Deathberry and Deathgame   作:目の熊

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お読みいただきありがとうございます。

第十七話です。

後半にサチ視点を含みます。苦手な方はご注意ください。

宜しくお願い致します。


Episode 17. Talkin’ Red Heath, Leavin’ Black Cat

 血盟騎士団。

 

 人の面やら名前やらを覚えんのが苦手な俺でも、その名には聞き覚えがあった。聖竜連合と並び称される二大攻略ギルドの一つであり、メンバーは高レベルの剣士のみで構成されている。

 白地に紅の染め抜きが入った揃いのデザインの衣装を身に着け、ブッ飛んだ強さを見せつけた25層ボスの多腕型ゴーレムが相手でも、毛ほども臆することなく攻勢を強めていった、相当にタフな連中だ。初めて見掛けたのは確か23層のフロアボス攻略戦だったんだが、それ以来ボス戦には必ずこのギルドの名前があったと思う。最も、そのトップの顔までは覚えちゃいなかったけどな。

 

 追加注文したモンブランをフォークで突き崩しながら、俺は真向かいに座る紅ローブの男に視線を向ける。手にしたブラックコーヒーをゆっくりと口に運ぶ姿は、どう見てもそんなガチ攻略集団の長には見えない。剣を振るよりも、どっかの研究所あたりに籠ってフラスコ振ってる方がお似合いって感じの印象を受ける。その目に宿った重厚な光さえなければ、だが。

 

 ……だがまあ、その辺はどうでもいい。

 

「……君達も知っての通り、現在28層の迷宮区へと続く道は、多数のギミックによって遮られている。我がギルドも他の攻略組諸君と連携して仕掛けの解除に挑んでいるが、如何せん数が多い。全てを解除しきり、迷宮区の踏破へと乗り出せるようになるには相応の時間が掛かるだろう」

「…………よぉ」

「そこで、この機会に新しいメンバーの勧誘を行い、血盟騎士団の戦力を増強することにした。無論、対象者は誰でも良いわけではない。腕が立つ剣士であり、強靱な精神力を持ち、何よりこのSAOを攻略せんとする確固たる意志を持っていなければならない。そこで白羽の矢が立ったのが君たちだった、というわけなのだが――」

「……よぉーってば」

「ん? 何かな、一護君」

「何かな、一護君……じゃねーよ。アンタの勧誘は出会いがしらに断っただろ。もう用はねーはずだろうが。なんでまだいるんだよ」

 

 怪訝そうな顔でこっちを見てくるヒースクリフに、俺はイラつきを多分に含んだ声を飛ばした。昼間の繁盛時だったら確実に白い目で見られるであろうガラの悪さで、だ。

 最も、昼下がりの閑散としたレストラン内には俺ら含めて三組しかいない。よって、俺にそんな目を向けてくるのは斜向かいでハーブティーを飲むアスナだけだ。リーナは相変わらず、無反応でケーキを食べ続けてる。

 

 会うなり奴が率いるギルドに勧誘されたわけだが、俺は即座に辞退した。安全マージン無視して迷宮区に突っ込む俺らにはギルドの規律がジャマだし、逆に連中からしても勝手に死地へ特攻されるのは面白くないハズ。誰も得しねえだろ、そう言ってざっくり断った。

 それに対し、まあそう言わずに、と穏やかに応じたヒースクリフは、やれ君たちが無所属最強だ、だの、やれその力を最強ギルドで活かしたくはないか、だの言って俺たちを説得しにきやがった。

 が、リーナの「しつこい男は嫌われる」の一言で褒め殺しを中断。今日のところは顔合わせで留めておこう、と引き下がった。いや今日でも明日でも一年後でも、絶対に受けねえっつの。つか引き下がったクセに、まだ勧誘の話引きずってんじゃねえか。しつこい奴だ。

 

 とまあ、そうやって勧誘をばっさり断られ、更に苛立つ俺の言葉を受けても尚平然としたままのヒースクリフはコーヒーカップをソーサラーの置き、ふむ、と短く呟いた。

 

