東亰ザナドゥ ―秋晴れの空へ向かって―   作:ゆーゆ

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後日談最終話は、再びアキが中心となります。
最後までお付き合い頂ければ幸いです。


ラストストーリー
3月19日 彼が彼女に惹かれた理由


 

 三月十九日、土曜日。アルバイト先のベーカリーショップ『モリミィ』店内。

 午後十四時を過ぎた時間帯に入ると客足は疎らになり、工房も一先ずの落ち着きを見せ始める。とはいえ業務はいつ何時にでもあるもので、来客がないからこそ済ませておくべき作業もある。

 先ずは上限一杯にまで積まれたベーカリートレーを片そうと、鼻歌混じりにトレーの拭き掃除を始めた頃、出入り口のドアチャイムが鳴った。

 

「いらっしゃいま……あれ、リオンさん?」

「おっつー、アッキー」

 

 玖我山リオンさん。亜麻色のパーカーを羽織り、目元には伊達眼鏡。少々地味目の出で立ちは、人目を忍んでの選択だろう。

 リオンさんは店内を見渡しながら歩を進め、レジカウンター越しに私と向かい合った。

 

「やっぱりバイト中だったのね。電話に出なかったから、多分ここかなって思って」

「あ、そうだったんですか?すみません、バイト中はロッカーに入れてるんです」

「ううん、気にしないで。お昼がまだだったし、アッキーがいなくてもついでに買って帰るつもりだったんだけど……ねえ、パンの種類減ってない?これじゃお客さんが来ないわよ」

「来ないから減らしてるんです……」

 

 考え方が逆だ。書き入れ時を過ぎた時間帯に量を焼いても、買ってくれるお客さんが来ないのだから仕方ない。商品の鮮度が落ちるか、閉店後の廃棄量増加に繋がるだけだ。

 こちらの都合だけで言えば、来店の時間はある程度統一してくれた方が大変ありがたい。その方が焼き立てを提供できるし、フランスパンやデニッシュは尚更だ。本物の焼き立ての美味しさを知っている人間が、この日本にどれだけいるのだろう。

 

「ふうん、まあいっか。さてさて、何にしよっかなぁ」

 

 苦笑をしてトレーを拭いていると、リオンさんがフラフラと店内を歩き始める。

 何だろう。何処となく暇そうというか、当てもない散歩をしているように見えてしまう。

 

「リオンさん、今日お仕事は入っていないんですか?」

「来週までフリーよ。今日から冬休みだし、ゆっくりしようかなって考えてたんだけど、みーんな出掛けちゃってるのよね。アスカとコウ君なんて海外じゃん」

「あー、確かに。ソラちゃんとユウ君も玖州でしたね」

 

 リオンさんが言うように、アスカさんと時坂君は今朝方に日本を発っていた。

 渡米の目的は昨年末の一件。ジェーンに纏わる、運命の悪戯とでも表すべき一連の事件。二十年前に始まった因果。それらと正面から向き合い、一歩前に進むための二人旅、と言ったところだろうか。アスカさんの心境は、きっと本人にしか―――アスカさんと時坂君だけが、理解し得る物だ。

 ともあれ現状の杜宮に、X.R.Cメンバーは私とリオンさんだけ。ソラちゃんは玖州へ帰省中だし、ユウ君はまだ杜宮にいるけれど、明日の朝には玖州に旅立つ。引退した先輩らも新生活に向けて忙しない日々が続いているらしい。

 ちなみにシオリさんも今日から都外へ家族旅行。連休中に遠出をする回数が増えたのは、杜宮の外へ出られなかった反動もあるのだろう。それはシオリさんだけではなく、きっと家族全員の想いに違いない。

 

「成程。要するに、時間を持て余しているんですね」

「そうなのよねー。アッキーもアッキーで冬休み初日からバイトって何よ。ちょっと働き過ぎじゃない?」

「絶対にリオンさんの方が働き者だと思いますけど……まあ、そうですね。私もそろそろ―――」

 

 ―――定時を迎える時間なので。私の声を遮ったのは、男女二人の来訪客。その珍しい組み合わせに、リオンさんも意外そうな表情を浮かべた。

 

「ミズハラさん……に、アカネさん?」

「やあ、こんにちは」

「お疲れさまです、遠藤さん。それに、玖我山さんも」

 

