東亰ザナドゥ ―秋晴れの空へ向かって―   作:ゆーゆ

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12月14日 夜明け

 

 月曜日の午前七時半。新たな一週間が始まりを告げた朝。普段なら若干の気怠さと期待感を抱きながら、学園を目指して自転車を漕いでいるであろう時間帯に、私達X.R.C二年生組は、市内の北東にある工場跡地の中心部に立っていた。

 当たり前のように人気はなく、一部の人間が好みそうな退廃的な様が、厳しい冷え込みを促してくる。悴んだ両手を吐息で温めていると、同じ仕草を取っていたリオンさんが静かに言った。

 

「七時半か。もうすぐ、よね」

 

 勿論、廃工場見学に興じている訳じゃない。杜宮市内でジェーンと対峙するとして、周囲への被害が最も少ないとされる場所を考えた場合、この工場跡地が最適だ。多少の損害が出ても、きっと結社やゾディアックの工作が入るに違いない。

 けれど、そう都合良くこの場にジェーンが現れるはずがない。アスカさんを囮にしている訳でもないし、それでは教官らが身を削って与えた傷が癒えてしまう。

 

「本当に、来るんでしょうか」

「シオリがそう言ったんだ。あいつを信じようぜ」

 

 ―――神様。シオリさんがそう称する存在が、何者を指していたのか。私を含め、あの場に集っていた全員にとって、すぐに察しは付いていた。

 境界の守護者。万物を超越した、この世から隔絶された霊域で、悠久の刻を過ごしてきた聖獣。正に神様と呼ぶに相応しい頂き。そんな神格と対話ができる人間なんて、シオリさんぐらいのものだろう。

 ともあれ私達にできることは、時坂君が言ったように、シオリさんを信じて待つ。それだけだ。

 

「にしても寒いわねぇ。今年は寒冬だって話だけど、まるで真冬じゃない」

「もう十二月だもんな。そういや、そろそろクリスマスか。みんな、何か予定とかあるのか?」

 

 急に踏み込んだ質問を振ってくる時坂君。彼らしいと言えば彼らしい。私は既に予定が入っていたので、先んじて時坂君に答えた。

 

「私は朝からバイトですよ。クリスマスシーズンはフランスパンやピザが飛ぶように売れるんです。予約も結構入ってますし、当日は大忙しだと思います」

「なら俺と同じだ。今年はケーキ売り切れっかな。去年は何個か残っちまったから、今年はリベンジしねえと」

「あ、それ分かります。何かこう、負けた気分になるんですよね」

「だよなぁ。声が枯れるまで売り込んでやるぜ」

「……ねえリオンさん。この二人の過ごし方は、日本の高校生として普通なのかしら」

「まあ、少数派ではあると思うわ……」

 

 少々呆れ気味のリオンさんは、意外にもアイドル業の予定はなし。プライベートは可能な限り尊重してくれる方針らしく、今のところフリーだそうだ。

 

「そう言うアスカはどうなんだよ」

「私は、別に。異界絡みの案件がなければ、特に予定はないけど」

「ふうん。ならバイト終わった後にでも、俺の家に来ないか?」

「え……え?」

「ああいや。みんなで集まらねえかって話だよ」

 

 変な誤解を生み掛けた時坂君の提案は、トントン拍子で話が進んだ。アルバイト終わりである以上、遅い時間にはなってしまうけれど、X.R.Cの面々に声を掛ける。予定が合えば、以前にもそうしたように、時坂家でのクリスマス会。アルバイト先からケーキやピザを持ち寄れば、料理も充分に確保できる。伊吹君やシオリさんも誘って楽しもうという話で纏まった。

 

(クリスマス会……!)

