Deathberry and Deathgame   作:目の熊

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お読みいただきありがとうございます。

三十二話です。

後半部にリーナ視点を含みます。
苦手な方はご注意ください。

宜しくお願い致します。


Episode 32. The End of Imagination

「……記憶の映像化に、自動防御、だと……?」

 

 茅場が告げた二つの真実、それに俺は驚愕した。

 

 記憶を引き抜かれてるってのは俺の読み通りだった。十九層のボスの姿。俺が見知った虚や死神の技に似たスキル。六十一層で使われた空中歩行。その存在はやっぱり偶然なんかじゃなく、カーディナルの仕業だったんだ。

 

 だが、それを映像化され、茅場にまで見られているとは思わなかった。今まで経験したすべての事、おふくろが死んだ時の記憶、ルキアや井上を助けに行った記憶、尸魂界で、虚圏で、空座町で戦ったすべての記憶を、茅場は盗み見やがったんだ。

 

 他の連中とかけ離れているであろう俺の記憶を、コイツはどんなことを考えながら見ていたのか。

 

 研究資料として、生真面目に見た?

 

 映画のように、気晴らしに眺めた?

 

 アニメかなんかみたいに、笑顔で鑑賞した?

 

 どれであっても、俺はコイツを許せる気がしねえ。元からそんな気なんざなかったが、今のでさらに深くなった。殴るどころじゃ気が済まねえ。速攻で叩っ斬って、この世界から叩き出してやる。

 

 けど、それを阻むのが、二つ目の真実。奴の持つ「自動防御」の存在だ。

 

 確かに、最後の一撃を防いだとき、アイツは俺の方なんて見ちゃいなかった。本当に反応できなかったのかまでは知らねえが、それでも後ろを見ることなく斬撃を防いできた以上、その「自動防御」ってのは本物の可能性が高い。

 タダでさえシステム的不死のせいで攻撃が通らねえってのに、これじゃヤツに剣を当てることもできないじゃねえか。苛立ちが腹の底からぐつぐつと湧き立ち、食いしばった歯を軋ませる。

 

「……死神代行、黒崎一護君。君は本当に興味深いプレイヤーだ。私が見た記憶の断片の中の君もそうだが、この世界に来てからの行いについてだけでも、私の関心は尽きないよ」

 

 余裕のつもりか、さっきまでの無表情の上に微笑を重ね、茅場は言葉を続けた。

 

「本来回避どころか視認すら不可能な速度の攻撃を防ぎ、如何なる防御も絶妙な剣捌きで潜り抜け、そしてどんな逆境でも闘志を絶やさない。

 こう言うとなにやら物語の勇者のようだが、私にとって一護君とは、まるでジョーカーのような存在だと思っていたよ。管理者であるはずの私の掌からはみ出し、思いもよらない事をやってのける。柄にもなく理屈ではない感情で、私はそう感じていた」

 

 そして、その考えは正しかった。どこか満足そうな表情で、茅場はそう付け加える。

 

「最初に興味を覚えたのは、ソードアート・オンライン開始から二千時間後、十九層の攻略が開始された時、新規プログラムの被験者としてカーディナルが君を選んだときだった。

 事実は小説よりも奇なり、という言葉があるが、ならばネット上の伝承だけではなく、生きた人間であるプレイヤー諸君の体験を基にすれば、より波乱に満ちた物語を生み出せる。そういった発想から、クエスト自動生成プログラムをベースとして、人体の記憶解析とゲームへの転用を目的にした『メモリー・リアライジング・プログラム』が作成された。

 プログラム始動から五十時間かけてカーディナルは全てのプレイヤーの記憶をスキャンし、その中で最初に君がクエスト生成のための記憶提供被験者第一号に選ばれたというわけだ。

 以降、ゲームが進んでいく中でもカーディナルは事あるごとに一護君の記憶を読み、クエストのみならず、この世界のあちこちに君の記憶から引き出した情報を組み込んでいったよ。まるで、君の記憶に魅入られたかのようにね。私はそのことに気づき、カーディナルが参考にした記憶の一部を映像化して再生した。その内容に更なる好奇心を刺激され、以来、私はカーディナルを止めることなく、ただ君の記憶片がこの世界へとしみ込んでいくのを見守っていたのだ。

 だがまあ、その結果として、こんな形でボロを出すはめになってしまうとはな。

 ここのボスはクォーターポイントの守護者として他のボスよりも各種ステータスを強靱に設定したのだが、攻撃パターンは全て直接攻撃に限定し、あのような範囲攻撃は設定しなかったはずだ。しかし、君が咄嗟に回避警告を飛ばしてきた点を考慮すると、あれも君の記憶の産物である可能性が高い。つまり、最後のあの閃光は、君の記憶が生んだ一撃とも言い換えることが出来そうだね」

 

 ならば、その一撃で私の不死属性を暴露したことに対し、君に報酬を与えようではないか。

 

 そう言って、茅場は右手の剣を地面に突き立てた。澄んだ音が空気を裂き、茅場の声だけが響いていたこの広間に反響する。

 

「一護君。君にチャンスをあげよう。今私とここで一対一で戦うチャンスだ。無論、不死属性は解除する。システムによるオーバーアシストも封印すると確約しよう。

 もし拒むのであれば、私はこのまま最上層にある『紅玉宮』にて君たちの訪れを待つことにする。しかし、もし君が今の私に勝てばゲームは即時クリアされ、全プレイヤーがこのゲームからログアウトできる――どうかな?」

