東亰ザナドゥ ―秋晴れの空へ向かって―   作:ゆーゆ

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6月3日 迷霧の果てに

 

 6月に入り、関東地方に梅雨前線が接近し梅雨入りが近付く頃、都内では先週末から断続的な霧模様に見舞われ、各種メディアが取沙汰する日々が続いていた。霧が晴れてくれたのは6月3日の今日になってからのことで、私は小日向君と一緒に放課後の廊下を歩きながら、久方振りとなる外景色を眺めていた。

 

「本当に、何が原因だったんだろうね。部活動に影響は無かった?」

「は、はい。雨が降らなければ、特に問題は」

「そっか。今月末には都大会があるって言っていたよね」

「そそ、そうですね。でも今月は、団体戦なので、せ、先輩が出場する個人戦はその翌週です」

 

 今月の末から開催される都大会は、夏のインターハイに向けた都内予選。杜宮学園女子テニス部からは、地区予選個人の部を勝ち上がったアリサ先輩とエリス先輩らの二人が出場する。団体戦への出場資格に条件は無く、どの高校もエントリーすることができる一方で、テニス部には二人の他に私とエリカ先輩しかいない。三組のペアが競い合う三本勝負にすら届かないのだから、団体戦は叶わない。今回は個人戦のサポートに徹するしかなかった。

 

「そういえば、SPiKAの記念ライブも今月末だったかな」

「で、ですね。い、伊吹君もライブに行くって、言ってましたっけ」

「うん・・・・・・ねえ遠藤さん」

「は、はい?」

「最近、何かあった?」

 

 そんな聞き方をされて、ありましたと答える訳にはいかないし、できる筈もない。それもこれも全部、リオンさんの当てずっぽうでいい加減な発言が原因だ。日曜日の帰りの新幹線であんなことを言われたせいか、小日向君と話をしていると、どうも変に意識してしまう。折角気軽に話せるようになった数少ないクラスメイトだというのに、これではまるで逆戻りだ。

 

「そういうのじゃないのに」

「え?」

「い、いえ。何でもないです・・・・・・あっ」

 

 両手を振って誤魔化していると、私達の前方にある人だかりに目が留まった。その中心には諸悪の根源、という表現は流石に言い過ぎではあるにせよ、私が頭を抱える種を撒いた張本人が立っていた。

 私が小日向君と一緒に輪を通り過ぎようとした矢先、不意に右手を掴まれる。当然だけどリオンさんは私の悩みを知る由も無く、声を潜めて話し掛けてきた。

 

「アキ、この間はありがと。改めてお礼を言っておくわ」

「いえ、私も楽しかったです。悩みが一つ増えましたけど」

「何のことよ・・・・・・あ、それでさ。貴女、忘れ物をしてたみたいよ」

「忘れ物?」

「一緒にホテルへ泊まった翌朝、外へ出る前に荷物を持ってあたしの部屋へ来たでしょ?」

 

 リオンさんの言葉に、時が止まった。そう形容するのが一番しっくりくる。リオンさんを囲んでいた生徒らは声を失い、凍り付いたように固まった。小日向君も呆け顔で私達を見詰め、異様な空気がたちまちのうちに漂い始める。私の背筋にも、悪寒が走っていた。

 

「歯ブラシとかが入ったポーチが、あたしの家に届いたのよ。ホテル側はあたしの忘れ物だと考えたのね。見覚えが無かったから、アキのかなって思って。違った?」

「た、多分、私の物、だと思います。はい」

「そっか。じゃあ今度持ってくるわ」

 

 リオンさんだけが、普段通りに振る舞っていた。取り巻きの男子は目を見開いて、女子はぎらぎらとした怪しげな眼光を放ち、小日向君は一歩後ずさって明後日の方向を見ていた。私が素知らぬ顔をして足早にその場を去ると、後方からは大人数の追手が続き、私は悲鳴を上げながら逃げ回る羽目になった。リオンさんが少しだけ嫌いになった、6月3日の放課後だった。

 

_______________________________________

 

「やあアキちゃん。夜遅くに悪いね」

「いえいえ、部活動の帰りなので気にしないで下さい」

 

 その日の夜、私はアパートへ帰宅する前に、閉店間際のヤナギスポーツに顔を出していた。目的は先々週に依頼された、『試作品テニスシューズ』の使い心地についての報告―――ではあるのだけど。正直に言って、気が引けた。それはもう、いっそのこと逃げ出してしまいたいぐらいに。

