東亰ザナドゥ ―秋晴れの空へ向かって―   作:ゆーゆ

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7月8日 For My Precious Friend

 

 私が寝床に着いたのは、杜宮が三回目の7月8日を迎えた後だった。本音を言えば、午後21時を回った頃から、鉛のように重い眠気に襲われてはいた。でも私は、瞼を擦って意識を保ち続けた。だって、眠りたくはなかったから。

 明日が怖い訳ではなかった。私はただ、残された時間が惜しかっただけだ。閉ざされた世界の淵で、私はあとどれぐらいの時を過ごせるのか。分からなかったから、一分一秒でも無駄にはしたくなかった。けれど、結局私は子供達の寝顔に促されて、瞼を閉じた。抗おうにも、明けない夜はないように、夢の世界がやって来る。

 

 ―――アキちゃん。

 

 微睡みの中で、私は再びシオリさんの声を聞いた。匣の中に居座っている筈のシオリさんに、私はもう一度触れた。夢かと思えば、違った。剥き身になった私とシオリさんは、肌を重ねて指を絡め合い、ふわふわとした世界の中でお互いを抱いて、体温を分け合った。

 

(シオリ、さん)

 

 シオリさんは繰り返し、私の名を呼んだ。私もシオリさんの胸の中で、何度も彼女の名を口ずさんだ。その回数分だけ私達は一つになり、二つの意識が溶け込んでいく。そうして漸く、私は理解した。シオリさんが歩んできた、十年間の旅路。その果てに願った未来と―――私。遠藤アキの、行く末。

 目を覚ました頃には、想いは定まってくれていた。端から私には、一つしか道は無かった。

 

_________________________________________

 

 朝と言うには、少々遅めの7月8日。私は十五所神社本殿の屋根上へ飛び移り、鰹木の間に跨りながら、遠くを見据えた。どれぐらいそうしていただろうか。惜しんでいた筈の時の流れを忘れる程、私は遠方の一点をじっと見詰めていた。

 

「なーにやってんだよ。罰当たり野郎が」

 

 不意に届いた声に見下ろすと、アキヒロさんが大きな欠伸をしながら本殿へ歩を進めていた。私は朝の挨拶を言った後、視線を災厄の匣に戻してから答える。

 

「遠くにいる友達と、話をしていました」

「ああ?携帯も使えねえのにか?」

「共鳴のようなものなんだと思います。よいしょっと」

 

 立ち上がり、ひどく納得がいっていない様子のアキヒロさんの下へ飛び降りる。私よりも二十センチ近く上背のアキヒロさんを見上げると、アキヒロさんは益々怪訝そうな表情を深めていく。

 

「んだよ、やけにすっきりとした顔をしてやがんな。昨日とは全然違えじゃねえか」

「そう見えますか?」

「見えるから言ってんだ。お前は二重人格者か何かかっての」

 

 妙に強調された『見える』には、アキヒロさんなりの優しさが込められているのだろう。その不器用さが、今の私にとっては何よりの救いだ。それにアキヒロさんが言ったように、私の胸中は昨晩とは打って変わって、自分でも不思議なぐらい穏やかだった。足取りが軽くて、身体も羽根のように軽かった。

 

「アキヒロさんはこの間、『一度堕ちたらそれ以上堕ちないよう踏ん張るしかない』って、そう言いましたよね。私は少し、違うと思います。諦めさえしなければ、人は這い上がれますよ」

 

 物の捉え方や場合によると言ってしまえばそれまでだけど、少なくとも今の私は、投げ出さない限り這い上がれる。もう右腕の大部分は消えて、左手も消えた。そろそろいずれかの足も、末端から見えなくなっていく。でも動く。こんな私にも、まだできることがある。

 

「利いた風な口をきくじゃねえか。お前は堕ちたことがあんのかよ」

「ありますよ、一ヶ月前に」

 

 一度全てを失ってしまった私だから分かる。這い上がり方は、三人の先輩らが示してくれた。這い上がる勇気も、大切な仲間が与えてくれた。そして私の行き着く先は、遠い何処かで待っている友達が教えてくれた。もう己の運命を嘆く必要も、暇も無い。

 

「アキヒロさん。私に明日は来ません。今日が、最期です」

「・・・・・・フン」

 

 私に残された、たった一つの今日。その事実を告げると、アキヒロさんは一度俯き、踵を返して私に背を向けながら、つまらなそうに言った。

 