 

 家族以外の誰かと聖夜を過ごすなんて、何時以来だろう。家業の影響もあり、クリスマスは忙しいという習慣染みた感覚しかなかった。まだ十日も先のことなのに、胸が弾んだ。

 今回に限った話じゃない。友人との初めてのお泊り会に、日帰り旅行。他者との関わりが苦痛でしかなかった以前の自分が、別人のように思えた。胸の辺りが温かくて、寒さを忘れた。

 

「えー、コホン。申し訳ありませんが、皆様。その話はまた後日にでも」

 

 すると後方から、良く響く声が聞こえてくる。振り返ると、雪村キョウカさんが穏やかな眼差しで、私達を見詰めていた。水を差したくはないけれど、今は目の前に注意を向けて欲しい、そう言いたげな表情が、緊張感を思い出させてくれた。

 サイフォンを取り出し、時刻を確認する。約束の時間から約五分間が経過していた。どういった形で現れるのか、想像が付かないけれど、何時姿を見せてもおかしくはない。

 

「ん……お、おい」

 

 不意に、空気が変わった。重力が増したかのような息苦しさと、決定的な違和。異界化に似た変化が突如として到来し―――私達の前方、地面から五メートルばかり上の空間に、門が浮かんだ。

 見覚えがあった。異界に繋がる門とは違う、神々しく超絶とした紋様。適格者としての感覚が警告音を鳴らして、キョウカさんが無線機に呼び掛ける。

 

「総員、戦闘準備!」

『アルファ、了解』

『ブラボー了解』

『チャーリー、いつでも』

『デルタ、了解』

 

 エコー、フォクストロット、ゴルフ、ホテル、インディア、ジュリエット。事前に渡されていたイヤホン型の無線機を介して、所定の位置に待機していた対異界部隊の各班から応答が並んだ。

 その数―――五十名超。キョウカさんが先頭に立って率いる実動員が、後ろに付いてくれている。組織の垣根を越えた総力戦。私だって、その一員だ。

 

「疾れ、ライジングクロス」

 

 ソウルデヴァイスを顕現させて、グリップを握る。リオンさんは飛翔力を利用して上空へ。アスカさんもエクセリオンハーツを手に、私達のやや前方。その後ろに時坂君。

 

「ユウキ。力を貸してくれ」

 

 副教官が時坂君に託したという、ハンプティダンプティ。他者の魂を刃に変えるソウルデヴァイスの持ち主は、以前にも存在していたそうだ。しかし副教官はその誰よりも上をいく使い手で、一度に複数のソウルデヴァイスを操ることが可能。副教官は、その数を『スロット数』と呼んでいた。

 そして時坂君のスロット数は、副教官を超える『四』。それがどれ程の才なのかは知る由がないけれど、この場に立つことが叶わなかった仲間達の想いを、時坂君は一手に背負っていた。

 

「ブート、カルバリーメイス!」

 

 時坂君が選び取ったのは、ユウ君のソウルデヴァイス。遠距離からの先手には打って付け、当然の選択だった。

 

「……ふう」

 

 準備は万全。上着のコートを脱いで、一度深呼吸をしてから、目の前を見据える。

 徐々に門が開いていく。その中に吸い込まれてしまいそうな感覚がして、やがて門から現れたのは―――

 

「ふぎゃっ!?」

「「……」」

 

 ―――シオリさん。盛大に地面へ尻餅を付いたシオリさんは、小さな悲鳴を上げた後、涙目でお尻を擦っていた。

 予想外にも程がある。というか、スカートが捲れて思いっ切り下着が見えてしまっている。無線機から生唾を飲み込むような音や妙な吐息が聞こえるのは気のせいだろうか。

 

「ば、バカ。早く立て、つーか隠せっ」

「いったぁーい……コウちゃん、血出てない?」

「だから隠せっての!!」

 

 何を言えばいいか分からず立ち尽くしていると、時坂君がシオリさんの下に駆け寄り、腕を取って強引に立たせていた。無線機から残念そうな溜め息が聞こえたのは、やっぱり気のせいだ。

 気を取り直して時坂君に続き、シオリさんの様子を窺う。無防備で落下してしまった痛みは分かるけれど、今はそれどころじゃない。

 

「おいシオリ、どうなってんだよ。ジェーンはどうしたんだ?」

「ちょっと待って。今確認するから」

「確認って、どうやって―――」

「もう、静かにしてよ。声が聞き辛くなっちゃう」

 

 シオリさんに従い、口を閉じる。再び静寂が訪れ、空気が張り詰めていく。

 特別変わった様子は見られない。単に目を瞑って立っているだけだ。けれど、きっとシオリさんは今、私達の想像の範疇を遥かに超えた次元にいるのだろう。

 静かに見守っていると、やがてシオリさんは、静かに告げた。

 

「掴まえたって言ってる。今から、落とすって」

「落とす?」

「うん。さっきみたいに」

 