 

「それで、どんな感じかな。ちなみにソラちゃんの方は上々の評価だったよ」

「・・・・・・えーと。それが、ですね」

 

 私は恐る恐る二足のテニスシューズを取り出し、ヤナギさんの前に差し出した。するとヤナギさんは表情を変えずに、頷きながら言った。

 

「成程ね。アキちゃん、一つ聞いてもいいかい」

「な、何ですか?」

「君は精神と時の部屋で部活動をしているのかな」

 

 ヤナギさんの苦言は尤もで、新品だった筈の試作品シューズは、見るも無残な姿に変貌していた。というのも、私は異界探索の際に決まってテニスシューズを履いている。しかも対ダークデルフィニウム戦に至っては、ギアドライブのスキルを駆使して『石製の壁を破壊しながら垂直に壁走りをする』などという人間離れをした芸当をしでかしてしまったのだ。間を置かずに年中使用したってこんな有り様にはならない。現実逃避をしたくなるのも当たり前である。

 

「うん、これはきっと何かの間違いだね。実は君に試用して貰っている間に、また新しい試作品が届いたんだ」

「あれ、そうだったんですか?」

「だから今度は、こっちを試してくれないかな。精神と時の部屋以外の場所でね」

「・・・・・・わ、分かりました」

 

 新たに開発されたという新試作品シューズを受け取り、頭を悩ませる。取り急ぎこれを異界で使用するのは控えるとして、やはりギアドライブを使うならテニスシューズを履きたい。とはいえ高価なシューズをいちいち駄目にしていては出費が嵩む一方だし、自腹では生活費に影響が出てしまう。一度みんなへ相談しておいた方がいいかもしれない。

 

「ん・・・・・・あれれ?」

「え?」

 

 ヤナギさんの抜けた声に俯いていた顔を上げると、ヤナギさんは私の後方、外を一点に見詰めて歩き始めていた。ヤナギさんの後を追って一旦店の外に出ると、周囲には目を疑う光景が広がっていた。数メートル先でさえもが窺えない濃霧が立ち込め、私は息苦しさを覚えると同時に、脳裏には『異界』の二文字がチラついていた。

 

________________________________________

 

 翌日の昼休み。時坂君の音頭で屋上へ集った私達の目に、グラウンドは映らない。駐輪場や正門も見当たらず、在るのは『白』一色だけ。霧の世界だけが、本校舎と私達を取り囲んでいた。

 

「どうやら只事じゃない何かが、この杜宮で起きているみたいだな」

「はい・・・・・・まさか『杜宮市だけ』に、また霧が発生したなんて。俄かには信じられませんね」

「この間の薄霧も真っ青な異常気象だってことで、各方面が騒ぎ始めてるっぽいよ」

 

 ある意味で杜宮市は、今現在国内で最も注目を集めていると言っていい状況下に置かれている。ソラちゃんが言った通り、昨晩になって再び姿を現した霧は、この杜宮市近郊においてのみ発生している。まるで何者かの意志によって狙いを定められたかの如く、杜宮だけが濃霧に覆われてしまっていた。そんな異常事態と異界化を結び付けたのは私だけではなく、時坂君に高幡先輩、ソラちゃんとユウ君も同様の可能性に行き着いていた。

 

「それで、どうなんだ柊。こいつに異界が関わっている可能性はあるのか」

「・・・・・・可能性は、否定できません」

 

 高幡先輩が切り出すと、柊さんは平坦な声で静かに答え始める。

 

「ですが現時点では、異界を原因とするには判断材料が少な過ぎます。私の見解では、単なる異常気象の類ではないかと」

「え・・・・・・そ、そうなんですか?」

「ええ。ミツキ先輩も同意見だと聞いているわ」

 

 最悪を想定して身構えていたというのに、強張っていた身体が解れ、思わず脱力してしまった。こうも簡単に否定されるとは思ってもいなかった。とは言え柊さんも断定はしていないようだけど、決め付けは感心しないと普段から口にしている柊さんにしては、少々引っ掛かる言い回しだ。専門家の見解を疑うような真似をするつもりは無いにしても、この違和感は何だろう。

 

「念の為に、私の方で調査はしておきます。何かあったら私から皆に連絡する。それでどうですか?」

「一人ってお前・・・・・・だったら俺も連れていけよ。一人よりはマシだろ」

「時坂君、あなたはまたそうやって」

「調べ物をするだけなら問題ねえ筈だぜ。何だよ、変なこと言ってるか?」

「・・・・・・それは、そうだけど」

 

