序
星無き、夜。
──この街は眠る事を忘れてしまったのかもしれない。
何もかもが巨大なこの街。その中で人々は、現実の苦痛を忘れ、一時の快楽に身を浸してゆく。そこには、希望も絶望も無い。ただ、刹那が漂うだけ……
街の中心に建つ一際巨大なビルの屋上。光の差さぬ暗い場所で、きらびやかな下界を見つめていた彼はそう思った。
ふと、視線を巡らせた。滑る様に動く瞳は、屋上の隅に鎮座している闇の塊を見つけたところで止まる。常人ではただ黒い塊がある様にしか見えない。しかし、彼には明瞭と見えている。貯水タンクに身を預け、穏やかな寝息を立てて静かに眠るハニーブロンドの少女の姿が。その安らかな寝顔を見た彼は、我知らず微かに唇の端を吊り上げていた。
「――ここに居たか……『ALICE』ッ!!」
その時だった。背後に何者かの気配が生じ、鋭い女の声が聴覚を刺激したのは。振り返った先に居たのは、蛇と人間の女性を無理やり合成した様な異形の怪人だった。そして、その傍らには黒い異形達が群れを成して蠢いていた。
「メドゥーサか……何の用だ?」
彼は怪人に臆する事無く睨み付けた。紅玉(ルビー)に似た瞳には、激しい光が揺らめいている。
「貴様達を連れ戻しに来た――『組織』に戻るつもりはは無いのか?」
異形の女怪人──メドゥーサが諭す様な口調で言った。無機質を装っていても、その声には微かに憐憫の念が滲んでいる。
「……俺とセレスはもう、あの場所には戻らない」
彼は、静かにそう答えた。
「本気、なのか? 支配人も、今戻るなら脱走の件は不問に処すと──」
「黙れ……」
底冷えする程に、冷たく低い声で彼は言った。そして、その言葉と同時に彼の腹部が紅い光を発し、その姿が光の中に溶けていった。
刹那、メドゥーサは背後で悲鳴を聞いた。恐る恐る振り返った先には、無残に引きちぎられた黒づくめの残骸とその中心に佇む、一つの影があった。
影の眼が紅く光った。昆虫の様な眼。
メドゥーサはその影に対し、恐怖の念を抱いた。コイツは自分達の同類ではない。そう、もっと恐ろしい……
全ての黒い異形を破壊した影はゆったりとした動作でメドゥーサの方へと振り向いた。
「……終わりだ」
次の瞬間、異形の悲鳴が夜空に響き渡った。
それは下界に届く前に、闇の中に溶けて消えた。
1
翌朝。
春場にしては珍しく冷え込んだ。そのせいか都心部に近く、早朝から人の往来が活発はずの商店街もその日に限っては八時過ぎにも関わらず、ほとんど人気が無く閑散としていた。
アーケード街の外れに位置する『立花モータース』の店主・立花 玄ノ助は寝ぼけ眼(まなこ)のままシャッターを上げた。この場所に店を出して早二十年近くになる髭面の頑固親父と言った貌(かお)を欠伸で歪めた彼は、季節外れの寒気にその熊に見紛う大柄な身体を震わせた。
「今日はやけに寒いな……」
シャツの袖から覗く武骨で筋肉質な腕(かいな)を摩りながら、ぽつり、と呟いた玄ノ助は、大通りに面した裏口へと回り込んだ。日課としている朝の掃除をする為に、必要なモノを取りに行ったのだ。裏口の横という面倒な場所に置いたモノだ、と自嘲したが、二十年近くそうしている今となっては栓無い事だった。
そんな事を考えている内に大通りへと出た玄ノ助は、思わず足を止めた。そこにある筈の無いモノを見つけたからだ。
「こいつらは……?」
玄ノ助の目の前――裏口のすぐ傍で二人の男女が倒れていたのだ。一瞬、死体なんじゃないかと勘繰ったが、微かに寝息を立てているのを見て、取り敢えずホッとした。着ている衣服はボロきれ同然だったので、酔っぱらいではないだろうが、かといって浮浪者と言う訳でもあるまい。ただ、どこか幼さを残した面差しが彼らをただ者では無いという事を教えている。
暫くの間、呆然となっていた玄ノ助だったが、すぐに辺りを見回して周囲に人の気配が無い事を確認すると、二人を抱き抱えて店の入り口へと戻った。
