夢現   作:T・M

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#1.砂の惑星から水の惑星へ

「……これで、少しは食料の足しになるだろう」

 自身に残された搾り滓のような僅かな力を振り絞って、彼は、不毛の大地に1本の木を出現させた。

 大地に根を張り、瑞々しい赤い果実を実らせているその木に、傍らの少年は目を点にして驚いた。

「うわ、リンゴだ! こんなふうに生えるの!?」

 初めて見るリンゴの木に、少年は心底から驚いている様子だ。

 そんな少年の様子を無視して、彼は言葉を紡ぐ。

「…………あいつを……頼む」

 自分でも、驚いている。

 こんな子供に。あんなにも憎悪していた人間に。かけがえの無い、この世でたった1人の兄弟を託すなど。

「え? あの……どこか、行くの?」

 少年は彼の言葉からその意図を察し、率直に訊ねてきた。しかし彼は何も答えず、自らが生み出した赤い果実をじっと見つめた。

 何故、俺は食料の足しにと、この樹木を、この果実を“持って来た”?

 ……考えるまでも無い。答えは、単純で明快だ。

 この果実が、赤いからだ。まるで、あいつのように。

「えっと……あの……それ、ヴァッシュにはちゃんと言った?」

 少年の重ねての問いにも、彼は何も答えない。

 すると、少年はどうやらそれを無言の肯定と判じたらしく、慌てて家へと駆け出した。

「駄目だよ、そんなん! ヴァッシュ! ヴァーッシュ!!」

 察しのいい少年だと、彼はそう思った。それでも、ヴァッシュに別れを告げようとは思わない。

 何も言うべき言葉は無い。語るべきことも無い。合わせる顔も無い。もう、充分過ぎるのだ。

 150年もの間争ってきた俺を、あいつは、最後の最後まで殺そうとせず……あまつさえ庇い、命を救ってくれた。

 もう二度と、共に行くことはできぬと諦めていたのに、一緒に羽ばたく事さえできた。

 それだけで、俺は……。

 そして、彼――ミリオンズ・ナイブズは目を瞑った。

 

 次の瞬間、ナイブズは纏っていたボロボロの外套を残して、ノーマンズランドから、ヴァッシュ・ザ・スタンピードの前から消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、突然の覚醒だった。

 どうやら、気付かない内に眠っていたらしい。だが、眠りに落ちた覚えも、眠りに落ちる直前の記憶も無い。

 周囲を見回し――驚いた。何時の間にか、荒野の一軒家から何かの部屋の中に移動していたのだ。何の部屋だろうかと考えながら、ナイブズは冷静に周囲を観察する。

 座っている椅子は大人2人が座れる横に広いもので、隣は空いている。対面にも同じ椅子があり、都合4人が向かい合って座れるようになっている。それは他の場所も同じで、合わせて12個ほど、そのようなスペースがある。窓もあるので外の様子を覗ってみるが、真っ暗で何も見えないし、何かがあるようにも見えない。

 分かる事は、ガタン、ゴトン、という音と共に伝わってくる振動から、この部屋が動いている――つまり、砂蒸気(サンドスチーム)のような何らかの乗り物の中の一室であることぐらいだ。

 そう考えてみれば、成る程、この部屋には砂蒸気(サンドスチーム)の高級客室に通じるものがある。前後に1つずつ見える扉は、外ではなく乗り物の内部に通じるものだろう。

 ……さて、どうするか。

 何故、自分がこのような場所に座って眠っていたのかは、この際どうでもいいとしよう。今は、このまま座っているか、状況確認のためにここから出るか、如何にすべきか。

 ナイブズがそのような思案に耽っていると、音を立てて後ろ側の扉が開いた。つまり、何者かが現れた、ということだ。

 扉が閉まると、そこから出て来た足音が真っ直ぐこちらに向かってくる。ならば、振り向くまでもなく近くに来るのを待てばいい。扉から椅子まで然程の距離がなかったこともあり、新たに入ってきた者はすぐにナイブズの視界へと入ってきた。

 それは、濃紺の制服に身を包み、帽子を目深に被った大柄な人間――のような、ナニカだった。

 ヴァッシュと方向性は違えども、150年もの間、人間を、同胞たるプラントを見続けてきたナイブズには、制服を着ているものが人間ではないことを一目で看破することは造作もないことだった。だが、だからと言ってどうすることもない。今のナイブズには、何かをする理由も想いも、何も無いのだから。

 人間でもプラントでもない、恐らく砂蟲(ワムズ)とも無関係の存在だろうが、どうでもいい。好奇心も恐怖も、微塵も湧かない。こちらに干渉するつもりが無いのなら、捨て置くだけだ。

