まだ薄暗い早朝、調理場の裏手であくび混じりに賄い料理を食べる少年の姿がありました。平賀才人です。
隣に座るのはシエスタ。ルイズ専属のメイドであり使用人の先輩として才人に助言をして居ました。
「ここは貴族の方々の学舎です。当然、言葉遣いと態度は慎重な物が求められます」
ご主人様なルイズの身の回りをお世話するのが二人のお仕事です。いわば所有物な訳で、他の貴族の指図に従う必要はありません。
しかし何かあれば主人に迷惑がかかります。よく考えて行動しなければいけません。才人はどうでしょうか?
「サイトさんは、お嬢様の素晴らしさをご存知無いから仕方ありませんが気を付けて下さいね。貴方はお嬢様にお仕え出来て幸せなんですよ」
そう言ってシエスタは、公爵の怒りに触れたタルブ村をルイズが救った話をしています。
ルイズ誘拐の犯人がタルブ村の住民と知った時は地図から村を抹消しようとしました。
「あの時、お嬢様が現れなければ公爵様のお怒りは晴れなかったでしょう。慈愛に満ちたお嬢様。ああ、何て素晴らしいのでしょう。普段のお嬢様も素敵ですが寝起きのお嬢様も猫みたいでたまりません。お着替えをさせていただいていつも思うのですが、やっぱりお嬢様のあのストンとした愛らしい体形は妖精の様です。ああ、使用人の身で畏れ多い事だとはわかってはいるのですが、ずっと抱き締めてあげたくなります。サイトさんもそう思うでしょう?」
頬を染めてルイズの魅力を語るシエスタに若干引き気味の才人くんですが、前半の要点に突っ込みを忘れません。
「えっ……。あー、それって親の不始末を子供が拭っただけじゃ……」
体をくねくねしていたシエスタは動きを止めると才人に鋭い視線を向けて来ました。
「何ですか? お嬢様に不満でもあるのですか」
素人にもわかる殺気で才人は理解しました。目の前の少女はカバと同じでピンクの貴族に心酔している。触らぬ神に祟りなし、と。
「いや……幸せです」
「ですよね!」
笑顔に戻ったシエスタの表情は魅力的でしたが、先程の殺気に感じた恐怖を忘れられません。
(仕事は出来るんだろうけどな……)
シエスタの胸元にちらりと視線をやって溜め息をそっと吐き出しました。
(残念な子って本当に居るんだな)
着の身着のままで召喚された才人には、シエスタの手配で公爵家から使用人の服が届けられていました。左袖にはヴァリエール家で仕える使用人の証で、黒い生地にSDと刺繍れた菱形の袖章が縫いつけられていました。
(これでもましな方か……)
現れた場所が戦場だったら死んでいたかも知れません。ここでは衣食住と身の安全が約束されています。前向きに受け止めれば最悪では無かったとなります。
「さあ、そろそろお嬢様を起こす時間です」
シエスタは立ち上がると砂埃を払い才人に洗濯の水を汲んで準備する様に指示を出しました。
「じゃ私は行ってきますね」
「はい、いってらっしゃい」
手を振ると才人は食べ終わった食器を持って井戸に向かいます。
ルイズはムーミンより先に目が覚めました。ムーミンはルイズの元に帰ってきました。ルイズは隣で寝ているムーミンの姿を確認してほっとしました。夢ではありません。だけど心配もありました。
(また寝たままって事は無いわよね)
不安を感じてムーミンの頬を指先でつつきます。
「うーん……」
ぷにぷにとしたムーミンの頬をつついてムーミンの寝顔を眺めているとシエスタがやって来ました。
「おはようございます、お嬢様」
ルイズが起きていた事に驚きながらも朝の仕事に余念はありません。洗顔と着替えの準備を進めます。
「おはよう、シエスタ」
機嫌良く答えるルイズはここ最近では見た事の無い笑顔です。
「今日は早起きですね」
「ええそうね」
答えるルイズの髪を整えながら、ムーミンが居ればやはり違うのだろうかと寝ているムーミンに視線を向けるシエスタでした。
「ムーミン、そろそろ起きなさい」
「う~ん」
寝ぼけ眼で起きたムーミンはベットから転がり落ちます。
「まったく……」
