2015年、11月21日。平年を遥かに下回る冷え込みに見舞われた杜宮市内では、上着に加えてマフラーを首に巻く市民が散見され、南西部にある繁華街、蓬莱町でも厚着をした通行人で溢れていた。アルバイト先から普段よりも早めに帰路へ着く時坂コウも、制服の上からピーコートを羽織り、頭上に広がる秋特有の高い空を見上げながら歩いていた。
「何だよ、コウじゃねえか」
「ん・・・・・・リョウタ?」
掛けられた声に振り返り、昔ながらの顔馴染み、クラスメイトのリョウタと横並びになって、再度歩き出す。リョウタが肩に提げた鞄の中には、分厚い参考書の類が数冊収まっていた。
「バイト帰りか?」
「ああ。そっちは塾の帰りみたいだな」
リョウタが塾通いを始めたのは、大学への進学を決心した直後のこと。商店街の往く末を支える人間の一人として、一層の教養と知識を身に付けるべく、リョウタは初秋に差し掛かった頃から受験勉強に取り組み始めていた。青果店を営む家族や剣道部の部員らも彼の意志に理解を示し、放課後の大半を通い先の塾で過ごすようになっていた。
「あー、頭が沸騰しちまいそうだ。この寒さがマジでありがてえ。雪とか降らねえかな」
「馬鹿。チズルちゃんも面倒見てくれてんだろ、言うこと無しじゃねえか」
「うるさいだけだっての。それに他人事みたいに言うなよな。特別優秀って訳でもないくせによ」
「・・・・・・お前よりはマシだ」
あと四ヶ月も経てば、彼らは三年生へ進級する。部活動に励む部員は夏へ向けて、そして進学を希望する生徒には、一足先に受験勉強のシーズンが到来する。リョウタのように早い時期から動き出す生徒もいれば、そうでない者もいる。コウは自分が後者に属するという自覚はあれど、アルバイト先を転々とする日常は今も尚続いていた。
「不思議探究部、だっけか。最近は随分と大人しいよな。活動はしてんのか?」
「まあな。でも肝心の不思議が見付からねえと、活動のしようが無いんだよ」
「そりゃそうか。言われてみれば、余り聞かなくなったよな。怪現象がどうのこうのとか」
「何も起きないことに越したことはねえさ・・・・・っと。ワリィ、ジュンからだ」
一旦話を区切り、コウがコートからサイフォンを取り出す。ディスプレイ上には小日向ジュンの名が表示されていた。
「おっす。久し振りだな、ジュン」
『何言ってるのさ。十日ぐらい前にも話したばかりでしょ』
「あれ、そうだったか?」
『リョウタじゃないんだからしっかりしなよ、コウ』
「そのリョウタも今隣にいるぜ」
夏が終わり、国防軍との共同戦線を張っていたオルデンの騎士たるジュンには、新たな使命が下された。今回の任務先は国内の遥か北方、北海道の東端にある港街。建前上は両親の勤め先の移転に伴う転校とされていたのだが、ジュンを知る人間は彼自身の口からその旨を伝えられていた。
「転校してから三ヶ月も経つんだよな・・・・・・そういや、そっちでリオンと会ったんだろ?」
『ライブイベントが終わった後、少しね。ちょうど僕も市内に出る用件があったから。北海道初のSPiKAイベントってことで、すごく盛り上がってたよ』
「リオンからも聞いたよ。ジュンも元気そうだったって言ってたぜ」
『寒さだけはどうにも慣れないんだけどね。そっちも最近は冷え込んでるって聞いたけど』
「12月並に寒い日が続いてるよ。リョウタに代わるか?最近話してないんだろ?」
コウが差し出したサイフォンを、リョウタが受け取る。リョウタは無邪気に笑いながら、開口一番に言った。
「よおジュン。そろそろそっちで彼女でも出来たか?」
『実はそうなんだ。最近付き合い始めてさ』
リョウタは即座に通話を切った後、無造作にサイフォンを放り投げ、コウが慌てて回り込んでキャッチをする。寸でのところで落下を防いだコウは、リョウタの後頭部を叩いてから怒気を強めた声で突っ込みを入れた。
「おいこら、マジで切ってんじゃねえよ」
「だって!今!あいつが!!彼女!!彼女って!!!」
「うるせえっての。高校生やってりゃ恋仲の一人や二人ぐらいできるだろ普通」
「お前は自分が情けなくなったりしないのかよ・・・・・・クソ、あの裏切り者が」
リョウタが辟易をして項垂れている最中、今度はEメールの着信音が鳴った。「また今度電話する」という短文を確認したコウがサイフォンをコートへ戻していると、前方から杜宮学園の制服を着た十名程度の集団が、ぞろぞろと歩いて来ていた。その中には、見知った顔ぶれがあった。
