ヴァリエール公爵家令嬢が王都で襲撃されたとの知らせは即日、王宮に届きました。
「ルイズが襲われたですって!」
報告したのは宰相のマザリーニ。
「はい、ヴァリエール公によれば命に別状は無いとの事です」
アンリエッタ王女は親友の命が狙われた事を知り立腹されました。
「他にヴァリエール公爵から、賊の捜索で手勢を領外に差し向ける許可を求めております」
「許可します。衛士隊にも協力の命令を」
ヴァリエール公爵も今回の件では黙っていません。あらゆる手段を使って賊を狩り出します。
「御意」
マザリーニ宰相にとっても不穏分子を一掃する機会でした。
不正に私財を溜め込み国政を蔑ろにする者、民に暴虐を行う不良貴族、外国の間諜。
国のトップが手を組み事件の追求は厳しく行われました。
「これは、ヴァリエール公爵家だけの問題ではない。王家への挑戦だ」
王都を震撼させた騒乱から半年、トリステイン王国では凄惨な血の粛清が行われていました。
武装した賊を王都に招き入れ事件に関与したと目される役人、貴族が家族と共に次々と処刑され大貴族を怒らせた恐怖を広く知らしめました。
一方で憲兵と衛士隊、ヴァリエール公爵家の私兵によって首謀者の捜索が必死に行われていましたが、捜査を妨害する者が政治中枢に居るのか遅々として進みませんでした。
その間、ルイズは家で大人しくしていたかと言うと――
ムーミンを連れておさびし山に鉱物採集で行ったり、ニョロニョロ討伐に参加したり活発に動き回っていました。
エレオノールは療養の為、実家に帰って来ていました。
長女と次女はお茶をしています。
「まったく、あんな目に遭ったばかりだと言うのにあの子ったら、家で大人しくしてないのね」
カップをお皿に戻しながら呟くエレオノール。
「今だけですよ、お姉様。魔法学院を卒業したらあの子もワルド子爵と――」
学院を卒業すれば、婚約者のワルド子爵の元へ嫁ぎます。ルイズが気ままに外を出歩く事もありません。
「貴女はルイズに甘いわね」
ため息をはくエレオノールは、内心でまたルイズが襲われたらと心配しています。
(ワルド子爵ね……)
家柄は申し分無く、ヴァリエール公爵家と釣り合います。
しかしエレオノールはワルドが気に入りません。
(あの目はルイズを愛していない――)
小さいルイズと呼んで可愛がっているようですが、ヴァリエール公爵家の名前に惹かれて集まってくる有象無象と同じ物を感じました。
ある日の朝。ムーミンは起きてきませんでした。
いつもなら臭いを嗅いだだけで飛び起きてやって来るのに、朝食に出てこないムーミンを訝しげに思いながらも、たまには寝過ごす事もあるのだろうとルイズは昼まで放置していました。
昼食の時間。使用人が声をかけても寝息が返ってくるだけだと言う報告を受けて、ルイズは眉をしかめます。
(幾らなんでも寝過ぎよね)
まったく主人に手を煩わせるなんて、とぶつぶつ良いながらルイズはムーミンに与えられた部屋を訪れました。
空いていた使用人部屋を利用したムーミンの部屋。虫の脱け殻や落書きした紙、望遠鏡に食べかけのパン等が床に転がっています。こんな部屋、母カリーヌに見つかればお仕置きです。
「もう! 整理ぐらいしなさいよね」
そう言いながら、机の上に転がっている物を積み上げてベットに近付くルイズ。ムーミンは浅く寝息をたてています。
「ムーミン、いつまで寝てるのよ!」
シーツをまくりあげてルイズが怒鳴ってもムーミンは寝息をたてています。
「まったく、どう言う神経をしてるのかしら……」
諦めてルイズは部屋を見回します。
「あら」
ルイズがムーミンに買い与えた日記帳が窓際に置いてありました。
他人の日記を読むのはいけないことです。ですが、ルイズの好奇心は止まりません。
「私はご主人様何だから、使い魔の行動を知っておくのも大切よね……」
言い訳をしながら興味本意から中を覗いて見ました。
『○月○日、エレオノール様が帽子を買ってくれた。黒くて高い帽子――』
(何だ、ちゃんと書いてたのね)
ムーミンの下手くそな文字と絵でこの半年間が綴られています。
ペラペラと流し読みしていて、海の絵に気付きました。
『○月○日、ルイズと海に行った。ルイズは泳ぐのが下手で僕の上に乗っていた。広くて青くて塩辛かった。いつかまた海に来たいね』
(あー海は楽しかったわね。魔法学院が夏休みになれば、また一緒に――)
日記を戻し部屋を出るルイズ。
「夜には起きてるかしら?」
しかし、ムーミンは夜になっても起きませんでした。
「あいつ、まだ起きてこないの?」
「はい」
答える使用人の言葉に沈黙するルイズ。
(こんな事は今まで無かった――)
夜になっても起きてこないムーミンにルイズは不信を覚えました。
駆け出すルイズ。ムーミンの部屋の扉を乱暴に開けます。
「ムーミン?」
揺り動かしても起きないムーミン。言い知れない不安が胸に沸き起こって来ました。
「ねぇ、ムーミン。ムーミン! 起きなさいよ!」
どれだけ揺すっても叩いても起きないムーミン。こんな事は今までありませんでした。
「ムーミン!」
さすがに異常だと思ったルイズは母に報告します。
ムーミンの状態を見た母カリーヌは、ヴァリエール公爵家お抱えの水メイジを呼び寄せました。
「どうなの?」
心配そうに診察を見ていたルイズが尋ねます。
「まったくわかりません」
水メイジは首を振ります。
「何よ、それ!」
「落ち着きなさい、ルイズ」
エレオノールがルイズを抱き止めますが、ルイズは振り払ってムーミンにすがり付きます。
「ムーミン、ムーミン! 嫌よ、こんなの嫌よ!」
泣き伏すルイズ。
それからムーミンが目を醒ます事は無く、ルイズのトリステイン魔法学院入学式があるフェオの月が迫ったある日、静かに息を引き取りました。
ヴァリエール公爵領の海辺に近い峡谷にルイズはいました。
ライラックの茂みの側にムーミンは埋められています。
「あんたの好きな海の近くよ」
この渓谷はムーミン谷と名付けられており、ムーミンの霊廟です。
「感謝しなさいよね」
襲撃事件はルイズの心に傷を負わせていました。
男性恐怖症――
父親であるヴァリエール公爵ですら避ける様になったルイズ。
唯一、接触できたのがムーミンでした。
「あんたがいなくて寂しいわ……」
遠慮無く素直な自分で居れた相手。家族同然だった――
溢れそうになる涙を堪えルイズはて笑顔を作ります。ムーミンがきっと自分の事を心配すると考えたからです。
魔法学院に入学すれば男性と接触する機会も増えます。母や姉は心配していました。
それでも克服しなければならないとルイズは入学を取り止めにしませんでした。
風のざわめきに、ムーミンの心配する声が聴こえた気がしました。
「私は大丈夫」
魔法が使えない事に不安があります。だけど、ルイズはヴァリエール公爵家の娘で貴族です。
「だから、あんたは安心しなさい」