 弾かれたように、アスカさんが動いた。急いでシオリさんをその場から連れ出し、隊員の一人にシオリさんを任せる旨を伝えて、踵を返す。その視線を追うと、既に一度閉じていた門が、開き掛けていた。

 今度こそ、本当に来る。覚悟を決めて身構えていると、アスカさんは前を向いたまま、凛とした声で言った。

 

「私は躊躇わない。だから、みんなも迷わないで」

「アスカさん……」

「出生や過去は関係ない。『あれ』は殺戮の限りを尽くした怪異。だから、迷わない」

 

 それはまるで、自分自身に言い聞かせているようで。恐らく本人は気付いていないけれど、声が僅かに震えていた。

 みんな同じだ。私だって、雑念がゼロとは到底言えない。それでも私は、私達は戦わなければならない。心を一つにして、明日を掴み取るために。

 やがて決戦の時。音もなく門から降り立った敵に向けて、私達は容赦なく力を揮った。

 

「総員、撃てえ!!」

 

___________________

 

 

 ジェーンにとっては、青天の霹靂と言うべき事態だった。

 例えるなら、上空から巨大な腕が現れたかと思えば、その手で首根っこを掴まれて、強制的に何処へと落とされる。先の戦闘で刻まれた傷が塞がっていないにも関わらず、視界が暗転した直後に、複数の殺気を向けられていた。

 

「総員、撃てえ!!」

 

 誘導によって統一された、五十を超える小銃型のソウルデヴァイスから放たれる銃撃。加えてX.R.Cによる遠距離からの霊子弾。突如として耐え難い苦痛に苛まれ、ジェーンは咆哮を上げた。

 

「―――!?」

 

 一気に砂煙が舞い上がり、視界が遮られる。しかし銃声は絶え間なく鳴り響き、廃工場の敷地内に、けたたましい戦闘音が広がっていく。

 

「効いてるっ……みんな、手を休めないで!」

 

 最もジェーンに近いポジションに位置していたアスカは、確かな手応えを感じていた。教官のドミネーターに勝るとも劣らない一斉攻撃が、確実にジェーンを叩いている。反撃の隙を与えてはならない。一切の躊躇を捨てて、押し切れ。

 あまりにも一方的な攻勢が続く中、いち早く『異変』に気付いたのは、キョウカだった。

 

(何だ……これは?)

 

 次いでアスカ、そして上空から全体を見渡すことが可能なリオンは、奇妙な感覚に捉われ始めていた。

 ジェーンに動きは見られない。しかし一時を境に、何かが変わった。鳴らし続けていた鐘の音が、突然鈍いそれに置き換わったかのような変化。違和感は撃つ度に増していき、やがて最悪の可能性に辿り着く。

 霊力吸収。ジェーンが有する、異能の力。

 

「ま、まさかっ……みんな、駄目!」

「総員退避!!」

 

 その身に蓄えた膨大な量を、ジェーンは一瞬にして解放した。四方八方に拡散された霊力が、暴れ狂う嵐の如く、ジェーンを中心に牙を向いた。

 アスカとキョウカの警告に反応できた者は僅かだった。誰もが掴み掛けていた勝利に目が眩み、唐突に跳ね返された霊力の渦を前に為す術もなく、無防備を晒してしまっていた。たちまちの内に隊員らの悲鳴が上がり、元々草臥れていた廃工場が、支えを失い崩壊していく。

 

「は、ハーミットシェル!」

 

 間一髪のところで障壁を展開したのはコウ。瞬時の判断でカルバリーメイスを手放し、ミツキのミスティックノードを顕現させるのと同時に、堅牢な結界を張っていた。コウの傍にいたアスカとアキもハーミットシェルの内部に収まり、反撃の手から逃れることができていた。

 

「被害状況を報告しろ。各班、応答を!聞こえているか!?」

 

 キョウカの呼び掛けに応じることができた者も、極々僅か。無線機からは悲痛な応答ばかりが届き、キョウカは表情を歪めた。壊滅的な被害を受けた部隊の足並みは乱れ、阿鼻叫喚の渦中に立たされていた。

 

「ぶ、無事かアスカ、アキ」

「ええ、私は何とか」

「わ、私も大丈夫、だと思います。……リオンさん、は?」

「っ……り、リオン!?」

 

