終焉世界これくしょん   作:サッドライプ

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 詠唱再び。

 ごろごろごろごろ…………。




時刑

 

 

「かってぇ……っ」

 

 一撃を入れること。

 それ自体は半ば騙し討ちの様な形で叶った春也だが―――、状況は最悪であると理解していた。

 

 拳に返ってきたのは砂どころか鉛が詰まったようなサンドバッグを叩いたような感覚。

 ここ最近は練度の上昇もあって大抵の相手は一撃で破砕することができていただけに、目の前の敵がどれだけ桁違いの頑丈さを秘めているかよく分かる。

 

 艦娘を持つ提督と、深海棲艦。

 まるで対極とも言える天敵同士だが、その強さの理由、理屈もしくは理論にある程度共通の部分がある以上、それは当然のことと言えた。

 

 自身の狂気的な渇望を独自の法則へと変換して世界を侵食する。

 その媒介である提督と艦娘の相性が強さを測る一つの指標となる―――というのはともかくとして。

 その燃料または出力として喰らい溜めこんだ“人間”の魂の数、いわゆる練度と。

 渇望そのものの強靭さ、祈りの深度。

 後者二つは今までの元人間としての意識が磨滅しきった深海棲艦達とはまるで話が違うのだから。

 

 同族殺しを何度も重ね無駄に成長した自身の創り手を惨殺し、そっくりそのまま自分のものとした練度。

 幾百もの骸を束ね、その怨念と憎悪が全て同じ方向を向いているという先鋭化し切った負の渇望。

 

 何か異能として具現化するということはないものの、それらが収斂された暗黒の矮躯に圧倒的な強大さを誇る頑丈さと膂力を秘めている。

 更には、ただ撒き散らす瘴気の禍々しさだけでも凶器足り得た。

 

「………っ、くぅ…!」

 

「ぁ、ぅ、う~~~っ!!」

 

 夕立はうつ伏せに沈み、羽黒は膝をつきながらもがいている。

 敵意と害意と悪意と殺意の毒が、“元は自分達と同じバケモノだったのに”浄化された艦娘の身体を蝕み激痛と衝撃として彼女らに駆け廻っているのだ。

 全身を圧搾機に掛けられたような苦痛は、かつて残滓程度を浴びて具合を悪くした翔鶴のそれの比では当然ない。

 触れず、ただ近くにいる―――形無き憎しみの感情を浴びせるというただそれだけのことで、無敵の防御を持つ筈の夕立すらも容易く行動不能に追いこんでいた。

 

 提督である春也とてその災禍を免れる訳ではない。

 だが何故か多少の不快感を覚える程度で済んでいる自分が戦わなければどうにもならない。

 考えるまでもなくそれ以外の結論が見えないほどに、状況は最悪だった。

 

「クソったれがぁーー!!」

 

 顔で受け止められた右の拳を引きながら、その反動で左フックを胴体に叩き込む。

 そのままやや沈ませた上体から打ち上げ気味のストレート、そして振り被っての打ち下ろしを三度。

 激情を迸らせ、全身をバネにして、渾身の殴打を回転させながら何度も何度も打ち込む。

 連打、連打連打連打―――!!

 

「おおおおぉぉぁぁぁッッ!!!」

 

『………クク』

 

 全くの、無意味。

 否、いっそ自滅行為。

 

 殴れば殴る程に、拳が潰れ、肉が裂け、血を撒き散らしながらも戦意を喪失しない春也を、小揺るぎもしない混沌種が嘲笑った。

 

「――――!」

 

 痛痒を感じぬ反抗を続ける獲物を甚振るように、戯れの攻撃が横薙ぎの腕の一振りとして襲いかかる。

 咄嗟に右腕で受けた春也は―――壊れかけた拳共々完全に砕かれた片腕と、風を引き千切る奇音を上げる一閃に軽々と吹き飛ばされるのを代償に、辛うじて首から上を粉砕するのを回避した。

 

 ほぼ真横に跳ね飛んだ故に浮遊感はさほど長くなく、ごろごろと木の葉のまだらに落ちる村道を転がる。

 金切り声を上げる右肩から先を黙殺し、体勢を整える前に真横に跳躍した――――そこに遅れて飛んでくる混沌種の蹴撃。

 すんでのところでそれを潜り抜けた春也は、頼りなく揺れる腕を庇うでもなくただ敵を如何に屠るかと気迫の籠る視線で睨みつけていた。

 

『ナンダ、ソノ目ハ?』

 

「…………」

 

