夢現   作:T・M

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今回ナイブズは登場しません。


#17.夢か現か幻か

「夢を……見てたのかなぁ」

 朝目が覚めて、真っ先に思い浮かんだ言葉が、そのまま口から出た。

 今いるのはARIAカンパニー2階の下宿部屋のベッドの上で、服は寝間着。けれど昨夜は、深夜に洋服に着替えて出かけてそのままだった。寝間着に着替えた覚えはおろか、下宿先であるこの部屋に戻った記憶すら無かった。出掛けた先で眠ってしまった覚えならある。寧ろ、昨夜の出来事は鮮明に覚えている。

 アリア社長に誘われて、アイちゃんと一緒に真夜中の街を走る銀河鉄道に乗った。海上を走っている時は、真っ暗な海に星空が溶け込んで、まるで本当に銀河を旅しているようだった。

 そして、銀河鉄道が辿り着いたその先は――海の底の龍宮城。

 そこで出会ったのは、新しい友達のぴかりちゃん、赤い化粧で彩られた綺麗な白い犬のシロちゃん、龍宮城の龍神様、グランマの家で出会ったアイーダちゃん、いつも唐突に会うナイブズさん、昔話をしてくれたお爺さん、体が丈夫な丈さんと絵が上手な紅祢ちゃん、そして、とっても大きな“人造の天使(プラント)”。

 服を着替えて、朝食を済ませて、身支度を整えて、アリシアさんに挨拶をしてから出掛けるまで、昨夜の龍宮城で出会った人々を思い出して、そのまま出来事を思い返す。

「そういえば、私、ほとんど何もしてなかった」

 今更ながらに気付いて、がっくりと項垂れる。

 新しい友達が出来た事は、それだけでも喜ばしい事だ。ただ、折角素敵で不思議なことに出会えたのに、それをちゃんと味わえなかったのが勿体なく思えてしまうのだ。

 あの日したことは、2つの物語に耳を傾けたこと。たったのそれだけ。それだけなのに、身動きを忘れてしまう程、大きな体験だった。

 だが、ネオ・ヴェネツィアの街を歩いていると、その実感が徐々に褪せていく。

 命の根付かぬ星だった火星を、命を育めるアクアへとしてくれた火星の慈母(グランドマザー)と呼ばれる人造の天使(プラント)

 水の一滴も無く、渇き切った暴力の星でラブ・アンド・ピースを唱えて駆け続けた、お騒がせな心優しいガンマン(ヴァッシュ・ザ・スタンピード)

 彼らの物語と、今のネオ・ヴェネツィアの街には、結びつくものが見出せない。同じ世界で実際に存在する人々の話だったのに、自分が今いるこの場所は、この街は、彼らの生きる場所とはまるで別世界のよう。

 あの物語は、語り部たちの空想か、それとも、自分自身の妄想だったのではないか。聞き入っていたあの時の昂揚が、そんな風に思えてしまう程。

 夢だったとは思えない。幻だなんて思いたくも無い。けど、本当にあったことだったのか、だんだん分からなくなってきた。

 あんなに鮮明だった昨夜の出来事が、今はもう遠い日の思い出のよう――……

「こんにちは」

「はひっ!? こ、こんにちはっ」

 突然、挨拶をされて、驚きながらも反射的に返事をした。

「こんな所にお客さんとは珍しい。あまり珍しいので、声をかけてしまったよ」

 こんな所。珍しい。それらの言葉が気になって辺りを見回すと、全く見覚えの無い場所にいた。

 考え事をしながらぼーっと歩いていたのがいけなかったのか、目的地とは全く違う場所に着いてしまっていた。

 ネオ・ヴェネツィアは迷路のように入り組んでいるとはいえ、もう1年以上も住んですっかり馴染んで、自分も今や立派な街の住人だと思っていただけに、迷子になってしまった事は少しショックだった。