「なら行けよ。もう時間がねえんだろ」

「・・・・・・ごめんなさい。私には、やらなきゃいけないことがあるんです」

「謝んな馬鹿。どの道俺達も、それしか助かる術が見当たんねえ。それだけのことだろうが」

 

 遠藤アキという嘘が消えつつある現実は、誰よりも私が理解している。しかしその前に、伝えなければならないことがある。時坂君とアスカさん、みんなに知って欲しい『想い』がある。そして、小日向君にも。それは決して淡く瑞々しい感情なんかではない。何よりシオリさんの為に、私はもう一度みんなの下へ集いたい。

 この神社に避難している住民も同じだ。余りにも現実離れをした状況がそうさせているのか、避難者の衰弱が思いの外に早い。このままでは体力はおろか、心が限界を迎えてしまう。時間が無いのは、私だけではない。一刻も早い救援が必要だ。

 

「必ず助けを呼んできます。もう柱だって、四本のうち三本が光を失いました」

「あん?マジかよ、聞いてねえぞそんなこと」

「私も昨晩知りましたから。きっとみんなのおかげです」

 

 シオリさんが教えてくれたことだ。既に杜宮駅前と記念公園、蓬莱町に聳えていた柱達は、地脈から遮断されている。霊力の供給が揺らいだことで、匣を囲っている結界にも歪みが生じ始めている。残すは工場跡地の一本のみ。X.R.Cのみんなもこの状況下で、諦めずに動き続けてくれていた。

 

「アキヒロさん、ありがとうございました。ここで会えて、良かったです」

「だから気色ワリィんだよ、クソが。それと発つ前にさっさと朝飯を作りやがれ。腹が減って仕方ねえ」

 

 最後の朝食が、ケチャップソースだけのブリトー。少々物寂しいけど、今は贅沢を言っていられない。子供達もお腹を空かせている頃だろうし、しっかりと食事当番の務めは果たさせて貰おう。

 

「あはは、分かりました。すぐに―――え?」

 

 唐突に刻が止まり、全身が震えた。直後に到来した、微弱な虚空震。アキヒロさんと顔を見合わせていると、集会所の方角から複数の悲鳴が次々と上がった。全てが一瞬の出来事だった。

 

「なっ・・・・・・クソッタレが!!」

 

 私達はすぐさま駆け出し、外履きのまま集会所の中に飛び込んだ。慌てて障子戸を横に滑らせると、そこには『誰もいなかった』。束の間の平穏な朝を迎えた、先程まであった筈の十名の姿が、忽然と消えてしまっていた。

 

「ふざけやがって!おい、一体何が起きた!?」

「待って下さい」

 

 アキヒロさんを落ち着かせながら、室内の様子を窺う。状況から察するに、魔女がマユちゃんを攫った時と同じだ。今は何が起きても不思議ではないし、特異点を介さずに直接異界へ飲み込まれたと考えていい。まだ救い出せる可能性はある。

 それに私なら、きっと追える。シオリさんと運命を共にし、彼女と混ざりつつある今の私なら、この閉鎖された世界の全てが、見える筈だ。

 

_________________________________________

 

 同時刻、杜宮学園屋上。シオや鷹羽組、BLAZEのメンバーを引き連れて無事にX.R.Cと合流した佐伯ゴロウは、杜宮市北西部にある防災基地に待機していた部下と、サイフォンの特殊モードを介して状況確認を行っていた。

 

『稼動が確認できた機動殻は四機、うち一機は右腕部を損傷しています』

「稼働時間はどうなんだ。基地の補給設備は破壊されてしまったのだろう?」

『どの機体も三十分間程度が限界のようです』

 

 7月8日の討伐決戦に投じられた機動殻は、駿河重工製の最新鋭機『10式』。夕闇との戦闘でその大部分が半壊してしまったものの、杜宮基地には通常稼動が可能な機体が今も残されていた。とは言っても、機動殻は局地戦に特化した有人兵器。火力は戦車に劣り、機動力も発展型攻撃ヘリの類に及ばない。当然対グリード戦を想定した設計でもなく、高ランクのグリードが相手では、その真価を満足に発揮することはできなかった。

