鳥の囀ずる声を目覚まし代わりに生徒や教師よりも早く起きてメイドの一日は始まります。
メイド服に華美な装飾はありません。作業着としての機能優先で仕立てられており、頭髪を押さえるカチューシャの色が使用人内での序列を表しています。
素早く着替え身嗜みを確認すると向かうのは女子寮の階。使用人の宿舎は別棟の為、移動も一苦労ですがお陰でダイエットには最適な運動となります。スカートの下に隠れた足は階段で鍛えられカモシカの様に引き締まっています。
生徒達の起床時間にはまだ少し早いですが、部屋の主との約束事で扉をノックする黒髪のメイド。返事はありません。口元に微かな笑みを浮かべ、一呼吸置いて部屋に入ります。
ベットに視線を向けると盛り上がった毛布。はみ出た桃色の髪を見てほほ笑むと声をかけました。
「おはようございます、お嬢様」
「んっ……」
頭まで被っていた毛布の下でルイズはもぞもぞ動きますが出てきません。
「お嬢様、失礼致します」
そう言うとルイズを毛布から起こします。毛布を被っていたのでルイズの髪はぼさぼさ、微かに開いた唇から涎のあとがこびりついていました。
上半身を起こされても目を閉じたままのルイズ。朝は低血圧でまだ意識ははっきりしていません。頭がふらふらと揺れていました。
メイドは備え付けの洗面器に持参したポットのお湯を注ぎ湯加減を確認しました。丁度良い感じです。
「はい、顔を洗いましょうね」
ルイズの体を起こして顔を洗面器に近付けます。お湯を手のひらにすくい洗顔します。その頃にはルイズの目も覚めています。受け取ったタオルで顔を拭きながら挨拶しました。
「おはようシエスタ」
メイドの少女はシエスタ。ルイズの専属メイドとしてヴァリエール公爵家から学院に送り込まれています。シエスタがルイズに仕える様になったのは公爵夫人の強い要望からでした。
モットーの元から脱出したルイズが王都のヴァリエール公爵家別邸で保護された後、ルイズの証言から事件の調査で衛士や憲兵、役人の他にヴァリエール公爵家お抱えの者もタルブ村にやって来ました。ルイズ襲撃の捜査です。
ワインの産地として酒好きに知られるのどかな村でしたが、今回の事件で村には不名誉な称号が付いてしまいました。人拐いの村と――
知らなかったとは言え、誘拐犯を野放しにしていた村。連座責任で皆殺しにあってもおかしくありませんでした。
「ヴァリエール公爵家を敵に回してこれからどうやって行けば良いんだ……」
タルブのブランドは忌避され商売にならない。そんな未来に村人達は絶望しました。
「シエスタと言う娘は居ますか」
村の集会場で憲兵の聞き取りに答えていると護衛を連れた貴婦人が入って来ました。ごてごてとした派手さより動きやすさを重視した服装です。貴族としての品位を貶める物ではなく上質な素材を使っている事がうかがえました。
「私です」
「私はヴァリエール公爵夫人のカリーヌです」
ヴァリエール公爵と言う有力貴族の名前にざわめきが起きました。罰を与えに来たのかと体を固くしますが、カリーヌは周囲には頓着せずあシエスタの手を取り礼を言いました。
「ルイズに聞きました。我が娘を助けてくれた事、母として礼を述べます」
温かな手に子を思う母の心情が表れていました。シエスタは貴族に好印象を持っていませんでしたが、この貴婦人も普通の母親なんだと実感しました。
「勿体ないお言葉です」とシエスタの頭が自然に下がりました。それに対して幾つか質問をした後に、カリーヌはシエスタにルイズの側仕えとして仕えないかと提案しました。
「私が御息女の側仕えですか……」
唐突すぎて戸惑いを覚えました。公爵夫人の言葉は選択権を与えている様ですが命令と言っても良いです。平民であるシエスタの意思は関係ありません。
(このまま村に居るよりは……)
家族を養う事を考えれば悪名の付いたタルブで生活するよりも、ヴァリエール公爵家の庇護下に入るのは間違いではありません。むしろ好条件と言えました。
「承知致しました奥様。お嬢様に精一杯、お仕えさせて戴きます」
シエスタの返事にカリーヌは頷きます。
「それでは貴女に我が家のメイドとしてルイズ付きを命じます」
カリーヌの目から見てシエスタは忠臣になり得る人材に見受けられました。
今回の事件は全て気に入りませんでした。
ルイズがツェルプストーとの境界で襲われたと聞いた時は現場に駆けつけました。護衛を倒した腕は悪くありません。ルイズの遠出と言う手薄な瞬間、手練れの傭兵が襲撃。内部に情報を漏らした者が居るとしか考えられませんでした。
事件発生を知ったカリーヌは即日で、ルイズにとって信頼出来る者で周囲を固めようと動きました。