「ひどく汗をかいているね。冷たい飲み物でも出そう」

 言われて、汗が顔中をだらだらと伝っているのに気付いた。体も汗びっしょりで、背中にシャツがくっついてしまっている。

 ぼーっとしてしまったのは、この暑さのせいだ。寧ろ、炎天下に考え事をすればぼーっとしてしまうのは当たり前。

 そんなことを考えながら、慌ててハンカチを取り出して顔の汗を拭う。すると、水の入ったコップとタオルが差し出された。

「店で、休んでいくかい?」

 声の主は、老人だ。あの日、いや昨夜に龍宮城で出会った、昔話のおじいさんだ。

「あなたは、昔話のおじいさん!?」

「まさか昨日の今日で会うとは思わなかったよ、水無灯里さん」

 灯里の素っ頓狂な呼び方にも一切動じず、おじいさんは柔らかな笑みを湛えていた。

 後ろにあるのは店らしいが、看板はボロボロで、何が書かれているのか所々掠れてしまって殆ど読めない。辛うじて『雑貨』の文字だけが判別できるぐらいだ。

「お店屋さん……ですか?」

「うん。この“境”で店を営んでいるから、皆からは『店主』と呼ばれている。目当ての店とは違うだろうけど、目当ての物があればお出しするよ」

 すらすらと述べながら、店主はごく自然に灯里を店の中へと誘う。その言動にあまりにも澱みや躊躇いが無いものだから、逆に灯里の方が躊躇してしまう。

「えっ……と、あの、どうして私が買い物に来たって、分かったんですか?」

「今日は私服だし、小物が入れやすそうなバッグも持っているから、なんとなくね」

 さらりと答えて、店主は扉を開けて店の中に入る。灯里は店の外から、恐る恐る、店主に答える。

「新しい風鈴を、買いに行くところだったんですけど……」

「それは良かった。調度今朝、新しい物を仕入れたところだよ。どうぞ」

 おずおずとした言葉に、滔々とした言葉が返る。何故だか申し訳なさを感じてしまうほど、灯里は店主に対してびくびくしていた。

 怯えや恐怖ではない。ただ、店主が本当に現実の人なのか、本当は夢の中の住人ではないか――などと疑ってしまう性質の悪い妄想が、今日に限っては灯里の中で燻っていた。

 まずは、受け取ったタオルで汗を拭ってさっぱりして、貰った冷たい水を飲んで一息吐いて、そのまま大きく深呼吸。新鮮な空気を胸一杯に吸って、自分の中に溜まっていた悪い考えを吐息と一緒に外へと吐き出す。

「お邪魔しますっ」

 コップを両手で持ったまま、大仰なぐらいに一礼してから、店へと足を踏み出した。

 店は古びた木造建築。灯里が足を踏み出すだけで、キシ、キシ、と、靴音とは異なる、木の軋む独特な音が鳴る。コンクリート等とは異なる木製の床に独特の弾力を、靴を挟んだ足の裏に微かに感じる。

「ようこそ、いらっしゃいませ。久方振りのお客様」

 店主にコップとタオルを返して店の中へ入ると、目に飛び込んできたのは所狭しと並べられた古今東西の様々な品物。商品棚からはみ出して、床に直接置いてある商品の上に、また別の商品まで置いてある。

 どれもこれも、灯里では何に使うのか一目ではわからないものばかり。いや、ちゃんと目を凝らして探してみれば分かる物もあるのだろうけど、如何せん、あまりに雑多だ。

 見ようによっては、雑然とした粗末な店舗。見ようによっては、まだ見ぬ財宝で溢れた宝物庫。

「わぁ~……」

「すまないね、散らかっていて」

「いえ! 見たこともない、色んな物がいっぱいあって、すごいですっ」

 嘆息を漏らして店の中を見渡し、店主の申し訳なさそうな言葉を聞こえていないとばかりに、興奮気味に口走る。

 見知らぬ物事への好奇心に溢れている灯里にとって、それだけこの店は魅力的に映ったのだ。実際、この店に置いてある品は、灯里でなくともこの星の住人の大半が知らないであろう物ばかりだ。

