東亰ザナドゥ ―秋晴れの空へ向かって―   作:ゆーゆ

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※原作よりも7月8日の回数が多いです。


7月8日 嘘

 

 ―――永遠に、閉じ込めてあげるから。

 

「コウちゃんっ!?」

 

 悲鳴と共に飛び起きて、咄嗟に両手で首元を押さえる。滑りとした感触は無く、衣服にも鮮血は無い。呼吸は乱れているけど、重ねるに連れて肺が充たされ、少しずつ冷静さを取り戻していく。

 

「私、どうして・・・・・・い、今のって」

 

 悪い夢を見ていた訳じゃない。鮮明な記憶が、全て現実だと言っている。しかし何故私は今、時坂君の名を呼んだのだろう。彼を「コウちゃん」と呼ぶ人間は、一人しかいないというのに。それは決して私ではない。

 分からない。今自分が立っている場所が何処かさえ分からない。けれど、まるで理解に及ばないこの状況下でも、確かなことがある。必死になって手を伸ばし求めていた記憶達が、声を揃えて一斉に囁いてくる。全部、現実なんだ。

 

「そっか。私は・・・・・・」

 

 シオリさんの意識に触れた影響か、彼女が見聞きしてきた物が、私の中にある。私の与り知らないところで、一体何が起きていたのか、その全てが記憶として残されていた。『X.R.C』の結成、リオンさんの天使憑き、虚空震の正体に、杜宮市が見舞われたこの現状。災厄の匣『パンドラ』と、四本の柱。

 そして十年前の真実と―――6月5日。あの日を境にして、シオリさんと私が吐き続けてきた嘘。私は倉敷シオリでも、遠藤アキでもない。遠藤アキの姿をした、ただの偽者だ。

 

「・・・・・・私、は」

 

 私は一体何をしていたのだろう。失った物を求めても、その先には何も無い。本物ではないのだから、前を向いたところで何も生まれはしない。虚無しか存在しない嘘偽りに充ちた世界の中で、私はこれからどうすればいい。嘆いても、誰も答えてはくれない。もう立っていることさえ儘ならず、シオリさんが私に残した言葉だけが、頭の中で繰り返される。

 

 ―――安心して。アキちゃんはみんなと一緒に、見守っててよ。

 

 絶望が深過ぎて、涙は出なかった。代わりに私の小さな薄ら笑い声が、夜の闇に溶け込んでいく。閉ざされた世界の淵で、私はただただ、笑っていた。

 

_________________________________________

 

 地べたに寝転がりながら果ててしまおうかと思いきや、自然と身体が動いてしまった。サイフォンを片手に歩き回ると、周囲に人気は無く、誰とも出くわさなかった。釈然としないけど、それでも一通りの状況は把握できた。そもそも私には、シオリさんが振り撒いた災厄が分かってしまうのだから、時間は然程掛からなかった。

 現時刻は夜の22時半過ぎ、超規模の異界化が発生してから約四時間後。私が転移したのは杜宮市の外れ、工場跡地の北部にある閑静な住宅街。杜宮上空に匣が綴った紋様は、そのまま地上に刻み照らされ、杜宮市全体を覆う巨大な結界を形成していた。それらを支えているのが、匣を囲むようにして聳える『四本の柱』。柱は杜宮の地下深くを流れる地脈と一体化することで、今も無限の霊力を匣に送り込んでいた。

 

(瘴気が、濃い)

 

 異界化の浸食は杜宮全土に及んでおり、辺りには紫色の瘴気が漂っていた。出処はそこやかしこに散見される、異界植物達。アキヒロさんが飲み込まれた異界に生茂っていた種とそっくりな蔦が電柱に巻き付き、毒々しい花弁が瘴気を撒き散らしていた。こんな状況下では、耐性の低い人間は瘴気の毒に蝕まれてしまうに違いない。

 一方で驚いたことに、電気の供給は続いていた。街路灯はしっかりと生きているし、公園に設置されていた水道の蛇口を捻ると、渇いた喉を潤すこともできた。外界から隔絶されたとはいえ、最低限度のライフラインが保たれていることから考えても、まだ大きな被害は出ていないのかもしれない。おそらく住民は瘴気から逃げる為に、何処か遠くへ―――

 

「・・・・・・悲鳴?」

 

 微かに耳へ入った、女性の声。念の為にと起動していた異界探索用のアプリは、複数体の脅威の存在を示していた。住民らを追いやったのは、瘴気だけではなかった。私はすぐにライジングクロスを顕現させ、声が聞こえた方向へと足を動かした。マユちゃんが手掛けたテニスシューズを履いていたのが功を奏し、ギアドライブのスキルを抑える必要も無かった。