 ナイブズがそのように思い決めると、それを見計らったかのように、制服を着たものは帽子を僅かに浮かせて会釈すると、右手を差し出してきた。

 

――切符を拝見します――

 

 何故か、その動作の意味がすぐに理解できた。まるで、意味が自分の脳に直接伝わってきたかのように。

 しかし、ナイブズにはこの乗り物に乗り込んだ記憶が無い。当然、切符を買った覚えも無い。つまり、正当な乗車手続きを踏んだ証明たる切符を持っていない。

 無視して無賃乗車でも決め込もうかと考えていると、不意に、頭上で何かが動く気配がした。

「にゃ」

 妙に顔が横に長い、黒猫だ。どうやら頭上の網棚の上に最初から乗っていたらしい。今まで眠っていたから、ナイブズも気配に気付かなかったのだろう。

 黒猫は網棚から飛び降り、ナイブズの座っている椅子の通路側に着地した。その口には、何処からか取り出した切符が咥えられていた。制服を着たものはそれを受け取ると、左手に握っていた道具を宛がい、パチン、という音を響かせた。どうやら、切符を切った音のようだ。

 黒猫は切符を受け取ってすぐにどこかへと仕舞うと、ナイブズを、じっ、と見つめてきた。制服を着ているものも、同様にナイブズを見ている。

 どうやら無賃乗車は罷り通らないようだ。それに、猫でさえも切符を見せたというのに、自分は見せないというのは収まりが悪い。

 どうしたものかと考えて、ふと、握っていた右手の中に妙な感触があることに気付いた。右手を顔の前まで持ってきて、開く。

 そこには、切符があった。

 行き先の書かれていない、白紙の切符が。

「――……あ」

 自然と、声が漏れる。

 プラント融合体を通じて直接心に響いて来た、ヴァッシュの言葉。

 ヴァッシュと共にレムから聞かされた昔話。

 それらが、瞬時に脳裏に甦る。

 半ば呆然とし、戸惑いながら、制服を着ているもの――車掌に、白紙の切符を見せる。

 車掌は、当然のように白紙の切符を受け取り、黒猫の時と同じように切符を切って、ナイブズに白紙の切符を返した。

 

――佳い旅を――

 

 車掌は会釈をして、そのまま去っていく。黒猫は、ナイブズから視線を外して猫らしく座っている。

 ナイブズは、白紙の切符を見つめながら、思い出す。星と人類とプラントの未来を懸けた最後の戦い。その佳境で、ヴァッシュが融合体へと飛び込んできたあの瞬間のことを。

 

――まだ、間に合うはずだ。きっと、やり直せる。だから、諦めないで。だって……未来への切符は、白紙なんだから――

 

 何千何万というプラントの集合意識の中、その一つ一つに伝わっていた、ヴァッシュの言葉。

 それに応えて、彼女達は真っ白な羽根を散らばせて、ナイブズの画策した人類のいない未来を否定して、人と共に歩む何も描かれていない未来を選んだ。

 ならば、この状況は――この白紙の切符は、ヴァッシュと、彼女達からの餞別なのだろうか。新たな未来を、何も描かれていない場所を歩んで行け、と。

「ぷいにゅ」

 珍妙な鳴き声に目を遣ると、そこには小さな旅行鞄を持ち、人間のような服を着た、見たことの無い珍妙な白い生物がいた。

 どうやら相乗りを希望しているらしく、隣の黒猫と共にナイブズの返事を待っている。

「……好きにしろ」

 言うと、白い生物は、ぺこり、と頭を下げて黒猫の対面の座席に座った。

 乗り合わせた乗客が人間でもプラントでもないのは、ヴァッシュや彼女達のはからい……のはずが無いか。単なる偶然だろう。

 …………気が向いたら、どこかの駅で降りるか。

 そう決めて、ヴァッシュと共に聴いたレムの昔話を思い出しながら、ナイブズはまどろみの中へと、150年ぶりに穏やかな気持ちで沈んでいった。

 

 

 

 

――次はー、AQUA。水の惑星、アクアで御座います――

 

 

 

 

