時が経つのは早いもので、今日は五つの休日が連なるゴールデンウィークを間近に控えた、5月1日。杜宮学園へ転入してから二回目の金曜日の放課後、私は第二校舎北側にある図書館に来ていた。
想像していた通り、毎日の授業は付いて行くだけで精一杯。転入直後は苦労が多いそうだけど、今の環境に不慣れなことも相まってか、落ち着かない日々が続いていた。放課後はこうして図書館に通い、予習復習に時間を費やすのが常になっていた。
「ふう」
ペンを置いて頭上を仰ぎ、小さく溜め息を付く。
この図書館は敷地前の道路と面している一方で車の通りは少なく、心地良い静けさが保たれている。メイングラウンドからも離れているから、運動部の声や音も届かない。自主学習には打って付けの場所だ。
今現在館内には私を含めて四人。うち一人は図書館の管理を担当する教職員、コマチさん。以前にいた高校にも当然図書館はあったけど、設備としての充実度は雲泥の差だ。少なくとも専属の司書なんていなかったと記憶している。品揃えの評判も良いそうで、常連のシオリさん曰く、宝の山だそうだ。
「ふあぁ・・・・・・」
「フフ、今日も頑張っていますね」
「は、はい?」
欠伸を噛み殺していると、数冊の本を抱えたコマチさんの姿が背後にあった。
初めて訪れた際に挨拶はしたし、本は借りないけど私も常連者になりつつある。コマチさんは度々声を潜めて労いの言葉を掛けてくれることがあった。
「でも少し疲れているんじゃないですか?自主学習は立派ですけど、根を詰め過ぎては駄目ですよ」
「いえ、大丈夫です。それに今日は早めに切り上げようと思っていたので―――」
小声で返していると、鞄に入れていた携帯電話がチカチカと点滅しながら振動を始める。ディスプレイには『タマキさん』の名が表示されていた。
私は「すいません」と一言置いてから、携帯を手に一旦図書館の外へ出て、通話ボタンを押した。
「はい、アキです」
『おっつー、タマキだけど。今何処にいるの?』
「学校の図書館ですよ。そろそろ下校しようと思ってました」
『そっか。急なんだけどさ、今夜は暇?』
「暇・・・・・・まあ、特に予定は無いです」
『うんうん、なら決まりね。今日はパーッとやりましょ、パッーと』
首を傾げて聞き返すと、タマキさんは声を弾ませて詳細を教えてくれた。
今晩は私、遠藤アキの『歓迎会』。ガーデンハイツ杜宮の住民数名が集まり、私の転入と入居を祝う催しが開かれるらしい。タマキさんが前々から段取りを組んでいて、周囲に声掛けをしていたそうだ。
完全に初耳だった。確かに急だけど、余りに急すぎる。
「と、突然言われても」
『大丈夫大丈夫、みんな良い人だしね。数もそんな多くないし、たまには外で飲まないと溜まる一方よ』
「私は未成年です」
私の声を意に介さず、タマキさんが強引に押し切ってくる。
突然の誘いに戸惑いはあるけど、無下に断る訳にはいかない。当の私が不参加では決まりも悪過ぎる。わざわざ音頭を取ってくれたのだから、ここは有難く誘いに乗るとしよう。
「分かりました。それで、私はどうすればいいですか?」
『アキは一度帰って着替えるといいわ。参加者の一人に声を掛けてあって、場所もその子に伝えてあるの。アパートで落ち合える筈だから、一緒に来てよ』
参加者の一人、か。誰のことだろう。住民のほとんどは女性と聞いているけど、見知らぬ人と一緒にというのは少し気が進まない。なんて言っても仕方ないか。
私はタマキさんとの通話を切って、二つ折りの携帯を上着の中に入れた。
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ドアを施錠してから、鍵を肩掛けの鞄の中に入れる。
特に入り用の物は無いと思い、持ち物は必要最低限。服装は白のブラウスに七分丈のパンツ、夜はまだ冷えるから紺のジャケットを上に羽織っていた。少し地味だけど、これぐらいが私には合っている。
「・・・・・・どうしよ」
階段を下りながら、タマキさんの言葉を思い出す。
私はこれからどうすればいいのだろう。参加者の一人と落ち合える筈だそうだけど、少なくとも今は私一人だ。場所も分からないから動きようが無い。とりあえず、表で待っていればいいか。
