東亰ザナドゥ ―秋晴れの空へ向かって―   作:ゆーゆ

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~今更なテニス部キャラ設定まとめ~

○荒井リサ
ネットプレイヤー。モデルは勿論あの人。三年生のテニス部長。その容姿と姓名から、同学年の間では「アリサ」と呼ばれることが多い。人当たりが良くて周囲からは信頼されている。テニスの実力は全国でもトップクラス。植物人間状態の母親の意志を継いで、卒業後は全日本メンバー入りを目指している。既にスカウトは来ている模様。

○エリス・フロラルド
ベースラインプレイヤー。モデルは(ry。三年生のクラス委員長。イギリス出身で来日後にテニスを始める。リサとは十年間近い付き合い。普段はお嬢様チックな言動や振る舞いが目立つが、気心知れた人間の前では気性が荒くなる。ナルシスト気味な兄を「クソ兄貴」呼ばわりするものの、割と家族想い。進学を希望。

○高松エリカ
ネットプレイヤー。勝手にテニス部員化された原作キャラのエリカ様。というか三年生にはこの人しか適役がいなかった。でもミツキをライバル視する高飛車なところは変わらず。髪型と口調はさながらお蝶夫人。リサとエリスが本音で語り合わなかったことが原因で一時期は休部していたが、今では立派な練習相手。部活動ではアキとペアを組む後輩想いな先輩。最近の悩みはアキのサンドイッチのせいで体重が増えたこと。ミツキと同じ進学先を希望。



6月12日 「ライジングクロス」

 

 私は私が嫌い。自己嫌悪のキッカケは、やっぱり肘を壊してしまったことにあると思う。いつも周りの目ばかりを気にするようになった私が嫌い。ハッキリ物を言えない私が嫌い。他人任せの私が嫌い。いつも人のせいにして、自分で決めたことを他の誰かのせいにして、勝手に自分を嫌う。そんな私が大嫌い。こんな風に駄文をルーズリーフ用紙に書き連ねる私も、どう考えたっておかしい。うん、おかしい。少し落ち着こう。

 

「んー」

 

 この部屋は、『もう一人の私』で溢れている。冷蔵庫にはアルバイトのシフト表が貼られていて、デスクにはテニス用品のカタログが積んである。長年愛用していたガラケーは見当たらず、充電器だけが引き出しのラックに残っていた。下ろし立てだった筈の布巾には染みが浮かび、洗い場の前に置かれた見覚えの無いゴキブリホイホイが、凄まじく怖い。これは少し違うか。

 無理に思い出さなくてもいいって、みんなが言う。思い出せなくなってしまった私を遠くから気遣い、誰もが案じてくれている。それぐらいの自覚はある。杜宮学園に通う必要は無くて、新生活に戦々恐々とする私はもういない。タマキさんは「何も考えなくていい」と言って、私を抱き締めてくれる。時坂君とも他愛無い会話しか交わさない。

 慣れない一人暮らしを満喫するもよし。失った記憶から距離を置いて、夏を待つもよし。何も悩まなくていい。不安の種は、全部捨てればいい。

 

「・・・・・・うん」

 

 そんな真似ができるのなら、最初からそうしてる。思い出さないと、私には何も無い。ずっと空っぽのまま。思考を止めてしまうと、漠然とした恐怖に駆り立てられる。あのスケッチブックのページを捲ったことには、きっと無自覚な理由がある。無理を言って私の部屋に持ち込んで、目の届く場所に置いたことにも。言葉にできない、何かがある。

 本当は怖い。怖くて堪らない。無駄にペンを走らせてしまうぐらい怖い。眠りに付くのが、怖い。一晩のうちに全てを思い出したという事例があるって、そう何度か聞かされたけど、そんな希望を抱きながら目を閉じたら、きっと落胆するだけ。発狂して自我が崩壊し、自ら命を絶ったケースだってある。だからこの頭痛はタマキさんと同じで、私を守ろうとしてくれている。思い出すなって言っている。

 でも、ごめんなさい。私にはできない。無かったことには、できそうにないよ。

 

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 予想通り、目が覚めても相変わらずの4月23日。気を取り直して、私が置かれた状況を一度整理してみる。

 一時的に休学扱いになった私には、あらゆる行動が許されている。アパートで自由気ままに過ごしたり、贅沢に昼寝をしたり、外を出歩いてもいい。でも外出の際には、必ず誰かに行き先を告げておくのがルール。タマキさんに直接伝えるか、アパートの住民に伝言をお願いしなければならない。そもそも私に与えられた時間は、私生活を問題無く送れるかどうかを試す期間でもある。何か少しでも異常を感じたら、これも絶対に隠しては駄目。

 そしてもう一つの禁止事項が、無理に思い出そうとすること、それ自体。強引に記憶を探ろうとすると、すぐに耐え難い頭痛に繋がるのだから、当たり前か。でもその線引きが案外難しい。どこまでがオーケーでどこからが駄目なのか、今一分からない。

 

