戦火に荒れ果てた寒村の中、まるで子供と変わらない身の丈で佇む電を囲むように深海棲艦が現れる。
既にして荒らされた村、それが故に異形の本懐である人間の虐殺を行うことはできない。
ならば代わりにと言わんばかりに、野太い足で駆け這いずる黒い怪物達は幼児そのものの外見を纏った天敵(かんむす)を血祭りにあげようとそこに集結していた。
気配、という意味であれば他にも近くに存在するが、複数が固まっていてかつ『瑞鶴』が無傷の盤石であるのと電達が単体で満身創痍、ならば弱弱しい気配の方を狩りに来るのが当然という習性なのだろう。
粘性の濁った液体を口から垂れ流す四足歩行の駆逐級が六、高みから眼窩の無い眼で見下してくる長身の巡洋艦級が一、それにごてごてと何門もの砲身を横に膨らんだ胴体に埋め込んで一斉にこちらを狙っているのは戦艦級か。
“深海に棲む艦”としては異端、そして一層の奇形揃いの陸上種達は、海のそれらと比べれば凶悪さは一枚か二枚落ちる。
だがこの世界で深海棲艦が一気に活性化する時期になれば、その品質低下を埋め戻すように武装の火力も装甲の頑健さも跳ね上がるし、決して侮っていい相手にはならない。
鎧袖一触に蹴散らしていた『瑞鶴』が異常なだけで、むしろ駆逐艦娘である電がこの数と質を相手に回して生き残る目など有り得なかった。
ほんの数分前までの話ならば………今彼女の傍らに横たわっている、航輔もろとも押し潰そうとしてきた巨体を残骸へ変えることすらできなかった。
そう、弱弱しかったのは本当につい数分前までの話。
それを覆すのが異能という要素であり、霊式祈願転航兵装たる艦娘の真価。
『rRRRh…..』
『KYaaaA!!』
「――――来ないのですか?」
多勢で包囲しておきながら、巡洋艦級の仲間が倒されたことにかあるいは電が持つ何かを感知したのか、警戒するように唸り威嚇する敵達に向かって電は静かに疑問を口にした。
凶暴さと残虐さがお前達の本分だろう、なんだその腰抜けは――――嘲りというよりは困惑に近い態度だったが、それだけに挑発としては覿面だったのかもしれない。
「戦いが長引くなら、好都合ではあるのです」
『GAAAu!!!』
開戦の口火を切ったのは、挑発を挑発と受け取るだけの知性のある個体。
その場で最も強力な個体である戦艦級だ。
ピアノの連弾から繊細さの要素を一切取り払ったような、聞き数えるのも難しい何発もの爆発音が一度に鳴り渡る。
仰々しいまでの武装を全て撃ち放ち、砲弾が電の居た地面に着弾して黒と茶色の煙を噴き上げた。
その煙を突き抜けるように飛び出す電―――服が埃と煤まみれになった事以外損傷らしい損傷は見受けられず、有効打は全くゼロだったらしい。
向かう先は包囲の一角、戦闘開始に反応できているのかも怪しい鈍重な駆逐級。
その小柄さからも想像しにくいすばしっこさで懐に潜り込んだ電は、半ば体当たりのような形で左肘を抉り込む。
『kyy-----』
「墜ち―――、」
十倍は軽く差のある体重が浮き上がる衝撃が敵に伝わったらしい。
跳ねあがったどてっ腹に、さらに右腕の単装砲をぶち込んだ追撃が合わさって、標的となった駆逐級は悶絶しながら横転する。
「、―――ろおぉぉぉっ!!」
『-----,---』
そして、間髪入れずに電は左手に錨を顕現して振り下ろす。
脳天を砕かれた化生は二度と起き上ることはできなかった。
電光石火の早業だったが、流石に敵も棒立ちではない、左後方から脱落した配下を見切って巡洋艦級が魚雷と肩に癒着した連装砲を電目掛けて放ってくる。
ほぼ直線的で速い弾丸と地を這って迫る爆弾、そして遅れて改めて第二射を始める戦艦級と二隻の駆逐級の援護射撃。
時間差で火線が雨霰と降り注ぐ中で、電は瞬時の判断で錨を消して駆け抜けた。
先程沈めた駆逐級に奇襲をかけた時以上のスピードで走る電だが、流石に追い縋る鉛弾の数は多く、内一つが彼女の髪留めを掠めてはらりと茶髪が宙にばらけた。
だが振り乱れる髪が肩とうなじを擽るのを気に留める暇もなく、駆逐級が正面から飛びかかってくる。
「この―――っ、ええい!!」
それを受ければ動きを止めてしまう、この弾雨の中で自殺行為を避ける為にはと必要な方法を模索し。
電は上体を後ろに倒して宙にある駆逐級の下に潜るようにして足から滑り込んだ。
ミニスカートと生足でというまともな人間ではやれないような咄嗟のスライディングだったが、その巨体をくぐり抜けるには僅かに間に合わない。
