私達の宿泊先は、駅から徒歩約五分のビジネスホテル。距離と宿泊費は勿論、このホテルを選んだ理由はささやかな朝のサービスにもある。早朝のエントランスホールには複数の丸テーブルが置かれていて、最奥に数種類の朝食が入ったバスケットやディッシュ並んでいた。品揃えは業務用のウインナーやスクランブルエッグ、レタスサラダといった軽食に限られるけど、自由に選び取れる様はホテルバイキングさながら。外泊という非日常も相まって胸が躍り、私が取り皿を一杯にしてテーブルへ戻ると、リオンさんは苦笑いを浮かべてホットコーヒーを啜っていた。
「朝からよく食べるわね。太らない?」
「いつもこんなに、という訳ではないですよ。体重を気にしたこともありません」
「・・・・・・羨ましい限りだわ」
一方のリオンさんは小振りのクロワッサンとヨーグルト、飲み物だけで済ませていた。体型を大して気に掛けない私は別としても、アイドルという職業柄、自己管理には人一倍気を遣わなければならないのだろう。同じ女子高生ではあっても、住んでいる世界が違うのだから当たり前か。
「それで、今日はどうするの?食べたらすぐに出る?」
「そうですね。一息付いたら駅に行きます。でも荷物が大きくて、持ち運ぶのが大変で・・・・・・まずは駅でコインロッカーを探そうかと」
「フロントに預けていけばいいじゃない。私もそのつもりよ」
「え。できるんですか?」
「チェックインの時に聞いておいたの。何処もやってるサービスだし、こういうことには慣れっこね。アイドルは世間知らずっていう古臭い考えを持ってる人は沢山いるけど、私から言わせれば真逆だわ」
リオンさんは得意げに言うと、多くの人間が抱いている固定観念に対して文句を並べ始める。私はそんな色眼鏡を掛けていたつもりは無いけど、事実リオンさんは学生であると同時にプロフェッショナルでもある。私達のような人間よりも一足先を歩き、社会に飛び込んで様々な経験を積んでいるに違いない。イベント先での外泊も、リオンさんにとっては日常の一部に過ぎないのだろう。
「あっ」
「え?」
胸中で感心している最中にリオンさんの視線が外れ、私の後方へと向いた。振り返ると、背後には大型テレビの液晶画面。朝の情報番組ではローカル枠として県内に関する報道が流れていて、画面上にもう一人のリオンさんが映っていた。
「昨日のライブイベント、ですね」
ステージではリオンさんを含む五人の同年代がマイクを握り、華やかな衣装を揺らしながら熱唱していた。あんな風に報道で取沙汰されるアイドルと、こうして面と向かって朝食を取っているだなんて、今更だけど変な感覚だ。控え目に変装していることもあって、とても同じ人間とは思えなかった。
「本当に、ひどい声」
「え・・・・・・リオン、さん?」
思わず名を呼ぶと、リオンさんはハッとした表情で右手をひらひらと振った。
「ううん、気にしないで。最近少しスランプ気味でね。昨日も納得がいかない出来だったの」
「スランプ・・・・・・そうなんですか」
「だから、かな。来月にはSPiKAの結成記念ライブもあるし、今日は知らない場所を歩いて気分転換でもしようかなって、そう考えたって訳」
スランプ気味。その言葉を聞いて、私は再度画面上で舞うリオンさんを見詰めた。一見するだけでは、額に大粒の汗を浮かべて声を張るリオンさんの姿にはとても当て嵌まりそうになく、首を傾げてしまう。でも本人が言うのだから、何かしらの引っ掛かりがあるのかもしれない。少なくとも現実のリオンさんの表情には、暗い影が落ちていた。
「でも良かったですね。雲一つない晴天ですし、散歩には打って付けの日曜日です」
「ええ、そうね」
いずれにせよ、私にできることは一つしか無い。杜宮と並ぶ故郷の風景が、リオンさんのスランプとやらを和らげてくれる。そう信じて、彼女と歩こう。今はそれだけだ。
