というか遅れてマジすみません
[第二幕 風と海]
『人の定義とは、人であること』
黒ウサギから説明を受けて三十分後。
死人は森の中にいた。
…………順を追って説明すると、より詳しい説明は黒ウサギのコミュニティ――一般的に箱庭に住む存在が属する組織をそう呼ぶらしい――で行うとのことで、そこに五人は案内されていた。
しかし十分後。死人は道を外れ、フラフラと森へ入っていってしまったのだ。
他の者は止めなかったのだろうか。………止めるわけがない。彼らは基本、自分の判断に従って行動しているのだ。
即ち、面倒臭かった。
更にその五分後、声までかけた十六夜が同じように離脱しても誰も止めなかったのがいい証拠である。
完全に自らの気が向くままにさ迷う死人。
帰り道など記憶していない。
仮に道に迷って行き倒れ、飢え死にしたとすれば自分はその程度の男だった、という程度にしか思わない。
黒ウサギが見つけてくれるなら多少運が良いと思うくらいだ。
「ギャハハ。にしても改めておもしれー世界だな。見たことねー植物がそこかしこに生えてやがるぜ」
物珍しげに回りの草木を見て回る死人。
楽しそうに見て回る姿は見た目より幼い子供のようである。
眼帯で視界が狭いからなのかは分からないが、顔を様々な方向に向ける仕草も、その印象を色濃くしていた。
「そもそもこんな穏やかな自然、日本じゃ結構レアだぜ。動物が当たり前にいるってのはいいよなぁ。ギャハハ」
傍目では本当に無邪気そうに森の散歩を楽しんでいる死人。
…………そう。"一般人の目から"見れば。
死人と"同じ世界"で生きている人間から見れば、彼の行動に穏やかさなど欠片も存在しない。
そして、気づけないことは不幸に繋がる。
死人が左側の光景をチラリと見た丁度そのタイミングで、反対側から影が飛び出してきた。
一見すれば普通の狼に見えるだろう。が、大きさは人よりも二回りほど大きい。
特に個別の名前があるわけではないが、幻獣の血を引く巨狼である。
箱庭の外にはこのような幻獣が数多く生息するのだという。
そんな狂暴な狼は、獲物を一撃で仕留めるがべく、牙が並んだ口を大きく開いて死人の喉笛に噛みつかんとする。
当然ながら死人は後頭部に目があるわけではない。人体構図的に背後まで見える視界があるわけではない。
彼にとって巨狼の襲撃は完全に不意討ちであり、死角であった。
にも関わらず、
巨狼が死人の喉に噛みつくことはなかった。
あと数センチというところでその巨体はピタリと動きを止めたのだ。
死人の手には、先程までは持っていなかった無骨で鋭い大型ナイフが握られていた。
「殺しにきたんだったら……殺される覚悟くらいあったよなあ? 野良犬よぉ」
ブシュッ!!
