拙作のアフターストーリーは、「東亰ザナドゥeX+」本編のアフターストーリーとは異なる、オリジナル要素溢れるエピソードとなります。
元々考えていた構想に基づいて執筆しており、各キャラの細かな設定や時間軸等も本編とは異なりますので、ご注意願います。
また、私情により久方振りの執筆となります。次回更新がいつになるかも不透明ですが、お付き合い頂ければ幸いです。
12月12日 襲来
杜宮市中央図書館は、杜宮駅から徒歩で来れる距離にある。書店を営むお父さんの伝手を頼りに、私がここでアルバイトの真似事を始めたのは、先週末のことだ。
賃金を貰ってはいないし、何の契約も交わしてはいない。週末に限り、簡単な本の整理作業を手伝うだけで、見返りは私の胸中にしかない。司書資格を取りたいという漠然とした願望が、少しだけ満たされてくれる。言わずもがな、幼馴染や友人から感化された結果でもあった。
「……コウちゃん達、楽しんでるかな」
小声を漏らしながら、外を見やる。気象庁の見立て通り、寒冬が訪れようとしていた。館内は暖房が効いているけれど、窓枠に近付くと、冷やりとした空気が肌にしみる。窓越しに空を見上げれば、幻想的な赤みを帯びた冬の夕陽があった。吸い込まれてしまいそうな光景を前に、私は自然と微笑みを浮かべていた。
ともあれ、もう夕刻だったか。本に囲まれていると、時間の感覚が狂ってしまう。私の悪い癖の一つだ。
「よう、お疲れさん」
「お疲れさま、シオリちゃん」
「え?」
振り返ると、親しい二つの顔があった。リョウタ君と、チヅルちゃん。学生の利用客も勿論一定数いるけれど、この図書館で二人に会うのは今日が初のはずだ。
「フフ、少し驚いちゃった。二人共、今日は本を借りに?」
「まあな。学園の図書館でもよかったんだけど、折角だからシオリちゃんの働いてるところも見たかったしさ」
「べ、別に働いてるわけじゃないよ。ただのお手伝い」
リョウタ君が悪戯に笑いながら、事の経緯を話し始める。
彼が進学を決意し、周囲から先んじて受験勉強に取り組み始めたのは、秋口のこと。当時は誰もが驚愕し、クラスメイトは呆然自失として、友人らは戸惑いの余り発狂し始め―――は、言い過ぎだけれど。私も遅れて、大いに驚かされた。
そんなこんなで、リョウタ君はチヅルちゃんと二人三脚で、少しずつ受験勉強を進めている。とはいえ、私達二学年生には、まだまだ時間がある。余り根を詰め過ぎないようにと、チヅルちゃんが気分転換に誘う形で、この図書館を訪ねたそうだ。
「こいつったら、本と言えば漫画しか読まないんだから」
「チヅルだってたまに俺から借りて読むじゃんかよ」
「私は漫画以外も読んでるわよ」
「俺だって雑誌とか買うっての」
「どうせロクでもない雑誌でしょ」
「お前今SPiKAを馬鹿にしただろ!?」
「どうしてそうなるのよ!?」
「ふ、二人共っ」
私の声にハッとした二人が、周囲を見渡す。「うるさい」という怒声が込められた冷ややかな視線の数々。お互いにコホンと咳払いをした後、今度は声を潜めての小競り合い。
(変わらないな、みんな)
何かが変わったわけじゃない。リョウタ君はリョウタ君。ジュン君も佐伯先生も、遠い地で新たな日々を過ごし始めているけれど、同じ空の下に立っている。思い出を大切に抱えながら、皆が前に進んでいる。ただ、それだけのことだ。
やがて小声の応酬が一段落すると、チヅルちゃんが私の顔をまじまじと覗き込んでくる。思わず仰け反ってしまった。
「な、何かな?」
「いえ、さっきほら。外を見てボーっとしてたから、少し気になって。考え事か何か?」
「……そう、見えた?」
見られていたことに気恥ずかしさを覚え、逃げるように顔を背ける。視線の先には、再び夕刻の冬空。
考え事ではないけれど、空を仰ぎながら物思いに耽る回数が増えた。恐らく、さっきも同じだ。
「シオリちゃん?」
「えーと。今頃コウちゃん達、どうしてるのかなって思って」
「ああ、そういえば今日だったわね。日帰りの旅行って聞いてるけど?」
「さっきNiARの書き込み見たぜ。めっちゃ蟹食ってるってさ。羨ましいよなぁ。蟹だぜ、蟹」
全てのキッカケは先月の下旬。私と柊さんの二人で、放課後に商店街を回っていた時の出来事。柊さんが商店街の福引で、一等の旅行券を当てたという小さな奇跡にある。