 反転する攻守。

 視界の中でぶれるように加速した異形が、ぬるりとおぞましいしなやかさで躍りかかる。

 速さですら負けていることを認識しながらも、身体の軸をぶらしてフェイントをかけてその握撃を躱し切る春也。

 

 その耳に響く雷鳴と紛うようなそれは、勢い余った混沌種が両腕の回り切らないような太さの大樹を容易くへし折った音だった。

 散乱する木の葉の中、一直線に突っ切った春也が敵の背中に飛び蹴りを浴びせる。

 大したダメージにもならないと分かっていたのだろう、そのまま跳ねるように退いたことで彼を掴もうとした異形の腕は再び空を切った。

 

『ニンゲン、ナンノツモリダソノ目ハ――――!?』

 

 踏みならすだけで土砂が捲れ、森がその形を崩していく。

 災害そのものの暴威を見せつけながら、春也一人を仕留める為に混沌種は荒れ狂う。

 

 指先が、爪先が、掠めるだけで致命の怪物を相手にしながら、宙に舞い続ける障害物を目くらましに立ちまわり続け、そして一滴ほどの隙を見つけ打撃を迷いなく叩きこんでいく。

 相手の体力を減らすことすら出来ているのか分からない気の遠くなる挑戦だが、見据えているのは遠く霞む勝機だけ。

 

 そんな春也の態度と、そしてそれを潰せない苛立ちが異形のボルテージを上げ、暴威はますます激しくなっていく。

 

『ソノ目ハナンダ!?断罪ノツモリカ、討伐者ノツモリカ!?

 フザケルナ、ワタシハ、ワタシタチハ、貴様達ガ殺シテキタ化物ハ、全テ元々人間ダ!!』

 

 本能のままに蹂躙しながらも、それは怒りというよりは慟哭の叫びだった。

 

 心の内に秘める何か。

 悪意の欺瞞と言えば聞こえは悪かろう、だが表に出さなければそれは奴隷にも許された原初の人権の筈だった。

 だがそれはある日それは罪なくして異形化という十字を背負わされる口実となり、望まぬ殺戮を強いられることとなった。

 

 やがてその悪法が人間に及ばなくなり、異形の成り立ちすら忘れ去られた頃には、もはや哀れな冤罪者などどこにもいない。

 力無き者達はその暴虐に怯え憎み、そして力有る者達は良くて義憤悪くて欲望の為に異形を狩るのが今の世界だ。

 

『正義ナド、存在シナイ!ソノ傲慢ヲ贖エ――――!!』

 

 他にどうすればいいというのだ。

 やり場の無い怒りのぶつけ先をそう理由づけする深海棲艦に、春也が感じたのは全くの無関係のこと。

 

(勝機は、やっぱりただ一つだ―――)

 

 練度で負けている。

 内包する魂の数という物量で負けているのならば、必要なのは質でそれを跳ね返すこと。

 何十何百の怨念よりもなお深い祈り、強靭な渇望。

 

 云うは易く行うは難し、必要だからと言ってそれが簡単に叶うものではないだろう、本来なら。

 だが胸より出でる怒りと嫌悪感が、伊吹春也の本質と同期し、そして必要の有る無しに拘わらずその存在を一段上の高みへと導くのを感じていた。

 

 

「――――臭えよ」

 

 

『………何ダト?』

 

「臭え臭え臭え臭え、ああゲロ吐きそうなくらい臭えんだよ」

 

 猛追する敵から逃れながら、紙一重で皮膚を切り裂かれながら、呻くように罵倒する。

 

「なんだそれは?お涙頂戴のつもりか同情でもして欲しいのか、人殺し風情が?」

 

 他にどうすればいいだと?

 ああ――――、

 

 

「汚物(ゴミ)は所詮汚物(ゴミ)だから汚物(ゴミ)らしく汚物(ゴミ)の吐き出す言葉(もの)なんて汚物(ゴミ)でしかないと理解することも出来ないんだよな汚物(ゴミ)がぁッッ!!」

 

 

 そんなものは決まっていると、天元を突き破らんばかりに膨れ上がるのが春也の祈り。

 

 人の命はかけがえなく尊いのだ。

 それを奪うモノは有害なだけで一切の無価値だから掃除しなければならない――――、

 

「間違ってんだよ」

 

――――などという今までの自分の認識は間違いだった。

 

 甘い、トロ甘い。

 

 

「貴様らのような人殺し(ゴミクズ)は………生まれて来たことそのものが間違いなんだ!!」

 

 