巨狼の体の至るところから血が吹き出す。
そして頭が落ち、首が折れ、胴が裂け、足が滑り、ぶつ切りにされた狼は血を撒き散らして落下した。
そんな猟奇的な光景を目にすることすらなく、返り血一つ付いていないナイフを懐にしまう。
「人間の代理ってことで。悪いな」
斬鮫死人。彼は"殺人鬼"である。
人を殺す鬼。その殺意に理由は無く、殺すことが生きる様。
自らに悪の意識はあろうとも、罪の意識は無い。
生きるより殺すを選ぶ。それが殺人鬼。
もっとも、死人はやや"特殊"な殺人鬼だが………それでも彼が鬼であることに………変わりはない。
絶対なる、事実として。
「さて、と」
残骸を放置し、更に森の奥深くへと進んでいく。
その足に迷いはない。
死人はフラフラと森に入っていったように見えたがこれは彼の気紛れではなく、明確な意思によるものである(とはいえ、行く気になったのは紛れもなく気紛れなのだが………)。
殺人鬼故の特性とでも言うべきか。死人は感覚が常人より発達している。
加えて五感に留まらず、気配を察する能力にも彼は長けている。
先程の黒ウサギでの件の通り、近くにいる者なら視界を閉ざしていても把握できるし、強い力を持つ者であれば相当の距離があろうとも察知できる。
そして今回、そんな強い気配を二つ感じた彼は興味津々で様子を見に来た訳である。
「………おっ。近づいてきたか?」
その存在がいる"証拠"を見て死人は確かに喜ぶ。
彼の目の前にあったのは、豪快に折られた樹木だった。
それも太さ5mを越える大木である。しかも一本ではなく、そこら中の木々が根刮薙ぎ倒されていた。
「………まだ折られてそんなに経ってねえな。ギャハハ。期待がたかまってきたぜ」
更に進むとそこにあったのは湖。
7平方kmはあろうかという巨大な湖である。
………否、普通、湖の中心から木が生えることはない(その木も容赦無く折られていたが)。
「ギャハハ……。つまりコイツは"ただの水溜まり"ってか。笑わせてくれるぜ」
いや、笑えない。広大な湖程の広さの水溜まりなど決して笑えない。
「しかも海水だなコイツは……ふーん…?」
臆すること無く、更にその先に進む。
やがて、獣道は途切れて切り立った崖にぶつかった。
そして、その崖の下から巨大な竜巻が巻き起こっている。
「おうおう……デッケェ竜巻だなオイ」
その大気の渦が樹木や岩を吹き飛ばしているのを見る限り、先程の折られた木々はこの竜巻の仕業と見て間違いないだろう。
即ち、"この竜巻を起こしている元凶"の仕業でもある。
こんな自然界の破壊者に立ち向かうなど無謀でしかない。
人間にとってこれは恐怖そのものである。
が、しかし。
斬鮫死人は人でありながら鬼である。
人が畏れるものを、鬼が畏れるとは限らない。
「ギャハハハハハハハハハ!! ヒャーーーッホウ!!!」
恐れ知らず、崖から飛び出した死人は竜巻のど真ん中に突っ込んだ。
本日二度目の自由落下(ハードコース)である。
嵐の海に弄ばれる小舟のように、風で舞い散る木の葉のように、死人は竜巻の中をしっちゃかめっちゃかに振り回されていた。
そして流されるがままに――この竜巻の主に出会した。
「うっ……おお!! 来た来た来たァ!!!」
黄色いローブに羊の角、荒れ狂う竜巻の中央に居座る、異形なる存在。
本来であれば、その姿を見ただけで人は理性を失う。
名を、風の大魔王、『ハスター』
それだけではない。
竜巻の真下、激しい煙で見えなかったが波が荒れ狂っていた。
そう、森の中に海があるのである。
その荒波の上に立つのは、青く、不定形の触手の体。
纏う覇気は、ハスターに負けずとも劣らない。
名を、大海の邪神、『クトゥルー』
「ギャハハハハハハ!! 流石人外魔境ってか!! 最ッ高だぜこりゃ!!」
ハスターとクトゥルーは死人に見向きもしなければ気づきもしない。
人間が足下を彷徨く蟻を気にかけないように、彼らが人間を気にすることはない。
しかし彼にとってはそんなことは些細なこと。
袖口からワイヤー付きのナイフを取り出した死人は風を生んでいるが故に近づきにくいハスターではなく、下方のクトゥルーに向けてそれを投げつけた。