だから、単装砲を真下から直撃させて滞空時間を無理やり延ばさせる。
『KYYAAAA!!?』
無事押し潰されずに背後に抜けた電と、着地を満足に行うことも出来ずに無様に地面に打ちつけられた駆逐級。
だが電に背後の敵にトドメを刺す時間は無く、すぐさま砲火の雨との追いかけっこが再開された。
――――駆ける、跳ぶ、瞬時の隙を見出し単装砲で一撃一撃を加えていく。
電とてこれまで何度も戦場を経験してきた。
その間ずっと夕立や『瑞鶴』の小判鮫をしていた訳ではなく、むしろ戦う者としてまるでなっていない主を護りながらという枷をつけてやっていかなければならなかった。
だが、今彼女にその枷は無い。
勿論航輔の姿はすぐ近くにあり、時折敵の攻撃もそちらに向かうが………全て無駄だ。
あの状態の航輔は自分から動くことも喋ることも、何かに触れることすらできないが、それは余の存在が航輔に何らかの害を与えることは一切できないことをも意味する。
故に主を護るという制限から解放された電は、その為に全力で鍛えてきた判断力や視野の広さを含めた性能を全て効率的に戦闘へと注ぐことができる。
放たれ一度も彼女に痛打を与えなかった砲火が数百にも積み上がる頃には、更に二隻の駆逐級が動かぬ残骸となっていた。
………だが、それにしてもおかしいことではある。
たかが駆逐艦一隻が、一個艦隊以上の群れを相手にしてここまで戦えることが。
今や電の動きは神懸かったスピードとなり、捉えるどころか掠らせる見込みすらできない程に異形達は翻弄されていた。
『------GGGYY!!?』
「――――ああ、やっと気付いたのですか?」
何かに驚いたように、うろたえるような挙動を見せた戦艦級。
その一瞬止んだ弾雨の中で跳び上がった電は、回転しながら無造作に三度単装砲を打ち放つ。
無造作なれど狙いは正確、電の反撃による傷を負いながらもまだ生き残った三隻の駆逐級に突き刺さる。
“戦艦のそれを遥かに凌駕する破壊力の砲弾が”。
異形を文字通りに粉砕した電が、撃った砲の反動でひらりと宙を踊り、巡洋艦級の頭上に舞い降りる。
そして手に現れた黒光りする錨を、目で追うこともできない速さでフルスイングする。
「えいやっ」
弾けた。
断末魔を上げる暇など無し。
拉げた装甲が、折れた砲身が、ばらばらになった脚が、鉄屑が弾けて散乱する。
原型を留めない上半身を支えていた下半身が、目的を失ってその場に崩れる。
――――流した涙の数だけ強くなるから、せめて泣く時間が欲しい。
それが紀伊航輔が渇望し、電が応えた祈り。
この祈りによって、航輔の存在は世界から切り離され、“感情のままに愚かな振る舞いをする”のも問題にならない時間が生まれた。
だが、その間にも残酷さに満ちた世界では理不尽が生まれ続けているし、それと向き合い続けるのが彼の本質でもある。
だから。
「司令官さんが流した涙で得た強さ。それは電のものでいいのです」
航輔が世界と切り離され一切の干渉を受けなくなっている時間。
それが経過すればするほど、“電が”強くなり、その性能でもって理不尽を駆逐する。
暴論とも言える、ある意味こちらの方が理不尽な仕組み。
だが夕立然り羽黒然り、異能とはそもそもそういう理不尽なものだ。
「ちゃんと異能が使えるようになってすら電に頼りっぱなしのだめだめ司令官。
電をちゃんと憎むことも許すこともできない、愛しい愛しい電の司令官。
大丈夫です、電がいるのです」
だから――――。
『g,,,,GGAAAAAA!!!!!』
「さよなら、司令官を泣かせる悪いやつら。
沈んだら、もう浮かび上がって来ないで欲しいのです」
やぶれかぶれになって一斉射撃する砲撃は、電の振るう錨にあっさりとはたき落とされる。
その間断無い爆音と、そして周囲一帯に一瞬駆け抜けた黒い“何か”に紛れ、その異形は気が付かなかった。
地を這って走り寄るたった一発の魚雷が己の命を狩り取る最期の一撃だと、気が付かなかった。
鼓膜を焼き切るような音と炎の爆発が戦艦級を微塵に吹き飛ばす中、それを行った電は別のことに意識を飛ばしていた。
「今のは、一体―――?」
世界そのものを震わせた、波動のような“何か”。
形の無いそれをむりやりに形容するとして、色で言えば黒。
深海棲艦の持つ瘴気に似ているといえば似ていたが、あれはもっと研ぎ澄まされていた。
瘴気は光の濃淡や赤青緑の雑味が入ったどろどろした黒、といった感じだが、それとは違う純粋な闇とも言える単色の黒、というのが電の受けた感想。