「確かに、私の勧誘を君が素気無く断ってくれたことで、今日の主目的は完了している。よって、ここに留まる積極的理由はない」

「ならもういいだろ、メシは静かに食いたい派なんだよ、俺は」

「しかし断られたからと言って、はいそうですかと帰るわけにもいかない。仮にもギルドリーダーとして行動を起こし、またアスナ君のコネクションを使わせてもらった以上、それに報いるだけの益は得たいところだ」

 

 ヒースクリフがそう言うと、横からアスナが一枚の羊皮紙を提示してきた。示し合わせてたとしか思えないタイミングで出てきたそれに書かれてたのは、数行しかない短い文字列。『Markes』『Bandit』『Greim』……全てプレイヤー名のようだった。

 

「最近動きが活発化してきてる、あるオレンジギルドのメンバーのリストよ。ギルド名は『デスサイズス』。フィールドで単独、あるいは少数のプレイヤーを狙って襲い、散々痛めつけて抵抗力を奪ってから、金品を巻き上げる。

 流石に殺しまではしてないみたいだけど、HPバーが赤くなるまで嬲られた、本気で死ぬかと思った、って証言もあるくらい凶悪な連中ね」

「……それ、知ってる」

 

 アスナの言葉に、今までケーキを黙々と消費していたリーナが反応した。口の端にクリームが付いたままだが、茶々を入れられる雰囲気じゃない。大人しく手元のモンブランを片づけることにする。

 

「この前、情報ペーパーの要注意ギルドリストにも載ってた。人数は判明しているだけで十二人、最も多い証言では十八人と言われてる。リーダーは曲刀使いの大男で、名前は……」

「マルカスよ」

「そう、それ。その討伐を私たちにやれとでも?」

 

 苺の乗っかったショートケーキの最後の一欠片を食べ終えたリーナの問いに、はっきりとアスナは頭を振る。

 

「ううん、そこまでは言わないわ。けど貴方たち、最近ヒマしてるんでしょ? ヒマ潰しでもなんでもいいから、ちょっと見回っておいてほしいの。今までは十番台にしか出没しなかったのに、一週間くらい前、二十番台でも彼らの犯行と思われる襲撃事件が発生した。力を付けてきた今、警戒を強くしないと被害が拡大する恐れがあるわ。

 私たちがギミックエリアの攻略を進める間だけ、二十番階層を主住区で巡回しておいてほしいの。貴方たち『死神代行』『闘匠』コンビの風貌はボリュームゾーンでもかなり知れている。少し歩いて顔を見せるだけで、十分な効果があるはずよ」

「後半の方は貴女に言われたくないけど……まあ、それくらいなら」

「あ、おい! 勝手にめんどくせー事引き受けてんじゃ――」

「ご飯を奢ってくれた借りは、一護を除いて必ず返す。それが私のモットー」

「テメエ、いちいち喧嘩売りやがって……」

 

 こめかみをヒクつかせる俺をほっぽったまま、ヒースクリフが言うところの「益」、つまり、俺らによる巡回作業(ほぼ無償)が俺たちの生活の中に新しく組み込まれることになっちまった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「……で、その見回りの成果はあったのかい?」

 

 その三日後の夕方。

 

 黒猫団が実技講習を受けている間、俺たちはSSTAの会議室でディアベルと落ち合っていた。状況報告会、なんて大したモンじゃなく、互いに持ってる情報を出し合って駄弁るだけだったが。

 

「さーな。オレンジ連中の行動自体、俺らの見回りする五日前からなくなってんだ。見回りの効果があんのかねーのかなんて、わかりゃしねーよ」

「そうか……しかし、随分と迷惑な連中もいたものだね。ゲームの中でまで強盗とは。いや、むしろゲームの中だからこそ、と言った方がいいのかもしれないな」

 