 やがて突き当りのT字路を右に曲がり、道幅の狭い通りへ。視線の先には、三体の巨大なグリード。そしてその中央に蹲る一人の女性。ちかちかと点滅する街路灯のおかげで、一目でガーデンハイツ杜宮の住民だと分かった。

 

「トモコさん、伏せて!」

「え・・・・・・あ、アキちゃん!?」

 

 一振りで複数の霊子弾を放ち、グリードらをトモコさんから引き剥がす。その隙にトモコさんの震える身体を両腕で抱き上げ、横抱きの体勢のままグリードの危険度を推し量る。A級に迫るエルダーグリードが、三体。トモコさんを守りながら、たったの一人で対峙できる相手じゃない。

 

「ギアドライブ、全開!!」

「わわ、うわわっ!?」

 

 アクセルを振り切り、トモコさんを抱えて地を駆ける。グリードから逃れながら、私は結局適格者としての力を揮うことになるのかと、胸中で独りごちていた。寧ろそれに縋ることでしか、足は動いてくれなかった。

 

_________________________________________

 

 トモコさんと共に逃げ切った先は、古びた木造の一軒家。おそらく老夫婦が暮らしていたであろう民家に、私達は「お邪魔します」と「ごめんなさい」を言ってから飛び込んだ。屋内はやはり無人で、テーブルには箸を付けたばかりの冷えた食事が残されていた。状況から察するに、夕食の合間に異界化が発生し、住民は外の何処かへ避難をした、といったところだろう。

 私は動揺するトモコさんを落ち着かせて、薬箱に入っていた市販のマスクを取り急ぎ付けて貰った。屋内と言えど、瘴気は少しでも肺に入れない方がいい。どれ程の効果があるかは分からないけど、無いよりは幾分か良いに違いない。

 

「とりあえず、お礼を言うわね。ありがとうアキちゃん、おかげで助かったわ」

「いえ、気にしないで下さい。間に合って良かったです」

 

 トモコさんは畳敷きの和室に腰を下ろし、テーブルを挟んで反対側に座った私は、トモコさんが教えてくれた一連の経緯に耳を傾けた。あの虚空震が発生した時、トモコさんは勤め先であるアクロスタワー一階の販売店にいた。一向に収まろうとしない地震に対し、通常ではない『何か』を肌で感じ取ったトモコさんら従業員は、総出となって訪問客の避難誘導を開始した。すると突然、視界一杯の怪しげな光に包まれ、気付いた時には外に立っていた。要は私と同じで、アクロスタワーが匣へと変貌した瞬間に、屋外へ強引に転移をさせられてしまったようだ。

 

「初めは何人かの同僚と、一緒に行動していたのよ。でもあの化物に襲われて、逃げ回っている間に一人になっちゃって・・・・・・」

「その人達が何処にいるのか、分かりますか?」

「ううん。携帯電話が繋がらないから、連絡の取りようも無いの」

「そうでしたか。私は―――」

 

 一旦言葉を切り、咄嗟に右手を膝元へ隠す。恐る恐る視線を落とすと、見間違いではなかった。考えずとも、私は異変の意味を理解した。思いの外に、『事』は進んでいた。

 

「アキちゃん、どうしたの?」

「いえ・・・・・・その」

 

 室内を見渡すと、裏玄関の戸棚に置かれていた軍手に目が留まった。私は足早に裏玄関へ向かい、トモコさんに背を見せながら軍手を着け、ほっと一息を付く。私の行動を訝しむように見詰めていたトモコさんには、その場凌ぎの言い訳で取り繕うことにした。

 

「ライジング・・・・・・さっき見せた武器を使うと、右手を痛めてしまうことがあるので。こうして軍手を着けるだけでも、大分負担が減るんです」

「そ、そう。それで・・・・・・あの、アキちゃん。私も何から聞けばいいのか、分からないのだけど」

「分かってます。私が話せることは、全部話します」

 

 先程からずっと考えてはいた。こんな現状では、話さない訳にはいかない。

 私は明かせる限りの全てを、トモコさんに語った。異界というもう一つの異世界と、異界で生きるグリードの存在、適格者が持つ稀有な力。人知れず発生していた大規模な異界化、そして現実世界への浸食。既に異界と現実の境目は曖昧で、今し方トモコさんが襲われたように、いつ何処で脅威に曝されるのか分からない状況になりつつある。トモコさんは戸惑いながらも、私の話を何とか受け入れてくれた様子だった。

