序
かつて、この世界には聖女と呼ばれる一人の少女がいました。
彼女の生きた時代、世界と人々は二つに分かれて終わる事の無い争いを続けていました。優しい心を持つ幼い少女は、それを嘆き悲しみました。
時は流れ、美しく成長した少女は、神様のお告げにより世界を巡る旅に出ました。
そんな彼女の想いに呼応するかの様に、旅先で一人、また一人と、平和を願う者が彼女の下に集いました。
一つ一つは小さく、か弱い力だったそれは、いつしか世界を変える程の大きな力となりました。
やがて世界を分かつ争いが終わり、救済された世界で彼女はこう呼ばれ、称えられました。
救世の聖女『アリス』と。
~口語版聖少女録・序章より抜粋~
1
黄昏時が過ぎ去り、街に薄闇の帳が訪れた頃、皇 ゼオは早足で繁華街を通り抜けていた。
「すっかり暗くなったな。
そろそろ帰らないと二人共心配するかな?」
両手にぶら下げた買い物袋に気を配りながら、漏らした呟きが薄紫色の大気に溶けて消える。
肉屋の親父さんって、結構喋る人だったんだな…………
ゼオは、行きつけの精肉店の威勢のよい店長の事を思い出した。
普段は、そんなに会話をする事は無かったのだが、いざ話してみると、驚くくらい気が合って、話も弾んだ。そのせいで少々時間を食ってしまい、こうやって急いで帰る羽目になったのだが、豚肉をサービスしてくれた分、良しとしよう、と考える事にした。
「ん?」
彼がそれを見つけたのは、近道をしようと、人気の少ない路地裏に飛び込んだ時だった。
昼間でも僅かな光をも拒むそこは、この時間帯では正に暗闇の世界だった。
その闇の一角、堆く積み上げられた段ボール箱の陰で微かにうごめくモノが在った。
「あれは…………」
身体の奥で好奇心が頭をもたげるのを感じた是王は、『ソレ』の正体を確かめるべく、薄暗い闇に眼を凝らした。
人間離れした視力を持つ瞳には、『それ』がヒトである事が認識出来た。
「おい。大丈夫――」
「た、助けてくれッ!」
駆け寄って安否を確認しようとしたゼオにソレ――おそらく男性――は縋り付いてきた。
男の行動に不意をつかれたゼオは、一瞬遅れて働いた防衛本能に従って、男を引き剥がそうとした。
「ちょ、ちょっと! 何をッ!」
「助けてくれ! 追われているんだッ!」
――追われている?
男が口走った言葉が、ゼオの中で引っ掛かった。
「追われているって、どういう事だ?」
「そ、それは…………ヒイッ!?」
男が言葉を紡ごうとした時、傍らの段ボール箱の山が、えぐり取る様な衝撃を受けて吹き飛んだ。
――ッ!?
ゼオは、衝撃が飛来してきた方向へと振り向いた。
そこには、トレンチコートを羽織った四、五人の――体格からして――男達がその手に魔導弩(マジック・ボウガン)――魔導矢を撃ち出すボウガン――を携えて佇んでいた。
「何者だッ!」
トレンチコートの男達は問答無用と言わんばかりに、次々と白亜の輝きを放つ魔力矢を放った。
「チッ!」
舌打ちと同時に駆け出したゼオは、矢継ぎ早に放たれる光の矢をかい掻い潜り、先頭のトレンチコートの顎部目掛けて掌底を叩き込んだ。その時、湿った紙が千切れる様な感覚が掌にこびり付いた。
「やはりな」
ゼオの掌に握られていたのは、ヒトの顔面の皮膚――正確には、それを模した紛いモノだった。
「ギ、ギッ!」
ソレの下に隠れていたのは、蟻に似た異形である『組織』の改造人間兵士『アントソルジャー』の漆黒の貌だった。
「ハアッ!」
それからの行動は早かった。ゼオは、先程の攻撃の影響で脳震盪を起こしたアントソルジャーを容赦無く蹴り飛ばして、背後にいた男達ごと倒した。
「さぁ、話してもらうぞ」
地に伏しているアントソルジャーをすぐ後ろの塀に押し付けたゼオは、鋼の冷気を帯びた口調で問うた。
「何故あの男を狙ったッ!」
「ギ、ギギッ!」
ゼオは、首に押し付けている右腕に力を込めた。しかし、それでも尚、兵隊蟻が口を割る事は無かった。