「骨董屋ではないのだが、自然と、昔から置いてある物はそんな風になってしまった。なにしろ、ここには殆ど買い物客が来ない」

「そうなんですか?」

「何分、人が来づらい場所だからね。それでも、こうして時偶、お客様はいらして下さる」

 言いながら、店主は棚からある物を取り出し、灯里の前に一つ一つ、丁寧に並べた。

 並べられたのは、13個の風鈴――いや、夜光鈴だ。こんな時期にも取り扱っているお店があるのかと驚きつつも、商品をじっくり見つめる。

 基本の作りは同一、装飾も殆ど施されておらず極めてシンプル。ガラス部分に白地の体に赤い模様だけで描かれた、動物たちの姿だけが彩りだった。

「きれい……」

 灯里はそれらの夜光鈴を見て、自分でも気付かぬ内に呟いていた。

 球形のガラスに描かれた動物たちには、不可思議な魅力があった。今にも動き出しそうな躍動感とは違う、見惚れるような美しさや目を瞠るような細工も無い。ただ、一つ一つの絵、白地の体の鼻先から紅の化粧の末端まで丁寧に書き込まれたそれらには、見る者の心を掴み、動かす、何かがあった。

 見た目だけでなく、見るだけで伝わるその何かこそが綺麗だと思えた。

 灯里の口から零れ出た言の葉を耳にして、店主は嬉しげに口元を綻ばせた。

「私の旧知の家で作っているものだ。巷では、幻の逸品扱いされているらしい」

 そういえば、つい最近、どこかでそんな話をした気がするが、今は些細なことだった。

 灯里の瞳は夜光鈴の淡い灯りに照らされて、きらきらと輝いていた。その輝きを見詰め返していた。

「おすすめってありますか?」

水先案内人(ウンディーネ)には、この蛇の濡神が良いかな。水を司る神様だからね」

「ほへ~、蛇が神様なんだ」

「昔々の日本では蛇を水の神の使い、或いは水神そのものとして扱っていたんだよ。今ではそういう風習も廃れているがね」

「そうなんですか」

「そうだよ。他にも、例えばこの狼などは、農耕の守護神とも、森の神ともされ――」

 夜光鈴に描かれた13種の動物たち――正しくは、動物の姿をした神様たち――の話を、蛇に始まりすべてを、店主は語ってくれた。

 まるで昔を懐かしむような、何かを噛み締めるような、落ち着いた柔らかな言葉。その一つ一つが心に響き、染み入っていくようだった。

 地球で忘れ去られ、アクアにもしっかりと伝えられず、今にも途絶えてしまいそうな昔話に御伽噺。それらを聞いているうちに、何故か、灯里の胸中に不安が膨らんできた。

 とても摩訶不思議な、本当にこの世界にあったとは思えない物語。もしかしたら本当に、この世界にあったわけではない作り話。

 もしかしたら誰かが、夢と現の境を忘れ、口走っている絵空事……?

「あのっ」

 堪らず、店主の話しを途中で遮ってしまう。自分で声を出しておきながら、灯里は自分で自分の行いに驚いてしまった。

 他方、店主は驚いた素振りも見せず、話の最中に強引に割り込まれたことへの不快感もなく、涼しげな佇まいを崩さない。

「なにかな?」

「私達……昨日、会いましたよね!?」

 突飛な質問に、店主も今度は驚いた。しかし一瞬で思案を終えたか、すぐに頷いた。

「ああ。私も龍宮城に行ったのは久しぶりだったから、よく覚えているよ」

「よかった……」

 期待通りの答えを聞けて、堪らず安どの溜め息が出る。

 あの日あの時あの場所で、出会った人々、耳を傾けた物語は、夢や幻では……――

「けれど、あれは本当にあった事なのだろうか?」

「え?」

 唐突に、店主は自らの言葉に疑問を投げかける。まるで、灯里の内心の不安を見抜いているかのように。

 本当に、あの日あの時あの場所で、自分たちは出会っていたのだろうか?