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フロントへ荷物を預け身軽になった私達は、伏島駅からローカル線を使って北上し、一度乗り換えてから更に北へと向かった。私が高校一年生まで身を置いていた町は、県境にある小さな田舎町。自宅の最寄駅は当然のように無人で、伏島駅からでも数十分の時間を要する辺境にあった。私とリオンさんはボックス席で向かい合いながら、段々と街並みが田舎のそれへ変わる様を見詰めていた。
「都心とは別世界ね。扉が手動のローカル線なんて初めてだわ」
「あはは」
乗り換えの際に扉の前で疑問符を浮かべるリオンさんを思い出し、私の笑い声が走行音に溶け込んでいく。二両編成の車両に、乗客は私達を含めてたったの六人。慣れ親しんだ光景は、ずっと杜宮で暮らしてきたリオンさんの目に大変珍しく映っているようだ。
「こんな場所に住んでいたら、SPiKAを知らなくても無理ないって感じね」
「そ、それは、その」
「意地悪を言ってる訳じゃないの。最近はそれなりに知名度も上がってきたけど、元々はロコドルだしね。今回のライブだって、東北で名前を広める狙いがあったのよ」
リオンさん曰く、ロコドルとはローカルアイドルの総称。今でこそ全国区と呼べる程に名が知れているものの、SPiKA結成当初は大した盛り上がりも見られず、苦労を重ねた時期があったらしい。そんな逆境にめげず、地道に活動を続けてきた結果、歌唱力の高さや楽曲の完成度が着実に評価されていき、ミュージックシーンでも注目されるレベルにまで至った。それがリオンさんが歩んできた、三年間の道のりだった。
「じゃあリオンさんは、中学生の頃からアイドルとして活動していたんですか?」
「下積みの期間も含めれば、もっと前からになるわ」
「すごいです。リオンさんは私なんかよりもずっと大人ですね」
「ふふん、精々敬いなさい・・・・・・そうそう。ねえアキ、貴女はあたし達の曲の中で、どれが一番好き?」
「はい?」
「ほらほら、五秒以内に答えるっ」
五、四、三。唐突な質問を投げ掛けられたと思いきや、容赦の無いカウントダウンが告げられる。私が咄嗟に頭に浮かんだ曲名を口にすると、リオンさんは訝しむような表情を浮かべて、私を見詰めた。
「ねえ、今『Seize the day』って言った?」
「はい、そう言いましたけど。あれ、曲名は合ってますよね?」
「合ってはいるけど・・・・・・意外な選曲ね。あれってゲームの主題歌として作られた曲なのよ」
「そ、そうなんですか?初めて聞きました」
私が取り上げた『Seize the day』は、今年になって発売された家庭用ゲームソフトの主題歌としてタイアップされた曲。近年では著名人がゲーム性に沿ったテーマソングを提供することも珍しくなく、『Seize the day』はSPiKAが初めて手掛けたゲーム音楽だったそうだ。
「ゲーマーの間ではまあまあの評価だったけど、楽曲としては大した人気も無かったの。だから意外だなって思って」
「私は・・・・・・素直に良い曲だと思いましたよ。不思議と自信が沸いてくるんです」
どうしてそう感じたのかは分からない。でもこういったことは感覚で語る世界だろう。今時の音楽に疎い私の選曲だから、少しばかり外れた感性があるのかもしれないけど、嘘偽りは無い。自信を持って好きだと言える一曲がそうだった、それだけの話だ。
「そう。あたしもあの曲は好きよ。個人的な想い入れがあるの」
「想い入れ?」
「ひーみーつ。アキは『Seize the day』の意味、分かる?」
「今を生きる、今を楽しむっていう意味ですよね。知ってからはもっと好きになりっ・・・・・・な、何ですか?」
「フフ、いいからいいから」
リオンさんは突然私の右隣に座り、縋り付くように私の右腕を握った。その行動の意図が分からず、私は照れ笑いを浮かべることしかできなかった。
