―――今は赦されなくてもいい。とにかく、BLAZEらしく。
憎まれ口ばかりを叩く中、あの人は精悍さに満ちた面持ちで、静かに告げた。
閉ざされた世界で再会した時から、彼は罰を背負っていた。自らが犯した過ちを認め、罪を為した己の弱さを知り、ただひらすらに、正しく在ろうと志す。不器用ながらも真っ直ぐ、懸命に。その姿が、皆にはどのように映っているのだろう。
私は受け入れる。無駄なことなんて一つもない。きっと全てに意味がある。
けれど。それでも赦されてはいけないというのなら。私は、間違っているのだろうか。
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「―――と、いうわけでして。大まかには、今話した通りです」
深夜午前二時、九重神社入り口の鳥居下。肌寒さに身体を震わせながら、一区切りを付ける。一昨日の晩に始まりを告げた一連の真相を聞き終えた戌井アキヒロさんは、長い間を取ってから答えた。
『おい。率直な感想を言ってもいいか』
「な、何ですか?」
『何ですか?じゃねえ!!説明の「せ」の字にもなってねえだろうが!開始数秒で頭痛モンだぞ酔っ払ってんのかテメエは!?』
「……ですよね」
サイフォンから溢れ出てくる怒声が、真夜中の境内へ静かに流れていく。予想通りの反応に平謝りをしながら、どうしたものかと溜め息を付いた。
「その、事情が複雑なんです。話しちゃ駄目だって言われてることが沢山あって……ごめんなさい」
別に意図をして困らせたかった訳ではない。けれど、説明のしようがないのだ。現時点で明かせることは限られている上に、私達自身の理解に及んでいない謎があまりに多過ぎる。伏字だらけの難解な暗号を垂れ流されたようなものだろう。
『ったく。百歩譲って、シオ先輩をやりやがった元凶が、この杜宮に潜んでるとしてだ。お前はまた……』
「はい?」
『だからっ……いや。クソ、何でもねえよ』
尻すぼみになっていく気遣わしげな声。私は苦笑いをしながら、胸の中央の辺りに掌を当てた。
目を瞑れば、私だけの耀きが眼前に広がる。勢いよく燃え上がる真紅。力強い鼓動音。確かな力が、ここに在る。
副教官の解釈では、後天的なものだそうだ。同化した二つの魂は互いに影響し合い、本質を共有しながら少しずつ同じ色に染まっていき、別れが訪れた後も、私には変わらずに耀きが残されていた。適格者としての素質を得た私の魂は、ハンプティダンプティの干渉により、やがてその殻を破った。
取り戻した訳ではない。新たに得た力が今、私の中に宿りつつある。
「後悔はしていません。私にできることがあるなら、喜んで受け入れるまでです」
『相手は適格者を狙ってんだろ。分かって言ってんのか?』
「勿論です」
相手が相手だ。この決断に、意味はないのかもしれない。それでも私は、私が考える正しい道を選びたい。皆のために、何より私自身のためにも。
『……このお人好しが』
「それはお互い様だと思いますけど」
『ああ!?』
「っ……き、急に怒鳴らないで下さいよ」
不意を突かれ身体が跳ね上がる。以前にも同じようなことがあったけれど、幸いにも今は一人。周囲から冷ややかな視線を注がれずに済む。
ともあれ、彼の人となりは熟知している。照れ混じりの悪態も慣れたものだ。
『まあいい。シオさんを闇討ちしやがったクソ野郎を、絶対に逃がすんじゃねえぞ。気合い入れろよ』
「分かってます。頼もしい味方もいますから」
『もう切るぜ。明日も朝早えんだよ』
「あ、待って下さい」
『あん?』
その先が上手く続かず、何とはなしに立ち上がる。右手で持っていたサイフォンにそっと左手を添えて、声を潜めるように、私は思うが儘の言葉を告げた。
「ありがとうございました。それと、おやすみなさい」
『……ああ』
呟きの後、通話を終えた。自然と口にした『ありがとう』が何を指しているのか、私自身よく分からないけれど、穏やかな感情がじんわりと胸に沁みこんでいく。
しかし、それも一時。すぐに水の中へ落とされたかのような、息苦しさを覚える。まただ。どうして、私は―――
「あら、もう終わり?」
「っ!?」
驚きのあまり、サイフォンが砂利の上に着地した。振り返ると、ひどく残念そうな表情を浮かべるリオンさんが中腰の姿勢で立っていた。
勘弁して欲しい。無言の叫び声のせいで、喉を傷めてしまった気がする。というか、いつから背後にいたのだろう。足音すら聞こえなかった。
「結構前からいたわよ。気付いてなかったの?」
「き、気付きませんよ。電話中でしたし」
「ふーん」
「……あのー。何ですか、その顔」
「べっつにー。でもそろそろ、聞かせてくれてもいいじゃない。実際のところ、どうなのよ?」
含み笑いを向けられ、真っ直ぐに問い質される。期待に胸を弾ませて返答を待ち侘びる様は、彼女が世間を賑わすアイドルの筆頭であると同時に、私と同じ一介の女子高生に過ぎないことを思い起こさせた。