その時、腕にのし掛かる負担が妙に軽かったのが、なんとも言えなかった。
網膜センサに内臓された望遠レンズの向こう側では、初老の男が周囲を見回しているのが見えた。その後、倒れていた二人を担ぎ上げ、店の中へと消えていったが、彼が最後まで見ていたのは、男の腕の中の青年と少女だった。
「……『ALICE』発見……これより、任務に移る……」
脳に直結した通信機に静かに吹き込むと、彼は傍らの闇に身を埋め、己の存在を覆い隠した。
「ギャアァアァアァッ!!」
「ヒイィィイイイィッ!!」
悲鳴が聞こえる。すぐ近くだ。朦朧な意識の底で、彼は耳朶を打つ叫び声を無感情に受け止めた。
ココは何処だ? と自問するが、ぼんやりと靄(もや)がかかった頭はそれ以上働いてはくれなかった。
それでも、荒い息を整えて精神を落ち着かせようと努めた彼は、ふと身体に何か生温かいモノが触れているのを知覚した。しかも一度や二度じゃない。何度も何度も、続けざまに……
顔を上げると、血と脳漿が雨の様に降り注ぐ光景が眼に映った。
身体中が散華(さんげ)した命の残滓(ざんし)に塗(まみ)れてゆく中、思わず叫び声を上げたい衝動に駆られたが、「……けて……」と言うか細い声を聞いて、頭(こうべ)を巡らせた。
「――!」
いつの間にか、目の前に子供が倒れていた。三、四歳位だろうか、生傷だらけの身体はとても痛々しい。
「助けてぇ……」
子供は助けを求めた。潰れた喉を必死に搾り、折れ曲がった腕を伸ばして。
「た、ぁけてぇ……」
血塗れの子供に手を差し伸べた。理由なんて無い。
ただ、そうしなければならないと思ったのだ。だが、彼は見てしまった。精一杯生きようとする瞳に映った己の呪われた姿を。
「助けぇ――!」
気付いた時には、彼は眼前の小さな頭をその手で握り潰していた。指から零れる眼球には、血に塗れた紅の眼が映っていた。
見開かれた眼(まなこ)が最初に映したのは、白い天井だった。一瞬病室か? と思ったが、病院特有の独特な薬品臭がしなかったので、すぐにその考えを撤回した。
取り敢えず汗だくの身を起こした彼は、先程見たビジョンの事を思い出した。
──やはり、こんな身体でも夢を見るのか……
悪夢とも言うべき光景を振り返った彼は掌で顔半分を覆い、自嘲気味に笑った。『限りなく人間に似せて造られた』偽物が夢まで見る事が出来るという事実は、質の悪い冗談としか思えなかった。奴らは、『コレ』を新たなる聖者の器だとか言っていたが、とんでもない。『コレ』は化け物だ。それも、最凶最悪の部類の。
そこまで考えて、自分が今居る場所の事を思い出した彼は頭を巡らせ、部屋中を見回した。
質素な部屋だった。最低限の家具だけ構成されたひどく無機質な印象で、部屋の主がそういう類いの事に無頓着であるのが容易に想像出来た。
「ん……」
すぐ隣で声がして反射的にそちらに眼を向けると、パイプベッドの上にハニーブロンドの少女が眠っていた。彼はそこで初めて、自分が床に敷かれた布団の上で寝ていた事に気が付いた。穏やかな寝息を立てて眠っているのは、ずっと行動を共にしていた少女だった。彼は眠る少女の横顔を見て微笑み、安堵の息を吐いた。あの戦いの後、蓄積ていたダメージが祟って力尽きてしまった時はもう駄目かと思ったが、どうやらまだツキとやらは残っていた様だ。そんな事を考えていたその時、部屋の扉が開いた。
開けられた扉の先には、煤や油で汚れた作業服を纏った初老の男が、水差しとコップを持って佇んでいた。
「おう! 目を覚ましたのか、気分はどうだ?」
男は彼の姿を見るなり、威勢良くそう言った。
殆ど癖に近い挙動で身構えてから、彼は男の頭から爪先までを睨(ね)めつける様に観察した。一旦は組織の手の者じゃないか? と勘繰ったが、随分と直情的な振る舞いを見て直ぐに撤回した。