 水の惑星という言葉に惹かれて、ナイブズはそこで降りることにした。同じ座席に乗り合わせた黒猫と白い生物も、同じ所で降りるようだ。

 そして、ナイブズ達と入れ違いに乗り込む乗客は全てが猫。奇妙なものに乗ってしまったものだと、しみじみと、しかしどこか他人事のようにそう思った。

 車両から降りる際、ナイブズは先程の車掌に、惜しみながらも白紙の切符を渡す。車掌は切符を受け取ると、判を押してそのまま返して来た。

「なに……?」

 返された切符を受け取りながら、ナイブズはつい声を漏らして、車掌を見る。車掌は黙って頷いて、外へ降りるように丁寧な物腰で促した。

 折角の白紙の切符、失わずに済んだのは幸いだが、何故、この車掌は受け取ろうとしない? 切符という物は、降りる時に回収する物のはずだ。

 そんな疑問を抱きながらも、ナイブズは車両の乗降口を潜った。

 

――またの御乗車を、お待ちしております――

 

 そういうことか。

 またも頭に響いた、車掌の会釈の意味に納得する。

 白紙の切符は、どこへでも、どこにでも行ける。何時でも、何時までも使える。そうでなければ、白紙の意味が無い、か。

 納得し、白紙の切符を懐に仕舞う。そして悠然とした足取りで、ナイブズは未知の大地への第一歩を踏みしめた。

 まず、空気が違った。ノーマンズランドの乾いた埃っぽい空気でも、血と硝煙と人の臭いが混ざった空気でもない。瑞々しく、穏やかで、ただ呼吸をするだけで安心できてしまうような、不思議な空気。

 そして、風の音も違う。ただ吹き抜け、鼓膜を振動させるだけではない。砂埃が舞い上がる音とは全く違う、ざぁ、ざぁ、と、何かが波打つような奇妙な自然音まで聞こえるのだ。

「ぷいにゅ!」

 白い生物の大きめの声を聞いて、振り返る。どうやら、車両が出発するらしい。見ると、それは――汽車だった。地球でもとうの昔に廃れてしまったという、石炭の燃焼と水の蒸気を利用して走る、極めて原始的な機械。

 それを見て、ナイブズはレムの昔話との一致に驚く。ただの偶然とは思えないが、ならばこれは何を意味するというのだろうか。

 暗い闇の中へと進んで行く汽車を、姿が消え音が聞こえなくなるまで、ナイブズは黙って見送った。その時に気付いたが、ここは夜だ。ノーマンズランドにいた時は太陽が2つとも上っていたが、ここでは月と星が夜空で輝いている。

 汽車を見送ると、ナイブズは星空を見上げ、風の音を聞きながら、これからどうするかを考えた。足元で黒猫と白い生物が「にゃあ、にゃあ」「にゅっ、にゅっ」と鳴いているが、歯牙にもかけない。

 考えて、取り敢えず今は、最も気になるもの――風の音が聞こえてくる方に歩いて行くことにした。

 黒猫と白い生物は、それをどこか寂しそうに見送った。

 

 

 

 

 暫く歩き続けて、ナイブズは周囲の街並みを具に観察していた。どの家屋もノーマンズランドの物とはやはり違う。どちらかというと、荒野や砂漠に沈みながらも機能を保っている移民船(シップ)に近い印象を受ける。

 外観や作りではなく、その纏う空気や存在感とでも言うべきだろうか。永く、変わらずに在り続けている。そのように思えるのだ。

 ノーマンズランドでは、そういう物は不時着に成功した移民船(シップ)を除けば少ない。稀に築半世紀を超える希少な物もあるが、ナイブズ自身が引き起こした『方舟事件』によってそれらも更に少なくなり、その数は片手の指で数えられる程度ではないだろうか。

 だからこそ、周囲の建物――或いは、この街全体が持つ独特の雰囲気に、ナイブズは興味を持っていた。試しに手近な壁に触れてみたが、やはり手触りが違う。ノーマンズランドの建物に比べて、弾力があるというか、瑞々しいというか、そのように思える。

 汽車の中で聞いた『水の惑星』という呼び名に違わず、この星は水が豊富で、大気中の水分も濃いのだろう。だから、壁も空気も乾いていないと考えれば自然だ。

 そんなことを考えながら、道なりに歩き続け――注意を他に向けていた為に、踏み出した右足の先に地面が無いことに気付かなかった。しかし、その程度で無様に転倒することは無く、バランスを崩すよりも先に右足を引っ込めた。

 急に道が途絶えたことを怪訝に思い、ナイブズは足元を見遣った。そこには、水があった。しかも、ただあるのではない。大量の水が、絶えず流れ続けているのだ。

「なに……!?」

 驚き、思わず声を漏らす。こんなにも大量の水が流れているのを見るのは、ナイブズも初めてだったのだ。

 元から水が一滴たりとも地表に存在していないノーマンズランドは当然として、幼少期を過ごした移民船(シップ)の中でも、こんな状態の水を見たことは無かった。だが、その頃に学んだ知識を、ナイブズは思い出した。