何を問われているのか、考えるまでもない。自覚もある。だから息が詰まり、言葉が発せなくなる。動揺している訳ではなく、分かっているからだ。
「私は、そんなんじゃ。私は、違うんです」
「大丈夫。アキがずっと悩んでいたこと、あたしは知ってるよ」
「え?」
顔を上げると、視線が重なった。リオンさんは一歩私に近付いて、小さく首を傾げながら続けた。
「いつもさっきみたいに誤魔化すでしょ?アスカやシオリも、何となく気付いていたみたいだけど……あたしはね、興味本位で聞いてる訳じゃないの」
「リオンさん……」
「無理にとも言わないわ。でも、できることなら、吐き出して欲しい」
全部、聞くから。リオンさんの声に、感情が一層の陰りを増した。
不意を突かれ、言葉よりも先に涙が零れてしまいそうになり、思い止まる。じっと堪えた後、私は震える声で、思いの内を明かした。
「……『今は赦されなくてもいい』。アキヒロさんの、言葉です」
全てはその覚悟に集約される。
大切な者の尊厳を取り戻すためとはいえ、彼は多くの人間を踏み躙り、汚してきた。沢山の血がこの街で流れた。紛れもない罪だ。今も誰かに忌避され、拒絶の目を向けられている。与えられて然るべき罰に、怪異に魅入られた経緯なんて、関わりの余地がない。
しかし、彼が為した善もある。救われた者がいる。過去が払拭される訳ではないけれど、否定できない事実だ。
「私は見てきました。見てきたから、分かるんです」
かつて私の首を締め上げたその手に、私は救われた。七月八日のあの日から、ずっとそうだった。BLAZEとして、何よりヒトとして正しく在ろうとする彼を、私は幾度となく目の当たりにしてきた。
そして、そんな彼の姿を否定する人間も―――この杜宮には、数え切れない程いる。無論の帰結だ。
「当たり前ですよね。間違ってるとか正しいとか、そんな問題じゃないことも理解してます。でも私は、あの蔑むような目が嫌なんです。そんな私も、嫌いです。すごく嫌い」
「自分が、嫌い?」
「色々考えちゃうんです。『何も知らないくせに』とか、『いつになったら』とか……。ただ、支えてあげたいだけなんです。笑っていて欲しいって思いますよ。なのに、傍にいるだけで、後ろめたさばかり感じる」
「……そっか」
視界が滲む。情けなくて。悔しくて、悔しくて。
私は見失っていない。感情は理解できている。何もかもから見ない振りをして、皆の前でも取り繕ってばかり。だから尚更、嫌になる。
「ねえアキ。一応聞いておくけど、貴女―――」
「言わないで。分かってます。きっと、そうなんですよね」
それに。こんな時にこんな形で真情を吐露すれば、どうなるか。想像するに容易い。
私に足りない物。私が望む言葉。触れて欲しい想い。彼女はきっと、叶えてしまうだろう。
「そう。じゃあ、あたしはどうすればいい訳?」
「……え、と」
「フフ、冗談よ」
お見通しと言わんばかりに、そっと肩を抱かれた。思わず涙腺が緩み、耐えられなくなる。
「気休めは言わないわ。アキが言ったように、繊細で難しいことだと思う。でもね、アキは真面目過ぎるのよ。考えるよりも行動派のくせに、こういう時に限って不器用で弱気になるんだから。ソウルデヴァイスを手に取ったさっきの威勢は何処にいったのよ?」
「……ずみまぜん」
「あ、謝られても困るんだけど……まあいっか。ねえアキ、顔を上げて」
「無理です」
「いいからほら」
柔らかな手に両頬を挟まれ、半ば無理矢理に視線が上がる。目の前が、光で溢れていた。
誰よりも綺麗で、美しく、慈しみに満ちた天使の微笑み。私が知らない、未だかつて触れたことがなかった彼女の本質。繊手が、私の目元にそっと触れて、涙に濡れた。
途端に洗い流されていく。収拾の付かない自己嫌悪、惨めで臆病だったはずの涙。凍てつく冬の空気がとても心地良く、残されたのは、リオンさんの体温と、彼女の口が紡ぐ透明な声。
「大丈夫。支えたいって思うアキを、あたしが、あたし達が支えてあげる。だから、頑張れ、アキ」
「……うん」
目を瞑ればあの歌が、歌い声が思い出される。独りではないと思えるから、願いは翼に。私のちっぽけな想いは、希望の翼へと変わる。
求めていた答え。前に進む勇気。もう充分だ。私はこれ以上を、望まない。
「でも、そうね。上手く言えないけど、アッキーって相当……いや、まあ、うん」
「はい?」
「ううん、違うのよ?一時はね、他の誰かと勘違いしてたの。あたしはただ、少しその……あたしとしてはね、本当は言いたくないのよ」
「何をですか?」
「オーケー落ち着いて。分かってるわ。分かってる。でも敢えて言わせて貰うわ。アッキーはね、多分そうなのよ。だから、つまり、そういうこと」
「……」
「……」
「……趣味が悪い?」
「絶望的に」
世界で一番美しい天使の下腹部に、私は世界で一番優しい腹パンを見舞った。