「もしかしたら、君と私が同じ夢や幻を見ていたのかもしれないし、大がかりな舞台装置を本物と勘違いしたのかもしれない。……いや、本当にあったことだとしても、だ」

 店主は一度言葉を切り、灯里の目をまっすぐに見詰めた。

「私達しか知らない事は、私達が忘れてしまえば、私達がいなくなってしまえば、他の誰にも知られることなく……何も無かったものと同じになる。それは、この(うつつ)にはじめから無かったことと――夢や幻だったのと同じではないだろうか?」

 昨日の出来事だけではない。それまでの日々も、今この時さえも、夢や幻と変わらない。

 考えたこともなかった言葉を聞かされて、灯里は心臓を鷲掴みにされたような錯覚に陥った。

 言い当てられた不安と得体の知れない恐怖が、心臓の鼓動を不自然に加速させて、まるで胸が締め付けられているように苦しい。

 自分がいなくなってしまえば、自分が忘れてしまえば。今まで出会った全てが、何も無いのと同じになってしまう、無かったことと変わらなくなってしまう。

 昨日の出来事に限らず、今、この瞬間さえも。

「……違うと、思います。そんなこと、ありません」

 今の戸惑いと不安も、あの胸の高鳴りも、火星(アクア)に初めて来た時の高揚も、アリシアさん、アリア社長、藍華ちゃん、アリスちゃん、アイちゃん――みんなと出会えた喜びは、共に過ごした日々のあの一瞬一瞬の輝きは、絶対に夢や幻なんかじゃない。

 けど、これらの想いは全部、私一人だけのもの。私がいなくなったら、私が忘れてしまったら、誰にも知られず、本当にあったのかなんて分からなくなってしもうもの。

 それでも、私は知っている。人が、人の想いを知るための方法を。人が、人に想いを伝えるための方法を。

「私、昨日のことをみんなに話しますっ。藍華ちゃんやアリスちゃんには、信じてもらえなくて、呆れられちゃうかもしれないけどっ。きっと、少しずつでもそうやって伝えていけば……ゆっくりでも広がって、みんなの心にも残ると思いますっ」

 知らなければ、それはこの世に存在しないのと同じになってしまうのかもしれない。しかし、それは裏を返せば、一度知ってしまえばそれは確かにそこにあるのだと確信できるということだ。

 なら、みんなに話せばいい、伝えていけばいい。たとえ信じてもらえなくとも、そのことはその人の心の中に残る。もしかしたら、その人がまた別の人に話してくれることもあるかもしれない。

 きっと、そうやって水先案内人の間に広まったのだ。荒野の星で愛と平和を謳い続ける心優しいガンマンの物語は。

 きっと、そうして今も残っているのだ。ボッコロの日の伝承のような、今も伝わる数々の御伽噺は。

 だから、自分もそうすればいい。昨日だけじゃない、今までが無かったことになんてならない。無かったことになんてしたくないから。

 自分でも驚くほどの、感情と言葉の奔流。店主の言葉に刺激されて、気づかぬうちに不安で蓋をされていた奥底の感情が、溢れ出して止まらない。

「……ありがとう」

 言葉の洪水が途切れたのを見計らってか、店主は微笑みを浮かべて言った。

「はひ?」

 突然お礼を言われて、灯里は素っ頓狂に聞き返してしまった。何に対してお礼を言われたのか前後の脈絡がまるで分からず、また、感情の昂るあまり上昇した体温に脳がオーバーヒートでも起こしたのか、今は自分で考える余裕があまりないのだ。

