東亰ザナドゥ ―秋晴れの空へ向かって―   作:ゆーゆ

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3月21日 天才のひらめき

 

 翌朝。春が目前とはいえ外気は硝子のように冷たく、朝方は上着が手離せない。しかし普段よりも風が暖かく感じられ、自分が関東ではなく玖州にいる事実を思い出させてくれる。

 

(そろそろ、か)

 

 現時刻は午前九時前。隈本城の開園時間は八時半だから、いつでも入園が可能だ。

 バス停の時刻表をぼんやりと見詰めていると、昨日同様、朗らかな声が郁島の到着を知らせてくれた。

 

「おはよ、ユウキ君!」

「ふわぁ……」

「あ、欠伸で返さないでよ。随分と眠そうだね」

「頼んでもいない姉さんのモーニングコールのせいだよ。二度寝し損ねた」

 

 夜更かしはしていない。寧ろ昨日は朝が早かった上に、歩き疲れが重なったことで、昨晩の午後二十二時前にはベッドに入っていた。充分に睡眠は取れたはずなのに、心地の悪い寝起きのせいで頭がぼんやりとしている。どうもしゃっきりしない。

 ともあれ、次のバスは既に視界へ入っている。時間にして数分間の道のりだから、九時半前には城内を歩き始めている頃だろう。

 

「あのさ。今日は現地集合でもよかったんじゃないの?」

「そうなんだけど、ユウキ君が寝坊しないか心配だったからさ」

「お前もかよ……まあいいや」

 

 信用のなさに頭を痛めながらバスへ乗り、後方の座席に腰を下ろす。郁島が隣の席に座ったので、やや窓側寄りへ深めに。妙に落ち着かないのは単に狭いからに違いない。ただそれだけだ。

 

「ちゃんと聞いてなかったけど、今日も日中は暇な訳?」

「暇って言わないでよね……予定は何も入れてないから、夜まで一緒にいられるよ」

「ふうん。ちなみにさ、実家には何て言って来てんの?」

「そのまま言ってあるよ。友達が来てるから、案内をしてあげるって」

「……反応は?」

「別に普通だったけど……あ。でもお父さんは色々聞いてきたっけ。ユウキ君のこと」

「もういい。予想通り過ぎるからもういい」

 

 もしかしなくとも、要らぬ誤解を招いているのではなかろうか。容易に想像が付いてしまうのだから、事前に郁島へ言い含めておくべきだったのかもしれない。やはり頭が痛い。

 他愛もない会話を続けていると、バスはすぐに昨日と同じバス停に到着した。郁島と徒歩で隈本城入口に向かい、少しばかりの入園料を払って城内へ。入って間もなく、その賑やかさに引っ掛かりを覚えた。

 

「あれ。今日って月曜日だよな」

「曜日がどうかしたの?」

「平日の頭にしては、やけに人多くない?朝一だってのに、昨日よりも増えてるように見えるんだけど」

「冬休みだからじゃないかな?『あなたの名は』のファンって、高校生と大学生がほとんどみたいだよ」

「……相変わらず巡礼者ばっかってことね」

 

 こんな朝早くからご苦労なことで。聖地巡礼の醍醐味は理解できなくもないけど、全国各地から足を運んでいるのだろうか。この混み具合と小説の知名度から考えれば、遥か北方からの訪問客がいても不思議じゃない。途方もない影響力だ。

 若干呆れながら、真っ直ぐに闇り通路を目指す。訪問客と城内の様子から察するに、フェイズ1以上への侵蝕という最悪の可能性は免れているようだ。

 ほっと胸を撫で下ろしていると―――

 

「「え?」」

 

 ―――通路の手前で、自然と足が止まった。

 

「……き、記憶違い、じゃないよね?」

「当たり前でしょ。昨日の今日なんだから」

 

 目元を擦り、再度目の前を凝視する。フェイズ0の揺らぎ。昨日も目にした、現実と異界を繋げる僅かな兆し。

 その存在自体は別として、何故ここにある。僕らが発見した揺らぎは、闇り通路の『中央』にあったはずだ。それがどうして、通路『入口』に浮かんでいる。

 

「とにかく、昨日の場所に行こう」

 

 胸のざわつきを抑えながら、急ぎ足で闇り通路の中を進む。

 案の定、昨日と同じ光景があった。通路のど真ん中、僕らの目線と同程度の位置に、揺らぎが浮かんでいた。 

 