 一方で貴重な戦力であることに変わりはない。結社としての戦力はアスカ一人で、ゾディアック側も手薄。対零号特戦部隊『イージス』の悲願を果たすべく、両者を出し抜く形で夕闇の討伐に踏み切ったことが裏目に出た影響で、今は少しでも多くの戦力を集結させる必要があった。

 

「四機にありったけの兵装を集めてくれ。補給設備が使えない以上、稼動も最小限に留めるんだ。いいな」

『了解です。それと、もう一点報告が』

「何だ?」

『北東部を巡回する部隊から・・・・・・その』

「要約して簡潔に述べろ」

『は、はい』

 

 杜宮市の北東部を巡回する部隊の遥か頭上を、男性を背負った少女が駆けて行った。その方角には、残り一本の柱。部下の報告を耳にしたゴロウは小さな笑みを浮かべた後、煙草の先端に火を点して答える。

 

「安心していい、良い報告を聞いた。彼女も適格者の一人さ」

『適格者・・・・・・あの少年達と同じ、オリジナルの使い手ですか』

「ああ。お前達のソウルデヴァイスを凌駕する火力を有しているぞ。漸くお目覚めのようだな」

 

 オリジナルという総称と概念は国防軍のみならず、ネメシスやゾディアック側にも存在していた。水面下で築かれてきた異界技術は、誘導によるソウルデヴァイスの規格化を実現した。イージスの部隊もその恩恵に与り、突撃銃を模した形状に一律することで、多対一を前提とした集団での作戦行動を可能にしていた。

 しかし見方を変えれば、それは独自性が失われることに繋がる。ゴロウ程の使い手になれば本来の形状、『ハルバード形態』としてのソウルデヴァイスを振るうこともできるのだが、隊員の多くはその域にいない。そしてオリジナルは唯一無二の可能性を秘めているという考えが、近代になって提唱され始めている。X.R.Cが時折見せるクロスドライブの異常な深度も、各勢力の目に留まる程のレベルに達していた。

 

「座標を教えてくれ。あいつらを連れてすぐに出発する」

 

 紫煙を頭上に吐き出し、元凶が潜む災厄の匣を見やる。間近に迫った決戦を前に、ゴロウはかつての最愛を想っていた。

 

_________________________________________

 

 《業》の柱。私とアキヒロさんが踏み入った異界は、底無し地獄と言っていい様相を呈していた。頭上では黒々しい焔が蠢いていて、薄暗い迷宮の内部には生物の骨のような成れの果てばかり。気温は氷点下に近く、絶望や諦めといった感情が込み上げてきてしまう。余りにも極端な内部の環境に、一刻も早い避難者の救出が求められた。

 グリードはスケルトン系や精霊の種族が大部分を占めていた。霊子弾の効果が薄いグリードを相手に、霊力が込められたアキヒロさんの木刀は次々とその身を斬り裂き、私はサポートに徹した。異界植物の吸引によって引き出された力も、高幡先輩に迫る勢いがあった。

 

「クソが、まだ辿り着かねえのかよ。何処まで進めばいいんだ」

「もうひと踏ん張りの筈ですよ」

 

 異界探索用のアプリが、直に最奥部へ到達することを示してくれている。捕われてしまった避難者も、この通路の奥にいる筈だ。そして異界の主も、そこに。過酷な戦いになるであろうことは、目に見えて明らかだった。

 

「なら最後にもう一本キメとくか」

「だからキメるって言わないで下さい・・・・・・」

 

 アキヒロさんが異界植物性の葉巻を咥え、私の焔属性の霊力で火を点ける。この葉巻もどきが無害なのは承知だけど、アキヒロさんの体力自体は有限。力を揮えば揮う程、アキヒロさんも消耗していくことに変わりはない。度重なる戦闘と酷使のせいで、既に限界が近い筈だ。

 

「無茶はしないで下さい。適格者と違って、耐久力は一般人と同じなんですよ」

「るせえ。お前も同じだろうが」

「私は適格者ですって」

「そうじゃねえよ。いいか、これだけは言っとくぜ」

 

 アキヒロさんは器用に葉巻を咥えながら、明後日の方角を見て言った。

 

「ダチに会うんだろ。お前の行く末がどうだろうが、お前は今ここに居るんだ。特攻しやがったらぶっ殺すぞ。そいつは特攻隊長の俺様の役目だからな」

「・・・・・・言っていることが目茶苦茶です」

 

