一部の人間がアキの過去へ触れてから二日間が経った、5月14日の昼休み。同じ轍を踏まないよう、話し合いの場はミツキの厚意で貸し出された生徒会室へと代わり、四人の適格者らは今日も事件の真相究明に当たっていた。
「アキ先輩が・・・・・・以前にも、異界に?」
「ええ。詳細は伏せるけど、遠藤さんは以前にも異界絡みの事件に巻き込まれていたみたい。実際のところは調べようがなくても、見過ごせない情報よ」
異界化に見舞われた人間は、関わり方によって大別することができる。異界へ飲み込まれた者、特定の異界由来物への接触、『神様アプリ』のような副次的被害、そして直接介入という異例。中でも異界に踏み入った経験のある人間は、他者と比較して再び異界化の被害者として巻き込まれる傾向が強いとされている。仮定に仮定を重ねた話ではあるが、今現在目を付けている中で該当しそうな人間は、アキ一人。死人憑きという厄介なグリードを相手にする以上、貴重な手掛かりとして考慮すべき点だった。
そしてもう一つが、死人憑き自体に見られる性質だ。その名の通り、死人憑きは特定の個人に対する想い入れが強い人間を巻き込むという特徴がある。これについてはコウとユウキの予感通り、過去に最愛の兄を失くしたというアキの過去と結び付く。
「現時点では、遠藤先輩が黒に近い灰色って感じだね。肉親や知人を亡くした経験は他の二人にもあるっぽいけど、今の話を聞くと益々黒に近付いたよ」
「まだ断定はできないけど、だからこそ遠藤さんの『監視体制』は今後も続けるべきね。常に最悪を想定しましょう」
「異界化を事前に察知できれば、もう少し上手く立ち回れるのにな。厄介な相手だぜ」
「ここまで絞り込めただけでも充分よ。それに念の為、テニス部の二人についても手を打ってあるの」
「あれ、そうなのか?」
「と言っても、単純な予防策に過ぎないわ。遠藤さんを介して、普通ではない『何か』が起きたら一報を入れるようお願いしてある。有事の際には遠藤さんのサイフォ・・・・・・携帯電話が鳴る筈よ」
(また間違えたな)
(私も中学まではガラケーでしたけど・・・・・・米国は違うんでしょうか)
(凝り固まった固定観念ってやつじゃない。いるよねー、そういうの)
アスカは三人を一睨みをした後、コホンと咳払いをしてから振り返る。視線の先には、生徒会室と廊下を遮る一枚の扉。その向こう側に立つ人間に、アスカは声を掛けた。
「もう入っていいわよ、遠藤さん」
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「し、失礼します」
そっと両手で扉を開け、室内へ歩を進める。時坂君に柊さん、ソラちゃんとユウ君。学園内でも比較的親しい四人の視線が一手に集まってくる。
「ごめんなさい、締め出すような真似をしてしまって。貴女には聞いて欲しくない話をしていたから・・・・・・気を悪くしないで貰えると助かるわ」
「気にすんなよアキ、主にサイフォンの話だから・・・・・・ちょ、ば、やめ―――」
何だろう。生徒会室へ入っていった四人は、もう少し強張った顔をしていたのに、随分と空気が変わった気がする。何より無言と無表情で壁際に時坂君を追い詰める柊さんが可愛い、じゃなくて怖い。とりあえず時坂君が言ったように、気にしないでおこう。
「でも流石はアキ先輩ですね、あんな話を信用してくれるなんて。おかげで私達も動きやすいです」
「あ、ありがとう。で、いいのかな」
全ては5月12日から始まった。異界化、死人憑き、記憶操作、結社。日常では到底使用しない単語を交えた四人の会話を、私は二日前の屋上で立ち聞きしてしまった。漫画やゲームの話かと考えた矢先に、時坂君は唐突に私の過去へと触れた。非現実とばかり思っていた物は現実だと、時坂君らは私に言ったのだ。そして市民体育館の騒動は自然災害ではなく、もっと超常的な何かだとも。
まるで理解が追い付かない数々は別としても、四人は至って真剣な面持ちで私に語りかけた。本気で私を助けようとしてくれていた。人を見る目が無い私でもそれぐらいは分かるし、無下に否定するなんて、できる筈がなかった。
結局私は沢山の『分からない』から目を背けて、友人と呼べる数少ない存在を全面的に信用することにした。そう四人へ伝えた際に、ソラちゃんはとんでもない提案をみんなへ持ち掛けた。
―――こうなったら伝えるべきことは伝えて、アキ先輩に四六時中張り付いちゃうのが、一番安全じゃないですか?