「間違いない。入口の揺らぎは、僕らが城を出た後に発生した物だ」

「そ、そんなっ……そんなこと、あり得るの?」

「分かんないよ。この現象の詳細だって知らないし……それに、こっちもおかしい」

「おかしい?」

「大きさだよ」

 

 サイフォンを取り出し、昨日も使用したアプリを起動させる。気紛れでサイズを測っておいて正解だった。よくよく見なくたって、目測で異常が分かってしまう。

 

「それって、定規?」

「そういうアプリがあるんだよ。結構便利だし、郁島も入れとけば」

 

 画像を撮影するような仕草で、画面上に表示された定規を揺らぎの中央に当てる。

 昨日の計測では、中央の黒色の楕円のサイズは、短径が二センチ、長径が三センチ程度。それが今朝になって、径は約一センチずつ拡大していた。

 

「やっぱりか。昨日よりも大きくなってる」

「……つまり?」

「だから聞くなっての。僕だって混乱してるんだからさ」

 

 現時点では、判断のしようがない。揺らぎの自然発生という現象について簡単な説明を受けただけだ。昨晩は悪天候に例えられたけど、あれはあくまで比喩。緊急性や危険度を推し量る材料にはならない。

 

「えーと。南門から入ったから、この辺りだよね?」

 

 冷静に思考を巡らせていると、郁島が城内のマップとボールペンを取り出す。ペンで丸印を付けたのは、闇り通路付近の二箇所。郁島の意図は、すぐに僕へ伝わった。

 

「えっ。ま、まさか」

「そのまさか。隈本城の内部を、隅々まで調べてみよう。もしかしたら、他の場所にも揺らぎが発生してるかもしれないしね」

「僕と二人でか?」

 

 聞くまでもないと理解していて、自然と漏らしていた。

 想像するだけで気が滅入る。どうやら今日も、筋肉痛に苛まれ気味の両足に、鞭を打つ必要があるようだ。

 

「訪問客に開放されてる、目と足が届く範囲……やれやれ、午前中一杯は掛かるな。無駄を省くためにも、ルートは今決めておこう」

「うん、そうだね……あ、私が決めるの?」

「当然。郁島の方が詳しいんだから」

 

 まるで理解に及ばない状況の中で、やるべきことはある。

 判断のしようがないのなら、その材料を手早く集める。見解は専門家に任せるしかないけど、事態が悪化の方向に向かっている気がしてならない。楽観視は捨てて、早めに動いた方がいい。

 

「念のために簡単な聞き込みもしておくとして、取り急ぎの報告も入れておいた方が賢明だ。複数の見解が欲しいから、二手で何人かに状況を説明して……え、何?」

 

 手短に今後の方針を述べていると、郁島が隣で意外そうな表情を浮かべていた。

 

「ううん、大したことじゃないんだけどさ。ユウキ君にしては謙虚っていうか、慎重だなって思って」

「あ、あのさぁ。もう一度言うけど、僕と郁島しかいないんだからな」

 

 頼るべき先輩らは、この隈本にいない。駆け付けてくれる可能性なんて皆無だ。得体の知れない何かが起きつつある中、幸か不幸か、僕と郁島だけが偶然居合わせたに過ぎない。

 だから僕は、冷静でいるべきだ。考えて考えて、考えてから行動するぐらいが望ましい。その役目は郁島ではなく、僕の物だ。

 

「以前にも二人で異界に踏み入ったことがあったけど、そう毎回上手くいくとは限らないってことさ。今回ばかりは行動よりも考えるを優先するよ。柊先輩から後々怒られるのも御免だしね」

「了解っ。頼りにしてるよ、ユウキ君」

「はいはい」

 

 覚悟を決めて、僕は先導する郁島の背中を追った。僕らを嘲笑うかのように、フェイズ0の繋がりはゆらゆらと揺れ動いていた。

 

___________________

 

 

 午後十三時過ぎ。

 可能な範囲で隈本城内を調べて回った僕らは、異界関係者に状況説明の連絡を入れた後、城のふもとに設けられた食事処で軽食を取りながら、テーブル上に広げた城内マップを眺めていた。

 

「昨日のを含めて、全部で五つかぁ……これって、多いのかな?」

 

 蕎麦を啜りつつ、首を傾げて無言で「聞くな」と応える。

 発見できた揺らぎ合計で五箇所。訪問客に開放されていない区画がある以上、最低でも五箇所だ。地図上の面積から単純計算すれば、二・三箇所の見落としがあっても不思議じゃない。

 

「どっちにしたって、僕らにできることはもうないさ。あとは……っと、きたきた」

 