 まるで破綻した理屈に、それでも勇気付けられる。一人じゃないという一点だけで、私の足は動いてくれる。既に爪先付近は透明掛かっていても、しっかりと地面を踏み締めることができる。前を向いて、歩いて行こう。

 やがて私達は開けた広大な空間に辿り着き、そこが異界の最深部であることを理解した。周囲を見渡しながら恐る恐る歩を進めると、視線の先に複数の人影が映る。

 

「あ、アキちゃん?」

「兄ちゃん達・・・・・・来てくれたのか!」

 

 安堵が胸の中に広がるよりも前に、前方の空間に亀裂が走る。真っ黒に染まった裂け目の中から、巨大な右腕が。続いて左腕と両足、そして途方も無く巨大な胸板。全貌を露わにした漆黒の魔人の名が、自然と頭の中に浮かんでいく。

 

「ふざけやがって。とんでもねえ化物がお出でなすったな」

「でも、やるしかありませんっ・・・・・・!」

 

 業ノ守護者『ノスフェラトゥ』。たったの二人で立ち向かうには無謀が過ぎると、身体の震えが教えてくれる。だからと言って目を背ける訳にはいかない。捕われたみんなを救い出して、私はもう一度仲間に会う。今までずっとそうしてきたように、絶対に逃げない。逃げてなんかいられない。

 

「私が注意を逸らします、その隙に叩いて下さい!」

「クク、任せとけってんだ!」

 

 ギアドライブを加速させて、向かって右方から弧を描いて魔人の背後へ回り込む。釣られて振り返った魔人の後頭部を、脚力の限界を引き出して飛び上がったアキヒロさんが、力任せに叩き斬る。すると魔人はぐらりと揺らいで、地に膝を付く形で体勢が崩れていく。

 直後。魔人は口を大きく開けながら、着地したアキヒロさんの方へ振り向き、睨み付ける。私は足を止めずにそのまま走り回り、アキヒロさんの眼前でブレーキを掛けて、ライジングクロスを構えた。

 

「だああぁぁあああっ!!」

 

 魔人の口内から放たれた漆黒の火球を、ギアバスターのスキルで強引に弾き返す。撃ち返した火球は魔人の頭部へ着弾して、その衝撃で魔人は後方に倒れ込んでしまった。攻撃は通ったし、確実に魔人へ響いた手応えがある。やりようによっては、二人でも戦える筈だ。

 

「おうおう、お前も化物みてえに強えじゃねえか。強い女は好きだぜ」

「変なことを言ってないで、早くっ・・・・・・な、何?」

 

 二人掛かりで追撃の一手に走った途端、突然地面が真っ黒に染まった。思わず足を止めて見上げると、魔人は頭上に掲げた右腕を振り下ろして、地面に右拳を叩き付けた。すると突如として漆黒の焔が顕現され、私達を焼いた。

 

「きゃああぁ!!」

「がああぁあ!?」

 

 無を示す黒とは裏腹に、赤を超えた焔は留まるところを知らず、巨大な竜巻状に巻き上がった。その中心で私とアキヒロさんは、踊り狂いながら身体を焦がし、私達の悲鳴が周囲で木霊をする。目を開けられず呼吸もできず、耐え難い苦痛だけが全身を蝕んでいく。

 

「お兄ちゃん、お姉ちゃん!?」

 

 やがて黒色の焔は収まっていき、立っていたのは私一人。無意識のうちに全身へ漲らせた焔属性の霊力が功を奏し、幾何かを防いだことで、辛うじて立つことができていた。一方のアキヒロさんは、虫の息。うつ伏せに倒れたアキヒロさんの身体は微動だにせず、肉や頭髪を燃やした不快極まりない臭いが鼻に入り、最悪の可能性が脳裏を過ぎった。

 

「あっ・・・き、ろ・・・・・・」

 

 当の私も、身動き一つ取れなかった。少しでも動いた途端に焼け爛れた皮が引き攣り、痛みが身体を拘束してしまう。動きたいのに、動けない。しかし私達を余所に魔人は立ち上がり、一歩ずつ歩み寄ってくる。頬を伝う涙が沁みて、苦痛が更に涙を生む。一瞬のうちに全てを奪い去った魔人が、地面を踏んで地響きを鳴らす度に、身体が揺らいでまた痛みが走る。

 

「動い、て」

 