「これは、どっちだろ」

 

 この一ヶ月半を理解する上で、有力な手掛かりとなるのが、デスクに置かれていた二冊のノート。一冊目は、杜宮学園女子テニス部の活動に関して綴られた『テニスノート』。もう一方があの『モリミィ』について作られた、レシピや配合なんかが記されている『モリミィノート』。どちらも一目で、私の直筆だと分かった。さてどうしよう。読むべきか、それとも見なかったことにすべきか。なんて書きながら、既に左手は表紙を捲っていた。

 少しずつでいい。もう一人の私と、ちょっとだけ向き合おう。アパートでジッとしていても、生憎の空模様から降り注ぐ雨の足音に、悩まされるだけだから。でも、参ったなぁ。頭が痛い。。。

 

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 痛みを通り越して吐き気に行き着き、二回吐いた。あんな姿をタマキさんに見られていたら、何を言われるか分かった物じゃない。でも覚悟はしていたから、それ程驚きもしなかった。おかげで分かったことも、沢山ある。

 今から一ヶ月前に、私はテニス部へ入部していた。部員数は私を含めてたったの四人。団体戦にすら出られない少人数ではあるけど、三人の先輩は都内でも屈指の実力者。中でもアリサ先輩とエリス先輩は全国でも充分に通用する域にいて、私が入部した目的の一つは、二人の先輩を勝利へと導く為。因縁のライバルを打倒することにあった。

 タマキさんから借りたノートパソコンで、『聖アストライア女学院 エミリ テレジア』をキーワードにweb検索をしてみると、動画サイトから多数の試合が見付かった。それはもう、出るわ出るわ。昨年度のインターハイ、関東インドア大会、高校選抜選手権、極め付けは皇后杯。そしてその大半の相手が杜宮学園の先輩らで、全敗を喫していた。二年生の時点でこれだけの実績があるのなら、今年度はまず間違いなく高校日本一の候補筆頭。団体戦も同じで、三年前に同女学院はインターハイの頂点に輝いていた。

 

「・・・・・・よく調べたなぁ」

 

 どうやら私は、本気で取り組んでいたらしい。その証が『テニスノート』にある。先輩らの長所と短所、得手不得手を理解した上で、エリカ先輩を交えた練習方法を考え、活動スケジュールを作成。女学院の二人を徹底的に分析し、ありとあらゆる戦術を以って勝利を掴む。ナツお兄ちゃんの為に培ってきた私のテニス、知識と戦術の全てがノートに込められている。我ながら感心してしまう。

 

「本当に、何でだろ」

 

 私は何を想って、テニス部に入ったのだろう。テニスに対するこの曖昧な感情だけでは、ここまで仕上がらない。室内に見当たらない私のラケットは、きっと学園内にあると思うけど、どうして私は再びラケットを握ったのか。肝心な部分は、まだ真っ白のまま。本当に、分かんないなぁ。

 

「あっ・・・・・・ぐぅ」

 

 今日のところはもう止そう。そろそろ本格的な苦痛がやって来る。こんなことに、意味があるのかな。少し分からなくなってきた。誰か、教えて欲しい。

 

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 別に悪いことをしている訳じゃないけど、危ない橋を渡っていると言われれば返す言葉が無い。二冊のノートとこの日記もどきのことは、タマキさんには黙っておこう。ごめんなさい、タマキさん。

 私がモリミィでアルバイトを始めたのは、5月の連休から。二冊目の『モリミィノート』には、沢山のレシピ集や生地配合、工程が例によって直筆で収められていた。一見しただけで「うわぁ」と声を漏らしてしまいそうなぐらい、取扱いが凄まじく難しそうな生地のオンパレード。相当なこだわりを持っているようだけど、要は従業員にもそれ相応の技術が求められる。もう一人の私は、随分と厄介なアルバイト先を選んでしまっていたらしい。

 サラさんとハルトさんの二人は、おそらくモリミィを二人三脚で営む夫婦。人となりは想像するしかないけど、こんな私を受け入れてくれたのだから、きっと良い人に違いない。冷蔵庫の扉に貼られていたシフト表によれば、私は今日の夕方から接客を担当する筈だった。人手不足に陥っていたらと考えると、少し胸が痛い。

 

「7、8、9、10」

 

 ノートの後半部分は、ハード系の生地を使ったサンドイッチのレシピと、それに対する改善案で占められていた。日付から考えて、私がレシピ考案に着手したのは、記憶を失う約二週間前。実際に作らずとも、思わず空っぽの胃が反応してしまう程に完成されたレシピは、確かに私が生み出したオリジナル。商品コンセプトは勿論、売価や原価といった価格設計に購買層、材料の期限から何から何まで、全てが私の字で記されていた。

 これもテニス部と一緒だった。もう一人の私が注いだ情熱は、今の私には無い。冷めた目で客観視をして、別の誰かを見詰めている。遠藤アキが歩んできた道のりの根本が、まるで見えてこない。もう一人の私が、独り歩きをしている。

 