 柊さんは多少躊躇いを見せつつも、結局は時坂君の申し出を受け入れ、方針は決まった。可能性を完全に否定できない以上、今回の異常事態を放置はできない。当面は柊さんと時坂君が調査を続けて、進展があり次第私達へ報告する。無難な落としどころに収まり、調査は今日の放課後から開始することが決まった。

 

「あっ・・・・・・あの、柊さん。実は相談がありまして」

「相談?」

 

 一時解散となる前に、私は昨晩に抱いた悩みの旨を柊さんに語った。そして話を聞き終えた柊さんが勧めてくれた解決策は、放課後に商店街を訪ねるという、至って単純なものだった。

 

_______________________________________

 

 高幡先輩が下宿している玄と並び、商店街の一角に佇む老舗、金物屋『倶々楽屋』を訪ねたのは、今回が初ではない。柊さんの協力者の一員となって以降、何かとお世話になるかもしれないからという時坂君の誘いで、挨拶に出向いたことがあった。店主であるジヘイさんはアカネさんやミズハラさんと同様、異界に通じる技術者であり、ジヘイさんの孫娘のマユちゃんもその一人。今年から中学生になったばかりのマユちゃんは単身で店番を担っていて、「異界におけるテニスシューズの耐久度向上」という私の無理難題に対し、「それぐらいならお手の物です」と目を輝かせて応えてくれていた。

 

「えーと。マユちゃん、聞いてもいいかな」

「駄目です。少しの間、静かにして貰えませんか」

「・・・・・・ごめんなさい」

 

 中学生らしからぬ威厳に満ちた声で拒まれ、椅子に座ってマユちゃんの手元を見守る。マユちゃんが握るピンセットのような器具の先では、私のサイフォンに内蔵されていたSDカードが文字通り分解されていて、その右横にテニスシューズの靴紐と金属粉。左隣にはノート型パソコンと、マユちゃんの視野を広げる光学顕微鏡。眼前に映る一枚は奇妙極まりなく、それでいて外科手術さながらの様相を呈していた。

 

「簡単に説明しますと、サイフォンのグリッドとテニスシューズを、この金属粉を媒介として連動させるんです。あ、この金属は異界由来の物なんですよ」

 

 幾何の余裕が生まれたのか、マユちゃんは顕微鏡を覗きながら要約してくれた。とても理解が追い付かないけど、この状況で「何を言っているのか分からない」とも言えず、私は乾いた声で相槌を打ちながらマユちゃんの説明に耳を傾けた。

 

「そうすることで、アキさんのソウルデヴァイスの霊力をこのシューズに分け与えて、強化を図るということですね。でも・・・・・・うーん」

「でも?」

「ライジングクロスちゃん、でしたっけ。これ程の利かん坊は初めてです。エクセリオンハーツちゃんよりも我が儘さんですね。苦労も多いんじゃありませんか?」

「・・・・・・ご迷惑を、お掛けします」

 

 アカネさんの『じゃじゃ馬』に加えてマユちゃんの『利かん坊』、ひどい言われ様だった。どうも私のソウルデヴァイスは一癖も二癖もあるようだ。その扱い辛さから来る激しい消耗で一度は倒れてしまったこともあるし、常時発動型という特殊なスキルも原因の一つなのかもしれない。

 

(エクセリオンハーツ、かぁ)

 

 でも柊さんのエクセリオンハーツを引き合いに出したのは、マユちゃんただ一人だ。アカネさんの思わせ振りな言動には考えさせられたけど、マユちゃんの何気ない一言も別の意味合いで引っ掛かる。形状もスキルも全く異なる二つのソウルデヴァイスに、何か共通点があるのだろうか。

 

「ごめんください」

「はーい。あ、ミツキさん!」

「え・・・・・・み、ミツキ先輩?」

 

 考え込んでいると、思わぬ来客の姿があった。北都先輩は小さく一礼をした後、立ち上がった私とマユちゃんの作業台を交互に見ながら、合点がいった表情で透明な声で言った。

 

「ご先客、のようですね。もう暫く掛かりそうですか?」

「そろそろ仕上がりますよ。あと数分ぐらいで終わります」

「それでしたら、中で待たせて頂きますね」

 