「そういえば、今日の下校当番は誰だったかしら」
「確か俺だ。アキ、宜しくな」
「はい。お世話になります」
『事件』とやらに関わっているとされる人間が、アリサ先輩とエリス先輩、そして私。中でも私は特に可能性が高いそうで、すぐさま時坂君らによる『監視体制』が敷かれた。その徹底ぶりは、想像を遥かに上回る物だった。
基本的に私の単独行動は許されない。私生活やプライベートに関わる部分は尊重しつつ、常に私の傍には誰かがいる。登校は同じアパートのソラちゃんと一緒で、休憩時間は時坂君、お手洗いも柊さん、昼休憩はみんなで仲良くランチタイム。下校時は当番制になっていて、アルバイト中だって時坂君がレジに立つ。夜はソラちゃんが私の部屋に来て、二人仲良く就寝。起床してソラちゃんにおはようを言ってから、再び一緒に登校する。
ここまで何一つ誇張が無い。今日を含めて三日間、私は一人になった覚えが無いのだ。常人なら怒りを覚えて当たり前の綿密さかもしれないけど、その全てが私の為なのだと考えれば、感謝こそすれど怒ることなんてできる筈もなかった。それに、悪くないと感じている私もいた。
「そっか。アキはソラと一緒に寝てんだっけ」
「はい。ソラちゃんが色々な話を聞かせてくれるので、楽しいですよ」
話題はやはり部活動が中心だ。良くも悪くもお互いに流行の類に疎いせいか、自然と自分や身の回りの話が主になる。それと不思議なことに、ユウ君も話題に上がりやすかった。
「昨日も確か、ソラちゃんが休憩時間にユウ君のクラスへ行った時、ユウ君が珍しくイヤホンで音楽を聴いてて、どんな曲を聴いてるのかなって片方のイヤホンを自分の耳に付けたら、ユウ君が顔を真っ赤にしてすごく怒ったっていう話を」
「ねえ郁島、お前何でそんなに頭悪いの?馬鹿なの?」
「ああもう、ユウキ君が怒るポイントが分からないよ。どうしてそんなにぷりぷりするの?」
「安心しろよユウキ、二人聴きなら俺もよくシオリとやるぜ」
「時坂君は優しさを履き違えてると思うわ」
閑話休題。
ともあれ現状では様々な部分で『決め手』に欠けているらしく、少しでも多くの判断材料や情報を集める必要があるそうだ。この昼休憩の時間も有効に使うべく、訪ねたい人物がいると柊さんは言った。
「ねえ遠藤さん。私はこれから三年生の教室を訪ねようと思っているのだけど、貴女も同行して貰えないかしら」
「三年生、ですか?」
「貴女がいた方が、多分話しやすいと思うのよ」
「よ、よく分かりませんけど・・・・・・分かりました、私も行きます」
事情を飲み込めない私は一旦時坂君らと別れ、私と柊さんは三年生の教室へ向かった。
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柊さんと訪れた先は、三年D組の教室。柊さんが用のある生徒は、D組に所属する三年の女子生徒だった。
「一応聞いておくけど、遠藤さんは三年生に知り合いはいる?」
「いるには、いますけど。数は少ないです」
知り合いらしい知り合いと言えば、テニス部の二人と北都先輩、最近図書館で話すようになったシズネ先輩に高幡先輩ぐらい。考えてみれば、何組なのかは一人も把握していない。D組に誰かいるのだろうか。
開いていた扉からそっと顔を覗かせると、入り口から程近い席に座っていた男子生徒と視線が重なった。
「あっ・・・・・・高幡、先輩?」
「遠藤か。学園内で会うのは初めてだな」
扉の枠に届きそうな程に上背の高幡先輩が、椅子から腰を上げてこちらに歩み寄ってくる。私に関する高幡先輩との噂話が蔓延した当時なら、会話を交わすだけでも考え物だったけど、たったの三日間ですっかり鎮火してくれていた。今なら誰かに見られても問題は無いだろう。
「それで、こんな所で何してんだ。何か用か?」
「えーと。柊さん?」
「高松エリカ先輩に、部活動の件で用事がありまして。お手数ですが、声を掛けて頂けますか?」
「ああ、あいつか。少し待ってろ」
高幡先輩は教室をざっと見渡した後、入り口とは反対側の窓際へと歩を進め始める。
高松エリカ先輩。初めて聞いた名前じゃない。以前にも何処かで耳にしたことがあるし、それもつい最近のことだ。あれはいつのことだったか。
「もう忘れたの?市民体育館で、遠藤さんも遠目に見ていたでしょう」
「体育館・・・・・・あっ」
「テニス部には部員が三名。現在休部中の三人目が、高松エリカ先輩だそうよ」
「そ、そうだったんですか。だから会場にいたんですね」
思い出すのと目的の人物が視界に入ったのは同時。柊さんが言ったように、杜宮杯テニス大会の会場で私はその女性を見ている上に、名前を教えてくれたのだって隣にいる柊さんだった。騒動にばかり気が向いていて、それ以外の出来事に関する記憶が薄れていたのかもしれない。
やがて今し方高幡先輩がいた位置に、エリカ先輩が代わって立つ。腰まで届く長髪は強めにカールされていて、何というか攻め感がすごい。良くも悪くも極端にご令嬢チックな容姿は、自然と周囲の視線を集めてしまいそうだ。
(・・・・・・お〇夫人?)