 客観的に見れば、驚くようなことではない。駅前のドラッグストアと家電量販店の店員らが偶然出くわして、少々遅めの昼食を買いに来た。或いは知らぬ間に、親密な仲になっていた、とでも受け取ればいい。

 けれど私達は、二人が持つ裏の顔を知っている。異界化という、現実且つ非現実的な世界を知る、極々限られた人間が二人。そしてこちら側も同様の二人。嫌な予感が脳裏を過ぎって当然だった。

 

「ど、どうも。えーと……」

「急にすまないね。X.R.Cの部員を探していたんだけど、ちょうどよかった。玖我山さん、君も来ていたんだね」

「まあ、はい。私とアッキーに、何か用ですか?」

 

 リオンさんが問い掛けると、ミズハラさんとアカネさんの視線が重なり、首が縦に振られた。

 無表情と無言の語り合い。その仕草が、予感を確信へと変えた。

 

「実は君達に、話しておきたいことがあってね。急ぎではないから、遠藤さんのアルバイトが終わった後で構わないんだけど……」

「あ、もうすぐ定時なんです。少しだけ待って貰えれば、すぐに時間は取れますけど、いいですか?」

 

 今日の定時は十四時半。あと十分もすれば上がりだ。リオンさんに言い損ねていたことを伝えると、二人は店内を見渡しながら言った。

 

「それなら、ここで待たせて貰おうかな。お腹も空いていたし、折角だから……あれ。明太フランスパンは売り切れか。残念だな、僕の好物なのに」

「ダークチェリーのデニッシュがない……ない」

「……誠に申し訳ございません」

 

 いやだから、この時間帯に来られても。そんな弁明は口が裂けたって言えるはずもなく。

 手痛いクレームとチャンスロスを前に、私は困り顔で謝るしかなかった。

 

___________________

 

 

 モリミィを後にした私達は、話の場を壱七珈琲店へと移した。ヤマオカさん自慢のコーヒーをご馳走になり、芳醇な香りが仕事の疲れを癒してくれる一方、アカネさんが切り出した話は、穏やかではない内容だった。 

 

「サイフォンの試作機が、消えた?」

 

 リオンさんと顔を見合わせ、首を傾げる。

 サイフォン。勿論、手元のコーヒーを淹れるのに使われたサイフォン式ではなく、単なるスマホの紛失でもない。それでは私達がわざわざ連れ出されたことに説明が付かない。

 

「発覚したのは昨日、紛失したとされるのが三日前。場所は都内の生産工場に設置されたラボになります。そこでは密かに、異界探索用サイフォンの研究と試作が進められていました」

「その一つが消えちゃったって訳?」

「はい。外部へ流出しないよう、研究データは勿論、現物の試作機も厳重に管理されていたはずですが……盗難の可能性も含め、捜査を開始しています」

 

 異界探索用のサイフォン。外見は市場に流通している一般品と同じで、見た目では判断が付かない。

 しかし耐久性だけで言っても、最先端の科学と異界物質の恩恵に与った代物だ。謳い文句の「エルダーグリードが踏んでも壊れない」に冗談は一切含まれていない。サイフォンに搭載された機能、異界探索に特化した専用のアプリは、異界へ踏み入った適格者にとっては命綱に等しい生命線。その異常な耐久性はあって然りではあるけれど、外部へ出回っていいはずがない。

 

「えーと。事の重大さは、理解したつもりです。でも、どうしてそれを私達に?」

「試作機にインストールされていたアプリが問題でして……お二人は『術式』をご存知ですね?」

 

 私とリオンさんが頷きで応える。

 知っているも何も、アスカさんやミツキ先輩の術式に助けられた場面は多々あった。強固な結界を展開したり、治癒術で外傷の治りを早めたり。時に、記憶を覗かれたり。あれはあまり思い出したくはない。

 

「術式の多くは、適格者や霊能者のみが扱える物です。ラボで行われていた研究は、その縛りを解消をすることが目的でした」

「縛りを、解消?」

「……成程。柊さんは敢えて、その辺りのことを話していなかったようですね」

 

 あまりピンと来ない私達に、アスカさんは要約して教えてくれた。

 術式と称される異能の力は、適格者をはじめとした異能の持ち主だけが揮うことができる。一方で、ある程度の知識や経験を有してさえいれば、簡単な結界を張るような術式なら、一般人でも充分に手が届く。術式を二つへ大別するなら、その可否がベースになるそうだ。