「・・・・・・ううぅ」

 

 生理痛が可愛く思えてくる。思い出すよりも前に、頭が変になりそう。でもそれはそれで、楽になれるのかもしれない。いやいや、何を書いているんだろう。本当に。

 

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 6月11日、木曜日の午後20時過ぎ。タマキは自室で声を潜め、姪のクラスメイトの一人とサイフォン越しに会話をしながら、すっかり日の暮れた商店街の外れを見下ろしていた。

 

「ごめんね時坂君。色々考えたけど、やっぱり今回は遠慮しておくわ。今のアキを連れ出すのは、流石にリスクが高過ぎるから」

『そうッスか・・・・・・いや、気にしないで下さい。正直に言って、俺も迷ってたんで』

 

 昨日にコウがタマキに持ち掛けていたのは、杜宮市山奥部にある温泉宿への小旅行。発起人はアスカとミツキの二人であり、癒し旅の目的は労いの他にもあったのだが、アキ一人を放っておける筈も無く、代表してコウがタマキへ参加の是非を求めていた。勿論タマキの付き添いに加え、宿泊部屋や食事は別。宿泊先を共有するだけでいいという配慮もなされていた。

 タマキも無下に断ろうとはせず、アキの精神状態を考慮しての不参加を決めていた。コウの心遣いは素直に受け取りつつ、お互いに良い方向には働かないだろうと考えた末での結論だった。

 

「君達は君達で楽しんで来なよ。アキのことで、かなり気苦労を掛けちゃってるしね。気を張り過ぎないようにって、担任の先生からも言われてるでしょ?」

『それはもう毎日のように、口を酸っぱくして。つーかうるせえ』

「あはは・・・・・・ありがとう、時坂君」

『はい?』

「君がいてくれたおかげで、本当に助かってる。今度、何か奢るわ」

『いえ、こっちこそ。お土産買って帰るんで、アキにも渡してくれると助かるッス』

 

 それから一言二言を交わした後、タマキは通話を切って窓を開けた。段々と夏めいてきた夜の囁きに耳を傾けながら、タマキはアキの行く末と『選択肢』を交互に想う。

 このまま成り行きに任せて、待つべきか。それとも全てをリセットして、全く別の地で別の道を歩ませるべきなのか。自分なりに調べ尽くした事例と、専門家らの見解を総合して考えたところで、答えは存在しない。時間が解決してくれるのか、それとも手遅れに繋がるのか。選択の良し悪しは、結果論でしか語ることができない。

 

「・・・・・・はぁ」

「アンタ高校生を口説いてどうすんのよ」

「うわあ!?」

 

 突然耳にした声にタマキが振り返ると、視線の先には同い年のOLが座っており、やれやれといった様子でポーランドビールの栓を開けていた。驚くのも当然の光景だった。

 

「ち、ちょっとシホ。何でアタシの部屋にいるのよ」

「鍵ぐらい掛けたらどうなの。無用心過ぎるって」

「え・・・・・・あちゃ、またか」

 

 今度はタマキが肩を落とし、深々と溜め息を吐きながら、シホの反対側の席へと座る。シホは二本目の小瓶の詮を開けており、タマキは自然と一本目の小瓶を手に取って、知らぬ間に渇いていた喉を潤した。

 

「それで、誰が誰を口説いてたって?」

「時坂きゅーん、ありがとー」

「はいはい・・・・・・ねえ、シホ。あのさ」

「こらこら、アタシに聞いたところでどうにもならないわよ。分かってるくせに」

「・・・・・・だよね」

 

 拒絶と受け取ってしまいそうになるシホの言葉が、現実感を駆り立てると同時に、タマキは不思議な居心地の良さを抱いていた。情け容赦の無い真っ直ぐな答えを返してくれる人間は、数少ない。真っ先に思い浮かぶ同性が、眼前に座っていた。優しさが無いという優しさに充ちていた。

 

「それに悩んでも仕方ないじゃない。どうせあの子、杜宮から『離れられない』んでしょ?」

 

 シホが言うと、タマキは一度酔いを頭の片隅へと追いやり、ハッとした表情をして答える。

 

「ああ、そっか・・・・・・でもどうして出られないんだっけ。なんか思い出せない」

「さあね。ていうか、距離的にどこまでがオーケーな訳?」

「分かんないわよ。でも神山温泉辺りまでならギリ行けるみたい」

「出てる出てる、それ完全に杜宮を出ちゃってるから。あそこ県境じゃん」

「その辺は適当なんじゃないの。あー、ヤバい。訳分かんないわ」

 

 身体的、精神的疲労が酔いの速度を助長して、普段は決して触れようとはしない無意識が、突如として意識の下に晒される。選択肢など初めから無かったという大前提を、タマキは初めて頭で理解した。

 

「あれ。アタシ達、マジで何の話してたんだっけ?」

 

 それらはすぐに無意識下に戻り、『杜宮を離れられない』という禁忌だけが、アキを縛り続けていた。

 

