帝国の首都アーウィンタール。
この街の中心部にある皇帝の居城にて、要職についた者達による白熱した議論が交わされていた。いずれも定期的に行われる王国との戦争と関わりが深い者達だ。
「今こそ好機ではないでしょうか? 話によればクーデターにより慌ただしいとは言うものの、王の権力は一本化され風通しが良くなったというではありませんか。時間を置いては今までの策略が無駄になりかねません」
「王国が浮き足立っているというのは理解しているが、それでこちらが拙速となるのは本末転倒では? 何も急に兵が増えるわけでも作物が穣るわけでもないのだから、これまでの成果がなくなるとは言えないでしょう」
「招いているマジックキャスターは動かないのですか? フールーダ様を遥かに越えるとなれば戦況を決することも容易いでしょう」
様々な意見が取り交わされ、しかし皇帝により却下されていく。
「お前達の意見も尤もだ。だが戦に関しては取り止める可能性すら視野に入れておけ。それとオーディンは戦のために招いている訳ではない、後々取り込みたいとは思っているが時期尚早に過ぎる。下手にあれの機嫌を損ねた者は極刑に処すと通達した筈だ。くれぐれも軽はずみな行動は取るなよ?」
交わされる意見を静かに聞いていたジルクニフだが、答えが必要な意見には一気に返答していく。
「な、何故ですか? 戦の取り止めなど、それこそ王国が態勢を立て直す助けにしかなりません」
ジルクニフの前の代から、じわじわと真綿で締め付けるように削いできた王国の戦力と国力。このタイミングで戦を止めるともなればここ数年ほどの戦が無駄になったも同然だ。臣下の疑問も当然だろう。
「カッツェ平野の近くに刺激したくない勢力が現れた。対応を誤れば国が滅びかねないほどのな。詳細は伏せるが調査が終わり次第また会議を開く」
その勢力に対する一切の諜報活動は禁止する、と厳命し会議はお開きとなった。
「…ふぅ」
私室に戻ったジルクニフは溜め息をつきながら椅子に深く腰掛ける。
「激動の年、だな」
確実に世界は大きな変化に飲み込まれようとしている。だがそれも仕方ないだろう。
「神の再臨となれば当然だろうな…。だが流れを御することは出来ずとも、上手く乗ってみせようじゃないか。幸いにその切っ掛けは掴むことが出来た」
六大神は世界の基盤を創った、八欲王は世界を恐怖に陥れた、ならば今回の来訪者はどちらなのか。
自分の手腕が帝国の行く末を決める。そんなことは皇帝の椅子についた時から解っていたことだが、これ程の実感を持ったことはジルクニフと言えども初めてである。
「フールーダが上手くやっていればいいのだがな…」
先の話に出た勢力、ナザリックへ昨晩から出向しているフールーダ。実際に足を踏み入れれば何かと判ることも多いだろう。
だがジルクニフは不安だった。フールーダの命が失われるかもしれないことに―――ではなく魔法の研究に夢中になりすぎて周囲を全く気にしないことにだ。
「信じているぞ、じい」
残念ながら、無理である。
「あー、英雄のお兄ちゃんだー」
そんな一人の少女の声を聞いた道行く人々の視線が、声を掛けられた人物へ集中する。
「う、うわ…」
ここ数日でこの後に起こる展開は解りきっているため、取り囲まれる前に全速力で道を走り抜ける。ガシャガシャと鎧の音を響かせながら人影の薄い路地裏まで辿り着き、誰も追ってきていないことを確認して、やっと一息をついた。
「ふぅ…。こんなことになるなんて、いいのかなぁ…」
豪華な鎧に身を包み、溜め息をつきながらもどこか夢心地な様子で一人呟く彼の名前はクライム。黄金の姫の想い人であり、今の王都の話題をさらう若き英雄である。
「そんな実力もないのに英雄なんて、どうすればいいんだろう」
確かに国を救うことが出来た。最も護りたい人を救うことが出来た。だがそれは実力あってのことではなく、はっきり言って奇跡のようなものであるとクライムは考えている。そんな実力不相応に持て囃されるだけではなく、なんの間違いか王女との結婚の話まで出ているのだ。夢心地な気分になるのも仕方ないだろう。
「ガゼフさんは忙しすぎて話すことも出来ないし、ブレインさんは街を出てしまったし…」
相談出来る相手が居ないのが目下の悩みである。ラナーと結婚出来るのが嬉しくないわけではない。ほのかな恋心も自分で理解していた。だが降って湧いたような幸運に戸惑い、分不相応な立場となるのに幾分かの恐怖を感じているのだ。
しかしこの話を断るなどということは更に無理だとクライムは思う。どんな厚顔無恥さがあれば王国一の美女であり、王国一の優しさを持つ女性の求婚を断れるというのか。
「結局は考え方の問題かなぁ…」