アパートの前で髪先を弄っていると、後ろからガチャリとドアが開く音が聞こえてくる。
「あっ」
「え?」
声に振り返るやいなや―――ものすごい勢いで、走り寄られた。
今の今まで、すっかり忘れていた。私が借りている部屋の真下には、4月から同じ杜宮学園の女子生徒が住んでいたっけ。一週間前に見掛けたばかりだというのに。
「あなたがアキ先輩ですねっ!」
「えと、はい。と、遠藤アキです」
「やっとお会いできました。私、101号室の郁島空です。宜しくお願いします、先輩!」
郁島ソラと名乗った女の子は屈託の無い笑みを浮かべ、目を輝かせて言った。
思わずたじろいで、視線を反らしてしまう。
「あれ、どうしたんですか?」
落ち着け。私を先輩と呼ぶのだから、彼女は一年生なのだろう。同年代だけど、苦手とする同級生ではない。後輩だから大丈夫。うん、問題無い。
胸中で言い聞かせてから、コホンと咳払いを置いて答える。
「えーと。タマキさんが言っていた『参加者』って、郁島さんのことかな?」
「はい。アキ先輩のことはタマキさんから聞いていましたし、先輩をお連れするようにとのことでしたので。早速向かいますか?」
「あ、うん。私は準備できてるよ。じゃあ行こっか」
鞄の中から自転車の鍵を取り出す。一方の郁島さんは、道のど真ん中で屈伸運動を始めていた。
訝しんでその様を見詰めていると、郁島さんはハッとした表情で言った。
「ああ、アキ先輩は自転車を使って下さい。私は走ります」
「走るって・・・・・・場所は何処なの?」
「お店は駅前のビルにありますよ。食前の軽い運動にちょうど良い距離なので」
ここから駅前。学園程離れてはいないにせよ、結構な距離がある。少なくとも徒歩で行こうという発想には至らない。本当に走って向かうつもりだろうか。
「か、帰りはどうするの?」
「走りますよ?食後の運動ってやつです」
当たり前のように答えながら、準備運動を続ける郁島さんがいた。よく分からないけど、要するにスポーティな外見そのままの女性なのだろう。
猫のような小顔とは裏腹に、四肢は柊さん以上に鍛え抜かれている。日焼けとは程遠い透明感のある白い肌が、やや不釣り合いとさえ思えてしまう。何かしらスポーツをしているようだけど、屋内系だろうか。
ともあれ、確かに軽い運動にはちょうど良い距離ではある。最近は日課のトレーニングに中々時間を割けていなかったし、郁島さんに付き合うというのも悪くない。
「じゃあ、私も走ろうかな」
「え?いえ、お気遣いなく。無理に付き合って頂かなくても」
「ううん、そうじゃなくって。最近は体育の授業ぐらいでしか身体を動かさなかったから、鈍りがちだったんだよね。付いて行けるかどうか分からないけど、いい?」
私が問うと、郁島さんは「勿論です!」とやけに声を張って答えてくれた。
私は一旦部屋へ戻り、動きやすいスニーカーに履き替えてから、郁島さんと一緒に駅前を目指して走り始めた。
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駅前へ向かう道すがら、私達は改めて自己紹介を交わした。
郁島ソラさん、15歳。小学生の頃までこの杜宮に住んでいて、中学校に上がる前に家族で玖州へ引っ越した。今年の4月に入ってから杜宮学園へ進学すると共に、私と同じガーデンハイツ杜宮で一人暮らしを始めた。
お父さんは古流空手とやらの師範をしていて、郁島さんも物心付いた頃から空手と共にある生活を続けてきた。杜宮学園でも空手部に所属、日々鍛錬を積んでいるらしい。今日まで顔を合わせたことが無かったのも、朝練や部活動の影響で登下校の時間がずれていたことが原因のようだ。
「杜宮学園へ入ったのも修行の一環なんです。『郁島流を極めんとするならば、若いうちに見分を広め、己が修行の場を見い出すべし』。そうお父さんに勧められたので」
「そ、そうなんだ」
お互いに似た境遇にありながら、杜宮へやって来た経緯が私とはまるで異なっていた。
というか修行の一環で上亰するって何。現実味が薄すぎて理解が追い付かない。どんな世界だ。