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 関東地方の梅雨入りが報じられたのは今週の初めで、火曜日の夜から陽の光はずっと隠れたまま。金曜日になって漸く晴れ間が訪れた早朝に私は目を覚まし、カーペット上に敷かれた布団の中で眠るタマキさんを見下ろした。

 

(無理、させてるよね)

 

 タマキさんはいつもこうして、私の部屋で一緒に眠ってくれる。夜中に魘される私の手を握り、朝までずっと傍にいてくれる。頼もしい限りだけど、タマキさんが払っている数々の犠牲を考えると、やっぱり胸が痛い。私は物音を立てないようベッドから出て、そっとカーテンと窓を開けた。

 

「時坂君」

 

 何とはなしに、時坂君の名を口にする。記憶を失う前の私は、彼のことを異性として意識していたのかもしれない。でもあの安心感は、恋愛感情とは異なる類のようにも思える。それに私は、誰かを好きになった経験らしい経験が無い。寧ろお兄ちゃんに抱くそれに近い。

 

「・・・・・・そっか。そうだったんだ」

 

 つまりはそういうことだ。私はまた同じ轍を踏もうとしている。要は依存だ。同年のクラスメイトを兄身代りにするだなんて、やはり今の私はどうかしている。

 ずっと部屋に籠りっ切りだったせいか、身体が重い。私はあれやこれやと考えを巡らせるよりも、身体を動かして行動する人間だった筈だ。それにジッとしていると、悪い考えばかりが浮かんでくる。外に出て新鮮な空気を入れておいた方がいい。

 

__________________________________________

 

 私はタマキさんの枕元にメモを残し、動きやすいウィンドブレーカーに着替えた後、ロードワークに没頭した。梅雨の晴れ間は湿気が高く、走り始めてすぐに全身から汗が噴き出したものの、不思議と疲労感は無かった。身体が思い通りに動いてくれた。これもきっと、部活動の賜物なのだろう。記憶は無くても、身体は元のままのようだ。

 商店街から北に向かって裏通りを走り、ぐるりと折り返して再びアパート方面へ。誰にも会わないよう、記憶に新しい道から一本外れた通りを走った。するとアパートが視界に入った頃になって、道路を挟んで駐輪場の反対側にあった、石造りの階段に目が留まった。

 

「はぁ、はっ、ふぅ・・・・・・九重、神社?」

 

 木製の古びた看板に記された名称を見て、真っ先に思い浮かんだのはクラス担任の九重先生。階段はざっと見て百段に満たない程度の長さで、最後の一押しには打って付けのように思えた。先が見えない階段を上るという行為に、無性に惹かれた。

 

「よしっ」

 

 私は呼吸を整えてから靴紐を縛り直し、一段ずつ階段を駆け上った。心地良い疲労が、全てを忘れさせてくれるような気がして、夢中になって足を動かした。

 案の定上り切った頃には息が切れていて、やがて階段の先に佇んでいたのは、周囲を木々に囲まれた古めかしい神社。境内はそれなりに広く、まだ朝早いせいか人気は無い。恐る恐る鳥居を潜ると、左手にはこじんまりとした手水舎が設けられていた。

 

(・・・・・・飲んで、いいんだっけ)

 

 汗を拭いながら、手水舎の前に立つ。とりあえずの一礼をして柄杓で水を掬い、両手を清める。私の記憶が正しければ、口に水を含んですすぐというのが一般的な手順だったと思う。思うけど、ひどく喉が渇いている。ずっと走りっ放しだったのだから当たり前だ。何の変哲も無い水が、とても美味しそうに映った。

 

「儂が言うのもなんじゃが、お勧めはせんぞ。不衛生じゃからな」

「ぶはっ!?」

 

 口内の水を手水舎に噴き掛けるという罰当たりな真似をしでかした私は、身体を震わせながらゆっくりと振り返る。神主さんと思しき初老の男性は高らかな笑い声を上げていて、境内には私と男性しかいなかった。

 

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 ソウスケと名乗った神主さんは、一旦境内の離れに戻った後、ご丁寧に冷えた麦茶とコップを持って来てしまった。私が勧められるがままに喉を潤すと、ソウスケさんは「ここで会うたのも何かの縁じゃろう」と言って、今度は九重神社の歴史を要約して語り聞かせてくれた。

 

「時が経てば人の在り方が変わり、習慣や文化も変わる。以前にも手水舎で水を飲んだ若者が、後日怒り顔で訪ねて来たことがあっての。訳を聞くと、『水を飲んだせいで腹を壊した』じゃと」

「は、はぁ」

 

 と思いきや、たったの一年前の些細な騒動についてだった。ソウスケさんは如何にも厳格そうな雰囲気を漂わせる一方で、茶目っ気があるというか、年齢差を感じさせない親近感があった。それにおそらく、もう一人の私とは面識が無いか、付き合いが短いのいずれか。頭痛に悩まされる心配も無いせいか、初対面特有の緊張も感じなかった。

 