 まだだ。私はまだ、何も為していない。こんな場所で果てる訳にはいかない。でも動かない。身体が言うことを聞いてはくれない。抗いたいのに、どうして動かない。立ち尽くしていないで、動け。動け、動け。

 

「動、いてっ・・・・・・動いてえぇ!!」

「エクステンド、ギア!!!」

 

 後方から放たれた刃が風を生んで、私の髪を揺らした。張り詰めた何かが弾けた私は、アスカさんの腕に抱かれながら意識を失っていった。アスカさんの肌がとても柔らかくて、安らぎの中で私は、みんなの声を聞いた。

 

_________________________________________

 

 アキとアキヒロを含めた十二名が救出されてから、約二時間後。重傷を負った二人はX.R.C一先ずの拠点、杜宮学園へと運び込まれ、保健室で手厚い治療を受けることになった。異界の焔に焼かれた身体には、アスカとミツキによる術式、専用の治癒薬を活用した措置が施され、大事に至ることはなかった。とりわけ容体が重かったアキヒロも、身動きが取れる程度には快復していた。

 それから更に二十分後。治療に当たっていたアスカとミツキは、ベッドに横たわる二人の寝息を確認してから、保健室を後にした。出入り口の周辺では、共に戦ってきた面々が心配げな表情で出迎えていた。

 

「あ、アスカ。アキの容体は?アキは、アキは無事なの?」

「ええ。手当てが早かったおかげで、術式と治癒薬がよく効いているわ。アキヒロさん共々、すぐに起きて動けるようになる筈よ」

「そうか・・・・・・なら、もう大丈夫なんだな。ソウルデヴァイスを使ってたってことは、記憶も戻ってるんだろ。アキは、元通りのアキなんだよな。そうだよな?」

 

 コウの問いに対し、アスカはゆっくりと首を縦に振った。待ち望んでいた喜びの余り、コウをはじめとした誰もが、僅かに揺らいだアスカの感情に気付くことができなかった。唯一それを察したミツキが、口元に人差し指を当てながら静かに口を開く。

 

「お静かに。お二人共、安静にして身体を休める必要があります。積もるお話はありますが、今はゆっくりと眠らせてあげましょう」

「ま、仕方ないか。あの先輩には苦労させられるよ、本当に」

「あはは。ユウキ君、こういう時ぐらい素直になろうよ」

「おら、騒いでんじゃねえよ。さっさと行くぞ、そろそろ打ち合わせの時間だ」

 

 シオが促し、安堵の表情を浮かべる皆を先導する。四本の柱はその全てが沈黙し、パンドラの匣を覆っていた結界は消滅した。同時に出現した熾天使の大集団は厄介極まりないものの、この杜宮で散り散りになっていた物の全てが、今集結しつつある。最後の決戦を明日に控え、主要な面々が集う会合が約十分後に予定されていた。

 保健室を離れていく複数の背中を、アスカとミツキは無言で見送った。どうしても、言えなかった。言える筈がなかった。

 

「どうされますか、柊さん」

「皆には、私から言います」

 

 気付かない訳がなかった。手当てを施した二人の目には、消え掛かったアキの肢体が映っていた。時間の経過と共に、彼女達の目の前で、アキの肉体は消滅の一途を辿っていた。アキの口は閉ざされたままだったものの、その異様な光景から、少なからずアキの運命を悟った。倉敷シオリという存在と結び付けて考えれば、想像するに容易い。最期が眼前に迫っているという無慈悲な現実は、もう変えようがなかったのだ。

 

「それでしたら、私はここで見守ります。もし彼女の身に、その時が来たら・・・・・・どうかその役目を、白の巫女として務めさせて下さい」

「・・・・・・お願い、しま、す」

 

 アスカは敢えて、涙を堪えなかった。最後の最後で躊躇ってしまわないように、迷いと一緒に流し出したかった。

 

________________________________________

 

 目を覚ますと、時計の長針が時を刻む音だけが耳に入った。6月5日にも聞いた音のおかげで、私はまた杜宮学園に運び込まれた経緯を察した。結局また私は、みんなから助け出された。ひどく情けないようでいて、私は本当に恵まれているのだと思える。これ以上を、私は望まない。

 

「アキヒロさん。起きてますか」

「ああ。ついさっきな」

「小日向君は、どうですか」

「うん。僕も起きてるよ」

 

