―――日曜の昼下がり
「…アキト、春菜。ただいま戻りました。」
ヤミはたい焼き入りの紙袋を抱え、ウチへ帰ってきた。いつものように待ちきれなかった為、一つはもう既に咥えている。彩南に来てから増えた特技、"たい焼きを咥えたままでも普通に喋れる"が発動中であった
ウィイインン
玄関を抜けると掃除機の音がヤミの耳へと聞こえてくる。キレイ好き&家事好きの春菜が掃除をしているのだろう。
(昼のおやつにと買ってきた
玄関先で靴を脱ぎながらヤミは微かに微笑んでいた。
「…春菜、お疲れ様です。たい焼きでも…」
「あ、おかえりヤミ。今日も暑いな」
ぱちくり
ヤミは一瞬、目を疑った。アキトが一人で掃除をしている。珍しい。これはとてつもなく珍しい。
「いやぁ、いつも春菜が掃除してくれてるけど…こういう隙間とか、意外に汚れてるんだな。掃除しがいがあるよ」
「そ、そうですか…春菜に頼まれたのですか?アキトが掃除など、珍しいですね」
「まさか、自主的だよ。春菜なら出かけたぞ?俺は手が空いたから掃除してるだけだ」
「…は。アキト、今なんと?」
「だから自主的だっての。さっきまで自分の部屋も掃除したんだけど、マンガも多いし片付けるのは本当に大変だったよ。」
「じ、自分の部屋?貴方は自分の部屋まで掃除したのですか?あれだけ春菜が言っても聞かなかった貴方が…?」
チラリ、秋人の部屋へと視線を向ける。開かれたドアから秋人の部屋がよく見える。
よく見えるのはドアが全開のせいではなく…――――マンガが、ない?一冊もない?キレイサッパリ無くなっている!?春菜に似たえっちぃ美少女フィギュアもないですって!?
「あああ、アキト!貴方の部屋はずいぶんとスッキリして…大量にあったマンガなど、い、一体どうしたのですか?貴方が大切にしていた西
「ああ、あれか。フィギュアもマンガも売ったぞ」
「売った?!『春香フィギュアはこの世の至宝』とヘンタイの貴方は…」
「そんなもの、現実に居る春菜の魅力には敵わないな。そんなことより、いつも掃除してくれてありがとうな、ヤミ」
ポトッ
ヤミは咥えていたたい焼きを落とした。開いた口が塞がらない。アキトがタイヘンだ。
「ああっ落としたぞヤミ、なにやってるんだよ」
「…アキト、病院に行きましょう。ドクターミカドのところへ早急に」
「はあ?何言ってるんだよ、まだトイレ掃除と、お風呂場もそれにそろそろ洗濯が…」
「そんなことよりもっと大切なことですっ!」
「どうしたんだよヤミ、窓まで割って…ケガはなかったか?」
「アキト…っ!」
慎重にそれでいて高速で飛翔するヤミへ、秋人が身を気遣ってくる。普段の秋人なら思っても言わないだろうその言葉。今は嬉しいより悲しいヤミ
「ううっ…あきと…っ!パパぁ…っ!ううっ…!」
「お、おい、ヤミどうしたんだよ急に抱きついて…むぐっ!おい、胸が!顔に当たってるぞ!ヤミ!」
「アキトにならいくら触られても構いませんっ!」
最後は涙まじりで叫びながら、ヤミは御門涼子の元へ急いだ。
1
「…今日は平和ね」
いつもより断然静かなる
高い天井、天窓から光が降り注いでいる。部屋へと差し込む白の光はひたすらに穏やかで、平和であった。
此処はいつもの診療所から離れた、御門涼子のプライベート別宅
好きでしている事とはいえ、このところ御門は徹夜が続いていた。そんな中、この別宅で過ごす時間は日常から切り離された安息の時間―――まさに
「ふぅ、いい香り…美味しいわ」
