短編BOX   作:John_Doe

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働く彼

 晩夏の朝、耳障りな目覚まし時計が鳴り響く。

 

その音に呼応するかのように、隣室から壁を殴る音がする。

 

時間は午前5時、日の出前の起床だ。

 

ここ最近、目覚まし時計の音に合わせるかのように壁が叩かれるようになったのだが、大丈夫だろうか。

 

隣人や大家が押し掛けて来ないことを祈るばかりである。

 

起き抜けで、着の身着のまま会社に向かう。

 

深夜一時頃に帰ってきたら、そのまま布団に倒れて泥のように眠る毎日だ。

 

接客業に従事しているわけでもないから、伸びきった髭もボサボサになった髪も気にする必要なんてない。

 

感覚が無くなって久しい右脚を引き摺りながら、人気の無い通勤路を歩む。

 

ここ数日感じていた腐臭は、もうしない。

 

 

 

 会社への道程の途中、行き付けの喫茶店がある。

 

早朝から営業していて、モーニングセットがいただける素敵な個人経営の喫茶店だ。

 

ここのところ、扉が開かずに何も食べずに会社に行っていたが、今日は開いている。

 

何かしら食べられそうである。

 

店内に入ると見知らぬ若い女性がいた。

 

新しく雇ったウェイトレスだろうか。

 

こちらを見て怯えている気もするが、気のせいだろう。

 

今日のモーニングセットはお肉のついた新鮮濃厚トマトスープだ。

 

心地好い音楽と共に肉を貪り、スープを啜る。

 

音楽が鳴りやんだ頃、満腹感を得る。

 

食後のコーヒーを頼もうと思ったが、若い女性はもういない。

 

キッチンにでも戻ったのだろうか。

 

残った肉とスープを弁当代わりに持っていく。

 

久々にまともな物を食べた気がする。

 

お昼休みが楽しみだ。

 

 

 

 電気のついていない無人感が漂う会社に辿り着く。

 

いの一番に出社するのはいつものことだ、そのまま電気もつけずにデスクへ向かう。

 

自分のデスクの大きい引き出しに弁当を入れるが大き過ぎてはみ出る。

 

あんなにも美味かった物だ、見せびらかしてもバチは当たらないだろう。

 

ノートパソコンを立ち上げて仕事を始める。

 

作業を中断させる煩わしい客のクレームや内線電話も、もう鳴ることはない。

 

最後に電話がなったのはいつだったかと思い出せないまま、集中して仕事を進めていく。

 

カタカタとキーを叩く音がこの暗く静かなオフィス唯一響く。

 

そして時間はゆっくりと、されども早くに過ぎて行く。

 

 

 

 空腹感を得る。

 

昼休みが近いのであろう。

 

顔を上げて周囲を見渡すが、未だに誰も出社してきていない。

 

もしかしたら、休日出勤してしまったかもしれない。

 

申請していないし、上司に頼まれたわけでもないから給料は出ないだろう。

 

帰ってしまう事も出来るが、今手をつけている仕事は確か納期間近だった気がする。

 

昼御飯を食べてからまた仕事するかと、引き出しからはみ出た弁当を取り出してそのまま食べる。

 

少しばかり固くなった肉と冷めたスープだが、相性は抜群だ。

 

風が吹き始めたのかヒュルヒュルと鳴る、風の吹き抜ける音を耳に満腹感を得るまで弁当を貪る。

 

残った分は夜にでもと、今度は引き出しに入れて閉じることが出来た。

 

仕事を再開すればまた、暗く静かなオフィスにキーを叩く音と風の吹き抜ける音がする。

 

 

 

 日も暮れて、電気もつけていない暗いオフィスが更に暗くなった頃、パソコンのバッテリーが切れた。

 

怒りのままノートパソコンを床に叩きつける。

 

誰も出社していないから何か言われる事もない。

 