 テーブルに置いていたサイフォンが鳴り、着信元を確認する。

 北都ミツキ先輩の専属秘書。最短でも昼食後だと思っていたのに、流石に手が早い。胸中で感心しながら通話を繋げると、向かい側に座っていた郁島が、隣の席へと移動した。

 

「もしもし」

『雪村です。お二人は今どちらに?』

「まだ城の中にいるよ。何か進展はあった?」

『はい。今後の方針が決まりましたので、ご連絡を入れた次第です』

「ご協力どうも。それで、先に見解を聞かせて欲しいんだけど」

『詳細は省きますが、お二人が仰るように、異常な現象のようです。隈本城のような限られた範囲で、フェイズ0の自然発生が連鎖をするといったケースは、前例がありません』

「だろうね。じゃあ、これから調査が入るってこと?」

『はい。既に指示は下りています』

 

 隈本城内の異変について伝えたのが、今から約一時間前。そんな短時間で上層部へ掛け合い、調査の段取りを組んだのだから、その手際の良さには感嘆してしまう。

 総合的な組織力で言えば、ゾディアックはネメシスに勝る。こういった場面で、全国各地に実動員がいる大規模な組織は強い。協力を仰いだ相手を間違ってはいなかったようだ。

 

『明後日以降、現地の人間が調査に当たります。結果はお二人にも後日―――』

「ちょ、ちょっと待ってよ。今、明後日って言った?」

 

 淡々とした説明が続く最中、思わず耳を疑った。聞き返さずにはいられなかった。

 明後日。二日後。どう考えたって、遅いにも程がある。

 

「一日も経たないうちに五回も起きてるんだよ。異常だって言ったのはそっちでしょ。すぐにでも調査を始めるのが当然の対応じゃないの?」

『状況は理解しています。ですがあくまで、フェイズ0の揺らぎが自然発生したに過ぎません。それ自体は無害な物です』

「言ってることが目茶苦茶だっ……それ、本気で言ってる?」

 

 苛立ちを露わに追求すると、後ろめたさのような感情がサイフォン越しに伝わってくる。

 本意ではないのだろう。僕らが知る雪村キョウカという女性は、もっと知的で用心深い人間だ。彼女自身の言葉とは、僕には到底思えなかった。

 

『申し訳ありません。こういった事情は、本来口外したくないのですが……私やお嬢様の権限では、限界が。玖州地方を統括する、管理責任者の判断なのです』

「……ふうん。日本の企業らしい体質だね」

 

 肩を落とさざるを得ない。メリットばかりに気を取られて、側面に考えが及んでいなかった。

 組織の規模が大きい程、構造によってはこういった事態を招く。素早い対応は、雪村キョウカ個人の力に過ぎなかった。これでは明後日以降、という言葉すら疑わしい。わざわざ以降と付けるぐらいだ、大きな期待しない方がいい。

 

『私も個人の伝手を頼りに、できる限り動きます。先程も申しましたように、お二人もどうか慎重に行動なさって下さい』

 

 言われずとも。下手に干渉すれば、何が起きるか分かった物じゃない。

 その後も手短にやり取りをしてから通話を切り、大きな溜め息を付く。食べ掛けの蕎麦はすっかり伸びていて、箸を付ける気が起きなかった。

 

「悪い。予定が狂ったかも」

「ユウキ君が謝ることじゃないよ。きっと誰も、悪くないんだと思う」

 

 嘆いても仕方ない。方向転換を余儀なくされただけだ。また考えを改めればいい。

 ゾディアックによる調査開始まであと二・三日は掛かると仮定して、それまで放置という訳にはいかない。専門家が異常だと判断した以上、できることが残されているのなら、僕らが事に当たるべきだ。

 

「郁島。揺らぎを除いて、城内に変わった様子はなかったよな」

「それは、うん。二人であれだけ調べたんだから、見て回った場所に見落としはないはずだよ」

 

 考えろ、四宮ユウキ。考えることを諦めたら、僕は終わりだ。考えて、考えて、選択肢を見つけ出せ。

 僕と郁島にできること。

 僕にできること。僕にしかない物。

 先輩らに、皆になくて―――僕だけが持つ武器。

 

「そうだ……考えるんだよ」

「え?」

 

 自然と選択肢が浮かび上がり、足が動いた。できることは、まだある。

 

「行こう、郁島」

「え、ち、ちょっとユウキ君?」

 

 出口に向かいながらサイフォンを取り出し、目当ての人物の番号に発信する。

 面識のある異界関係者の中で、僕が欲しい情報を握っている可能性が最も高い人物。薬学全般に精通し、成分分析の分野に長け、特有の疾患や症例にも詳しい男性。あの人しかいない。