呆れるルイズが声をかけようとした瞬間、扉が開きました。
「ルイズ~。食堂、行くわよ」
断りもなしに入って来たのはお隣のキュルケさんとタバサ。いつも誘いに来てくれます。
食堂でルイズの定位置はヴァリエール派閥に囲まれた席ですが、この二人は遠慮無く同席します。
「だからあんたは入る前に断りを入れなさいよ」
「まあまあ良いじゃない」
毎度繰り返されるやり取りで、キュルケの強引さは悪意が無いだけに親衛隊もどうこう出来ません。
親衛隊は学院卒業後、ヴァリエール公爵家の旗本として職を得る事ができます。当然、ルイズの安全には注意を払います。キュルケに関しては悪友と言う事で諦めていました。
「おはよう、フレイム。調子はどうだい? え、歯ぎしりがうるさかった?」
ムーミンの言葉に凄い勢いでキュルケ首を回しました。
「うんうん、寝不足なのか。大変だね」
「ちょっと何勝手な事、言ってるのよ!」
キュルケの使い魔であるサラマンダーのフレイムとムーミンが話していましたが、その内容にキュルケは怒りました。乙女に歯ぎしり何て悪評は冗談でもいただけません。
「フレイムが言ってたんだよ」
ムーミンはどこ吹く風と抗議を聞き流します。
タバサがキュルケの袖を引っ張りました。
「何タバサ? 今、取り込んでるから後にして貰える?」
「キュルケ、歯ぎしりする」
タバサの一言にキュルケは固まります。
「な、何言ってるのよ、タバサまで!」
以前に酔っぱらったキュルケがタバサの部屋に泊まって行った夜を証言しました。
「私に迫った後、いびきをかいて寝て、歯ぎしりをしていてうるさかったから魔法を使って寝た」
頬を染めるキュルケに対してルイズは、今まで隙を見せなかった隣人の意外な弱点を知って爆笑しました。
「あっはっはっ」
ルイズの傍らにいたシエスタがそっと耳打ちしました。
「はしたないですよ、お嬢様」
「ごめんなさいシエスタ。でも、くっくっくっ……」
笑いを耐えるルイズの姿に、憮然とした表情でキュルケは怒鳴りました。
「もうっ、そんな事より食堂に行くわよ!」
「ムーミンは私の隣に座りなさい」
朝食を終えた一行は教室に向かいました。
ルイズの横にムーミン座ると、キュルケとタバサは前の席に座りました。
始業の時間になり教室に入って来たのは妙齢の女性でした。土メイジのシュヴルーズ女史です。
二年生に進級したルイズ達に土系統の魔法を教えるシュヴルーズ女史に向けられる視線は二種類ありました。一つはオスマン学院長の秘書ミス・ロングビルに劣らない美貌に対する物で、もう一つは吸血鬼や人狼退治退治で知られるシュヴルーズの功績に対する羨望の物でした。
「皆さんこんにちは。これから皆さんに一年間、土系統の応用を講義するシュヴルーズです」
シュヴルーズから紡がれた言葉に拍手する生徒達。
土は創造の根幹を成す物で、御家取り潰しにあって爵位を失っても食べていく事ができます。その為か、生徒達が授業を受ける姿勢は比較的真面目でした。シュヴルーズの視線がムーミンの所で止まりました。
「ミス・ヴァリエールのお隣にいらっしゃるのは高名な灰色卿ですか」
シュヴルーズの言葉にざわめく生徒達。ルイズを護ってきたムーミンは亜人なので無位無官ですが、戦の神"灰色卿"と一部では崇めたてられていました。
シュヴルーズも襲撃事件の噂は耳にしています。一見、豚の変種にしか見えないムーミンの平凡さに達人の凄みを感じて背中に冷や汗を流していました。
「灰色卿どころか豚だ……」
ぼそっと呟いたマリコルヌの声にルイズが睨み付けます。
「亜人と言っても勇士には敬意を表すべきですよ、ミスタ」
シュヴルーズの注意にマリコルヌは俯きルイズは溜飲を下げました。
「本日は野戦築城の復習を行いたいと思います。教範の露天構築物の構築を開いてください」
シュヴルーズが黒板に平面図と断面図を掲示しながら解説を始めます。ルイズもペンを手にメモを録ろうとして、ふとムーミンが眠り出した事に気付きました。
頭を過るのは目覚めなかったムーミン。心臓の鼓動がどきどきします。