エリカ先輩とテニスを結び付ければ、一昔前にテニスブームを起こした少女漫画の主要キャラを連想してしまう。というかもう完全に夫人にしか見えない。なら私は主人公の―――うん、やめよう。絶対笑う。
「私に用があるというのは貴女達?」
「突然お呼び立てしてしまい申し訳ありません。少しお時間を頂けませんか?」
柊さんは愛想良く照れ笑いを浮かべながら、すらすらと事情を並べていく。
この二日間で分かったことがある。柊さんは表と裏、『二つ』の顔を使い分けている。一つは転入して以降ずっと見続けてきた、クラス委員としての日常的な顔。もう一つは二日前の屋上、そして市民体育館で目の当たりにしたそれ。前者の時は、声のトーンが僅かに高くなる。これに関して言えば、何かしらの秘密を抱え同じ立場にいる筈の時坂君らとは、明確な違いがある。
どちらかが本物で偽物という訳ではなく、どちらも柊さんなのだと思う。意識して二分している、という表現が一番しっくりくる。誰にも話したことがないけど、もしかしたら時坂君らも気付いているのかもしれない。
私は胸中を表に出さないよう、表の顔で話をする柊さんに声に耳を傾ける。
「実は遠藤さんが、最近テニス部の先輩から勧誘を受けているそうでして。事情は私達も把握していますけど、突然の誘いに本人も戸惑っているみたいなんです」
「・・・・・・成程。そこで私に、リサとエリスについて話を聞いてみたいと。そういうことですわね」
「はい。何でも結構ですので、ご協力願えますか」
柊さんは言いながら、私の方をちらと見て視線で合図を送ってくる。
私がいた方が都合が良いというのは、今柊さんが話した通り。アリサ先輩らの話を聞き出すには自然なやり取りだし、杜宮杯の会場にエリカ先輩がいたという事実にも、何か関係があるのかもしれないと踏んだのだろう。
「リサとエリスとは中学以来の付き合いですわね。私も相当な実力者という自負はありますが、あの二人は更にその上をいっていた。当時は悔しさを通り越して、呆れてしまいましたわ」
「あのー。エリカ先輩も、以前からテニスを?」
「自宅の敷地にテニスコートがありますの。今も練習は怠っておりませんのよ」
「じ、自宅に!?」
思わず声が裏返ってしまった。テニス経験者なら一度は夢に見る、自分だけのマイコート。もしかしなくても、この人は見た目通りのご令嬢に違いない。呆れてしまうはこちらの台詞だ。
口をパクつかせていると、柊さんが多少大袈裟に首を傾げながら言った。
「テニスは続けているんですね。でも部活動は休部している・・・・・・何か事情がおありですか?」
柊さんの単刀直入な問いに対し、エリカ先輩の表情が変わった。気分を害したといった様子ではなく、思案顔を浮かべたエリカ先輩は、私へと視線を移して再び口を開いた。
「遠藤アキさん、でしたわね。貴女、リサとエリスの試合を観たことは?」
「一応、あります。この間の杜宮杯の準決勝だけ、ですけど」
「それなら話が早いですわ。率直に聞きましょう。あの負け試合を観た感想は如何でしたの?」
実力差、男女間の違い。すぐに思い浮かんだそれらの答えを、エリカ先輩は求めていない。対戦相手を引き合いに出さない、もっと根本的な部分で―――思い当たる物が、私の中にある。おそらくそれこそが、エリカ先輩がテニス部を、アリサ先輩とエリス先輩から離れてしまった理由。そういうことなのだろう。
「その様子では、貴女も察しが付いているようですわね」
「・・・・・・はい。見れば、分かります」
「ともあれ、私は納得がいきませんの。ですがリサもエリスも、悪い人間という訳ではない・・・・・・あの二人は私にとっても、友人と呼べる同窓です。勧誘を受けるかどうかは、貴女次第でしょう」
話に区切りが付いたところで、昼休憩の終了を報せる予鈴が鳴った。私達はエリカ先輩にお礼を言った後、早歩きで階段を下り、二年B組の教室へと向かった。
「遠藤さん。今の話はどういう意味なの?」
「ダブルスって本当に難しいんです。高いレベルになればなる程、二人の連携が勝敗を決しますから。噛み合わないと、ダブルスの意味がありません」
「・・・・・・関連性は分からないけど、新しい情報ではあるわね。覚えておきましょう」
―――だから私は、テニスで負けては駄目なのよ。
自然と足が止まり、頭の中でアリサ先輩の声が反芻する。
『だから私は』。前後を結び付けて帰結させる接続詞に、私は繋がりを見い出すことができなかった。