 

『はい、ミズハラです』

「X.R.Cの四宮だけど。今話せる?」

『ああ、君か。大変そうだね、何か進展はあった?』

「微妙かな。でも調べたいことがあるから、少し協力してくれない?」

『急ぎかい?』

「割とね」

『そうか。今は業務中だから、十分後に折り返すよ』

 

 無意識で口早に話していたせいか、すぐにでも協力を仰ぎたい旨は語らずとも伝わった。

 通話を切り、最寄りの出口から城外へ出て、周辺を見渡す。バス停よりも『空席』の文字が点灯したタクシーに目が留まり、僕は右手を上げた。

 

「ま、待ってよユウキ君。何処に行くの?」

「ホテルに戻る」

「戻って、どうするの?」

「『科学』だよ。郁島にも手伝って貰うからな」

 

 思い立ったが吉日。しかしあくまで冷静に、迅速に。

 僕だけが持つ、僕だけの武器。ここからは、頭脳戦だ。

 

___________________

 

 

 宿泊先のホテル一階に設置されたコンビニへ立ち寄り、必要な物資を探す。A4サイズのノート、黒と赤のボールペンにホッチキス、新聞。新聞は隈本の情報が多い地方紙を選んだ。

 

「昨日から今日に掛けて、妙な事件や現象が起きてないかを調べて欲しい。サイフォンと新聞があれば事足りるし、こういうのは郁島も慣れっこだろ」

「う、うん。でも、ユウキ君は?」

 

 答えるよりも前に、折り返しの着信音が鳴った。手早く会計を済ませて、フロントに向かいながら通話を繋げる。

 

「ジャスト十分。益々好印象だよ」

『時間は厳守する性分でね。それで、用件は?』

「簡潔に話すよ。異界に関する知識や研究成果を一種の総合科学みたいな『学問』として捉えた場合、現実世界の学問と同じって考えていいのかな」

 

 僕だって今まで何もしてこなかった訳じゃない。僕なりに考え、独自に考察を重ねていった結果として、一つの結論に辿り着いた。絶対に、あるはずだ。

 暫しの沈黙。返答は、僕が望んでいた物だった。

 

『大まかに言えば、イエスだね。異界化に纏わるあらゆる情報は表舞台に上がらない。けれどそれ以外は共通点の方が多いよ。体系化された分野があり、学会があって、学者がいる。何を隠そう、僕もその端くれさ。立派な学問と言っていい』

「学名はあるの?」

『Eclipsology』

「そんな単語あったんだ」

 

 強引に和訳すれば、侵蝕学。いや、シンプルに異界学といったところか。

 名前は別としても、存在には前々から確信に近い物を抱いていた。僕が知りたいのは、その先だ。

 

「僕が考えるに、異界化っていう現象を理解するには、多岐に渡る分野から解析するしかない。恐らく僕が想像している以上に広い世界だ」

『その通り。異界化はあらゆる事象を因子にして生じる。そういった意味では、近年発達が目覚ましい『総合科学』という君の表現は正しいよ。細分化された複数の分野からアプローチする必要がある』

「僕個人の見解じゃ、『系統地理学』が一番近い概念だと思うんだけど」

『……うん。確かに異界化の研究者は、表舞台でその辺りを生業にしている人間が多いよ』

 

 柊先輩の話によれば、異界化が初めて観測されたのは一九四〇年代。今から七十年以上も前の戦時下だ。

 それだけの年月があれば、人類の叡智は真実に限りなく近付ける。錬金術や魔術といった異様な部分はともかく、現代の科学が通じる範囲内においては、僕らは無力じゃない。

 

「僕らは今までフィールドワークに頼り過ぎていた。勿論重要なことだけど、同時に科学の恩恵に与るべきだと思うんだ」

 

 系統地理学とフィールドワークは密接に関わっている。現場に赴き、現物を見て、現実を知る。三現主義を徹底しない限り、デスクに座っているだけでは見い出せない物があって当たり前だ。

 しかしその逆も然り。アプローチの仕方を変えるだけで、見えてくる何かがあるかもしれない。

 

『……成程。大方察しは付いたよ。でも正直に言って、無謀な試みだ』

「百も承知だよ。それで、どうなのさ。現実の学問と同じなら、文献のデータベースとか、解析ツールなんかもあるんじゃないの。勿論、世界各国からアクセスできる形でね」

 