 

 その顔には、俺を試すような笑みが浮かんでいた。突き立てた剣の柄に手を置き、真鍮色の瞳で俺を見てくる。

 

「……どうかな、だと?」

 

 意識しなくても、いつもより数段低い声が出た。

 右足が一歩、前に出る。下ろしていた刀の切っ先が上がり、茅場へと突きつけられる。

 

「フザけんじゃねえ……!」

 

 多分この世界に来て、一番デカい怒りを俺は感じていた。

 

 今まで俺たちが必死で戦うのを傍から眺め。

 

 何千人もの人を殺し。

 

 今なお残る連中を、この鉄の城に縛り付ける。

 

 挙句、自分だけは死なないようにシステムに保護され、それがバレたから逃げるついでに、自分と対等な条件下で戦うチャンスを「くれてやる」だと……!? どこまで上からもの言えば気が済むんだよ殺人犯が!!

 

 煮えたぎる激情を隠すことなく、俺は真っ直ぐに茅場を睨みつけ、腹の底から叫んだ。

 

「そんなモン、受けて立つに決まってんだろうが!! これ以上、一分一秒だってテメエに喋らせるのはガマンならねえ! アンタを斬って、俺は、俺たちは現実に帰るんだ!!」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 俺たちの戦いに巻き込まれて仲間が負傷しねえようにしたい。

 

 俺の要望に応えたヒースクリフが即席で召喚した半透明の柵の囲いの中に、俺は麻痺に倒れた連中を全員移動させた。最後にリーナを抱えて柵の内側へと下ろし、俺はまた外側へと戻る。その直後、開いていた入り口が閉じ、今回のボス戦で生き残った奴の内、俺とヒースクリフを除く二十人が隔離された。

 

「な、なあ一護……お前、本当にやるのか?」

「当たり前だろ。同じことを何度も言わすんじゃねえよ」

 

 麻痺が解け、ゴッツイ顔を心配そうにひそめるエギルに、俺は呆れた声で答える。いつもみたいに減らず口を叩いてくれた方がまだ楽だってのに、なまじ俺の身を案じてくれてるのが伝わってくるモンだから、やりづらいったらありゃしねえ。チャドみてえに「気を付けろよ」って一言だけで十分だってのによ。

 

 他の連中の面も、そう大差ない。

 未だ状況を飲み込めきれてない戸惑いと不安が半々って感じの表情で、柵の内側から俺を見ている。

 

「心配すんな。そう長々とやり合うつもりはねえよ。とっとと斬って、それで終いにする」

「で、でもよおイチの字、もし、もしおめえが負けちまったら……」

「負けねえよボケ」

「ぅごっ!?」

 

 趣味の悪い柄のバンダナの下の目を伏せるクラインを、俺は柵の隙間から刀ごと腕を突っ込み、鎖坐切の柄尻で顔面を小突いた。

 

「俺は負けねえ。勝たなきゃいけねえなら勝つ。そんだけだ。ミスったときのことなんか、知ったこっちゃねえよ。

 それに、目に見えてるわけでもねえ未来に怯えてここから逃げれば、きっと俺は一生後悔する。戦う前に諦めて、敗北にビビって逃げた俺を、明日の俺は笑うだろうしよ」

「おめえ……」

 

 目を見張り、二の句を継げずにいるクライン。なんとか言葉を絞り出そうとする奴を、横から出てきた手が押し退けた。

 

「……一護」

 

 俺の名を呼び、リーナが真っ直ぐにこっちを見上げる。その顔は相変わらず無表情だったが、それはいつもとは違う、色んな感情がせめぎあった結果生まれた表情のように見えた。

 

 二年間憎悪し続けた相手を目の前にした怒り。

 

 そいつに手を出せない悔しさ。

 

 ……そんで多分、俺を一人で戦わせることへの、微かな不安。

 

 それら全部を押し殺し、平静を保っているように俺には感じられた。揺らぐ内心を制し、俺に余計な負担をかけまいとする気遣いさえ伝わってくる。

 

 だから、俺はいつも通りの態度で、リーナに言葉を返した。

 

「リーナ、俺は大丈夫だ。必ず勝つ。勝ってこの世界から出る。そんで、憎たらしいアイツをぶん殴る。二年前、お前と交わした約束を果たせるときが、やっと来たんだ」

「……うん。分かってる。分かってるよ、一護。分かってる」

 

 まるで自分に言い聞かせるように、リーナは「分かってる」と繰り返した。そのままそっと目を閉じ、手にした短剣を祈るように掲げる。

 

 と、その横から一振りの剣が突き出された。

 見ると、キリトが手にした直剣を俺に向けて突き付けていた。剣と同じ、真っ黒い瞳が俺を見ている。

 

「行けよ、一護。行ってアイツを斬ってこい。本当は俺が戦いたいとこだし、お前に任せるのはちょいと悔しいけどな」

「キリト……」

「勝ってこい、勝ってこの世界を終わらせてくれ。肩書きだけじゃない、お前が、アインクラッドにとって本当の『死神』になってくれ!!」

「……あぁ、必ず」

 

 俺は短く答え、突き出された黒い剣に鎖坐切を重ねる。ギンッ、という澄んだ音が、湿っぽい空気を切り裂くように響き渡る。

 

 と、その上から純白のレイピアが重ねられた。

 