 人を殺すような存在が生まれることそのものが世界の誤謬、流れ続ける時の中で修正しなければならない見るに堪えぬ誤植だから。

 敵視する、排除する、討滅する――――そんな相手の“価値”を認めているような見方をするなんて、救い難いほどの甘さだったと、よりにもよって悲劇的な境遇に酔って『人間を殺すことを正当化する』存在の醜さを知った時に自覚した。

 

 “何故ならば”。

 

『――――!!』

 

 その決定的な弾劾に混沌種に走ったのは、反発心ではなく危機感。

 それを怒りに紛れさせて、遂にその魔手が春也を捉える。

 

 掴んで、引き倒し、土を抉りながら擂り潰す。

 瞬時に何十メートルも押しこまれ、肋骨がバラバラになりながら強化された提督の内臓を引き裂いて行く。

 もはや痛みとすら思えない意味不明の肉体信号に、しかし意識は毫も揺るがない。

 そんな現実の理など置き去りにするほどに、世界を侵蝕する祈りは肥大しきっている。

 

 “何故ならば”。

 

「どんな、……ぐふっ、理由ガ、あったって!!」

 

『黙レ…、喋ルナッ!!』

 

 

「「――――それが“人間/私の司令官”を殺していい事情になんて、なるわけがない!!」」

 

 

 その口を物理的に塞ごうと振り上げた腕が振り下ろされる“その前に”、出所不明の砲弾が混沌種の胴を突き刺した。

 そしてそのまま体当たりした少女が、主の上から敵を弾き飛ばす。

 

「しれい、かん………ッ!!」

 

 艦娘にとって最悪の毒を全身に浴びながら、今なお激痛に苛まれる身体に鞭打って独り春也を庇うのは、羽黒。

 夕立が今猶戦闘不能にも拘わらず曲がりなりにも動けるのは駆逐艦と重巡洋艦の差以上に、『神社』で禊を行い浄化されて生まれてきた存在と自然発生で僅かに異形の気を残す存在という差によるものだろうが、そんなことを気にする余裕は二人にない。

 

 慕う主を護る為。

 敵の存在を消し去る為。

 羽黒も、春也も、頭にあるのはただ互いの想いを共鳴し合うことだけだった。

 

【――――回れ】

【――――回れ】

 

【【回れ回れ回れ回れ――――空回れ】】

 

【回る滑車】【軋む歯車】【崩れる刑台】【墜ちる執行者】

 

【鐘は鳴り】

【針は天を突いた】

 

【――――貪り喰らえ溝鼠(ドブネズミ)!】

【――――その逆殺を、革命の名の下喝采せよ!】

 

 交互に謡う詩篇、折り連なるようなフレーズが、滲みだして在るべき秩序を歪めていく。

 局所的な伊吹春也の世界が、その場に顕現し支配する。

 

 

「創造(ねじかえ)せ、羽黒ォッッ!!」

 

【“捻還・逆魔時刑〈Antimurder-birthless〉”―――――――!!】

 

 

 昇格した異能の完成―――それと同時に、羽黒は躊躇いなく装備した火砲を撃ち放す。

 その砲弾は常の通り因果を遡り………時間を遡り、そして歴史をも遡った。

 

 着弾の音は聞こえない。

 そもそもそれを認識できるような直近の時間軸に命中した攻撃ではない。

 

 その場に満ちた捻じれた空気を感じないとすれば、それは酷く間の抜けた傍目には何の変化も無い光景。

 だが、対峙した混沌種からは愕然と色の抜けた疑念が漏れる。

 

『何ガ……一体、コレハ何ダ!?』

 

「――――」

 

 当然羽黒は答えない。答える価値を感じない。

 代わりに返すのは追撃の砲火。

 

 その魔弾は、時間を翔る。

 混沌種を構成する異形化し死した深海棲艦達の一部――――その元の人として生まれるその更に以前に着弾し、吹き飛ばした。

 存在を否定した。

 

 人を殺すような存在は生まれてきたことそのものが間違いだから。

 殺すのではない、そもそも生まれさせすらしない……時間軸を遡り、誕生の歴史を否定するという異界法則。

 

『何ガ、起コッテイル………!?』

 

 “なかったこと”にされた為に、自分が損傷を受けたことにすら気付けない混沌種。

 だが強引な時間改変による衝撃は確かに受けている為、自分が弱体化していることに自覚がないまま攻撃を受けたことだけ感じていた。

 そしてそれに対する反応は―――理解しがたい感覚に茫然としながら、できる訳もない現状把握を混乱した頭で行い動きを止めるという最悪のリアクション。

 