「俺は立花 玄ノ助。しがないバイク屋の店長をやってる。お前さんは?」
「……皇 ゼオ。こっちは皇 セレスだ」
青年──ゼオは馴れ馴れしく話しかけてくる玄ノ助を警戒しながら名乗った。悪い人間ではないのは確かだが、用心するに越した事は無い。
名乗っている間、ゼオはセレスを庇う様に、玄ノ助と向き合っていた。
「ゼオ? セレス? えらく変わった名前だな。それに、見たトコロまだガキじゃねぇか」
訝しげな眼差しでこちらを見つめる玄ノ助の瞳を、是王は見つめ返していたが、内心では焦りを感じていた。素性がバレる様な事は万に一つも無くとも、『向こう側』の人間だと思われたら、それはそれで面倒な事になる。
「……まぁ、良いや、とにかくここじゃアレだ。下で話をしないか?」
水差しとコップをベッド脇のチェストに置いた玄ノ助が、人差し指で床を指した。
階下を示しているのだろう。
「……分かった」
玄ノ助の強引さに半ば気圧されつつも、後を追う様にゼオも部屋を出た。その時、眠る少女の方を一瞥し、真一文字に結んでいた唇を穏やかに綻ばせた後、静かに扉を閉めた。
立花モータースの一階部分のほとんどがバイクショップのスペースとして使われていた。さほど広くもない店内の隅に当たるカウンターの奥――事務室で、玄ノ助はゼオと黒い革張りのソファに座って向かい合っていた。
銀色の髪が眼を引くが、それ以外は若者らしさを色濃く残した少年、いや青年か。それが、皇 ゼオと名乗った彼に対する玄ノ助の第一印象だった。
警戒心を露にした眼差しを向け、黙りこくったゼオに最初こそ穏やかに接していたが、やがて我慢の限界を迎えた玄ノ助は、昂った感情をそのまま舌に乗せて怒鳴った。
「いい加減、何とか言ったらどうなんだ! お前達は今まで何をしていたんだよ!?」
「それは……言えない」
漸く絞り出す様にそう答えた是王は、すぐに眼を逸らした。普段ならば、これ以上追及する様な野暮は犯さない玄ノ助だったが、頭に血が上っている今はそうでは無かった。
「言えないって……」
話をはぐらかす青年に対し、玄ノ助は不信感を募らせていき、とうとう掴みかかろう身を乗り出した時だった。上の階から、ガラスが割れる音が聞こえたのは。
「な、何だぁ!?」
「来た……ッ!」
呟いたゼオは一目散に二階へ駆け上っていった。玄ノ助も慌ててそれを追った。
2
一も二もなく二階へと駆け上がったゼオは、セレスの眠っている部屋の扉を蹴破らん勢いで飛び込んだ。
「セレスッ!」
割られた窓ガラス――裂かれた絨毯――散乱した羽毛――そして、張り巡らされた粘着性の糸。
余りの惨状に、ゼオは絶句した。つい先程まで整然としていた部屋が、混沌の様(さま)を呈していたのだ。
部屋の中心に、異形が佇んでいた。全身から黒い体毛を生やし、背中から四本の足を生やした蜘蛛に似た醜悪なシルエットを有する存在――怪人。
異形の腕の中で眠り続けている少女を見つけたゼオは、昏い光を孕んだ眼差しを怪人に向けた。
「貴様……ッ!」
「……」
振り返った蜘蛛の怪人は、ゼオの姿を見つけると牙と体毛に隠された口の端を歪めてほくそ笑んだ。それを見たゼオの内奥で燃え上がった焔はが、彼自身の肉体で眠りに就いている細胞を励起させた。
その時――
「な、何だこりゃあッ!?」
追い付いてきた玄ノ助が、この場の惨状を見て素っ頓狂な声を上げた。その拍子に、ゼオは思わず内なる胎動を止めてしまった。
「……やはり第三者と接触していたか」
大きく裂けた怪人の口から、禍々しく輝く針が放たれた。それは大気を切り裂き、吸い込まれる様に玄ノ助の首筋へと飛び込んでいく。
針の速度は玄ノ助が知覚するよりも速く、気付いた頃には避けられない程の距離にまで迫っていた。
死を予感したのか、玄ノ助の顔が強張る。
殆ど反射的に動いたゼオは、庇う様に玄ノ助の前に躍り出た。
「グゥ……!」
