東亰ザナドゥ ―秋晴れの空へ向かって―   作:ゆーゆ

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第2部エピローグ

 

 5月25日、午後21時。

 

「時坂君っ!?」

 

 悲鳴に近い声を響かせながら、無我夢中で飛び起きる。止まりっ放しだった呼吸を再開し、温度を帯びた呼気を吐き出して、冷たい空気を吸い込んでを何度も何度も繰り返す。後悔、自責、悲哀、憤激。複雑に絡み合った感情達と一緒に、目元からは大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちる。

 

「はぁ、は・・・っ・・・・・・はぁ。・・・・・・え?」

 

 やがて籠り切っていた熱も吐息と共に流れ出て、急速に体温が冷めていくのを感じた。全身から噴き出していた汗が不快感を助長し、呼吸が落ち着いた頃には肌寒さを覚えて、身体を震わせた。次第に頭も冴え、思考が正常稼働を始めてくれたおかげで、私が置かれた状況に理解が追い付いていく。

 

「夢・・・・・・?」

 

 断片的な皆の声は、記憶として残っていた。移動教室の合間に倒れてしまったこと、異界病という一般的ではない単語と、二人の後輩が私と同じ病に蝕まれてしまったことも覚えている。でも瘴気の毒は消えていた。重々しい疲労感と途方も無い気怠さはあれど、息をする度に身体が軽くなっていた。

 

「・・・・・・時坂君」

 

 そして私の右手を包み込む、たった一つの温もり。ベッドの傍らに座って、異性の手を握りながら寝入るだなんて、彼は男性として決定的な何かが欠如してしまっているのではなかろうか。恥じらいを通り越して呆れてしまう。でも先程の声で目を覚まさなかったことから考えても、彼の疲労も相当だろう。私は苦笑いをしながら、起こしていた半身を物音を立てないようにそっと寝かせた。今は少しでも長い時間を、夢の中で過ごして欲しかった。

 温かな右手と反対側の手で枕元のサイフォンを取ると、数件のEメールの中に、ミツキ先輩が差出人の一通があった。文面は長過ぎず短過ぎず、私が把握しておきたかった一連の経緯が纏められていて、たったの十数秒で私は全てを理解した。私が迷い込んだ夢の世界も、瘴気による幻覚に過ぎなかったようだ。途切れ途切れの記憶に間違いは見当たらず、私の目元からは―――再び、数粒が頬を伝っていた。

 

「うっ・・・・・・うぅ。ひ、ぐ」

 

 悪夢から覚めた直後は、人は得てしてこんな風に、感情が不安定になる物だ。たとえ夢の内容が理不尽極まりなくとも、数時間後の私の眼には、今の私が滑稽に映る。心身が震えて嗚咽を繰り返すのも今だけで、あとは時間だけが全てを洗い流してくれる。そう思いたいのに、そうならないであろうことも、目に見えていた。

 

―――時坂君っ!?

 

 どうしてあの時、私は手を『離さなかった』のだろう。離さなかったのは彼じゃない、私だ。4月16日を境にして芽生えた繋がりには、惰性しかなかった。彼らの身に危険が及んだその瞬間に、見限ろうと思っていた。「足手纏い」の一言で、切り捨てるつもりだったのに。どうしても、離せなかった。

 

―――いや、いやあ!?あああぁぁああっ!!?

 

 その結果、何が起きた?私の右手には、彼の残骸しか残されていなかったじゃないか。全部私が招いたことだというのに、一本の肉塊に縋り付いて、彼の右腕に頬擦りをして。ただただ泣き喚いて、目を腫らして血涙を流すだけの私はもう、人ではなかった。

 それに現実だって同じだ。一昨日の異界では後輩達を危険に晒して、今日は二人と共に病に倒れ、あまつさえ禁を犯す罪を一般人に強いるような事態を、私自身が引き起こしてしまった。

 私は何をしているのだろう。私は皆とは違う世界に生きる人間だった筈だ。ソラちゃん、四宮君、アキさん、高幡先輩に、ミツキ先輩も。超えてはならない一線がある。あの夢は私の弱さが生み出した幻覚であり、現実の一歩手前だ。

 

「んん・・・・・・ユウキ、ソラ・・・・・・ひいら、ぎ」

 