 

「わ、私達はこれから、どうすればいいのかしら」

「安全な場所を見付けて避難しましょう。多分、ある筈なんです」

 

 ここへ来るまでの間、私はトモコさんの姿しか見ていない。人気は皆無と言っていい。しかしグリードが住民らを食い尽くしたという最悪は、その形跡が見当たらない。住宅ではない何処かへ避難をしたと考えるのが妥当だ。いずれにせよそう信じないと次の行動が取れないし、長居をしては始まらない。本来は仲間を頼りたい場面だけど、トモコさんが言ったようにサイフォンの通話機能は使い物にならず、追跡アプリも駄目。当面は私一人で動くしかない。

 

「それにしても・・・・・・ねえアキちゃん。もしかして貴女、記憶が?」

「はい。原因は分からないですけど、おかげ様で全部思い出しました。記憶は戻ってます」

「そうだったの!良かった、本当に良かったわ。不幸中の幸いね」

 

 不幸中の幸い。その有り難味が、現時点では余りにも薄い。再びソウルデヴァイスを揮ったおかげでトモコさんを窮地から救い出せたのはいいものの、私が行き着く先はもう、変わらないのだと思う。いや、シオリさん次第か。それとも私達次第か。想いが、定まらない。

 皮肉の笑みを浮かべていると、突然私のサイフォンが鳴った。脅威の存在を報せる、断続的なアラート音。予断を許さない状況であるにも関わらず、完全に気を緩めてしまっていた。

 

「な、何の音?着信音じゃ、ないわよね」

「すぐに外へ出ます。トモコさん、急いで下さい」

 

 裏手の方角から三体、いや四体。もうすぐそこまで来ている。先程と同様で、トモコさんがいる以上戦闘は回避するに越したことはない。表口から出て、ギアドライブで一気に振り切る。

 私はトモコさんを再度両腕で抱き上げ、グリードの位置を確認できるよう、トモコさんに私のサイフォンを預けた。画面上には既に、五体目の光点が映っていた。もう時間が無い。

 

「しっかり掴まっていて下さいね」

「え、ええ」

 

 一歩目から全速力を引き出し、襲来するグリードと反対方向に走り出す。トモコさんに縮尺を変えて貰い画面を広域表示にすると、更に複数体のグリードが西側から接近していた。グリード探知用のサーチアプリから脅威度までは読み取れないけど、今はギアドライブの俊足で逃げの一手に回るしかない。

 

「飛びます!」

「と、飛ぶ!?」

 

 勢いを殺さないよう石製の壁に飛び移り、限られた足場を使って更にその上へ。二階建ての民家の屋根を伝って、もう一段階上空に舞い上がる。悲鳴を押し殺すトモコさんを抱きながら住宅街を見下ろすと、ある一箇所だけが、ぼんやりと光に包まれていた。深夜の暗闇の中に、人工的な光とは違う輝きがあった。

 

(あれは―――)

 

 僅かに感じた、力の波動。考えるよりも前に、私の足は光があった方角へと向いた。しかしその近辺には、例によってグリードの集団が蠢いていることを、サーチアプリが教えてくれていた。トモコさんの身を守りながら、強引に突破できるだろうか。

 やがて辿り着いた先には、九重神社を連想させる石造りの長階段と、その足元には『十五所神社』の名が記された木製の板が立っていた。三体のグリードは階段を遮るようにして、私達の前に立ち塞がっていた。

 

「トモコさんは後ろに。離れ過ぎないで下さい」

 

 トモコさんを一旦降ろし、グリードを睨み付ける。外見から類推するに、妖精型のエルダーグリードが三体。私一人では手に余る相手だけど、注意を引いてトモコさんだけでも、この先に導ければいい。私にその覚悟さえあれば、きっと道は拓ける筈だ。

 

「おおぉるらあっ!!」

「えっ・・・・・・」

 

 駆け出そうとした、その刹那。グリードの後方から響き渡った声と共に、一振りの斬撃がグリードを襲った。虚を突かれ両断されたエルダーグリードは光へと変わり、残りの二体が私達を通そうとするかのように、階段から距離を取り始める。やがて消え去った光の中に立っていたのは、予想だにしない男性だった。

 

「あ、あなたは、アキヒロさん!?」

「馬鹿野郎、早くしやがれ!」

「で、でも」

「いいから急げ、こっちだ!!」

 

