王都は炎と黒煙、喧騒に包まれていました。トリステイン王国始まって以来の大事件です。
トリステイン貴族の最高峰に位置するヴァリエール公爵家。王都に置かれた別宅は名門貴族に相応しい権威を表していました。
すえた血の臭いがヴァリエール公爵家の敷地から外まで漂っています。兵士でなくてもわかる死臭、戦場の香りです。
白い門柱の影には門番の遺体が転がっていました。外から邸内の喧騒が聞こえるはずですが、貧民街での火事と暴動で注意は逸れています。
正面玄関から館に入り向かって正面が二階に続く階段です。毎日の清掃で美しかった階段を埋め尽くしているのは、エレオノールが錬金した土の山。土をどかせてカーペットを清掃するのは大変でしょう。
足音と共に賊が二階に姿を現しました。
この時は、まだ後の清掃を考えて顔をしかめる余裕が使用人達にはありました。
「来るぞ! 構え……」
号令がかかり弓と魔法で迎えようとしましたが、賊の連れている女性を目に止めてざわめき声が起きます。
「ま、待て! あれは、エレオノールお嬢様!」
敵を追い出したはずのエレオノールが賊に捉えられています。
どうして? なぜ? と疑問符を浮かべながら、どうしたら良いのか考えます。
エレオノール以上の戦闘経験があるメイジも護衛に居ましたが、主人の娘が捕らえられては手も足も出ません。今ここで主導権を握っているのは敵であり、囚われの身のエレオノールを見て思考力を奪われました。
「全員武器を捨てろ」
どうするか戸惑い視線を合わせる人々。
「早くしろ!」
一喝されて杖や剣、箒、燭台、モップと言った武器が床に転がります。
「よし、大人しくしてろよ」
手下が順番に縄で縛っていきます。
「へへ、大切なお嬢様が人質じゃあ手も足も出ないよな」
「くっ……」
エレオノールを人質に取られれば、ヴァリエール家に仕える者は手出しが出来ません。
「おら、この部屋に入れ」
武装解除した護衛と使用人を空き部屋に閉じ込めると先を急ぐ襲撃者達。
「殺さなくて良かったんですか?」
「使用人の始末など後で出来る。今は三女の方が優先だ」
「なるほど」
意識が混濁した状態のエレオノール。レビテーションの魔法で浮かべながら二階の扉まで連れて来ました。
残された最後の部屋。固定化が厳重にかけられています。ここにルイズが居ると言う事は、簡単に想像出来ます。
「ルイズ・フランソワーズ・ルブラン・ド・ラ・ヴァリエール、扉を開けろ。お前の姉の命がどうなっても良いのか」
しばらく扉の前で待ちましたが、返事がなく舌打ちをする仮面の男。
「しかたがない」
仮面の男は、魔法を使い固定化をかけた扉を打ち破りました。傭兵達が靴音を響かせ部屋に踏み込みます。
部屋の中に人の姿は見えません。
「居ないぞ」
まさか隠し通路でもあったのかと辺りを見回します。
「糞、逃げられただと!」
隠れそうなソファの下、衣装部屋も探しますが見当たりません。焦りと緊張が立ち込めます。
エレオノールに邪魔されて手こずった時間が、妹を逃がす為の時間稼ぎに思えました。
「手分けして隈無く探せ!」
仮面の男の声には怒気が混ざっていました。
部屋に残された3人の傭兵は顔を見合わせます。
「逃げられた様だな」
ルイズを取り逃がして依頼任務を失敗したかもしれない。駆け付けてくる衛士隊を考えれば早々に立ち去りたい所です。
「取り合えず金目の物でも探すか」
依頼に失敗した以上、長居は出来ません。
ここからは時間との勝負で、逃走資金は幾らあっても不都合はありません。
「だな」
行き掛けの駄賃とばかりに部屋の中を物色し始めました。
ふと耳に何かの軋む音が聴こえました。
「ん――」
視線を上げた瞬間、黒い影が視界一杯に広がります。
「ぐわっ!」
衝撃を受けました。重量物が胸にのしかかり、自分自身の肋骨が折れ内臓が破裂する音が聞こえます。
天井にぶら下がっていたムーミンは近くにいた一人の胸めがけて飛び降りました。同時にもう一人の首を掴みました。相手の喉骨を握り潰す手応えを感じます。血管がぶちぶちと千切れていき、相手の顔が鬱血していきました。
「糞、パンチョを放せ。豚野郎!」
パンチョさんが盾になっていて手出しが出来ません。躊躇する傭兵を尻目にムーミンは接近戦で一人ずつ倒していきました。
騒音を聞き付けて戻ってきた仮面の男はルイズを探します。
ルイズはと言うと、壁に突き刺さった燭台を踏み台代わりに天井にへばりついていました。
「そこか」
仮面の男と視線が合った瞬間、ルイズは爬虫類の皮膚を触った様座なざらつく感覚を覚え身震いしました。杖をタルブ村に置いてきたルイズは非力です。
「ええい、面倒だね!」
マチルダは屋内と言う不利を理解しながらゴーレムを錬金します。エレオノールほど小さな物は作れず天井を突き破ります。風通しが良くなって、戦うには動きやすくなったと言えるかもしれません。
「きゃあ!」
ルイズが足場にしていた燭台ですが、壁が崩れると同時にぐらつきました。足を踏み外し落下するルイズをムーミンが受け止めます。
「おっと」
ムーミンの腕の中に納まりました。
「さっさとくたばりな!」
そのまま仲良く握り潰そうとゴーレムの腕が迫ります。
「動きが遅いよ、おばさん」
「誰がおばさんだ!」