直後、前方に翳した左腕に鈍い衝撃が走り、唇から呻き声が漏れる。
「お前……」と青ざめた玄ノ助を一瞥したゼオは、次に下腕に深々と刺さった針を見た。出血はしていない。恐らくは毒針の類いだろうが、そんな物は『この身体』には通用しない。
針を強引に抜いて、蜘蛛怪人を睨み付ける。ゼオの双眸が、焔の様な紅に染まる。
燃え上がるのは、劫火の如き怒り。
これ以上、奴の好きにさせる道理は無い。
そう断じたぜオは、再度身体の奥で眠る怪物を呼び覚ました。
「チィッ、邪魔を……ッ!?」
己の放った攻撃を阻んだ男を忌々しげに睨んでいた怪人は、ある事に気付いて我知らず身体を硬直させた。
眼前の少年が纏う気が変質している。まるで、美しき天使の皮を被った醜い化け物がその本性を露にするかの様に。
ソイツに逆らうな――と、本能が叫びを上げる。
「ヌゥ……」
言い知れぬ不快感が声にならぬ呻きとなって零れた刹那、部屋中の大気が爆ぜた。
荒れ狂う嵐の中で、怪人は見た。対峙する青年の肉体が人ならざるモノへと変わろうとしているのを。
白銀色の髪はうねり、身体のあちこちからは視認出来る程にまで凝縮されたを魔力を放出されている。白いワイシャツから覗く肌が黒く変色し、黒瞳は紅く染まって、巨大な複眼に。真一文字に結ばれた唇は大きく裂けて、獣然としたモノに。
そして、ゼオの身体から放出された強烈な光がその場を蹂躙し、全てを白く灼いた。
やがて世界が色彩を取り戻す頃、白銀の青年の代わりに新たな異形の怪人が佇んでいた。
白銀色の鎧を身に纏い、顔の上半分が黒色のフェイスガードに覆われた――異形の怪人が。
「……『ALICE』……」
蜘蛛の怪人は、何処からか沸き上がる恐怖を押し隠し、忌々しげに唸った。
眼前に立つのは、己と同じ戦う為だけに存在する殺戮兵器。だが、その拳は、その脚は、数多の同胞を砕き、地獄へと葬って来た。
恐れるな、と云う方が無理なのかもしれない。
「シャアッ!」
だとしても、与えられた任務は果たさねばならない。でなければ、
そして、任務遂行の障害は速やかに排除。それが鉄則だ。
異形の口から放たれた白い糸が、白銀の異形──『ALICE』が無造作に掲げた腕に巻きついたのを見た怪人は、密かにほくそ笑んだ。こうなれば、こっちのモノだ。
蜘蛛の怪人は、動力炉から引き出したエネルギーを糸に流し込んで爆発させた。規模は小さく、殺傷能力は極めて低いものの、この場所から離脱する時間を稼ぐには充分だった。
視界を遮る黒煙が辺りに立ち込める中、蜘蛛の怪人は割れた窓硝子を通って、外界に躍り出た。
腕を払って黒煙を裂き、辺りを見回したが、蜘蛛の異形の姿を見つける事は出来なかった。
逃げられた、と口の中で舌打ちした『ALICE』は、センサー類を稼働させて怪人の足取りを追った。熱、電波、音……不可視の眼であらゆる角度から追跡した末、遂にその姿を捉えた彼は「見つけた……」とひとりごちた。
そして、すぐさま追跡しようと脚を動かそうとした時、ふと後ろで腰を抜かしていた玄ノ助を一瞥した。目の焦点は合っておらず、口はぱくぱく、と酸欠状態の金魚の様に痙攣している。それを無感情に見つめていた『ALICE』だったが、すぐに正面に向き直って走り出した。
怪人の残した痕跡を追っていた『ALICE』は、ふと玄ノ助の事を思い出していた。都合の悪い部分はぼかしていたとはいえ、あの場で自分達の事を喋ったのは不味かったかもしれない。しかし、もし嘘を並べたとしても、すぐに見抜かれてしまうと思ったのだ。ただの直感。根拠などありはしない。それでも……その考えを拭い去る事は出来なかった。
そこまで到った時、自分がこれからやるべき事と全く関係無い事を考えているのに気付いて、急いで頭の中を入れ替えた。そうだ、今はアイツを救い出す事が先決だ。決意を新たに、『ALICE』は蜘蛛の怪人の残り香を追いかけた。