 ミツキ先輩は再度頭を下げ、私が座っていた隣の椅子へと腰を下ろした。私はミツキ先輩の来訪に驚きを隠せず、当のミツキ先輩はそんな私の心境を察したのか、先回りをして事の経緯を教えてくれた。

 

「私も倶々楽屋には度々お世話になっているんです。ジヘイさんは名の知れた霊具職人ですし、マユさんの腕前も上達の一途を辿っていますから」

「そ、そうだったんですか」

「遠藤さんも、装備品の調整ですか?」

「はい。私は今回が初めてです」

 

 私はライジングクロスのスキルと、履き物の急激な消耗に関する悩みを打ち明けた。ミツキ先輩によると、異界における装備品の劣化は適格者にとって重要な課題であり、ミツキ先輩も例外ではなかった。

 

「先日お見せした『ハーミットシェル』も、強度によっては術者自身に大きな負荷が掛かるんです。一度だけ、衣服が全て焼け落ちてしまったことがありますね。素っ裸です」

「・・・・・・笑えない話ですね」

「フフ、ですね。この『腕章』は、その負荷を軽くしてくれる必需品なんですよ」

 

 そう言ってミツキ先輩が指でなぞったのは、生徒会メンバーであることを示す赤色の腕章。外見は他の生徒会員が身に付けている腕章と違いはないものの、異界由来の特殊な素材で編み込まれた専用の腕章には、結界の負荷を軽減してくれる効果を秘めている。一方で腕章自体の劣化も完全に防ぐことができず、時折こうして倶々楽屋を訪ねることがあるそうだ。

 

「こんな状況ですから、万全の態勢で構えておいた方がよいかと考えた次第です」

「でも、異界が関わっている可能性は低いんですよね?」

「何とも言えませんが、最悪を想定して予断を許さないことに、越したことはありません」

「あっ・・・・・・」

 

 ミツキ先輩の声は、張り詰めた緊張感を帯びていた。念の為に調査を、と言った柊さんとは違う、押し迫った何かを見据えているかのような、そんな表情を浮かべていた。柊さんとミツキ先輩は同じ見解だと柊さんが言っていたけど、私の目にそうは映らない。漠然とした不安が、胸に広がり始めていた。

 

「本当に・・・・・・この異常気象に、異界が関わっていたとして。それって、想像が付きません」

 

 ソラちゃんは同じ空手部の先輩との間に生じた軋轢が、ユウ君は神様アプリという特異点を広めてしまったことが原因と聞いている。私とアキヒロさんは、過去への執着と喪失感。引き金は様々あれど、言ってしまえば被害は小規模で、だからこそ柊さんと時坂君らは、寸でのところで未然に防ぐことができていた。

 しかし昨晩から続く異常気象は、この杜宮市の全土を包囲している。あの死人憑きが二体揃っても、学園の敷地内における気温低下にしか届かなかった。現実世界に及ぼす干渉の域が、まるで異なっている。桁が違っていると言っていい。

 

「柊さんは大丈夫だって言うから、聞けませんでしたけど。そもそも、あり得るんですか。こんな大規模な干渉って。正直に言って、怖いです」

「お気持ちは察します。ですが今は、先程も言ったよう・・・・・・遠藤さん」

「はい?」

「私が気付かなかっただけかもしれませんが。マユさんは、どちらへ行かれましたか」

「マユちゃん?マユちゃんなら・・・・・・え?」

 

 作業台には、誰の姿も無かった。つい今し方まで居たマユちゃんが、忽然と消えてしまっていた。愕然とする私に先んじて、ミツキ先輩は足早に店内を探し始める。私も慌てて駆け出し、作業台を見詰めると、サイフォンは元通りの状態に戻っていた。靴紐もシューズに結び直してある。マユちゃんの姿だけが無い。黙って外へ出るだなんて、そんな筈はない。

 

「ま、マユちゃん?マユちゃん!?」

「落ち着いて下さい遠藤さん。本当に気付かなかっただけかもしません。念の為にサーチアプリを起動して、一旦外へ出ましょう」

「は、はい」

 

 私は急いでテニスシューズに履き替え、ミツキ先輩の指示に従ってサーチアプリを立ち上げ、店外へと走り出た。すると二つのサイフォンは途端にアラート音を鳴らし始め、そう遠くない座標で異界化が発生している可能性を突き付けてくる。しかも、四方八方に。サーチアプリは肝心の『方角』を捨て去り、90%を超える数値だけを示していた。

 