 時の軛から逃れた存在でもなければ回避できるわけもない。

 どれだけ現在が強くともかつての文字通り赤子以下の時点を狙い撃つ攻撃であるのだから、防御能力もほぼ意味を為さない。

 

………そんな中で打てる唯一有効な最善手、即ち自分の存在が削られ切るその前に羽黒を速攻で沈めるという発想が即座に浮かぶのは夕立くらいのものだが。

 

「消えろ、消えろ、消えろ。―――消えて、なくなっちゃえ」

 

『ヤ、メ―――』

 

 艦娘の、軍艦の砲撃が生まれ出ていた筈の生命達の予兆を根こそぎ吹き飛ばしていく。

 そして悲劇的としても確かに生きて死んだ人々の人生総てを無為に虚無へと消し飛ばす。

 それは数多の命の集合体である混沌種を標的にしている為だが、差し引いてもなんと冒涜的なことか。

 

 春也にとっては汚物(ゴミ)が生まれたという汚点を修正するだけのことであり、ましてその意思に塗りつぶされた純粋培養の羽黒が呵責を感じることなど有り得なかったが。

 

 圧倒的な暴威を奮い、現状の段階の異能が創造された時点ですらまだ優位にあった筈の混沌種も、こうなればただ作業によって消失を待つだけの残骸と大差は無い。

 そもそも存在しなかったと時間が改変されても、それらがかつて深海棲艦として奪った命が戻ることはないが………報いというにはあまりにも悲しい末路だった。

 

 そして呆気ないほどに、戦いは終わり敵は最早死体すら残さず、その場に満ちていた歪んだ法則も消失した。

 

 そして羽黒が振り返り、春也を見る。

 

「……おわった。司令官さんを守れました。

 ああ、よかっ、――――――、」

 

 情けない程に気弱な表情が見せる安堵の笑み。

 だが、その安堵によって気が抜けたのが、………今の春也よりも体内をズタズタにされている彼女の最期の限界だった。

 提督を死なせない為に残り滓の力を振り絞り、そしてその状態で創造に達した異能の発現という大業に踏み込み。

 

 その、代償は。

 

 

「――――羽黒?」

 

 

 儚く笑う少女の顔は、とても愛らしいのに。

 仮面を叩き割るような太い闇色の罅(ひび)が、縦に深く裂くように白い肌に走っていた。

 

 

 







☆設定紹介☆

※捻還・逆魔時刑〈Antimurder-birthless〉

 仮名で読むとすれば“ねじかえす・サカシマドケイ”。
 英字ルビに関しては言うまでもないが造語。

 人殺しを絶対に許せない“程度”だったのに、人殺しを理由をつけて正当化しようとする者を見て(主人公とは思えない罵声を吐きながら)強烈な嫌悪感を抱き進化させ、羽黒を媒介として創造位階で発動した伊吹春也の異能。
 どんな理由があっても人殺しを正当化なんて出来はしない……それは確かにそうなんだが。

 人を殺すような存在は、そもそもこの世界に出現したこと自体が間違いであるとして、遡行の魔弾が因果すら飛び越えて敵の存在の歴史そのものを遡り、現在に至るまでの全ての過程を吹き飛ばす。
 平たく言えば『~~~。相手は死ぬ』ではなく『~~~。相手はそもそも生まれてこなかったことになった』という能力。

 時間改変の能力とも言えるが、相手の存在を歴史から消失させたとして、相手がそれまで殺してきた人が死ななかったことになったり、逆に相手の存在によって生き延びた命が死んだことになったりすることはなく、あくまで閉じた環の中で完結する。

 例によって回避も防御も不可能。
 が、実力の絶対値を考慮の外に置いたとしても、何度も世界を巻き戻し長い時を強者として過ごしてきた水銀の蛇などは、彼が弱かった時点まで遡って攻撃することが出来ない為、相性最悪。
 一方で祈りの性質から、直死裁死幕引き斬首、そういった絶対即死系統の能力に対してはカウンターとして刺さり、確実に敵の絶対を無効にした上で絶対に敵の存在を消し飛ばす。
 至高の死を求めるどこぞのマキナにとって無為否定という最悪の敗北を与えるという意味でも天敵と言える能力。

 今回の敵は集合体であり一つ一つの深海棲艦単体では殆どが大したことが無かった為一発で数十体分も吹き飛ばせたが、本来同格以上の相手では少しずつ削っていく必要がある。
 それでもこの能力と相対した場合、仮に勝ったとしても削られた存在はまた同等の時間をかけて埋め戻すしかない為(=永続ステータスダウン)、性質が悪いなんてものじゃない。


 そんな能力だった――――。



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