「そうだね、こうなったらもう、貴方に任せるしかないもの。

 勝ってね、一護。貴方ならきっと、ううん必ず、この世界を終わらせられるから」

「アスナ……」

「……へっ、仕方ねえ。そんじゃあいっちょ、俺もおめえの勝ちに賭けてやる。ヘマやって負けんじゃねえぞ、イチの字!!」

 

 さらにその上に、いつもの調子に戻ったクラインの刀が合わさり、

 

「最後の大勝負だ。男見せろよ、一護!!」

 

 そのまた上に、エギルの大斧が乗っかる。

 

 それだけじゃない。

 あちこちから「死ぬなよ!!」「勝ってくれ!」「負けるな、死神代行!!」という声が響く。皆が武器を天に向けて突き上げ、声を枯らさんばかりに激励を叫ぶ。

 

 そして、最後にリーナが短剣を突きだし、キリトたちの武器に埋もれた俺の刀に、そっとぶつけた。

 

「……いってらっしゃい、一護。貴方が勝つって、私は、信じてるから」

 

 そう言って、リーナは柔らかい笑みを浮かべる。さっきまでの複雑な感情は消え、今はただ、迷いなく俺を信じているのが伝わってきた。

 

「――あぁ。いってくる!!」

 

 俺は堂々と言葉を返し、音高く刀を引き抜いた、ギャリンッ! という甲高い金属音が、俺の心の芯まで響く。

 コートの裾を翻し、後ろを振り返ることなく、俺は真っ直ぐに茅場の待つ広場の中央へと歩いていった。感情の読めない顔付きで俺たちを見ていた奴は、俺が歩み寄り十メートルほど手前で立ち止まると、ごくわずかに微笑んだ。

 

 俺は鎖坐切を中段に構え、自然体で立つ聖騎士を睨む。

 

「待たせたな。始めようぜ、茅場」

「よかろう」

 

 茅場は頷くと、指を虚空へと走らせた。同時に俺たちのHPゲージが減少し、同じ長さに揃えられた。小攻撃でもせいぜい四、五発、強攻撃のクリーンヒットなら、一撃で持って行けそうな量だ。

 

「……最後に、一つだけいいか?」

「何かな?」

 

 表情をピクリとも動かさず続きを促した茅場に、俺は問いかける。

 

「アンタはどうして、こんなことをやったんだ。偽物の世界作って、何の罪もねえ一般人を一万人も閉じ込めて、何千人も殺して、それでもまだ観賞することに、アンタは何の意味を見いだしたんだよ」

「その答えが、これからの勝負に必要かね?」

 

 簡潔で、愛想の欠片もない返答だった。

 

 茅場の冷たい金属のような目と、俺の目がピタリと合う。そこに回答の意志はなく、ただ機械みたいな無機質な光が宿っていた。

 

「……ちぇっ。答える気なしかよ」

 

 吐き捨てるようにつぶやいてから、刀を握る手に力を込める。柄についた鎖が揺れ、チリチリという音が微かに鳴った。それに合わせるかのように茅場は突き立てていた長剣を引き抜き、盾の影に隠すようにして構える。

 

 凍てついたような静けさが周囲を圧し、それに呼応するみたいに、思考が限界まで鋭化していく。浦原さんに初めて「斬る覚悟」を教わったときのように、恋次と戦ったときのように、自分の気配が静かに、けど重くなっていくのが分かった。

 

 互いが武器を構えた残響が消え、辺りに完全な静寂が満ちた、その瞬間、

 

「――行くぜ。茅場晶彦!!」

 

 俺は縮地を発動。一瞬で距離を詰め、盾を構える茅場へと斬りかかった。

 

 初撃を盾で止められ、続く斬撃はバックステップで躱された。即座に短距離縮地で追いすがり、盾の届かない左脇から斬り上げを叩き込む。今度は自動防御に止められ、赤い火花を散らすだけに終わった。

 

 だが、ひるむ暇はない。縮地を発動した以上、戦闘限界は残り二分フラット。その間に決着がつかなきゃ、俺の負けが確定する。刀を振るう腕を、地を蹴る足を止めることなく、俺は全力の速度と力で茅場へと攻撃をブチ込み続ける。

 

 背後に回り込み、胴を薙ぐように一閃。自動防御で危なげなく防がれるが、ためらわず跳躍、茅場の真上へと跳び、

 

「――《残月》!!」

 

 斬撃を飛ばした。

 

 しかし、今度もまたイージスが作動。蒼い三日月が、真紅の盾の前に散る。ダメージは欠片も通っていない。

 

 俺の着地する瞬間を狙って、茅場が剣を鋭く突き込んできた。首を強引に捻って避けたが、髪に掠った。HPバーが僅かに削れ、色が赤く染まる。続けざまに振るわれる凶刃を弾き飛ばし、距離を取ることなく縮地で死角に入り込み、反撃を仕掛けていく。

 

 だが、いくら縮地で横や後ろへと回り込もうと、嵐のような乱撃を叩きつけようと、イージスの盾は確実に俺の刀や打撃を防いでくる。時たま鋭い反撃が飛んできて、際どいところを掠めていく。自分の縮地で相対的に速度が上がったそれを躱し、受け止めつつ、俺は沸騰する思考回路を懸命に働かせた。

 

 ――やっぱり、コイツの自動防御ってのは本物だ。

 

 左右後ろ、真上から下段攻撃まで、完璧に防いできやがる。

 