旅行の行き先は都内でも有名な温泉テーマパークで、日帰り旅行が無料になるペアチケット。しかも蟹の食べ放題付き。贅沢極まりない、一等に相応しい内容だった。
『よかったね、柊さん!』
『……どうしようかしら、これ』
『えっ』
しかし当の本人にその気は無く、受け取った時から他者へ譲るつもりだったようだ。柊さんらしいと言えばそれまでだけれど、問題は誰に譲るか。コウちゃんに相談を持ち掛けた柊さんは、最終的に二人の先輩へと進呈していた。勿論そこには、明確な理由があった。
北都先輩と高幡先輩は、大学受験に向けた本格的な追い込みの影響で、相当な疲労が溜まっていたらしい。とりわけ北都先輩は、北都グループの一員としての業務に加え、高幡先輩へのサポート等も重なり、多忙を極めていたようだ。日帰り旅行ならちょうどいい骨休めになると考えての、後輩からの贈り物だった。
『お気持ちは大変有難いのですが……えー、コホン。高幡君、どうしましょう』
『そうだな。二人だけで贅沢ってのは、少しばかり寂しいもんがあるな』
『あれ、そこですか?』
『あん?』
その後は紆余曲折あったそうで、結局は部員総出での日帰り旅という形に収まったと聞いている。交通費も含め、それなりの出費になるはずだけれど、たまの贅沢と考えれば安いものかもしれない。
きっと今頃は、皆で和気あいあいと盛り上がっているに違いない。思い浮かぶ笑顔の数だけ、私も笑うことができる。
「さーて。余り邪魔しても悪いし、俺達そろそろ帰るわ」
「あれ?本、借りなくてもいいの?」
「あっ」
「どうしてアンタはそう……はぁ」
「フフ、あははっ」
あの日。枷から解かれた私は、杜宮の外に触れた。七年振りに、本物の海を見た。紅葉の名所で、穏やかな紅色に身を投じた。長旅の疲れが心地良く、何度も何度も家族旅行を提案しては、遠出をした。交互にやって来る『初めて』と『久しぶり』が途方も無く新鮮で―――それでも私は、笑うことができないでいた。
負い目が苦痛だった。後ろめたさを感じていた。罪悪感もあった。生きていいと言われても、黒々とした過去に蝕まれていく。その全てを受け入れてくれたのも、大切な幼馴染と、掛け替えの無い友人達に他ならなかった。笑い方を思い出した私は、目元を真っ赤に腫らしながら、笑っていた。
「あは、あはは!あはははっ!」
「「シーっ」」
「……ごめんなさい」
笑いながら生きていこう。私は笑うことができる。だって私は、倉敷シオリなのだから。
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「あー、もう無理。動けない。コウ先輩、お茶」
「何でいつも俺に言うんだよ。俺だって動けねえっての」
「私としたことが……たかが甲殻類に我を忘れるだなんて」
「あ、アスカさん、サイフォンが蟹の汁で濡れてま……ゲップっ」
「アキ先輩、女子高生として今のは駄目です」
順を追って説明しようと思う。数ある温泉を堪能した私達を待っていたのは、大皿に盛られた大漁の蟹、蟹、蟹、そして蟹。だったのだけれど、ミツキ先輩と高幡先輩は少量を口にした後、心地良い睡魔に耐え切れず、休憩所で休んでしまっていた。余程疲れが溜まっていたのだろう。
残された私達は、蟹の食べ放題という非日常に魅せられ、思う存分楽しんでいた。主役そっちのけで蟹を食べ漁り、卓上には殻の山々。満腹を通り越してしまったのは私だけではないようで、苦悶に満ちた表情が並んでいた。
先輩方を放置して、何をしているのだろう。後悔をしても仕方ないけれど、旅の主旨を忘れてどうする。とりあえず、暫くは蟹が嫌いになりそうだ。カニカマは一生無理かもしれない。
「しっかし、ホントよく食ったよな。特にアキ、お前すげえよ」
「そ、それはその。リオンさんから『アタシの分まで食べてきて』って頼まれていたので」
「真面目かよ」
「真面目ですね」
「真面目ね」
気にしないでおこう。どう返しても無駄な気がする。
X.R.Cメンバーの中で、唯一都合が付かなかったのがリオンさん。学業とアイドル業とを両立させているリオンさんは、SPiKA人気の急上昇も相まって、益々多忙な日々を送っている。確か今日は、関西方面でイベントがあったはずだ。
(……最近、多いよね)
誰かが欠けて、皆が揃わない。夏が終わった頃から段々と増えてきている。それ自体に問題は無くとも、今のままではいけない。旅行の日程を決めた際、ちょうどいい機会だから改めて話し合おうと、皆で決めていたことでもある。
