文久三年5月某日
鎧を着こんだ洋介は浪士として長州の砲台に居た。
洋介の当時にしては大きい背格好と持っていた金で買った具足と刀が余りにも立派だった為に名のある武士として砲台に派遣されたのである。
まず洋介は、江戸に置けるイギリスの態度を長州に集まった浪士組や武士に話すと全員憤慨していた。
しかし、洋介はイギリスだけに敵を絞るべきだと語り、全外国を敵に回したら武器は何処から調達するのか説いた。
多少の強硬派は居たが洋介のどう考えても浪士と言うより旗本の嫡子の様な立派な格好とテレポで盗んできた拳銃、そして長州の誰よりも情報を知っていて、江戸の様子を今さっき見てきたかの様に語る姿に長州藩士は洋介を幕府からの密使と思ってしまったのである。
長州は幕命としてこれを行ったのである。
イギリスの船のみを封鎖したことによりイギリスが持っていた利権を他の列強が切り崩しにかかり、驚いたイギリスは江戸に派遣していた艦隊を長州に差し向けた。
三日後、江戸にいた艦隊と途中で合流した艦を合わせてイギリス艦隊は総勢10隻に成っていた。
イギリス艦隊が海上に見えたと同時に通信役にイギリスの書記官が来て長州に対して今から攻撃すると宣言して帰っていったのである。
これから始まる惨劇を知らずに。
洋介はカツラを被り仮面を着けて先程とは違う具足を着け、羽織を着て背中に錬金で作った仏像の放射光の飾りを着け武器を針ネズミのように背負った。
その後にヘイスガをかけて迅速を唱えて錬金術で作った武器の中から剣を携えて水面を走った。
長州藩、イギリス海軍両方、それを見張っていた小倉藩も驚愕して動きを止めた。
人がしかも仏像のような背中の飾りを背中に着け武器を針ネズミのように背負った人が水面を走っているのだ。
誰も見たことがない早さで。
早くに建て直したのは長州だった。
長州は洋介の存在を大和に古くからいる神として大いに士気を挙げて射程外にも関わらず砲台から砲撃を始めた。
長州の砲撃によりイギリス艦隊は立ち直り洋介に狙いを定めた。
しかし、明らかに狙いは遅く洋介に当てることは出来なかった。
「レビテト。」
洋介は空を滑空して手から衝撃波を放ち加速すると更にイギリスを驚かせ長州を大いに沸かせ、小倉を狼狽させた。
更に洋介はジョブアビリティのちけいを使いイギリス艦隊につなみを当て、剣を構えるとアビリティのなげるを使用して、次から次に背負った武器をイギリス艦隊になげつづけた。
イギリスの船がまた一隻また一隻と洋介相手に逃げようとするが洋介は指を鳴らして逃げようとした船を真っ二つにして沈め、また攻撃してきたイギリス艦隊に高速でひらめきを使った後に近づき錬金術で船事態を石に変えて沈めた。
ものの一刻(30分)もせずにイギリス艦隊は全て撃沈され、洋介が超能力で船員を海の上に引き上げるとケアルガで回復させてイギリスの艦隊にいた船員全てをテレポで横浜に戻した。
しかし、最後の船が放った砲撃は長州の砲台に当たり長州は試合には勝ったが勝負に負けて戦争には引き分けたのである。
これと同時に洋介は小田原にテレポを使い帰ったのだった。
数日後、イギリス艦隊を長州が破った事が広まった。
だが、長州がイギリス艦隊を殲滅したことで幕府と薩摩の態度は硬化しイギリスに対して大名行列に入った事を詫びろと逆要求したのだった。
これにより日本中で攘夷派が一気に勢い付いたのだった。
イギリス公使館は関門海峡で撃沈した筈の艦隊の乗組員が全て生存して横浜に現れたことで混乱していた。
その後にことが広く知られると同時にイギリス本国ではアイルランド独立義勇軍が設立され独立運動が起こり戦争が開始された。
長州に権威が傷つけられたイギリスは30隻余り船を集めた艦隊とフランス艦隊と上海で合流し日本を先ずは薩摩を叩く事に決めて準備をしていた。
洋介は薩英戦争への準備を始めていた。
洋介とイギリスの戦争はまだ第1段階に入っただけだったのである。
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