「おぬしは以前・・・・・・コホン、見ない顔じゃな。この界隈に住んでおるのかね?」

「は、はい。その、4月の下旬に、杜宮に引っ越して。市内の杜宮学園に、編入しました」

「そうかそうか。儂にも、孫が二人おってな。下の困りん坊と、同年代程度だと見受けしたが・・・・・・定時制、じゃったか。おぬしもその類かの」

「あっ・・・・・・い、いえ。その」

 

 突然踏み込まれてしまい、喉が詰まる。アパートを出た時間から考えて、そろそろ朝の8時半を回る頃。現役の高校生が神社で涼む姿が、不自然に映る時間帯だ。体調不良という言い訳を、朝っぱらから汗を流す人間が使っていい筈がない。定時制の生徒だという嘘を付くのも気が引ける。そもそもすぐに答えることができなかった時点で、訳アリだと言っているような物だ。

 

「休学中、でして。わ、私・・・・・・私は、自分が分からないんです」

「ほう。己が分からんとな」

「杜宮に来てからの記憶が、無いんです。一週間前に、全部忘れてしまって」

 

 一度吐き出してしまうと、歯止めが利かなかった。見ず知らずの人間に縋っても、何も変わらないというのに。いや、だからこそ洗いざらい話したかったのかもしれない。

 

「ふむ。随分と難儀な物を、抱えてしまったようじゃな」

「私・・・・・・本当に、分からなくって。私は・・・・・・私はどうして、私なんですか」

 

 己の不幸を嘆いても、何も生まれない。理不尽と不条理を呪ったところで、何も始まらない。誰かを頼ることはできても、誰かが応えてくれる訳じゃない。思い出そうとしても苦痛に苛まれて、僅かな希望を抱いて微睡んでは、悪夢のような現実に帰って来る。先が見えない泥沼の中で、私はいつまでもがき苦しめばいい。どうしてなんだろう。どうして―――私は、忘れてしまったんだ。

 

「分かりません。もう・・・・・・疲れちゃいました。私は、誰なんですか」

 

 鳥居の下、石階段の最上段に座りながら、膝を抱いて眼下を見下ろす。階段の左右にそびえる木々が揺れて、新緑の葉が一枚、私の膝の上に落ちて来る。ソウスケさんはその葉を拾い上げて、静かに口を開いた。

 

「おぬしをして、おぬしたらしめている物が在るとするならば、それは『魂の色』じゃろうな」

「・・・・・・魂?」

「左様。一つとして同じ物など在りはせぬ。人が持つ本質、全ての根源たる魂。その色じゃ」

 

 魂の色。初めて耳にする形容だった。初めての筈なのに、頭の中に直接響いて来るかのような、不思議な感覚を抱いた。もう一人の私は、知っているのだろうか。

 

「で、でも。私、思い出せないんです。思い出そうとしても、全然駄目で」

「なに、思い出せずともよいのじゃ。己の魂を信じ、また新たに歩み始めればよかろう。人はその気になれば、幾らでも誇り高く在れる。おぬしの行く末も、変わりはせぬよ」

「新たに・・・・・・歩く」

「迷わずに往きなさい。前を向いて歩めばよい。やがて辿り着いた先に、見失ってしまった全てがある。おぬしの魂は、情熱の光で溢れておるよ。それを信じ、歩みなさい」

 

 差し出された皺だらけの左手に、そっと右手を重ねる。ソウスケさんの手は、引っ張り上げてはくれなかった。自分で立てと言われている気がして、私は右手と両足に力を込めて、ゆっくりと立ち上がった。

 ソウスケさんが言わんとしていることに、理解は追い付かない。ひどく抽象的で曖昧な言葉の数々に、意味は無いのかもしれない。でも、違った。「思い出さなくていい」は、もう何度も言われた。なのに私の耳には、まるで異なる言葉に聞こえていた。

 

「深く考えずともよい、老いぼれジジイの戯言じゃ。どれ、そろそろお暇しようかの」

「あっ・・・・・・あ、あの!」

 

 私に向けられた大きな背中を呼び止めて、考える。外の誰かと会話を交わすのが久し振り過ぎて、上手く感情を言葉にできない。代わりに私は、不意に浮かんだ一つの疑問を、投げ掛けることにした。

 

「私の魂が、情熱に溢れてるって。あの、それはどういう意味ですか?」

「儂の眼には、そのように映ったのでな。そう表したまでじゃ」

「っ・・・・・・見えるん、ですか?」

「無論、見えるとも。おぬしのように、稀におるのじゃよ。『二つ』を併せ持つ者がな」

「ふたつ?」

「『秋』の紅葉と『夏』の日差しを想わせる、見事な色の魂じゃ・・・・・・誇りなさい、若人よ」

 

 ドクンと、胸が激しく波立つのを感じた。猛火で焙りたてるような激情は穏やかでもあり、興奮と冷静さ、二つの温度、異なる季節が交互にやって来る。次第に両者は入り混じり、やがて一つとなって、私の中に収まっていく。