 アキヒロさんの声に何とか反応した私は、後方に避難していたトモコさんの手を取り、真っ直ぐに走り抜いた。階段を上り始めると、私に続いたのはアキヒロさんだけ。エルダーグリードは見を決め込んで、私達の背中を追おうとはしなかった。

 

__________________________________________

 

 十五所神社は住宅街の外れに建つ小さな神社で、境内の広さは九重神社の半分以下。社務所を兼ねた集会所は近隣住民に開放されていて、市内でも田舎町のような風景が広がる神社界隈では、それなりに重宝されている憩いの場でもあるらしい。案内された屋内には、年配の男性が三人と、同じく高齢の女性が二人。小学生低学年と思われる少年少女らが三人。アキヒロさんを含めて計九人の人間が、集会所の中に避難をしていた。

 

「理由は知らねえが、神社の敷地内にグリードは入って来れねえクサいんだ。ここにいる間は、襲われる心配がねえんだよ。安心していいぜ」

「そっか・・・・・・そうだったんですね」

 

 憶測の域を出ないけど、おそらくこういった神社は霊的な何かを秘めているのだろう。それが結界として働き、グリードを足止めする。結界の存在に気付いた住民らは、最寄りの祭祀施設へ続々と逃げ込んだ。その一つがこの十五所神社で、だから住宅街には人気が無かった。そう考えれば説明が付く。

 

「初めにここへ来たのは俺なんだ。テメエらみてえに逃げて来た奴らを連れ込む為に、木刀担いで構えていたんだよ。クク、俺様のおかげで助かっただろ」

「あ、ありがとうございます。でも、その木刀って・・・・・・」

「コイツは本殿の奥に祀ってあったんだよ。どういう訳かグリードには効果テキメンでな」

「祀り物でグリードを斬ったんですか!?」

「どうだっていいだろうが。細けえことを気にしてんじゃねえよ」

 

 事の是非はどうあれ、アキヒロさんに助け出されたことは事実。それにこの人が初めに辿り着いたということは、他の八人も私達と同様にして導かれたのだろう。信用に値する人間だと考え、異界ドラッグに関する過去は一旦忘れた方がいい。あの一件だって、グリードに魅入られてしまった不運が根底にある。

 しかし腑に落ちない点も多々ある。アキヒロさんには記憶消去の措置が取られたと聞いていたけど、アキヒロさんは今「グリード」という呼称を口にした。それに先程見せた斬撃が、木刀だけの力とは到底思えない。適格者ではない人間に、エルダーグリードを叩き斬るなんて真似ができる筈がない。そもそも鑑別所に入っていたアキヒロさんが、何故こんな街外れに居るのか。それらを問い質そうとすると、アキヒロさんは先んじて言った。

 

「聞きてえのはこっちだ。テメエは確か、シオさんと一緒に戦ってた後輩だったな」

「やっぱり、覚えているんですね」

「ああ。訳分かんねえ術を俺に使おうとした奴も、首を傾げてたぜ。俺には効かねえんだろうよ」

「耐性が付いたんだと思います。『腐海病』にならなかったのも・・・・・・これは、別の話ですね」

「いいからさっさと教えろ。俺だけでいい。この杜宮で、一体何が起きてんだ?」

 

 催促をするアキヒロさんの後方をちらと見やる。トモコさんは柔らかな物腰で、高齢のお爺さんとお婆さんらに声を掛けていた。ある程度はトモコさんの口から語られるかもしれないけど、必要以上を知らせても仕方ない。年端もいかない子供達も同じで、単に怖がらせてしまうだけだ。

 

「・・・・・・分かりました」

 

 根底にある真相は伏せながら、私は全てをアキヒロさんに語った。知って貰うことで、楽になりたかった。

 

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 日付が変わり7月9日を迎えた筈が、サイフォンの画面上には7月8日の四文字が浮かんでいた。二回目となる午前零時に大した驚きも無く、私がアキヒロさんに語り尽くした頃には、私達二人を除く九人は夢の中。集会場にはいくつかの寝具が置かれていて、束の間の平穏と静寂が訪れていた。

 

「成程な。その匣とやらの中に、異界化の元凶がいやがるって訳か。とんでもねえ化物だな」

「・・・・・・そう、ですね」

「それで、シオさん達と連絡は取れねえのかよ?」

「サイフォンが使えないので。今何処にいるのかも、分かりません」

「やれやれ。暫くは身動きが取れそうにねえな」

 