「あの、時坂君。そろそろ」
「分かってるって。少し真面目な話をしようぜ」
「ええ、そうね」
二人の口振りで、ソラちゃんとユウ君も察したようだ。私達はX.R.Cの今後について、真剣に考える必要がある。
元々X.R.Cは、異界化事件への情報収集と迅速な対処を行うための、表向きの顔に過ぎなかった。日常を取り戻した私達に残されたのは、『不思議探究部』としてのX.R.C。新たに私が加わったのはいいものの、活動目的を失ったX.R.Cは、宙ぶらりんな存在になりつつあった。
問題は他にもある。受験生であるミツキ先輩と高幡先輩は、クラブ活動から引退した身と言っていい。息抜きに部室を訪ねることはあっても、活動に参加する暇は無い。アスカさんは関東地方を中心に、日々執行者としての任務に当たっている。休日は勿論、平日に遠出をすることだってある。時坂君もそんなアスカさんのサポート役に徹し、二人一組で行動することが多い。リオンさんもリオンさんで、学生とアイドルの間を忙しなく行き来している。ソラちゃんには空手部、私にはアルバイト。クラブ活動らしい何かを求められると、どうしてもユウ君頼りになってしまう。
部員が集まることすら難しく、クラブを存続する意義も曖昧。それがX.R.Cの現状だった。
「顧問を買って出てくれたトワ姉の立場もあるし、誤魔化しながらやってきたわけだが……率直な意見を聞きたい。アキ、どう思う?」
「そうですね……えっ。わ、私?ケホ、コホッ」
唐突に名指しをされて、思わず咳込んでしまう。口内に蟹の味が広がり、気分が悪い。少し落ち着こう。
「何つうか、一番悩ましげな顔をしてたからさ。思うところがあるんじゃねえのか」
「あるには、ありますけど……」
ずっと考えていたことだ。私には、女子テニス部の部長としての立場もある。
現状のままでは、中途半端な活動しかできないかもしれない。でもそれは、今に限った話だ。来年になって、新入生がX.R.Cに興味を示し、部員数が増えれば状況は変わる。テニス部だって同じだ。今は私一人だけれど、既に入部を希望している新入生候補は複数人いる。来年はきっと―――
「あれ?そうなると、アルバイトとクラブ活動が二つで三つに……う、うーん」
「何でそこで悩むのさ……台無しじゃん」
「まあまあ。ともかく、私もアキ先輩と同意見です。X.R.Cは大切な居場所ですし、途中で何かを投げ出すのは、性に合いませんから」
ソラちゃんの真っ直ぐな声が、ストンと胸の奥に入って来る。異論の気配はどこにもない。結局のところ、皆が皆同じことを考えていたようだ。
クラブを私物化するつもりはない。でもX.R.Cは、表も裏も全部をひっくるめて、私達がこれまで過ごしてきた、これから続いていく学園生活の証だ。当初の目的はどうあれ、大切にしていきたいと思う。それに時坂君が触れたように、九重先生の立場もある。たったの三ヶ月でクラブ活動が廃れてしまっては、自ら顧問を買って出てくれた九重先生の評価に関わる。体裁が悪過ぎだ。
「おし、決まりだな。取り急ぎ、年内の予定を確認させてくれ」
部長を務める時坂君が、簡潔にまとめていく。クラブを存続させるには、最低限の活動が求められる。新聞部が学園新聞を作成し、映画研究部が映画撮影を行うように、私達は杜宮市の不思議を探求して、形として活動の成果を残す必要がある。
前回はユウ君が主導となり、インターネット上から都市伝説やら何やらを拾い上げ、無理矢理杜宮市に結び付けるという手法を取ることで、事なきを得ていた。しかしそれにも限界があるし、余りいい気はしない。
「期限は学期末までだ。てなわけで、まずはネタが要る。一応今聞いとくけど、心当たりがある奴はいるか?」
時坂君の問い掛けに、アスカさんが小さく右手を上げる。私達は意外そうな面持ちで、アスカさんに視線を向けた。
「BLAZEに『クイーン』の座が誕生した、という噂を聞いたわ」
「それ不思議とは違うだろ。そもそもクイーンって何だよ」
「二代目リーダーと唯一対等に話せる女子高生がいるとか、そんな話よ」
「ピンポイントで思い当たる女子が目の前にいるんだが」
「……こっちを見ないで下さい」
どうしていつも、私は変な噂に巻き込まれてしまうのだろう。アキヒロさん、良い人なのに。
