文久三年春のある日
洋介は薩摩の大名行列に連れてかれて今は薩摩にいた。
連れてかれてまず捕虜になったイギリス人、チャールズ・リチャードソンの診察を任された。
その後に、風邪などが流行ると洋介が担ぎ出されて治療をしていた。
年が開けても洋介のやっていることは変わらずに何だかんだで領民に対する薩摩藩の診療所長なっていた。
しかし結局、洋介一人で何でも直ぐに解決するため診療所長と言っても実質一人だった。
結局、給金をもらった以上渋々働いていた洋介なのだが幕府の使者が来て、イギリス人を治療した医者とイギリス人を引き渡せと命令がきたので小田原に帰れる事になった。
洋介が小田原に戻ると直ぐに幕府の使者が来てイギリスと戦争になるかもしれないから幕府軍の専属医にならないかと聞かれた。
それを洋介はやんわりと断るとまた診療に戻った。
もはや日課であり能力を使うだけで簡単に儲かる仕事だったからだ。
しかし、普通の医者よりは値段設定が低くく同じ人数を違う医者(南方仁以外)が診療したならば大金持ちになっているはずである。
小田原の診療所で一仕事終わらせた後に若旦那に誘われて月夜の縁側で若旦那と供にスルメを炙りながら食べていると若旦那がお猪口を置いて
「最近きな臭い事が多いな。浪人が最近具足とかを買い荒らしているらしいよ。」と伝えられた。
「そんなにきな臭く、危ない状況なのですか?」
と洋介が聞き返すと
「横浜から人々が逃げ出しているそうだ。」と若旦那は言い
続けて「礼儀知らずの驕り高ぶった外国人が斬りかかられた位で戦争とは……イギリスとは野蛮な国らしいな。」とキセルを吹かしながら空を見上げていた。
雲から月が覗いていた。
その後、良くも悪くも忙しく医者を続けて居ながら文久三年5月に入った。
南方仁の名声もすごいが洋介の名声はもっと高かった。
外国では二人を東洋医学の至宝や東洋の奇跡とをよび始めていた時である。
横浜にイギリスの大艦隊がやって来たとの話が広まった。
インターネットの情報で知っていたので早速洋介はイギリスの艦隊を見に行った。
噂のイギリスの艦隊は壮大だがその艦隊は洋介の目には武力を笠に来て脅すやり方に見えて強い強い怒りを覚えた。
何故ならばインターネットの情報でイギリス人のチャールズ・リチャードソンが死んだから強気でイギリスが動いたと言う話だったのに、実際に自分がイギリス人を救ってもこれが起こったからである。
すぐさま長州である戦闘の用意と戦えるか能力を確認すると洋介は長州に向かったのである。
西洋と戦うために。
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