うじうじと悩んでいても仕方ないかと、自らの主であり未来の妻でもあるラナーの元へ戻るクライム。
彼は気付かない。黄金の姫の思惑も、執着も、異常さにも。
知ることは幸せなのか、無知は罪なのか。それは誰にも解らない。
「あー、暇でありんす。攻めてくるならさっさと殺しんすのに、面倒臭い」
蜥蜴人の集落が危ないと聞いて、殲滅に関しては計画があるため保留にしたアインズ。
だが実行までに蜥蜴人が滅んではなんの意味も無いのでアウラと配下の魔獣達、シャルティアとその配下の者達を派遣していた。守護者二人という大盤振る舞いである。
この采配には深い意味があるのだろうと、誰も口を挟まなかった訳だが実際は「責任者は二人くらい派遣すればいいかな」という適当な采配であった。
とはいえ全く考えなしというわけでもない。派遣するとしたら親交のあるアウラになる以上、なにかあればすぐ戻すことが出来るシャルティアをつけたのだ。
「真面目にしなさいよ。集落を護れなかったらアインズ様に失望されるわよ?」
「解ってるでありんすよ。…はぁー」
「ど、どうしたの?」
脅しも効かず意気消沈としているシャルティアに、本当は気の置けない仲であるアウラは戸惑いながらも問い掛ける。
「アインズ様はもう手の届かない存在になりんした…。この心の隙間は一体何で埋めればいいんでありんしょう」
大仰に手を振ってポエミーに振る舞うシャルティア。
「あ、あんたねぇ…」
パンドラズ・アクターもかくやといった大袈裟な演技に呆れるアウラ。もうどうでもいいやと出された料理に口をつける。
「なんというか、すまんな…」
拠点に家を貸し出しているザリュース。自分達は生で食べる魚も、客人のために四苦八苦して調理したりと苦労しているのだ。
「いいのいいの。ほっとけば治るでしょ」
正直なところ全く美味しいとは思っていないアウラだが、ザリュースが手間を掛けて出しているのも理解しているため無理に食べているのだ。ナザリック以外の者にこれほど気を使っていることに、他ならぬアウラ自身も少し驚いていたりする。
「…」
そして机に突っ伏しながら、そんなアウラを横目に見て意外そうにしているシャルティア。
ザリュースと歓談している様子から見ても、随分と性格が変化しているようだと考察する。
そういえば、とシャルティアはナザリックそのものもこの世界にきて変わったものだと今更に思い始めた。
至高の41人の殆どが居なくなる中、一人残ってくれた愛しの君。自身に残る全ての忠誠を捧げ、永遠とナザリックの中で完結すると思っていた日常。
それはこの世界に来たことで否応なしに変化し、主との関係も少し変わった。どちらがいいかと聞かれれば間違いなく今の関係だ。
ユグドラシルに居たときよりもずっと近い距離は自身に充足感を与えてくれる。今まで不敬と思っていて口にだせなかったようなセリフもふいに出るようになった。
それはこの世界に来たことというよりも、一人の人間から始まったように思える。今は居なくなってしまった創造主の友人で、知らないことを沢山教えてもらった。
彼が来たことで主の雰囲気が随分と穏やかになったのは気のせいではないだろう。ナザリックの人間蔑視の風潮も少し薄れ、自分に至ってはそれなりに好意も抱いている。
そう考えるとアウラから見た自分も随分と変わっていたりするのだろうか。最近はあまりちゃんと話していないし、今度ナザリックに帰ったときは―――
「おーい!」
「ぶっ!」
ゴツン、と自分の頭から固い音がする。
「何すんのよオチビ!」
「だってなんの反応もないから…」
「う…」
任務中に呆けていた自分も悪かったようだ。
「…はぁー」
「また溜め息。幸せが逃げるわよ?」
「もう逃げられたでありんすよ…」
面白い遊び相手でも来ないかな。暇潰しに耐えられるくらいの。
鍛え上げれば、世界最強の剣士に手が届くと思っていた。
最高の武技を修め、かつて辛酸を味合わされた強敵すら越えたと思っていた。
そんな思いが、今考えると儚すぎるそんな思いがこの身にあった。
間違いだと気付いたのは、気付かされたのは常軌を逸した化物との邂逅だ。技もなにもない、あるのはただただ上に広がっている途方もなく高い強さの壁だった。
種族の壁なんてものじゃない、どれだけ差があるのかも解らない、高い壁。逃げ出したのは死の恐怖と生存本能によるものだが、何よりも大きい理由は目を背けたかったからだ。
信じられないほどの実力差から。信じたくないほどの現実から。
「だけどあいつは…闘ったんだよな…」
ガゼフから紹介された少年とも言えるほどの若い騎士は簡単に見て取れるほど未熟だった。