白い光と白いバスローブ、髪には雫を纏わわせながら、御門涼子は紅茶を口に含んだ。完成されきった大人の色気と知性漂う双眸。今日の御門涼子はゴージャスで優雅である。美しい白の部屋にはなんだか甘ったるい香りが漂っていた。
「ミカド―、もうすぐ焼けるわよー」
もう一つ紅茶を手にした御門はそのまま声の主へ近づく、同年代の親友は声も中身も子どもとさほど変わらない。
「あら、紅茶?ありがと、ミカド」
「どういたしまして」
エプロン着でケーキと奮戦中の
「進捗は?うまくいってるの?」
「うん、なかなか上手に出来てるわよ?」
「そう、ならいいわ。ティアーユのケーキって不安でしかなかったもの」
「むー、何よその言い方は。私だってひとり暮らし長かったんだから、料理くらい出来るわよ」
繰り返しとなるが、今日は休診日である。ティアーユを別宅へ呼んだのは御門の単なる気まぐれだ。ヤミとの親子関係に特に進展のないティアーユを心配したわけではない、それにデートに誘ってくる男も居ない寂しい一人休みが嫌だったわけでもない。断じてない。単なる気まぐれだった。
「…へぇ、匂いだけなら上出来ね。」
「もう、まだ疑ってるの?心配しなくても大丈夫よ」
「ティアーユなら爆発くらいはさせると思ったわ」
「もう、ミカドったらいつも馬鹿にするんだから」
子どものように頬を膨らませるティアーユに御門はからからと笑った。珍しく子どもっぽい笑顔を浮かべる御門にティアーユも目を細める。
穏やかで、やさしい時間。まるで学生だったあの頃のような…――――
と、そこへ
「ミカド先生!あ!ここに居た!あのね!春菜がタイヘンなの!」
バタン!玄関ドアからは破天荒プリンセス、ララ・サタリン・デビルークが、
「ドクター!医者はここですかッ!!」
ドガッシャアアン!!と窓はおろか天井も盛大にブチ壊しながらヤミが落ちてきた。
「ドクターミカド!アキトに何が起こったか診て下さい!治しなさい!パパに何かあったらアンタを100回殺すんだからね!」
崩れ落ちる瓦礫と立ち込める白埃の中、頭に角を生やし半分ダークネス化したヤミが、
「ああん?御門先生?…いいトシしておっぱい見せてるんじゃないわよ。お兄ちゃんがおっぱいフェチになったらどうすんの?アンタそれ取りなさいな。足をお舐め」
「春菜が『ころころ性格くん』でこんな風になっちゃったの~!効果が消えるのはまだ先っぽくて…うぅ、ミカド先生助けてぇー!」
おそらく自分の"発明品"で失敗しただろうララが涙目で、そして目の据わっている春菜が暴言混じりに詰め寄ってくる。徹夜続きの御門にとって今日はいつもより断然静かなる安息日。穏やかで、やさしい時間。そんな時間が崩れてゆく―――そう、この別宅のようにガラガラと音を立てながら
「何ボーッとしてるの!?アンタみたいなオバサンってば、こんな時以外は役に立たないんだからサッサとパパ治しなさいよ!ほら早く!ちゃんとヘンタイに戻ってもらわないとイヴ困っちゃうんだから!」
「ああん?聞いてるの?そういえば御門先生ってお兄ちゃんと一番最初に会った時、おっぱい触られてたよね。私、触られてないのに……誘惑した?ねえ誘惑したんでしょ?足をお舐め」
「ふええ~ん!失敗しちゃった!お兄ちゃんで実験してちゃんと上手くいったのにぃ~!」
フッ
三人に詰め寄られながら、御門はひどく冷酷に嘲笑った。冷たく、毒々しい微笑み。まるで悪魔と取り引きした魔女のような、禍々しい微笑み
「ごほっごほっ…み、ミカド?」
隕石が直撃したかのように破壊された家で、なんとか無事だったティアーユ。心配して声をかけるが、応えない御門は紅茶をグイッと
パァンッ!