 《残月》を放ってから縮地を使って、疑似的な挟み撃ちを仕掛けても、盾が同時出現してあっさり防がれた。貫通ダメージも全くねえ。

 

 だが――。

 

「っらぁ!!」

 

 右側ギリギリ、盾のカバー範囲の一番外のラインに、刺突を叩き込む。茅場は盾を強振することでそれを防ぎ、素早く翻身してこっちに向き直った。件の盾は、出てこない。

 

 だいたい掴めてきた。

 

 真正面、いや、こいつの盾が届く範囲でなら、イージスの盾は出てこねえ。

 自動防御ってのが本当なら、わざわざ俺の攻撃位置に応じて自分の意志で出したりひっこめたりしてる可能性は低い。それが出来るなら、キリトにあと一歩で敗北しそうになることも、虚閃をモロに受けて正体をバラすこともなかったはずだ。

 

 つまり、こいつの自動防御(イージス)には、()()()()がある。

 

 おそらく、盾の初期位置から腕だけを動かしてカバーしうる範囲を超えた場所に俺が攻撃を仕掛けたとき、イージスの自動防御が発動する。逆に言えば、コイツの盾が届く範囲になら、あの赤い盾は出現しない。

 そして、茅場はその範囲以外への警戒を意図的にシャットアウトすることで、俺の縮地を使った攻撃に確実に反応できるようにしている。騎士らしい「正々堂々正面からの攻撃」以外を受け付けない、正面戦闘を強いるスキル。それがイージスの意味ってヤツだろう。全く、騎士にしちゃあズイブンとセコい能力だ。

 

 けど、それだけに脅威だ。

 意識を自分の正面だけに集中してるだけあって、俺の斬撃は全て防がれる。繰り出されるカウンターも、段々危ないトコを突いてくるようになっている。このままじゃ、いずれ俺の身体にクリーンヒットがブチ込まれる。

 

 考えろ、考えるんだ。

 今まで見てきたコイツの戦い。付けてきた自分の戦闘技術。持ってるスペック。それら全部をつぎ込めば、どっかに道はあるはずだ。

 

 どこかに必ず、奴の防御を躱す方法が――。

 

 防御を、躱す?

 

 ――それだ!

 

 閃きに従い、連撃の手を止め縮地で一度距離を取る。代わりに刀を掲げ、

 

「――【恐怖を捨てろ。『死力』スキル、()()】」

 

 HPがレッドゾーンに入っているとき限定の自己強化スキル、『死力』スキルを発動した。途端、青白い光の奔流が全身を覆いつくし、同時にカウントダウンのタイマーが出現する。

 

「――ぁぁぁぁあああああアアァッ!!」

 

 咆哮と共に俺は正面から全力の斬撃を叩き込んだ。当然盾で止められるが、それでいい。跳ね上がった速力をフル活用して刀を即座に返し、次々と盾へ、その一番外側へと猛然と連撃を浴びせていく。

 

「――くっ」

 

 茅場の表情が、わずかに曇る。

 

 そりゃそうだ。今の俺の斬撃は、ソードスキルに迫る火力を持つ。そんなモンを高速で、しかもダメージ軽減率が一番低い盾の最外部分にくらい続ければ、一撃ごとに貫通ダメージを被ることになる。

 

 軽減率の最も高い中央部で受けようと盾を捌く奴の動きを先読みし、その一手先に刃を走らせる。一度も身体に刃を受けていないにも関わらず、少しずつ、少しずつだが、茅場のHPが減っていく。その表情の歪みが深くなったその瞬間、俺は作戦成功を確信した。

 

 ――そうだろ、焦るよな?

 

 盾の側から攻撃を続けられれば、お前は反撃を仕掛けられないし、貫通ダメージは自動防御じゃ防げない。

 

 このまま時間内にHPを削りきれるかは分かんねえが、可能性がゼロじゃないことは確かだ。そして、その制限時間は、俺にしか見えてねえ。

 

 この不安定な現状を打開するべく取る行動。

 

 その中で、最も可能性が高いのは――。

 

「ぬんっ!!」

 

 ――()()()()()()()!!

 

 普通に出されれば間違いなく意表を突かれていたはずの一撃。けど、それが確実に来ると予想できてれば、躱すのは容易い。そして、この攻撃の瞬間だけ、奴の十字盾の物理防御が完全に消失する。

 

 今までの死神式(ゴリ押し)からSAO式(テクニック)に思考をスイッチ。水平に構えられ、迫りくる盾の先端を大きく屈むようにして回避しつつ滑り込み、

 

「セイッ!!」

 

 鎖坐切で、盾を真下から斬り上げた。

 

 盾の軌道をそらされ、体勢が上ずった茅場の胴に、明確な隙が出来る。

 盾を引き戻すことも、剣で迎撃することも、身体を捩って自動防御の感知範囲を持ってくることも間に合わねえだろ。

 

 ――もらった!!