その場所は、朽薔薇庭園と呼ばれていた。
かつてこの地に居を構えていたある貴族が造ったと言われる薔薇の咲き誇る庭園。当時は色とりどりの美しい薔薇に埋め尽くされていたらしいが、今やもう見る陰も無く人々の記憶からも忘れ去られようとしていた。その朽ちた園の中心部、崩れた東屋と枯れた泉のある広場に蜘蛛の怪人は陣取っていた。
〈作戦は成功した様だな、スパイガン〉
〈はい、支配人閣下。後は『ALICE』をおびき寄せさえすれば……〉
頭の中で反響する支配人と呼ばれた声は、変声器を通した機械的な音声で男か女かもわからないが、絶対的な服従を刷り込まれていた脳には疑問を挟むと言う選択肢は存在しなかった。
支配人の声が念を押す様に続けた。
(スパイガン。『ALICE』に関しては捕獲を優先だが、不可能ならば破壊しても構わん)
(了解致しました。支配人閣下)
その会話を最後に支配人との通信は終了した。
先程の接触で『ALICE』との性能の差は肌で感じていた蜘蛛怪人――スパイガンは、破壊どころか捕獲すらも難しい事は承知していた。だが、命令とあれば何に変えても遂行せねばならない。
下された任務(ミッション)を再確認したスパイガンは、朽ちかけたベンチに座らせた気を失ったままのセレスを一瞥して、呟いた。
「さて、どう動くか……」
一足遅れて、朽薔薇庭園に足を踏み入れた『ALICE』。歩き回りながら敵の気配を探っている内に、この地にたゆたう退廃的な匂いを嗅ぎ取っていた。
これが滅びたモノの匂いなのかと思うと、背筋が冷たくなった。力尽きた末の残滓だと言うならばならばまだ良い。だが、これが生きている時からの腐臭なのだとしたら……
その時、『ALICE』を囲む様に、複数の気配が立ち上がった。
余計な事を考え過ぎたか――ッ!
すぐさま思考を切り替え、戦闘態勢に入った『ALICE』。一体、二体……と、確実に敵を姿を捉えると静かに、そして力強く告げた。
「邪魔だ……退いてもらうぞッ!」
「始まった、か……」
侵入者と兵隊蟻が戦闘に入った事を、庭園中に張り巡らせた糸を通じて知ったスパイガンは、背後に横たえたセレスを一瞥した。
超鋼ミスリル製の蜘蛛の糸で手足を縛り上げた少女は、穏やかな寝息を立てている。呑気なものだ、と鼻を鳴らした。
「ククッ……アレと正面からぶつかる程、俺も馬鹿では無い」
アントソルジャーの働きに一応の期待をしつつも、万が一の為にセレスを抱きかかえようとした刹那、心臓を鷲掴みにされる様な気配を背中越しに感じ取って硬直した。
どういうわけだ?
その気配は装甲を突き抜け、心の臓に直接触れてくる。
何故だ……速過ぎるッ!?
振り返る事の出来ない圧倒的な威圧感に、どうしようもなく身体が震える。
「何故、貴様がそこにいるッ!?」
力の限り振り絞った蜘蛛の叫びを嘲笑うかの様に、白銀の怪人が朽ちた庭園に足を踏み入れた。
「何故、だと?」『ALICE』が答えた。その声音は、どこかせせら笑っている様だった。「そんなの決まっているだろう」
不可視の拘束を振り払い、敵手の姿を捉えたスパイガンは、超硬の糸を吐き出した。
大気を切り裂いて驀進する白の奔流。しかし、それは『ALICE』が放り投げたモノにぶつかり、勢いを失っていった。
「な……ッ!?」
力なく地面に墜ちたモノを見て、スパイガンは驚愕した。
それは、首だ。力任せに引き千切られ、無残な姿を晒した兵隊蟻の首だった。変わり果てた己の部下に、スパイガンは戦慄を覚えずには居られなかった。
「ソイツを取り戻しに来たんだよ」
そう言って『ALICE』は、スパイガンの腕の中で眠るセレスへと顔を巡らせた。フェイスガード越しに注がれる眼差しは、強く、そして熱い。
「ぐ……貴様に差し向けたのは、十や二十では無かったのだぞ! それに――」
道中にはそれ以上の罠が仕掛けてあったハズだ――ッ!
