夢現   作:T・M

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#11.花火

 いつものようにネオ・ヴェネツィアの街を縫うように歩き、人々を観察していると、ふと彩鮮やかなポスターが目に入った。近々催される催事についての告知のようだ。

 ポスターの全体にざっと目を通して内容を把握すると、なんとなく、その主体となっている物の名を呟く。

「花火、か」

 よく知っているとも言えるし、全く知らないとも言えるものだ。尤も、よく知っているのは比喩としてであり、全く知らないのは実物だが。

 そのままポスターを眺めていると、急に威勢のいい声がナイブズの名を呼んだ。

「よう、ナイブズじゃねーか。暫くぶりだな」

「暁か」

 振り返ってすぐ、相手の名を呼んで応じ、以前会った時のことを思い出す。

 アクア・アルタの時、薔薇の買い物にナイブズと灯里を付き合わせた男だ。正直、その後に貰った薔薇の方が印象に残っており、本人のことは顔を見るまで忘れていた。そんなことは露知らず、暁は鷹揚に応じる。

「俺様は普段、浮島で日夜ネオ・ヴェネツィアの、ひいては火星(アクア)の平和を守っているからな。で、何見てんだ」

「このポスターだ」

 問われて、つい先程まで見ていたポスターを指し示す。暁はそうじゃないとばかりに呆れた表情になったが、ポスターを見てすぐに得心した様子だった。

「それは見りゃ分かる……っと、花火大会のか。興味あるのか?」

「ある。資料では知っているが、本物を見たことは無いからな」

 何ら他意なく、半ば事務的に答える。有無を問われて有無を答え、最低限の補足をしただけ。実に味気なく素っ気ない応答にも、しかし暁は露ほども気にした様子を見せなかった。

「よし。それなら俺様が、お前を特等席に招待してやる」

「なんだと?」

 予期せぬ唐突な誘いに、ナイブズは思わず聞き返した。

「気にするな。あの時付き合ってくれた礼……は、もう済ませたからな! まぁ、縁があったってことだっ」

 あの時の礼のつもりだったか。『礼』という言葉を漏らした途端にうろたえた暁の態度を見て、すぐに察しがついた。しかし本人が隠そうとしていることを追及するのは面倒なことになると考えて、敢えてそのことには触れず、暫しの思考を挟んでからナイブズは暁の誘いを了承した。

 それから特等席のことや花火大会のことについての簡単な説明を一通り受けて、ナイブズは暁に案内されて浮島への唯一の交通手段であるロープウェイの駅へと来た。

 ロープウェイ駅は2つの巨大な歯車が重なったような外観が目を引くが、それ以上にナイブズの興味を引いたのは天空に張り巡らせられたロープだ。1つの駅から幾つもの浮島へとロープが伸びている様は壮観だ。隣接する浮島の間にもロープが張られており、まるで空中に迷路が描かれているようにも、万華鏡が映し出されているようにも見える。

 浮島の一つ一つに火星の生命線とも言える重要施設があるのだが、特に人の出入りに制約は課されていない。ネオ・ヴェネツィアの街が太陽系でも屈指の観光名所であるのに対し、浮島は観光地ではなく所謂下町のような場所であり、態々訪れようという観光客はごく稀らしい。

 確かに、ナイブズもこの街に留まって1年以上が経過しているが今まで浮島まで足を伸ばしてみようと考えたことが無かった。ネオ・ヴェネツィアの街は広大な上に狭い路地の他に水路まで混ざって入り組んだ迷路のような構造になっている。この街の裏と表を隅々まで廻ろうとしたら、もしかしたら人間の一生では足りないのではないかとすら思えて来る。

 今から浮島に上がってみるかと暁に誘われたが、この場は断った。そろそろ宿に戻ろうと思ったのだ。しかし、そこで暁が火炎之番人(サラマンダー)だということを思い出し、予てから気になっていたことと合わせて、暁の名乗り文句について問い質してみることにした。