 家族や杜宮学園のみんな、ガーデンハイツ杜宮の住民とアルバイト先。大切な人の居場所が、私には分からない。探す手立ても無い。無い無い尽くしの中で、会いたいという想いは勿論ある。しかし自分でも怖いぐらいに、その衝動が薄い。あれだけ望んでいた思い出を取り戻したにも関わらず、感情は淡々としていて起伏が無かった。

 

「・・・・・・アキヒロさんは、どうやってこの神社に行き着いたんですか」

「近くに家庭裁判所があんだよ。その帰りに異界化が起きやがったんだ」

 

 何とはなしに振った話題に、アキヒロさんは手元を動かしながら答えてくれた。異界ドラッグの一件で鑑別所に送られたアキヒロさんは、今月に入り試験観察という観護措置が下された。保護観察と似たような物らしいけど、厳密に言えば異なるらしい。アキヒロさんは調査官によって状態を逐一観察され、試験観察中に一度でも問題を起こせば、すぐに鑑別所へ戻される。加えて定期的に家庭裁判所へ出向く義務があり、昨日もその一日。異界化が発生したのが、帰路に着いていた最中のことだった。

 

「でもアキヒロさん、以前と比べて印象が変わりましたね。服装や髪型も、全然違います」

「まあな。こんな俺でも、背負っちまったモンの重さぐらいは理解できんだよ」

「あれは・・・・・・別に、アキヒロさんが悪かった訳では」

「馬鹿かテメエは。この手で何人を病院送りにしたと思ってんだ」

「それは、そうですけど」

「一度堕ちた野郎は、それ以上堕ちねえように踏ん張るしかねえ。俺はテメエらとは違えんだよ」

「・・・・・・だから、木刀を握ったんですか?」

「それとこれとは話が別だろうが。理由なんざ知らねえな」

 

 話は別、か。私はアキヒロさん本来の人となりを知らない。でも罪を償う為なのかと聞いたら、きっとアキヒロさんは否定をして「馬鹿」と言うに違いない。物事を深く考えずに行動する性分だけは、他人事とは思えなかった。

 それにしても、アキヒロさんはさっきから一体何をしているのだろう。そっと手元を覗き込むと、そこには神社へ来る道中にも散見された、数種類の異界植物と思われる―――異界、植物?

 

「あのー。それ、何ですか?」

「紫と緑色の蔦と葉っぱを乾燥させて、紙で包んで煙草っぽく吸うんだよ。一発キメれば、グリードを叩き斬っちまうようなすっげえ力が使えんだ。あのHEATには及ばねえがな」

「何てことをしてるんですか!?いや本当に何をやってるんですか!?」

「落ち着けってんだこの馬鹿!用法容量を守れば害はねえんだよ。おら、テメエにはコイツだ」

 

 声を荒げて驚愕していると、アキヒロさんは黄緑色の葉を一枚、私の前に差し出してくる。一見すると何の変哲も無い葉だけど、これも異界植物の一部なのだろうか。

 

「足の傷に当てろ。痛みが引くし、治りも早まるぜ」

「こ、これを?」

 

 傷と言っても掠り傷。民家の屋根を走り抜いた際に、瓦の破片で切った軽傷だ。確かに痛みが無いと言えば嘘になるけど、凄まじく嫌な予感がする。というか嫌な予感しか無い。でもアキヒロさんを信頼できる人間だと感じたこともまた事実。悩んで悩み抜いた末に、私は思い切って葉の表面を脹脛の傷に当てた。

 すると程無くして、痛みは嘘のように消えた。傷口付近に温度が広がると、葉は見る見るうちに枯れていき、傷は薄らと塞がっていた。信じ難い光景を目の当たりにした私が声を失う一方で、アキヒロさんは然も当たり前のように言った。

 

「あのモルボルみてえなグリードに憑り付かれた影響だろうよ。HEATの調合法だって、自然と頭ん中にあったんだ。使い方を間違いさえしなけりゃ、コイツらは幾らでも利用できる」

「す、すごい・・・・・・他に、どんなことができるんですか?」

「その葉を湯引きさせて飲めば、寝心地は快適だぜ。アイツらみてえにな」

 

 振り返り、壁にもたれ掛かりながら寝入る避難者の様子を窺う。二、三人で一枚の毛布を共有しながらの睡眠は、とても寝心地が良さそうだとは思えない。しかし誰もが快眠の表情を浮かべながら、静かな寝息を立てていた。リラクゼーションのような効能があるのだろうか。

 

「コイツも煙草みてえに吸えば、効果が上がんだ。テメエも一発キメとけ、良く眠れるぜ」

「キメるって言い方は止めて下さい・・・・・・」

 

