今回は、物語の中心となるパラオ泊地編の前日談となります。
本編の方も、これぐらいの長さで書けるといいのですが・・・
資料室から執務室までは、さほど遠くはありません。両手で抱えるほどの書類を持っていても特に問題はなく、私は足元にだけ気を付けて、廊下を歩いていました。
昼下がりの横須賀鎮守府には、わずかに西に傾いた太陽光が差しています。春のうららとはよく言ったもので、こんな日にはのんびりと日向ぼっこでもしたいですね。
ポカポカ陽気に頬を緩めて、私はほんの少し歩くペースを落としました。
私の名前は吹雪。“元”特一型駆逐艦一番艦“吹雪”の艦娘で、今は横須賀の秘書艦を務めています。
艦娘でなくなった今も、制服はあの頃と変わらずセーラー服のままです。ただ、“あれ”から重ねた三年という年月相応に成長した私には、少し気恥ずかしいのも事実です。もちろん、新調はしているので、サイズとかそういう意味ではないのですけど。
司令官に、いつまでも子ども扱いされてるみたいで、若干面白くないから・・・ということなんですよね、多分。
ともかく、それはいったん置いておきましょう。
執務室前に辿り着いた私は、器用に書類を片手に持ち替えて、扉をノックします。返事はすぐに来ました。
執務室は、基本的に横須賀の執務室長―――俗に提督長と呼ばれる将校が詰めています。鎮守府に所属する提督をまとめるこの役職には、私が司令官と呼んでいる秋山真好中将がついています。
彼は人類最初の“提督”として、三年前から深海棲艦と戦い続けていました。
その頃は私も、彼と共に戦っていましたね。今思うと遠い日のことのようです。最近は滅多に海に出なくなってしまいましたし。むしろ司令官の方が海に出てるぐらいです。つい先日の『パラオ沖海戦』の時もそうでした。
余計な話が長くなってしまいましたね。
開けたドアから、執務室の中に入ります。窓から差す光が逆光となって部屋の主を露わにしました。
「はい、司令官。机に置いときますよ」
「ああ、ありがとう。助かった」
「お安い御用です」
私は執務机の横に置かれた臨時の書類置きスペースに持ってきた書類を下ろして、山を三つに解体します。長い間秘書艦をやっていますし、この辺りは大分慣れたものです。
「これでよし、っと」
「こっちも丁度終わったところだ。お茶にするか」
「そうしましょう」
これも日課です。午後の執務が一段落―――大体三時ぐらいでしょうか、ティータイムで一息つくのが習慣になってしまいました。きっかけは、大規模作戦前で根を詰めすぎていた司令官を、私が強制的に休ませたことだったでしょうか。それからというものの、この時間には決まって二人でお茶を飲んでいました。
司令官は引き出しから猫の置物を取り出すと、その頭のサイズぴったりの軍帽をかぶせて執務机の上に置きました。「休憩中」と書かれたメモが、ふてぶてしい顔の猫に妙に似合っています。
「今日はどうします?」
「んー、吹雪に任せる」
「それが一番困るんですけど・・・。じゃあ、新茶が手に入りましたし、日本茶にしましょうか」
「お、じゃあ、俺は煎餅でも出すか」
「お願いしまーす」
隣の給湯室でお茶を淹れ始めた私の背後で、司令官が棚をごそごそやっています。器に盛られたそれらを、給湯室内に用意された机に乗せて、こちらを伺いました。
「お茶淹れてる間に、書類を確認してもいいか?」
「はい、どうぞ」
えへへ、今のやり取りって、なんだか夫婦みたいですよね。「ご飯できるまでテレビ見てていいかー?」といった感じで。憧れますね。
司令官は一旦執務室に戻ると、厚さ二センチぐらいの青いファイルを持ってきました。机に腰掛け、ファイルを開いて眺めています。さながら、机で新聞紙を広げて読んでいる、一昔前のお父さんみたいです。
淹れたお茶をお盆に乗せて、私も席につきます。それを見て、司令官がファイルを畳みました。
「「いただきます」」
二人で手を合わせて、お茶をすすります。同時に息をついて、お煎餅に手を出しました。
パリッ。ポリッ。
心地いい音が響きます。
「先ほどは、何を読んでいたんですか?見たことないファイルでしたけど」
「気になるか?」
それはもちろん。秘書艦ですし。知り得ることは全て知っておきたいです。
コクリと頷くと、司令官は特に躊躇することもなく先のファイルを開いて私に見せました。
「第五期生の資料が来たから、読んでたんだ」
「・・・なるほど、もうそんな時期ですか」