半ば呆れていると、郁島さんの口からクラスメイトの名が飛び出てくる。
「コウ先輩から聞きました。アキ先輩は、コウ先輩と同じクラスなんですよね」
「コウ・・・・・・ああ、時坂君?時坂君と知り合いなんだ」
「はい。杜宮にいた頃は、何度か一緒に稽古を付けて貰っていたんです。私にとっては兄弟子のような人でした」
「兄弟子?あれ、時坂君も空手をやってたの?」
「空手ではないですけど、九重流柔術っていう古武術を宗家のお祖父さんから教わっていましたよ。商店街の近くに神社がありますよね?敷地内に道場があって、私も最近通ってるんです」
神社に併設されている道場。古武術。九重の姓。昔ながらの付き合い。・・・・・・うん、何だかこんがらがってきた。一度整理しよう。
確か九重先生は、休日に九重神社の巫女をしているという話だった。時坂君とは従姉の関係なのだから、お祖父さんは両者にとっての祖父に当たる。時坂君と郁島さんは、そのお祖父さんに師事していた。こんな感じか。
それにしても、時坂君が武術を習っていたというのが驚きだった。しかも郁島さんにとっては兄弟子。意外なところに繋がりがあるものだ。
「じゃあ完全に新生活って訳でもないんだね。中学に上がる前ってことは、杜宮は三年振りぐらい?」
「ですね。何人か知り合いはいますし、トワ先生や■■■先輩も私のことを覚えてくれていました」
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「ですね。何人か知り合いはいますし、トワ先生やシオリ先輩も私のことを覚えてくれていま・・・・・・ご、ごめんなさい、速かったですか?」
「っ・・・・・・ううん、そうじゃなくって」
知らぬ間に、駆けていた筈の足が止まっていた。肩で息をしてはいるけど、余力は十二分に残っているというのに。
今の違和感は何だろう。既視感に近いけど、違う。何かが違った。全身に浮かび始めていた汗が、一気に冷えたそれへと変わっていた。
私は深呼吸をしてから、不安気な表情で私を見詰めていた郁島さんに言った。
「何でもないよ。郁島さん、少しペースを上げよっか」
「それは構いませんけど・・・・・・大丈夫ですか?な、何だか顔色が優れないような気が」
「逆に遅過ぎたのかも。郁島さんもかなり抑えて走ってるでしょ」
考えるのは止そう。分からないけど、考えても仕方ないことだけは不思議と理解できた。
郁島さんは多少怪訝そうな顔をしてから、首を縦に振った。
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向かった先は、杜宮駅前のビルにある居酒屋。入り口から程近いテーブル席に、タマキさんを含め四人の女性が座っていた。
着いて早々「飲み物は何にする?」というタマキさんの問いに、私とソラちゃんは「水で」と答えた。
「じゃあ二人揃って全力疾走してきた訳?」
「はい・・・・・・つ、疲れました」
「わっかいねぇー。流石現役の女子高生は違うわ」
ソラちゃんに釣られて本気で走ってしまっていた。一週間のお勤め最終日ということも相まってか、疲労が肩に重く圧し掛かってくる。明日は筋肉痛に悩まされるかもしれない。
運ばれてきたグラスの水を一気飲みしていると、私の隣に座ったソラちゃんが髪を整えながら言った。
「でもすごいです。コウ先輩も言ってましたよ。体育の授業が持久走の時、アキ先輩は運動部の生徒よりも速かった、すごい奴だって」
「あ、あはは。時坂君、そんな話をしてたんだ」
それを言うなら、二番手の私と大差を付けて断トツだった柊さんの方がすごい。
ソラちゃんも柊さんのことは知っているらしい。容姿端麗に成績優秀、文武両道ともなれば、学年を問わず全生徒の注目の的になるのも当然だ。ああいう人は創作上にしか存在しないと思っていた。
「さてと。全員揃ったし、改めて乾杯するわよ。二人共、注いであげるからグラスを持って」
「タマキさん、ビールを注がれても困ります」
「形だけだってば。アタシらが飲むわよ」
意気揚々と瓶ビールをグラスへ注ぐタマキさん。色々と問題がある光景だけど、私服だし見られても追及はされないだろう。