「シュシュシュ…………」
その笑い声はすぐ近く――ゼオの背後から聞こえてきた。
「――ッ!」
兵士だった頃からの勘に従って、振り返ると同時に背後へ跳んだゼオは、先程まで自身が立っていた場所のすぐ後ろの空間が奇妙な歪みを孕んでいるのを見た。
「『聖遺物』を追っていたら面白いモノが釣れたな」
歪みから発せられた耳障りなダミ声がゼオの耳梁を打つと共に、湿り気を含んだ緑色の塊が暗闇から現世に顕現した。
「アサシンボーグッ! 隠密型かッ!?」
「だがなぁ…………」
身構えたゼオに目もくれず、緑色のカメレオンに似た異形は背を向け、闇の中で震えうずくまっている男に槍の様に鋭く硬質化した真っ紅な舌を繰り出した。
「くうッ!」
ゼオは咄嗟の判断でカメレオンの異形に組み付き、男の心臓を貫く筈だった紅の槍の軌道を反らした。
「ひいいいッ!?」
本来の軌跡から外れた紅の槍は、男がへたり込んでいる場所からほんの数センチ前方の地面に深々と突き刺さった。
「おのれぇ…………」
カメレオンの異形は、羽交締めの状態で組み付いているゼオを引き剥がすべく、全力でもがいた。
「おい! 何だ!」
「こっちの方からだ!」
騒動を聞き付けたのか、表通りの方から幾つもの声が流れ込んできた。
「フゥン!」
「しまっ――!」
その声に気を取られていた是王の一瞬の隙を突き、カメレオンの異形はお辞儀をする様に上半身を前方に倒した。
その勢いで組み付いていた腕が外れて、ゼオは数秒間宙を浮いた後、吸い込まれるかの様にゴミ溜めに落下した。
「くそッ」
慌てて、ゴミ溜めから抜け出してカメレオンの異形の姿を探したゼオだったが、その生理的嫌悪感を催す緑色の体躯は陰も形も残さずに消滅していた。
「光学迷彩か」
逃がした、と悟ったゼオは無意識に舌打ちをしていた。厄介な相手だ。
「おい! 誰かいるのか!?」
表通りからの逆光に人の気配を感じ取ったゼオは、放心状態の男を担いで暗闇のさらに奥へと身を投じた。
2
ボロ切れの様なその男は、真壁と名乗った。
「どうぞ、温まりますよ」
男は、震えの止まらない手で、セレス・スメラギの差し出したホットミルク入りのマグカップを受け取った。
「そろそろ何か話してくれても良いんじゃないか?」
真壁はソファーの上でガタガタと震えるだけで、立花 玄ノ助の問い掛けに応えない。
立花モータースの事務室に真壁を連れ込んでから既に数時間が経っているが、彼は自分の名前以外の事は一切明かそうとしない。ただ、時折見せるボロボロの上着のポケットをまさぐる様な仕草が妙に眼に付いた。
「別に俺達はアンタをどうこうしようってワケじゃ無いんだけどなぁ」
じれったそうに頭を掻きむしる玄ノ助に代わり、ゼオは冷たい口調で男に問い掛けた。
「アンタ、もしかして『組織』の人間か?」
「何ぃ?」
真壁が、大きく溜め息を吐く。観念したと言うことか。もしかしたら、この男は最初からこうなる事を狙っていたのかも知れない。
ただ、実際にどうするべきかは、ギリギリまで迷っていたのだろう。
「それじゃ、コイツは敵…………?」
「いえ、恐らくは結城や俺達と同じでしょうね」
困惑している玄ノ助を尻目に、ゼオは真壁を助け出した時の状況を思い出した。この男は、組織を脱走した『裏切り者』だ。黙って見逃してくれはしないだろう。
「何でそんなことを?」
「多分、上着のポケットの中身。それが関係してるんでしょうね」
真壁は上着のポケットを隠す様に手で覆った。その仕草を見た玄ノ助は呆れの孕んだ溜息を吐いた。
「そんな警戒せんでも――」
その時だった。ゼオが左胸を押さえて苦しみ出したのは。
「グゥ…………ウッ!」
「大丈夫!?」
「ど、どうしたんだよ!? おい!」
異変に気付いた二人が駆け寄った時、ゼオの腰部に『テンペスター』が白銀色の光を放ちながら、顕現していた。
「そういう、事か…………!」