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目的の駅で降りた後、私達は無人の改札を通り外へ出て、眼前に広がる風景を見渡した。杜宮での新生活はまだ二ヶ月間にも満たないというのに、とても懐かしく感慨深い物があった。
「うっわー。田んぼしか視界に入らない、なんて体験も初めてよ。自販機が浮いちゃってるじゃない」
「この辺はそうですね。少し歩けば商店街とか、コンビニもありますよ」
「少しってどれぐらい?」
「ここからだと一時間ってところです。ちなみに電車の本数もそれぐらいですね」
「・・・・・・覚悟はしてたけど、正直に言ってそれ以上だわ」
リオンさんは多少呆れつつ、小走りで私の前を走り、両腕を一杯に広げて深呼吸をした。私もそれに倣い、深々と息を吸い込んでから、目を閉じてゆっくりと吐き出す。身体中が新鮮な何かで充たされていき、胸の奥底から高揚感が込み上げてくる。きっとリオンさんも同じ想いを抱いている筈だ。
「あはは。ねえアキ、これから何処に行くの?」
「特に予定はありませんよ。小さな町なので、とりあえず歩いて考えますか?」
「うんうん、そのノープランな感じもいいわね」
私達は車の通らないだだっ広い道路を、並んで歩き始める。周囲には鳥のさえずりと木々のざわめき、穏やかな風しかない。道の先はきらきらとした光と期待感に溢れていて、午前の木漏れ日が路面を照らしていた。
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小腹が空いたということで、私達はまずこじんまりとした商店街を訪ねた。私はそれらを形成する一つ一つを簡単にリオンさんへ説明すると同時に、幼少の頃の思い出に浸り、自然と笑みが浮かんでいた。
「懐かしいですね。小さい頃は友達と、よくこの辺で買い食いをしていましたっけ」
「小さい頃って・・・・・・アキは先月までこの町に住んでいたのよね。少し大袈裟じゃない?」
「そ、それは、その」
「・・・・・・」
「えーと、ですね。だから、あの」
「・・・・・・ごめん。何となく分かったわ」
友達と一緒に、が叶ったのが幼少期に限られる。などというひどく情けないことを言うよりも前に、リオンさんは何かを察した様子だった。一時から私には家業の手伝いとテニスしかなかったのだから仕方ない、なんて言い訳を並べたところでもっと惨めになるだけだ。私は薄ら笑いをしながら誤魔化し、近くにあった一軒のお店にリオンさんを誘った。
「ここは軽食屋さんです。タコ焼きがおススメですよ」
「一個二十円のタコ焼きも初めてね・・・・・・」
私達はそれぞれタコ焼きを四つずつ頼み、店内に二つしかないテーブル席へと座った。店主であるおばあさんが出してくれた水は当然のように水道水で、私達は喉を潤しながらこれからのことについて話し合い始めた。
「アキは帰りの新幹線の切符、取ってあるの?」
「いえ、自由席で帰るつもりだったのでまだです」
その辺りの予定も曖昧だった。でも明日は月曜日だから、長居をして羽目を外し過ぎる訳にもいかない。帰りに要する時間を考えると、午後の16時には伏島駅を出ておきたい。私がそう伝えると、リオンさんは折角だから同じ新幹線で帰ろうと言ってくれた。一人旅はほとんど初めてと言っていい私にとっては、帰りが一緒なだけでも大変有難いことだった。
「そう考えると、時間も結構限られてくるわね。次は何処に連れてってくれるの?」
「うーん・・・・・・昨日も言いましたけど、特に見所も無いので迷いますね」
一瞬元遠藤家が思い浮かび、考え直す。売却した建屋をリオンさんに見せたところで面白みに欠けるし、私も物寂しさを覚えるだけだ。
「天気も良いですから、河辺を歩きましょうか。町の外れに大きな河川があるんです」