 向かいの椅子に腰かけたSSTAの教員サマは、そう言って手にしたカップの紅茶を一口啜った。教員印の白いローブが、窓から差し込む閃光によって橙に染まっている。

 

「オレたちが閉じ込められているこのSAOは元々MMORPG。今やデスゲームとなってしまったとはいえ、ゲームであることに変わりはない。そう考えて、軽い気持ちで犯罪行為に走ってしまうのだろう。昔から、オンラインゲーム内での非マナー行為というものは往々にして問題となってきた。今回の件も、連中からすればその延長線上でしかない、というところなのだろう」

「本物の命がかかってるっつーのに、面倒な奴らだ。つーか、第一層(ここ)じゃそーゆーのはねえのかよ。弱いプレイヤーが山ほどいんだし、連中からすりゃあ格好の的じゃねえか」

「ああ、それは心配ないよ。ここ『はじまりの街』周辺は、キバオウさんの『アインクラッド解放隊』の皆が警備してくれてるからね。個々のレベルでは劣るかもしれないけど、こちらは人数が多い。数の利に押し勝てる程、連中の戦力は高くないだろう。

 それに、ここに住む人たちはオレたちのようなプレイヤーを除いて最低限のものしか持っていないからね。襲っても旨みがないんだろう」

 

 あのトゲ頭の警備ってのがイマイチ頼りねえが、まあ確かに、『はじまりの街』で解放を待ってる連中は基本的に安全圏外には出ねえからな。強請っても金やアイテムは出てこねえ。それなら、数が多くて実入りのいいボリュームゾーンの連中を狙うのは当たり前、なのかもな。

 

 俺らのやってる巡回モドキの散歩がせめてその抑止力の欠片にでもなってることを願いつつ、今度は俺から質問を切り出した。

 

「黒猫団連中の上達度合いはどうなんだよ。少しはマシになったか?」

「ああ、ここ三日の講習で、何とか形にはなってきたよ。下地がまだ固まりきっていない分、飲み込みも早いしね。

 何より、リーナさんに散々シバかれたおかげで、メンタル面のタフネスが高いように思う。一護君との組手も、戦闘中の立ち回りに良い影響を与えているようだね」

「むぐむぐ……つまり、一護が『弱い者いじめ』といったあの訓練は、実に的確な教育だったという事。さすが私」

「自分で言うか、それ」

 

 お茶請けのクッキーを頬張る相方を半眼で見やる。両頬を焼き菓子で膨らせながら得意げな無表情を浮かべるという顔芸を見せつけてきたが、もうコレを見て早半年だ。ぶっちゃけ、もう慣れた。

 図々しくクッキーのお代わりを要求するリーナに律儀に応えてやりつつ、戦闘指揮指導官の話は続く。この三日間、黒猫団はフィールドに出ることなく、ひたすら座学と模擬戦を繰り返してきていたらしい。俺らが携わったのは、せいぜい模擬戦の仮想敵役くらいだ。ヒマつぶしに受けている仕事とはいえ、お守対象の成長度合いは気になるトコだ。

 

「やはり、唯一の前衛であるテツオ君の伸びが素晴らしいね。これまで単身で戦線を支えてきただけあって、根性がある。反応も素早いし、盾の扱いを覚えただけで動きが見違えたよ。それに、リーダーのケイタ君の動きも良い。学んだことをすぐに実践に活かし、状況に応じて的確な動きができるところは、流石リーダーといったところだろう。

 ササマル君とダッカー君は、まだまだ及び腰なところがあるが、それでも最初に比べれば、ちゃんと相手の動きを見てから考えて動けるようになってきた。あとは、場数をこなしていけば、順調に上達していくだろう。ただ――」

 

 教え子の成長を語る教員の面構えで連中の成長を滔々と語ったディアベルだったが、そこで言葉を切り、少し言いづらそうな顔をした。

 