心臓を握り潰されるかの様な激痛に苛まれながら、真壁を睨みつけた。
「持ち出したな…………『アーティファクト』をッ!」
真壁の肩が跳ねた。彼は、震えて縺れそうになる舌を必死に動かして、ようやく一言搾り出した。
「…………やはり、解るのか?」
真壁の反応を見たゼオは、自分の考えが正しい事を確信して、殆ど無意識に舌打ちをしていた。
「お、おい」
先程からずっと黙り込んでいた玄ノ助が、おずおずと口を挟んだ。
「そのアー、何だっけ?」
「『アーティファクト』です」
セレスが、補足を入れた。
「そう。アーティファクト。そいつぁ、一体何なんだ?」
その問いに、ゼオは少し考え込むような素振りを見せた。が、やがて意を決した様に玄ノ助に向き直り、真剣な口調で話し始めた。
「おやっさん。『大戦』の事は知ってますよね?」
「ん? ああ。勿論だ」そんなのは、今時学校に入る前の子供だって知っている。「けど、それがどうしたんだよ?」
「じゃあ、その『大戦』がどうやって終結したかは?」
「え? そ、それは…………」
玄ノ助は、言葉に詰まった。
そういや、知らないぞ? いや、そもそも学校でも習わなかった様な…………
記憶の海に眠る不定形の知識達を浚い出そうと躍起になって唸っていた玄ノ助だったが、やがて申し訳なさそうに顔を俯けた。
「ワリぃ、ワカンねぇわ」
変わらぬ調子で、ゼオは話を続けた。どこか言い難そうに見えたは、気のせいではないのかもしれない、と玄ノ助は思った。
「かつての『大戦』を終結に導いたのは、アリスと言う名の少女でした」
「おい、それって…………」
アリス/ALICE――それは、皇 ゼオの、仮面ライダーAIZENの真の名だった。
「どんな方法を使ったかは知りませんが、聖女『アリス』はその命と引き換えに世界を救ったと言われています。その後、彼女の遺体は信奉者達の手によって永久保存され、その時に造られた副産品の聖遺物――それがアーティファクトです」
ゼオはそこで一旦言葉を切り、皆をそれぞれ見据えた。
「俺のこの身体にも、アーティファクトがあるんですよ」
ゼオの告白に、玄ノ助は驚愕を通り越して呆然となった。色々な事が起こりすぎて、もはや何がどういう事なのか解らなくなってきた。
「君の事は聞いていたよ。数年前、アーティファクトを組み込んだプロトタイプが脱走した、と」妙に落ち着いた調子で、真壁が言った。「組織を抜けた時、仮面ライダーの噂を聞いて、もしやと思ってこの街に逃げ込んでみたが――――正解だったようだ」
穏やかな笑みを顔に張り付けた真壁は、震える手で上着のポケットをまさぐった。
「…………だったら、これを君に託す事が出来る」
微かに安堵の表情を浮かべた真壁は、ポケットから取り出したモノをテーブルの上に置いた。
それは、市販されている煙草の箱よりも少し大きい程度の鉄の小匣だった。
真壁は、それの一面をスライドさせた。
「これは…………」
匣の中に納められていたのは、緑色の液体とその中で揺蕩う一対の眼球だった。
「これは『千裏眼』――聖女の眼だ」
感情を抑えた平坦な口調で、真壁が言った。匣の中の眼球は、想像していた以上に生々しく、そして悍ましかった。
澄んだ空色の二対の虹彩が、此方を覗き込んでいる様な気がした。
「コイツが、アーティファクト…………」
呟いた玄ノ助の顔に、幾筋もの脂汗が伝わる。アーティファクトは、そこに存在するだけで人の心を蝕んでゆくと云われている。ゼオ自身も、眼球が放つ気が引き起こしているであろう頭の中を掻き回される様な感覚に苛立ちを覚えていた。
「私は、もうすぐ日本を出るつもりだ。その準備が整うまで、ここに匿ってもらえないか?」
真壁の懇願に、ゼオはすぐに答えなかった。
いくら何でも即答は出来ない。しかし、こんな代物を放っておく訳にも行かない。
そして、何よりも――
「真壁さん」
ゼオは天井を仰ぎながら、項垂れている男の名を呼んだ。我ながら、かなり卑怯な理屈になるなと思ったゼオは、心の中で玄ノ助に詫びた。