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放課後の午後16時過ぎ。私は『下校当番』の時坂君と一緒に校門を抜けて、通学路を逆向きに辿っていた。私は自転車を押して、徒歩の時坂君は私の歩調に合わせて、他愛のない会話で花を咲かせながらの下校時間を楽しんでいた。
時坂君も休み無しで働いている訳ではないそうで、当番日である今日の放課後アルバイトは休業。と本人は言っていたけど、おそらくは違う。私に合わせて予定を調整してくれたとか、そんなところなのだろう。
「そういやアキって、最近よくジュンから漫画とか借りてるよな」
「ですね。昔からよくお兄ちゃんのを借りて読んでいましたから、結構好きなんです。小日向君は色々なジャンルの本を教えてくれるので、正直助かってます」
「ふーん。アキと言えばテニスとパン作りだけだと思ってた」
「・・・・・・否定はしませんけど。でも時坂君だって、私はアルバイトしか思い付きません」
「否定はしねえよ。でもこう見えて、昔は色々やってたんだぜ。若かりし頃はな」
「あはは」
私と違って、時坂君とシオリさんは普段自転車を使わない。伊吹君や小日向君もそうで、みんな自分の足で登下校をする。のんびりと欠伸をして、お喋りに興じながらの何気ない時間が、四人にとっては大切な日常の一つ。なんて、誰もそんな恥ずかしい台詞は吐かないけど、この三日間だけでも、私は身を以って理解しつつある。
一人でいた方が、気を遣わずに済む。一人なら誰にも見られない。知られたくないから、知ろうとしない。ずっとそうやって周囲から距離を置いてきた。その反動があるのかもしれない。
「しかしお前も変わってるよ。疑いもしないで俺達を信用するなんて、普通できねえだろ」
「なら普通じゃないんだと思います。自覚ぐらいありますよ」
「・・・・・・お前さ。最近少し、雰囲気変わったか?」
「そう見えますか?」
「ああ。勿論良い意味でな」
学園を出てから、私達は離れたり近付いたりを繰り返している。知らぬ間に時坂君は私よりも一歩前を歩いていて、それに気付いた時坂君が歩みを緩めて、私の隣に戻る。
歩幅の違いだけではないのだろう。私が無意識に求めているからだ。こんな時間がもっともっと続けばいい。心の何処かでそう感じている私は、時坂君が言ったように、少し前までの私とは違うように思える。でも何が違うのかと問われると、上手く表現できない。不思議な感覚だ。
「そんで、テニス部の件はどうするつもりなんだ。熱烈に誘われてんだろ?」
「・・・・・・アルバイトもありますから、まだ決めてません」
「ああ、それもそうか。でもテニスが好きなら、たまに顔を出すってのもアリだと思うけどな」
私の足が止まり、私に続いた時坂君が、後ろ歩きで戻ってくる。
「テニスが・・・・・・好き?」
「何だよ、俺変なこと言ったか?」
「い、いえ。言ってないと、思いますけど。でもそんなこと、考えたことがなくって」
時坂君は心底驚いた面持ちで私の顔を覗き込んだ後、すぐに気まずそうな様子で一歩距離を置いた。
至極単純な考え方だ。テニスが好きだから、コートに立つ。好きだからヤナギスポーツ店に通い、新品のラケットを握る。杜宮杯に二人乗りで向かう。
でもよくよく考えれば、そんな風に考えたことが一度も無い。お兄ちゃんと一緒だったからだ。お兄ちゃんがいたから、私は―――いや。本当にそうだろうか。だって私はお兄ちゃん以外の誰かと、ボールを打ち合ったことだって無かった。エリス先輩とのラリーが初めてで、あの時の私は無我夢中で―――
「なあアキ。お前さ、複雑に考え過ぎなんだと思うぜ」
「・・・・・・そうでしょうか」
「モリミィでのバイトだってそうだろ。もう少し簡単にっつーか・・・・・・色々抱えてんのは分かるけどさ。アキと言ったらテニスとパン。今はそれだけで、いいんじゃねえのか」
「時坂君・・・・・・」
背中を押された気がして、私は再度自転車を押して足を動かす。一歩ずつ歩を進める度に、先程までとは打って変わって時坂君は後方へ遅れ気味になり、慌てて私の隣に追い付いてくる。どういう訳かそれが可笑しくて、私は笑った。ガーデンハイツ杜宮に辿り着いた頃には、夕陽が私達の影を落としていた。
「ありがとうございました。今日は、これで」
「ああ。また明日な」
「はい。また、明日」
軽く頭を下げてから振り返り、夕焼けを全身で受け止める。
分からないことばかりが増え続けていく。でも心は晴れやかで、大きく吸い込んだ空気が生気となって、全身に充たされる。ややこしいことは後回しにして、明日考えよう。今は彼の言葉を胸に刻み―――また、明日。
