大尉とオーバーロード 作:まぐろしょうゆ
明らかな異常が起きていた。
リ・エスティーゼ王国の貴族も王もこれらの問題に関しては
普段の政争を棚に上げて共に頭を悩ませている。
王国とバハルス帝国の国境沿い……トブの大森林近くのカルネ村が全滅した。
文字通り人一人残らず、遺体もなくなってしまっていて、
近いうちにカルネ村はあらゆる地図上から消滅するだろう。
だが、王と貴族を恐怖の領域にまで悩ませた原因はカルネ村虐殺ではない。
いくつかあるが、最大の理由は
王国最強の戦士ガゼフ・ストロノーフが消えてしまったことだ。
国境沿いの村々が襲撃されたことに対して派遣された彼だが、
死体も残さず村人ごと失踪は尋常ではない。
そして、カルネ村を契機として村への襲撃が変わった。
それ以前に襲われた村はやはり殆どが全滅したが、
死体は確認できている。
だが、それ以降……現在も続いている襲撃は全て死体が消えているのだ。
しかも規模と頻度が桁違いに上がっていて、
先日報告に上がった村が東面・国境沿いの村落では最後の1つだった。
バハルス帝国の仕業だ。
スレイン法国の策略だ。
トブの大森林を住処としているという伝説の魔獣が暴れているんだ。
魔神が蘇った。 ドラゴンが来たのだ。
貴族たちも国王ランポリッサ3世も憶測でしか物を言えない。
そしてどの憶測も正解ではない。
しかし、王も貴族も次に起こるかもしれない襲撃先はなんとはなしに察していた。
次はどこぞの都市が襲われる……と。
だが、王達は有効な手立てがない。
なにせ、調査に派遣した兵達は皆、村人と一緒に消えてしまう。
初手でガゼフという最強の手駒を失った時、
最初こそ貴族達は喜んだものの今では
「ガゼフがいれば……」
と頭を抱えていた。
そして貴族たちは祈る。 自分の領地は無事で済みますように、と。
そして同じ問題に悩まされているのは王国だけではない。
犯人であることを王国から疑われていたスレイン法国とバハルス帝国。
この2ヶ国も国境沿いの大襲撃には恐怖していた。
スレイン法国でさえ魔法で覗こうとすると術者が破裂してしまい、
そして偵察を派遣すれば派遣しただけ完全に音信不通となる。
帝国も似たようなものだ。
今では3国の境に最も近い城塞都市エ・ランテルは、
周囲の村々が次々に失なわれているという情報が
毎日のように飛び込んできているのだ。
「悪魔だ…悪魔がエ・ランテルを襲っている」
エ・ランテルの老人が震えながら呟く。
まさに悪魔の仕業としか思えないぐらいに悪い知らせが立て続けだ。
冒険者達が次々に失踪している。
交易商人達が行方不明になっている。
猟師たちが消えていく。
都市を一歩出れば確実に消える。
そして帰ってこない。
今や恐怖の都市となったエ・ランテルの民達は出て行く事も出来ず、
ただガタガタと家の隅で震え神に祈るしか出来ない。
そんな鬱屈した日々が長く続き、人々の心も疲れ果てていたが
エ・ランテルの貯蔵が尽き始めていよいよ干上がるしかないのかと思われた時、
事態は急激に動き出した。
この異常事態に、一時的な休戦をこじつけた
王国・帝国・法国の三大国が共同出兵を断行したのだ。
王国の貴族達自身が、どうしようもないほどに身の危険を察したことで、
遅きに失しながらも彼らがかつてない程精力的にそれぞれのチャンネルで外交に励み、
そして帝国の聡明な皇帝がこれに乗り、
王国貴族、皇帝の両方から
これはまったく歴史的快挙と言っていい。
互いに敵意を持ちつつの連携も何もないハリボテ連合軍。
何か切っ掛けがあれば瞬時に瓦解して互いを攻撃しあうだろう。
だがそれでも、
見えざる脅威に支配されているエ・ランテルに向き合わなければいけないという事実は、
彼らを一定の絆で結ばせている。
「ぐ、軍隊だ! 軍隊が俺達を助けてくれるぞ!!」
エ・ランテルの誰れもがそう叫び拍手喝采で連合軍を出迎える。
それは希望の叫びだった。