「なーるほど。この際だから、全部アキに任せちゃうわ」
次なる目的地が決まった頃に、注文しておいた品物がテーブルに届けられる。丸々とした大きめのタコ焼きはソース漬けになっていて、普段見慣れているたこ焼きとは異なっている。この濃厚なソースの香りも懐かしい限りだ。
「な、何かあたしが知ってるタコ焼きとは、少し違うわね」
「美味しいですよ。タコは入っていませんけど」
「どうしてよ!?それタコ焼きじゃないでしょ!?」
「駄菓子みたいな物です。中に紅ショウガと青のりは入ってますから」
リオンさんはひどく納得がいかない様子で、ノンタコのタコ焼きを一齧りする。一方の私は丸ごとを口の中に頬張り、口内に若干の火傷を負ってしまうのだった。
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午前11時半。商店街を後にした私達は再び歩き始め、先程話題に上げた河川へと向かった。リオンさんは先日のライブイベントの疲れを見せずに、軽やかな足取りで私の隣を歩いていた。SPiKAは歌唱力のみならず、ハイレベルなダンスパフォーマンスでも有名だ。リオンさんも細身のように見えて、その実しっかりと鍛え込んでいるのだろう。
「本当にのどかな所ねー。さっきのおばあさんもそうだったけど、方言もあるみたいだし。アキはそうでもないのね?」
「一応現代っ子ですから。でもこの辺は県境なので、伏島弁じゃなくて宮城県の訛りが残ってるそうですよ」
その線引きは難しいと聞いているけど、この町が形成された経緯と土地柄の影響で、年配の住民らの方言は仙台弁の影響を多々受けているそうだ。私自身に訛りは無くても、聞く側としてはそれなりに理解できる。
「あ、見えてきましたね」
「わお、結構大きな河じゃない。河川敷も多摩川の運動公園並に広いのね」
やがて前方に、伏島でも有名な一級河川が視界一杯に広がる。河辺には数名の若者らが釣竿を握っており、反対側の河川敷に設けられたサッカー場では子供達が元気に走り回っていた。私達は階段を下って河川敷に下り立ち、胸を弾ませて周辺を散策することにした。
「あれは何を釣ってるの?」
「バス釣りでしょうか。一時期から男子の間で流行ってましたっけ」
「ふーん。じゃあ、あれは?」
「え?」
リオンさんの視線の先を追うと、そこにはざっと見て四十名超の団体があった。その半数は幼稚園児ぐらいの年端もいかない子供達で、もう半分がエプロンを付けた女性達。集団の中央には大きな寸胴鍋が二つ置かれていて、鍋からは湯気が立ち上がっていた。あれはおそらく、東北では極々一般的な催しだろう。
「『芋煮会』だと思いますよ」
「いもにかい?」
「芋を煮る会合で芋煮会です。里芋が入った豚汁みたいな物ですね。東北では一般的な野外イベントで、ああやってみんなで芋煮を作って食べるんですよ」
時期としては本格的に冷え込んでくる秋や、桜が咲き乱れる春先に開かれることが多い。学校の運動会で作った記憶もあるし、町内会の催事で振る舞われたこともある。バーベキューのような感覚だろうか。野外で食べる芋煮が格別に美味しいのだ。
「きっとあれは、近所の幼稚園が河川敷で芋煮会をしているんですよ」
「言われてみれば、豚汁みたいな香りがするわね」
風と一緒に流れてくる芋煮の匂い。これも私にとっては慣れ親しんだ香りだ。芋煮会の賑やかな声に安らいでいると、リオンさんは何かを思い付いた面持ちで、掌を拳でポンと叩いた。
「急にアイドル魂がざわついてきたわ」
「はい?」
「こういうのって本当は駄目なんだけど、たまにはいいかもね」
「あのー、リオンさん?何を・・・・・・り、リオンさん!?」
するとリオンさんは私の手を取り、集団目掛けて唐突に駆け出し始める。一気に距離が縮まって行き、遠方から走り寄ってくる二人の女子に対し、数え切れない怪訝な視線が注がれていく。途轍もなく目立っているし、客観的に見ればどうやったって不審者である。