「アンタ、何か忘れてないか?」
「え?」
「ココはおやっさんの店で、あくまで俺は居候。だから、その辺はおやっさんに話した方が良いと思うぜ」
そう言ってゼオは、玄ノ助の方へと振り向いた。
思いも寄らぬ言葉に、玄ノ助は鳩がマグナム弾を喰らった様な間抜け顔を晒していた。
当然の反応だ。だが、今回の件も含めて、彼も既に深い処まで関わってしまっている以上、もう蚊帳の外という訳にはいかない。申し訳無いと思ったが、敢えて巻き込まれてもらう事にした。
その代わり、何が何でも守り抜いて見せる。
「…………そうか」
ゼオの提案にゆっくりと首肯した真壁は、玄ノ助の方に向き直り、深々と頭を下げて懇願した。
「立花さん。お願いします。準備が整うまでココに匿って下さい」
「あ、いや、そんなに畏まらなくても…………こんなトコロで良いのならお安い御用ですよ」
真壁の懇願に僅かながら戸惑った玄ノ助だったが、持ち前の気風でその頼みを快諾した。
こういう性分の人だから、信頼出来るし、されもするのだ。
「ありがとうございます」
心優しい店主の返事に、真壁はもう一度頭を深々と頭を下げた。
その時、彼の疲れ果てた眼の端に光るモノが見えた。
3
その日の深夜。
ゼオが目を覚ましたのは、その音を聞き付けたからだった。
普通の人間だったら聞き逃してしまう程、微かな音。だが、改造人間の耳は、ハッキリと聞き取っていた。
部屋のカーテンを開けると、コッソリと店を出ていく真壁を見つけた。
「何処へ行く?」
店を出た真壁を、ゼオは見つからない様に気を配りながら尾行した。
真壁はしきりに辺りを見回しながら歩いていたが、町外れの雑木林の前まで来ると突然弾かれた様に駆け出し、欝蒼と繁る木々の中へと飛び込んで行った。
感付かれたか、と一瞬焦ったゼオだったが、すぐに見失うまいと真壁を追い掛けた。
暗闇を見通す機械の瞳に、闇黒色に染め上げられた草木を掻き分ける二つの影が映る。
「シュシュシュシュ…………見つけたぞぉ、真ァ壁ェ」
黒い枝葉にその身を溶け込ませたカメレオン怪人――ガイストカメレオンは気味悪い嘲り笑いを上げながら、真壁らを追った。
「わざわざ此処に戻ってくるとはなぁ。それに――――」
ガイストカメレオンは、真壁を追いかける暗闇の中でも映える銀髪の影に視線を移す。
その醜悪な異形の面相が、邪な愉悦の形に歪んでいた。
森を抜けると、高い塀に囲まれた寂れた廃墟が夜の帖の中にひっそりと建っていた。
一見、病院や研究所の様にも見える死の幕が降りた建物に、真壁は入っていった。
「此処は…………」
錆びた正門の前に立っゼオは、塀の中を覗き込んだ。
敷地内の草木は然程荒れておらず、この場所が廃墟になって日が浅い事を物語っていた。ただ、この場所にはどこか腐臭じみた何かが漂っているのが気になった。
「まさか」
ゼオはこの廃墟に漂う雰囲気に似たモノに、幾度も遭遇していた。
そうだ。これは――
「ゼオ」
突然、背後に湧いた気配にゼオは反射的に臨戦体制を入り、前方に跳躍しながら振り返った。
「あ、あれ?」
狩人と化したゼオの紅い瞳に映ったのは、彼の最も良く知る人物の姿だった。
「セレス?」
そこに居たのはハニーブロンドの少女セレスだった。彼女は、ゼオの反応が予想外だったのか、棒立ちで固まっていた。
ゼオは、にわかに混乱していた。なんでこんな所に彼女がいるのか、と。しかし、いくら考えても答えが出そうになかった為、仕方なく本人に訊ねる事にした。
「お前、何でこんな所に?」
「えと、偶々ゼオが外に出てくのが見えたから…………でも、ゼオこそ何で?」
頭の中の記憶を探る様に視線を宙に彷徨わせながら、セレスは答えた。
何かの役に立つと思って、自身の持つ様々なスキルを彼女に教えていたのだが、意外にも素質があった様だ。
ホント、何でこんなに尾行上手くなってんだろう?