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充実した時間はあっという間に過ぎていくもので、特に大きなトラブルも無く、日帰り旅行は閉幕を迎えた。私達は杜宮駅前で解散し、ミツキ先輩は高幡先輩と一緒に。時坂君とユウ君は時坂家で『某RPGノーセーブクリア』に再チャレンジするらしく、意気揚々と自転車で帰路に着いていた。
私とアスカさん、ソラちゃんはオリオン書房に立ち寄った後に、駅前を発った。最終のバスは既に出ているから、徒歩での帰宅。流石に旅疲れがあるのか、足取りが重い。時刻も既に午後の二十時を回っていた。これから徹夜でゲームに興じようという時坂君達の気が知れない。
「でも楽しかったですね!ミツキ先輩とシオ先輩も、満足して下さった様子でしたし」
「それもこれも、アスカさんが福引で一等を当ててくれたからですよ」
「くじ運には縁が無い人間だと、勝手に思い込んでいたけれど……案外、逆なのかもしれないわね」
アスカさんが言い終えるのと同時に、上着に入れていた私のサイフォンが鳴った。Eメールの着信音。見れば、差出人は遠藤コマキ。思わず顔が緩み、笑みが浮かんだ。
「母親から?」
「……やっぱり、分かります?」
「顔を見ればね」
心の病は、簡単には治らない。でも少しずつ、お母さんは前に進めている。調子が良い時は、こうしてメールを届けてくれる。浮き沈みはあるし、真面に電話で会話すらできないけれど、少しずつ。今はそれでいいと思える。
鞄を背負って返信メールを打っていると、今度はアスカさんのサイフォンが鳴った。画面を確認してから、私達から僅かに距離を取り、「柊です」と一言。メールではなく、通話だった。
(こんな時間に……誰だろ?)
三十秒にも満たない通話を終えたアスカさんは、訝しげな表情を浮かべていた。ソラちゃんが通話の相手を問うと、アスカさんはやはり釈然としない様子で答える。
「ユキノさんよ。何を聞きたかったのかしら。どうも要領を得なかったわね」
「と、言いますと?」
「結社の……いえ、何でもないわ。気にしないで」
アスカさんの声が、夜の静寂に溶け込んでいく。肌寒さが増した気がして、身体が僅かに震えた。
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『帰るまでが遠足』という言い回しを始めて口にしたのは、誰なのだろう。意味合いは違えど、旅行も同じだ。旅先からの帰り道には、独特の興趣がある。一抹の寂しさと名残惜しさに、胸が締め付けられる。
「おい北都」
「何ですか、高幡君」
「このまま歩きで帰るのか?」
「いけませんか?」
「そうは言ってねえよ」
敢えて徒歩を選び、一日を噛み締めながら、ゆっくりと帰路に着く。キョウカさんはいい顔をしないけれど、ここ最近は癖になりつつある。今日のような充実した一日を過ごした後は、無意識の内に歩調を緩めてしまう。忙しない日々が常態化している反動なのか、それとも別の何かなのか。
でも彼は、私を止めようとしない。頼んでもいないのに、夜道の一人歩きは危険だと言って、私に合わせて隣を歩いてくれる。おかげ様で夜の散歩を満喫できるのはいいけれど、嬉しさが半分と、複数の感情がもう半分。信頼感や安心感、その他諸々。柊さんと時坂君の関係も、似たようなものなのかもしれない。
「そう思いませんか?」
「何だって?」
「何でもありません」
意地悪な笑みをマフラーで隠しながら、首を傾げて見せる。今日のところはこれぐらいにしておこう。彼の困り顔を見るのは好きだけれど、本音では困らせたくはない。
「柊さん達には今度、何かお礼をしなければいけませんね」
「そうだな。また飯でも奢って―――」
―――突如として風が止み、音が消えた。違和感、寒気、眩暈。息苦しさと、五感が不具合を起こす独特の現象。慣れ親しんだ通学路の風景が、まるで別世界に映り始める。
「これはっ……高幡君」
「ああ、分かってる。忘れるわけねえだろ。この得体の知れねえ感覚をよ」
荷物を置き、羽織っていたコートを手早く脱ぎ捨て、サイフォンのサーチアプリを起動させる。幸いにもこの通りは街路灯が少ない裏道で、周囲に人気は無い。私自身冷静さを保てているし、高幡君も動じてはいない。