 私が眠るベッドの隣には、同じくして手当て受けたであろうアキヒロさんが眠っていた。そして私を挟んで反対側のベッドには、小日向君の姿もあった。事情は今一分からないけど、彼も負傷をしてしまったのか、ベッドに横たわる小日向君の頭部には、包帯が巻かれていた。

 

「そう、ですか」

 

 ベッドから上半身を起こして、私が今着ている衣服を確認する。制服はあの焔で焼かれたからか、私は白色の病衣を纏っていた。微かにだけど、耳にアスカさんとミツキ先輩の声が残っている。私にこれを着せてくれた二人は、気付いてしまったに違いない。既に身体の大部分が、視界には映らない。大それた嘘は、もう消えつつある。

 透き通った両手を見詰めていると、アキヒロさんがゆっくりと身体を起こして、スリッパを履いて立ち上がった。私と同じ病衣を着たアキヒロさんは、そのまま扉の方へと歩を進めて、一度立ち止まってから言った。

 

「散歩だよ。前々からシオさんが通う学園ってのに興味があったんだ」

「でも、今は動かない方が」

「るせえ」

 

 開かれた扉がピシャリと音を立てて閉ざされ、再び静寂が訪れる。思わず笑ってしまった。アキヒロさんには、ユウ君とはまた異なる不器用さがある。その好意に甘んじて、今は二人っきりで話をしよう。そろそろ頃合だ。

 

「ねえ小日向君。小日向君は、適格者だったんですか」

「少し違うかな」

 

 私がベッドの上に座りながら問うと、小日向君も私と向かい合う形で起き上がり、私を見詰めた。見たこともない黒色の衣装を身に着けた小日向君の出で立ちに、違和感を抱いてしまう。

 

「12月24日に生を受けた人間の中には、特別な力を秘めた者が稀に現れる。その一人が僕さ。オルデンの騎士って呼ばれているよ」

「へえ。小日向君の誕生日、初めて聞きました」

「そうだっけ。コウの誕生日も、もうすぐだよ。7月20日だったかな」

 

 これも初耳だ。盛大に祝ってあげたいところだけど、私には叶わない。7月20日は、みんなに任せよう。

 

「じゃあみんなは、どこまで知ってるんですか。シオリさんと、この異変について」

「ある程度は察しが付いているみたいだよ。誰も口に出そうとはしないけどね」

「それもそうですよね。なら6月5日のことは、覚えていますか?」

「全部知ってるさ。あの瞬間に何が起きたのか。何故遠藤さんが、記憶を失ったのかも」

 

 突然、眩暈がした。思いの外に刻が近い。それにもっと話すべきことがある筈なのに、上手く言葉にならない。俯いていると、小日向君は見えない筈の私の右手を取って、気遣わしげな表情を浮かべた。

 

「遠藤さん、大丈夫?」

「何でもありません。あの、小日向君。何でもいいので、話をして下さい」

「改めてそう言われると・・・・・・うーん。そうだなぁ」

 

 私の曖昧な振りに対し、小日向君は両腕を組んで考え込むような素振りを見せる。どんな話題でも構わないから、彼と会話を交わしていたかった。

 

「なら遠藤さんは、僕をどういう人間だと思っているのか、聞かせて貰えないかな」

「小日向君が・・・・・・んー」

 

 今度は私が頭を抱える番だった。小日向ジュンという人間を、私がどう捉えているのか。そんなこと、考えたことがなかった。

 

「そうですねぇ。小日向君は、とても器用な人だと思いますよ」

 

 しかし一度口に出すと、次々と言葉が並んだ。小日向君はいつも周囲から一歩退いて、場の流れを上手く読んで、取りまとめる。とりわけ仲の良い四人組の中でも、一番冷静になって皆を見渡す視野の広さがある。それに何事も卒なく熟す様は、やはり器用という二文字が当て嵌まる。周りが見えなくていつも忙しない私とは、まるで正反対。時坂君とは違う意味合いで、輪の中心だ。常にまとめ役を買って出てくれるのが、私が知る小日向君だった。

 