「真壁が此処に入って行った」
「真壁さんが?」
セレスが廃墟を見上げた。
その横顔を見つめながら、ゼオは内心動揺していた。心の奥底に傷を抱えている彼女は、この廃墟に来るべきでは無かった。何とかセレスを遠ざけようとしたゼオだったが、
「ねぇ、此処って組織の建物?」
極めて平坦な調子で発せられた少女の言葉に、ゼオは一瞬硬直した。
が、なんとか気を取り直して、応じた。
「おそらく、な」
「そう…………」
呟いたセレスの表情に、微かに翳りが刻まれていた。
彼女にとって組織の醸しだす腐った臭いは、全てを蝕み尽くす毒でしか無い。そんな場所に、これ以上長居させる訳には――
しかし、そんな心配は、直後の少女の発言によって粉々に砕かれた。
「行ってみよう」
「なッ!? 駄目だ! それは…………」
「どうして? 組織のアジトかも知れないんでしょ?」
どう説得しようか悩むゼオに、セレスは柔和な笑みを向けた。
「私はもう大丈夫だよ。それに守ってくれるんでしょ?」
セレスと言う少女は、柔和な見た目とは裏腹な頑固さを持っている。
一度言った事は、余程の事が無い限りは引っ込めない。従って、この言葉が出た以上、彼女を止める事は不可能となってしまったし、こう言われた以上は、キチンと守り通さねばゼオの沽券なんかにも関わってくる。
「わかった。その代わり、絶対に俺の傍を離れるなよ」
溜息混じりで折れたゼオの言葉に、セレスは満面の笑みで頷いた。
様々な薬品の臭いが混ざり合った大気の中をゼオとセレスは身を寄せ合いながら歩いた。
不覚にも真壁を見失ってしまった為、二人は目についた扉を片っ端から開けて行くしかなかった。
「いないね」
「ああ」
探索開始から、既にかなりの時間が経っている。なのに、一向に真壁は見つからなかった。
「一体何処に…………」
機械仕掛けの鼓膜が微かな大気の震動を捉らえたのは、そんな時だった。
「今、何か聞こえなかったか?」
「え? 私は何も」
そんな筈は無い。今、確かに――
真偽を確かめるべく、ゼオは通路の先でぽっかりと口を開けた闇の中へとと駆け出して行った。
「あッ! 待って!」
突然のゼオの行動に面を喰らっていたセレスだったが、すぐに気を取り直して後を追った。
最後のデータディスクが、焔の中に投じられた。
業ッ、と燃えた焔を、真壁は名残惜しげに見つめていた。
「いや、これで、いいんだ…………」
呟いた真壁は、何かを振り切る様に、焔から顔を背けた。
「成程、そう言う訳だったのか」
音も無く入ってきた闖入者の存在に気付いた真壁は、息を呑んだ。
「しかし、こんな夜遅くに一人でやらなくとも良いだろうに」
扉のすぐ横の壁にもたれかかっていたゼオが、真壁の傍らを通り過ぎ、錆び付いた一斗缶の中で揺らめく焔の下に歩み寄った。
音を立てて爆ぜる朱色の奥に、水飴の様にドロドロに溶けたデータディスクがあった。微かに残ったその表面には、殴り書きで『千裏眼』と書かれていた。
「こんな物はあってはならないんだ。こんな物が存在するから…………」
半ば譫言の様に呟いた真壁は、懐から鉄の小箱を取り出して、それを不格好な火葬場に向けて放り投げた。
小箱は放物線を描いて、朱く燃える焔に落とされようとしていた。その時――
何かが大気を裂いて、部屋の中を通り抜けた。
咄嗟にゼオは頭を巡らせた。燭台の近くに、柔らかな金髪の影が佇んでいた。
「お前…………」
ゼオは金髪の影――セレスに声を掛けようとした。
が、彼女が手にしている物に気付き、言おうとした言葉を呑み込んだ。
やはり――そういう事かッ!