戸惑いを隠せないでいると、リオンさんは呼吸を落ち着かせた後、口元に両手を添えて大声を上げた。
「みんなー!こーんにーちはー!!」
「なになにー?」
「おねーちゃんだれー?」
「SPiKAのぉー!玖我山リオンちゃんでーす!!」
「ぴかぴか?」
「ぴかぴかじゃないよー!すーぴーかぁー!!」
子供らは一様にしてリオンさんに関心を示し出し、一方の保護者と職員と思しき女性らは驚愕の表情を浮かべて立ち尽くしていた。芋煮会の真っ只中に、全国区へその名を轟かせるアイドルグループの一人が登場したのだから、当たり前か。リオンさんはどうするつもりなのだろう。最早収拾が付きそうになかった。
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最終的にリオンさんは子供達が手を繋いで形成した輪の中心で高らかに歌い、即興のダンスと一緒にその場を大いに盛り上げてしまった。子供らは「ぴかぴかー!」と声を上げてはしゃぎ回り、大人組からは「素敵な思い出をありがとう」といった感じで拍手喝采と感謝の雨が降り注いで、『リオンさん単独ライブ in 河川敷』はめでたく大成功を収める結果となった。
「はぁー、楽しかった!」
「あ、あんなことをして本当によかったんですか?」
「いいのいいの。アキだって芋煮を食べまくってたじゃない」
「・・・・・・まあ、美味しかったです」
私も私で、昼食にどうぞと差し出された思い出の味を二杯頂いていたけど、それは今どうだっていい。私は振り返って後方の団体を見やりながら、先程の盛り上がりを思い出していた。
「でも本当にすごいですね。子供が相手でも、あんな風に歌って踊れるなんて。流石はプロのアイドルです」
「言う程のレベルじゃないわよ。まだまだって感じだし、それに・・・・・・」
「それに?」
「ううん、何でもないの。ねえアキ、貴女は将来の夢とか、ある?」
リオンさんは何の前触れも無く、私の将来について触れた。思わずリオンさんの顔を見ると、そこには汗と一緒に、真剣な眼差しと顔があった。私はすぐにここ最近の決心と昨日の三者面談を思い起こし、間を置かずに自然とリオンさんの問いへ答えることができていた。
「ありますよ。最近になって、やっと決心が付きました」
「もしかして、プロのテニス選手とか?」
「ち、違います。軟式テニスにプロリーグはありませんから」
「じゃあ、パン屋さん?」
私は無言で頷き、僅かに西へ傾いた太陽を仰いだ。私の夢は、一人前のブランジェになること。そしてお母さんと一緒に、新店を開業することにある。お店の規模は小さくて構わない。大きな成功を収めなくてもいい。この願いが叶うなら、私はどんな努力も苦労も惜しまない。そしてこの夢を知る人間は四人しかいない。タマキさんとアルバイト先の二人に、九重先生。そして今になって、リオンさんが五人目になる。
「そうだったんだ・・・・・・なら、お母さんの為に?」
「それもありますけど、キッカケは一つじゃないと思いますね。寧ろ沢山あります」
リオンさんに触発されたのか、私は包み隠さずに想いの内を語り始めた。この町にあった筈の、かつての生活と家族。失ってしまった日常と、杜宮という新天地での日々。それらは私の夢と直接結び付かないけど、私の中では全てが繋がっている。
モリミィでのアルバイトは勿論、サラさんらの存在もその一つ。当たり前から一旦離れて、改めて感じたことがある。それにみんなとの出会いだってそう。杜宮での新生活と、テニス部も同じだ。流石に異界関連は口に出せないけど、死人憑きに魅入られたあの瞬間も、私にとっては大きな転機だった。夢を追うキッカケは何かと問われれば、私はこの一ヶ月半だと答える。今の私には、その全てが夢に繋がる道のりだったと、自信を持って言える。
