クレマンティーヌは予想外の事態に少し焦っていた。
オデンキングと楽しく喋りながら道を歩いているクレマンティーヌ。
彼女の人生を振り返ってみても、こんなことはもしかしたら初めてかもしれない。
弱者を殺すことに愉悦を感じ、自分より強い人物には敵愾心をたぎらせ、ただ強くあることが彼女のアイデンティティであった。
自分より格上の人物を見たことは今までだってある。
だが永遠に敵わないなどと思った人物はいなかったのだ。
オデンキングに会うまでは。
心を折られているというわけではない、いや一度は折られかけたが今は立ち直っている。
強さに屈伏した訳ではない、むしろ精神的には現状対等である。
ただ、ストン、と胸の内で理解出来たのだ。
きっとこの男には未来永劫敵うことは無いだろうと。
それなのに何故か敵愾心も嫉妬もわきあがらない、こんなことは初めてだった。
だからかも知れない、その疑問を知りたくて似合いもしない色仕掛けで無理矢理ついていこうとしているのは。
何故かは知らないが力も速度も昨日の自分とは比べ物にならないくらい強くなっているのだから、法国の追っ手から身を守ってもらう必要なんてなかった。
ただ何となく別れたくなかったから体で繋ぎ止めた。
それだけだ。
隣を歩きながら馬鹿なじゃれあいに興じているのは楽しかった。
本当かどうかもわからない変態バードマンの話や、スライムの最強種なのに何故か体に鞭打って働いている友人の話。
エルフの吟遊詩人と旅をして、天使や悪魔と笑い合う。
お伽噺のような世界の話なのに、不思議と嘘とは思えずついつい話に聞き入ってしまった。
そして話を急に打ち切って前方に意識を向けた彼に釣られて見たものは、立派な魔獣に跨がる勇壮な黒騎士とその傍らに添って歩く美しい女性だった。
横の相方がいきなり吹き出した。
「(どこに吹き出す要素があったんだろ…)」
クレマンティーヌは少し呆れながら相方に目をやろうとした瞬間、心地好い殺意が黒い騎士の隣の女から迸るのを感じた。
良い機会だ、とクレマンティーヌは嗤う。
強くなったという確信はあるものの、やはり実感を伴わせるには試し切りをしなければ。
いきなり襲いかかってきたのだから非は向こうにある。
相方を守るという大義名分があれば彼も怒るまい。
そんな言い訳を考えながら、かなりのスピードで拳を振るう女の手首を狙ってスティレットを振り下ろした。
「なっ…!?」
「…ちっ!!」
クレマンティーヌは手首を突き刺すつもりの斬撃が拳を反らすことにしかならなかったことに驚愕の声を上げ、ナーベラルは全力の拳を弾かれた上にこの世界にきて初めてまともにダメージを受けたことによって舌打ちした。
「(一体昨日からどうなってんのよ!!)」
クレマンティーヌは自他共に認める強者である。
彼女より強いものなど世界を見渡しても一握りだ。
そしてそれは昨日までの評価であり、更なる力を得たクレマンティーヌは今の自分に敵うものなど横の相方か六色聖典でも最上位クラスの化物だけだろうと思っていた。
しかし今の一合の撃ち合いで目の前の女の強さを、一端ではあるだろうが把握した。
「(ディンちゃん程じゃないけど、明らかに格上…!!)」
世界はいつの間にか強者に溢れていたのだろうか?
詮なきことを考えながら目の前の女に勝つため、クレマンティーヌは思考を加速させていた。
「(未だにディンちゃんを狙ってる。頭に血が昇って典型的な視野狭窄に陥ってるわね…)」
ならば、と
「こんな街のど真ん中で何のつもりー? 追い剥ぎかしらー。そういえば隣の鎧さんも品がなさそうだものねー?」
さらに頭に血を昇らせようと、ニタニタと嗤いながら女を煽った。
そして、ナーベラルから一切の理性が消え去った。
「塵すら残さん…!!《チェイン・ドラゴン・ライトニング/連鎖する龍雷》!!」
もはやナーベラルにはこの下等生物達を消滅させる以外のことは何も考えられなかった。
誰に静止の声を掛けられようが、もはやこのマグマの様に煮えたぎる狂気と憎悪は止まらない。
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。
ただし例外はある。自らが忠誠を誓う、いと尊き至高の御方だ。
それでも通常の制止の声だったならば耳に入るのは殺し尽くした後だったかもしれない。
ナーベラルを一瞬で正気に戻したアインズの声は。
「止まれ、ナーベよ」
初めて聞く、怒気を孕んだ声だった。
アインズはナザリック大墳墓の支配者であり、ギルド「アインズ・ウール・ゴウン」の頂点だ。
望んでそうなったわけではないが自分を慕う配下達が忠誠を捧げるのならば、支配者として君臨し彼等に報いなければならないと思っている。
だからこそ、いま全ての計算を御破算にしようとしているナーベラルには支配者として厳しく当たらねばならないと心を鬼にして叱責する。
「ナーベよ…貴様は今何をしようとしていた…?」
底冷えのするようなアインズの声で正気に戻ったナーベラルは、自分が起こそうとした事態を想像し身を震わせ、自身の死を決意した。
アインズが望まぬ騒ぎを起こそうとし、あまつさえ危険時以外では第4位階以上の魔法は使わぬようにと厳命されていたにも関わらず、激昂し我を忘れて使用しかけた魔法は第7位階だ。
制止があと一瞬遅ければ計画の大部分が変更を余儀なくされていただろう。
死を以ってしても償いきれない大失態。
ナーベラルの身にはいまや絶望以外の感情は欠片もなかった。
死の恐怖からではない。
たった一人残って下さった優しき御方に迷惑を掛け、あろうことか怒気を孕んだ声まで出させてしまった。
もはやこの身に価値などなく、これ以降至高の御方の役に立つ事が出来ないのがどうしようもなく悲しくなった。
「自分のしようとしたことが理解できたのならば下がれ、ナーベよ。 罰については追って沙汰を言い渡す。 …死を持って償おうなどとは考えるなよ? お前達の命すら私の物であると知れ。 それに、まだまだ役立ってもらわねば困るからな」
罰を与え、慈悲を与える。
まさに完璧な支配者であり、ナザリックの者達にとって理想の王だろう。
今が衆目を浴びている最中だ、ということを忘れていなければの話だったが。
なんか前半部分書いてるとき、クレマンティーヌの死亡フラグ書いてる気分でした。