「あっ。コウせんぱーい!」
大きく右腕を振りながら走り寄ってくる郁島ソラに、コウも右腕で返して立ち止まる。ソラは快活な声でお疲れさまですの挨拶をした後、隣にいたリョウタにも丁寧に頭を下げて声を掛けた。
「リョウタ先輩もお疲れさまです。受験勉強、大変そうですね」
「まあなー。しっかし、ソラちゃんも随分と見違えたよな。髪が伸びただけでも、前とは印象が全然違うぜ」
「フフ、似合ってますか?」
「おう。女の子っぽくていいんじゃねえか」
リョウタが触れたのは、この四ヶ月の間伸ばし続けてきたソラの髪。部活動に入れ込む女子らしくショートを維持していたソラの髪型は、首筋に届くミディアムショートへと変わっていた。「尊敬する先輩に倣い、身嗜みに気を遣うのも修行の一環」とソラは豪語していたのだが、当の先輩であるアキは気紛れで髪型を変えただけであり、ある意味でソラは空回りをしていた。一方でより女性的な雰囲気を纏いつつあるソラの風貌は周囲へ好意的に映り、本人の与り知らないところで多くの視線を集めていた。
「ソラ、今日はどうしたんだよ。随分と大勢だな」
「みんなでお祝いをして遊んでいたんですよ。今日は11月21日ですから」
「お祝いって・・・・・・ああ、そっか。そうだよな」
集団の中心に立って、『ゲームセンターオアシス』の店名とロゴが記された紙袋を二つ抱えていたのは、今日で十六歳となった四宮ユウキ。コウは悪戯な笑みを浮かべながら、ユウキの頭をぽんと叩いて言った。
「大人気だな、ユウキ。バースデープレゼントも沢山貰えたみたいじゃねえか」
「クレーンゲームの景品を全部押し付けられただけでしょ・・・・・・はぁ。重くて仕方ないよ」
肩を落として溜め息を付きながらも、その全てをしっかりとユウキは受け取っていた。以前のユウキからは考えられない日常の一幕が、コウにとっては嬉しくもあり、それでいて一抹の寂しさを抱かせる。知らぬ間に手の掛かる弟のように接していた自分に気付き、自嘲をしてしまった。
「俺も今度祝ってやるよ。一緒に飯でも食いに行こうぜ」
「寧ろたった今連れ出して欲しいぐらいだよ」
「おい四宮ー。何やってんだよー」
「早く行こうぜ、バスが来ちまうって」
「ああもう分かったって!」
沢山の背中を見送りながら、コウはこの四ヶ月間を想う。時の流れが余りにも早く、自分だけが遠い何処かに立っているような気がして、胸の奥が疼いていた。
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レンガ小路の一画に佇む壱七珈琲店には、約二ヶ月程前から『特別営業日』が設けられた。これまでは定休日扱いとなっていた曜日においてのみ、夕刻時から店主に代わり、柊アスカによる営業がなされていた。あくまで臨時の開店に過ぎないため、オーダーできる品々は限られ、代名詞である珈琲も、店の味を守る意味合いで注文不可。客足は普段の半数以下に留まる一方で、彼女と縁を持つ杜宮学園の生徒にとっては、憩の場として定着しつつあった。
「ふむ。高幡君、ここの訳し方が少々違っていますね」
「な、何だとっ・・・・・・ぐぬぬ」
「まあこれだけできれば及第点ですわ。長文のコツは掴めてきているようですわね」
とりわけ大学受験を次年度に控えた一部の三年生は、店の奥部にあるテーブル席を勉学の場として利用していた。リョウタと同様、より広い世界を知る為に進学を志願した高幡シオは、北都ミツキと高松エリカの二人による徹底的な追い込みで、元々人並み以上だった成績は上位に迫る成果を見せ始めていた。
「さてと。区切りもいいですから、今日はこの辺で切り上げましょうか」
「あら、もうそんな時間ですの?」
「また長居をしちまったか。柊、いつも悪いな」
「いえ。先輩方こそお疲れさまです」
既に時刻は午後の19時半。明確な閉店時間は無いのだが、19時を目途にして閉店するのが常だった。三人が会計を済ませ、アスカが店頭に掲げられた『OPEN』のプレートを『CLOSED』に代える。するとミツキらと入れ代わる形で、ドアチャイムを鳴らすコウの姿があった。
「よう。お疲れさん、アスカ」
「・・・・・・来る頃だと思ってた。ほら、入って」
これも日常風景の一枚。特別営業を終えた壱七珈琲店には、決まってコウが訪れる。そんな彼をアスカは拒まず、貸切に近い形でコウは暖を取り、夕食に舌鼓を打つ。たった二人だけの夜は、毎週のように繰り返されてきた。