ティーカップを盛大に叩きつけた。粉々に砕け散るカップ、そして
「…いいわ、どんな患者も必ず救ってあげる…ッ!さあ、ついて来なさい…!」
埃まみれの灰色の背中をティアーユは目を瞬かせて見送るしかできなかった。
2
「…ダメね。こっちだけは戻らないわ」
「そんな…、お兄ちゃん」
御門はそう言ってカルテを閉じた。隣には元の清純清楚な優等生に戻った春菜が心配そうにしている。そこには先程まで御門に執拗に足を舐めさせようとしていた不良メガネの春菜はない。一方、真面目に大人しく座っている秋人は困惑顔だ。
「しかし、同じ発明品では同じ効果と時間のはずです。なぜ戻らないのですか?」
「原因不明よ」
「…プリンセス、何かわかりますか?」
ダークネスから元へ戻ったヤミはララへ問いかけた。ララは"金色の闇"からお叱りを受け『反省中。ゴメンナサイ』の札を首にかけ、正座中である。西蓮寺家でよく見られる反省風景だ
「え、え~っと……たぶん、ミカド先生の薬は効いてると思うから、何かショックがあれば戻ると思います、ハイ」
「…本当ですか。プリンセス」
「ウン…じゃなかった、ハイです」
「…ドクターはどう思いますか」
「そうね、私もララさんと同意見よ」
「ちなみに私もよ、イヴ」
「…ティアには聞いてません」
ヤミの辛辣な言葉をニコニコと受け流すティアーユ。ちなみに、ダークネス化したヤミを元に戻したのは彼女だ。優しく穏やかに、同じ目線で話しかける
「それにしても、ショックってどんなものがいいのかしら。やっぱり心理的なものよね?」
「当たり前でしょ、医者の私がまさか殴るわけにはいかないわ。心理的ショックは…どちらかといえば男の子が興奮してしまうような、そういうものがイイわね。例えば――――」
そんなティアーユだが、未だ親友の心を開けずにいる。先程から御門へやれケーキや紅茶を勧めたり、気遣わしげな視線を向けるなど健気にコミュニケーションを図っているが、上手くいっていない。「大丈夫よ」と微笑み返されるだけだ。負のオーラを纏う親友がとても心配なティアーユなのだった。
「お兄ちゃん…」
「どうかしたか、春菜。ごめんな、まだ掃除も洗濯も途中なんだ、帰ったら兄ちゃんすぐやるからな」
「うっ…お兄ちゃんが…!お兄ちゃんがお掃除なんて…っ!」
「お、おい春菜!なんで泣くんだよ!どこか痛いところでもあるのか?!」
春菜は今も秋人の傍で肩を震わせ、涙を堪えている。春菜は痛いところもない、自分の失態に羞恥し後悔しているわけでもない。今の自分に対して「ほっぺた真っ赤で涙目春菜たんマジカワイイ!やっぱウチの春菜たんが一番萌える!」など言わない秋人は秋人でないからだ
「春菜、頑張ってください」
「ヤミちゃん…」
ヤミが春菜の肩に手をやった。御門たちとの作戦会議が終わったのだ。
「春菜の手で…私たちの手でアキトを元に戻しますよ」
「うん…っ!」
涙を拭いながら、春菜は力強く頷く。秋人を元に戻す為ならなんだってやる、と春菜は固く決意していた。
***
「…ほ、ほんとに、これで元に戻るの?ヤミちゃん」
「私の勘です。信じて下さい…ハズレたことはたまにしかありませんから」
「な、なんだかちょっと信じられないような…」
固く決意していた春菜だが、もう既に心が折れかけている。今の春菜は"春菜"ではないから仕方がないかもしれない。
「でもでも、ほんとにこんな格好で、その…」
「くどいですよ春菜、私だって恥ずかしいんです。ですが、これも仕方がありません。アキトの為です。頑張りましょうね"はるにゃ"」
「うぅ…がんばるにゃ」
"はるにゃ"は恥ずかしげに頷いた。懐かしのコスプレ喫茶で着た『ネコみみ』『ネコしっぽ』『白ネコのすけすけランジェリー』を身に纏った春菜である。
特に『白ネコのすけすけランジェリー』はウェディングドレス仕様のデザインでかなり際どい。レースから透けて見える細い腰、縦長の臍や太腿の白さが眩し過ぎる清楚な白猫"はるにゃ"であった
『普通のセクシーさだけじゃなく、なにかコスプレをした方が興奮して元に戻ると思うわ、断続的、かつ長期的に刺激を与え続けましょう』が作戦司令部での結論だった。コスチュームをネコにしたのはヤミの独断と偏見である。
「では……行くにゃ、はるにゃ恥ずかしくないにゃ」
「う、うん…えっと、わかったにゃ」
ちなみに"はるにゃ"の隣には"黒猫のヤミ"の姿もある。こちらはいつもの真っ黒な
そして二人は秋人の待つ部屋の扉を開ける――――いざ、決戰の地へ。嬉し恥ずかしの戰いが今幕を開ける…!