ヴァリエール公爵家から、ルイズの学院入学時の様々な要望が届けられた時、オスマン学院長は公爵家とは言え特別扱いをするつもりはないと返事を返しました。特例を認めれば他の貴族に示しがつかないからです。オスマンは子煩悩なヴァリエール公爵と夫人を見誤っていました。
ヴァリエール公爵は王宮に働きかけ、カリーヌもマリアンヌ王妃を動かしました。
王宮から勅使が派遣され「ヴァリエール公爵家三女の身の安全、身の回りの世話に格別の配慮をするように」と命令下達されました。親友であるアンリエッタ王女の意思です。王女の勅命を断れば、王家に対して叛意ありと見られるかもしれません。血の粛正を思い出せば否とは言えません。
「それではお嬢様、失礼致します」
シエスタはルイズの髪を整え、着替えを手伝い終わると洗濯物を持って部屋を出ました。
朝食を終えると運動着に着替えて校庭に向かいます。体育の時間です。
メイジの魂である杖は手離しません。
メイジは体力と気力、不屈の闘志が求められます。何故ならば、体力錬成がすべての基礎だからです。
魔法学院の生活に耐えれない精神的な弱者は何れ宮中に上がっても自然淘汰されます。
微熱の通り名を持つキュルケ。ちらりと隣に視線を向けました。並んで歩くのは宿敵ヴァリエール公爵家三女。だからと言って嫌ってはいません。むしろキュルケの興味はルイズ・に向かっていました。言うなれば庇護欲でしたが言葉が浮かびませんでした。
それで導き出された答え。これは恋――
「いやいやいや。ないない、ないでしょ」
一人、苦笑を浮かべ首を振るキュルケ。そんなキュルケの様子に疑問符を頭に浮かべるルイズ。
「何?」
「何でもないわよ。さ、行きましょう!」
訝しげな表情のルイズを急かして校庭に足を進めます。
整列した生徒。出席の点呼を終えると間隔を開いて体操の隊形を取りました。
「魔法学院体操。その場駆け足の運動から用意、始め!」
準備運動を終えると持続走始まります。
校庭からスタートして魔法学院の外柵沿いに走ります。
「控え杖」
教師の声で胸の前で杖を抱える様に維持します。
「駆け足、進め」
始まりました。
「1、1、1、2」
「ソーレ!」
号令に合わせて歩調を取りながら杖を構えて走ります。
「1、1、1、2」
「ソーレ」
学院の外周を走れば軽く10リーグはあります。魔法使いは体力が基本。鍛えられた精神は不屈の根性となります。
「連続歩調、数え」
「1、2、3、4、1、2、3、4」
汗ばんだ女生徒の後ろをぽっちゃりした少年と薔薇を持った少年が並走しています。
「持久走と言う物も良いものだね」
薔薇で弛みがちな口元を隠しながら話しかける少年に、鼻をすすりながらぽっちゃりした少年はキリッとした表情で同意します。
「ああ畜生、最高だ」
甘い体臭を味わう二人はクンカ、クンカとしており挙動不審でしたが、生徒達の荒い息使いと号令に混ざって見過ごされました。
魔法学院は国庫から出た補助金と学生の授業料で運営される。施設や備品は税で賄われた官品と言えました。当然、無駄に使われていないか王室から会計監査が毎年訪れます。
学院長は責任者としてそれらを管理・監督する立場です。書類上の数字と照らし合わせて確認する見回り作業が週末点検、月末点検、期末点検と存在します。うんざりするような作業ですが、学院長の秘書であるマチルダも同行します。
実は、この見回りが土塊のフーケを名乗るマチルダにとって好都合でした。学院の資産状況が手に入る。いざと言う時の逃走経路も熟知できます。
「今週も異状ありませんね」
マチルダの報告に頷き茶をすするオスマン。退室したマチルダは尿意を覚えトイレに向かいました。
「ふぅ」
トイレに行き便座に腰かけるマチルダ。トイレの個室は人目もなく素の自分に戻れる数少ない場所で、マチルダの心を落ち着けます。
下着にかかった手が止まりました。
(ん――)
第六感とでも言うのでしょうか。何かを感じて足元を見ると見覚えのあるねずみがいました。
眉間にしわを寄せるマチルダ。
「モートソグニル……」
相手は学院長の使い魔。主と使い魔は視覚を共有する。ねずみの視線の先はマチルダの下着。下着が見られた位で今更どうと言う事はありません。しかし、その下卑た考えが許せませんでした。
ねずみはマチルダの視線を受けると逃げ出すどころか「あ、いっけねー」と言う感じで器用にも前足で顔をかいた。
顔に血が集まって来るのをマチルダは自覚しました。羞恥心よりも前に頭が沸騰するようで、憎悪で埋め尽くされました。
「いい加減にしろ!」
ねずみをアースハンドで握り殺すマチルダでした。