「あの程度で止められると思ったのか? 俺も安く見られたモノだな」
嘲笑を交えた軽い調子で言った『ALICE』の様に、スパイガンは言いようの無い屈辱を感じた。本来、自らが戦闘に不向きな事は誰よりも理解していた。故に策略にかけては自信があった。が、結果はこの有様だ。
「ぬぅぅぅ……」
ふと気付くと、『ALICE』がこちらに向かってゆっくりと歩いてくるのが見えた。有無を言わさぬ覇気を纏うその威容に、スパイガンはただ怯える事しか出来なかった。
「ク……クソォッ!」
苦し紛れに放った鋼糸は、おもむろに翳された銀の腕(かいな)に巻きついた。
装甲にびっしりと巻きついた糸を見た後、『ALICE』はスパイガンへと視線を向けた。
それがまるで此方を嘲笑っている様に見え、スパイガンの理性は一気に激怒の色に染まった。
「舐めるなァッ!」
新たに放たれた鋼糸は『ALICE』の全身に巻きつき、銀色の装甲を白く覆い隠した。
「フ……ハハハハハハッ!」思わいもよらぬ好勢に、スパイガンの口から自然と笑みが零れた。「し、所詮アントソルジャーなどただの雑兵だ。だが、この俺はアサシンボーグ。同じ様に行くと思ったら大間違いだ!」
先程とはうって変わり、自信に満ち溢れた歩調で身動きの取れない『ALICE』に近付いたスパイガンは、鋼糸に覆われた腹を蹴り上げた。地面に倒れこんだ白い塊を見下ろした彼は、顔を押さえて更に笑った。
「大人しく『組織』の下に居れば良かったものを!」
饒舌になったスパイガンは、何度も『ALICE』を踏みつけた。
「忘れたか! 我らアサシンボーグの居場所は『組織』にしか存在しない。どう足掻こうと貴様もアサシンボーグ! その宿命から逃れられぬのだッ!」
最後に頭を踏みつけ、朗々と謳う様に嘯くスパイガン。陶酔の海に浸った彼は気付かない。地に伏した白銀の装甲の内奥で、何かが燃えている事に。
不覚だった。昨夜まで連戦続きだったのが、今頃になって効いて来たのだ。あのタイミングで足が動かなくなるなど、出来過ぎていて笑うに笑えない。
「忘れたか! 我らアサシンボーグの居場所は『組織』にしか存在しない。どう足掻こうと貴様もアサシンボーグ! その宿命からは逃れられんのだッ!」
封ぜられた感覚の中、微かに声が聞こえる。
そう。確かに、その通りだ。俺達みたいな『バケモノ』は、この世界に居場所なんて無い。だが……
「アサシンボーグ(俺達)は歯車に過ぎん。余計な感情など抱かずに、ただの部品らしく振舞っていればよかったのだ」
それでも、俺は……俺達は……
『ALICE』は己の中に在る確かな決意に触れると、その更に内奥へと踏み込んだ。そして、そこに眠っているモノを掴み取った。
「もう……あの場所に戻らないッ!」
『ALICE』の咆哮と同時に、彼を押さえ込んでいた鋼糸が吹き飛んだ。身体中から大量の魔力が放出されるのを知覚しながら、『ALICE』はゆったりとした仕種で立ち上がり、眼前のスパイガンを見据えた。
「それに……俺はもう『ALICE』じゃない」
そう告げた直後、フェイスガードが紅い光を発しながら弾け、首の排熱口からも余剰魔力や排気と共にマフラー状の紅光が顕われた。
「クッ……!」
スパイガンが白い排気に隠された『ALICE』目掛けて、糸を吐いた。一直線に伸びる白亜の槍を見据えると、極めて無造作にそれを掴み取った。
「……ぬうッ!?」
そして、軽く腕を引いて蜘蛛の怪人を排気のヴェールの中に引っ張り込んだ。白い壁を破り、怪人の姿が見えるや否や、もう片方の腕を翻した。
「ぐわぁッ!」
スパイガンの悲鳴が聞こえ、生暖かい液体が身体にかかった。苦痛と驚愕が混じり合った蜘蛛の表情を一瞥すると、強化装甲で覆われた腹に突き刺さった腕に力を込めた。すると、怪人の身体が勢い良く吹き飛んだ。
漸く晴れた排気の幕からその姿を表したのは、先程までの『ALICE』では無かった。フェイスガードが外れ、銀色の角と触角、昆虫の様な紅い複眼、触角の間の小さな紅球、そして首から伸びる紅いマフラー。