「サチさんに関しては、残念ながら初期との変化はあまり見られない。極端に臆病な性格が災いしてか、ダメージがあろうがなかろうが、敵の攻撃を受けることや逆に攻撃を当てること、言ってしまえば、戦闘行為自体に怯えてしまっているようだ。

 これはオレ個人の意見だが、彼女は前衛には向かないと思う。前衛職足り得るステータスでないことも理由の一つではある。だが、最大の問題は、その臆病さからくる胆力の不足だ。敵の攻撃を受け止め、弾き返す役割を担うポジションにとって、その問題は余りに大きい」

「確かに、敵の攻撃に目ぇ瞑っちまうようじゃ、攻撃を食い止めるなんて出来やしねえもんな。ケイタと相談して、前衛に転向するヤツ変えてやれよ」

「二度ほど、座学の時にそう提案したんだけどね。かなり渋っていたよ。

 どうやら、黒猫団のメンバーの中で、サチさんのメインスキルの熟練度が一番低い、という点が、彼らにとって大きな理由になってしまっているようだ」

「……なんで、メインの熟練度が低いってだけで、サチを前衛に変えたがるんだよ。パラメータなんて、一か月も死ぬ気で頑張りゃ元のスキルと同じくらいにはできるじゃねえか」

「最前線に籠ってる私たちと彼らを一緒にしないの。それに、これはある意味仕方ないこと。ビルドを始めて間もない人は、そうなりやすい」

 

 俺が疑問を呈すると、横から紅茶片手にリーナが応えてきた。今度は口周りに食べカスは付いてない。

 

「今まで自分が鍛えてきた武器カテゴリを新しいものに変えるのは、かなりの抵抗がある。今までの経験したことが通用しなくなるのではという不安の他に、数値的なロスもその原因の一つ。

 このゲームが始まって半年、攻略組ではない彼らは、きっと地道にコツコツと熟練度を上げてきたはず。その苦労をリセットするには、相応の決意が必要になってくる。少しでもそのロスを減らすべくまだ数値の低い者に転向を押し付ける行為は、その善し悪しはともかくとして、一応の理解はできることだと思う」

 

 わかるようなわかんねえような説明だ。俺も曲刀からカタナへとメインスキルを変えてはいたが、あれは最初からカタナが目的だったから、大した未練なんて無かったし。

 ビミョーに納得してない俺とは対照的に、ディアベルはリーナの意見に賛同するように深く首肯した。

 

「うん、オレもそう思う。長い間鍛えてきたスキルに愛着があるばかりに固執してしまうのは、仕方のないことだ。

 とはいえ、黒猫団の皆がもっと上を目指すと言うのなら、今のままではいけない。誰かが前衛に転向するか、あるいは、今のスキル構成のままで前衛の負担を減らす工夫をしないことには――」

「し、失礼します!」

 

 長々としたディアべルの言葉は、突然開いた部屋のドアの音と、その音源の主の声によって掻き消された。見るとそこには愛用の両手棍を持った男、ケイタが息を弾ませながら焦燥に駆られた様子で立っていた。

 

 俺たちの誰かが何があったのかと問う前に、黒猫団のリーダーはその表情と同じくらいの焦りを含んだ声で叫ぶように言った。

 

「サチが……サチがいなくなった!!」

 

 

 

 ◆

 

 

 

<Sachi>

 

 昔から、怖いものが嫌いだった。

 

 猛獣、刃物、銃、妖怪、幽霊。例を上げたらキリがないくらい、私の周りには怖いものがたくさんあった。物や生き物ものばかりじゃない。怒られることとか、罵られることみたいな、人の強い感情も。夜のお墓や鬱蒼とした森のような、気味の悪い場所も。全部怖くて、全部いやだった。

 

 中でも一番いやだったのは「死」だった。

 死んだら私の意識は跡形もなく消え、無意識だけが延々と続く。目覚めることが永久にないという恐ろしい世界に、百年もすれば自分も行くことになる。そう思っただけで足がすくみ、指先から熱が逃げていく。どれだけ陽だまりで生きていても、どれだけ心の壁を厚くしても、決して逃げることはできない。その不可避の運命は、幼い頃から私に大きな恐怖をもたらしていた。