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翌日の5月15日。第三週目の最終日となる金曜日の放課後に、例によって私は時坂君と柊さんの三人で、本校舎三階の生徒会室へと向かった。
「事情が事情だし部屋を貸してくれんのは有難いけど、流石に連日となると気が引けるな」
「校内で自由に使える部屋が欲しいところね。すぐには難しいし、今後の課題として考えておきましょう」
柊さんが扉を開くと、木製のテーブル上でノート型の端末を叩くユウ君、その背後からディスプレイを覗くソラちゃんの姿があった。
「おいユウキ、何勝手に使ってんだよ。それ生徒会の備品だろ」
「許可は貰ってるってば。それにほら、今なら面白い動画が見れるよ」
「動画?」
ユウ君が椅子を引いて、空いたスペースに私達が立つ。画面上部に動画サイトのロゴマークと、中央には見覚えのある光景が映っていた。思わず目を見開いて、見入ってしまった。
「こ、これって。杜宮杯の、準決勝?」
「そう、例の二人の試合さ。準決勝が丸々と、一つ目の照明が割れた瞬間までは映ってるよ。会場で撮影していた動画を、誰かがアップしたんだろうね。今は消されちゃってるけど」
消されているにも関わらず、動画は私達の目の前で再生されていた。ユウ君の話では、動画はすぐに削除要請を受けた管理者側が削除したものの、一部のユーザーが動画を保存していて、複数の共有サイトへ流れ出てしまった。ユウ君にとっては、動画を拾い出すことぐらい朝飯前だったそうだ。
「ちょうどいいわ。細かい話は抜きにして、念の為確認しておきましょう。四宮君、動画を最初から再生して貰える?」
「了解っと」
ユウ君がマウスを操作して、動画の冒頭から再生が始まる。映像の角度から考えて、私とヤナギさんからそう遠くない席から撮影された物だろう。天井や反対側のガラス窓は映っていないけど、試合だけならかなり見やすい位置だ。
五人で画面上を凝視していると、動画はあっという間に最終セットまで進んだ。元々試合内容は濃かったものの、セットカウント自体は一セットも取れずのストレート負け。硬式に比べて軟式はポイント数が少ない上に、多少編集されていたことから、動画の再生時間も十五分に満たない長さだった。
やがて試合が終わり、決勝戦の直前まで動画が飛んだところで、ソラちゃんが感想を述べる。
「うーん。試合自体はすごかったと思いますけど、特に変わった様子は無かったですね。ユウキ君、何か気付いたことはある?」
「なーんにも。そんじゃ遠藤先輩、ご解説をどうぞ。敗因はズバリ何だと思いますか?」
「ん・・・・・・言い辛いけど、エリス先輩かな。九割方ぐらいは」
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敗因はエリスにある。そう言い切ったアキの言葉に、四人は怪訝そうな表情を浮かべた。それもその筈、アキを除いた人間の目には、そうは映っていなかった。
「そ、そうなんですか?でも私には、そうは思えませんでしたよ?」
「僕も同意見かな。寧ろ息の合った良いコンビに見えたけど。違うの?」
「・・・・・・そっか。みんなには、そう見えちゃうんだ」
試合の流れを作るのは、ベースラインプレイヤーである後衛の務めだ。そして良くも悪くも得失点に絡むのが前衛で、オーソドックスなスタイルでは、両者の役割は明確に二分される。どちらか一方が不調な時や、二人の息が重ならない場合は、ダブルスとしての本領を発揮できない。テニスに限らず、ペア競技の世界では当たり前の考え方だった。
「エリカ先輩とそんな話をしていたわね。息が合っているように見えて、実は噛み合っていない。そういうことかしら?」
「いえ、そうじゃありません。確かに二人共、相当な実力者ですけど・・・・・・アリサ先輩はこんなレベルに留まりません。エリス先輩がどうこうではなくて、アリサ先輩が別格過ぎるんです。本来の全力を出し切れていないとしか思えません」
格下や同格が相手なら、その差は明確に現れない。だが今回のような格上の場合は話が違う。
エリスは全ての動作に置いて、僅かに遅れていた。そのワンテンポの遅れが試合の流れを乱し、相手ペースに飲み込まれてしまう。結果としてリサの技の冴えは鳴りを潜め、一見すれば負けるべくして負けたと受け取られる。しかしエリカやアキのような域にいる者の目にはそうは映らない。リサという決定打の鞘は抜かれず、不発に終わったとしか思えないのだ。