 アスカさんが多くを語らなかった理由には、大方察しが付く。ソウルデヴァイスと違って、術式の力は現実世界でも行使が可能だ。しかし人目に付けば一大事では済まされない。だからこそアスカさんやミツキ先輩は己が手に留め、秘匿性を重んじていたのだろう。

 

「紛失した試作機には、『記憶操作』の術式に関するアプリが入っていました。記憶の消去や介入といった高位の術式は、一般人には不可能な芸当です。ですが試作機があれば、それを覆せる」

 

 段々と話が見えてきた。もし事実なら、大変な事態に繋がる恐れがある。

 厳重に管理されていたのだから、単純にラボの研究員が紛失してしまったという可能性は、万が一にもない。だとすれば、第三者による盗難。もしもそこに、明確な意思があったら―――『記憶操作』という異能を欲する人間の手に、渡っていたら。

 

「き、急に物騒な話になったわね」

「ですね。悪用されたら、大変なことになりますよ」

「我々も最悪を想定して捜査を進めていますが、手掛かりを掴めていないのが現状でして……些細なことで結構です。今後気になる情報があれば、ご協力頂けると助かります」

「オッケー。記憶のスキャンなら、あたしも直に見たことがあるわ。アッキーも実際に使われた身だしね」

「あ、あまり思い出したくはないです」

 

 ジェーンの事件での一件か。あれが最初で最後であって欲しい。一瞬眩暈がしたかと思いきや、頭の中を直に掻き回されたかのような凄まじい不快感。思い出すだけで気分が悪くなる。

 ともあれ、全容は理解できた。私達が力になれる方法が思い浮かばないけれど、知っているとそうでないとでは大きく違ってくる。悪用されることを前提に、構えておいた方がいい。

 

「私からは以上です。ミズハラさん、お待たせしました」

「え?」

 

 すると突然、話の矛先が変わった。アカネさんの隣で聞き役に徹していたミズハラさんは、冷え気味のコーヒーを一口啜ると、表情を緩めて口を開いた。

 

「僕の話は大した内容じゃないよ。遠藤さん、君に折り入って相談があるんだ」

「わ、私にですか?」

「僕が大学時代にお世話になった助教……いや、今は教授か。その人が都内の大学に勤めていてね。専門は植物学なんだけど、僕と同じで異界化に通じている。異界植物の専門家さ」

 

 大学教授で、異界植物の専門家。まるで住んでいる世界が異なる人物だ。そんな人が、私への相談にどう繋がるのだろう。想像を働かせながら、耳を傾ける。

 

「今でも度々お世話になっていて、研究室の設備なんかを使わせて貰っていてね。その見返りとして、とある人を紹介して欲しいと頼まれていたんだ」

「……誰を、ですか?」

「君の知り合いさ。異界植物に詳しい青年だよ」

「えっ。ま、待って下さい。異界……植物?」

 

 まるで心当たりがない私に、ミズハラさんは続けた。

 

「一人いるだろう。怪異に魅入られ、強制的に異界植物の知識を植え付けられて、『HEAT』という画期的な霊薬の精製に成功した、彼のことだよ」

 

___________________

 

 

 同日の晩。杜宮商店街の西端にひっそりと佇む老舗、蕎麦処『玄』。休日の夜ということもあり、焼酎を嗜む常連客が足を運び出し、静かな賑わいを見せ始めた時間帯に、暖簾を潜る青年らの姿があった。

 

「いらっしゃい。何名様で……おう、アキヒロじゃねえか」

「こんばんはッス、シオさん。御無沙汰です」

 

 戌井アキヒロ。本人の与り知らないところで注目を浴びていることなど露知らず、アキヒロはシオへ大きく頭を下げて挨拶をした後、背後に立っていた二人の男子を隣に立たせた。シオには見覚えのない、一目で外国人と分かる出で立ちは、店内でも視線を集め始めていた。

 

「見ねえ顔だな。こいつらは?」

「最近BLAZEに入った新入りッス。留学生ってやつでしたっけ。シオさんにも紹介しておこうと思って、連れて来たんスよ」

「アントンっす!お会いできて光栄っす!」

「リックスです!よろしくおねがいしゃーす!」

 