「確か、これは川……いや、水路、か?」

 この状況と合致する単語を思い出し、半信半疑で呟く。

 恐る恐る、身をかがめ、水に触れる。肌の感触から、目の錯覚や幻覚の類ではないと悟る。流石に、触覚や聴覚まで含めた幻覚ということはあるまい。

 周囲を窺うが、警報装置や守衛の姿は見当たらない。まさか、これだけの量の水を無造作に放置しているのだろうか。辺りにナイブズが思ったような物は影も形も見られない。代わりに、気付いた。この水の流れて行く先から、この星に来てからずっと聞こえていた、風の音が聞こえてくる。

 水路の終着点と、風の音が聞こえてくる先。

 その両方に気を惹かれ、ナイブズは再び歩き出した。その姿を、何時の間にか数匹の猫が見守っていた。

 途中から空気に妙な香りが強くなって来たのを不思議に思いながら、水路に沿って歩き続け、数分後には、ナイブズは水路の終着点に辿り着き、そこで足を止めた。

 目の前に広がる光景に、息を呑む。あまりにも衝撃的な光景に、ナイブズの思考は停止してしまった。

 まるで、ナイブズの周りの時間だけ止まってしまったかのような錯覚を感じるが、実際にそうでないことは、今も聞こえている風の……否、波の音が証明している。

 やがて、空が白み、太陽の光が差し込んで来て、その刺激でナイブズは漸く我に返った。

 そして、再び目に映った光景に、言葉を失った。

 

 太陽の光を浴びて、キラキラと光る水面。その輝きは、如何なる宝石も霞んで見えてしまう程、鮮烈で、眩い。まるで、水の底にもう一つの太陽が沈んでいるようだ。

 水面の光り方は、常に波打っている為に一定ではなく、1秒毎に変わり続けている。きっと、この先ずっと、同じ光り方はありえない。その瞬間だけの輝きを、今もこうして放っている。

 そんな光景が、見える限り。地平線ではなく、水平線の彼方まで、ずっと、ずっと、続いていた。

 

 今、ナイブズの目の前には、彼が今までの人生で想像したことも無かったほどの莫大な量の水が存在していた。見渡す限り、水平線の果てまでも。

 実を言えば、ナイブズはこの地形の事を全く知らないわけではない。まだ幼い頃、ヴァッシュと共に地球や人類の事を学んでいく過程で、ナイブズはそれを幾つかの映像資料で見て、知っていた。

 それでも。実際に目の当たりにするそれは、想像を絶するほどの存在感と、圧倒的なリアリティを持って存在していた。

「……海、なのか?」

 理屈と知識で目の前の物を理解すると、次いでナイブズは五感全てで目の前の風景を感じ取った。

 この匂い……これが、潮の香りか。

 独特のじめっとした感触……これが、海の風か。

 空気に混ざる、不可思議な塩辛さ……これが、海の空気か。

 この星に来てから、ずっと聞こえていた風の音……これが、波の音か。

 これが、海か。

 こんなものが、本当にあったのか。

 移民船の中で生まれ、砂の星で生き続け、150年。それなり以上に長い人生を歩んで来て、こんなにも驚くことがまだあったとは。

 感慨に耽りながらも海を眺めていて、ふと、海の上を何かが動いていることに気付き、それを見る。

 人間の老人が、木製の細長い物――原始的な船に乗っていた。この星に来て初めて目撃した人間の姿に、ナイブズは、ここは猫の国ではなかったかと妙なことを考えた。あまりにもナイブズにとっての現実や常識から乖離したこの星は、今まで見たのが猫ばかりだったこともあり、それくらい突飛な場所ではないかと思ったのだ。

 老人は『〒』のマークが入った帽子を被り、鞄を持っている。恐らく、何らかの仕事のシンボルマークなのだろう。ナイブズからの視線に気付かず、そのまま老人は船を漕いで別の水路へと入って行った。

 それで気付いたが、この街には至る所に水路があるようだ。これだけの数の水路があり、途方も無いほどの量の水があるのならば、その管理が杜撰なのも当然か。誰かが独占しようとしても出来ないほど、この星には水がありふれている。ノーマンズランドには、砂塵の荒野がありふれていたように。

 ナイブズの人生からすればあまりにも奇跡的な光景も、この星では当たり前の事なのかもしれないと思うと、なんだか間抜けに思えてくる。

 だが、間抜けでもいい。今は、もう暫く、海を眺め、波の音を聞いていよう。

 