「成程な。確かに日本代表の母親が指導者なら、それぐらいの力があってもおかしくはねえか」
「はい。だからこそ、テニスでは負けたくないとも。相当な想い入れがあるんだと思います」
「でも長年連れ添った相棒のせいで全力を出し切れずに、ライバルには全敗って訳?」
「立場は違いますけど・・・・・・チアキ先輩と同じで、葛藤を抱き続けてきたのかもしれませんね」
四人の表情が次第に曇っていく。事情を上手く飲み込めていないアキも、周囲の空気が張り詰めたことを、肌で感じ取っていた。
するとアスカのサイフォンから着信音が鳴り、再生し続けていた動画からは一度切りの破裂音が聞こえ、再生が終了する。アスカは端末の画面を凝視しながら、通話を繋げた。
「はい、柊です。できるだけ手短に・・・・・・はい。ええ、その筈ですけどっ・・・・・・はい、分かりました。ありがとうございます」
通話はたったの十数秒。アスカは眉間に皺を寄せて通話を切り、考え込むような素振りを取りながら切り出した。
「遅くなってしまったけど、裏が取れたわ。リサ先輩の母親は、まだ亡くなっていない。存命よ」
「えっ・・・・・・そ、そうなんですか?」
「ええ。貴女から話は聞かされていたけど、気になって調べていたのよ」
死人憑きは特定の『故人』に対する想い入れが強い者を巻き込むという性質がある。たった今アスカに知らされた事実は、死人憑きの共鳴者としての特徴と一致しない。そこから導き出される可能性を、ユウキが口にした。
「随分と時間が掛かったね。でもそれってつまり、リサ先輩は白ってこと?」
「まだ分からないけど、可能性が変化したのは確かだわ」
「ええっと、要するに・・・・・・」
その先を言い淀んだソラがそっとアキへ視線を移し、他の三人がそれに続く。
「な、何ですか?」
「いや、別にお前がどうっ・・・・・・ち、ちょっと待て」
四人の背筋に悪寒が走り、アキは立ち込める不穏な空気に身体を震わせた。
感情から来る生理現象だと、誰もが考えた。しかし身震いは収まらず、肌寒さは一気に厳しさを増していく。余りにも急激なその変化を合図にして、緊張感に満ちた声が飛び交った。
「アキ先輩、落ち着いて聞いて下さい。そのまま動ないで、ジッとしてて貰えますか」
「え、ええっと」
「口も開かない方がいいと思うよ。舌を噛んじゃうかも」
アキを中心にして、四人が身構えて取り囲む。アスカは念の為にとサイフォンでサーチアプリを起動し、眼前に対する局地的な異界化予測を始めた。監視体制が功を奏し、今まさに起きようとしている異界化の瞬間に立ち会うことができていた―――かのように、思えた。
「・・・・・・何も、起きませんね」
「で、でもこの冷えは異常だろ。一体何度まで下がるってんだ?」
全員の吐息が白に染まり、とても五月中旬とは思えない冷え込みが全員の身体を小刻みに揺らす。
すると室内の上部に設置されていた校内放送用のスピーカーから、英語担当の教職員の声が響き渡った。
『全校生徒へお知らせします。現在空調機の不調により、校舎内の温度が極端に低下しています。繰り返します。現在空調機の不調により―――』
空調機なんかじゃない、脅威は眼前にまで迫っている。アキを含めた全員が理解した。
しかし肝心の『それ』が来ない。体温の急激な低下で思考が鈍り始めていても、何かがおかしいという一点だけは、何も起きないという眼前の状況から察していた。
「おい柊、校舎全体って相当な規模だぞ。これでもサーチアプリは使えねえってのか?」
「そんな筈はないわ。これ程の影響度なら、いくら死人憑きでも特異点を介している以上、反応があって当然よ」
「じゃあどうなってるのさ!僕達にも見えない異界化なんてある訳!?」
「そんな話は聞いたことが・・・・・・ま、まさかっ」
アスカが一つの可能性に辿り着いた時、今度はアキの上着から着信音が流れ始める。アスカは無言で首を縦に振り、通話に応じるよう促す。アキは低温に震える両手を一度擦り合わせた後、上着の中にあった携帯電話を取り出すと、画面に映っていた名前を見て、息を飲んだ。
「は、はい、遠藤です。アリサ先輩ですか?」
『ええ、リサよ。突然ごめんなさい』
「いえ、今何処にいますか?」
『エリスとテニスコートにいるわ。ほら、前に貴女言っていたでしょう。変なことが起きたら連絡をって・・・・・・よ、よく分からないけど、急に寒――しっ―――ま―――』
「も、もしもし?アリサ先輩っ!?」
ツー、ツー、ツー。
通話が途切れると同時に、弾かれたようにアキが室外へと飛び出し、廊下の窓へと張り付く。三階の南側からなら、遠目で南西にあるテニスコートを見下ろすことができる。僅かなやり取りではあったものの、リサとエリスはコート上にいた筈だった。