「杜宮で過ごした一ヶ月半の全部が、前を向けって言っているような気がして・・・・・・私の背中を押してくれた気がするんです。どれか一つでも欠けていたら、今の私は無かったと思いますから」
「恥ずかしい台詞を平気で言うのね」
「うっ。ち、茶化さないで下さいよ」
「あはは、冗談よ冗談。それに・・・・・・あたしにも、叶えたい夢があるんだ」
リオンさんは足を止めて、広大な河川を見渡しながら言った。
「知ってる?アイドル業界って、最近は戦国時代に入ったって言われているのよ」
「せ、戦国、ですか。物騒な表現ですね」
戦国時代と形容される背景には、近年になってアイドルグループが急増している傾向が関係していた。2010年代に入って以降は多くのグループが目覚ましい活躍を見せ、国境を越えて海外へ進出するケースも多数ある。所謂アイドルを名乗る人間は史上最多となり、音楽業界も似通った様相を呈している。それだけ熾烈な競争が伴う時代に入った、ということだそうだ。
「でもあたし達にとっては、何も変わらないわ。そもそもアイドルの定義が曖昧だし、その数だけアイドルは存在するから。あたしはね、あたしが考えるアイドルになりたいの」
「・・・・・・それを、聞いてもいいですか?」
「勿論。あたしは、みんなを照らしたいのよ。あんな風に」
リオンさんが手を掲げた先には、先程私が見やった陽の光があった。まるで次元の異なる存在を引き合いに出したリオンさんは、それでも平然とした物言いで続けた。
「あたし達の歌と踊りで、みんなを照らすの。性別も年齢も関係無く、みんなをね。それがあたしの夢。あの四人とならきっとできるって、そう信じてる。そういう想いを、あたしは『あの歌』に込めたって訳」
「あの歌?・・・・・・あっ」
―――『Seize the day』。私が自然と思い浮かんだ曲名を口にすると、リオンさんは満面の笑みで首を縦に振った。今を生きて、今を楽しむ。曲名の意味合いをそのままに、夢に向かって今この瞬間を精一杯生きて、楽しさをみんなに振り撒く。リオンさんは人知れず、確固たる揺るぎない信念を胸に秘めながら、『Seize the day』を歌っていた。そう語ったリオンさんは、その事実を知る人間が私一人だということも教えてくれた。
「あの歌を一番好きだって言ってくれたのは、貴女が初めてよ。アキっていうファンが増えたことも、あたしにとっては夢に一歩近付けたってことになるわね」
「リオンさん・・・・・・」
「ねえアキ。あたしはあたしのやり方で、世界中を照らして見せるって約束するわ。だからアキは、アキが作ったパンでこの世界を照らすの。お互いの流儀で、あたしと一緒に。どう?」
「そんな簡単に言わないで下さい。パン作りの道は奥が深いんです。ブランジェを何だと思ってるんですか」
「ちょっとぉ!?そこは素直に『はい!』って返すところでしょ!?」
リオンさんの悲痛な叫び声が響き渡る。そう言われても、ことパン作りにおいては不用意で無責任な言動を取りたくない。それに大き過ぎる目標は、時に自分を見失う引き金になりかねない。私が掲げた目標だって十二分に困難な道のりだ。
私が至って冷静な態度を取っていると、リオンさんは急速に熱が冷めてしまったのか、肩を落としてとぼとぼと歩き始めた。
「あーあ、何だか急に恥ずかしくなってきたわ。ていうか超恥ずかしい。どうしてこんな田舎町で熱く語ってるのかしら。へーんなかーんじー」
「でも本心ではあるんですよね?」
「まあね。こんなことはSPiKAの四人にしか・・・・・・あら?」
リオンさんが再び足を止めて、私の肩をとんとんと叩く。何事かと思えば、視界の端にもう一つの集団が映った。途轍もなく、嫌な予感がした。
「さあ、行くわよ!」
「ま、待って下さい!どうして私まで!?」