 

 勝利を確信し、トドメの一撃を見舞おうと刀を振り――。

 

 ……突如、ガクンッ、と停止した。

 

 視界の端で、盾の持ち手を掴んでいたはずの茅場の左手が、俺の刀の切っ先を鷲掴みにしているのが見えた。タイミングを潰された俺の動きが止まる。

 

 その隙を、コイツが逃がすハズが、なかった。

 

「……さらばだ、一護君」

 

 数瞬前に俺が浮かべていたはずの、勝利を確信した笑みを湛えて、朱い輝きを纏った茅場の長剣が突き込まれてくる。

 

 太刀行きが速い。俺が刀の制御を奪い返すのも、手放して反撃の拳を叩き込むこともできない。素手で受け止めても、今の俺のHP残量じゃ確実に死ぬ。視界の端の縮地のゲージも、死力スキルのタイマーも、あと四十秒足らず。武器を捨てた状態で、たった三十数秒で勝てる相手じゃねえ。

 

 致死の一撃への打開策が思いつく前に、奴の剣閃が硬直した俺の胸へと迫り――。

 

 ……ダメだ。

 

 俺は、俺が勝つと誓ったんだろうが。

 

 自分の魂に、後ろの仲間に。

 

 ここで負けるわけにはいかねえんだよ!

 

 

 突きの速度は速いが、まだ見切れる速さだ。

 

 そして刺突は威力が高い分、軌跡が直線的になる。

 

 だったら、普通に防げないってンなら……。

 

「敗けるかああああああアアァァァッッ!!」

 

 ()()()()叩き潰せばいいじゃねえか!!

 

 ほぼ垂直に放った俺の蹴りが、突き込まれてくる茅場のシンプルな長剣の根元、唯一装飾が施されて細くなった部分へとピンポイントでブチ当たり、そのまま真っ二つにへし折った。

 

 攻撃判定が存在しない技の出始めに脆弱部位に強烈な打撃を当てることで武器を壊す。キリトの十八番でもあるシステム外スキル「武器破壊(アームブラスト)」は、見事に茅場の剣を粉砕せしめていた。

 

 柄だけになった剣を見て、今度は茅場から勝利の笑みが消え失せた。目を限界まで見開き、今までで一番はっきりした感情――明確な驚愕――を浮かべている。

 

「馬鹿な……有り得ん。動きを制限された状態で、かつこのタイミングで弱点部位を体術で打撃し武器破壊を成功させるなど……どれ程の技、いや、どれ程の低確率を以ってすれば可能な……」

「……わかんねえだろうさ。テメエ一人の勝手で、他人を自分の世界に閉じ込めて喜んでるアンタには、絶対にわかんねえよ」

 

 呆然と立つ聖騎士の男を、俺は真っ直ぐに睨み付ける。

 

「言ったはずだ。俺はテメエを倒す。そのために俺は強くなって、ただこの瞬間のためだけに、俺はここに来たんだ!」

「くっ……!」

 

 俺の突きだした拳を防ぐため、咄嗟に茅場は刀を放して盾を引き戻す。握り締めた拳骨が硬い盾の中心を叩き、鈍い音を響かせる。

 

 それに構うことなく、俺は刀を振るった。揺らぐ茅場を追い詰めるように、残る数秒に全てを賭けて。

 

「テメエを倒す! 必ず勝つ! 勝って生きる!!」

 

 斬り払い、突き出し、振り抜く。

 

 限界を超えて、自分を加速する。

 

 焼き切れそうな自分を押して。

 

「そして、リーナを! 攻略組を!

 この世界に囚われた全ての人を助け出す!!」

 

 全力の袈裟斬りが盾を抉ったその瞬間。

 

 ついに、茅場のリズムが崩れた。

 

 盾が一拍遅れた、その半瞬を逃さねえように。

 

「何千の命を背負った俺が、テメエ一人に――」

 

 俺は刀を閃かせて盾を弾き飛ばし、返す刃で、

 

「敗ける訳にはいかねえんだよ!! 茅場晶彦!!」

 

 

 茅場の身体を、斬り裂いた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

<Lina>

 

 一護がヒースクリフを、いや、茅場を斬った。

 

 その瞬間、視界が真っ白に染まり、気が付くと、私はあの薄暗い広間ではなく、燃えるような夕焼け空の中に立っていた。

 

 足元は透明な水晶のような板。それは何にも支えられることなく宙に浮いていて、かつて六十一層で散々練習した時に感じた、浮遊感と安定感の両立したような、不思議な感覚をもたらしている。遠くには無数の雲がたなびき、時折吹く風に押されるように、ゆっくりと流れていく。

 

 辺り一面は彼方に沈む太陽の閃光で焼き尽くされたかのように、赤く、朱く、紅い。上を見上げれば、そこは赤というよりも夜の闇と昼の太陽が混じったような紫色で、そこから流れるように暖色へとグラデーションが続いていく。

 

「……あ」

 

 その中程にあったオレンジ色を見つけ、私は小さく声を漏らした。まるで彼の髪のような、派手で、優しい、橙の色。

 

 その美しさに思わず見とれていると、

 

「――よぉ」

 

 不意に真横から、ぶっきらぼうな声がした。視界の端に、黒いコートが見える。

 

 ゆっくりと、私は顔を上げた。視線の先にあったのは、この二年で見慣れた、けど、いつ見ても胸が高鳴る、端正な顔。いつものしかめっ面の中でブラウンの瞳が宝石よりもきれいに輝き、かすかに吹く風に煽られて空と同じ色の短髪が陽炎のように揺らめいていた。

 

「……お疲れさま。勝ったね、一護」

 

 見事に激戦を制した大切な人へ、私は微笑みと共に労いの言葉を贈った。一護は微かに笑みを浮かべ、あぁ、とだけ返してきた。ただそれだけのやり取りで、私の心が満たされていくのが分かる。

 