**
「おいそろそろ帰らないか二人と………も、」
「お、お兄ちゃん…………………にゃあ」
振り向いた秋人の視線の先、二匹のネコがいた。
一匹は初め言葉を話し、今は思い出したように猫なで声で鳴く"はるにゃ"――真っ赤な頬と潤む瞳、控えめにのぞかせる谷間、恥ずかしげに身を捩る仕草で主人を誘惑している
チリン、と首につけた鈴が鳴った。
「…ネコですよ、アキトにゃあ」
そしてもう一匹は自分でやっておきながら恥ずかしいのか、見せたいのか見せたくないのか、もどかしげに睨んでいる金色の黒猫…もとい、"黒猫のヤミ"だ
先程までは真っ黒の
フッ
先程の御門よろしく、秋人が笑った。
「以前、ウチの西蓮寺春菜が一番カワイイ!!と言ったが、あれはウソだ。」
「にゃっ…!?」
「にゃあ?」
「ウチの西蓮寺はるにゃが一番カワイイんじゃぁぁあああああああああああああああああい!!!フゥ――――――――ッ!!イヤッフゥウウウウウウ!!!!」
はるにゃをお姫さま抱っこして叫ぶ秋人。それは先程までの真面目な秋人ではない、いつもの秋人である。春菜は突然の抱き上げに目を白黒させていたが、内心ホッと安堵していた。
「…ふぅ、まったく。アキト貴方は相変わらずですね」
いつの間にそこへ乗せたのか、秋人に肩車されているヤミ。元に戻った秋人は春菜を抱き上げ、ヤミも一緒に担いでいたらしい。ヤミですら見切れない早業だった。
「はるにゃ!はるにゃこそ最強のヒロインだ!素晴らしい!エクセレント!西蓮寺はるにゃは俺の嫁!ぐふふふふっ!!!」
「ちょっ…お兄ちゃん!落ち着いて…ね?」
「ぐふっ!ぐふふふへへへへ!!ウチの春にゃさんほんま堪らん、最高やで!ぐふ」
「お、お兄ちゃん…ちょっと気持ち悪いかも」
「…アキトが気持ち悪いのは最初からですよ、春菜」
今も春菜を抱き上げながら「はるにゃたんマジカワイイ!マジ天使!!」と叫んでいる秋人には呆れるが、自分もちゃんと肩車した秋人に満更でもないヤミなのだった。
「まあ、帰ったらアキトには『ウチの黒猫のヤミちゃんが一番カワイイ!!』と叫んでもらいますから、今はせいぜいイチャコラするといいです…にゃあ」
ネコ耳を揺らしながらヤミはそう言って、秋人の頭に頬杖をつくのだった。
それからウチに帰った秋人がマンガと西
「ねえ、ミカド―…まだ寝ないの?」
「大丈夫よティアーユ、私は仕事を恋人にしたの…72時間は余裕で働いてみせるわ」
御門涼子が怪しげな研究・実験にのめり込んでいったのは余談である。
――――今日も西蓮寺家は平和です。
感想・評価をお願い致します。
2017/07/16 一部改訂
2017/07/17 一部修正
2017/08/04 一部改訂
2017/08/16 セリフ改訂
2017/08/27 一部改訂
2017/09/16 一部改訂