 そしてX.R.Cも。上空を舞っていたリオンにまで結界は及ばず、霊子弾の反射を真面に受けたリオンは、三人の後方で力なく横たわっていた。慌てて駆け寄ったコウがリオンの肩を揺らすと、痛みに苦悶の表情を浮かべたリオンは、微かな反応を見せるだけだった。

 

(―――落ち着け)

 

 我を見失い掛ける者が続出する中、アスカは懸命に思考を働かせていた。ここで取り乱してしまったら、更なる被害に繋がる。爪を立てて両拳を握り、下唇を噛みながら、アスカはジェーンの気配を追った。

 アスカがジェーンを視認したのと、ジェーンが跳躍をして飛び退いたのは、ほぼ同時。アスカと同様に努めて冷静さを保ち、状況を分析できていたのは、キョウカだった。

 

「柊さん、ジェーンを追跡して下さい」

「で、ですが」

「ジェーンの深手は明らかです、この機を逃してはなりません。それに追い詰められた彼女が、民間人に手を出さないとも限らない。上空で待機していたヘリがサポートします。お願い、行って!」

 

 リオンの額から流れ出る血が、アスカの胸を締め付ける。激しい葛藤。仲間を想う心と、赤々と燃え盛る正義の意志。しかし一刻の猶予もなく、迷いは全てを台無しにする。

 アスカは一層に力を込めて拳を握り、ジェーンが向かった方角を睨み付けた。

 

「第一拘束術式完全開放、第二拘束術式、狭域解放」

 

 アスカを縛る枷は、彼女の身を守るための制約でもある。母親譲りの適格者としての才と共に、アスカの身に宿る莫大な霊力。他の適格者と比較して、絶対量の桁が違うのだ。

 しかしそれは、自身を蝕みかねない諸刃の剣。溢れ出る霊力の制御が利かず、己を焦がしてしまうことに繋がる。だからこその三重の縛り、その半分近くを捨てた今、アスカの横に立てる人間は限られる。

 

「アキさん。私と貴女の二人でジェーンを追うわよ」

「わ、私と、ですか?」

「ダークデルフィニウムとの戦闘を思い出して。今の私に付いて来れるのは、脚力に秀でた貴女しかいない。それにこれ以上離されたら、ソウルデヴァイスを顕現できなくなってしまうわ」

 

 だから、お願い。アスカが差し伸べた手に、アキが恐る恐る応える。

 私にしかできないことがある。できることがあり、為すべきがある。アキは己を奮い立たせ、固有のスキル、ギアドライブのアクセルを全開にした。

 

「さあ、行くわよ!」

「は、はい!!」

 

 二人の少女が、杜宮の空を舞った。時刻は午前八時を回り、何事もなく登校や出社をする杜宮市民が暮らす上空で、前代未聞の追跡劇が、人知れず始まっていた。

 

___________________

 

 

「うぅ……」

「リオン?」

 

 アスカとアキが工場跡地から飛び立った頃、リオンは朦朧とする意識の中、段々と増していく身体の痛みで、自らが置かれた状況を把握し始めていた。

 

「リオン、大丈夫か?」

「うん……大丈夫、とは言えないかな。すごく、痛い」

「なら喋るな。そのままジッとしてろ。すぐに治癒薬が効いてくれるはずだ」

「ま、待って。アスカと、アッキーは?」

 

 コウは無線機から聞こえてくる声に耳を傾けながら、アスカとアキがジェーンを追っている旨を伝えた。部隊の上空班もヘリで追跡を続けており、異常な速度で駆けるアスカらと連携を取りながら、杜宮市内を西の方角に進んでいた。

 

「そっか。なら、コウ君も行って」

「俺が?馬鹿言え、あの二人に追い付けるかよ」

「じゃあ、私の翼、使ってよ」

「は?」

 

 リオンは自身の胸の辺りを指差しながら、声を振り絞って告げた。それが意味するところを、コウはすぐに察した。

 

「お願い。行ってあげて。きっとコウ君が、必要だから」

「リオン……」

 

 コウはリオンの痛々しい様を見詰めた。

 単に力を借りるというだけの話ではない。誰かの魂に触れれば、それに付随して様々な物が流れ込んでくる。共通するのは、自分への信頼と、アスカへの想い。彼女を支えて欲しいという願い。