 僕が欲しい物。それは先人が築き上げてきた知恵と、研究成果にある。

 隈本城は隅々まで調べた。これ以上歩き回ったところで、有力な手掛かりは期待できそうにない。なら、あの連鎖的な異変を現象として捉え、考察する。必要な知識はその過程で得ればいい。考える頭は、ここにある。

 

『参ったな。本当はご法度なんだけど……仕方ないか。パソコンは使える?』

「ちょっと待って」

 

 話し込んでいる間に部屋へ戻り、持参していたノートパソコンの電源は入れてあった。すぐにLANケーブルを繋いでウェブブラウザを立ち上げ、通話をスピーカーモードに切り替えて両手を自由にする。

 

『最も包括的な学術論文のデータベースを教えるよ。役に立つかどうかは分からないけれど、君が欲しい物の中では一番近いと思う』

「ご協力どうも。で、どうやってアクセスするの?どうせ正規の方法じゃ無理なんでしょ?」

『ソウルデヴァイスを顕現させるアプリを起動した状態で、サイフォンとパソコンを有線で繋いでくれ。それが手っ取り早い』

「何それ。どういう仕組みな訳?」

『僕も聞いた話でね。残念だけど専門外だ』

 

 疑問は残るけど、全部後回しで構わない。それがアカウント代わりになるのだろう。

 指示に従いサイフォンとパソコンをケーブルで繋ぎ、口頭で述べられたURLに接続すると、画面上に目当てのデータベースが表示された。

 印象としては、現実世界の学問におけるデータベースと似たような物だ。検索方法や情報収集のコツもきっと同じだろう。専門用語に苦戦するかもしれないけど、些細な付き物だ。

 

「あ、あのー。ユウキ、さん?」

 

 意気込んでいると、背後から郁島の声が聞こえて、はっとした。

 申し訳ないけど、存在をすっかり忘れていた。郁島はぽかんとした表情を浮かべながら、僕のパソコンを見詰めていた。今『さん』付けで呼ばれた気がするけど、うん、気のせいだ。

 

「ああ、ごめん。そっちの机を使っていいから」

「う、うん。じゃなくて、それって……何?え、英語?」

「そうだけど。学術論文は基本英語でしょ」

「ユウキ君、読めるの?」

「郁島も学校で習ってるじゃん」

「それは絶対に教わってないと思う」

 

 どうだっていい。今は思考を目の前に集中させたい。さあ、科学の始まりだ。

 

___________________

 

 

「―――キ君。ねえ、ユウキ君ってば」

「あっ。え、何?」

 

 郁島の呼び声で、現実へと連れ帰される。情報処理の速度を限界まで引き上げていたせいか、声にすら気付いていなかったようだ。

 まだ午後十五時を回ったばかり。開始から約二時間しか経っていない。感覚で言えば、倍の四時間以上は文字と数値の羅列を読み耽っていたような気分だった。

 

「一通りは調べてみたけど、目立った事件とかは見当たらないかな」

「ん。もう少し調べてくれない?方法は任せるよ」

「そのつもりだよ。ユウキ君の方はどう?」

「こっちも同じ……いや、もっと悪い」

 

 文献のデータはダウンロードせず、プリントも厳禁という言い付けは、開始十分後には破っていた。文献を読み込むにはやはり紙ベースに限ると考え、コンビニの複合機でプリントを繰り返すこと数回。重要と思われる部分へ赤線を引いた文献がそこやかしこに散乱して、僕の宿泊部屋はさながら研究室のような様相へと変貌していた。

 

「参ったね。これは確かに、無謀かもしれない」

 

 想像を絶する世界だった。異界化を引き起こすファクターの数だけ、論点がある。

 目の前の論文も同じだ。初めはヒトの感情、社会心理学の切り口から入ったかと思いきや、唐突に気象力学の話になり、結論に至っては分子遺伝学。まるで無数の学問による考察のごった煮だ。今のまま続けても、取っ掛かりすら得られる気配がない。

 浴室のシャワーと似たような物だ。床面に降り注ぐ水滴の位置から、ノズルの位置は高い精度で導き出せる。しかしノズルから落下する水滴の位置を予測するなんて、現実的じゃない。それに近しい試みだ。

 

「身の程を弁えろ、過信は禁物だってことは、以前にも学んだはずなんだけどな。正直に言って、頭が痛いよ」

「そんなことない。ユウキ君は、すごいよ」

「慰めはいいっての」

「ううん、そうじゃなくて。最近ね、ずっとそう感じてたの」

「……郁島?」

 