 アキとナツ。私とお兄ちゃん。私は知りたい。思い出すのではなく、私はこの感情の正体を知りたい。それにはまず、前を向く必要がある。できることが残されていると、そう信じて。

 

________________________________________

 

 その日の夕刻。頃合を見計らって、私は杜宮学園の駐輪場に飛び込んだ。人目を避けて端の通路を進み、本校舎の裏手側へ。場所が分からないから、打球音を頼りにして足を動かす。道中に何人かの生徒と擦れ違ったけど、誰も私を私だと認識してはいない筈だ。見付かったらタマキさんから大目玉を食らってしまう。

 

(あった)

 

 漸く行き着いた先には、テニスコート上を走る三人の女性、先輩らの姿があった。丸二日間の雨の影響か、コートのコンディションは遠目から見ても悪く、とても良好とは言えない。テニスウェアの下半身部には泥土が跳ね上がった跡が浮かんでいて、テニスシューズも泥に塗れてしまっていた。

 

「・・・・・・ん?ちょ、おい!?」

「どうしたのよ、エリ・・・ス・・・・・・っ!」

 

 事前に動画サイトで試合を観戦していたこともあり、先輩らの顔は見たことがある。三名の内いち早く私に気付いたのは、その外見と名前から海外出身者と思しきベースラインプレイヤー、エリス先輩。続いてエリス先輩のパートナー、部長のリサ先輩。テニスノートでは『アリサ』という三文字で書かれていたけど、ニックネームのような物だろう。

 

「アキ、貴女・・・・・・」

 

 消去法で三人目。試合形式の練習では私とペアを組んでいた、ネットプレイヤーのエリカ先輩。エリカ先輩は一旦練習を切り上げ、急ぎ足で私の下に駆け寄り、周囲を見渡してから戸惑いの声を上げた。

 

「アキ、どうして貴女がここにいますの?」

「え、えと。は、初めましてっ・・・・・・じゃ、ないかもしれませんけど」

「まあ、そうですわね。ではなくて!貴女は一時的に休学中の筈でしょう」

「そ、そうなんですけど。で、でも、私・・・・・・お、お願いしますっ!!」

 

 頭を下げてから、肝心な部分が抜け落ちていることに気付く。これでは何を願い出ているのかさっぱり分からない。焦り過ぎにも程がある。しかし慌てて視線を戻すと、三人の先輩らは一様にして、神妙な面持ちを浮かべていた。お願いしますの一言で、私の意思はしっかりと伝わっていたようだ。

 

「少しだけで、いいんです。だ、駄目、ですか?」

 

 今の私には、ラケットを握る理由が無い。私の中には見当たらないけど、きっとその答えは、このテニスコート上にある。そう信じて打ちたい。一ヶ月前の私のように打ってみたい。返答を待ち望んでいると、リサ先輩が開口一番に言った。

 

「エリス。アキさんのラケットを部室から持ってきてあげて」

「え。アリサ、いいのかよ?」

「責任は部長の私が背負うわ。それとエリカ、貴女がアキさんの相手をするの。構わない?」

「私は・・・・・・ええ、勿論ですわ」

「アキさんも、それでいいかしら」

「は、はい。わたっ・・・・・・!?」

 

 気を緩めたせいか、不意に前頭部へ鈍い痛みが走る。頭痛を悟られないよう、一度俯いて顔を隠す。感極まっているように振る舞えば、気付かれはしない。痛みは抑えればいい。少しの間だけ、耐えればいい。

 

「あ、ありがとう、ございます」

「フフ、気にしないで。でも危険だと感じたら、すぐに止めるわよ。いいわね?」

「はいっ」

 

 駆け足で戻って来たエリス先輩から『VARON300』を受け取り、グリップに右手を当てる。長らくの間握っていなかった筈なのに、吸い付くように手に馴染む。グリップテープの巻き具合にストリングスの強度、独特の重量感。これは確かに私だけの物だ。当たり前だけど、完治した肘にも痛みは無い。

 

「アキ―、いきますわよー」

「あ、はい!」

 

 エリカ先輩の声を合図にして、水分過多のコート上で守備重視のロブを数球打ち合う。思いの外に肩の温まりが早く、続いて攻撃的なロビングに切り替える。更に数打を重ねて、ある程度の力を込めた強打に。

 あった筈のブランクは無く、予想に反せず身体は覚えてくれていた。打球は自分でも驚く程に鋭くて、ラケットヘッドが走る。渾身の力を込めた強打が深めに刺さると、エリカ先輩のカウンターは下方へ逸れて、一度ネットに掛かってしまった。

 

「ちょっとエリカ。後輩に競り負けてどうするのよ」

「アタシと代わるかー。ネットプレイヤーにアキの打球は荷が重いぞー」

「う、うるさいですわよっ」

 

 エリカ先輩が二人を黙らせ、再度ラリーを再開する。

 楽しいと思えた。一打一打を重ねる度に、私は笑った。単にラケットでボールを打ち合うという行為が、堪らなく楽しかった。無心になってボールを追い掛け、泥塗れになってコート上を走った。楽し過ぎて目元が緩み、視界は段々と歪んでいた。