「・・・っ・・・・・・そ、そんな」
誰も、いなかった。テニスコートには誰の姿も無く、無人のコート上にはネットを支えていた筈の支柱が倒れ込み、見るも無残に荒れ果ててしまっていた。何かが起きたであろうことは、誰の目にも明らかだった。
立て続けに二転三転する事態に、コウが声を張った。
「ど、どうなってんだ。おい柊、何か知ってんのか?」
「確かにリサ先輩の母親は存命よ。でも・・・・・・脳挫傷による、遷延性の意識障害らしいの」
「分かるように言えっての!」
「もう二年以上も眠り続けている。植物人間なのよ」
アスカの言葉に、彼女の中にあった可能性が、その場の四人にも少しずつ広がっていく。
「何度も言ったでしょう。私達が掴んでいる物の多くは、可能性と傾向に過ぎない。これも憶測でしかないけど、たとえ存命であったとしても・・・・・・リサ先輩にとって死別と同義なら、死人憑きに目を付けられても不思議じゃないわ」
「アリサ先輩・・・・・・そっか。だから、だから先輩は」
―――だから私は、テニスで負けては駄目なのよ。
そこには切実な願いが込められていた。死者へ対する想いではなく、生への願望だった。
リサにとっては、テニスしかなかった。母親から受け継いだ物の強さと正しさを証明すれば、きっと帰って来る。まるで根拠の無い枷で己を縛り、信じて願い、ずっと勝利だけを追い続けてきた。エリスも表には出さずとも、彼女の想いを理解していた。リサもエリスも、お互いにお互いを分かり合っていた。
だが二人の自覚も無いままに亀裂は少しずつ広がりを見せ、リサの想いは負の方向へ肥大化し、願望は別の何かと置き換わる。何故勝てない、何で負ける、誰のせいで―――お母さんは、目を覚まさない。様々な感情が入り乱れたそれは、故人への想いという一線すらを超えて、死人憑きにとっての恰好の餌食となっていた。
「真相はともかく、元凶を何とかするのが先じゃないの?」
「ああ。四の五のは後だ、急ぐぞ!」
「了解です!」
「遠藤さん、貴女は生徒会室にいて。いいわね?」
「は、はい」
四人が一斉に駆け出し、その背中をアキが見送る。未だ迷いを捨てかねているとはいえ、アキにとってリサとエリスは再びラケットを握るキッカケを与えてくれた大切な同窓の先輩だ。何もできないでいる己の無力さに苛まれながらも、アキは悴んだ手指を吐息で温めつつ、生徒会室へと歩を進め、扉を開く。
「・・・・・・え?」
―――眼前が、裂けた。アキの目の前で、漆黒と朱に染まった裂け目が、大きく口を開いた。
二転三転に続く、四転目。コウ、ソラ、ユウキ、そしてアスカやミツキでさえ辿り着くことができなかった『真相』。異界化の『回数』だけ、元凶は存在していた。
アキは全身が闇へ溶け込んでいくような感覚に包まれた後、どういう訳か彼女は、懐かしさを覚えていた。
_____________________________________
「ここは・・・・・・」
目を見開いた先に映る、闇の空間。一瞬瞼を閉じたままなのかと錯覚してしまった程に、何も無い。上下左右に漆黒の闇だけが広がっていて、静寂の中には水が滴るような音だけが遠方から耳に入ってくる。
恐る恐る歩を進めると、足はしっかりと地面を踏んでくれた。感触は泥と言った方がいいかもしれない。ジッとしていると地の底に落ちてしまいそうで、自然と足は動き続けた。
―――アキ。
声が、聞こえた。耳の奥底に響く、感情を直接震わせてくる、懐かしい声。
「・・・・・・ナツお兄、ちゃん?」
思わず呟くと、声はもう一度私の名を呼んだ。
「お兄ちゃんっ・・・・・・お兄ちゃん!?お兄ちゃんなの!?」
焦燥に駆られて、何度も亡き肉親を想った。私の声が木霊するように、呼びかける度に、声は私の名を繰り返す。
―――ごめんな。
すると唐突に声色が変わり、私は戸惑いを覚えた。声はひどく弱々しくて、今にも立ち消えてしまいそうな程にか細かった。
「どうして、謝るの。何を謝っているの?」
―――全部、俺のせいだ。
「そんな・・・・・・やだ、やめてよ」
どれのことを言っているのだろう。お兄ちゃんは何を謝っているのだろう。
私の肘が壊れてしまったから?知らないうちに独りぼっちになったから?上手く喋れなくなってしまったから?私がお兄ちゃんの真似をして、テニスを始めたから?私がお兄ちゃんを大好きだったから?お兄ちゃんがいなくなってしまったことを、謝っているの?それとも、全部?