警鐘を鳴らす本能を理性で押さえ込むと、真壁を庇う様に少女の眼前に回り込んだ。
「シュシュシュ…………」
セレスの姿を模したソレは、顔を俯けて、肩を小刻みに揺らしながら勘に障る笑い声を漏らした。
その笑い声を聞いたゼオのは脳裏に点在している記憶を漁った。
ほんの数時間前の出来事。変幻自在を隠れ蓑にする異形の怪人。
ソレはゆっくりと顔を上げ、ゼオ達と向き直った。その途中で肌目の細かい四肢は爬虫類然とした滑りを孕んだ手足に変わり、ハニーブロンドの下の可愛らしい貌は巨大な眼と耳元まで裂けた口を持つ醜悪なモノに変わっていった。
「まんまと引っ掛かったなァ。ALICEゥ」
異形の怪人――ガイストカメレオンが勝ち誇った笑みを浮かべながら、万力状の両腕を前方に突き出した。
カチン、と言う小気味の良い音が響き渡った。
一瞬遅れて、万力の間にある銃口から放たれた強烈な光が、辺りを白く焼いた。
暴虐的な白の奔流が、ゼオと真壁を襲う。
やがて光が収まり、不格好な燭台だけが頼りの薄闇が帰って来た時、ガイストカメレオンの姿は跡形も無く消えていた。
「…………真壁さん。アンタはココに居ててくれ」
「き、君は?」
床にへたり込んだ真壁は、部屋を後にしようとする黒い背中に問うた。
「落とし前をつけに行く」
そう零したゼオの腰部に、銀色の光を孕んだ機械仕掛けのベルトが顕現していた。
アサシンボーグの共通装備の一つに念話(テレパス)と言う機能がある。
脳波を利用した簡易通信システムで、あらゆるジャミングをものともしない代物である。アサシンボーグは主にこの機能で指令を受け取り、任務を遂行している。
アーティファクトの奪還を果たし、早急に廃屋から離脱しようとしていたガイストカメレオンもその例に漏れず、念話で新たな指令を受け取っていた。
「な、何ですとッ!?」
受け取った指令の内容に、ガイストカメレオンは思わず驚愕の声を上げた。
――――――――
「私には無理です! 仮面ライダーを倒すなど!」
――――――――
「ですが!」
――――――――
「…………承知致しました」
渋々ながらも最終的に指令を受諾したガイストカメレオンは、敵手を迎撃すべく身体を一八十度反転させた。
強化された視覚が、遥か向こう側から爆音を上げて雑木林を駆け抜ける白銀の影を捉らえた。
最早、腹を括る以外あるまい。
「喰らえぇッ!」
ガイストカメレオンは、前方に両腕を突き出した。万力の間から覗く銃口が低い咆哮を上げながら、朱い焔を噴いた。
吐き出された鉛の牙の群れは白銀の影に迫り、鋼鉄の肉体を噛み砕かんと――する筈だった。
突如、影を守る様に形成された魔力の旋風が、迫り来る牙を全て弾き飛ばしたのだ。
「何ッ!?」
予想外の事態に戦くガイストカメレオン。次の瞬間には、その緑色の身体は影の突撃を食らって、無様に宙を舞っていた。
「ガ、アァ…………ッ!」