 背負わずにはいられなかった。かつて自分が、そうやって救われたように。今度は、俺の番だ。コウは胸中で独りごちながら、リオンの胸に手を重ねた。

 

___________________

 

 

 脚力だけなら、誰よりも。ちっぽけな誇りでもあった。接近戦はソラちゃんや高槻先輩の専売特許だし、中遠距離での戦闘が比較的得意というだけで、皆の方が一枚も二枚も上手だ。

 だというのに、追い付けない。少しずつだけど、距離が開いていく。速さはともかく、足場の使い方が違い過ぎるのだ。こちらは通行人や自動車に気を配りながら慎重に着地点を選んでいるのに、アスカさんはあらゆる場を迷わずに駆けていく。

 そもそもの話、ここは異界ではなく現実世界だ。これだけ人目に付きながら全速力でジェーンを追うこと自体に、気が引ける自分がいた。恐らく後々になって隠蔽工作が入るだろうとは思うけれど、そんな些細なことに気を取られてしまう。

 

『アキさん、左から回り込んで。このままじゃ追い付けない』

「り、了解です!」

 

 アスカさんの指示に従い、舵を切る。どうにか視界にジェーンの姿を捉えてはいた。今は速度を上げることに集中して、それ以外は全て後回しでいい。

 民家の屋根を利用して、勢いを付けて飛翔する。アスカさんは私の右前方、ジェーンは正面。少しだけ背中が大きく映った。この調子で距離を縮めていけば、二方向から追い付けるはずだ。

 

「……え?」

 

 すると突然、ジェーンの背中が反転をした。跳躍と同時に振り向いたジェーンは、右腕を大きく振るって、何かを放り投げるような動作を取った。それが霊子弾による迎撃だと気付いたのは、空中で身動きが取れなくなった後のことだった。

 

(う、撃たないと)

 

 ジャンプショットの要領でライジングクロスを構え、無我夢中でこちらも霊子弾を放つ。寸でのところで相殺は成功したものの、反撃の手が遅過ぎた。霊子弾同士が目の前で衝突し合い、その衝撃が全身を襲って、私は空中で一気に失速した。

 

『あ、アキさん!?』

 

 加えて、炸裂の光で視界を失った。両目に眩しさを超えた痛みが走り、瞼を開けることすらままならず、上下左右の感覚が分からなくなる。重力に逆らえず、垂直の方向に落下を始めたことだけは、全身が受ける空気の抵抗で理解できていた。

 

(落ちる―――)

 

 背筋が凍り、文字通り高所から突き落とされた絶望感が、途方もない頭痛を引き起こす。

 諦めたくない。なのに、身体が強張って動かない。お願いだから、動いて。

 

「遠藤さん!」

 

 不意に耳に入った声。同時に、ふわりとした浮遊感がやってくる。全身が感じていた風が止んで、背中に体温を感じた。アスカさんじゃない。誰かが私を受け止めて、抱き上げてくれていた。

 未だに目の痛みが治まらず、周囲は夜のまま。でも私は、この声を知っている。あまりに知り過ぎている。

 

「久し振り。遅くなってゴメンよ」

「小日向君……どう、して?」

「某アンティークショップの女主人に誘われてね。昨晩の内に飛んで来たんだ」

「……あはは」

 

 あの人か。水面下で何かを企んでいるとは思っていたけれど、これは予想外だ。

 彼が来てくれるだなんて。数ヶ月振りに顔を見たいのに、目を開けられない。もどかしい限りだ。

 

「でも良かったよ。今回は、『間に合ってくれて』」

「あ……」

「……ゴメン。思い出させちゃったかな」

 

 あの日。もしもシオリさんが、嘘で塗り変えてくれていなかったら。お兄ちゃんの魂が、私の中に宿っていなかったら。彼はきっと生涯、私という罪を背負い続けていた。それは傲りでも自惚れでもなく、否定できない現実。

 でも私は、生きている。こうして生きている。小日向君の体温を感じることができる。目は視えずとも、感情が伝わってくる。

 

「伊吹君から聞きました。小日向君、彼女さんができたそうですね」

「うん。同業者なんだ。本当はご法度だから、周囲には隠してるんだけどね」

「そうでしたか。よかったですね。私も嬉しいです」

「遠藤さんは、どう?」

「相変わらずです。でも、そうですね。気になる人は、います」

「……そっか」

 