「一つ、聞きたいことがある」

「む。なんだ? 藪から棒に」

「火炎之番人の仕事についてだ。それとこの星の平和を守るのと、何の関わりがある?」

「ほう。いい質問ではないか、ナイブズよ」

「答える気があるならさっさと答えろ」

 何やら得意げな表情で頷いたのが何となく癇に障り、少々ドスを利かせた声で威圧する。アテナの時の反省を活かして眼光も努めて抑えるようにしているが十分な効果はあったようで、暁は一瞬ビクリと体を震わせて、大人しくナイブズの言葉に従った。

「お、おう。火炎之番人(サラマンダー)がそもそもどういう仕事かは知ってるよな?」

「浮島の炉を燃やし、安定しない火星の気候や気温の調整を行っているのだろう。まさかそんなアナログな手段で、そこまで高度なことを行っているとはな」

「馬鹿にしてんのか?」

 ナイブズが付け加えた感想に、暁が敏感に反応した。余程、火炎之番人の仕事に誇りを持っているのだろう。だから、小馬鹿にしているとも取れるナイブズの言葉に怒りを露わにしている。

 灯里以上に感情の読みやすい男だと思いながら、ナイブズもその実直さに引っ張られるように素直な言葉を吐き出した。

「いや、感心している。なにより……プラントに頼っていない点は評価に値する」

 気候制御装置は全ての移民船団に存在している。無論、ナイブズが生まれた船団にもあった。宇宙船の内部に擬似的で豊かな自然環境を再現できていたのも、その気候装置の恩恵である部分が大きい。

 言うまでも無く、その制御装置の中枢部分と動力はプラントだった。幼少期の擬似的な自然体験が全て、同胞の力と命を削る犠牲の上に成り立っていたことを想うと、思い出すだけでも気が滅入り、胸糞が悪くなる。

 しかし、この星は違う。人間の知識と技術だけで、人間の為の環境を維持しているのだ。

「プラント? ああ、あの電球に入ってる天使みたいなやつか。教科書とかでしか見たことねーな」

「らしいな」

 ナイブズが調べた限りでは、火星開拓の最初期にこそプラントは導入されていたが、次第に使われなくなっていった。その理由は判然としておらず、推測や憶測が飛び交い、様々な意見が今でも稀に紙面や電子ネット上で示されているのが目に入る。

 最初の惑星開発という人類史に残る一大事業の歴史の一部が改竄され判然とせず、それでいて黙殺も抹消もされていない。この事実からだけでも、当時にそれなりの事があったのだということは分かるが、それまでだ。

 この星でこそ人とプラントの関わり方がどのようなものであるかを知りたかったと、ナイブズは自らの落胆を自覚していた。

 自分が変われた場所ならば、人とプラントの関係も――

「ともかくだ。そういうわけで、俺様達の日々の活躍があってこそ、火星(アクア)は人が生きられる星だってことだ」

 ナイブズが思索に耽っていると、暁が話を先に進め出した。今は考える機会ではなかったと思い直し、暁に言葉を返す。

「それを言ったら、地重管理人も同じではないのか」

 気候を管理する火炎之番人の仕事は、確かに火星の環境を維持するために必要不可欠な重要なものだ。しかし、それは重力を管理する地重管理人(ノーム)の仕事も同様と言えるはずだ。

 すると、暁はそんなことは当たり前だと、すぐに快活な様子で返事を呉れた。

「その通り。だから、ってわけでもないが、俺のダチが1人地重管理人(ノーム)をやってるぜ。共に火星(アクア)の平和を守るため、日夜戦っているのだ」

 暁はそこで言葉を一度切って、照れくさそうに笑みを浮かべて続けた。

「知ってるか? ヒーローってのは、一人きりで戦うものばかりじゃないし、殴り合うだけでも無いんだぜ?」

 そうか、そういうことか。確かにその通りだと、ナイブズは心の底からそう思って、納得した。同時に、今この時になって漸く理解した。ヴァッシュ・ザ・スタンピードの戦いとは、どういうものだったか。

 敵対する者を倒す為でなく、殺す為でなく、傷付ける為でなく、まして打ち克つためですらなく。命を守り続ける戦いとは、どういうことであったか。やっと、分かることができた。