 一護の方にちゃんと身体を向け直して、私は少しからかうように言った。

 

「最後の方、かなり危なかった。私との約束破られるかと思って、ヒヤッとしたんだから」

「うるせえな。ちゃんと勝ったんだからいいじゃねえか」

「よくない。あんな無茶苦茶な迎撃して……私の心臓に多大な負荷をかけた責任、ちゃんと取ってもらうから」

「なんか理不尽じゃねえか? それ。ああしなきゃ防げなかったんだから、しょうがねえだろ」

 

 ムスッとした表情で一護が返す。ちょっと拗ねたようなその顔を見ていると、また笑みがこみ上げてくる。この人のおかげで、私は何度こうして笑えたんだろう。現実世界では表情を変えることなんて、滅多になかったのにな。

 

 感慨にふけりながらふと下方を見たとき、私は思わず、あっ、と声を出した。

 遥か先まで続く夕焼け空、その中に、円錐形の先端を切り落としたような形状の、鈍色の物体が浮いていた。いくつもの層が積み重なって形を成しているそれは、よく見ていると、下の方から無数の瓦礫となって崩れ、その下の闇の渦へと吸い込まれていくところだった。

 

「アレは……アインクラッド、か?」

「……ん。多分、そうだと思う」

 

 一護と共に、私は崩れゆく鋼鉄の城を眺めた。

 この二年間、私たちが囚われていた、牢獄のような浮遊城。その死に行く姿を見ていると、何故か歓喜以外の複雑な感情がこみ上げてくる。あそこにいたことで失ったものも多いけど、得たものもある。それ故の、感傷なんだろうか。

 

「……にしても、ここは何なんだよ。俺が勝ったんだし、アインクラッドはああやって壊れてるし、とっとと現実に帰れるんじゃねえのかよ」

「その処理は、今行っているところだ。現在、SAOメインフレームの全記憶装置でデータの完全消去作業を行っている。あと十分でこの世界の全てが崩壊する。今はその終焉までの猶予時間だ」

 

 少し離れたところから、声が聞こえた。一護のものではない、男の声だ。

 

 見ると、そこには二十代後半とおぼしき白衣姿の男性が立っていた。線の細い、鋭角的な顔立ちは、かつて血盟騎士団を率いたあの紅の騎士に、よく似ていた。

 

「……茅場、晶彦」

 

 一護が静かに、その男の名を呼んだ。

 

 茅場は私たちをちらりと見やると、崩壊するアインクラッドへと視線を戻した。相変わらずその表情からは感情が読めず、自分の創り上げた世界の最後を看取る感傷や悲哀の色は、微塵も見えなかった。

 

 と、不意に一護が動き出した。黒い襟なしコートの裾を翻し、ズンズンと大股で茅場へと近づいていく。

 

 そして、佇む白衣の男の胸倉を掴むなり、

 

「ォラァッ!!」

 

 拳骨を顔面に叩き込んだ。ゴンッ!! という鈍い音が響き、茅場の痩身が前に傾ぐ。

 

 私も一護に習い、すたすたと茅場に接近する。途中、すれ違う一護とバトンタッチするかのようにパチンッ、と掌を打ち合わせ、それから拳を作って、

 

「セイッ!!」

 

 前傾していた茅場の顔面目掛けて、渾身のアッパーを叩き込んだ。

 無抵抗の茅場は私の殴打の勢いのままのけぞり、そのまま仰向けに倒れ込んだ。現実だったら確実に鼻っ柱がへし折れ、鼻血が噴出しているところだろう。最も、この男のしでかしたことに比べたら、顔面粉砕骨折でも物足りないところではあるけど。

 

「……現実に帰るのと順序が逆になっちまったが」

「うん。とりあえず、悲願の目標達成」

 

 一護と顔を見合わせ、互いに頷く。この場でちゃんと痛覚が働いてれば言うことなしだったんだけど、その分は現実に戻ったら、裁判官がちゃんと与えてくれることだろう。死刑という名の、法の鉄槌で。

 

 茅場は倒れたまま動かない。目を覆うように顔に載せられた腕のせいで、その表情もよく見えない。夕焼けに照らされ、ピクリとも動かず腕で表情を隠すその姿は、どこか抜け殻のように空虚だった。

 

「……生き残った連中は、どうなった」

 

 静かな怒りを孕んだ声で、一護が問う。

 

 対して、しばしの沈黙を経てから、茅場は答えを返してきた。

 

「先ほど、生き残った全プレイヤー、七一六四名のログアウトを確認した」

「死んだ奴らは?」

「彼らの意識が現実世界に戻ることはない。死者が消え去るのは、どこの世界でも一緒さ」

 

 ブチッ、という何かが切れる音が、聞こえたような気がした。脳内が突沸し、視界が夕焼けの色よりも赤色に煮えたぎるのが分かる。

 

 怒りに任せ、私が言葉をぶつける前に、一護が動いた。倒れた茅場の襟をわし掴みにして持ち上げ、思いっきり水晶の床へと叩きつけた。さっきよりも鈍い音が、際限なく続くこの空間に響き渡る。

 

「フザけんなよ……なにが『どこの世界でも一緒』だ!! こんな、テメエの勝手で作ったハリボテの世界で、他人の都合で閉じ込められて、現実を失って、それでも必死に生きた奴らの命を三千も奪いやがって!!」

 

