さん」

 

 私は上半身を起こして柊さんの背中を見送り、一瞬だけ聞こえた雨音の後、一人暮らしの静寂が訪れた。

 

_______________________________________

 

 

 

~異界あるある① 装備品確認~

 

「遠藤さん、装備品の最終チェックをするわよ。サイフォンは所持している?」

「はい、あります」

「補給食は?」

「二つ用意しています」

「各種アプリのバージョン確認」

「最新の物に更新済みです」

「スパッツ」

「この通り、予備も含め三着分」

「完璧ね。さあ、行くわよ!」

「コウ先輩、どうかしましたか?」

「うるせえこっち見んな」

 

 

 

~異界あるある② 顕現~

 

『疾れ、ライジングクロス!・・・・・・あれ?疾れ、ライジングクロス!・・・・・・んん?何でだろ。疾れ、ライジングクロス!・・・・・・おっかしいなー、アプリは起動してるのに。疾れ、ライジングクロス!』

「アンタの姪っ子は部屋で何やってんの?」

「流行ってんじゃない?この間ソラちゃんもやってたし」

 

 

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