 不意に、語気が変わった。

 ペンを置いて振り返ると、郁島は遠い何かを見詰めるような表情で、窓際に立っていた。突然のことに戸惑う僕を余所に、郁島は続けた。

 

「多分、ユウキ君にはバレてるよね。ここ最近は、自分でも何を考えてるのか、よく分かってないんだ」

「郁島……」

「でも、諦めちゃ駄目だよ。ユウキ君ならきっとできる。私にない物を、ユウキ君は沢山持ってるんだから」

 

 郁島が微笑みを浮かべると、僕は自然と立ち上がっていた。胸が高鳴り、同時に痛みが走る。

 分からない。その笑顔の裏で、郁島が何を想っているのか。僕には分からない。分からないということ、それ自体に―――苛立ちを通り越して、怒りを覚えた。

 

「あのさ。諦めたなんて、僕言ったっけ」

「え?」

 

 まだたったの二時間、始まったばかりだ。進展はなくとも、得られた物はある。

 

「もっと視点を狭めたい。そっちはもういいから、手伝って欲しいことがある」

 

 過去に前例を見ない異変。杜宮と一緒だ。隈本城で起きた一連の現象は、この地で起こるべくして起こった。そう当たりを付けて、情報収集の方向も変えるべきだ。

 文献は日本国内に焦点を当てた物に限定、国内特有のデータのみに注視。極端に言えば、発生地点や日時とも関連付けて考察したい。何より必要なのは、この隈本に詳しい人間だ。

 

「場所は隈本県内、時期的な物事は今月っていう条件で、思い付いたことを紙に書いてくれない?何でもいいから」

「な、何でもって言われても……本当に、何でもいいの?」

「そう言ってるだろ」

「辛子れんこん、とか?」

「いいね。名産品じゃん」

「もうすぐ桜が咲く、とか」

「ん、その調子」

「……ちょっと楽しいかも」

 

 これでいい。地元民の郁島だからこその視点と考え方が、取っ掛かりになる可能性は充分にある。

 あとは僕の問題だ。柊先輩なんかとは比較にならないけど、それなりに場数を踏んできた。過去の経験と勘所を活かすためにも、主観を少々入れ込んだ方がいいかもしれない。

 考えろ。考えて、見付けるんだ。この隈本を―――郁島の故郷を、守るためにも。

 

___________________

 

 

「……ん?」

 

 気を取り直して、再び出口のない迷路に身を投じてから、更に二時間後。

 その論文に目が行ったのは、単純に興味を惹かれたからだった。

 

「身投げに伴う、異界化の発生……ピークは、三月」

 

 自殺。全てを諦め、投げ出した末の逃避と、異界化。

 国内における自殺の件数は、月別で見ると三月でピークに達する。その大きな要因とされているのが、三月を決算期とする企業が圧倒的に多いという点。つまり状況によっては倒産、失業に追い込まれた挙句、自殺という選択に思い至った社会人が急増する傾向にあった。

 論文のデータは、自殺と異界化件数の関連性を見い出した物だった。近年の国内において、三月は異界化の件数が僅かに増加する。多くの要因があると考えられる中、その一つが自殺という負の感情の極限。統計学的な優位性はあるし、実に興味深い。

 

「ユウキ君?」

「うわっ」

 

 何度目か分からない不意打ち。気付いた頃には、郁島の顔は目と鼻の先にあった。顔が近い、近過ぎる。

 

「何だよ。驚かすなよな」

「そ、そんなつもりじゃ。物騒なことを呟いていたから、気になって」

「……まあ、確かに」

 

 知らぬ間に口に出してしまっていたようだ。こんな状況で自殺云々を呟いていたら無理もない。

 簡単に論文の内容を説明すると、郁島は憂いに沈んだ顔で言った。

 

「さ、三月が……でもこれ、今回の件に関係あるの?」

「あるとは言い難いね」

 

 三月という時期に一致はあれど、手掛かりらしい物は見当たらない。

 そもそも自殺が引き起こす異界化は、全体に占める割合で言えば極々僅か。増加率は微々たる物だ。論文のデータの大部分も一九九九年と二〇〇三年、つまり失業率の高い年度がピックアップされているし、だから何だという話だ。

 

「このグラフは何?」

「異界化とは関係ないって。追い込まれた人間が取った、行動の一覧が……の……っ!?」

 

 膨れ上がった負の感情によって、精神的に追い詰められた者が取る行動。

 這い上がろうと、救いの手を望む人間がいれば、現実から逃げ出す者もいる。僕らのような学生なら、塞ぎ込んで不登校に。或いは現実から逃げ出して―――『家出』を。

 