 結局私は手製の葉巻もどきを受け取り、慣れない手付きで火を点して、煙を吸った。全てを忘れさせてくれる安らぎが、今の私にとっては何よりの救いだった。

 

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 翌朝になっても陽は昇らず、夜の帳は下りたまま。早朝らしからぬ暗闇に包まれた杜宮の上空には、変わらずに紋様が浮かんでいた。みんなから一歩遅れて起床した私は顔と手を洗った後、右手に軍手を着け直し、アキヒロさんとトモコさんの三人で状況を確認し合った。

 

「水と火が使えるから、当面は大丈夫だと思うわ。でも肝心の食料が、これだけなの」

 

 トモコさんが洗い場と冷蔵庫から見付けてくれたのは、一袋の小麦粉と開封済みのケチャップ、食塩に醤油の四点のみ。神社の周辺をグリードが取り囲んでいる以上、敷地外へ出ることは叶わず、これ以上の食料は確保できそうにない。しかし私達若者はともかく、五人の年配者と三人の子供らの体力を考えると、少しでも口に入れた方が良い。

 

「アキちゃん、何を作ろっか。流石に小麦粉だけじゃパンは無理よね?」

「ケチャップがあるので、簡単なブリトーならできそうですね」

「馬鹿野郎。ハムとチーズ無しでどうやってブリトー作んだよ」

「アキヒロさんはブリトーを間違い過ぎです」

「め、メインは小麦粉を使った練り物で、あとは適当に味付けをしながら塩分を取りましょうか」

 

 取り急ぎの朝食は、醤油と塩で薄く味付けをした『すいとん汁~異界植物を添えて~』に決まった。台所をトモコさんに任せている間に、私とアキヒロさんは他の八名の避難者へ、一通りの状況説明をすることにした。無用な不安を煽らないよう、言葉を選んで慎重に並べていると、年長組の五人はひどく申し訳なさげな顔をして、次々と頭を下げてしまった。

 

「本当にすまないねぇ。儂らは何もしてやれずに」

「ったく、面倒くせえな。いいんだよそういうのは。爺と婆は大人しくしていやがれ」

「あ、アキヒロさん。もう少し言葉遣いをですね」

「るせえ。テメエの相手はそっちだ」

「え?」

 

 視線を落とした先には、三人の少年少女。子供達が私を囲んで立ち、興味津々な表情で見上げていた。私は一旦目を逸らして、アキヒロさんへ縋るように小声で助けを求めることにした。

 

(ま、待って下さい。自慢じゃないですけど、私って子供が苦手でして)

(本っ当に何の自慢にもならねえな・・・・・・)

 

 昔からそうなのだ。子供の目線に立つことができないというか、同年代以上に何を話していいのかがまるで分からなくなってしまう。そんな私の思いを余所に、三人の中で唯一の女の子が、私の袖を引っ張りながら声を掛けてくる。

 

「ねえお姉ちゃん。お名前は何ていうのー?」

「え、えーと。遠藤アキ、だよ」

「ドードー?」

「トオドウ。ドードーはもう絶滅してると思う」

「ぜつめつってなーに?」

 

 既にこの有り様である。ここにきて再び頭痛に悩まされるとは思ってもいなかった。少し落ち着こう。小学生に変な話題を振っては駄目だ。私の方から歩み寄らないと、会話になりそうにない。

 

「コホン。みんなの名前も、聞かせてくれるかな」

「私はチヒロだよ」

「オレはフウタ!」

「ボクはショウゴです。もしよければ、ボク達がここへ来た経緯をお話ししましょうか?」

 

 年不相応な大人びた口調のショウゴ君が、ここへ流れ着いた道のりを聞かせてくれた。チヒロちゃんが杜宮に引っ越してきたのは、私と同じで今年の春先。チヒロちゃんにとって、フウタ君とショウゴ君の二人は初めてできた大切な友達。男手一つでチヒロちゃんを育ててきたお父さんの誘いで、昨晩もチヒロちゃんの自宅に夕食のお呼ばれをしていた。しかし夕食に手を付けるよりも前に、異界化が起きてしまった。グリードから逃げ惑い、お父さんと逸れてしまった三人が辿り着いた先が、この十五所神社。私とトモコさんがやって来る、約二時間前のことだった。

 

「そっか。お腹が空いてると思うけど、すぐにご飯ができるから。もう少し我慢してね」

「ヘッチャラさ。なあ姉ちゃん、姉ちゃんもあのバケモノと戦えるの?」

「うん、戦えるよ。私だってヘッチャラなんだから」

「マジか!兄ちゃんみたいに剣で戦うのか?」

「剣じゃないけど・・・・・・まあ、少しぐらいならいっか」

 