 

「あ、アキ?」

「だ、大丈夫です。気にしないで、下さい」

 

 涙を流すのは後回しだ。そう言い聞かせて目元を拭うと、エリカ先輩は一度ラリーを止めて言った。

 

「アキ。そろそろ貴女のウイニングショットを打ってみなさい」

「・・・・・・はいっ」

 

 ウイニングショット。ポイントを決定付ける取って置き。私にそんな打球があったとするなら、一つしかない。再度エリカ先輩とのラリーを繰り返していき、ギアを徐々に上げていく。

 

(私は―――)

 

 頭痛は治まらない一方で、痛みは和らぎ始めていた。だって私は、思い出そうとはしていない。見詰め直しているだけだ。かつての私が見い出した答えを、もう一度新たに拾い上げる。それでいいんだって思える。あの日からずっと目を逸らし続けてきた『今』の一つが、段々と定まってきている。身体の奥底から湧き上がる衝動に逆らわず、ラケットを振るえばいい。

 やがてエリカ先輩の打球はサイドラインの瀬戸際、浅めの地点にバウンドし、私は自然と構えを取った。

 

「さあ、来なさい!」

 

 踏み込みはクローズドスタンス。肩を思い切って入れて相手前衛に偽りの軌道を読ませ、同時に身体を一気に捻り、ラケットのヘッドを走らせる。打点が上がり切るよりも前にボールを叩き、鋭角から鋭角一杯に放つ、お兄ちゃん譲りの―――『ライジングクロス』ストローク。

 

 

「おおおぉぉるああぁあっ!!!」

 

 

 ストロークは対面のサイドライン上に刺さり、エリカ先輩の背後にあったフェンスを揺らした。打球を見届けた後、私はラケットを手離し、込み上げてくる感情に身を委ねた。頭痛はもう治まっていて、その場に座り込んで俯いてしまった私を、不安気な表情を浮かべる先輩らが囲んでいた。

 

「アキさん、大丈夫?頭が、痛むの?」

「違う、違うん、です。わた、わた、し」

「アキ・・・・・・」

「う、うぅ。ひっ、ぐううぅっ」

 

 記憶は今も眠ったまま。何も思い出せないし、何も変わってはいない。私はこの先もずっと、忘れたままなのかもしれない。でもこれで終わりじゃない。終わりになんてしたくない、諦めたくない。4月23日から、少しでもいいから進みたい。

 それに、分かったことがある。私が再びラケットを握った、お兄ちゃんの背中を追い求めた、ただ一つの理由。私は―――テニスが、大好きだ。

 

「わた、じ・・・先輩と、もっと・・・っ・・・・・・テニスを、したいです」

 

 一歩ずつで構わないから、歩き出そう。今日がその、一歩目だ。

 

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 テニスコートで蹲るという異様な光景は周囲の視線を集め、アキの姿に目が留まる同学年の生徒が、続々と集まり始めていた。アキがすぐに三人の先輩へ事情を伝えると、エリカらは逃げるように部室へ戻り、駆け足で杜宮学園を飛び出した。向かった先は、駅前のファミリーレストラン。人目が付かないよう店内の最奥のテーブル席に座り、アキは今更になって自覚した空腹感を、これも駆け足で充たしていた。

 

「アンタどんだけ食うんだよ。もう三人分は食ってるぞ」

「んぐ・・・・・・す、すみません。朝から、ほとんど食べてなくって」

「ふーん、アキにしては珍しいな。まあエリカの奢りだし遠慮は要らねえぜ」

「払うのはアキの分だけですわよ」

 

 週末の食事時ということもあって客足は多く、店内ではホールスタッフが忙しく歩き回っている。制服を着た学生は四人だけで、アキは頭痛に悩まされることなく、三皿目のパスタを頬張っていた。

 

「それで、どうするよアリサ。今日のこと、黙ってる訳にもいかないよな」

「そうね。週明けに一度、先生に相談してみましょう」

 

 アキの意思を汲んであげたいという想いを、三人はしっかりと共有していた。とはいえ事情が事情なだけに、手離しでアキを歓迎する訳にはいかない。休学中のアキに部活動が許されるのか。そもそも今のアキにテニスは許されるのか。一学生に過ぎない三人には、判断し兼ねる問題だった。

 

「っ!?」

「いずれにせよ、私達には・・・・・・アキさん?」

 

 リサが今後のことについて触れようとした矢先に、アキの手が止まる。握っていたフォークが皿の上に置かれ、顔は見る見るうちに青褪めていき、視線が落ちる。喉を詰まらせたのかと思えば、そうでもない。不審に思ったエリカが立ち上がり周囲を見渡すと、店内の入り口付近に、見覚えのある男子が二人、立っていた。

 