 アントン、リックスと名乗った二人は、立ったままの姿勢で両膝に手を付き、お辞儀をした。任侠映画等で目にする独特の仕草。あまりに異様な光景は悪目立ちが過ぎて、アキヒロが二人の後頭部を小突きながら言い聞かせる。

 

「バカ野郎、大声出してんじゃねえよ。お客さんに迷惑だろうが」

「クク、おもしれえ奴らが入っじゃねえか。しかも妙に馴染んでるな。服装や髪形が、ちょいと気にはなるが」

「あー。こいつら日本の漫画が大好きで、その影響らしいッス。かなり昔の不良漫画が特に好きらしくて」

 

 二十年以上も前に流行した不良漫画がキッカケとなり、日本という島国に惹かれ、遂には留学に至る。その過程で費やした努力は、日常会話に支障を来さない程に膨大な物だった。一昔前の不良漫画特有の癖はあるのだが。

 

「まあいい、座れよ。カツ丼でいいか?」

 

 シオが三人をテーブル席に案内し、オーダーを確認する。

 玄を訪ねた目的は、蕎麦と並んで根強い人気を誇るカツ丼にもあった。来日してまだ日が浅い新入りに、絶品の日本食を味わわせてやりたいという、リーダーなりの気遣い。それを察していたシオは、小さく微笑みながら、厨房に立つ親代わりにオーダーを伝えた。

 

「シオさんは今日も忙しそうッスね。大学の方はどうなんスか?」

「入学式は四月の頭だが、来週に新入生向けのガイダンスってのがある。先輩らも歓迎会を開いてくれるって話だ。お前の方はどうなんだ、職場では上手くやれてんのか?」

「大変ッスよ。力仕事以外の作業が、ちょい苦手で。でも何とかやれてるッス」

「そうか。今日はゆっくりしていけ、疲れもあるだろうしな」

「……ありがとうございます」

 

 昨年末からアキヒロが始めた仕事内容は、所謂倉庫内作業。『鷹羽組』の若頭、梧桐エイジによる仲介もあり、商品の搬入や整理を担う準社員として、汗を流す日々が続いていた。

 その一方で―――上手くいかない部分も、当然ある。一人の従業員として働く以上、アキヒロの過去は職場内に知れ渡っている。彼を歓迎し、受け入れてくれる人間がいれば、快く思わない人間もいる。

 アキヒロは一瞬だけ憂鬱な表情を浮かべた後、頭を横に振って雑念を払い、対面のアントンに話を振った。

 

「そういやお前、惚れた女にフラれたって話を聞いたぜ」

「言わないで下さいよ……まだ立ち直れていないんすから」

「相手が悪過ぎなんだよ。ありゃ魔女か何かだ。お前よく無事だったな」

 

 アントンが来日早々、一目惚れをしてしまった女性。とあるアンティークショップの女主人の正体を、アキヒロは知っていた。

 異界化に纏わる記憶は全て残っていた。X.R.Cによる最終作戦の真っ只中、得体の知れない力でグリードを次々に葬り去る一人の女性。頭上を舞うタロットカードを刃に変え、嬉々として戦場を支配する様は、正に魔女。冗談ではなく、アキヒロは本気でアントンの身を案じていた。

 

「アキヒロさんは、どういう女性が好みなんすか?」

「あん?俺?」

「やっぱこう、気合いが入った女とかっすか?」

 

 リックスの突然の振りに、アキヒロが考え込むような素振りを見せる。

 好みの女性。自然と思い浮かんだ要素を、アキヒロは口にした。

 

「そうだな……眼鏡は、いいよな」

「め、眼鏡っすか?へえ、意外っすね」

 

 アントンとリックスが驚いた様子でアキヒロを見詰めていると、水が入った人数分のグラスがテーブルに置かれた。会話の内容はシオの耳にも入っており、性的嗜好を問うという他愛ないやり取りは、リックスからシオへと向いた。

 

「シオさんはどうっすかね。アキヒロさんと同じで、眼鏡の女に惹かれたりするんすか?」

「眼鏡?眼鏡か、俺の周りにはあまり……ああ、そういや後輩が一時期掛けてたっけな」

「一時期?」

「ああ。去年の夏の話なんだが、クラブの後輩に視力が一気に落ちちまった奴がいてな。そん時に眼鏡を掛け始めたんだよ」

「視力が一気にっすか。そりゃ難儀な話っすね」

「つっても一時的な症状で、ひと月ぐらいで治ったんだけどな。今じゃ眼鏡も掛けてねえし、元々視力はいい方で……どうしたアキヒロ。眉間に皺が寄ってるぜ」

「いや……その。何でもねえッス」

 