第五期生―――艦娘指揮官養成学校の第五回候補生募集とその課程を修了した新たな提督たち。彼ら彼女らは、これから新たな艦隊を率いていくことになります。ですがその前に、実地研修として本土の三鎮守府―――横須賀、呉、佐世保のいずれかで三ヶ月から半年、艦隊運用のイロハを学びます。
さらに今回、司令官には別の意図がありました。
「うちには、何名が?」
「提督志望は二人、司令部志望が一人だ」
司令官はそう言いながら、ファイルの二ページ目、つまり第二席の人物を指し示しました。
「それと、パラオは“彼”に」
履歴書形式のページには、“彼”の学歴や家庭事情、そして試験官からの講評が細かく書かれています。もちろん、最高機密です。
「なぜ、“彼”を?」
「・・・そこには書いてないんだがな」
そう前置いて、司令官は私の方へ体を傾げました。意図を察して、私も自分の耳を差し出します。殊更小さな声で、司令官は続きを口にしました。
「広瀬から連絡があった」
「広瀬さんから?」
自衛隊時代の司令官の同期生です。彼の名前が出てくるのは予想外でした。
「どうも、軍の機密に触れた形跡がある」
私は眉根を寄せます。
「“彼”も俺たちと同類だ。自分が“無知でいる”ことを許さない」
そこで、司令官の顔が離れていきました。先ほどのお父さんの表情はどこへやら、精悍な海の男の顔です。
「トラック攻略戦は、今後の“こと”に関わる。その成功のためには、“彼”のような人材が、最前線に必要だ」
司令官の言葉を受けて、私はもう一度ファイルに目を落としました。
榊原広人、二十二歳。一般大学生から提督候補生に選出。簡単に書けば、彼の出自はこのようになります。そしてプロフィールの横には、顔写真が、
ん?
・・・?・・・?
じー・・・。
んんっ?
見覚えのある顔ですね・・・。シリアスな雰囲気台無しですが、私は食い入るように顔写真を見つめていました。
「ん?どうかしたか、吹雪?」
私の様子を不審に思った司令官が、横から覗き込むようにしてファイルを確認しました。ですが特別おかしなところがあるわけでもないので、再び首を傾げてしまいます。
「おかしなところはないと思うが・・・」
「・・・あっ!!」
写真の人物に思い当たった私は、思わず声をあげます。
「うおっ。びっくりした。―――で、どうしたんだ?」
「この人・・・」
「なんだ?知り合いか?」
知り合い、ではありませんね。おそらく相手は、私のことを知りません。でも、横須賀鎮守府の秘書艦である私は、時に執務室長よりも持ってる情報量が多いこともあるんですよ?
「へえー。彼、提督候補生だったんですね」
なるほど、道理で。
「おーい、吹雪さーん。悪い顔してるぞー」
やだ、顔に出てましたか。
「司令官、いいこと思いついちゃいました」
「えらく唐突だな。どうした?」
「初期艦はまだ決めてないんですよね?」
「おう。吹雪の意見を聞こうとは思っているが」
確認完了。それなら、早速推薦させてもらいますね。
「榊原さんには、曙ちゃんが適任だと思います」
「曙か。うん、いいな。なんだかんだ面倒見いいしな」
「それに、ですね・・・。ふふふ」
「なんだよその怪しい笑顔・・・」
曙ちゃんは、横須賀でもかなり初期から所属している艦娘です。きついことをズバズバ言う、ちょっぴり素直になれない娘ですが、根はとても仲間想いで優しい娘です。それに、練度も申し分ありません。新人提督に艦隊運用のイロハを教える初期艦に、これほど適任な艦娘もいないです。
それに、ですね。この組み合わせは、面白い化学変化が起こる気がします。
「司令官、私は秘書艦ですから、こと艦娘一人ひとりについてなら司令官よりもずっと詳しいんですよ」
「よくわからんが・・・吹雪がそう言うなら、まあ、問題ないか」
あまり納得している風ではありませんが、今はまだ、説明するには早いでしょうか。詳細は、件のツンデレ駆逐艦に初期艦依頼をする時にでも。
いずれにしても、それはもう一ヶ月ほど先のことでしょう。その時が、今から楽しみです。
ニコニコと笑みの止まらない私を、司令官はしばらく怪訝に見ていましたが、気にしないことにしたのか、ふっと表情を緩めてお茶を啜りました。暖かな湯気が、鼻を撫でて部屋に漂いました。
二週間後、執務室で初期艦依頼を受けた曙ちゃんは、見たことないほど真っ赤になっていました。
今回登場した吹雪と秋山提督は、今後も本編によく出てくることになるかと思います
重要人物・・・といえば重要人物かな?
連載と並行して、新作の書き溜めも進めています。できるだけ早く、投稿できるように頑張ります