少なくとも自分やガゼフには及びもつかないだろうことは直ぐに解った。話す機会は幾度かあったが強いと思ったことなど一度も無かった。だが。
「腕が千切れても、心臓が止まりかけても、絶望的な実力差があっても、心は折れなかったんだよな…」
強さとは何かと聞かれれば、相手を屈伏させる実力だと思っていた。だけどガゼフと街の噂から耳にしたクライムの強さは自分の思う強さとは違っていた。
「立ち上がらけりゃ何も変わらない。俺が欲しいのは、そうだ、心の強さなんだ」
何をすればいいか到底わからないが、とにかく歩き出したかった。持ち物も適当にガゼフの館を飛び出し、あてもなく街を出た。
「もういちど、鍛え直そう。今度は負けないように、今度は折れないように」
修行と言えば山か森あたりか。近いのはトブの大森林だろう。
「そうだ、森林へ行こう。」
いい出会いがあればいいんだがな。
オデンキングとアインズの魔法講座 2
「《サモン・アンデッド・7th/第7位階死者召喚》」
黒い霧状のもやが現れ、次の瞬間にはそこからデス・ナイトが出現する。
「ううむ、こうも簡単にいくとは…。確かに召喚の仕方も『なんとなく』という言葉は正しいように思うな」
魔法を使用したのはフールーダ。つい先程までは6位階の魔法が上限であった彼だが、今は念願でもあった7位階の魔法を使用することが出来ていた。
「二人とも、問題なく使えましたぞ」
振り返り、別の魔法を試しているオデンキングとアインズに声を掛ける。
「のおぉ! 壊れたぁー!」
「え…普通に成功しましたけど…」
「嘘!?」
ギャアギャアと喧しく魔法を試しているこの二人は、ユグドラシルには無かった生活の役に立つような0位階とも言うべき魔法をこちらの世界の理論に基づいて使用していた。
「むう《リペア/修復》を使用して壊れるとは興味深い…。耐久力が低くなることは確認しているが、はて…?」
自分の成果もよそに新しい事象について考え始めるフールーダ。
「恐らく魔力の量が問題では? 調べてみたが私の方も随分と耐久度が落ちているようだ。細かい調整が必要ということでしょう。魔法の攻撃力はオーディンさんが少し上ですから、そこの違いが出た可能性もありますね」
自らの考察を述べるアインズ。フールーダはその推論に成る程、と相槌を打つ。
「それで合ってそうですねー。お、フールーダさんもデス・ナイト召喚出来ましたか」
「ああ、しかしこうもあっさりと成功すると今までの努力が虚しくなるというものだ…」
「あはは…。まぁ今までがあったから今がある、ということで一つ」
フールーダが容易く7位階を使えた理由、それは単純にレベルが上がったからである。アインズにより召喚されたモンスターをオデンキングが手伝いながら討伐する。それを何度か繰り返しレベルを上げたのだ。
「しかし上げる職業レベルを選んでいないのにこうなったってことは、やっぱりアインズさんの推察が正しいのかな?」
「一つの事例だけじゃ判断出来ませんが、その可能性もありそうですね」
アインズの推察、それはこの世界の人々の職業レベルの上がりかたについてである。
ゲームの設定が現実に則したものとなっているのは間違いないが、この世界の人間は画面を見つめて職業を選択するようなことは出来ないのだ。
ならば一体どう選択されているのか。それは恐らく、純粋に知識や技術として学んだものが反映されているのではないかというのがアインズの推察だ。
実際のレベルとは別にそういった蓄積がなされ、魔力が足りて知識と理解が完璧ならばレベルが足りなくとも発動が出来る。スキルもしかり、本人の技術やセンスなどによりスキルツリーを無視して習得出来る可能性もある。
そこに実際のレベルが追い付けば相乗効果も期待できる、ということもあるかもしれない。
「実際、蒼の薔薇の方も低レベルで忍術使ってましたし無くはないんじゃないでしょうか」
「あ、そういや忍者は最低でもレベル60は要りますもんね」
うんうんと頷くオデンキング。ついでにあの個性的な漢女を思いだしてしまい、頭を振って掻き消す。
「しかしそれだけでは説明がつかないものもありますな。少なくともサモン・アンデッド系統に関しては知識も魔力も足りていた筈だが、7位階は使うことが出来なかった」
二人の考察に疑問を差し挟み、本人もううむと唸りを上げる。
「あ、確かに…。となるとどうなんだろう?」
「まだ始まったばかりですよ。どんどん検証していきましょう」
「ふむ、今度は《リペア/修復》の精度を上げることが出来るかやってみませんかな? 実際に理論を理解して使用した感触により考察の正しさを―――」
3人の議論はまだまだ続くようだ。
話は進まないので短めです。
ブレイン「森の奥深くにはすごい達人が居たりして」ワクワク