 命を一方的に刈り取って駆除する――虐殺以外の戦いを考えなかったナイブズには、恐らく、この時が来なければ永劫に理解できなかっただろう。

「……そうだな。そういう戦いこそ、平和を守るということに最も相応しいのだろうな」

 ヴァッシュを、唯一人の弟の姿を思い出しながら、しみじみと呟く。

「そ、そのまま返すなよ」

 ナイブズの言葉がよっぽど意外だったのか、暁は随分と戸惑っていた。大方、自分の信条を語る度に聞き流されるか笑われるかというのが多かったのだろう。あいつも、ヴァッシュもそうだった。想像に難くない。

「ついでだ、仕事内容も詳しく話せ」

「命令口調かよ。……まぁいい、態度も口調も気に入らねぇけど聞いてやる。俺様の寛大な心をありがたく思うがいい!」

「そうか。さっさと話せ」

「こんにゃろっ」

 そのようなやり取りをしばしば間に挟みながらも、暁はナイブズの問いに意気揚々と答えた。それだけ、自らの仕事と火炎之番人そのものに対して誇りや敬意を持っているのだと聴いているだけでも分かった。

 やがて日が傾き始めると、用事と買い物をまだ済ませていなかったと言って、暁は足早に去って行った。ナイブズはすぐさま踵を返して、路地裏へと入ってネオ・ヴェネツィアの表通りから姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 花火大会当日。約束の時間に暁がやや遅れたものの、致命的な遅れと言う程でも無く、ナイブズは暁と共にロープウェイに乗り込んだ。ノーマンズランドの公共交通機関は巨大な砂蒸気(サンドスチーム)のみだったので、こうした小型の物に乗るのはこの星に来る時に乗っていた汽車以来だ。

 ロープウェイの壁面に設置されているシートに腰掛ける。壁際には窓もあり、そこから外の景色が見渡せる作りになっている。出発のアナウンスが流れると、僅かな振動と共にロープウェイが出発し、ゆっくりと上昇を始めた。速度はさほど速くなく、恐らくはナイブズがロープの上を走って行く方が遥かに速い。悪目立ちするので実行する気は毛頭ないが。

 宙に吊るされた2本のロープを伝って、ロープウェイはゆっくりと移動する。見た目の割に振動は殆ど無く、用いられている技術の高さを伺わせる。時折窓の外に見えるロープを吊るしているらしい中継点さえも、自律型の浮遊ユニットなのだ。

 進行方向の側の窓、その向こうの景色を見る。行き先の浮島の姿が、側面の座席からも見える位置に来ていた。何とも形容しがたい物体だ。逆さにしたマツボックリに家屋や道をくっつけたような、とでも言えばいいのか。地上から見上げていた時も思っていたが、下から上までびっしりと家屋が並び小さな町になっている様子は、ネオ・ヴェネツィアの街と比べたら異様であり、それでいてこれはこれで様になっている。

「浮島に来るのも初めてか?」

 ナイブズが窓の外の浮島を凝視しているのに気付いたらしい暁が、そのようなことを訊いて来た。どことなく親しみのこめられた口調であるが、ナイブズに対してではなく、自分の地元に対してだろう。

 郷里への愛着とはどのような感情だろうかと何となく考えながら、答えを返す。

「ああ。常時滞空している人工物に乗り込むのは初めてだ」

「随分と小難しい言い方しやがるな」

「悪いか?」

「いや、悪くはねぇけどよ。なんか気に入らん」

「そうか」

 暁からの問われては素っ気なく答える、というやり取りを幾度か繰り返して、調子が狂ったらしい暁が黙り込んでから少し経って、ロープウェイは浮島の駅に到着した。

 駅を出てすぐの広場から、ネオ・アドリア海を一望できた。こんなにも高い場所から海を見下ろすのは初めてだ。飛行船から広漠とした砂漠を見下ろすのとは全く違う。形容しがたい情感が、ナイブズの胸の奥底から込み上げる。