「家出……家出?」

「え?」

 

 家出。論文の片隅に記載されていたグラフ中にあった単語。

 決して身近ではないそれを、僕は見た。最近どころか、つい今し方に見た覚えがある。

 

「い、郁島。お前紙に書いてたよな、家出って」

「家出……ああ、これのこと?」

 

 何だって構わないから、思い付いたことを書いて欲しい。二ページに渡る郁島の走り書きの中に、家出の二文字は確かに存在していた。

 

「これ何のことだよ。何で家出って書いたのさ?」

「それはほら、確か昨日バスで話したよね。『あなたの名は』の主人公達が、家出しちゃうってやつ。あれを思い出して、何となく書いただけだよ」

「あ……」

 

 そうだ。この隈本を舞台にしたヒット作に登場する、二人の主人公。将来への不安、そして両親との仲違いが深刻化した末に、二人が取った家出という逃避。

 

(関係……ある、のか?)

 

 真っ暗闇での手探りばかりが続いていた中、初めて見せた繋がり。いや、まだ繋がりと呼べるかすら疑わしい。偶然の一致と考える方が自然だ。

 しかし可能性はゼロじゃない。まるで根拠のない勘に等しい物かもしれないけど、今は客観的な意見が欲しい。冷静に考えて、考察しろ。

 

「郁島は、主人公に共感できた?」

「共感?」

 

 思い付いた単語を打ってブラウザ検索をしながら、郁島に問い掛ける。

 

「同じような感情っていうか……そもそも二人の主人公は、どうして家出したんだ?家族との溝が深まった原因は?」

「ま、待って。えーと……あっ。二人が家出したのも、ちょうど三月のこの時期だよ」

 

 まただ。三月。立て続けに繋がりが増えていく。逸る気持ちを抑え、郁島の声に耳を傾ける。

 

「二人は高校二年生でね。来月から三年生に進級するから、本格的に進路を考えなきゃいけなくなって、それで……うん。少しだけ、分かる気がするな。去年の私と、ちょっと似てるかも」

「え……そう、なの?」

「だって初めての一人暮らしだよ?杜宮に住んでたのは小さい頃で、知り合いもほとんどいなかったし。勿論、高校生活が待ち遠しいっていう想いはあったけど、不安もあったよ。家族と離れ離れになって、独りでやっていけるのかなって。そういう怖さは、あったと思う」

 

 郁島の意外な一面を垣間見た瞬間だった。

 考えてみれば、当たり前の感情だ。幼少の頃の記憶なんて曖昧なもので、杜宮は郁島にとって見知らぬ地と言っていい。高校生の一人暮らしも一般的とは言い難い。漠然とした不安を抱く方が自然だ。

 僕はどうだろう。一人暮らしを始めた時期は、僕も大体同じだ。あの頃の僕は―――僕は。

 

「……え?」

 

 どうして。

 どうして、忘れていたのだろう。

 僕も、同じだ。

 

「ユウキ君?」

 

 僕は捨てた。逃げたんだ。

 勝手に貯金をして、父親との付き合いを拒絶して。姉さんの想いから、目を逸らして。

 単なる我がまま、逃避だ。あれは独立なんかじゃなくて、『家出』だったんだ。

 全部同じじゃないか。だから僕は、あの小説を読もうという気が起きなかった。過去の負い目を突き付けられて、晒し者にされているような気分がして―――

 

「……ああもう。郁島、じっとしてて」

「へ」

 

 ―――だから、何だよ。自己嫌悪の堂々巡りは、もう懲り懲りだ。

 

「ゆゆ、ユウキ君?」

「いいから」

 

 郁島の両肩に手を置いて、正面から見据える。

 郁島の目には、今の僕が映っている。過去の僕じゃない、今の僕だ。足を引っ張るのも大概にしろ。お前はお呼びじゃない。お前が何を言ったって、僕はもう動じない。今の僕はここにいる。自分の意思で、この隈本にいる。

 

「……よし」

「よくない。何が『よし』なのか全然分かんない」

 

 仕切り直しだ。余計な物は全て削ぎ落とす。感情も要らない。必要な物は、頭の中に入っている。

 

「今から僕の考えを話すよ。郁島の意見も聞きたい」

 

 この二日間を振り返ってみれば、手掛かりは初めから揃っていた。それらを繋ぎ合わせていけばいいだけの話だ。その中心が、『あなたの名は』。

 