リオンさんに引っ張られて、強引に脚力が唸りを上げる。ついさっきの単独ライブが老若男女の『若』なら、今度は『老』。私達よりも三回りは年上の男性女性らによる芋煮会の開催地に、リオンさんは躊躇なく真っ直ぐに駆けて行った。
「みなさーん!こーんにーちはー!!」
「あや。ばんつぁんばんつぁん、若ぇすたずが来ったど」
「あいやー、めんこい娘だごだぁ」
「おらもう腹くっついがらこっつさ来て芋煮ばけえけえ」
「あはは!よく分からないのでー!リオンちゃん演歌いっちゃいまーす!!」
『リオンさん単独ライブ in 河川敷』第二幕が始まりを告げた瞬間だった。リオンさんは某有名な演歌に若々しい振り付けを交える独自のパフォーマンスを披露し、その場に居合わせた全員の心を鷲掴みにして、見事に魅了してしまった。一方の私は例によって芋煮に舌鼓を打ち、ご満悦だった。
結局私達はそのまま午後を河川敷で過ごし、頂いた沢山のお土産を両手一杯に抱えながらホテルへと戻り、フロントで受け取った荷物をどう運べばいいものかと途方に暮れたのが、午後15時半の出来事だった。
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―――午後17時過ぎ。
私達は予定通りに新幹線の自由席に座り、私は小日向君からライトノベルを読み、リオンさんはサイフォンでニュースサイトの記事に目を通しながら、それぞれ旅の疲れを癒していた。
「ねえねえ。都内で昨日から薄霧が続いてるんだって」
「霧・・・・・・東京って、霧が多いんですか?」
「そんなことない筈だけど。でも明日も霧が続く模様って書いてあるわね」
気象関連について詳しくはないけど、少なくとも杜宮に霧が発生し易い要素は見当たらない。記事にも過去に例を見ない大変珍しい現象だと記されていて、専門家らは頭を抱えてしまっているそうだ。
「まあどうでもいっか。アキ、それって小説?」
「あ、はい。同じクラスの小日向君から借りたんです」
「ふーん。付き合ってるの?」
「ぶはっ!?」
タイミング良く飲んでいたペットボトルのお茶を盛大に吹き出してしまい、口元が汚れてしまった。まるで訳の分からない探りにどう返せばいいのかが分からず、上着の胸元を拭き取っていると、リオンさんは含みのある笑みを浮かべて身体を寄せてくる。
「実は最近、同じクラスの子から聞いたのよね。先週の水曜日だったかしら。夜遅くに二人で一緒にいるところを見たって言ってたわよ」
「す、水曜日?・・・・・・あっ」
先週の水曜日。小日向君がBLAZEのメンバーによる恐喝未遂で怪我を負った日のことだ。確かにあの夜は咄嗟に駆け付けた私をアパートまで送ってくれたのが小日向君だったけど、あれを同学年の生徒に目撃されてしまっていたらしい。一緒に歩いていたのは事実でも、完全な思い込みだ。小日向君もいい迷惑だろうに。
「誤解ですよ。小日向君はただの友達です」
「それにしては随分と面白い反応を見せるのね。実は好きだったりする?」
「違います」
「じゃあ嫌い?」
「嫌いっていう訳では・・・・・・」
「イエス、恋のシューティングスター!」
うん、切りが無い。私が口を尖らせて無言で応じていると、リオンさんは面白おかしく笑い声を上げてから、打って変わって穏やかに笑いながら、呟くように言った。
「ありがと。今日はアキのおかげで、少し気が晴れたわ」
「私は何も・・・・・・それに私の方こそ、勇気付けられましたから」
「フフ、ならお互い様ってところね」
差し出された右手を、私はそっと握った。今し方の言葉に嘘は無い。夢に向かって真っ直ぐに歩を進めるリオンさんはとても素敵だし、彼女が主旋律を歌う『Seize the day』も、私の背中を押してくれる物の一つだ。リオンさんの声を胸に刻んで、胸を張って前に進もう。
そう。忘れないって、決めたのに。
絶対に忘れないって。信じてたのにな。