 視線を斜め上に向けて、何とも形容し難い表情を浮かべるアキヒロ。その戸惑いの正体に察しが付いたシオは、生温かい視線をアキヒロに向けながら、彼の肩へぽんと利き手を置いた。

 

「あの、シオさん。何すか?何で笑ってんスか」

「笑ってなんかいねえよ。俺はただ……フ、ヒッ」

「めっちゃ笑ってますよね。すっげえ笑ってるじゃないスか」

「ムキになるなってアキ、ヒロ」

「なってないッスよ。つーか俺まだ何も言ってないじゃないッスか。いやまだっつーか何も言う気ないッスけど。何なんスか一体」

 

 アキヒロの追及に、シオが肩を震わせながら笑いを耐え忍んでいる一方。アキヒロら三人に続いて、出入り口の扉を開ける、常連客の姿があった。

 

「こんばんはー」

「「!?」」

 

 近所のアパート『ガーデンハイツ杜宮』の住民ら、女性が五人。

 口コミで話題が広がり、プロのアーティストとして活動を始めつつあるタマキ。ヴァイオレット色の神秘的な瞳が魅力の、ポーランドからの留学生アイリ。流行物のダイエット食材に弱い、市内近郊の職場に勤めるOLシホ。杜宮のマスコットキャラクター『モリマル』へ異常なまでの愛情を注ぐ、アクロスタワーの従業員トモコ。

 そして―――

 

「いらっしゃいませ。何名様でぶふっ」

「……あの、高槻先輩。どうかしました?」

「いや…っ……五名で、いいか?」

 

 ―――遠藤アキ。口元を手で押さえ、必死になって耐えるシオの胸中など知る由もなく、アキは五人の先頭に立って、アキヒロらが座る席から離れたテーブルへと向かった。

 

「アキヒロさん、急にどうしたんすか?何を見てるんすか?」

「実は昨日の晩に寝違えちまってな。首を曲げられねえんだ」

「さっきまで普通に前向いてた気がするんすけど……」

 

 一方のアキヒロは、アキが座ったテーブル席とは反対の方角に顔を向けて、知らぬ存ぜぬを決め込んでいた。

 そして惚れっぽい性分のアントンは、瞬く間にアイリの人並み外れた美貌に魅せられ、口を半開きにして彼女を見詰めていた。相棒役のリックスは「またかよ」と言わんばかりに肩を落としていた。

 

「ま、マブい。ゲロマブ過ぎる。アキヒロさん、あれ見て下さいよ」

「お前それ死語ってレベルじゃねえからな……つーか興味ねえ。俺は髪が短え方が好みなんだよ」

 

 アキヒロが素っ気ない態度で答えると同時に、出来立てのカツ丼がテーブルへ運ばれてくる。先程と同様、三人の会話はシオも把握していた。未だ笑いの波が引き切っていないシオへ、リックスが気軽に話を振った。

 

「アキヒロさんはショート派なんすね。それは分かる気がするっす。シオさんはどうっすか?」

「髪型か。そういや向こうの席に……いや、さっき話した後輩なんだけどな。知り合った頃はショートだったんだが、去年の夏から髪を伸ばし始めたんだよな」

「へえ。それはまたどうして?」

「髪を切るのが面倒なんだとよ」

「うっわ。それ女として終わってるじゃないっすか」

「どうだろうな。でも確かに、昔の髪型の方がいいって奴がいるかもしれ……どうしたアキヒロ。出来立てだ、熱いうちに食っちまえ」

「まあ……はい。そうッスね」

 

 テーブル上のカツ丼には見向きもせず、精一杯首を明後日の方角へ向けるアキヒロ。ドツボに嵌まりつつあるシオは、平静を装おうともせず、小刻みに震えながら、アキヒロの肩へぽんと利き手を置いた。

 

「どうしたんだよアキ、ヒロ。様子がおかしいぞ」

「それシオさんッスよね。何でツボってるんスか」

「俺がか?妙なことを言うんだなアキ、ヒロ」

「さっきからすげえ気になってんスけど、何でちょいちょい刻むんスか。何で「アキ」と「ヒロ」の間に妙なスペース空けて「アキ」を強調するんスか。いやめっちゃ笑ってるじゃないッスか」