 とても言葉では形容できない淡い感情で、胸が一杯になる。

 これは多分、思い出だ。思い出があるから、ヒトは強くなれる。けれど、縛られてはいけない。思い出を糧に、今を大切に生きて、明日に向かって歩いていく。かつて見舞われた不幸が教えてくれた、教訓だ。

 小日向君の腕に身を委ねていると、遠方から接近してくる気配を感じた。この力は風属性の霊力。リオンさんのソウルデヴァイスだ。しかし耳に届いたのは、時坂君の声だった。

 

「アキ、無事だったか。って、ジュン!?はあ!?なな、何でお前がここに!?」

「詳しいことは後で説明するよ。それにコウ、今はそれどころじゃないだろう」

「あ、ああ。そうだったな」

「待って下さい、時坂君」

 

 私は声を頼りにして時坂君の腕を掴み、呼び止めた。

 リオンさんは、きっと選んだのだろう。なら私もこの想いと一緒に、時坂君に託そう。アスカさんの隣には、彼がいるべきだ。

 

「私の力も使って下さい。私の脚とリオンさんの翼があれば、きっと追い付けます」

 

 だから、頑張って。十日後のクリスマス会、楽しみにしてるから。

 

___________________

 

 

 イヤホン型の無線機を介して、状況は把握していた。しっかりとジェーンは視界に捉えているし、反撃を受けたアキさんも心配ない。それに後方から、彼が来てくれている。クロスドライブを介さずとも、前に進む勇気を与えてくれる。

 しかしジェーンの速度は落ちることなく、進行方向を変えながらこちらの追跡を巧みに振り切っている。単独では捕えようがない。しかもこのままでは人気の多い住宅街に入ってしまう。万が一戦闘が始めれば、犠牲者を生み出しかねない。

 もう一手、何か打てれば。歯軋りをしていると、希望の光は突然降り注いだ。

 

『柊、聞こえているか』

「え……こ、この声は」

『遅くなってすまない。突然のことで、段取りを組むのに手間取ってな』

 

 忘れるはずがない。かつて教鞭を執り、そして戦線を共にした、仲間の一人。頼もしい声が、道を指し示してくれていた。

 

『そのまま北西に誘導しろ。杜宮基地内に、三機のヴァリアントギアを待機させてある。数は少ないが、人員を割いて包囲網は構築済みだ。奴を追い込むには充分だろう』

 

 杜宮基地。どうして見過ごしていたのだろう。あそこならたとえ戦闘が始まっても、被害は最小限で済む。それに今の話が本当なら、上手く事が運べばジェーンは袋の鼠。退路を断つことができる。

 

「ありがとうございます。もしかして、ユキノさんが?」

『ああ、彼女に頼まれて……いや、脅されたというべきか』

 

 あの人にも感謝をしなくてはならない。何だかんだ言って、最後にはしっかりと力になってくれた。この地で紡いできた絆の力を、思い出させてくれた。後は―――私自身の、問題だ。

 

「コウ、聞こえた?」

『ああ、全部な。俺が南側から回り込むから、アスカはそのまま奴を追ってくれ!』

 

 終焉が近付いているのを感じた。

 二十年前に始まった因果。母が犯した過ちと、彼女が見舞われた悲劇も。全てをこの手で、終わらせて見せる。

 

___________________

 

 

 ジェーンは戸惑いを覚えていた。工場跡地へ落されたのと同様に、知らぬ間に複数の銃口を向けられていた。眼前には三つの巨体が仁王立ちをしていて、身動きが取れない。どう切り抜ければよいか決め倦ねていると、後方からは『あれ』が。忌むべき存在が刃を手に、睨みを利かせていた。

 

「第二拘束術式、完全開放」

「出番だぜ。ソラ、シオ先輩」

 

 アスカが二つ目の枷を外して、コウが二つのソウルデヴァイスを二重に顕現させる。迸る断罪の意志と、託された絆の力。クロスドライブの共鳴が互いを呼応させて、青と赤の眩い光が放たれる。

 アスカは無表情の裏で集中力を極限まで引き上げ、巨大な力を制御し切っていた。

 先手は私。多くの犠牲を払いながら、私達を導いてくれた者達のためにも。絶対にここで終わらせる。

 

「―――え?」

 