ノイズの走る視界。飛び散った機械部品(はらわた)の向こう側で、ガイストカメレオンは自分よりも高く跳んでいるモノを見た。
ソレは、ガイストカメレオンの姿を捉らえると右足を振り上げた。
瞬後、怪人は胴を貫かれる様な衝撃が走るのを知覚すると同時に、地面に叩きつけられていた。
その後、着地したソレ――仮面ライダーAIZEN・シーリングモードは無様に痙攣している異形の怪人に歩み寄った。
「…………お前達が、アーティファクトを使って何をしでかそうとしているかはわからない。が、どうせロクでも無い事だろうし、それを見過ごすつもりは無い」
AIZENの周囲の大気が、声なき唸りを上げた。
「その為に沢山の人々から未来を奪う――これも、だな」
頸部の排熱口から、紅光が迸る。同時に、黒色のフェイスガードが弾けた。
「けど、何よりも許せないのは…………」
露わになった紅の複眼が、紅く輝いた。
「アイツの…………セレスの姿で汚い真似をした事だッ!」
「ヒィィッ!」
変貌した敵手の放つ覇気に押し潰されそうになった怪人の防衛本能は、本人の意志を半ば無視して舌を硬化させた朱色の槍を繰り出した。
敵手――仮面ライダーAIZEN・フォースモードは右手を迫り来る殺意に対し、右手をゆっくりと翳した。
「なッ!?」
朱の槍を、AIZENは右掌で軽く受け止めていた。
恐慌状態に陥ったガイストカメレオンは舌を必死に引き戻そうとしたのだが、凄まじい力で掴まれたそれはびくともしなかった。
怪人がそうしている間に、すぐ傍まで近付いていたAIZENは、仰向けに倒れていた身体に足を載せた。
「ッ、あッ!」
恐怖に戦くガイストカメレオンを見下ろすAIZENに、更なる変容が起こった。
身体中に、焔色に淡く輝く魔術文字が浮かび上がったのだ。まるで、彼の内で渦巻く怒りに応えるかの様に。
変容を起こしたAIZENは、右手にある舌を引っ張り上げた。
「一つ、言い忘れていた」
冷気を孕んだ淡々とした口調で語るAIZENが取り出したのは、小さな鉄匣。一杯に満たされた緑色の液体の中を、眠る様に漂う一対の眼球。
「本物は、こっちだ」
どういう事か。瞠目したガイストカメレオンは、息も絶え絶えに白銀の怪人に問うた。
「なぜ、だ…………?」
「何故も何も、お前が掴んだのは、最初からニセモノだったんだよ」
AIZENが、匣の中の眼球を覗き込みながら言った。そこで、漸く全てが解った。
「…………最初か、ら?」
「流石に、あの男を無条件で信じるのは、不安があった。保険として摩り替えておいたんだが――考えすぎだったかもな」
だとしたら、どうして追ってきた。ニセモノを掴ませたのなら、捨て置けば良いものを…………
――けど、何よりも許せないのは…………アイツの…………セレスの姿で汚い真似をした事だッ!
それだけの…………それだけの為に、ここまでしたのかッ!?