 もう同じ過ちは二度と繰り返さない。守る側に立つべき私が、彼らを巻き込む訳にはいかない。でも彼だけはきっと、手を離そうとはしないだろう。なら私は断罪の刃を以って、己の右手を斬る。腕を斬り落としてでも引き離す。それが執行者としての、私の使命だ。

 

「時坂、君」

 

 だから、どうか今だけは。その時が来るまでの間だけは、こんな私を許して欲しい。私の両手と頬から伝わってくる彼と、抑えようのない淡い感情に身を委ねて。この安らぎと穏やかな寝息と一緒に、夜明けまで。

 

________________________________________

 

「はい、大分落ち着きました。まだ眠ったままですけど、熱も引いたみたいですし、明日の朝には元気になると思いますよ」

『そっか。ならアタシは予定通り、今週はこっちで過ごすから。留守の間、お願いね』

 

 ミズハラさんが調合してくれた特効薬によって事態が収束へ向かった後、私は私室ですやすやと眠り続けるソラちゃんの容体を、サイフォン越しにタマキさんへ伝えていた。一方のタマキさんは当初の予定に沿って、関西に住む知人の結婚式に参加する為に、新幹線で現地のに前乗り済み。そろそろ宿泊先に到着する頃だろう。

 今週一杯は関西で過ごすと言っていたから、週末まで晩御飯は一人きり。少し寂しいけど、一人暮らしなのだから仕方ない。九重先生との三者面談についても、以前お願いしていたように、アルバイト先のサラさんに同席して貰うつもりだった。

 

「あっ。それと今週末ですけど、一度伏島へ帰ろうと思ってます」

『伏島に?随分と急ね。何かあったの?』

「貸し倉庫に保管していたお店の設備に、やっと買い手が付きそうなんです」

 

 ベーカリー特有の設備や備品には、中古であってもそれなりの価値がある。実家で使用していたデッキオーブンやリターダーも年季が入ってはいたけど、状態が良いこともあって、両親の仕事上の知人から買い取りの申し出が入っていた。細かい事務的な手続きは後回しにして、前向きに検討しているから一度現物を見せて欲しいという相談が届いたのが、日曜日の晩の出来事。本来はお母さんが立ち会うべきところだけど、私が進んで代理人を買って出ていた。

 

『ふーん。まあそれなら心配無いか・・・・・・ん?伏島って言えば、SPiKAのミニライブも今週末じゃなかったっけ』

「へえ、そうなんですか?」

『ニュースサイトに記事が載ってたの。それにほら、同じ学年にメンバーの子が一人がいたじゃん。一緒にカラオケに行くぐらいだし、仲良いんでしょ。どうせなら向こうで遊んできなよ』

「べ、別に仲が良い訳では・・・・・・」

 

 寧ろ睨まれていると言っていい関係だ。友人からは程遠い。でもこの間は伊吹君が『布教用』とやらのCDアルバムを貸してくれて、入っていた曲は一通り聴いていた。お気に入りの一曲だってある。メンバーの名前と顔、声も頭に入っているし、今度こそは共通の話題で話せそうだ。

 

『アパートのみんなにも宜しく言っておいてね、お土産買って帰るから。アキの友達にも・・・・・・まあ、同じクラスの友達に配る分ぐらいなら、買ってあげてもいいかな。何人分ぐらい欲しい?』

「えーと。柊さんと時坂君と、シオリさんに―――」

『シオリ?そんな友達いたっけ?』

「あれ、もう忘れたんですか。この間のカラオケにも来てたじゃないですか」

『・・・・・・んん?』

 

 本気で思い出せないのだろうか。あの時のタマキさんはスケッチブックでみんなの似顔絵を描いて回っていたし、タマキさんは一度描いた対象を絶対に忘れない。名前と顔は全て頭に入っていて、それがタマキさんの特技でもあるというのに。

 

「珍しいですね。本当に、思い出せないんですか?」

『で――あ――――』

「もしもし、タマキさん?」

 

 電波が届かない場所へ入ったのか、通話は切れてしまっていた。私は別段気にも止めず、記憶の中からタマキさんが描いたシオリさんの似顔絵を探し出そうと試みたものの、どういう訳か、似顔絵は見付からなかった。

 

 

 

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