ルイズさんと灰色豚   作:キューブケーキ

1 / 24
出逢い

 これは、まだムーミンパパが旅人であったころ――

 小さな谷の静かな暮らしに馴染む前の、ひとりのムーミンが世界に問いかけていた、遠い日の物語です。

 その日、ムーミンは森を歩いておりました。背中にちいさな包みを担ぎ、雫に濡れた落ち葉の上を、ぺたぺたと歩いていました。

 空はどんよりと曇り、風は冷たく、雨粒がぽつり、ぽつりと降りかかってきます。

 

「うーん、まいったなぁ」

 

 ぽつりと呟いた声は、木立の間をすり抜け、どこか淋しそうに響きました。

 それでもムーミンは前に進もうとしました。

 なぜなら、彼には帰る場所がなかったからです。

 ひと晩の宿を求めて、ムーミンはふと見つけた大きなブナの根元の穴に、そっと身を横たえました。

 雨をしのぎ、冷たい風から逃れるには十分な庇です。

 けれど温かい毛布も、心配してくれる誰かの声も、そこにはありません。

 ムーミンは目を閉じて、思い出します。

 あの谷にいた日々。フィリフヨンカさんの孤児院。厳しくも規則正しい生活のなかで、ムーミンは夢を抱いていました。

「ぼくは、大きくなったら冒険者になるんだ」

 そう言ったとき、隣のちびすけは笑いました。

「じゃあ、ぼくは火山に住むんだ」

 もうひとりは「私は海賊」と言っていました。

 けれどその夢は、いつも屋根裏部屋で眠るとき、窓から見える遠い月のように、手が届きそうで届きませんでした。

 ある晩、ムーミンはそっと抜け出しました。

 大人になって旅に出るのでは遅すぎる気がしたのです。

 今出なければ心の中の冒険者は消えてしまう、そんな気がしていました。

 そして、いま。空腹と雨に打たれて眠りに落ちようとするムーミンの耳に、風が語りかけるような気がしました。

『おいで』

 それは母の声にも似て、風のざわめきにも似ていました。

 けれどムーミンは、安心してその声に従って、うとうとと夢の中へ落ちていきました。

 

 

 

 

 さて、遠い世界の遠い国。その名をトリステイン王国と申します。

 王国の片隅に、ヴァリエールという名の立派なお屋敷がありました。そこにはピンク色の髪をもつ少女がおりました。名をルイズといいます。

 ルイズは泣いていました。そっと庭の池に浮かぶ小舟に腰掛けて、ひとり声を殺して泣いていたのです。なぜかといえば、彼女には魔法が使えなかったからです。

 この国では、魔法を操る者が貴族とされ、力ある者こそが誇りとされていました。

 けれどルイズには、火ひとつ灯すこともできません。

 何度唱えても、結果は爆発――それも盛大にです。

 

「私さえいなければ……」

 

 声なき声を水面に投げ、立ち上がったそのとき。ふと、母の言葉が胸をよぎります。

『魔法が使えなくても、あなたは私の娘です』

 

 それは、厳しくも優しい母、カリーヌの心からの言葉でした。

 

「……負けてられないわね」

 

 ルイズはもう一度、魔法の詠唱を始めます。震える指先、拙くも真剣な声――

 すると池の水がぶわっと吹き上がり、しぶきが彼女を濡らしました。

 

「きゃっ……」

 

 目をこするルイズの前に、何かが浮かび上がってきます。

 

「え……?」

 

 それは、ずんぐりとした体に、灰色の皮膚、長い鼻――どう見ても、ムーミンです。

 

「わっぷ、わっぷ! た、たすけてぇ!」

 

 ルイズは呆然としながら小舟を近づけ、その毛深い身体をぐいと引き上げました。手にぬるりとした感触が伝わります。

 

「やあ、ピンクのお嬢さん。ここはどこかな?」

 

 ルイズは、一瞬むっとしながらも答えました。

 

「ここは、トリステインのヴァリエール邸。……あなた、誰?」

 

 ムーミンは、くるりと優雅にお辞儀をして言いました。

 

「ぼくはムーミン。世界を旅する冒険者さ……なれたら、いいなって思ってる」

 

 ふっと、ルイズの口元に笑みがこぼれました。

 魔法の失敗も、家の重責も、この灰色の不思議な来訪者が、すこしだけ遠ざけてくれたのです。

 

「ふう……まったく、変な使い魔を呼び出したものね」

 

 その言葉に、ムーミンはきょとんと首をかしげました。

 

「使い魔って、美味しいの?」

 

 ルイズは返す言葉を失い、ただため息をつきました。

 こうして、ひとりの少女と一匹のムーミンの物語は静かに始まったのです。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。