テーブルには既に色取り取りの料理が並べられていて、文句無しのご馳走に思わず喉が鳴った。
「アキの転入とソラちゃん完全復活を祝して、カンパーイ!」
六つのグラスがテーブルの中央で合わさると同時に、首を傾げてしまった。隣を見ると、ソラちゃんは「最近色々ありまして」と苦笑いをしながら答えた。
言われてみれば、一週間前に彼女を見掛けた際、見るからに憂鬱そうな表情を浮かべていたか。気にはなったけど、まあ色々とあったのだろう。今は触れないであげた方が良い。
視線を前に移すと、知らない顔ぶれがズラリ。タマキさんとソラちゃんを除いて、三人の女性がビールで喉を潤していた。とりわけ目を惹いたのは、一目で日本人ではないと分かる、ブロンドの女性だった。
「先に自己紹介を済ませた方がいいわね。アイリ、いい?」
アイリと呼ばれた女性と視線が重なると―――紫色に光る瞳に、吸い込まれてしまいそうな感覚に陥る。
以前テレビ番組で見たことがある。ヴァイオレットの瞳を持つ人間は、世界的に見て全人口の僅か2%、1000万人に一人。実際に見ることは叶わないと思っていた瞳が、眼前にあった。
「大学生のアイリです。ポーランドから東亰にある大学へ留学して、杜宮には今年に入ってから来ました。専攻は民俗学が中心ですね」
「東亰にある大学じゃなくて、東亰大学でしょ」
「と、東大生?」
東亰大学。詳細を聞くまでもなく、日本を代表する国立大学だ。1000万人に一人の、東大留学生。あの柊さんをも上回る、超然としたオーラを感じた。
それにポーランドからということは、タマキさんのポーランドビールブームの火付け役は彼女のことなのだろう。三つ隣と言っていたから、204号室の住民か。
「あれ・・・・・・でも東亰大学って、ここから結構離れていませんか?」
「そうですね。電車の移動だけでも一時間近くは掛かります」
「え、えーと」
「私は杜宮にずっと憧れていたんです。日本を知る為のフィールドワークには、打って付けの地ですから。移動も慣れてしまえば、それ程苦労しませんよ?」
アイリさんはポーランドの大学で日本文化に触れ、日本語も母国で学んだそうだ。端々に独特のイントネーションはあるけど、相槌一つ取っても言葉選びに違和感が微塵も無い。堪能と言っていいレベルだろう。
寧ろ杜宮に対する憧れとやらの方が気になる。様々な顔を持つ中核都市として有名ではあるし、最近はご当地キャラが全国区になりつつあるけど、言う程の魅力があるのだろうか。
多少の疑問は残る一方、日本に関心を抱いてくれているという点で言えば、とても好意的に思えた。
「宜しくお願いしますね、アキさん」
「は、はい。宜しくお願いします」
アイリさんと挨拶を交わし、彼女の隣に座るスーツ姿の女性へ視線を移す。
女性はひどく不機嫌そうな顔で、ビールを呷っていた。アイリさんとは対照的に、負のオーラが全身から滲み出ていた。怖い。
どういう訳か、代わってタマキさんが言った。
「こっちはシホ。アタシと同い年のOL。駅前の『さくらドラッグ』でサプリメントやらダイエットサポートやらを買い漁ってる女がいたら、大体コイツよ」
「は、はぁ」
スーツ姿ということは、仕事帰りに直接来たのだろう。虫の居所が悪そうなのも、仕事で疲れているから―――ではなくて、そういう類の物ではないことだけはよく分かった。
「ちょっとシホ、今度は何なの?」
「べっつにー。職場の後輩が『結婚します』なんてクソどうでもいい妄想を垂れ流してきたから、どうやって呪ってやろうか考えてただけよ」
「どうでもいいけど釘を使う系はやめて。近隣住民を敵に回すから」
「フフ、シホさんのおかげで日本の呪術を沢山知ることができました。大学で提出したレポートも高評価でしたよ」
底無しに恐ろしい会話だった。成り立ってはいけないやり取りが成り立ってしまっている。ソラちゃん曰く「いつもこんな感じです」らしい。何て広い心の持ち主だろう。
逃げるように、三人目。シホさんの隣に座る女性を見ると、女性はテーブルの端に置かれていたお品書きを手に取って、私とソラちゃんへ差し出してくる。