闇夜に紛れてエ・ランテルまで5里という距離まで来ると、
即席の連合軍は陣形を整えて野営準備に入った。
燃料さえ節約し最近は真っ暗な夜が続いたエ・ランテルに、
久方ぶりに灯火が煌々と光る。
「ありがとうございます…正直、このまま干上がるかと覚悟しておりました。
まさか、軍が物資を放流してくれるなんて…
っと、これは失礼を」
「いやいや、私も正直信じられないよ。
ガゼフ隊長がいればきっとあの人が一番喜んだはずだ」
市民と軍人は微笑みながらそういう会話をそこかしこで繰り広げた。
久しぶりにエ・ランテルの人々は身も心も温かいもので包むことが出来たのだった。
広がる安堵。
エ・ランテルを見守り続けた城壁の上の兵士も憩う市民を見て微笑んだ。
城壁は堅牢で、そして城壁の直ぐ外側には三国同盟の大軍がいる。
こんな安心できる夜はいつぶりだろうか。
そう思いながら城兵は夜の警邏を何時も通りに全うしようと、
長年の警備で鍛えた夜目でまた遠くを監視し始めて…、
そして
「おっ、見ろ。またもやご同胞だぜ」
気軽になった心のままに隣の同僚へ言った。
「こりゃ頼もしい。俺ァ今日ほど人間って奴ァいざとなれば頼れるんだ、って思ったことはない」
「ははは、まったくだな。最近は嫌なこと続きだったが、ようやく時代も良くなンのかね」
規則正しい足音を高らかに響かせて新たな一隊がエ・ランテルへ近づいてくる。
堂々と、一糸乱れぬ歩調で。
余りにも規律乱れぬ彼らの姿は正規軍の中でも精鋭に違いない。
「すげぇな、あの部隊。どこの国だろう」
「うーん、少なくとも王国じゃねェのは確かだな。
きっと帝国さ」
「いやいや、きっと法国だぜ。あの動きは宗教に厳格な法国人っぽいって」
「お?賭けるか?今日の勤務明けの一杯」
「いいねぇ、外した方の奢りだな」
城兵達の軽口は弾む。それぐらい心が軽かった。だが、
「ん?……おい、あいつら…」
「なんだ?」
「あの光…赤い光…?」
「あっ?」
「…見ろよ、あいつら…おかしくないか?なんだあの光…無数に…」
言われた兵士はジッとその一隊を見た。
確かに夜の闇に赤い光点が無数に浮かんでいた。
「まさか…」
兵士たちは互いに顔を見合わせて、そしてある想像をして顔を真っ青にした。
そしてその瞬間、
「あれ?お前…首は?」
「え?あ?お、お前こそ…首…おかしい――」
彼らの首がポロリと床に落ちた。
鮮血が首の切断面から吹き上がる。
全ての城兵の首がほぼ同時に切断されていた。
革手袋から僅かな血を滴らせた、
近代的な軍服姿の男が城壁の一際高い場所に音もなく降り立って、
そこからエ・ランテルの街を見下ろす。
その男…大尉がそこに降り立ったのが合図だった。
規則正し過ぎる足音を響かせていた一隊が突然消えた。
消えたような素早さで皆飛び跳ねて駆け出していた。
「ぎゃあああああああ!!!」
夜営場のあちこちから悲鳴があがる。
「なんだ!!何が起きた!」
「裏切りだ!」
「なんだと!?どいつが裏切り者だ!!」
兵士達が騒ぎ出す。
眠りだしていた者らも飛び起きて、状況も分からぬままに抜刀し夜の闇の中駆け出す。
そうするしかない。
「敵だ!斬れ!!」
そして眼の前のものを斬る。
「スレイン法国が裏切った!!」
「なんだと!!貴様らこそ、やはりこれを狙っていたんだろう!!」
「くそ…こんなことだろうと思ったぜ!」
もともと疑心暗鬼を秘めた連合軍だ。
きっかけがあれば瓦解するのは当たり前だったが、
それにしても彼らは余りにも呆気なく自壊していく。
同士討ちがあちらでもこちらでも起き始めたが、
その混乱の中でも気付いた者はいた。
篝火に照らされた中に、両目を爛々と赤く光らせた青白い肌の者らがいたことに。
「ヴァ…ヴァンパイアっ!!」
「ひ、ひぃ…!なんでこんなとこに吸血鬼が!!?」
「やばいぞ…何て数だ!陣形を崩すな!」
「そうは言っても!後ろからは王国が攻撃してきてんだぞ!?」
「く、くそ…!!