「おま……勘弁、してくれ。し、死ぬ」

 

 アキヒロは思う。かつては理不尽に立ち向かう男気溢れるチームのヘッドとして羨望を集めていた彼が、涙目になって腹筋を崩壊させる姿など、当時を知る人間は想像できただろうか。絶対にできねえ。

 頭が痛いどころではないアキヒロを余所に、アントンとリックスはシオの勧めで熱々のカツ丼に舌鼓を打っていた。

 

「あっ!」

 

 そして決して広いとは言えない店内で、シオと会話を交わすアキヒロの姿に、アキが気付かない訳がない。全ては時間の問題だった。

 

「おら、来たぞ。観念しろ」

「……はあ」

「こんばんは、アキヒロさん。アキヒロさんも来ていたんですね」

 

 アキヒロらのテーブル席にやって来たアキは、若干不服そうな表情で言った。

 

「もう、高槻先輩。どうして教えてくれなかったんですか?」

「できる訳ねえだろ。俺を殺す気か」

「全く意味が分かりません……」

 

 三人のやり取りを不思議そうに眺めるアントンとリックス。彼らの関係など当然知らされてはなく、二人の何かを言いたげな視線に気付いたシオが、アキヒロに代わって応える。

 

「聞いて驚け。こいつがBLAZEのヘッドと対等、クイーンの称号を持つ女だ」

「ええ!?マジっすか!?」

「や、やめて下さいよ。私はそんな称号を貰った記憶がないです」

「ちなみにさっき話した後輩ってのもこいつのことだ」

 

 称号はともかく、アキヒロと臆することなく話ができる女子高生はほんの一握り。そういった意味では、アキヒロと対等というシオの表現は的を得ていた。

 

「あれ?」

 

 そしてリックスは、先に思わず吐いてしまった自身の言葉を思い出す。

 「女として終わっている」。アキヒロと面識があり、彼と対等の位置に立つ女性に対する感想としては、最悪過ぎる十文字。底なしの絶望感に青褪めたリックスへ、アキヒロが耳打ちした。

 

「おい。後で面貸せや」

 

 理不尽と真っ向から戦う集団のリーダーによる、あまりに理不尽な照れ隠し。シオは再度噴き出して、遂には立っていられず、店内で大笑いをする彼の頭部へ、オヤッさんの鉄拳制裁が下った。

 

___________________

 

 

 人知れず玄で発生した珍事の後。

 一旦皆と別れたアキとアキヒロは、商店街の通り沿いを歩きながら、缶コーヒーを片手に食後の一服をしていた。会話の内容は勿論、壱七珈琲店における一件。事情が事情なだけに、直接話をしたいと考えていたアキにとって、玄でアキヒロと居合わせた偶然は好都合だった。

 

「大学の教授だぁ?」

「はい。直接ではないですけど、私も異界関係でお世話になっていたそうでして。その筋では有名な方だそうです」

 

 ミズハラがアスカをはじめとした関係者に提供する霊薬の類は、彼自身の手で調合される。その大部分はミズハラの勤め先が所有する設備によって精製されるのだが、物によっては大規模な専用機器が必要となる。高位の治癒薬等はとりわけ純度が求められ、そういった際にミズハラはかつての恩師を頼っていた。つまりアキが使用していた治癒薬は、当の教授による厚意があってこそのとっておきだったのだ。

 

「なので私としても、恩返しの意味を込めて挨拶をしておきたいんです。ミズハラさんの体裁もありますし……アキヒロさんは、どうですか。異界植物の件について」

「んなこと言われてもな。俺の知識なんざ超適当だぜ。こういう葉っぱはこうやって吸えばこうなる、みてえな」

「それがすごく貴重みたいですよ。学会の間でも、アキヒロさんの名前は知れ渡っているそうです」

「き、気持ちワリィな。勝手に注目してんじゃねえよ、クソが」

 

 アキヒロは一度立ち止まり、夜空を仰いだ。

 知らぬ間に、己の頭の中に存在していた数多の知識。その重要性は理解していた。だからこそ、即答は躊躇われる。

 

「アキヒロ、さん?」

 

