媚薬入りの香を焚いたモットの寝室。何に使うのかわからない怪しげな道具が壁に並んでいます。
怯えながらもルイズは行動しました。扉に手を伸ばしますが動きません。
「だめ、開かない」
ロックの魔法がかかっているのか、施錠された扉が無情にもルイズの前に立ち塞がっています。
閉じ込められました。これからどうなるのか不安でたまりません。赤子のように膝を抱え部屋の隅でうずくまるルイズ。
賊に襲われ逃げ出せたのに、どこかの人拐いに拐かされました。散々です。
「待たせたかね」
しばらくして入室してくるモット。
商談を追え入浴をして来たモットはくつろいだ服装に着替えていました。胸元にちらつく胸毛が不快感を煽ります。
ルイズは立ち上がり食ってかかりました。
「ちょっと、あんた! 私がヴァリエール公爵の娘だと知っての無礼なの!」
相手を貴族と見て取ったルイズは家名を出しました。ヴァリエール家を知らない者などトリステイン貴族にいません。
「何、ヴァリエール公爵の?」
家名を聞いてモットの表情が変わりました。それを見てルイズは主導権を握ろうとたたみかけます。
「そ、そうよ! あんたなんか、お父様が知ったら家だって潰されちゃうんだから!」
「ほお、それは困りましたな」
ルイズが乱暴を受けたと知ればヴァリエール公爵も公爵夫人も押っ取り刀で駆けつけるでしょう。
モットはルイズの反応に何が可笑しいのか笑みを深めます。
違和感を覚えながらもルイズは命じます。
「だったら私を今すぐ解放しなさい!」
しかし返ってきた言葉はルイズの期待を裏切る物でした。
「いや、なおさら貴女を解放する訳にはいかなくなりましたな」
「何ですって!」
当然です。自分の犯罪証拠を握る物をみすみす見逃すなどありえません。ここはモットの館。主導権はモットにあるのです。
相手は大貴族のヴァリエール公爵の令嬢。これ以上の獲物と言えば王家のアンリエッタ王女ぐらいです。
「ふふふ」
モットの纏う空気に邪な物を敏感に感じ取りルイズは後ずさります。
「嫌! 近寄らないで」
エルフの秘薬を使えば、すぐにでもルイズを自由に出来ます。しかしそれでは情緒がありません。モットは狩る瞬間も楽しみたいのです。
「ははは、好きなだけ叫べば良い。誰も助けになど来ない」
衆人環視の中で行いたいと言う願望の表れでしょうか。
サイレントの音を消す魔法もありますが、悲鳴を館に響き渡らせる事がモットは好きです。
「ほら、後はないぞ」
背中に当たる壁の感覚。
「くっ……」
追い詰められたルイズ。モットの手が伸びてきます――
「ほう、こいつは料理のしがいがありそうだな」
料理長は厨房に運ばれてきたムーミンに目を丸くします。
丸みを帯びた頭と胴体。手足は豚よりも発達しています。色々な食材を見てきましたが灰色の豚は今まで見たこともありません。
「煮る、焼く、炒める。どちらにしても、まず洗って血抜きからだな」
井戸に水を汲みに行く者や調理器具の準備をする者。どんな料理に合うか食材を調べに行く者。見たこともない食材に厨房は活気付きました。
「血抜きは私にやらせて下さい」
普通の豚と同じ様に血も桶で受けて料理に使います。
「いいぞ、何事も料理は修行だ」
大鍋にムーミンと水を入れ煮沸殺菌をします。ことことと温められる鍋。
「ん、ん……」
ムーミンは温かいお湯で目を覚ましました。調味料や料理の残り香を嗅ぎ付けて鼻をひくひくさせます。
「おはよう。僕、何でお風呂に入ってるんだろう?」
厨房にいた者の視線がムーミンに集中しますが返事はありません。ムーミンは耳をぴくぴく動かしながら頭を傾けました。返事が無いので鍋からゆっくりと上がります。
体を拭くタオルを探して辺りを見回すムーミン。
「しゃ、喋った!」
停まった時間が動き出しました。
食材を逃がす物かと料理長が指示を出します。
「取り押さえろ!」
その言葉で動き出す料理人達。
「うわ、止めてよ」
近くにあった延し棒を掴んだムーミン。ルーンが光りました。
狭い厨房ですがムーミンは軽くサイドステップをして向かってくる相手を避けます。勢い込んで並べた調理器具に突っ込む料理人。頭部打撲による頭蓋内損傷で死亡するまで時間はかかりませんでした。
舞うようにムーミンは次々と料理人達を無力化して行きました。
「くそ、こいつ!」
血抜きをしたいと言った料理人がナイフを片手に向かって行きます。
熟練した兵士の動きとはかけ離れており、ルーンの力があるムーミンの目にはのろのろしている様に見えました。
「やめてよね」
延し棒を使い相手の腕をねじりあげて、そのまま相手の首元を切り裂きました。動脈切断による緩やかな失血死が待っています。
「がっ……ぐはっ!」
ムーミンには微塵も躊躇がありませんでした。目を大きく開けて口をぱくぱくさせ崩れ落ちる料理人の姿に、周りの者は怖じ気付きます。
「うわあぁぁ――!」
ただの料理人達。兵士でもないのに人の死に慣れている訳がありません。我先にと逃げ出します。
「あぁぁ」
腰が抜けてへたり込む料理長にムーミンは近付いて尋ねました。
「ねえ、ルイズはどこかな」
ムーミンの目に見詰められて料理長は冷たい手に心臓を握られた様な気がしました。
もちろん間違いではありません。ムーミンがその気になれば料理されるのは料理長です。
「ねえ、聞いてる?」
先程、料理人の首を切り裂いたナイフを片手でもてあそびながらムーミンは唄うように質問を繰り返しました。軽い口調ですが、料理長はムーミンから視線を外せません。
「あ、ああ」
冷や汗を流しながら料理長は真剣に考えます。
ルイズ。料理長はその名前は知りませんが、一緒に連れて来た女の子だと気付きました。
「お、お前の主人ならモット様の部屋だ」
「そ、ありがとう」
目をつむる料理長の横を通り過ぎるムーミン。
厨房から廊下に出るとルイズの悲鳴が聞こえました。
突如としてムーミンの目にモットの顔が見えました。ルイズの視界です。
使い魔と主人は視界を共有できると言います。
モットの顔は、自分の力に酔った醜悪な物でした。
ルイズの臭いをたどり、お腹をぼよんぼよんと弾ませばがらムーミンは駆け出しました。
部屋ではモットがルイズの腕を掴み壁に押し付けていました。
「あんた何かに屈服しないんだから!」
涙目のルイズの頬にモットは舌を這わせます。嫌悪感に身を震わせるルイズ。
「ルイズっ!」
扉をぶち破ってムーミンが転がり込んで来ました。砕けた木片がモットに降りかかります。
「ん、なっ……!」
ロックだけではなく固定化の魔法までかけている扉をぶち破ったムーミンにモットは驚きの視線を放ち固まります。
「ムーミン!」
ルイズはモットの腕を振り払い、脇をすり抜けてムーミンの腕に飛び込みます。
「お迎えに来ましたご主人様」
気取って言うルイズの騎士は灰色の豚。
不格好な体格と不釣り合いな台詞に、心細くて怖かった気持ちが解きほぐされます。
「ふふ」
ムーミンの腕の中でくすくす笑い出したルイズ。
もう大丈夫です。ムーミンが側に居れば怖くありません。