 意外だったのは、こんな高さの場所でも、潮風が吹き、海の香りがすることだった。

「どうだい、この景色は。いいもんだろ?」

「……そうだな」

 暁の誇らしげな言葉にナイブズが頷いた調度その時、街の方から2人の男がやって来た。

「暁ん! 久し振りなのだー!」

「おー、ウッディにアルじゃねぇか。なんだ、お前らも帰ってたのか」

「やっぱり、最初の花火は浮島で見たいからね」

 海から視線を外し、親しげに話し始めた3人を見た。やって来た2人はどうやら暁の旧知であり、同郷の人間のようだ。

 1人は丸渕のゴーグルを掛けた箒のような髪型の大柄な男。口癖なのか、語尾に「なのだ」と付けている。パペットマスターの奇怪な口調に比べれば自然なものだ。

 もう1人はサングラスを掛けて黒い套を羽織った子供のように小柄な男。会話の内容からして他の2人と同年代らしい。ナインライブズの中身に比べればまだ大きい方か。

「暁ん、そっちの人は誰なのだ?」

「こいつはナイブズ、ちょっとした知り合いだ。で、こいつらは俺の幼馴染のウッディとアルだ」

「ナイブズだ」

「綾小路宇土51世ことウッディなのだ。よろしくなのだ、ナイブズさん」

「僕はアルバート・ピットです。アルと呼んで下さい。よろしくお願いします、ナイブズさん」

 暁からの紹介に応じて互いに相手を見ながら自己紹介をして、更に具に観察してナイブズはアルの服装が見覚えのあるものだと気付いた。

「その衣装、地重管理人か?」

「その通りです。よくご存知ですね」

 地重管理人(ノーム)火炎之番人(サラマンダー)と同じく精霊の名を戴いたネオ・ヴェネツィアの象徴的な職業であると同時に、火星環境の維持に決して欠かせない重要な職業でもある。

 その職務内容は重力操作。地球人類にとって標準となる1Gに満たない火星の重力を、特殊な技術を用いて1Gに保っている。その職務故にノームは基本的に地下に潜っており、外で見かけることは滅多にない。精々日用品の買い出し等に出て来る程度だろう。しかし全員の背が子供のように低いという特徴と、サングラスを含めて黒い衣装は夜中でも無ければネオ・ヴェネツィアの鮮やかな街並みの中ではよく目立ち、一度見れば大抵の人間は忘れないだろう。

「僕も風追配達人(シルフ)なのだ」

「そうか」

 ナイブズがこの星に来てから毎日のように街を飛び交っている姿を見ているシルフはあまり珍しくもなく、その職務内容も宅配とナイブズの興味を惹くものではなく、短く答えただけで終わらせる。代わりに、集まった3人を見遣る。

「ウンディーネ以外が勢ぞろいか」

 サラマンダー、ノーム、シルフ。精霊の名を与えられたネオ・ヴェネツィアを象徴する4つの職業のうち3つが揃った。しかもそれが全員幼馴染なのだから出来過ぎたものだ。

「いえ、もうじき水先案内人(ウンディーネ)もいらっしゃいますよ」

「む、そうなのか?」

「僕達の友達の水先案内人(ウンディーネ)を呼んだのだ」

 本当に出来過ぎた展開だ。ウンディーネも来るというアルの言葉を聞いて、ついそんなことを思ってしまった。

 4大精霊の名を持ち並べて呼ばれる存在とはいえ、4つの職業の業務内容は全く違っていて相互の関連性は殆ど無いはず。それが一堂に会すのだから、珍しいことは間違いあるまい。