少しのミスで怒鳴り散らすただ居るだけの無能な上司も、出来るわけのない納期で仕事を取ってくる大馬鹿な営業もいない。

 

もういないのだ。

 

ストレスフリーの素敵な職場だ。

 

気を取り直して、床に落ちているノートパソコンを拾って立ち上げる。

 

社内クラウドにデータはバックアップされている。

 

安心して続きに取り掛かろう。

 

壊れたパソコンなんて存在しない。

 

現にそのパソコンは起動して仕事に使われているのだから。

 

これなら後日、故障が発覚して呼び出されたりもしないだろう。

 

 

 

 固く筋張った肉と冷めきったスープを貪りながら仕事を続ける。

 

あれだけ美味かった肉つき新鮮濃厚トマトスープも、鮮度が落ちてなんとか食べられる程度だ。

 

食べ終えてからは、残していた骨をしゃぶり、時折かじりながら入力していく。

 

光のないオフィスから窓の外を覗けば、闇が広がっている。

 

不意に時計が鳴り出して深夜0時を告げる。

 

普段であれば警備員が誰もいないはずのオフィスに、残業している社員や不審者がいないか確認の為に巡回に来る時間だが、一向に来る気配がない。

 

きっと警備員も休みなのだろう。

 

丁度仕事も終わらせる事が出来たので家路につく。

 

喫茶店に寄らないならば、近道の公園を抜けて家まで徒歩七分。

 

終電なんか気にしなくていい環境はとても、とても魅力的だ。

 

無い右脚を引き摺りながら帰路につく。

 

 

 

 近道になる公園を横切るため公園に入ると、何かにぶつかった。

 

反射的に謝ろうとぶつかった何かを見れば、そこにあったのは光の無くなった瞳。

 

暗く濁った力の無い瞳。

 

それはまるで仕事に疲れきった社畜のような、自分と同類のような瞳だ。

 

互いになにも言わず、無反応のまま倒れていた相手は起き上がると、ふらふらと何処かへ去って行く、その背中を見送る。

 

公園のベンチに腰を掛けて小休止、普段であれば自動販売機で飲み物でも買うのだが故障中なのか、何も出てきやしない。

 

立ち上がって、街灯のついていない真っ暗な住宅街を歩く。

 

数日前までは頻発していた悲鳴も、今はもう聞こえない。

 

 

 

 帰宅すれば風呂にも入らないまま、服も脱がずに布団に倒れ込む。

 

紅く染まったワイシャツも、ダメージを受けすぎたジーンズもそのままだ。

 

もう仕事を休もうかな。

 

なんて考えが思い浮かんだけれども、次の休みは何時だったかわからない。

 

朝五時過ぎには家を出て、深夜一時頃家に戻る生活を何日続けてきただろう。

 

もう、疲れきったんだ。

 

納期間近の仕事も終わらせたのだ、明日は休もう……無断欠勤だ。

 

有給事後承諾にしたっていいだろう。

 

とにかく疲れたんだ。

 

そして、意識を深い闇に落とした。

 

 

 

 

 

 

 翌朝、目覚まし時計が鳴り響く。

 

それに反応して、隣人が壁を殴る。

 

休もうと考えていたはずの男だったが、身に染み込んでしまったであろう習慣は無意識に男を動かしていたのだろう。

 

鳴り続ける目覚まし時計と壁を殴る音。

 

しかし一向に男が目覚める気配はない。

 

それもそのはずであろう。

 

男に近寄れば胸部が動いていないことがわかる。

 

そう、男は死んでいるのだ。

 

その顔は、何かをやり遂げたぞと言わんばかりに安らいでいるように見える。

 

死因は過労だろうか。

 

しかし、彼の腕にはよくよく見れば何かに噛み付かれたかのような歯形が残っている。

 

昨日まで働いていた彼は、本当に生きていたのであろうか。

 

この世界でその答えを知る者は、既に死んでいるのだ。

 

 

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