マチルダが反射的に怒鳴り返した瞬間、ゴーレムの操作に隙が生まれました。すり抜けるムーミン。
追い縋り、叩き潰そうと降り下ろされたゴーレムの拳ですが、床の木片を撒き散らすだけでした。
「ちっ!」
マチルダは自分のゴーレムの攻撃を避けたムーミンの動きに舌打ちしました。
ムーミンの振りかぶった銀製の盆が視界に入ります。自分の頭が打ち砕かれる瞬間を覚悟しました――
「うわっ!」
鈍い音をあげて床に叩きつけられたのはムーミンです。
仮面の男が現れて、風の魔法をムーミンに放って来ました。
「逃がしはしないぞ」
ルイズを庇いながらもムーミンは、仮面の男とマチルダの攻撃を巧みに避けていました。
「ちょこまかと鬱陶しい豚だね!」
ムーミンはルイズを降ろすと、マチルダまで一気に距離を詰めました。
「なっ……!」
突然、顔の近くまでやって来たムーミンにマチルダは動きが止まります。
「いい加減にしてよ」
そう言うとムーミンはマチルダの杖を掴むとへし折りました。投げ渡された杖の残骸を思わず受け取るマチルダ。
「わ、私の杖……」
しゃがみこむマチルダを一瞥して、仮面の男はルイズに向かいました。
しかしムーミンの動体視力は男の動きを見逃しません。
「ルイズに近付くな!」
お盆が飛んできました。
「豚にしてはやるじゃないか」
仮面の男はムーミンの攻撃を回避しながら軽口を叩きます。
「僕は豚じゃない、ムーミンだ!」
ブーメランの様にムーミンの元に帰ってきたお盆を片手に、仮面の男にお盆を打ち付けます。
杖を剣の様に使い防御する男。見る者が見れば、正規軍の教育を受けた戦技だとわかる。
ムーミンを翻弄している様で、仮面の男は押されていました。
杖を折られた事で呆然としていたマチルダは気付きました。
「不味いわね」
予想外の抵抗に、時間がかかり過ぎています。このままムーミンを倒せるとは思えません。
チェルノボーグの監獄に捕らえられる自分を想像しました。縛り首か斬首が待っています。逃げ出すなら、注意がムーミンと仮面の男に集中している今です。
「てぇい!」
ムーミンは乾坤一擲で腕をふるいました。
お盆が頬にめり込み頭部を切断した瞬間、あら不思議! 仮面の男はかき消えました。キョトンとしてムーミンはキョロキョロと辺りを見渡します。
はっとしたルイズ。視界に倒れ伏した姉の姿が入りました。
「姉様っ!」
レビテーションが解けて倒れたエレオノールにルイズが駆け寄ります。
「姉様、しっかりして! 誰か!」
助けを呼ぶルイズの声遠くに感じながら、エレオノールは何か引っ掛かりを覚えていました。
「風の偏在……」
エレオノールは呟きながら、知り合いのメイジを思い出していました。
貧民街にある酒場。昼間の騒動があったにもかかわらず、仕事帰りの一杯と駆け込んだ客で繁盛しています。皆さん呑気なものです。
「ヴァリエール公爵様のお屋敷が襲われたそうだぞ」
「何と畏れ多い事を」
話題になっているのは昼間の出来事。中でも一際注意を引いたのがヴァリエール公爵家襲撃事件です。
「賊は討ち取られたそうだ」
全員ではありません。
大胆にも、襲撃者の一人であるマチルダがカウンターでやけ酒を煽っていたました。
少し埃っぽさのある格好ですが、貴族の通うような上品なお店ではありません。周りの客も似たり寄ったりで目立つ事はありませんでした。
追っての目を眩ますには最適な場所と言えるでしょう。
「まったく……」
散々な目に遭ったとマチルダはエール酒を一息に飲み干します。
「おやおや、そんな飲み方は体に毒ですぞ」
視線を向けると白髪に髭をたくわえた老人。雰囲気からメイジだと判断できた。
ほんのりと赤らんだ顔。かなり飲んでいるらしいと解りました。
「ご親切にありがとうございます」
適当に流そうとしましたが、老人は隣の席に座りました。
「ご一緒しても宜しいかな」
座った後で宜しいも無いと内心で突っ込みを入れるマチルダでした。
「どうぞ」
老人の視線を感じながらエール酒のお代わりを口元に運ぶマチルダ。時間潰しなので飲むペースもゆっくり目です。
「それで――」
ちらりと視線を向けると老人は笑みを浮かべたまま口を開きました。
「嫌な事でもありましたか」
酒のあてである料理に伸ばした手を止めたマチルダ。何となく老人の言葉を素直に認めました。
「ええ、ちょっと仕事で失敗がありまして」
ヴァリエール公爵家襲撃。自分の妹よりも幼いであろう公爵家三女の殺害命令。
(追っ手が放たれているだろうが、私の正体まではまだ気付かれて居ないだろう)
ヴァリエール公爵家の権威がいつまでも続く訳ではありませんが、崩れるのは今ではなかったと言う事です。勿論そんな事を見ず知らずの相手に話したりはしません。
「そうですか。失敗は誰でもある事、また明日から頑張れば良いですよ」
さりげなく腰にまわされた老人の腕を外す。
「そうですね」
「何だったら、わしの所で働きませんか?」
そう言いながらマチルダの太股に手を這わす老人。エロ爺と怒りを感じながらも、打算的に計算してマチルダは胸を強調しながら老人の瞳を覗き込みます。
「何のお仕事をしてらっしゃるのかしら」
老人は、もしかしたら今夜楽しめるかも等と考えて鼻の下を伸ばしながら答えました。
「魔法学院の学院長です」
素敵な肩書きです。マチルダは笑みを深めました。