その純粋さに背筋の凍る怖気が走る一方で、何故か懐かしさを同時に感じた。
そんな矛盾した感覚に首を傾げる電の耳に、二人分の足音が近づいてくるのが聞こえる。
「――――そっちは、どうだったのです?」
「えへへ、もちろん瑞鶴ちゃん大勝利!!…………って言えれば良かったんだけどね。
お子様相手に遊んでたら、癇癪起こさせちゃった。
翔鶴姉、だいじょうぶ?」
「はい………」
顔面を蒼白にした翔鶴の背筋を優しく擦りながら、珍しく苦笑のような表情を浮かべる『瑞鶴』が合流してきていた。
「じゃあ、さっきのは……」
「残念だけど私も詳しいことは知らないんだ、予想は出来るけどね。
最強な瑞鶴ちゃんに勝つために、人型を核に色んな人や深海棲艦をくっつけてって『さいきょうのにんぎょう』を作ろうとしたのはいいんだけど……ちょっと洒落にならないものを突っついて目覚めさせた感じ?」
「よく分からないのですが?」
「いいよ、気にしないで。どうせ会ったら逃げるしかないって分かる類のものだから」
ひらひらと手を振る『瑞鶴』は、それ以上のことを語るつもりはないらしかった。
そんなことよりもと言わんばかりに、至近距離であの“何か”を浴びたせいで体調を崩したらしい翔鶴をそっと抱きしめ、構い始める。
「翔鶴姉、本当無理しないでね。翔鶴姉が辛いと、私も辛いんだよ?」
「………提督、逃げ帰るなんてしたからすごく機嫌が悪いんですね。
いつもの倍くらい優しくしてくれて、うぅ」
「…………。あはは、翔鶴姉ほんと大好き。愛してる。もちろんうんと優しくしてあげるよ、とろけるくらいに」
「~~~!はぁぅ…っ!!」
「……………ほどほどに、なのです」
空虚な愛の囁きで『瑞鶴』が翔鶴に八つ当たりしているが、それによって頬の赤みが戻ってきているので心配する必要はないのだろう。
翔鶴の目の焦点が合ってない?……本調子ではないみたいだが、気にするまでもあるまい。
それよりもと、異能を解いた航輔の下へと駆け寄る電。
それに気付いていない筈はないが、航輔は熱心にごそごそと土を掘り返していた。
白の剣錨巾はどす黒く染まったままで、それと手近な焼け残りの布を漁って包んだその中身は改めるまでも無い。
「墓を、作るのですか?」
「………ああ」
「手伝うのです」
電との戦いで深海棲艦達が遠慮なく撃ちまくったせいで、そこかしこの地面に穴は空いているが、己の手で墓穴を掘るのは感傷だろう。
それが紀伊航輔という自らの主だから、電は今は言葉少なにそっと寄り添う。
「「…………」」
「…………」
「………なあ、電」
「はい」
「………っ、ありがとうな」
「こちらこそ、ありがとうございました。
………これが終わったら、一緒に帰りましょう?とても疲れたと思うのです」
「ああ、そうだな」
「一緒に、帰ろう――――」
☆設定紹介☆
※電・航輔の異能
人は涙を流した回数だけ、強くなれる――――物理的に。
提督である航輔が泣いて悲しみに耽る時間を得る為に一切の攻撃を受けない無敵状態になる一方で、それが積み重なる程艦娘である電の全性能が時間経過と共に跳ね上がっていく能力。
正確には航輔に掛かる提督としての強化分が(必要ないので)電に上乗せされているわけで、強くなっているのも確かに航輔なのだが、最終的に他力本願ならぬ電力本願になるのがこのコンビなのです。
艦娘並みの身体能力はあっても、資源でのインスタント修復はできずまた死ねば艦娘も無力化されるというウィークポイントな提督が完全にガードされる、ある意味かなり優秀な能力。
しかもこの無敵時間に制限はなく、むしろ時間が経てば経つほど電の火力も回避も装甲も全てが凶悪になっていく仕様。
電を速攻で沈めるか、能力発動中は航輔がその場から動けず電もあまり遠くに離れられないのでひたすら逃げる、が対処法になるのだろうか。
流石に一度能力を解けば上昇した電の性能はリセットされる。
あと完全に形成位階で覚醒したので、これ以降特に悲しいことがなくても航輔の随意で能力を発動できる。
………無敵状態、と言いつつ羽黒なら対夕立の反射と同じ理屈で、航輔にダイレクトアタックできるのだが、考えちゃだめ。
………性能が時間経過で上がっているだけなので、この状態の電が修羅思考反射持ちの夕立と一騎打ちしても勝ち目がないのだが、やっぱり考えちゃだめ。
改めてなんでこんな凶悪な能力が主人公のなんだろう?
羽黒に至っては、アンチ夕立の敵キャラとして考えた能力だったんだけどなぁ……。