「ムーミン、ムーミン」
そっと起こしますが、ちょっとやそっとでは起きません。
授業への注意も散漫になってしまいます。
「ミス・ヴァリエール」
シュヴルーズの指名にルイズは上擦った声で返事を返しました。
「は、はい」
「余所見をしてる暇があるなら、貴女に模範演技をしてもらいましょう」
黒板には「人工障害、破壊障害、各種施設の破壊」とあり、教壇の上に石材が置かれています。
石材を破壊しろと言う事です。前に向かうルイズに「頑張って」とキュルケは応援します。
ルイズが杖を振るうと教室を眩い光が覆い、石板は教壇ごと粉砕されました。文字通り原子レベルまで崩壊です。
「ミス・ヴァリエール、とても素晴らしいです!」
教室の床や窓ガラスの一部も吹き飛んでいましたが、シュヴルーズは障害構成の成功を誉めました。実戦経験者にはルイズの秘めた魔力と、発揮された魔法の威力の意味が理解できました。
練金で壊れた教室を修繕するとシュヴルーズの講義は続きます。
「もう食べれないよ~」
席に戻ったルイズにムーミンの寝言が聞こえてきました。
(大丈夫、ムーミンは居なくなったりしない)
くすっと小さく笑うルイズでした。
ムーミンが食後のうたた寝を楽しんでいた頃、お空の上で凄惨な殺戮が繰り広げられていました。そこはアルビオン王国と呼ばれる国です。
天空に浮かぶ大陸を治めるアルビオン王国は、王家に叛旗を翻した賊軍との内戦状態にありました。天国に最も近い分だけに、本当に天国に行ってしまった人がたくさんいます。
情報収集の結果、緑に覆われたスノードニアの地、グレイデルフォレストに賊軍の拠点があると判明。王軍は虎の子の竜騎士と艦隊を派遣しました。
艦砲射撃による圧倒的な火力の集中で、あれよあれよと言う間に訓練施設や司令部、兵舎、倉庫等が吹き飛ばされていきました。ここに非戦闘員への配慮は存在しません。
混乱する賊軍の前に降りて来る王軍の兵士達。地上と空からの連携で包囲の輪を狭めて行きました。戦闘とはいかに効率良く敵を倒すかを競う物です。軍事的な観点から見れば、王軍の戦術は実に効果的な方法です。
お空に浮かぶお船の中に一際大きなお船がありました。グランド・フリートの旗艦で、最新の戦艦「レキシントン」です。反乱の兆候が確認された段階で艤装の最中に就役させたそうで、工員を乗せたままの実戦投入でした。
甲板でウェールズ皇太子は、賊軍討伐の全般指揮を行っています。今回の「レキシントン」参加も皇太子の押しがあったからでした。
皇太子の立場では非情な決断も仕方ありません。ウェールズは一国の将来を担う戦略家として、将来の禍根を残さないように徹底的な対応を行いました。
「捕虜はいらない。全員斬首だ。叛逆の報いを受けさせてやれ」
反乱貴族、加担した兵士、その領民に至るまで殺害する様に命じていました。命令を受けた伝令達がそれぞれの受け持ちに向かおうとします。
その時、伝令の一人が背中を見せたウェールズに向かって抜き身の剣を突き立てようとしました。
「殿下!」
侍従の叫びに反応したウェールズは、突きかかって来る敵兵の腕を捻り上げて倒すと脇腹を蹴りました。
呻く襲撃者を近衛兵が捕縛します。
「レコン・キスタの手の者か」
ウェールズの言葉に襲撃者は不敵な笑みを浮かべました。
「お前らの策など子供の戯れ言に過ぎん。虚無の担い手である閣下の前では無力」
「そうか?」
ウェールズによって一刀で切り跳ね飛ばされた襲撃者の首が甲板から転がり落ちました。
地上から吹き上がってくる風に死臭が混じっているのは気のせいではありません。
「クロムウェルか……」
敵の指導者の名前を呟くウェールズは無感情に見えました。
甲板に転がる首無しの死体を片付ける兵士達は乱暴に舷側から地上に落しました。死ねばただの肉塊。後は鳥獣が片付けてくれるでしょう。環境に優しいリサイクルです。
生きていても拷問で情報を引き出した後に大逆罪で処刑されるだけでした。一息に殺して貰った方が温情と言えるかもしれません。