 

 なのに、今、この世界ではそれがすぐ隣にある。

 敵の攻撃を受け損ねれば、恐ろしいトラップに引っかかれば、犯罪者に襲われれば、たちまちHPはゼロになり、同時に現実世界の自分の身体も死を迎える。たかがゲームなのに、一瞬の油断で命が絶たれる。逃れる方法はなく、この世界から出ることもできない。

 

「…………ッ」

 

 思わず抱えた膝に爪を立てる。感じるはずの痛みは、しかしこの世界では存在しない。ただ、薄い爪の先が肉に食い込む感触だけが伝わってきて、それがまた、ここが現実じゃない事、この世界(ゲーム)に囚われていることを思い出させて、堪らなく嫌になった。

 

 最近手に入れたばっかりの『隠蔽』スキル付きのマントを羽織り、講習の休憩時間に訓練所を抜け出した私は、『はじまりの街』の北部のはずれにある用水路の橋の下で小さくなって震えていた。まだ陽は沈みきってはいないとはいえ、もう空の半分は暗くなっている。あと三十分もしたら、すっかり夜になるだろう。そうなれば、ここは誰にも見つからない。

 

 怖いものが嫌いな私でも、不思議と暗闇は怖くなかった。

 何もない真っ暗な場所、目を閉じるだけで自由に行けて、目を開ければ自由に出られる、私だけの小さな世界。その安心感が好きで、私は何かあるとこうして一人でうずくまって自分だけの闇に逃げ込み、不安な気持ちを落ち着けていた。

 

 でも、その姿はきっと、周りから見たらとても陰気に見えるんだろう。この前、あの人にも言われたっけ。確か、根暗、って――

 

「――いい年こいて、家出なんかすんなよ。誰かに一声かけてから出てけ」

 

 突然の声。心臓が飛び出るかと思うくらい、びっくりした。

 

 出そうになった悲鳴をなんとか堪えてから、被ったマントのフードの端からおそるおそる声のした方を見る。群青色と臙脂色、二つの色が混じりあった空をバックにして、男の人が一人、立っていた。襟のないロングコートにブーツ、背中からは粗末な作りの刀の柄が覗いている。しかめっ面の顔とか荒っぽい言葉づかいは、現実世界でケンカばっかりしてる人たちを思い出すからちょっと苦手だけど、そんなに悪い人じゃないってことはこの数日間でわかっていた。

 

 私たちのお守役、一護さんが、用水路の入り口から腕組みをして私を見ていた。

 

「……どうして、こんなところが分かったの?」

 

 強ばる口をなんとか動かして、私は問いかけた。こんな街はずれの、昼でも誰も来ないようなさびれた用水路の橋の影なんて、そうそう思いつく場所じゃないと思ってたのに。

 

「この近くに、昔よく使ってた肉屋があんだよ。だから、この辺の風景は覚えてたんだ。

 それにこの前、視界を真っ暗にすると落ち着くとか言ってただろ。ビビリのお前が外に出るとは思えねえから、いるのは多分街中。そんでこの街の中で、いっつも薄暗い場所っつったら、俺はここしか知らねえ。だからここに来た。そんだけだ」

 

 そう言って、一護さんはツカツカとブーツの踵を鳴らして橋の下に入ってきた。背の高い彼の全身が夕日に照らされ、私には大きな影法師のように見えた。

 

「ケイタたちは迷宮区に探しに行ったぞ。すげえ焦ってた。あのお人好し共に、余計な心配かけてんじゃねえよ」

「……うん」

「うん、じゃねえよ。俺に見つかったんだ、大人しくホームに帰れ。そんで連中に詫びいれとけ」

 

 ほら行くぞ、と一護さんは手を伸ばしてきた。けど、私はその手を首を振って拒んだ。苛立ちを含んだ唸りが聞こえる。

 