 破れんばかりに白衣の襟を捻じり上げ、一護が茅場の上体を引きずり起こす。ここまでされても、茅場には反応らしいものは一切ない。

 

「今一度訊くぜ、茅場晶彦。なんでテメエはこんなことをしたんだ!! 七千人の現実と三千人の未来を奪ってまで、この世界を作って、観て、一体そこに何の意味があったんだよ!!」

 

 絶叫とも言えるほどの一護の言葉が、さきほどの鈍音が消えたばかりの空間に満ちる。遮るものがないためにその残響は虚空に溶けるように消え、代わりに私の鼓膜の内側にだけ浸透していった。

 

 やがて、茅場は今まで閉じていた口を少しだけ開き、目を覆っていた腕をどけた。無感動な視線が、激情に燃える一護のブラウンの瞳と交錯する。

 

「……この世界を作った意味、か。私も長い間忘れていたよ。あの鉄の城を、現実世界のあらゆる枠や法則を超越した世界を創ることだけを欲し、そこに意味を求めることなど、とうの昔に止めてしまっていた。

 だが、君に出会い、その記憶を見せてもらったことで、私は私の世界をも超越した世界を知ることが出来た。理不尽な力に傷つき、大切なものを失い、それでも尚誰かを護るために戦いつづける君の生き様は、とてもとても美しかった。そして、同時にこうも思った。これほどの世界を生きた者ならば、いつか必ず私の世界を超えていくだろう。死神代行の名を背負い、幾多の戦いを勝ち抜いた君なら、きっと征し、私の前に立ち、そして勝つだろう、とね。

 果たして、その予想は正しかった。この世界の法則の中でも外でも、私は君に完敗した。完敗できた。それだけで、意味はあったのだよ」

 

 そう言うと、茅場はもう何も言うことは無いというかのように瞼を閉じた。一護はそれを見て再び怒りに両肩を震わせていたが、再度問いを投げることも、茅場の答えに反発することもせず、白衣の男の身体を乱暴に投げ捨てた。そのまま膝を突き、うなだれたまま動かなくなる。

 

 私も、なにを言っていいのかわからず、その場に立ちつくした。自分本位極まりない回答に対する憤りは確かに私の内側に渦巻いている。

 けれど、私よりも遥かに怒り、自身の記憶を覗かれ、挙句勝手にこの世界の存在する意味に仕立てられた一護が、声を荒げることなく黙っている。それを見てしまうと、私には発すべき言葉が見つからなかった。

 

 しばしの沈黙のあと、茅場はゆっくりと立ち上がり、私たちに背を向け、歩き出した。一護もそれを止めることなく、ただじっと俯いている。

 

「……一護君。一つ、私からも訊いていいだろうか」

 

 不意に、背を向けたままの茅場がそう問いかけてきた。一護は何も言わず、沈黙を返すだけ。

 

 それに構うことなく、茅場は自身の問いの言葉を続けて言った。

 

「私が見た記憶の中の君は、本当にあらゆる困難に立ち向かっていった。自身の世界観を超える存在に日常を破壊され、常人なら幾度となく道半ばに倒れているであろう心身の傷を負い、ようやく手にした力さえも時には凌駕され、大事なものを奪われる。それほどの数多の苦難に直面してもなお戦い続けられたのは、どうしてなのかな。

 黒崎一護君。君は一体、何のために、戦い続けているのかな」

「…………テメエこそ、俺の記憶のドコを見てたんだよ」

 

 そう言いつつ、一護は立ち上がり、茅場を射抜くような強い目で見た。強い意志に満ちた彼の眼は、彼方へ沈む夕日の何倍も美しく見えた。

 

「俺はずっと、誰かを護る力が欲しかった。テメエが見たような連中から、降りかかる理不尽な暴力から、大事な人を護れるだけの力が欲しかった。俺が初めて護りたいと願った(おふくろ)が、命を賭して俺を護ってくれたように。

 そんな無力なガキだった俺を、たくさんの人が助けてくれた。力を与えてくれた奴、鍛えてくれた奴、弱さに気づかせてくれた奴。そいつらのおかげで、俺はここまで強くなれた。

 だから、その皆を護るために、俺は戦うって決めたんだ。他でもねえ、ただ俺の、魂に誓って」

 

 胸を張って、一護はそう言い切った。

 

 茅場は何も言わず、少しの間そのまま立ち止まっていた。まるで一護の言葉の余韻を噛みしめるかのように、微動だにせず、ただ立ち尽くしていた。

 

「……そうか。ありがとう、死神代行君。

 そして、言い忘れていたことをもう一つ。ゲームクリアおめでとう、一護君、リーナ君」

 

 静かにそう告げ、茅場は歩を進めた。数瞬後、彼の姿は霧のように掻き消え、あとには何も残っていなかった。ただ、変わらない夕焼けの空が、白衣の男がいた場所を朱く照らすばかりだった。

 

 茅場の祝福の言葉に、一護は何も言い返さなかった。ただ茅場のいた場所を見つめ、表情を微塵も崩さぬまま、ひたすらに黙している。

 

 その姿が何故かどうしようもない哀しみに満ちているように見えて、私はそっと近寄り、彼の大きな手を握った。優しい熱が彼の手から伝わり、私の体に滲みこんでいくように感じた。

 

「……貴方がそれ以上哀しむことはない、一護」

 

 知らず、私は慰めるような言葉を口にしていた。

 

