文久三年7月5日昼
空が赤くなり小田原の住人がざわついていた。
「すみません、何があったんですか?」
道の傍らで空を見ている群衆の中から一人を捕まえて洋介は尋ねてみた。
「あんたは洋介さんじゃないか。大変なんだ江戸城に向かって砲撃をされたんだってよ。」
男はそう言うと
「確かあんたをさっき江戸のから来た人が探してたよ。あんたの隣の宿に入っていたような?」
洋介は江戸から来た人を無視して、近くの林に行くとすぐさま江戸にテレポを使い移動した。
江戸は燃えていた赤く紅く火の手は長屋等を焼き払い、武家屋敷や雷門なども飲み込む……欲望渦巻く豪華絢爛彩飾華美な吉原ですら燃えさかる炎には勝てずに遊郭を壊したりしながら消火をしていた。
後に文久三大大火に数えられる江戸城大火である。
洋介は直ぐ様に街を走りウォータで消火と透視で人がいない事を確認してから衝撃波で家を壊して、怪我人にはケアルガ、レイズ、ホワイトウインド、エスナで治した。
元々大火に慣れており熟練の火消しが多い江戸において洋介の手助けもあり火は消された。
川岸にいた鼻が欠けた夜鷹達も洋介の治療を受けていた。
彼女達の鼻が欠けた顔も直ぐに治り梅毒も一瞬で消え去った。
全ての持病が回復させれる洋介が居るために小田原市街では梅毒などのキャリアが減っていたりもする。
市街をかけずり回り治療を施すと遂に変装をして江戸城に向かって足を進めた。
江戸城は炎上していた。
正確には外側の櫓部分がだが。
炎上をしてない部分も損傷激しく外壁と石垣にかなりの被害が出ていた。
御典医の三隈などが戦死したのだ。
長門に現れた救世主として江戸城に迎えられた洋介は状況を聞いていた。
何故こうなったのか理由は簡単だった。
イギリス艦隊の6隻が江戸付近まで突入してきて生麦事件の幕府責任と関門海峡イギリス船封鎖解除を求めてきたのである。
しかし、幕府はこれに難色を示した。
だが同時にイギリスを恐れた。
艦隊を一つ潰されたのにこれほどの艦隊を直ぐ様投入できて、オランダ商人曰くにまだまだやろうと思えば50隻の艦隊を投入しても余力があるらしいと知ったからである。
幕府内の西洋が気に入らない高官もそれは知っていたので幕府の高官が集まった評定では何処を落としどころにするか悩んでいた。
そんなおりに薩摩がイギリス、フランス、ロシアの連合艦隊を破ったとの話が入った。
たったの2日ほどで入った速報に江戸は色めきたったのである。
町民達は踊りながら「唐芋(薩摩)、鯖(長州)を食べてみたら胡瓜(幕府)より旨すぎる。」と歌いながら考えのまとまらない幕府を揶揄したのである。
横浜の外国人居住地を包囲していた幕府の軍の一部が、これに激怒し町民を取り締まりその余波で横浜に派遣されていたイギリス陸軍とフランス陸軍と衝突してしまった。
これが皮切りとなりお台場から少し離れていたところで待機していたイギリス艦隊に砲撃をしてしまったのである。
「それでこうなったのですか?」
洋介はイギリス艦隊を睨んでいた。
同時に自分の勝手でこれほどの被害を出すとは思ってもいなかった。
(自分はなんてことをしたのだろう。アンサー・トーカーに身を任せるのは楽だったが……。)
能力は悪くはなく使う人間の資質によると洋介は気づいていたがこの被害の前に逃げた。
自分の持っている力の責任を恐れ、イギリスを恨むことにしたのだ。
「……ここにいるのか?長州や薩摩の英雄は。」
この時代にしては身長が高い男がいた。
「私がそうですが貴方は?」
一応、ごまかすために高めの声で答えた。
「私の名前は勝海舟と申します。」
丁寧な口調でそう話された。
「貴方が勝海舟ですか……。」
まじまじと後の英雄と呼ばれる男を見ていた。
「では、本題に入らせて頂きますね。まず薩摩からどうやって来たかは問いません。しかし、江戸城の沖合いに居る海外の船団を何とかして頂きたい。もちろんただとは言いません。成功した暁には貴方は陸奥守に推挙される予定です。」
勝は陣内から見えるイギリス艦隊を指差した。
洋介が最初に長州に現れたために毛利の縁者と考えられていて陸奥守を幕府は持ち出したのである。
「いえ、官位は要りません。それよりも江戸の……日の本の民について考えて頂きたいです。」
それだけを言うと洋介は海に向かって走り出したのである。
(ここまでの被害を出してしまったんだ。少なくとも戊辰戦争は回避させないと。)
海岸線にレビテトとヘイスガ、衝撃波、手に握った砂を錬金術で鉄粉に変えて燃やし推進力として空を高速で飛んでいた。
洋介は近づいたが一瞬で後退した。
何故ならこのイギリス艦隊は薩摩に現れた囮艦隊とは違い完全に洋介対策をしていた。
甲板に所狭しとガトリング砲と散弾を装備した小型砲、主砲も散弾を装備していて手旗信号で射撃統制をしていて、点の射撃ではなく面制圧を行ったのである。
(なんだと!当たった。)
洋介はケアルガを掛け怪我が治った足を見ながら考えた。
はっきり言って空を飛ぶ洋介対策は良かった。
(どうする?鹿児島と違って避難は済んでは居ない。)
頼みの綱のメテオ、ファイガ、サンダガなどは人口密集地の江戸を背に使うと津波で被害が出るかも知れないので使えなかった。
(しかし……。)
だが、洋介は一隻づつストップをかけて海中に潜った。
(散弾では届かんだろうな。)
イギリス艦隊は足を止められたが沢山ある砲は未だ健在だったが、散弾では海中には届かずにガトリング砲では角度が足らず海中には攻撃出来ないと思われた。
今回の司令官は前回の下関騒動時の司令官だったのだ。
海中に潜ることも予想しており大量の機雷を散布していたのである。
イギリス側としては台場や今で言う港区や荒川付近を機雷で封鎖してしまえば大量消費をする江戸は陥落すると明との戦争で知っていたのだ。
(爆発だと!)
洋介は海上に上がり必殺技のちけいを使った。
とたんに渦潮が起き機雷とイギリス艦隊を飲み込み始めた。
(行けるよな……行ける。)
渦潮により傾いた船体に触れ鹿児島の付近の草原に次々にテレポをさせていった。
しかし、5隻を転移させたところでイギリス艦隊の動きが変わった。
6隻目に近付くと洋介が触れようとした瞬間に自ら火薬庫に火を放った。
自爆に巻き込まれる形で洋介は吹き飛んだ。
(まさか自爆するとは……。)
ミサイルを遠距離から多用して艦を沈めていった。
イギリス艦隊は沈黙した。
洋介が海上に居た船員を回収すると江戸争乱は幕を閉じた。
この争乱の間に幕府は江戸に居た政治犯や凶悪犯を処刑して、反幕府派は幕臣や同心、岡っ引きなどを暗殺していった。
世は正に世紀末であった。
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