「ダダこねんな。とっとと立て。立たなきゃ俺が担いで連れてくぞ」

 

 再び手が伸ばされ、また私はそれを拒む。同じことの繰り返し。

 一護さんはイライラを発散するかのようにガリガリと頭の後ろを掻くと、その場にどっかりと座って胡坐を掻いた。流石に本当に担ぐようなことはしないらしい。もし担がれちゃったらちょっと面白かったかも、と一瞬思ってしまったけど、一護さんが口を開く気配を感じて、慌ててその考えを打ち消す。

 

「……お前、なんで家出したんだよ。戦うことが、そんなに怖いのか?」

「……うん、怖い。とっても、怖いよ。怖くて怖くて、そのままぺしゃんこになりそうなくらい」

 

 そう言って、私はぽつりぽつりと一護さんに本心を吐露した。戦うのが、死ぬのが怖いこと、それが原因で眠れてないこと、時間をかけて、全部を話した。耳が痛くなるような静寂の中で、私の声だけが響いていた。

 一護さんは相槌さえ打たずに黙って聞いていたけど、私が話し終えて口を噤むと、

 

「……それ、今まで他の連中に、言ったことあんのか?」

 

 静かな声で、そう訊いてきた。そんなことは、もちろんない。私ははっきりと頭を振って否定する。

 すると、一護さんは小さくため息を吐いて、こっちを見た。目つきは怖いけど、端正と言える顔立ちが街灯の光に照らされて、少しドキッとする。そんな私の内心を余所に、彼はいつものしかめっ面を作ると、

 

「じゃあ言えよ、それ全部」

「…………え?」

「キツイんだろ? 訓練から逃げちまうくらい、会って一週間もしねえ俺に洗いざらい吐いちまうくらい、シンドくてしょうがねえんだろうが。だったら今言ったことの全てを、黒猫団の連中に話してやれよ。お前一人で背負い込んだところで、どうこうなる問題じゃねえだろ」

 

 まるで、私の心を見透かしたかのような、一護さんの言葉。その言葉に、私の心は大きく揺れ動いた。

 

 確かに、フィールドに出たくない気持ちはすごく強い。こうやって逃げ出して、隠れてなきゃ抑えられないくらいに。もし、それを皆に言ってしまえたら、どんなに心が安らぐだろう。甘美な安穏に、私は心底魅かれていた。

 でも同時に、その罪悪感には耐えきれそうになかった。皆を危険なフィールドに送り出しておいて、自分は安全な圏内にいたい。そう訴えることが、どれほど自分勝手で、どれだけ卑怯なことか、考えなくてもわかった。安穏の対極に、自分の罪を恐れる気持ちがとぐろを巻いた。

 

 二つの気持ちがせめぎ合い、でも、でも、とうわ言のように繰り返す私に、ついに一護さんがキレた。胡坐を崩して立ち上がり、うずくまる私の正面に仁王立ちになる。そのまま壁を破らんばかりの勢いで、私の頭上に右手を叩きつけた。紫色のエフェクトが散り、一護さんの激情に満ちた顔を暗く照らした。

 

「一人でなんもかんも抱え込んでんじゃねえ!! テメエのその不安も恐怖も、仲間に受け止めさせろよ!! 一人じゃどうしようもねえモンが山ほどあるから、仲間ってのがいるんじゃねえのかよ!!」

「でも……でも、そんなこと言ったら、きっと皆に、仲間に嫌われる……どうしようもない臆病者だってからかわれて、一人だけ逃げるのかって怒られて……それで……っ!」

「思ってもねえこと言ってんじゃねえ!!」

 