 例えそれが彼には必要のないものだとしても、必要であっても彼がそれを望まないと分かっていても、止めることができなかった。

 

 ただ、悲哀に染まった彼の顔を見るのがつらくて。見ていると心が張り裂けそうで。そんな私のワガママに抗いきれず、私は言葉を続けた。

 

「貴方は多くの人を救った。これから失われるかもしれなかった命を救い、失われるはずだった時間を取り戻した。

 亡くなった人たちがいることは、私も哀しい。けど、その命の責任までは貴方にない。それはあの男が死ぬまで背負うべきもの。一護、貴方はしゃんと胸を張っていればいいの。だから――」

「……分かってるさ」

 

 言葉を遮り、一護が視線を私に向けた。

 

「俺はスーパーマンじゃねえから、全員の命を救うなんて大それたことは言えねえし、そんなことは誰にもできねえ。ホンモノの、『全知全能』の神様でもねえ限りよ。だから、分かってんだ。俺が抱え込んだって何にもなんねえことぐらいな。

 ただなんつーか、それでもちょっとやりきれなくて、気分が沈んでたってだけだ」

 

 そう言った彼の顔は、もういつものしかめっ面だった。それに安心して、私はきゅっと彼の手を握る。

 このまま彼の胸に身体を預けても良かったのだけれど、それだと彼の表情が見えなくなる。今はまだ、この距離から彼の顔を見上げていたかった。

 

「帰って落ち着いたら、連中の供養にでも行かねえか? こんだけデカい事件になったんだ。個別の墓の場所なんてわかんなくても、慰霊碑の一つぐらいは出来るだろうしな」

「それ、デートのお誘い? 現実での初デートの行先が慰霊碑なんて、中々新鮮なんだけど」

「……オメーの頭ん中はどうなってんだよ。マジで雰囲気台無しじゃねーか」

 

 ため息を吐いて、一護が髪をガリガリと掻く。

 

 貴方の言う「雰囲気」が恋人ムードのことを指していたのなら嬉しかったのだけど、そんな都合のいいことはない。単にシリアスムードがふっ飛んだことが、ちょっと不満なんだろう。全く、相変わらず鈍いんだから。

 

 ……でも、そんなところも、大好きだよ。

 

「……おい、リーナ。身体が……」

 

 一護が少し驚いたような声を上げる。言われてみると、一護の身体が少しずつ白み、背景の夕日を透過し始めていた。見下ろした自分の肉体も、同じように色を失っていく。

 さらに下方では、いつのまにか大部分が崩壊したアインクラッドの頂上が、今まさに崩壊しようとしていた。茅場の言っていた紅玉宮らしき真紅の神殿が、文字通り数多の紅玉となって、砕け落ちてゆく。

 

 それらをしばし見つめた後、私は一護の方を向いた。

 

「そろそろ時間、なのかもね」

「ああ。そうみてえだな」

 

 自ら彼の手を放し、私は一護の正面に立つ。夕日で透き通り、逆光に照らされた一護の姿は、幻想的で、すごくきれいだった。

 

 

 ……ねえ、一護。

 

 私ね、今、少しだけ寂しいよ。

 

 あんなに帰りたかった現実に戻れるのに、今いるこの世界が、貴方と二人きりのこの場所が終わってしまうことが、ちょっとだけ惜しいんだ。

 

 現実に戻ったら、貴方をこうして独占できる時間なんて、あんまり取れないだろうから。

 

 だから、今のこの時間が、一秒でも長く続けばいいのに。なんて、心の片隅で思ってしまっている。

 

 けど、それじゃいけないよね。

 

 私は決めたのだから。

 

 現実に生きて帰るって。

 

 帰ってまた貴方と出会って、仲良くなって、そしていつか必ず、想いを告げるんだって。そう決めたのだから。

 

「……最後に一つだけ、お願いしていい?」

「なんだ」

「私のこと、名前で呼んでほしいな。リーナじゃなくて、私の、本当の名前で」

 

 忘れたなんて言ったら、承知しないんだから。

 

 そう付け加えると、一護は、ンなわけねえだろ、と言い返し、ニッと笑って見せた。

 

「相棒の名前くらい、ちゃんと覚えてるに決まってんだろ」

「八ビット脳みそのくせに?」

「うるせえよ。……そんじゃあな、東伏見莉那。また向こうで会おうぜ」

 

 その言葉に、胸が高鳴る。二年前のあの夕方から凍っていた私の現実の時間が、ゆっくりと、進みだしたように感じた。

 

 溢れる涙をこらえつつ、歪む視界に彼を映して、

 

「……うん。またね、黒崎一護。この世界で貴方と会えて、本当によかった。必ず現実で、また会おうね……っ!」

 

 私は心の底から笑顔を浮かべ、しばしの別れを告げた。

 

 この世界で一番長く一緒にいて、一番信頼して、そして私の人生で一番愛した、大好きな彼に。

 

 

 身体が世界に溶けていく。

 

 視界は既に白一色。もう、彼の姿は見えない。

 

 けれど、まだ彼の声が、温もりが残っている。

 

 彼の名残が、まだ私の心に在る。

 

 だから、もう、寂しくなんてない。

 

 また現実世界で彼と会うその日を脳裏に描きながら、私は意識を手放す。自身の全てが白熱に昇華し、粒子となって光に消えて。

 

 

 ――そして、全てが真っ白になった。

 

 




次回はエピローグです。

クリア後の彼らを書きます。

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