 それを察してか、店主はゆっくりと、丁寧に、穏やかに言葉を紡ぐ。

「知るということは、世界が広がるということ。知られるということは、世界に踏み出すということ。どうか、多くの人々に出会い、多くの物事を知り、その感動を忘れぬ裡に誰かに伝えて欲しい。昨夜の龍宮城の出来事然り、火星の慈母の御伽噺然り、人間台風の冒険譚然り。……そして、これから君が出会うであろう、とても素敵な日々のことも」

 店主の言っていることはよく分からない。けど、なんとなくわかるような気もした。

 この後、また水を出してもらい、一服してから夜光鈴の支払いを済ませた。選んだのはお勧めの通り、水の神様の白い蛇が描かれた物だ。

 すると、店主の態度が急に変わった。

「さて。十分に休めて、目的の品も手に入った。君はそろそろ帰るべきだ。つい長話をしてしまったが、ここは本来、君達人間が長居をしていい場所ではない」

「それって……」

 どういう意味ですか、と続く言葉を出す前に、店主が店の扉を開け放ち、何も言わずに手振りだけで灯里を外へと促す。

 無言の圧力とも言うべきものを、灯里は生まれて初めて経験しているような気がした。このお爺さんとはもっとお話がしたいのに、そういう本心を少しも表に出せない。先程までの親しげな態度との落差から、殊更にそう思ってしまう。

 店主に(いざな)われるまま、灯里は店の扉を潜って外へと出た。

 そして、店の敷地から出たところで、店主が一枚のメモを差し出してきた。

「これは?」

小日向(こひなた)(ひかり)の、連絡先だ」

 お別れの挨拶も言えないままだった、最も新しい友人。

 灯里はメモを受け取ってすぐにその連絡先を凝視して、店主にお礼を言おうと顔を上げた。

 

 其処は、影に覆われた路地裏にひっそりと佇む廃屋。

 壁は所々がひび割れて崩れ、ドアの外れた屋内には打ち捨てられた家具以外には何もなく。人影など、どこにあるはずもなく。

 名前の分からない雑貨店と店主は、忽然と姿を消していた。

 まるで、最初からそこにいなかった――夢か幻だったかのように。

 灯里は、受け取ったメモ紙を持つ手に、ぎゅっと力を込めた。

 

 

 

 

 寄り道せず真っ直ぐにARIAカンパニーへ帰ると、灯里は自分の部屋に入り、ベッドに倒れ込むように寝転がった。

 頭の中がぐるぐるとして落ち着かない。どうにか頭の中を整理しようと、目を瞑って落ち着こうとしているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。体ではなく頭が、いつにないオーバーワークで想像以上に疲れていたらしい。