「あはは、成程ね。でもさ、僕も遠藤さんのことを、すごいなって思うよ」

「私が、すごい?」

「テニスやパン作りがそうさ。何かと真っ直ぐに向き合って、熱中して追い求め続ける。遠藤さんのその直向きさが、僕はずっと羨ましかった。そういうの、僕には無いんだ」

「お、大袈裟ですよ」

「いや、そうなんだよ。君が言った僕の長所は、短所だ。僕は何時だって一歩退いて、足りない物にばかり目がいってしまう。何事も中途半端になって、何も手に入らない」

「・・・・・・小日向君?」

「騎士としての使命を忘れて、表と裏の境目を見失って。両者の間で揺れ動いて・・・・・・結局僕は、君に手を差し伸べなかった。だから救えなかった。だから手が届かなかった。全部、僕だ」

 

 身に余る言葉の数々は裏返しになり、小日向君を襲った。同時に私は、やっと理解した。ずっと私は、勘違いをしていた。この想いの正体は恋愛感情じゃない。私は単に、自分には無い魅力に惹かれていた。小日向君も同様で、足りない物を私に求めていた。お互いに埋め合っていただけだ。

 気付くことができて、本当に良かった。もう一片の迷いも無いし、小日向君も小日向君で、大変な思い違いをしている。背負うべきは彼ではなく、私なんだ。

 

「違います。小日向君のおかげで、私は学園のみんなを救えました。私も救われました。小日向君は、何も背負わなくていいんです」

「でも、僕は」

「手を握って下さい。言葉では、上手く言い表せないので。お願いします」

 

 残り僅かな霊力を駆使して、ライジングクロスを顕現させる。反対側の左手で、小日向君の右手を握る。重なり方は、アスカさんが示してくれた。小日向君との最初で最後の『クロスドライブ』が、私の意志と決意の全てを、彼に伝えてくれる。

 私が迷いを捨てたように、みんなも向き合う必要がある。今のままでは、シオリさんは止まらない。私には私の、みんなにはみんなの果たすべき役割がある。だから―――

 

「みんなに伝えて下さい。私のこの想いと、私のシオリさんへの想いを。そして約束して下さい。必ず来てくれるって、そう約束して下さい。一足先に、匣の中で待ってます」

「うっ・・・・・・うぅ、ぐっ。僕はっ・・・・・・僕、は」

「泣かないでよ。男の子でしょ」

 

 絡め合った手を指切りの形にして、約束の厳守を誓い合う。言葉はもう、要らなかった。

 

________________________________________

 

 保健室を出ると、扉の前にはアキヒロさんが立っていた。散歩をすると言っていた筈なのに、どうやら聞き耳を立てて待ち構えていたようだ。

 

「気は済んだのかよ」

「はい。そろそろ、お別れです」

 

 廊下の遠方には、私に背を向けながら立つミツキ先輩の姿もあった。先輩もきっと、理解してくれているのだろう。誰かの目に映る心配をする必要も無さそうだ。

 

「あの、アキヒロさん」

「馬鹿が、いちいち口に出すんじゃねえ。言われなくたってやってやる。特攻隊長だからな」

「・・・・・・ありがとう、ございます」

 

 次第に消えていた筈の四肢が光を放ち始め、暗い廊下の一画が照らされる。本当はもっと沢山の大切な人達と話をしたかったけど、贅沢は言っていられない。正真正銘、これが最期だ。

 

「アキヒロさん。本当にありがとうございました。これで、さようならです」

 

 アキヒロさんは答えない。何かを言ったような気がしたけど、私の耳には届かなかった。

 やがて私は魂と意識だけの存在となり、私を求めていた友達の下へ、光となって飛んで行った。

 

_________________________________________

 

 アキの肉体が消えてすぐに、ミツキはアキが着ていた衣服を拾い上げ、アキヒロへ丁寧に頭を下げてからその場を去って行った。アキヒロは十数分の間立ち尽くした後、背後にあった扉を開けて、ベッドに座り塞ぎ込んでいたジュンを見下ろしながら言った。

 

「おら、優男。腹は括ったか」

「・・・・・・分かっているよ。君も彼女に、導かれたんだね」

 

 アキの想いと願いは、しっかりとジュンへ届いていた。今の彼を突き動かすのは、人知れず契られた唯一の誓い。それを胸に秘めて、ジュンは己の足で立ち上がった。

 

「特攻宜しく先陣切って、テメエらを匣に届けてやる。あいつとそう約束したからな」

「僕も同じさ。もう迷いはしない。僕は、僕だ」

 

 そうして運命は、加速をする。十年間に渡って積み重なってきた物の全てが、終焉を迎えようとしていた。

 

 

 

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