「二人共、何か頼む?遠慮はしなくていいから、好きな物を言ってね」
「あ、どうも。じゃあ、ジンジャーエルを」
「私も同じのお願いします」
私とソラちゃんが言うと、女性は呼び出し用のパネルを押してくれた。
女性の名前はトモコさん。外見はおっとりとした雰囲気で、アイリさんが柊さんなら、トモコさんはシオリさんを連想させた。
勤め先は杜宮市のランドマークとして有名な、あの『アクロスタワー』。様々な商業、文化施設で賑わう中、トモコさんは一階にある販売店の管理を担っているそうだ。
「私、モリマルが大好きでね。アキちゃんは知ってる?」
「あ、はい。ご当地ゆるキャラのあれですよね」
「そうそう!杜宮市広報大使兼三多摩ウド農家連合会顧問役のモリマル!」
早口言葉的な何かが聞こえた気がするけど、多分気のせいだろう。
モリマルは杜宮を代表するマスコットキャラクター。最近は色々なメディアで目にすることが多く、テレビCMにも出演したりと各所で引っ張りだこ。
可愛らしいキャラではあるけど、私には今一人気の要因が分からない。が、トモコさんはモリマルに惹かれて杜宮へ引っ越してしまう程に、熱を入れているらしい。再び背筋へ悪寒が走った気がするけど、きっと気のせいだ。
するとアイリさんが、トモコさんが手にしていたサイフォンを指差して言った。
「そういえばこの間、新作ができたって言っていましたよね」
「ええ、そうなの。今回も自信作よ」
「・・・・・・あの、新作って」
「モリマルが登場する短編小説を、web上で書いてるの。見てみる?」
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「んっ・・・・・・はぁ」
モリマルの愛くるしい指が、私の柔肌を―――
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「アキ先輩、この炒飯すっごく美味しいです!先輩も・・・・・・な、何ですか?」
もぐもぐと炒飯を頬張るソラちゃんの肩に縋った。癒しを求めずにはいられなかった。
このテーブルにはきっと悪い人はいないと思いたい。でも変人はいる。目が眩む程に。
ソラちゃんが取り分けてくれた炒飯に手を付けていると、オーダー表を手にしたエプロン姿の店員さんが、テーブルへ歩み寄ってくる。私とソラちゃんは、驚きの声を上げた。
「大変お待たせしました。ご注文はっ・・・・・・あれ。ソラに、遠藤か?」
「あ、コウ先輩!」
「とと、時坂君?」
もしかしなくとも、私のクラスメイト。時坂コウ君が、テーブルの脇に立ち尽くしていた。
どうして彼がここにいる。今日もバイトとは言っていたけど、モリミィの販売員さんをしているとばかり思っていたのに。
「ああ、遠藤には言ってなかったっけ。俺って色々なバイトを転々としてんだ。モリミィもその一つで、今日はこの居酒屋のホール」
「そ、そうなんですか。で、でも高校生が居酒屋でアルバイトをしてもいいんですか?」
「問題はねえんだけど、イメージは悪いよな。できれば黙っといてくれると助かるっつーか。ソラも頼むわ、この通り」
オーダー表を脇に抱え、両手を合わせて頼み込んでくる時坂君。
別に言い触らそうなんてつもりは更々無いけど、こんな場所で彼と出くわすとは思ってもいなかった。高校生の身で様々なアルバイトに手を出しているというのも初耳だった。何か事情があるのだろうか。
聞いてみたい衝動を抑えて、私はジンジャーエルを二つオーダーした。時坂君がテーブルを離れると、シホさんがワインをビールジョッキに注ぎながら言った。ワインってそういう飲み物だったっけ。
「バイト先を転々ねぇ。そういう男って大抵女癖が悪いのよ。あれも女子高生を取っ替え引っ替えしてるんじゃないの?いけ好かないわね」
「「それはないです」」
私とソラちゃんの声が見事に重なった。
時坂君とシオリさんの関係はクラスでも、と言うより学園内でも有名だ。家が隣同士で幼馴染、朝の登校は勿論のこと、何から何まで昔から一緒。何事も一緒。
B組では完全に夫婦として扱われている一方で、当の時坂君は「別に普通だろ」の一点張り。シオリさんはあっけらかんと「コウちゃんは大好きだよ」と言ってのける。