「な、何なんですか、これ。一体、何が起きて」

「まさか、これはっ・・・・・・遠藤さん、私から絶対に離れないで下さい。いいですね」

 

 私は溢れ出てくる恐怖を強引に抑え込み、縋る思いでミツキ先輩の背中を追った。商店街は知らぬ間に濃霧―――と呼ぶには、余りにも濃過ぎる何かに覆われていて、水の中を両足で歩いているような錯覚を抱いた。それにこの息苦しさと、五感が不具合を起こす独特の現象。どう考えても、異界で感じるそれだった。

 やがて辿り着いた先は、商店街の裏路地。以前にもフェイズ1の異界化が発生した座標で、前回と異なっているのは、眼前のゲートがフェイズ2の色に染まっていること。そしてゲートの前には、時坂君をはじめとする適格者の顔ぶれが揃っていた。

 

「驚きました。高幡君達も駆け付けていましたか。随分と早かったですね」

「ちょうど後輩共に飯を奢ってたんだ。状況も今、時坂から聞いた」

「あ、アスカ先輩が一人で、この異界に入ってしまったそうなんです」

「ひ、柊さんが!?」

 

 昼休みに抱いた違和感と引っ掛かりは、要するにそういうことだったのだろう。柊さんとミツキ先輩の見解は、確かに同じだった。肝心のその内容が歪められていたことに、私達は気付くことができなかった。柊さんは何らかの理由で、意図的に私達を遠ざけていたに違いない。

 

「わ、訳分かんないよ。どうしてそんなことになってるのさ?」

「いいから話は後だ、とにかく追いかけるぞ!」

「待って下さい」

 

 いち早くゲートへ飛び込もうとした時坂君の肩をミツキ先輩が掴み、後に続こうとしていた私は思わず急停止をして体勢を崩してしまった。

 

「見たところ、この異界は限りなく『フェイズ3』に近いようです」

「関係ねえ。危険は承知の上ッスよ」

「端的に言えばエルダーグリードの最上級、或いはそれ以上の脅威が待ち構えて―――」

「異界病の一件でも似たようなことを言ってたよな、ミツキ先輩」

 

 時坂君はミツキ先輩の腕をそっと振り払い、ミツキ先輩を真っ直ぐに見据えて言った。

 

「危険だってんなら尚更だ。あいつの勝手を放っておく訳にはいかねえよ」

「・・・・・・あなたも、同じことを言うのですね」

 

 ミツキ先輩は私達を見渡し、瞼を閉じて数秒の間を置いた。すると振り返りながら手にしていたサイフォンを操り、右手には顕現させたミスティックノードが握られていた。

 

「私が先導します。傲りや慢心の一切を捨てると、そう約束して下さい」

 

_________________________________________

 

 例によって異界の内部は古代ヨーロッパの建築物を思わせる構造をしていて、現実世界の杜宮を覆っていた霧が立ち込めていた。『フェイズ3』という初めて耳にした脅威度とミツキ先輩の忠告に従い、私達はミツキ先輩を先頭にして慎重に最奥を目指し前進した。

 しかし進めど進めど、脅威は一向に現れなかった。私達は地面に転がっていたグリードの成れの果て、ジェムが形成する一本道を沿って、歩を進めるだけ。パンを目印にしたヘンゼルとグレーテルのようにジェムを追い、入り組んだ構造に惑わされる要素は何一つ無かった。

 

「さながら鬼が歩いた道の跡ってところか。柊ってのは、とんでもねえ奴だったんだな」

「執行者クラスの使い手は、必要に迫られない限り意識して力を制限すると言われています。逆に言えば、全力は身体を酷使することに繋がるということですね」

「だから、その執行者ってのは一体何者なんだよ?」

「それは追々。さあ、先を急ぎましょう」

 

 ミツキ先輩と高幡先輩のやり取りに聞き耳を立てながら、アキヒロさんに取り憑いたエルダーグリード、ダークデルフィニウムとの一戦を連想する。私のギアドライブを凌駕する速度と、重力を無視した体捌き。もしかしたら、あれだって柊さんの力の一部に過ぎないのかもしれない。力を抜いていたという話ではないようだけど、これが専門家と素人の差だと言われれば、返す言葉が見付からない。

 

(柊さん・・・・・・)

 

 柊さんは、どんな想いで私達を突き放したのだろう。柊さんが背負っていた覚悟は理解していたつもりだったけど、結局はつもりに過ぎなかった。ここまでの差があったなら、私達なんて―――違う、そうじゃない。