「あれは・・・・・・」

『やれやれ。おいジュン、喫煙席しか空いてねえってさ。別の店に行くか?』

『うん・・・・・・リョウタに、任せるよ』

『ったく。飯の時ぐらい気を楽にしろっての。胃に穴が空いちまうぜ』

 

 学園でも何度か目にした、度々アキと食事を共にする男子達。エリカは合点がいった様子でそっと座り直し、アキの表情を窺う。耐え難い苦痛に苛まれてしまっていることは誰の目にも明らかで、エリカは小声でアキに呼びかけながら、事の成り行きを見守った。

 結局ジュンとリョウタは店内での食事を諦め、アキら四人に気付かないまま、踵を返して店を出て行った。するとアキはコップの水を一口だけ含み、か細い声で言った。

 

「・・・・・・お手洗いに、行ってきます」

 

 三人がアキの背中を見送り、皿に残されたパスタを見る。これ以上喉を通らないであろうこと、そしてアキが未だ重々しい何かに囚われていることを受け止め、暗雲とした空気が漂い始める。

 

「辛いな。ダチの声が苦痛って、何の冗談だよ。そんな馬鹿な話があっていいのか」

「私達にも、できることがあればいいけど・・・・・・本当に、無力よね。私達」

 

 アキの歩みは、まだ一歩目に過ぎない。僅かな光を見い出したところで、苦痛が全てを上書きしてしまう。失った物は余りにも多く、些細な思い出がアキの表情を歪ませる。大切な後輩が暗闇の中で苦しんでいるという現実は、何も変わってはいなかった。

 

「リサ。連盟の連絡先を教えなさい」

 

 だからエリカは迷いを捨てて、代わりに『決意』を固めた。

 

「連盟?ソフトテニス連盟のこと?」

「まだ二週間ありますわ。準備期間としては充分です」

「二週間って・・・・・・あ、貴女まさかっ!?」

 

 二週間の準備期間という言葉に、リサはすぐに察した。エリスもリサに続き、リサは驚愕の声を上げた。

 

「ま、待ちなさいよ。エントリーの締切はもう一ヶ月も前なのよ。それに部員はたったの四人しかいないじゃない。二人も不足していて、どうやって『団体戦』に出るって言うの?」

「前例はあります。一戦を捨てて、残り二戦を勝てばいいだけの話ですわ」

「で、でも締切が」

「直談判しますわ。ミツキさんに教職員、東亰都の連盟・・・・・・いいえ。日本ソフトテニス連盟に、明日にでも直接出向きます。私は本気ですわよ」

 

 インターハイ都予選に向けて杜宮学園に認められた出場枠は、地区予選を勝ち抜いたリサとエリスの個人戦のみ。団体戦に条件は無いものの、応募期間は一ヶ月前に締め切られている。アキのような編入生には特別な制限もある。たとえ出場が認められても、団体戦は三組同士が競い合う三本勝負。トーナメント戦を勝ち抜くには、一つの黒星も許されない。

 

「お、おいおい。エリカ、マジで言ってんのか?」

「モチのロンです。それに出場するからには全勝が大前提ですわ」

「・・・・・・女王にも、か」

「当たり前でしょう。何度も言わせないで下さいます?」

 

 更に都内にはインターハイ王者、リサとエリスのライバルらが率いる強豪校、『聖アストライア女学院』が君臨している。勝利の二文字がどれだけ無謀で困難な挑戦かは、実力者だからこそ理解できてしまう。しかしエリカは微塵の躊躇いも見せずに、真剣な面持ちで続けた。

 

「勝利の先に何を見い出すのかは、アキ次第でしょう。ですがそれには、私達が必要な筈です」

「エリカ、貴女・・・・・・」

「アキの先輩として、同じテニス部員として、仲間として今のあの子を支えることが、できなかったらっ・・・・・・私達は、私はただの大馬鹿者ですわ」

 

 エリカの信念の根底には、部活動が秘める稀有な力があった。プロスポーツ競技には無い、社会には存在しない競争。何のしがらみや隔たりも無く、ただただ純粋に優劣を決める、青春を謳歌する若者にだけ許される戦い。敗北から学び取れることだってある。しかし二週間後のアキには、勝利しか許されない。その為に―――できることがある。

 

「私達にも・・・・・・できることが、あるのね」

「・・・・・・考えたこと、なかったな。誰かの為の、テニスなんて」

 

 自分にもできることがあるという可能性は、彼女らを突き動かすには、充分過ぎる光だった。

 

「ハッ!面白え、やってやろうじゃんか」

「ええ、そうね。私達も覚悟を決めましょう」

 

 三人の利き手が重なり、想いが重なる。誰もが腹を括っていた。

 

「因縁のライバルだのなんだのはこの際どうだっていい。勝とうぜ、アキの為に」

「絶対に負けられない戦いっていうのは、きっとこういうことを言うのね」

「照らしましょう、アキの明日を。あの子の背中を、私達の手で押しますわよ」

 

 団体戦開催日は、6月最終週の休日。奇しくも初日には、某アイドルグループの三周年記念ライブが予定されていた。

 

 

 

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