「ああ!?」

 ナイブズの背後、駅の入り口から聞き覚えのある声が聞こえた。振り返れば、やはりそこには藍華が、そして灯里とアリスの姿があった。

 この状況も、合縁奇縁かと言うべきだろうか。

 すっかり見慣れた3人のウンディーネを見てナイブズが驚いていると、暁が何も言わずに歩み寄って行き、灯里の髪を掴もうとして、直前でかわされた。

「……お前たちのことだったか、もみ子とガチャペンよ」

「髪を引っ張ろうとするのも、もみ子と呼ぶのも禁止です!」

「あ! 灯里は人のセリフ取るの、そっちのポニ男は私をガチャペンと呼ぶの禁止!」

 互いに慣れたものとばかりのやり取りをして、暁と藍華が睨み合う。

 ポニ男というのは暁の髪型をポニーテールに見立てた呼び名だろうが、ガチャペンとはなんだろうか。ナイブズの知識に無いということは、この150年の間に生まれた何らかの新概念か、或いはナイブズが触れる機会の無かった分野にあやかったものだろうか。

 ナイブズがどうでもいいことを考えていると、アルが3人の間に割って入って行った。

「ご近所に迷惑ですので、大声は禁止、ということで」

 口の前に人差指を立ててアルが穏やかな口調で告げると、今にも口喧嘩を始めそうだった暁と藍華は互いに相手を睨みながらも引き下がり、灯里だけはばつが悪そうに笑っていた。すると、ナイブズと目が合い、小走りで近付いて来た。

「こんばんは、ナイブズさん。お久し振りです」

「久し振りだな」

 灯里からの挨拶に素っ気なく、しかし顔をちゃんと見ながら応じる。

 いつに無く……いや、いつにも増してそわそわしている様子を見て、相も変わらず分かり易い人間だと思う。大方、花火が楽しみで仕方ないのだろう。

「ナイブズさんも花火を見に来たんですよね? 初めてですか?」

 気持ちが昂っている影響か、いつもより口早で言葉足らずになっている。灯里の感受性の豊かさもあるだろうが、花火とはここまで人の興奮を煽るものなのか。

「浮島に来るのも花火を観るのも初めてだが、それがどうかしたか」

「私も、花火は火星(アクア)に来てから初めて見たんです。きっと、ナイブズさんも驚くと思いますよ」

 それから、暁とナイブズも灯里達に加わって花火の見物場所に向かう。

 暁は道中も藍華をガチャペンと呼び、隙あらば灯里の“もみあげ”を引っ張りながら何やら文句を言っていたが、別に誰かを追い返そうともせず、寧ろ灯里と藍華の反応や時折入るアルの注意の言葉を楽しんでいるように見える。

 世の中には好意を抱く異性に対して攻撃的に接してしまう不器用な人間がいるとレムから聞いたことがあるが、これがそうなのだろうかと真剣に検討するが、答えは導き出せそうにない。

 一方、ウッディとアリスは他の面々とは全く異なる調子の会話をしていた。ウッディの独特で遠回しな言葉を、幼いアリスが理解できずに突っかかっているという具合だ。一見すると噛み合っていないような会話だが、全体の流れをしっかりと聞いていれば、意外な噛み合い方をしているのが分かる。

 ナイブズは双方に挟まれて、偶に受け答えをしつつ、浮島からの景色を眺めながらゆっくりと歩を進めて行く。

「アル。地重管理人の重力制御業務には以前から興味があった、仕事場を見たい。できるか?」

「いいですよ。いつにしますか?」

「お前の都合のいい日で構わん」

「シルフはどうなのだ?」

「普段から見ているから興味は無い」

「ヒドイのだ……」

「げ、元気を出して下さいっ、ウッディさん」

 目的地への道中、電車へと乗り込む。浮島の周囲を螺旋状に線路が巡らされ、幾つかに区分けされた階層ごとに駅があり乗降する仕組みだ。

 ナイブズは電車に乗るのは初めてだったが、その内装は見覚えのあるものだった。あの時に乗っていた、汽車と似た構造だったのだ。違いがあるとすれば、この電車は客車が一つだけでそのサイズも小さいということと、座席の配置ぐらいのものだ。浮島には滅多に観光客が来ないことに加えて、住民が電車を一斉に使うようなことはまずないのでこの大きさに落ち着いた、とはアルの解説によるところだ。