 みんなは、そんな弱音を吐いたりしない。時坂君が以前語ったように、全員で一人分でいい。弱さと向き合う強い心は、しっかりと私の中にもある。何より私は、リオンさんに言ったじゃないか。この一ヶ月半があったからこそ、今の私があると。柊さんも掛け替えの無いその一つだ。大切な仲間の力になる為に、今はそれだけを考えればいい。

 

「ん。お、おい!」

 

 時坂君の声に応じて前方を見やると、そこには見覚えのある商店街の住民らが、力無く横たわっていた。中心には消えてしまっていたマユちゃんの姿もあり、私達は急いで駆け寄り容体を窺った。外傷は見当たらないし、呼吸も落ち着いている。意識は失っているものの、ミツキ先輩の見立てでは大事無く、全員の安否を確認することができていた。

 

「で、でもどうして。こんな大勢が異界に飲まれるなんて、今まで一度も―――」

 

 ―――遥か遠方から届いた悲鳴が、私の疑念を上書きする。

 声の主は、すぐに理解した。それに私達にとって、最早時間は不要だった。

 

「先行します、後に続いて下さい!」

「わ、私も一緒に行きます!」

 

 ミツキ先輩は宙に浮遊したミスティックノードに飛び乗り、最奥に向かって飛行した。私もギアドライブのアクセルを一気に加速させて二番手に躍り出て、移動速度に優れる二人が並んで先行した。

 

「「っ!?」」

 

 直後に後方から発せられた鋭い殺気が、背中に突き刺さる。私とミツキ先輩が一旦前進を止めて踵を返すと、眼前には毒々しい紫色に染まった巨大な左手が、瘴気を吐き出しながらゆらゆらと揺れていた。あのダークデルフィニウムと同等かそれ以上の脅威を、肌で感じた。

 後方の柊さんと、前方の新手。両者の間で板挟みにされていると、高幡先輩と時坂君が声を荒げて言った。

 

「北都!この化物は俺達に任せて先に行け!!」

「アキ、お前もだ!」

「で、でも」

「いいから行ってくれ!!」

「っ・・・・・・遠藤さん」

「は、はい」

 

 ごちゃ混ぜになった感情を押し殺し、私は全速力を以って地面を蹴り、ミツキ先輩が宙を駆ける。倒れ込む寸前まで身体を前傾させ、脚力だけを頼りにして風を切り、左腕で風圧を遮って最低限の視界を確保する。柊さんが、この先で窮地に立たされている。それだけを考えながら、私は無我夢中で走り抜いた。

 やがて霧の先に何者かの影が映り、今度は身体を逆方向に傾けて急ブレーキを掛けながら、床面を破壊して速度を殺す。マユちゃんが仕上げてくれたシューズの耐久性は見事な物で、傷一つ見当たらない。ミツキ先輩もスピードを緩めた直後に私の隣へと着地して、私達は前方の影を睨み付けた。

 

「・・・・・・え?」

 

 大きな大きな、背中があった。赤と黒の衣装で身を包んだ、女性の背中。そう、女性だ。いや、魔女と呼ぶべきか。余りにも人間的な外見がそうさせたのか、私は場違いに冷静な目で背中を見詰め、ひどくゆっくりとした動作で振り返った魔女の瞳に、吸い込まれていく。右手に握っていたライジングクロスは、自然と手離してしまっていた。

 

「まさか、こんなっ・・・・・・遠藤さん、退いて下さい!」

「あ・・・・・・かっ・・・」

「お願い、逃げて!!」

 

 全身を射抜かれたかのように、身体が微動だにしなかった。腕も足も、瞬きや呼吸すら儘ならない。一体何が起きて、私はどうしてしまったのか。訳が分からず立ち尽くしていると、ミツキ先輩は力任せにミスティックノードを地へ突き立て、球状の防御結界を展開した。

 

「ミツキ・・・・・・先輩?」

「気をしっかり持って下さい!今は一旦退くしかっ・・・・・・きゃあぁ!?」

 

 結界は渇いた音を立てて一瞬のうちに消滅し、前方に立っていた筈のミツキ先輩の身体は、後方へと弾き飛ばされていた。そして私は、漸く気付く。魔女の左手には、鳥籠のような形状をした檻が提がっていて、中には柊さんの身体があった。それとは反対側の右手が私の頭上へ被さると、私は深い深い暗闇の底に、飲み込まれていった。

 

 

 

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