 ろくに考えもせずに発せられた私の言葉は、その何十倍もの強さの否定で消し飛ばされた。壁に突いていた一護さんの手が動き、私の胸倉を思いっきり掴む。

 間近に引き寄せられた彼の顔はとてつもなく険しくて、怖くて、でも何故だか、目を逸らすことは出来なかった。強烈な意志の籠ったブラウンの瞳から、一ミリたりとも視線を外せない。その目の輝きは怖くはなく――むしろ、煌々と輝く満月のように、まぶしくて、きれいだった。

 

「テメエの仲間ってのは、そんなことで人を嫌うような奴らなのか!? ケイタが、テツオが、ササマルがダッカーが、必死こいて明かしたテメエの本心を鼻で笑うような奴らだと、本気で思ってんのか!? ちげーだろ!! そんな風に思ってる奴らと半年もツルんでられる程、テメエの面の皮は厚くねえだろうが!!」

 

 マントの襟を掴む彼の手に、一層の力がこもる。ギリギリという音を立てて軋むのは、果たしてマントか、それとも――今までずっと張ってきた、私の心を覆うバリアか。

 

「どんだけ足を引っ張ったって、どんだけ壁作ったって、テメエが信じたアイツらは、テメエを信じるアイツらは、仲間の本心も受け止めてやれねえようなクズじゃねえ!! それは他でもない、テメエ自身が一番わかってるはずだろうが!!  

 例え自分が弱くても、戦いから逃げちまおうとも――仲間を信じることからは、絶対に逃げるんじゃねえよ!!」

 

 一際強い彼の声が橋の下に響き渡り、ゆっくりと静まっていく。それに合わせるかのように彼の手に籠った力が抜けていく。やがてその手が離れるのと同時に、私はそのままぺたりと地面に座りこんだ。壁を射抜き、心の芯まで叩き込まれた彼の声は、私から立ちあがる力さえも奪っていた。

 

 立って私を見下ろす一護さんと、座ったままぼうっと虚空を見る私。二人そろってしばらくそのまま動かないでいたけど、やがてどうにか口を動かす力は出てきた。震える唇を今までにないくらい必死で動かして、出ない声を絞り出すようにして、私は一つの問いを投げる。

 

「……私は……私は、戦いから逃げても、いいのかな……? なんの役にも立ってない私が、一人で逃げて、生きてもいいのかな……」

「当たり前だろ。俺もアイツらも、嫌がる女を戦線に引っ張り出して喜ぶシュミは持ってねえ。そんな奴を連れて戦うより、安全なとこで大人しく待っててもらう方が百倍気が楽だ」

 

 それに、と一護さんは付け加え、しかめっ面で私を見る。眉間に皺の寄った不機嫌そうな表情は、もう怖くなかった。むしろ、意地を張ってるみたいで、ちょっと面白いかも。

 と思っていたら、不意に一護さんの顔に笑みが浮かんだ。初めて見た彼の不器用な笑顔に、喉の底、胸の奥が締め上げられるような感じがして、

 

「もしお前が危なくなったら、黒猫団の連中が、リーナが、俺が、必ず護ってやる。だから大丈夫だ、安心しろ」

 

 その言葉で、私の中の何かが弾けた。

 

 涙が一気に溢れ、視界がめちゃくちゃに歪む。両手で目を覆う直前、一護さんの慌てたような顔が見えた気がしたけど、もう堪えきれなかった。

 

 このゲームが始まって以来、いや物心ついて以来初めて、私は声を上げて、思いっきり泣いた。




感想やご指摘等頂けますと、筆者が欣喜雀躍狂喜乱舞致します。
非ログインユーザー様も大歓迎です。

というわけで、壁ドン一護の説得によって、サチの戦線離脱の意志が固まりました。
男四人になる黒猫団の戦闘チームですが、どうなっていくかは次話で書きます。

ちなみに余談ですが、フィールドに出ていない三日間、一護たちの給料はガッツリ削られています。お守してませんからね。リーナがご立腹です。

次話で黒猫団内のバランスの悪さに対する解決策(?)が見つかります。あと、多分キリト登場です。

次回の更新は来週火曜日の午前十時を予定しております。

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