この三ヶ月間、杜宮市内で異界化は一件も発生していない。けれど異界化は、いつ何時だって起こり得る。この地上で生きている限り、特異点となる可能性から逃れる術は無い。事前に察知できた分、幸いと考えるべきだ。
「……え?」
手元に視線を落とすと、不可解な数値があった。複数のゼロが並んでいた。サーチアプリが示す値は『0.00%』。異界化の反応が皆無。高幡君のサイフォンも同様で、私達はお互いに顔を見合わせた。
「どうなってやがる。こいつは、異界化じゃねえってのか?」
「待って下さい」
「まさか、グリムグリードか!?」
「落ち着いて、そんなはずはありません。でも、どうして……?」
おかしい。適格者としての経験と勘が、この現象は異界化だと告げている。しかしサーチアプリがそれを否定していた。反応パターンは異界の数だけあれど、少なからず数値として表れるはずだというのに。
「っ……来ます!高幡君、下がって!」
それに、来る。遥か遠方から、途方も無い速度で『脅威』が接近している。グリムグリードによる浸食とも違い、現実的な距離感がある。最早考えている余裕も、時間も無い。
「輝け、ミスティックノード!!」
高幡君の前方に立ち、半ば駄目元でソウルデヴァイスを顕現させる。同時に霊子結界を展開させると、直後に前方から衝撃を感じ、巨大な殺気を叩き付けられる。ソウルデヴァイスを握る両手を伝って、全身に痺れが走った。
「ぐっ、ううぅ?」
すぐに不可解な現象が起きた。結界を成していた無数の霊子が、霧散を始めていた。強靭な障壁が削がれていき、同時に霊力が体内から流れ出ていくかのような錯覚に陥る。
やがて結界は消滅し、反動で崩れそうになった背中を、高幡君が受け止める。呼吸を整えながら目を凝らすと、前方にぼんやりとした影が映った。
「北都、無事か!?」
僅かに届いた声に応えようにも言葉が出ず、首を数回縦に振って応える。
ソウルデヴァイスを揮えたということは、疑う余地が無い。『あの影』はグリードで、ここは異界ではなく現実世界だという現実を、受け入れるしかない。抗うための力が、私達にはある。
「おおぉらああっ!!」
預けていた背中を起こすと、高幡君のソウルデヴァイスが発する焔属性の霊力を感じた。続けざまに、地面が揺れる程の衝撃と轟音。重剣による連撃。
後方から援護をしようにも視界が悪く、それよりも―――力が、入らない。
(どう、して?)
死線を潜り抜けた直後のように、疲弊し切っていた。霊力の残量が明らかにおかしい。霊子結界を展開させただけで、何故こんな状態になる。
不意に、斬撃の音が止んだ。顔を上げると、ヴォーパルウェポンを頭上に構えた高幡君の背中があった。伝わってくる感情は、迷い、躊躇い、疑い。高幡君の動きが止まり、重剣は振り下ろされない。代わりに風を斬る音が鳴り、血飛沫が舞った。
「高幡、君?」
追撃を受けた高幡君の身体が、後方へと弾き飛ばされていく。街路樹に背中から叩き付けられ、大木がぐらぐらと揺れる。力無く地面へと崩れ落ちた四肢は、ピクリとも動かない。
「た、高幡君!?」
彼に気を取られた一瞬を突いて、殺気の塊が動いた。私は振り向きざまに再び結界を展開し、背後から襲い掛かろうとしていたグリードを寸でのところで遮り、全霊力を以って拒絶した。
先程と同様の現象が起きていた。霊力の結界が、見る見るうちに弱まっていく。グリードに吸い込まれるように霊力が四散していき、やがて音も無く、結界は消えた。
「あ―――」
眼前に、グリードの全容があった。四肢がある。両足で立っている。頭部と思しき部位から垂れ下がる長髪。地面にまで届く両腕。月明かりに照らされた眼。外見はヒトに近い。いや、これではまるで―――
「ひっ!?」
背中から地面に押し倒され、両肩を掴まれる。首筋にぬるりとした何かが触れると同時に、底無しの気怠さに襲われた。呼吸が止まり、全身が大きく痙攣を始めた。
「あ、あああぁあ、あああぁぁあ!!」
間違いない。このグリードには、他者の霊力を吸い取る術がある。急速に生気を吸われ、視界が狭まっていく。このままでは、あと十数秒で全てを吸い尽くされてしまう。
死の一歩手前に立たされて尚、思考は明確だった。余りに異質過ぎるからだ。何をされているのか。何が起きているのか。一体、何が。
意識を失いかけた、その時。放たれていたはずの殺気が、明後日の方角を向いた。獲物に興味を失くしたかのように、グリードが立ち上がり、『言った』。
「ひ……ぃっ……ら、ぎ」