 

 

 

「おい、貴様。五月蠅いぞ、黙っていろ」

 

 

 

 

 海を眺め、波の音を聞き続けて、どれだけの時間が経っただろうか。

 途中、船に乗って唄を歌っている女性が近くを通り、その歌声が波の音を遮ってしまうので耳障りに思ったナイブズがその女性を咎めた、ということがあったぐらいで、それ以外は何事も無かった。

 そう、何事も無かったのだ。

 この星、この街にも確実に人間がいる。だのに、唯の一度も銃声は聞こえず、誰も悲鳴を上げなかった。

 何の喧騒も無く、しかしゴースト・タウンのように静まり返っているわけでもなく、この街の人間達はあまりにも穏やかだったのだ。

「……人間、か」

 ノーマンズランドは『誰もいない大地』と名付けられたように、何も無かった。プラントを用いて物資を得ようとも、そのプラント自身が無くなってしまえばどうなるか、ナイブズは良く知っている。

 150年前も、つい数ヶ月前も、何も無い大地で人間がやっていたことは同じだ。狂奔、狂乱、暴走、暴動、略奪、強奪、逃避、逃走、闘争、争乱……色々とあるが、結論は一つ。誰もが死の恐怖に怯えるあまり、自らの保身ばかりを考え、普段は上っ面に被せた偽善じみた理性の仮面を取り落とし、人間自身が悪徳と定めているもの――人間の動物としての野蛮で凶暴な本性を曝け出していた。

 中には、そうでない者もいたのだろうが、圧倒的多数がそうだった。少なくとも、ナイブズにはそうとしか見えなかった。その最たる例こそ、ナイブズが人間を間引く為に集めた人間達。『人間を殺す』ということに一点特化した技能を磨き続けたことによって『人間』とは言い難い魔の領域に在った、13本の良く切れるタフなナイフ。

 彼らを見る度、ナイブズは、人間とはつくづく救いようの無い屑だと、こんな害獣どもは殺し合わせるか、さっさと駆除するのが一番だと考えていた。

 だが、彼らは違った。ヴァッシュと、ヴァッシュの言葉に動かされた彼女達は。ナイブズと同じ150年間、人間と共に在り続けた彼らは。

 ナイブズ以上に、人間の愚かさやおぞましさを目の当たりにして来たはずなのに、人間達にもっと別なものを見ていた。そして、それを信じていた。

 ヴァッシュ達が信じた人間の側面は、ヴァッシュと繋がり、彼女達がナイブズから離れて行く直前の瞬間に、少なからずナイブズにも伝わっていた。それに、半世紀以上もヴァッシュとは対決していたのだから、彼が何を想い、何を信じていたのかはナイブズにも手に取るように分かった。

 それでも未だにナイブズは、ヴァッシュや彼女達が人間に見出していたものを、信じる以前に理解できていなかった。ナイブズが信じたのはヴァッシュの言葉で、理解していたのは同胞たるプラント達の心だけだった。

 だが。もしかしたら、ここならば。ノーマンズランドとは全く違う、水という生命の源に溢れたこの星ならば。乾いた殺伐とした空気ではなく、潤った穏やかな空気が包むこの街ならば。

 ヴァッシュが人間達に見出していたものを、俺にも理解できるのではないか?

 彼女達が見ていた人間の可能性を、俺も見ることができるのではないか?

 まだ、この星に来てから人間は2人見ただけ。それだけで、こんなことを決めるのは早計で滑稽かもしれない。だが、それこそが、ヴァッシュの願いではなかったか?

 殺しても誰も文句を言わないどころか、殺せば大勢から称賛されるようなことをした俺に、手を差し伸べて、共に羽ばたいてくれた、あいつの。この世でたった1人の弟の、たった一つの祈り。

 懐から白紙の切符を取り出し、それを見つめる。

 これが本当に、あいつや、彼女達からの餞別なら、迷うことは無いはずだ。

「……もう一度、向き合おう。人間と」

 人間を恐れず、憎まず、見下さず。対等な位置から向き合い、理解しようと努力する。

 今までを白紙に戻そうなどとは思わない。テスラの姿を忘れることなどできない。だが、これからは。この切符と同じように、まっさらな所から、また始めよう。

「まさか……こうする日が来るとはな」

 移民船の中で暮らしていた幼い頃の記憶とノーマンズランドでの150年間を振り返り、万感の思いを込めて呟く。

 ナイブズは踵を返して、街中へと向かった。気付いてみれば、街は祭りか何かのような、活気に満ちた空気だった。


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