でも恋愛関係ではない。見ている側がもどかしさを覚えるぐらいなのに、恋愛関係ではない。
大事なことを頭の中で反芻していると、タマキさんが私に言った。
「バイトっていえば、ねえアキ。結局どうするの?」
「・・・・・・その、やっぱりアルバイトを始めようと思ってます」
「え。アキ先輩、そうなんですか?」
「うん。この間申請書も提出したんだ」
転入するよりも前から決めていたことだ。
一人暮らしはタマキさんに勧められた結果とはいえ、私自身興味があったという経緯もある。生活費の全額は無理でも、ある程度は自分で自分の面倒を見たいと考えていた。
ここ最近は放課後を自主学習に費やしていたから余裕が無かったけど、その甲斐もあって少しは落ち着きつつある。そろそろ頃合だろう。それに、身近に相談へ乗ってくれそうな人間もいる。
「お待たせしました、ジンジャーエルになります」
「あ・・・・・・と、時坂君っ」
テーブルへジンジャーエルを下ろす時坂君に、改まった声で切り出す。
いい機会だ。この場の勢いで、お願いしてしまえ。
「その、私、アルバイトを始めようと思っていて」
「バイト?もしかして、『モリミィ』のことか?」
「へ?」
私に先んじて、時坂君が希望のアルバイト先を口にした。
時坂君は空いたグラスや皿をトレーに移しながら続ける。
「以前店に来た時、募集のチラシを念入りに見てただろ。実家のパン屋を手伝っていたって話だし、そうなのかと思ってさ。違ったか?」
「っ・・・・・・い、いえ。違わないです」
「まだ募集はしてた筈だから、俺が取り次いでやるよ。少し待っといてくれ」
「えっ。い、今からですか?」
「こういうのは早い方がいいって」
ポケットからサイフォンを取り出し、店の奥へ消えて行く時坂君。
あれよあれよという間に、話が進んでしまった。勘が鋭い人だとは思っていたけど、まさかこんなことになるなんて。察しが良すぎではなかろうか。
「あはは、コウ先輩らしいですね。シホさん、見直してくれました?」
「フン。いい恰好してるだけじゃない」
「またそんなことを言う・・・・・・」
シホさんの印象はともかく、これは期待していいかもしれない。
意気揚々とフライドポテトを摘まんでいると、サイフォンを手にした時坂君がテーブル席へ戻ってくる。随分と早いお帰りだった。
「ワリィ。急だけど、明日って朝から空いてるか?」
「あ、明日ですか!?」
時坂君が言うには、今現在モリミィは深刻な人手不足に陥っている。つい最近とある雑誌で取り上げられたことも相まって、嬉しい悲鳴が上がっているらしい。
しかも明日から五連休、ゴールデンウィークに突入する。世間がお休みムードに包まれる一方で、サービス業を営む側からすれば一年の中でも随一の繁忙期。連休をどう過ごすかはお店によるけど、モリミィは稼ぎ時と見てフル稼働をするそうだ。
「経験者は大歓迎だってよ。まだ仮の採用だろうけど、どうする?」
「い、行きます。行かせて下さい」
「ならそう伝えとくぜ。朝の7時って言ってたから、店の前で集合でいいか?」
「は、はい。分かりました」
パン屋の朝が早いのはいつの世も同じ。私にとっては慣れっこだ。
そうと決まれば今日は早めに休んで―――え、集合?
「あの、時坂君も来るんですか?」
「初日だから、見知った顔があった方が遠藤も気が楽だろ。あれ、逆だったか?」
「い、いえ」
「っとと、そろそろ行かねーと。じゃあ明日な」
厨房の中から呼ばれた時坂君は、足早にテーブル席を後にした。
時間にして僅か五分にも満たない間に舞い込んだ、念願のアルバイト先。時坂君と同じクラスで本当に良かった。というか、良い人過ぎる。今は忙しそうだから、しっかりとお礼を言ってから帰らないと。
「日本の男子高校生はとっても紳士なんですね。素敵です」
「いい子じゃん。フリーなら今のうちに唾付けといたら?」
「だ、誰があんなお子様をっ」
「私にはモリマルがいます」
「アンタらには言ってない」
「アキ先輩、頑張って下さいね!」
明日が待ち遠しいなんて、いつ以来だろう。
それに、この賑わいも悪くない。そう思える私がいた。