 この際ソウルデヴァイスによる消耗は無視だ。子供達に安心感を与えることができれば、それでいい。私はサイフォンのアプリを起動し、画面上を指で勢いよくなぞり、ライジングクロスを顕現させた。多少大袈裟にライジングクロスを振るって見せると、三人の輝いた目が釘付けになる。

 

「わわ、すごい!お姉ちゃん、魔法が使えるの?」

「マジですげえ!アニメに出てくる武器みたい!」

「これは驚きました・・・・・・驚天動地です」

「あはは。ショウゴ君って、本当に小学生?」

 

 子供達に釣られて、私も笑った。数日間振りに、何の憂いも無く笑えた気がした。

 

__________________________________________

 

 お婆さんらがチヒロちゃん達の相手を買って出てくれたおかげで、私達はある程度自由に行動することができた。結界と外の境目には異界植物が生い茂っていて、私とトモコさんはアキヒロさんの知識を頼りに、有用そうな植物を採取して回った。当のアキヒロさんは万が一に備えて木刀を携え、結界に阻まれるグリードへ睨みを利かせ続けた。

 陽の光が無いせいか時間の感覚が狂ってしまい、妙な時間帯に眠気に悩まされ、大きな欠伸をする回数も増えた。トモコさんの勧めで仮眠を取った私は、午後の19時頃に目を覚まし、長階段の頂上で見張りをするアキヒロさんの下へ向かった。アキヒロさんに声を掛けると返事は重々しく、その理由はすぐに察することができた。

 

「グリードの数、増えてますね」

「クソッタレが。一歩も外に出さねえつもりかよ」

 

 神社の敷地を取り囲むグリードの数が、明らかに増えている。結界の内側へ立ち入ってくる様子は見受けられないものの、状況は悪化の一途を辿っていた。

 仲間が駆け付けてくれる希望は、やはり可能性に過ぎない。それに籠城にも限りがある。食料が底を打ってしまえば、私達は果てるしかない。思い切って外へ飛び出しても、たったの二人では全員を守り切れる筈がない。しかし時間が経てば経つ程に、私達の戦う力も失われていく。私達には近いうちに、決断を迫られる瞬間が来る。

 

「おい。敵の親玉をぶっ倒すにはどうすりゃいい。テメエは知ってんのか」

「・・・・・・四本の柱を、壊す必要があります」

 

 この状況を打開する術があるとして、兎にも角にも匣が纏っている結界をどうにかしない限り、私達は近付くことさえ儘ならない。柱の詳細な居場所も、私には分かる。駅前広場、蓬莱町、杜宮記念公園、そして工場跡地。ここから最も近い柱は、工場跡地の一画にある。しかし縦しんば結界を攻略したところで、グリードの軍勢は総出となって私達に牙を向いてくる。その全てを相手取る光景が、私には想像できなかった。

 

「にしても、テメエは何も言わねえんだな」

「はい?」

「俺に何をされたのか忘れたのかよ。一歩間違えりゃ、首を折られていたんだぜ」

「あれは・・・・・・あの、今更それを言うんですか?」

「テメエが何も言わねえからわざわざ言ってんだ。気味が悪いったらありゃしねえ」

 

 別に忘れていた訳ではないし、意図的に触れなかったつもりもない。今になって言及されても、こちらが困ってしまう。気味が悪いはこちらの台詞だ。

 

「もう終わった話です。それにこう見えて、私はアキヒロさんを頼りにしているんですよ」

「だーから。気持ちワリィこと言ってんじゃねえよ、クソが」

 

 素直にそう思えた。乱暴な言葉遣いや悪態はご愛嬌だ。唐突に訪れた脅威に翻弄されつつも、『自分にできることをやる』という芯の強さは、共に戦ってきた仲間を彷彿とさせる。過去はどうあれ、向き合うべきは今。そして私にとっても―――大切なのは、今。今と、明日。もう分かり切っていたことだ。

 

「アキヒロさん。私から、も・・・・・・っ!」

「んだよ、いい加減に・・・・・・な、何だ?」

 

 不意に背筋へ悪寒が走り、境内に立ち込める不穏な空気に、身体が震えた。身震いは収まらず、肌寒さが一気に厳しさを増して、木々がざわめき始める。余りにも急激なその変化に、私は二ヶ月前を思い起こした。全てがあの時と同じだった。皮肉が利き過ぎていて、また頭が痛くなってくる。