 ウンディーネの3人が電車後部のデッキへ出て外の眺めを楽しんでいる間、浮島の幼馴染3人は何やら話し合いを始めた。ナイブズはそのどちらにも干渉せず、電車の窓から外の景色――浮島の中心であり象徴とも言うべき炉を眺める。

 人が住むには適さぬ酷寒の星を、炉から大気に膨大な熱量を放射し続けることで人が住むに適した気候へと保つ生命線。地球との交流が始まり、地球の高度技術の流入も始まれば、いつかノーマンズランドにもこのような気候制御ユニットが導入されることだろう。

 そこまで考えて、すぐに、武装した荒れくれ者が気候制御ユニットを襲撃する光景が目に浮かんだ。対して、今いるこの場所でそんなことが起きるとは到底思えなかった。

 あまりにも違う、2つの星の住人の在り様。しかし、そのどちらもが同じ人間なのだから、同じように変わることもできるはずだ。問題は、それまでの間に取り返しのつかないことが起こるかどうかだ。何かが切っ掛けで何者かが変化するとして、必ずしもよりよく変わるとは限らない。人の在り様に限らず、あらゆる物事に於いてだ。ナイブズはそうあって欲しいと願うには至らず、ただ今までの事からどうなり得るかを考え、それに対する自らの感情を問い質すのみ。

 炉の煙突から吐き出される白煙を見詰めている内に、次第に視界から離れていき、やがて見えなくなった。それから暫くして、ウンディーネの3人が中に戻って来て、すぐに降車駅に着いた。

 

 

 

 

 電車を降りて、浮島の町を歩く。限られた空間に押し込めるように家が立ち並んでいる為に、道幅は狭く入り組んでいる。土地勘の無い人間が下手に歩けば忽ち道に迷ってしまうだろう。地元の人間である暁達3人に先導されて、辿り着いたのは古びた木造の橋の先端だ。

 曰く、地元の人間でも滅多に知らない穴場ということだったが、成る程確かに、好き好んでこんな場所に来る人間は少ないだろう。実際、ナイブズ達以外に人の姿は無く、誰かが新たに現れる気配も全く無い。

「どうしてこんな場所を知っている?」

「ガキの頃は3人であちこち走り回ったからな~。その時にたまたまここを見つけたんだよ」

「なるほどな」

 ナイブズもヴァッシュと一緒に、レムの目を盗んで移民船の中を探検したこともあった。それと同じようなものだろう。それに、何気ない散策で意外な発見をすることがあるのはこの街で経験済みだ。

「花火まで、後30分ぐらいありますね」

 時計で時刻を確認して、アリスが呟くように言った。本人は普通に言ったつもりのようだが、元から声が小さいから呟きのように聞こえがちなのだ。

「お菓子を持って来たんですけど、皆さん食べますか?」

「調度小腹が空いていたのだ~!」

「いただきますね」

 灯里が手に持っていたバスケットを掲げて言うと、ウッディとアルは即座に応じ、暁はそれに乗じて灯里の“もみあげ”を引っ張った。

「ふはは、油断大敵だぞもみ子よ!」

「だから、もみ子じゃありませんっ」

 2人のやり取りを黙って見ていると、藍華が近寄って来た。彼女の手にもバスケットがある。

「ナイブズさんも、どうですか?」

「……貰おう」

 思えば、菓子を食べるのも移民船以来だ。

 ノーマンズランドに降りてからは、同胞の力を費やして作られたものを食べることへの嫌悪感から、自身の肉体の維持は必要な栄養素等を自分の力で直接補給することで行っていた。プラントの力は有限であり、力を使うことが文字通り身を削り、命を費やすことだと知ってからは尚更だった。

 今手に取ったこれは、人間若しくは機械によって栽培された穀物を加工して調理して作られたものだ。移民船の主食だった合成食品とも違う。

 手に取った菓子がクッキーかビスケットかもよく分からないが、1つをそのまま口に入れ、咀嚼する。想像以上に粉っぽくて口の中が渇いたが、ほのかな甘みが味覚を刺激する。もう1つ、色違いの物を手に取る。