「な……まさか……そんなハズは……お前は……お前はぁッ!」
白のヴェールを脱ぎ捨てた『ALICE』の姿を見たスパイガンは酷く驚愕し、狼狽していた。この姿を知らなかった、と言うよりも、何か別のモノを幻視している様だった。そんな怪人に、『ALICE』は一歩ずつ近付いた。
が歩を進める度、スパイガンの口から恐怖に染まった声が零れる。
「く、来るな! 来るなぁ!!」
叫ぶと同時に、スパイガンは指に内蔵された機関銃を作動させた。しかし、マズルフラッシュとともにばら撒かれた弾丸は『ALICE』を傷付ける事無く、銀色の装甲に衝突して砕け散っていった。
「終わりだ」
そう言った『ALICE』の複眼とベルトが紅く発光した。力が沸き上がり、全身に満ちてゆく。それと同時に、半歩前に踏み込んだ右脚を包む白銀の装甲が展開し、銀色に輝く魔力が溢れ出した。
「――トオッ!」
紅光が収まり、それに反比例するかの様に銀光が輝きを増すと、『ALICE』は天高く飛び上がり一回転すると、スパイガン目掛け右足を突き出した。
「ライダァァッ! キィイック!」
闇を祓う銀色の弾丸と化した『ALICE』はスパイガンの強靭であるはずの肉体を壊し、抉り、貫き、そして着地した。
「あ、あぁが……が……」
両断されたスパイガンの体は紅い光を放出している。
流し込まれた魔力が体内で暴れ回っているのだ。
「――!」
刹那、魔力と体内の動力炉が反応し、そこから生じた爆発的なエネルギーが異形の亡骸を食い破り、灼き尽くした。
その瞬間、『ALICE』は横たえられたセレスを、降り注ぐ破片から身を呈して守った。
「……ッ!」
やがて、爆風が止みセレスを抱きかかえようとした時、背後からひび割れたノイズ混じりの声が聞こえた。
「ニゲ……ラレン」
その声は焼け残った異形の頭部から発せられた声だった。外装が剥がれ、内部機構からどす黒い体液を垂れ流しながら、壊れた玩具の様な無機質な声を発し続けていた。
「タトエ……キサマ……ガ……デンセツ……ノ……――……ダロウトモ……ソシキ……カラハ……ノガレ……ラレ……ン……ゾ」
異形の残骸は尚も言葉を発している。不規則に開閉する口からは、嘲りの感情が漏れ出していた。
「ソシキ……ハ……オイ……ツ……ヅケル……ゾ……キサマ……ガ……『ALICE』……ト……ヨバレ……ツヅケ・・・・・ルカ……ギ……リリリリリ……」
異形の機械複眼は、そのまま光を失って完全に沈黙した。『ALICE』は、それを静かに見下ろした。そして、空を仰ぎ、静かに呟いた。
「俺は……もう『ALICE』にはならない……」
どこか哀しみを湛えたその声は、誰の耳にも届く事無く、朽ちた薔薇の香りに掻き消された。
取り敢えず飛び出したまでは良かったが、朽薔薇庭園(この場所)を探し当てるのに相当骨を折った。あちこち聞き回ってやっと辿り着いた時には、もう体力は限界に達していた。それでも捜していた人物を見つけた時に、腹から沸き上がった声は自分でも信じられない位大きかった。
「お~~~~いッ!」
それに反応して、『彼』が振り返ったのを見るや、方々走り回って鉛の様になっていた身体が再び軽くなってゆくのを知覚した。そして気付いた時には、既に走り出していた。
「はぁ……はぁ……はぁ……やっと、見つけた、ぜ……この庭園、広すぎ、だろぉ……」
とめどなく打ち鳴らされる心臓の鼓動を整えながら、玄ノ助は顔を上げた。視界に映る『ALICE』の顔を見た瞬間、おや、と首を傾げた。はて、コイツはこんな顔だっただろうか? さっき見た時は、フェイスガードの様な物を着けていたと思ったが……。
ひとしきり考えた後、まぁいいか、という結論を出した。正直言えば、そんな事はどうでも良かったのだ。それに、今の方が玄ノ助は好きだった。昆虫に酷似したその貌(かんばせ)を人は恐れるかもしれない。だが、彼には紅の瞳の奥に優しい光が宿っている気がしたのだ。
玄ノ助と眼を合わせていた『ALICE』は、視線を外すとそのまま背を向けてセレスを抱きかかえ、歩き出した。