真っ直ぐに飛んだナイフはクトゥルーの頭部に突き刺さった。
『痛ッ!!』
「ギャハハ!! 無視してんじゃねえぞ!?」
流石に直接的な被害を被れば、その存在に気づく。寧ろ、怒りの感情に支配されるであろう。
事実、クトゥルーはその狂暴な眼を死人に向けてきた。
「ッ………!!」
その射殺すような視線を受けて思わず死人も怯む。
「(やっちまったな……だが、やるだけやらせてもらうかァ!)」
死ねばそれまで。生き残る道よりも殺す道を選ぶ。
それが、殺人鬼、斬鮫死人の生き様。
『イ………』
「い?」
相手は神格、どんなことをしてきても不思議ではない。
最大の警戒をしつつ、クトゥルーが起こす行動を待つ。
『………いったーい!!! いきなり何するのよ!!!』
「…………はァ?」
流石に予想外だったのだろう。思わず体制を崩してしまった。
そんな風に呆けていた彼の目の前でクトゥルーは姿を変えていく。
それに合わせてハスターも変化していった。
「いきなり頭に刃物を突き刺すなんてどういう神経しているのよ……」
「ククッ。いい様だなクトゥルー」
その姿は完全に人間のものである。
水色の半透明の長い髪を携えるクトゥルー。
黄色いローブで身を包むハスター。
先程までの恐ろしい姿は完全に無くなった。
「………あ~。お前らはさっきの邪神……だよな?」
「そうよ。目の前で見てたでしょう?」
「つまり、俺がハスター。コイツがクトゥルーだ。神格なら人化する術の一つや二つくらい当たり前なんだよ」
「成程なぁ」
じっくりと二人を見つめる死人。
先程までのおぞましい姿ではなく、かなりの美少女であるクトゥルーとイケメンのハスターとなっている。
「………つーかなんか違和感あるんだよな。俺自身マトモじゃねーっていう自覚くらいあるけどよ、なーんでオマエラを見ても俺はトチ狂ったりしねェんだ?」
クトゥルフ神軍に属する生物には共通した特性がある。
それは、『その姿を目視した者は発狂する』というものだ。
種族によってその度合いはそれぞれだが、この二体の場合、普通に二度と正気には戻れないレベルの発狂に陥る。
しかし、死人の精神には至って異常なし。元から狂ってはいるがそれ以外は特にない。
「そんなの当たり前だろう。俺達は力の九割程を封印されているのだからな」
「封印……ああ。なるほどな。確かにそんなことになってたなァ。そォいや」
正式にクトゥルフ神軍の知識があるわけではない死人は「なんとなくそんな気がする」程度で二人の状況を把握していた。
「………で? どーすんだよ? 俺を殺すか? それとも俺に殺されるかァ?」
何時でもナイフを出せるように待機しながら死人はニヤリと笑って問いかけた。
「アンタ……邪神に対してなんて態度を……ちょ、ハスター?」
「そうだな。お前のように特異な存在を殺すのは惜しい。かといって我々を殺すのは不可能だ。何せ不死身並みの治癒力を持っているからな」
「そりゃそーだ」
拍子抜けたように警戒を解く死人。
流石に不死身を殺せる刃など彼は持ち合わせてなどいない。
「じゃあもうどうでもいいか。邪魔して悪かったな。あばよ」
「まあ待て。此方の話は終わっていない。そこで我々がお前に同行するというのはどうだ?」
「「はあ?」」
死人とクトゥルー、二人が同時に変な声を上げた。
そんな事は意に介さずハスターは続ける。
「悪い話では無いぞ? 我々が共に行くならばお前も我々の力をある程度使えるのだからな」
「へぇ……? ま、俺がどうこう言うことじゃねぇな。勝手にしろ」
「ちょっと待ちなさいよハスター!! 私はコイツを認めてないわよ!!」
プライドの高いクトゥルーは当然ながら拒否する。
しかしハスターは、
「お前、俺とのゲームに負けた時の命令権を忘れていないか?」
「ぐぅっ!?」
「一つ、俺の命令を何でも聞く。だったはずだ」
「~~~ッ!! 分かったわよ!! 行けばいいんでしょ!!」
最早やけくそである。
「なんだこの邪神共」
こうしてよく分からないうちに二人の邪神が着いてくるようになった死人であった。
混沌と波乱に満ちているクトゥルー神軍らしいと言えばある意味らしいだろう。