 小腹を満たした後は取りとめも無い話が始まり、あっという間に時間が過ぎた。

「そろそろ時間だな。見て驚けよ、ナイブズ」

 遠くから微かに聞こえて来る喧騒を聞き取って、花火大会の開始時刻が近付いていることを察した暁は、そう言いながらナイブズを特に見晴らしのいいという先端の中央部へと促した。

「さてな。見るまでは分からん」

 眼下は浮島の町ではなく、ネオ・アドリア海。高所恐怖症の人間でなくとも思わず足が竦んでしまいそうな光景だが、これより高い場所から自由落下して着地した経験のあるナイブズはそんなことにはならず、余裕を持って海上に浮かぶ船の動きなどを具に観察した。

 すると、ナイブズの隣に腰を下ろした灯里が端末を取り出し、操作を始めた。ちらりと構造と操作性を覗き見て、個人用の端末の性能も上がったものだと判断する。

「こんな所で何をしてるんですか? 灯里先輩」

「去年もやってたわね。メールだっけ?」

「うん。ちょっとね」

 3人のやり取りが始まった、調度その時。花火大会が始まった。

 砲弾の発射音に似た音が聞こえて、数秒後。目の前に、光の花が咲き乱れた。それを皮切りに、ネオ・ヴェネツィアの夜空に花火が次々と打ち上げられ始めた。

 目の前で爆ぜるのは最初を含めてごく一部で、殆どの花火は見下ろす形になった。大小だけでなく、形状や爆ぜ方まで、正しく花のような多種多様さで花火が夜空に輝く。

「こうやって花火を上から見るの、初めてです」

「普通は、高くても屋根の上からだからね。ここ、本当に特等席だわ」

 アリスの感動したような声に応える形で、藍華も感嘆の混じった言葉を紡ぐ。

 言われてみれば、確かに花火を見下ろすのは浮島ならではの光景と言える。しかしこれが初めてのナイブズは、下からも見てみたいものだと、素直に思った。

「きれい……まるで、光のお花畑みたい」

「去年も言ってたよな、確か」

「去年に続いて恥ずかしいセリフ禁止!」

「えーっ」

 灯里の言葉に、暁が溜息混じりに言って、藍華はいつもの調子で禁止する。しかし、ナイブズは敢えて灯里のそのセリフを肯定する。

「……確かに。美しいではなく、綺麗と言うべきだな」

 聴衆を鏖殺する殺人音楽を芸術として絶賛していた頃のナイブズならば、決して言わなかっただろうセリフ。灯里が先んじて恥ずかしいことを言ってくれたおかげで、それに乗っかって何ら恥じること無く口に出せた。

 ナイブズ以外の全員がナイブズのセリフに呆気に取られていたが、そんなことは知ったことではないと、ナイブズは一心に花火を見続ける。灯里達もそれに倣うように、ナイブズの発言をすぐに忘れて花火に見入る。

「どうだい? 初めての花火の感想は」

 “デンジャラスボゥイ”なる特大の花火が輝いた直後、暁が話しかけて来た。邪険にあしらうことはせず、率直な感想を伝える。

「物騒なものなら随分と見て来たが……あれらを花火に例えるのは間違いだったと、今分かった」

「物騒ぅ? よく分からんが、まぁ、本物が見られてよかったじゃねぇか」

「……そうだな。見られてよかった」

 何百発も打ち上げられた花火から煙と共に微かに漂って来る、火薬の匂い。しかし、あの星に蔓延っていた銃火や硝煙の匂いとは全く違う。

 同じ火薬でも、人を楽しませる為の花火にもなれば、人を殺す為の武器にもなる。同じ物でも、使い道を変えればこうも違う。

 こういうものが、もっと広まればいい。

 宇宙の果てまで、全ての同胞の許まで、あの星までも。

 そして、いつかは、銃火を掻い潜り硝煙を掻き分けて、火薬の匂いをその身に染み込ませて生きて来た弟が、火薬のこういう使い道を、綺麗さを知る日が来ることを――。

 夜空に瞬き煌めく彩鮮やかな火炎の花々に、ナイブズは想いを馳せた。


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