 右手突きの構えから地を駆ろうとした、その時。アスカの脚が止まり、身体が硬直した。後方で追撃の隙を窺っていたコウは、アスカの異変をすぐに察し、構えを解かずに小声で呼び掛ける。

 

「アスカ?」

「……もう、無理よ」

「お、おいアスカ?」

 

 アスカが剣の切っ先を下げると、彼女の身体から流れ出ていた霊力の波動が消えた。二つの枷は再びアスカを縛り、周囲を圧倒していた存在感が薄れていく。次第にジェーンを包囲していた国防軍の隊員らにも動揺が広がっていき、コウは語気を強めて言った。

 

「な、何やってんだよ。お前ここまで来て、どうして」

「違うの、そうじゃない。ジェーンは……もう」

 

 コウは戸惑いながらもアスカの隣に立ち、前方に目を凝らした。思わず息が止まり、絶句した。

 

「……何、だよ。あれ」

 

 腐敗。コウの脳裏には、二文字の表現が真っ先に浮かんだ。

 全身の肌が爛れ、頭部から垂れていた長髪が抜け落ちていく。左腕は既に原型を留めておらず、肘から先が骨と共に地面へ落ちて、ぐちゃりと不快な音が鳴った。腐臭が辺りに漂い始め、あまりに悍ましい光景に、吐き気が込み上げる。

 

「限界だったのよ。グリードは、この世界に存在できない。グリーディアも同じで……彼女はもう、人間じゃない」

 

 当たり前の帰結だった。出生はどうあれ、ジェーンは限りなく怪異と化した存在。S級グリムグリードでさえ、現実世界には瞬間的な干渉しか許されない。異界に呑まれた人間が瘴気に当てられ、異界病を発症するのと同様に、グリードは存在その物を否定されてしまう。

 当のジェーンが現実世界に降り立って以降、既に百時間以上が経過していた。その上、ドミネーターによる侵蝕と、先の戦闘における一斉射撃。致命的な損傷と、崩壊の始まり。他者の霊力を吸い集めることで繋ぎ止めていた生命力は、とうの昔に枯渇していたのだ。

 

「どうして……どうして、私は」

 

 皮肉にもアスカの言葉は、ジェーンの物でもあった。

 あの日。唯一の最愛を奪われた。憎悪と衝動に駆られ、異界の中で力を蓄え、力を欲した。やがて力を有する者を次々と葬り、ひいらぎと呼ばれていた人間の匂いを追って、海を渡った。

 しかしその記憶さえもが曖昧で、自分が何故苦しんでいるのか。

 分からない。私には、分からない。

 私は、寂しかっただけなのに。

 どうして、私は。

 

「オ、ガァ、ザン」

 

 横穴が空いた喉から捻り出された呼び声。アスカは胸の奥を直接鷲掴みにされるような感覚に陥り、エクセリオンハーツの柄を握り締めた。強く強く握って、必死になって耐えながら、崩れていくジェーンに再度、剣の切っ先を向けた。

 

「アスカ……」

 

 アスカの横顔を見詰めていたコウが、ハンプティダンプティの力を手放す。代わりに己の魂の輝きを顕現させると共に、硬く握られていたアスカの左拳を強引に解いて、指を絡めた。

 クロスドライブでは決して届かない、直の体温。コウはアスカに寄り添いながら、告げた。

 

「泣きてえなら泣けばいい。好きにしろよ。俺も我慢はしねえさ」

「っ……私、は」

「アスカのお袋が間違っていたとも思えねえ。ヒトとしての感情があったからだ。お前の涙も、俺の涙だって……ジェーンも、同じだ。同じなんだ」

 

 視界が歪む。アスカは総合病院の屋上で抱いた心境を、頭の中で反芻していた。

 与えられて然るべき愛情を、奪われて。ただただ理不尽な世界に、翻弄されて。

 私は。彼女は。

 私は、彼女であったかもしれない。

 彼女は、私であったかもしれない。

 

「「閃け、エクセリオンギア」」

 

 だからこの瞬間だけは、互いに人間として。

 この手で救える物が、何一つなかったとしても。

 私は彼と結んだ閃光の中に、希望を見い出すしかない。

 

 

 せめて苦しまずに。そしてどうか、安らかに。

 私は生きていく。貴女の分まで―――生きていくから。

 

 

 

 

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