 

「アキヒロさん、下がって。グリードが来ます」

「ま、待ちやがれ。結界があるってのに、どうして中に入って来れんだよ?」

「グリードには特殊な種族もいるんです。何が起きても不思議じゃありません」

「特殊って・・・・・・テメエは、知ってんのか?」

「『死人憑き』。そう呼ばれています」

 

 ライジングクロスを顕現させて、身構える。脅威度自体はC級の下位と、アスカさんが教えてくれた。だから二ヶ月前の私でも、たった一人で抗うことができた。今の私なら言わずもがな。集会所にいるトモコさん達に悟られないよう、一撃で葬り去って見せる。

 次第に境内の中央付近の空間が歪んでいき、骨と薄皮の怪異が音も無く舞い降りる。すると死人憑きは、たちまちのうちに変貌した。憑り付いた者の心に取り入って、姿を変えた。

 

「なっ・・・・・・な、何だよ。どうして、テメエが―――」

「ヴォルカニック、クロス!!」

 

 一切の感情を投げ捨て、私は巨大な火球を放った。地面で炸裂した火球は焔の渦となり、死人憑きの皮と骨を燃やし尽くしていく。焔の中には、『私』がいた。悶え苦しみながらその身を焦がすもう一人の私は、燃え盛る焔と共に、消え去っていった。あとに残されたのは、地面に転がった数粒のジェムだけ。私は振り返り、後方に立っていたアキヒロさんに聞いた。

 

「アキヒロさん。アキヒロさんには、死人憑きがどう見えましたか」

「どうもこうもねえだろ、俺にはテメエが・・・・・・今のは幻影か、何かなのか?」

「・・・・・・やっぱり、そうなんですね」

 

 死人憑きは、故人に対する歪んだ想い入れに憑り付き、死者の仮面を被る。今回の場合、憑り付かれたのは私で、故人も私。どちらも遠藤アキ。きっと間近にいた影響で、アキヒロさんの目にもそう映ったのだろう。私が私を燃やしたようにしか、見えなかった筈だ。

 

「だから死人憑きは、私の仮面を被ったんです。そう考えれば、説明が付きますよね」

「馬鹿言ってんじゃねえ。お前は、遠藤はここに居るだろうが」

「違います。私は、違うんです」

「ふざけんじゃねえぞ!!何が違えんだ、何・・・でっ・・・・・・!?」

 

 私は右手に着けていた軍手を外し袖を捲り上げて、紋様が放つ僅かな光の下に、右腕を晒した。そうすることでしか、アキヒロさんには伝わらない。『肘から先が見えない』という、どうしようもない現実を突き付ける方法しか、私には思い浮かばなかった。初めは右手だけだった『見えない』は、時間と共に広がっていた。

 

「何、だよ。何なんだよ、それ」

 

 シオリさんが付いた嘘は、もう嘘とは呼べない域に達している。杜宮に留まっている限り通用した嘘は、多くの矛盾を孕んでしまったことで、シオリさんよりも一足先に、限界を迎えようとしていた。

 その一因は、動画サイトに投稿された先月末の試合にある。あの動画には、遠藤アキがラケットを振るう姿が映っている。そして導力ネットワークという近代の技術によって、動画の視聴者は国内全土に存在している。仮に視聴者の全てが杜宮の『外』に居たとして、その回数分だけ齟齬が生じる。既に五万回を超える矛盾を、あの動画は生んでしまっていた。遠藤アキが生きているという大き過ぎる嘘は、たった一つの動画により綻びを見せ、説明の付かない矛盾を増大させていた。

 

「もう、駄目なんですよ。私に与えられた時間は、残り僅かなんです」

 

 端から分かり切っていた。シオリさんが目論んでいる改変には、許されていい道理が無い。だから私達は、シオリさんを止める。そして私も消える。単純な話で、当然の報い。選択肢は無くて、やるべきことは一つしかない。たとえ如何なる脅威が立ち塞がろうとも、みんなは絶対に成し遂げてくれる。その先に私は立っていない。ただ、それだけのことだ。

 

「だから、何か言って下さい。少しぐらい甘えても、いいですよね」

「遠藤・・・・・・お、俺は」

「冗談です。今は、何も言わないで」

 

 目には映らない右腕を胸に抱きながら、私は私に残された時間を、ゆっくりと数え上げる。私に、明日は来るのだろうか。時計の針は着実に、時を刻み続けていた。

 

 

 

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