「単純な話さ。あの小説に陶酔するファンの中に、過度に感情移入をした人間がいたとしても不思議じゃない。主人公に共感して、小説に希望や救いを求めた人間が、何をすると思う?」

「何を……も、もしかして」

「そう。聖地巡礼という名の、逃避だよ」

 

 小説の内容を聞いた限り、結末はハッピーエンド。身体が入れ替わるという現実離れをした現象に見舞われ、結果として二人の主人公は淡い感情を胸に秘めながら、明日へ向かって歩いていく。

 しかし小説は小説。創作に過ぎない。たとえ物語の舞台である隈本城を訪ねたところで、何も始まらない。何も変わらないという現実に直面するだけだ。

 一方で小説の人気度は高まり続け、巡礼者も右肩上がりに増加の一途を辿る。その数だけ負の感情は蓄積していき、やがて共鳴したかのように、異界化という最悪が顔を覗かせた。

 

「じゃあその一端が、あの異変だってこと?」

「そういうことになるけど……まだ推測に過ぎないよ。暴論と言っていい」

「そ、そうかな。私はすごく説得力があると思うけど」

 

 現段階では推測の域を出ない。もっと判断材料が欲しい。こんなことになるなら、僕も毛嫌いをせずに読んでおけばよかった。

 

「あれ?でも……あっ」

「郁島?」

「ああああっ!!?」

「ひっ」

 

 未読を悔いるやいなや、郁島の叫び声が室内に響き渡る。

 両目を大きく見開いた郁島は、慌てた様子で鞄の中身を漁り出した。取り出されたのは、隈本城内のマップだった。

 

「い、郁島?」

「えと、待って。確か……ええっと」

「な、何だよ。いいから言えって」

「待ってよ。私もちゃんと、思い出せなくて……ユウキ君、パソコン借りてもいい?」

 

 郁島はパソコンの前に座ると、覚束ない手付きでキーボードを叩き始めた。

 ブラウザ検索に使用した単語は三つ。『あなたの名は』、『主人公』、『出会い』。ざっと検索結果を見渡した後に、二回目の検索。『あなたの名は』、『再会』、『二回目』。それで気付くなと言う方が、無理な話だ。

 

「やっぱりそうだ。フェイズ0の揺らぎが生じた場所は、全部そうだよ。小説に出てる。しかも物語の重要な場面。二人の主人公が本音を語り合って、入れ替わった所」

「成程ね……郁島、お手柄だよ」

 

 一気に可能性が高まり、思わず胸が躍った。

 それでも尚、確信は持てない。発生地点の次は、発生した日時。時期的な部分を固めたい。

 

「でも、どうして今なんだ?あの小説が発売されたのって、確か去年の話でしょ?」

「去年の暮れだよ。話題になり始めたのは、年が明けてからかな」

 

 劇中の時系列と合致はしているから、三月のこのタイミングで、と考えても辻褄は合う。

 しかしやはり妙な話だ。いくら冬休みだからと言って、あの混み具合は異様だ。訪問客の急激な増加が今回の異変に繋がったとしても、それ自体の説明が付かない。

 もう一歩。あと一つだけ、あるはずだ。その答えも、検索結果の中に存在していた。

 

「「映画化!」」

 

 郁島と交代してマウスをクリックし、お気に入りに登録していた動画サイトを開く。先週から公開され始めていた映画のPVはすぐに見付かり、華麗なアニメーション動画が流れ始める。

 

「すごく綺麗……今のアニメって、すごいね」

「そこじゃないっての。でもこれで、全部揃ったよ」

 

 最後の最後で異変の引き金となったのは、皮肉にもアニメーション技術の最高峰。視覚的にも『あなたの名は』に魅せられたことで、聖地巡礼者の急増、更なる想い入れに繋がった。

 動画をゆっくり眺めている暇はない。一刻も早く真実を伝え、早急に対応して貰う必要がある。

 

「今の話をデータと一緒に纏めるよ。郁島は隈本城に戻って、中の様子を見て来て欲しい。もしかしたら、また何かが起こっているかもしれないしね。まだ開いてる?」

「任せて。すぐに出ればギリギリ間に合うと思う」

「言っておくけど、見るだけだからな」

「わ、分かってるよ」

「ん……ああ、それともう一つ」

 

 部屋を出ようとしていた郁島を呼び止めて、僕は慎重に言葉を選んだ。

 

「その……話を、聞かせて欲しい。郁島が最近、考えてたこと」

 

 沈黙の後、郁島は無言で首を縦に振った。胸の痛みは、どうにもならなかった。

 

 

 

 

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