「コート」
「ん」
受け取ったコウの上着をアスカがコート掛けに吊るし、コウがカウンター席の中央に腰を下ろす。営業時にはヤマオカの趣味でもあるクラシック音楽が流されているのだが、閉店後の店内はシンと静まり返っていた。レンガ小路を形成する店舗達も店仕舞いを始めており、深まった秋が織り成す静寂には、特有の情緒があった。
「ポークカレーでいいわよね」
「ああ。つーかそれしか出せねえだろ」
「最近はサンドイッチも始めたのよ。アキさん直伝のね。具材が残っているから、オーダーして貰えると助かるのだけど」
「お、マジか。じゃあそれも頼むわ。明日の朝飯にするから包んでくれ」
「はいはい」
カレールーを小分けしておいた小鍋に火を点けて、冷蔵庫からサンドの具材を取り出す。アスカの姿を見守りながら、コウは今し方届いたEメールの返信文を打っていた。
「誰?」
「トワ姉。週末に出かけるんだってさ。ゴロウ先生が都内に来る用事があるとかで、一緒に食事をする約束をしてるらしいぜ」
「あら、デート?知らない間に、良い仲になっていたのかしら」
「どうだろうな。元同僚と一緒に飯を食うだけじゃねえのか。でもまあ、そうなったらそうなったで祝福するだけさ。あの人だって―――」
それ以上を、コウは口に出そうとしなかった。アスカは手を動かしながら首を傾げ、形容のしようがない表情を浮かべるコウを見詰めた。
「コウ?」
「いや、何でもねえよ。アスカ、お前のサイフォンも鳴ってるぞ」
「誰から?」
「・・・・・・アキからだ。出てもいいか?」
「ええ、お願い」
カウンターに置かれていたサイフォンを取り、通話を繋げる。
「もしもし、アキか」
『あれ?時坂君、ですか?』
「今日は壱七珈琲店の特別営業日だろ。俺も今来てるんだ。アスカは調理中」
『あ、そっか。少し驚いちゃいました』
「それで、今日はどうだったんだよ。その件で電話してきたんだよな」
平日の今日、アキは学園に顔を出していない。というのも、アキはカリフォルニアレーズン協会が主催するコンテストへ参加する為に、昨日は早くに杜宮を出て、同コンテストの会場がある犀玉に宿泊をしていた。レーズンコンテストには高校生の部があり、事前に全国から応募されたレシピ案の中から八名の応募者、ファイナリストが選出される。その一人として最終選考に進んだアキは、会場で実際にレーズンパンを作り、実技と試食審査を受けていた。
『頑張ったんですけど・・・・・・受賞は、できませんでした』
「そっか。でも最終選考まで進んだだけでも快挙だろ。ちなみに、どんなパンを作ったんだ?」
『えーと。《杜宮のハチミツ香るレザンデニッシュ》です』
「思いっ切り杜宮を売り込んでんじゃねえか・・・・・・名前の時点でアウトだろ。よく残ったな」
『ち、地産地消がコンセプトなんです。いいですか、まず商品というのは―――』
「分かった分かった、詳しくは帰って来てから聞くって」
これは絶対に長くなる。そう察知したコウは強引に話を逸らして、早々と通話を終えた。ことパン作りに限って、ブランジェを志すアキの熱烈な語りは、聞き手がうんざりする程に長々と続く。カレーパン一つとっても軽く三十分は語り明かす。下手に触れたが最後だということは、二年B組の生徒全員の理解に及んでいた。
「アキさん、まだ犀玉にいるの?」
「これから新幹線に乗るってよ」
「これから・・・・・・帰り、遅くなりそうね。最近はまた、例の不良グループが杜宮に手を出していると聞くし、大丈夫かしら。帰り道が心配だわ」
「心配無いだろ。それにBLAZEも黙ってねえって。二代目のリーダーがしっかり守ってくれるさ」
「彼女の交友関係も奇妙よね・・・・・・」
遠藤アキという少女に絡もうとした二人のケイオスメンバーが、突如として現れたBLAZEの現リーダーによって闇に葬られ、忽然と姿を消した。という都市伝説めいた流言が、ケイオスの間では実しやかに広まっていた。実際にはもう少々穏やかに事は収まったのだが、ケイオス側を圧倒する抑止力として働くには、充分過ぎる恐怖があった。
アスカは苦笑いをしながら、温まったカレーを盛り付けた皿をカウンター席に置いた。
「お待たせ」
「うん?おいアスカ、何で二皿もあるんだよ?」
「私も食べるからよ」