 一休みしてからお昼ご飯を食べようと思っていたが、開け放たれた窓から見える空は茜色。お昼には遅すぎるし、少ししてから夕ご飯にしよう。

 寝ぼけ眼をこすりながら、まずは服を着替える。寝汗で濡れてしまっていて、このまま着ていたら風邪をひいてしまいそうだ。

 着替えを済ませてから、ベッドの脇に置きっ放しにしていた買い物鞄を手に取り、恐る恐る、中身を確認する。

 中には、ちゃんと夜光鈴とメモ紙が入っていて、自然と安堵の溜め息が出る。

 改めてメモの内容を具に確認する。書かれているのは『小日向光』の名前と住所と携帯端末のメールアドレス、そして携帯電話の番号だ。

 少し考えて、一階に移動し、新しい夜光鈴を飾ってから、固定電話の前に立ち、数度深呼吸。数順の躊躇いの後、意を決して電話番号を入力する。

 十秒ほどの呼び出し音の後、回線が繋がる。映像が出ないのは、どうやら相手がテレビ電話機能の無い携帯電話だからのようだ。

「もしもし?」

 スピーカーから聞こえてきたのは、赤の他人のものではなく、間違いなく昨日出会ったばかりの新しい友人の声。

「えっと……ぴかりちゃん?」

 半ば勢いに駆られて電話をかけてしまったものだから、なんと言っていいか分からず、まずはと彼女の愛称を呼ぶ。

 数秒の間。もしかして、声がよく似ていただけの勘違いかと一瞬不安になったが、それは杞憂。

「もしかして、灯里ちゃん!?」

 耳鳴りがするのはないか、というほどの大きな声が電話の向こうから飛んでくる。声だけでも分かってしまう元気さがなんだか嬉しくて、自然と笑みが浮かんでくる。

「うん、そうだよ。昨日会ったおじいさんに今日も会って、ぴかりちゃんの連絡先を教えてもらったの」

「調度、今ね! みんなに昨日の事を話してたの!」

 灯里の説明が聞こえてないのか、矢継ぎ早に、興奮気味に光が捲し立ててくる。昨日会った時との印象の違いに、ちょっと驚いてしまう。

「昨日の事を?」

「うん。私ね、なんだか、昨日の事が夢みたいだなーって。明日になったら、いつもの夢みたいに忘れちゃうんじゃないかって、思っちゃって……。そこでですね、夢のプロフェッショナルのてこに教えてもらったんですよ! 夢を絶対に忘れない方法を!」

「夢の、プロ?」

「うん! てこは……あれ? どうしたの、てこ?」

「きゃっ、却下ー!! 却下っ! 却下ぁ!!」

 電話の向こうから、光以外の賑やかな声が聞こえてくる。どうやら、夢のプロフェッショナルご本人がそこにいて、本人からNGが入ったようだ。

 友達ならともかく、見知らぬ他人に知られては恥ずかしいこともあるだろう。電話の向こうの騒ぎに苦笑しつつ、落ち着くのを待つ。

「それで、夢を忘れない方法って?」

 向こうの話が纏まったのを察して、元の話の続きを尋ねる。夢のプロフェッショナルについても興味津々だが、本人が恥ずかしがっているのではしょうがない。

 光はすぐに頷いて、夢を忘れないための方法を教えてくれた。

「自分が見た夢を、他の人に話すの。整理して、順序立てて」

「……まるで、物語の語り部みたい」

「あの人たちほど、うまくないけどね」

「私も、そうする。私の友達に、みんなに、昨日の事を話すよ。起きながら寝言言うの禁止!って、言われちゃいそうだけど」

 光と話している内に自然と、今日、店主と話したことが思い出される。

 意地の悪いお爺さん、というわけではなかったのだろうけど、今はそう言ってしまいたい。

 意地悪なおじいさん。夢のプロさんと同じアドバイスをしたかったのなら、私に自分で考えさせるんじゃなくて、直接教えてくれればよかったのに。

「……あの、灯里ちゃん」

 先程までとは打って変わって、恐る恐る、躊躇いがちに光が問いかけてくる。

「なに? ぴかりちゃん」

 その気持ちがなんとなく分かって、灯里は努めて穏やかに応じて先を促す。

「夢じゃ、ないんだよね?」

「……うん」

 きっと、光も不安だったのだろう。昨日の出来事が夢か幻だったんじゃないかって。

「夢みたいだったけど、夢じゃなかったんだよね?」

「うん!」

 だから、嬉しいんだ。昨日の素敵な出来事が、本当だよって言ってくれる人がいることが。

 今日は早速、アリシアさんとアリア社長に話そう。明日は合同練習だから、藍華ちゃんとアリスちゃんにも。

 龍宮城での出来事や、忘れられてしまった火星の慈母の物語、そして人間台風の冒険譚の新しい一節、それから、不思議なお店とその店主さんのことを。

 みんなに話そう。伝えていこう。

 それが、確かにあったのだと。彼らは本当にいるのだと。

 彼らの存在が、みんなの心に残っていくように。

 

「あらあら、どうしたの? 灯里ちゃん。なんだか、とっても嬉しそうね」

「ぷいにゅ~」

「アリシアさん、アリア社長、お帰りなさい! 今日は私、話したいことがたくさんあるんです!」


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