「ちょ、ちょっと待った!」
それを見て、玄ノ助は慌てて呼び止めた。『ALICE』が足を止める気配は無い。それでも、彼は言葉を継いだ。
「お前達さ……俺んトコに来ないか?」その言葉に『ALICE』が足を止めたのを見て、玄ノ助は更に続けた。「行く所……無ぇんだろ? だったら――」
「何故だ」
『ALICE』が振り返り、問い掛けてきた。仮面の下に隠された表情は見えないものの、困惑の気配だけは伝わってくる。
「俺達に関われば今日みたいな――いや、それ以上の事が起こる。最悪の場合、死ぬ様な事だって有るんだぞ。それに俺は――」
「だから、どうしたよ?」白銀の偉丈夫に歩み寄った玄ノ助は無機質な仮面を覗き込む様に睨み付けた。「困っている奴を助けるのにいちいち理由が要るのかよ?」
「え……?」
「俺は頭悪ぃからな、難しい事はよくわからねぇ。でもな、どうしようも無く困っている奴を助けるのに、あーだ、こーだ、と理由つける必要は無ぇ事くらいは知ってらあ!」
紅の複眼を見据えた玄ノ助の言葉は、半ば叫び声になっていた。『ALICE』はその剣幕に、気圧されつつあった。
「それにお前はあの時、俺を助けてくれたじゃねぇか。そいつに、理由があったのか?」
スパイガンが初めて襲撃してきた時、『ALICE』――是王は、玄ノ助を守って負傷した。
「とにかく、俺は恩返しでお前達を助けるんじゃない。俺がただ助けたいと思ったから助けたんだ。わかったか?」
玄ノ助は『ALICE』の仮面をじっ、と見つめた。複眼の向こう側で何かの感情が微かに揺れていた。
そして、長い様で短い沈黙の末――
「……分かった。世話になる。その方が、セレスにも良いのかもしれない」
その言葉を聞いた玄ノ助は破顔し、白銀の偉丈夫に歩み寄った。やはり、俺の眼は間違っちゃいなかった。コイツは……いいヤツだ。
「ほれ」
何だか無性に嬉しくなり、それがそのまま顔に出そうになって途端に恥ずかしくなった玄ノ助は、慌ててそれを押し込めた。そして、素っ気無い風を装って手袋を外した手を差し出した。『ALICE』がどこか訝しげに固まっている。どうやらこちらの意図を読み取りかねている様で、それを見た玄ノ助はじれったそうに頭を掻きむしった。
「だあ~~~~っ! お前、そんな汚ねぇ手で女の子に触るモンじゃねえぞ!」
「あ……」
『ALICE』が少女を抱えていた手を見た。その掌は煤や泥、そしてそれ以外の様々なモノで汚れていた。玄ノ助の男としての矜持がそんな手で女性に触る事を良しとしなかったのだ。もっとも、つい先程まで機械油にまみれていた玄ノ助が言えた事でも無いかもしれないが。
「って、俺も人の事言えねぇよな……」
少し申し訳無さそうに言った玄ノ助。その人懐っこい笑顔に幾分か気が和らげられたのか、『ALICE』は言われた通りにセレスを預けた。腕に乗った彼女の身体は、やはり驚く程軽く、どうにもその奇妙な感覚に慣れる事が出来なかった。
「あ、そうだ」
そこで玄ノ助は、ふとある事に気付いて『ALICE』に訊ねた。そう言えば、まだちゃんと聞いてなかった様な気がする。
「お前……名前、何て言うんだ?」
「? それはさっき……」
「あぁ、違う違う。そうじゃなくてその姿の時の名前だよ。あるんだろ、ちゃんと? 確かあの化け物は、アリスだかアイスだか……」
そう言って、玄ノ助は唸りながら考え込んだ。駄目だ。ここ最近どうにも物忘れが酷い。年は取りたくねぇなぁ……。
「――仮面ライダー」
「へ?」
気の抜けた声を出せなかった。カメンライダー? はて、遠い昔に何処かで聞いたような気がする。
「仮面ライダー、AIZEN……それが俺の今の名前だ」
――風が、吹いた。
それは、これから始まる彼の数奇な運命を表すかの如く、冷たく吹きすさんでいた。
玄ノ助は、そのどこか哀しげな姿をただ見ている事しか出来なかった。
~fin~
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