よくよく見れば、二皿にそれぞれ盛られたカレールーとライスの量が異なっており、具材の豚肉も片方は多め。少ない側がアスカの分だと察したコウは、皿を隣の席に置いて、アスカもコウの傍らに座った。コウは熱々のカレーをスプーンで頬張り、一旦水を飲んで再度アスカに声を掛ける。
「そういや、今週末はどうしてんだ。また外に出るのか?」
「ええ。月曜日一杯まで留守にするわ。九重先生にも欠席届を出してあるの」
「三日間か・・・・・・今回は長いな」
7月8日のあの日。杜宮で立て続けに発生していた異変は収束し、十年間に渡る全てに終止符が打たれた。一方で頻度や規模は以前の杜宮と比較にならずとも、異界化自体は国内全土で発生しており、脅威であることに変わりはない。杜宮を活動拠点とするアスカは、東亰都内は勿論、関東エリアにおける調査や研究を担い続けていた。有事の際には何よりも優先して駆け付け、異界化を治める。加えて週末のほとんどは執行者として活動しており、コウも度々協力者として、アスカに同行することがあった。
「一人で大丈夫かよ。手伝えることがあったら、俺も一緒に行った方がよくないか?」
「心配要らないわ。今回の事案は単なる調査だから、私一人で充分よ」
「でも三日も掛かるんだろ。俺も―――」
「少しは学生としての本分に時間を使いなさい。同じ大学、行ってくれるんでしょう?」
「・・・・・・あ、はい」
有無を言わさぬ語気に、コウは素直に従うしかなかった。
杜宮が異界関連の技術者や設備で充実しているように、日本の大学にも様々な裏の顔がある。アスカが現時点で進学先として選んでいる大学は、異界研究の権威が集う都内の私立校。コウも進学先候補の一つとして考えてはいるのだが、彼の学力は良くも悪くも全科目で平均的。勿論、進級してから本格的に受験勉強へ取り組んでも、充分に間に合う可能性がある一方で、アスカが敢えて言及したのには、しっかりと理由があった。
「それで、何を悩んでいるのかしら」
「は?」
「は?じゃないでしょう。そんな感傷的な顔をされて、黙っている訳にはいかないの。それに美味しいの一言ぐらい言って欲しいものだわ」
アスカの指摘に、コウはゆっくりとスプーンを皿の端に置いた。アスカはコウの様子を気に留めようとせず、カレーを食べる手を止めずにコウの返答を待ち続ける。
「別に悩んでるって訳じゃねえよ。でも、なんつーか・・・・・・なあ、アスカ」
「何かしら」
「俺って、あれから何か変わったか」
「変わっていないと思うわ」
「・・・・・・そう、だよな」
時の流れに伴いながら、自然と変わっていく物がある。
変わろうと願えば、変えることができる物がある。
変わるべき物もあり、変えてはならない物だってある。
何をどうしたって、変わらない物がある。
境い目を、コウは見失っていた。周囲の仲間達は、既に変わりつつある。将来を見据えて、志を新たにする。これまでとは異なる世界に飛び込む。夢に向かって直向きに歩を進める。気紛れで些細な変化を楽しむ。その全てが、自分には無い。
得体の知れない何かが焦燥感を駆り立てて、強引に背中を押してくる。しかし11月21日の今日まで、この四ヶ月間を自分がどうやって過ごしてきたのか。何処へ向かうべきなのか、分からない。不安だけが、広がっていく。
「こんな言い方をしても、分かる筈がねえよな。ワリィ、忘れてくれ」
「馬鹿を言わないで。分かるわよ、それぐらい」
「え・・・・・・」
スプーンを置いたアスカの右手が、コウの左手に重なる。四ヶ月前にもそうしたように、お互いを結ぶ絆を象徴する繋がり。
「全部、見てきたから。コウのことは、全部見てきた。家族や友人よりも、私は今ここに居る貴方を知っている」
「アスカ・・・・・・」
「焦らなくていいの。少しずつでいいから。これからもずっと、傍で見守らせて」
「・・・・・・カレー、美味いよ」
人は恐ろしく不器用で、独りでは生きていけない。人一倍不器用な彼らは、別の誰かを求めて支えられることでしか、歩いてはいけない。不器用だから言葉にできず、気付きようもない「助けて」に手を差し伸べる者も、数少ない。
けれど、ずっと温めてきた想いが定まった時、彼らはしっかりと歩く。積み重ねてきた日々が、明日へ直結する強さを胸に秘めながら、彼らは生き続ける。物語は、続いていく。
―――コウちゃん。
「「っ!?」」
物語は、続いていく。
これにて一応の完結です。後日談とかを書くかもしれませんが。何気ない日常を書くのが、一番楽しいですね。
最後までお付き頂いた読者の皆様方、本当にありがとうございました。