「ガ、アアアアアアッ!」
完全解放から更に底上げされた力で引っ張り上げられた異形の舌は、不気味な軋みを上げて伸び切っていた。
「あ、あが…………」
引き裂こうとする力と、元に戻ろうとする力。相反する二つの力の均衡が崩れた時、それは起こるべくして起こった。
刹那、束ねた大量のゴムが千切れる様な音が辺りに響き渡った。
その頃。
「はぁ…………はぁ…………ッ!」
放心状態からやっと抜け出した真壁は、震える手で放置されていたデスクに掴まり、やっとの思いで立ち上がった。
「は、はやく…………」
独りごちた真壁は、脚を必死に動かして部屋の隅に位置する朽ちた戸棚の所まで歩いた。
「全て…………消し去らないと」
「何を消し去らないといけないのでしょうか?」
唐突に耳梁に入り込んだ声に、真壁は再び腰を抜かしそうになった。震える頭を背後に何とか巡らせた真壁は、そこにアイボリーのローブを纏った小柄な影を見た。
「あら? どうしたのですか、真壁博士。そんなに怯えてしまって」
鈴を転がした様な舌足らず声で、くすくす、と笑う影を前に恐怖の余り顔面蒼白になった真壁は、半歩ほど後ずさった。
色を失った唇から、囁く様な弱々しい言葉が零れた。
「クニークルス、何故お前がココに…………」
クニークルスと呼ばれた影は、ローブの下の血の様な色の愛らしい唇を可憐な笑みの形に歪めた。
「ぐはぁ…………」
地面に倒れ伏したガイストカメレオンの身体はあちこちが破損し、血と白煙が吹き出していた。最早、虫の息だ。
満身創痍の異形を冷たく見下ろすAIZENの右脚に、銀の光が集中する。白銀の装甲が展開し、爆発的な銀色の魔力が溢れる。
「トドメだ」
銀色の光を曳きながら、天高く跳躍したAIZENは、無様に倒れ伏す異形目掛けて輝く右脚を突き出した。
「ライダァァァ、キィィ――」
白銀の弾丸へと変わろうとしていたAIZENの身体に、突如紫色に輝く光の帯が巻き付いた。
身動きを封じられ、地上に落下したAIZENは、自らを拘束する光の帯を見つめた。光を編み上げた環には、魔術文字が巡り、もがけばもがく程に身体に食い込んでいく。
「拘束魔術!?」
拘束魔術。対象の動きを止める事に長けた魔術の総称である。他の魔術より使い勝手の良い事から、多くの魔術師が荒事の際に好んで使用する魔術でもある。
光の帯の正体に気付いたAIZENは、背筋に冷たい物が這う様な感覚を覚えた。咄嗟に頭だけを虚空に巡らせ、ある一点を睨んだ。
「おや? 見つかってしまってしまいましたか」
辺りに、鈴を転がしたかの様な舌足らずな声が響いた。
直後、薄闇の虚空が揺らぎ、そこからアイボリーのローブを纏った小柄な影が浮き彫りとなった。
「クニークルスッ!」
「お久しぶりですね。ALICE」
姿を現したクニークルスは、眼下のAIZENに愛想の良い笑みを向けると、変わり果てたガイストカメレオンの方を振り向いた。
「貴方とは、一度ゆっくりと語らってみたいのですが、残念ながら今はそうもいきません」
そう言うとクニークルスは小さな右手を翳して、指を鳴らした。
すると、AIZENの手元から光の玉が飛び立ち、ふらふらと宙を舞った後、クニークルスの右手にそっと収まった。
「千裏眼、確かに本物の様ですね。本来ならば許し難い失態でありますが、今回だけは許して上げましょう」
刹那、クニークルスとガイストカメレオンの下にバイオレットに染め上げられた魔方陣が顕現した。
「待てぇッ!」
それが何であるかを悟ったAIZENは、踠きながらクニークルス達を呼び止めた。
だが、その甲斐も無く、魔方陣はそれぞれの上に在る者達を呑み込んでいった。
「貴様は…………貴様等はソイツを使って何をするつもりだッ!」
AIZENの問いに、クニークルスは答えなかった。
が、魔方陣に沈みきる瞬間、小さな魔女は薄く、不敵な笑みを自由を奪われた戦士に向けた。
やがて、全てを飲み込んだ魔方陣は光の粒子となって、異形の者達が居た痕跡ごと現世から消えて行った。
結
やっとの思いで拘束魔術を解呪したゼオは、真壁を置いてきた部屋へと走った。
部屋の前へと差し掛かってから、中が異様に静かな事に気が付いた。
「…………?」
それどころか、何の気配も感じられない。
異常事態だと断じたゼオは、警戒しながら扉横の壁に張り付き、部屋の中の様子をそっと窺った。
「――ッ!?」
ゼオの視界に最初に飛び込んできたのは、床一面に広がる紅い水溜まりだった。そして、その中心地には、血を滴らせた肉片がいくつも散らばっていた。
ゼオは、震える瞼を閉じて唇を噛んだ。
次の瞬間、彼の口から零れた言の葉は、底無しの悔恨に支配されていた。
「何てザマだ…………ッ!」
TO BE CONTINUED…………