「そんな、こと・・・・・・言わないで、よ」
考えれば考える程、根元へと掘り下げられていく。一度逆を辿ってしまえば、もう止めどが無かった。何が悪かったのか。誰が悪かったのか。お兄ちゃんが悪かったとして、なら私はどうすれば良かったのか。
分からない。どうして私は、今の私になってしまったのだろう。私は私が嫌いだ。いつも人の目ばかりを気にする私が嫌い。ハッキリ物を言えない私が嫌い。他人任せの私が嫌いだ。その全ての原因がお兄ちゃんだったとして、それなら私はこれからどうすればいい。どうやって生きていけばいい。誰か―――教えて。
―――アキ。
「え・・・・・・あ、あれ?」
声が、また変わった。それだけではなく、声の出処が変わった。今の声は私の『中』から聞こえた。胸の奥底から頭へと、直接響いてきた。
見れば、胸の辺りが僅かに光を放っていた。真っ暗闇の中に突如として現れた光はとても温かくて、そっと右手を当てると光は移動し、今度は右手が輝き始める。
「あ、あはは。どうして・・・・・・私、馬鹿だよ」
何故気付かなかったのだろう。お兄ちゃんじゃない、全然違う声だ。先程から聞こえていた声は、全部偽物じゃないか。そう、違うんだ。悪いのは―――私だ。
私は逃げていただけだ。いつも人のせいにして、自分で決めたことを他の誰かのせいにして、勝手に自分を嫌っていた。テニスを始めたのは私で、お兄ちゃんの背中を追い求めたのも私。行き過ぎて肘を壊したのも私。勝手に独りぼっちになったのも私だし、そんな私を嫌いになったのも私。
思い出そう、初めてラケットを握った日のことを。キッカケはお兄ちゃんの真似事だったけど、本当は楽しかった。テニスが楽しくて仕方なかった。知らぬ間にお兄ちゃんに対する想いと、入り混じっていたのかもしれない。でも私はテニスが好きだったから、お兄ちゃんと二人三脚で一緒に戦い続けた。純粋に好きだったからだ。
「そうだよね。時坂君、みんな」
それに私は以前と比べて、自分が嫌いじゃない。一人でいる時よりも、みんなと一緒にいる時の方が良い。誰かと一緒に登下校をして、ご飯を食べてお喋りをして、他愛無い何かで盛り上がって。そんな日々が続けばいいって、想い願う私がいた。エリス先輩とのラリーだって、我を忘れてしまうぐらい楽しかった。モリミィでのアルバイトだってそう。分かっていた筈じゃないか。
私は変わりつつある。もう今までの私じゃない、もっと変わりたい。一歩ずつだけど、私はこの空白の半年間を取り戻し始めている。だったら迷う必要なんて、何処にも無い。
「ごめんね、お兄ちゃん。私はみんなの所へ帰りたい。だから、使うよ」
どうして『それ』が私の中にあるのか、それは分からない。でもお兄ちゃんが託してくれた物の全てが、私の中に光として宿っている。
光から伝わってくる願い。本当は使って欲しくないのかもしれない。踏み入って欲しくないのかもしれないけど、私は決めた。もう迷わない。だってこれは、私がお兄ちゃんと一緒になって磨き上げてきた物だ。使い方は分かるし、構えも分かる。打ち方も、ストリングスの強度も、グリップも重さも全てが同じ。初めて二人でコートの上に立ったあの日からの、集大成。私は―――遠藤ナツの妹、遠藤アキだ。
「疾れ―――ライジング・クロス!!」