 曖昧だからこそ、底が知れない。良くも悪くも、異界植物の効能は常軌を逸している。

 『HEAT』がいい例だ。ヒトが腕力だけで大木を薙ぎ倒せるはずがない。裂傷が一晩で完治する訳がない。数日間眠らずに身体を酷使できる人間が何処にいる。数々のあり得ないを現実に変えてしまう方法を―――自分は、知っている。

 

「あの、どうかしましたか?」

「いや……それで、いつなんだ」

「はい?」

「その教授ってのと、いつ会えばいいのか聞いてんだよ」

 

 遠回しの肯定。アキヒロはやれやれと溜め息を付いて、思考を後回しにした。

 小難しく考えるのは性に合っていない。どうするかは会ってから判断すればいい。そんなアキヒロの胸中に考えが及んでいなかったアキは、複雑な笑みを浮かべながら言った。

 

「そ、それがですね。明日の午後にでもどうか、という話でして」

「はああ?正気かよ、いくら何でも急過ぎんだろ」

「忙しい方なので、明日の日曜日を逃すと、月曜日には海外へ出張してしまうそうなんです」

「……ったく。特別だかんな、クソが」

「あ、ありがとうございます」

 

 アキヒロは毒づきながら、アキの横顔に視線を向けた。アキはその視線に気付くことなく、別の話題に触れ始めていた。

 

「そうそう。話は変わりますけど、チヒロちゃんって覚えてますか?七月のあの日に、私達と一緒に神社へ立て籠もっていた女の子」

「ん……」

 

 瞼を閉じれば、鮮明に思い出される。七月上旬、夏の始まりに杜宮が見舞われた異変。小規模の聖域と化した神社での籠城劇。そして―――出会いと別れ。あまりに衝撃的な出会いと、別れ。

 

(人の気も、知らねえで……クソが)

 

 この世の理不尽に負けない。決して屈せずに抗い続け、立ち向かう。BLAZEが掲げる信条は、アキヒロ個人としての意志でもあった。

 かつての自分は、現実から逃げるばかりだった。高槻シオへ吐き散らした言葉は、全て裏返しだった。その弱さに付け込まれ、弱さが火種となり、挙句の果てにはこの杜宮に、災厄をばら撒いてしまった。

 だからこそ、もう逃げないと誓った。どんな理不尽や不条理からも目を逸らさず、戦って見せる。ただがむしゃらに精一杯、ひたむきに。新たな決意を固めつつあった矢先に、杜宮は異変に襲われて―――アキという名の、自分と同じ季節の名を有する女性は、唐突に舞い降りた。

 

『私に明日は来ません。今日が、最期です』

 

 彼女が直面していた運命は、理解の範疇を越えていた。理不尽や不条理といった言葉がちっぽけに思える程、救いようのない、あまりに儚い三日間だった。

 約束された死。刻一刻と迫り来る最期。発狂して当たり前だ。我を見失い、己の運命を呪って然りの中、アキが見い出した光は、『戦う』という決断だった。

 

 死を目前に控えた、段々と身体が消えていく日々を、他人のために捧げる。

 自分以外の誰かを想い、誰かのために戦って、戦って、戦い続けて。

 彼女の手から放たれる火球は、まるで『BLAZE』を象徴する焔。赤々と燃え盛る正義の意志。

 極限の理想像。彼女から目が離せなかった。その姿に、惹かれていた。

 

 やがて訪れた別れ。最期を看取る役目を、彼女は自分に託してくれた。

 堪らなく嬉しくて。堪らなく、悲しくて。

 去り際に彼女が浮かべた笑顔を。その意志を証明するために―――俺は。

 

「―――という訳でして。アキヒロさんは、どうしますか?」

「あん?」

「あん、じゃないですよ。もしかして、聞いてなかったんですか?」

 

 不満気なアキの声で、現実へと連れ戻される。

 アキヒロはアキに構うことなく、腕組みをしてアキの頭部を見詰めながら言った。

 

「おい。お前何で髪を伸ばしてんだ」

「え?ああ、これは伸ばしているといいますか、切っていないというだけで、別に痛っ。え、どうして今叩いたんですか」

「るせえ。何となくだ」

「何となくで叩かないで下さいよ!?」

 

 別にそういった嗜好があるという訳ではない。

 アキヒロにとって想い入れのあるアキ。凛とした短髪と、地味な眼鏡の向こう側に映っていた、確固たる意志を感じさせる瞳。それこそが、彼が惹かれたアキ。ただそれだけの話だった。

 

 

 

 

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