真っ先に襲撃を受けた法国軍は不運だったとしか言いようがないが、
これ程統制がとれたヴァンパイアの群れによる攻撃。
ひょっとしたら一番与しやすい王国は敢えて攻撃されずに、
狙って法国軍を攻撃しているのかもしれない。
対異形種、対アンデッドに慣れた法国が吸血鬼らに真っ先に狙われたのも道理だった。
そして、法国軍は気付いた。
今襲ってきているヴァンパイア達は、普通のヴァンパイアとは一線を画する、と。
「なんなんだ!なんなんだよコイツら!ば、化物だ!!」
「手を緩めるな!魔法を唱え続けろ!止めたら死ぬぞ!」
召還した第二位天使達がまるで相手にならず、瞬く間に殲滅されてしまう。
どれほど召還しようと意味がなかった。
そして膂力も素早さも異常だ。
生半可な魔法は物理的に回避されてしまう。
不可避の筈のマジックアローを撃とうとも、
このヴァンパイア達は
そして…、
「撃てっ、撃て撃て!唱え続け――ひっ、なんだ!?死体が!」
吸血鬼に心臓を貫かれた筈の仲間の死体がズルリと動き出す。
頭部が半分欠けていようが、四肢が無かろうが、
臓物を垂れ流していようが、ズルズルと這いずって人間を亡者に加えようと向かってくる。
「あ、ああっ…だ、ダメだ!もうダメだ!」
「おい!逃げるな!戦列を離れるな!!」
「無理だ!おい、俺たちも逃げよう!」
「ひ、ひぃぃ…!」
もう法国だけではない。
背後の王国軍も、そして右翼に陣取っていた帝国軍も、
あらゆる陣幕から既に火の手は上がっている。
この惨劇がそこらじゅうで起こっているのは明白だった。
火の手があがる。
煙が何百筋とエ・ランテルの外壁の周囲から上がる。
きっと都市の人間は生きた心地がしないに違いない。
援軍が来たと思ったらこの有様だ。
持ち上がってから絶望の淵に叩き落とされた都市の市民達は、
果たして正気を保っているだろうか。
城壁の見張り塔、その一番高い屋根の上から都市と草原を見下ろす人狼は、
瞬きすらせずに地獄の戦場と化したエ・ランテルを眺めている。
ニィ、と赤い目だけで彼は笑ったようだった。
◆
「おばあちゃん、早く、早く荷物を絞って!それはいらないから、早く!」
「ンフィーや、そう急かさないでおくれ!でも、これはいるし、これも捨てられんし」
「そんな場合じゃないでしょう!応援に来てくれた軍が、もう壊滅状態だって…!
エ・ランテルに最後まで残るって言ってた裏のおじいさんももう逃げたって!早くしようよ!」
エ・ランテルで一番と名高い薬師であるバレアレ家は、
ギリギリまでエ・ランテルの人々の為に倉庫中の薬剤を使ってポーション作りを続けていた。
しかし、とうとう彼らも逃げ出す決意をしたようだ。
大慌ててで荷物を選別し、必要最低限で着の身着のままの彼らは、
今まさに長年親しんだこの店舗兼家を捨てて飛び出す…
飛び出そうとしたその時、扉が軋んだ音を立てながらゆっくり開いた。
「あっ!!」
ンフィーレアは叫んだ。
「エ、エンリ…エンリ…!エンリ…!!っき、君なのかい…?」
彼の声は震えていた。それは多分、感嘆からだ。
エ・ランテルには色々な噂が集まってくる。
謎の襲撃が頻発するようになってから
旅人も商人のキャラバンもぴたりと来なくなってしまったが、
その襲撃事件の少し前、エ・ランテルに届いた噂にこんなものがあった。
〝カルネ村は全滅し、そこにいた王国騎士団長のガゼフも死んだ…〟
そういう噂だったが、ンフィーレアは認めなかった。
カルネ村には彼の想い人エンリ・エモットがいて、
ンフィーレアもよく行商がてらカルネ村には足を運んでいた。
慣れ親しんだ村で、大切な人の故郷だった。
直ぐにもエ・ランテルを飛び出して確かめに行きたかったが、
もう謎の襲撃が起きるようになってしまってエ・ランテルから出ることは容易でなくなり、
ンフィーレアは意気消沈してずっとこの
ずっと気にしていた、その想い人が突然目の前に現れた。
純朴な青年が感動に打ち震えたのも仕方ないだろう。
「エンリ!ぶ、無事だったんだね!カルネ村から逃げてきたのかい!?
でも、もうここも危ない!一緒に逃げよう!おじさんとおばさんは、ネムちゃんも一緒かい?
いこう!さっ、荷物は最低限でいいから!
道中の路銀とかは、僕とおばあちゃんの薬師の知識でどうにでもなる!」
「…っ!ンフィー!は、離れるんだ!そいつは…!」
ンフィーレアの祖母が何かに気づき、血相を変えた。
「ありがとう、ンフィー。でも、私は大丈夫。
私ね、変わったのよ?…フフッ。
…ンフィーも、もう大丈夫よ」
少女は瞳を赤く光らせて無味乾燥に微笑んだ。
弧を描いた愛らしい唇からは、鋭い牙が僅かに覗いていた。