東亰ザナドゥ ―秋晴れの空へ向かって―   作:ゆーゆ

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最終話 そして日常へ

 

 快晴の三月末、午後三時。アルバイト先のベーカリー『モリミィ』を目指して自転車のペダルを漕いでいると、住宅街のそこやかしこに、春の象徴が散見された。

 

(綺麗……)

 

 杜宮で迎えた初めての春。気象庁によれば、東亰の満開日は明日。昨年引っ越してきたのは四月の下旬だったし、転入に向けて忙しない日々が続いていたから、こうして桜の花びらが舞う光景を目にしていると、新鮮味で胸が一杯になる。記念公園も名所の一つと聞いているし、今度足を運んでみるとしよう。

 

「あれ?」

 

 目的地の手前で速度を緩め、店内の様子を窺っていると、一人の男性店員に目が留まった。人違いかと思い、自転車を停めて表口から店内に入ると、やはりそこにはエプロンを着た時坂君の姿があった。

 

「よお。今日はアキが遅番か」

「やっぱり時坂君でしたか。今日はモリミィでバイトですか?」

「まあな。ユキノさん伝手で、助っ人を頼まれてたんだ」

「あー。話は聞いてましたけど、時坂君のことだったんですね」

 

 事前に知らされてはいた。卒業や就職のシーズンになると、従業員の入れ替わりが自然と増える。このモリミィも例外ではなく、今がまさにその過渡期。一方で募集に応じてくれる候補者が中々見付からず、それまでの繋ぎとして声が掛かったのが時坂君だったようだ。

 

「春って毎年こんな感じなんだよな。俺が言うのもなんだけど、すげえ貴重な人材なんだってよ」

「な、何でもできちゃいますもんね、時坂君って」

 

 今更言うまでもない。時坂君の万能さは常軌を逸している。商店街やレンガ小路に至っては『決して時坂コウを独占してはならない』という取り決めがあるぐらいだ。端から見れば好き勝手に使われているように映るけれど、本人が満足しているのだから気にしないでおこう。

 

「それで……その。口の中の傷、もう抜糸はしたのか?」

「あ、はい。元々大した傷じゃなかったので。痛みもありません。ほら」

「いやいいって見せなくて。つーか少しは躊躇え」

 

 あれから。アキヒロさんを中心に発生した一連の事件の顛末は、私から皆に話していた。

 反応は様々だった。時坂君とアスカさんは心を痛めつつ、最後は笑顔を以って嬉しげに受け止めてくれた。ソラちゃんも終始目元を腫らしながら、大仰に。ミツキ先輩とユウ君とはあれ以来会えずじまいだったけれど、誰かしらを介して話は伝わっているはずだ。

 ともあれ、全て過ぎたことだ。これ以上気苦労を掛ける訳にはいかないし、心機一転をして新年度を迎えたい。あと十日もすれば、私達は三年生。高校生活最後の一年間が始まるのだから。

 

「そういや聞いたぜ。店主のハルトさん、来年からフランスに行くんだって?」

「私も聞かされたのは、つい最近です。所謂パリ修行ですね」

 

 ハルトさんの決意は固い。パリ修行はよく耳にする一方、限られたブランジェのみに認められる大変貴重で過酷な物だ。

 キッカケは昨年に開催されたコンテストでの入賞だった。これまで全くの無名だったハルトさんの存在は、業界内でも一目置かれるようになり、今回の話に繋がったという背景がある。

 しかし言い換えれば、このモリミィの店主が長期に渡って不在になるということ。パートナーであり副店主のサラさんが、経営に関わる全てを一手に背負うことになる。勿論負担は一気に増えるし、二人分を一人でなんて現実的ではない。だからこそ―――私も腹を括り、覚悟を決めた。

 

「来年に向けてこれから一年間、少しでも多くの知識と技術を身に付けるつもりです。ずっと身近にあった家業ですけど、まだまだ至らない所はありますから」

 

 卒業と同時に私は、モリミィを支える柱の一本になる。アルバイト店員ではなく、ブランジェ見習いとして、そして一経営者として、だ。

 時間は幾らあっても足りない。お母さんも一役買うと言ってくれているけれど、本格的な社会復帰には程遠い。ブランクを埋めるだけでも一年以上は掛かる。高校生という甘えは捨てて、今のうちから自覚を持って日々を過ごす。リオンさんという先人も身近にいるし、いい影響を与えてくれそうだ。

 

「今まで以上にバイトに精を出して、女子テニス部の主将か……お前ぶっ倒れそうだな」

「言わないで下さい。既に戦々恐々です」

 

 考えても仕方ない。X.R.Cのマネージャー業務は少し遠退いてしまいそうだけれど、手放したくはない。それぐらい欲張りでいい。

 杜宮に来て早一年。振り返ってみれば、ずっとそんな毎日が続いていた気がする。希望を胸に起床して、昼間は疲れ果てるまで何かに打ち込んで、明日を想いながら夜を過ごす。今までにない私を見付けては、また新たな私と出会う。その繰り返しの先に、今日がある。

 

「まあ、なんだ。今更だけどよ。この一年間、色々あったよな」

「……ですね」

 

 満ち足りた日々。あっという間だったようでいて、とても一年間とは思えない時を過ごした気がしてならない。倍以上の月日が流れた感覚すらある。それ程充実していたということだろうか。

 

「それにこうしてると、去年の四月を思い出すよな」

「四月?」

「もう忘れたのかよ。俺とアキが初めて出会ったのも、ここだったろ。俺が店員で、お前がお客さん」

「あ……」

 

 四月の二十三日。忘れるはずのない偶然。いや、必然と呼ぶべきか。

 物思いに耽って苦笑いをしていると、時坂君は腰に手をやって、戯れに一年前の言葉を口にした。

 

「明日からB組に転入してくる女子生徒って、君だよな?」

 

 そう。あの出会いが、今の私に繋がった。全てはあの瞬間から始まったのだと、不思議と言い切ることができる。

 一時記憶を失っていた私の中に、唯一残されていた時坂コウという存在。友情や恋心とは異なる想いの拠り所。今の私には、分かる気がする。彼はずっと、これから先も彼らしく、時坂コウでいるのだろう。

 

「そう……ですけど」

「自己紹介ぐらい、してもいいか」

「ど、どうぞ」

「同じクラスの時坂コウだ。あー、君は?」

「と、遠藤アキ、です。とおいふじと書いて、トオドウ」

「トオドウ……間違えてエンドウって呼ばれることないか?」

「トオドウですっ」

「っ……ク、クク」

「あは、あははっ」

 

 季節は春。客足が途絶えているのをいいことに、私と時坂君は一旦店を出て、外の空気を吸った。

 平穏の日常に、緑色の風が吹き抜ける。流れゆくそよ風に身を委ねて、杜宮の街並みへ溶け込んでいく。

 

「これからも宜しくな。アキ」

「はい、こちらこそ」

 

 誰かに向けた訳ではない「ありがとう」を、私小声で口にした。言わずにはいられなかった。

 私は今日を、そして明日を一生懸命に生きていく。それが私。私は、遠藤アキだから。だから―――ありがとう。 

 

 

 

 

 




これにて全編終了、再度完結となります。最後までお付き合い頂いた読者の皆様方、本当にありがとうございました。
今後は更新が滞っていた「東亰ザナドゥ ―Episode Zero―」の方を細々と執筆したいと考えています。覚えている方がいるとは思えませんが……。やはり柊アスカというキャラは書いていて楽しいですね。

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