夢現   作:T・M

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#19.会者定離

 レデントーレの準備に向けて、時間が慌ただしく過ぎていく日々が終わり、灯里と藍華とアリスは、簡素な『準備お疲れ会兼当日も頑張ろう会』を開いていた。

 会場は姫屋の藍華の部屋。持ち寄ったケーキ類や秘蔵の紅茶も堪能して、今はまったりムードを堪能している。無論、晃にはくるみパンを献上して了承を得ている。

 やがて、あることに話題が移り、灯里は鞄の中からある物を取り出した。

「これが、幻の夜光鈴……」

「こんな時期でも手に入るなんて、でっかいビックリです」

 季節外れのこの時期に、偶然手に入れた夜光鈴の正体が、巷で噂の『幻の夜光鈴』だったと灯里が気付いたのは、アリシアとアリア社長にそれを見せた時だった。正確には、アリシアに指摘されてやっと気付いたのだが。

 事実を知った今でも、灯里はこの夜光鈴に『幻の夜光鈴』としての価値を見ていない。あの日の体験を経たという確かな証拠の一つとしての印象の方が、より鮮烈なのだ。

「このヘビさんの絵もかわいいよねー。ぬれがみ様って言って、水の神様なんだって」

「へ~、そうなんだ」

「蛇が水の神様、ですか」

 店主の受け売りの知識を披露して、素直に感心される。少しだけ気恥ずかしくなりながらも、日本に住んでいた灯里ですら知らなかった遠い昔の日本の物語の断片を、拙いながらも伝えていく。

「これ、例の不思議なお店で手に入れたんだっけ?」

「うん。竜宮城で素敵な昔話をしてくれたお爺さんのお店だったんだ」

「けど、その後何度行っても、そのお店は見つけられないと」

 灯里はあの後、何度かあの店のあった場所まで行ったのだが、やはり廃屋しか見当たらず。レデントーレに使えそうな物が見つけられないかと探した時には、その廃屋すら見つからないようになってしまった。

 そっと、夜光鈴を指先で撫でる。

「どうしてだろうね。ちゃんと、あそこに行ったよってしるしは、ここにあるのに」

 確かにあったことなのに、ちゃんと覚えているのに、何故かひどくあやふやに思えてしまう、不思議な体験。猫妖精(ケット・シー)と出会った時とも異なる、不可思議な感覚。

「ナイブズさんも持ってるんですよね。この夜光鈴」

「……あ、そうか。花火を観に行った時に言ってたよね」

 アリスに言われて、灯里も思い出した。一緒に花火を見たあの日の夜、幻の夜光鈴の話題が上がっていたことを。その持ち主であり、話の中心にいたのはナイブズ。

 レデントーレの準備を始めた初日に偶然出会い、灯里の竜宮城での体験を迷いなく肯定してくれた人。そして、海底の巨大プラント、竜宮城の王、不思議な店の老店主、赤い化粧の白い狼、猫妖精たちと共に立ち、同じ側にいた人。

「思えば、ナイブズさんも不思議な人よね。灯里と同じかそれ以上に不思議体験に遭遇していて、しかもそこに馴染んでるみたいだし……」

 一度言葉を切って、僅かに思案する素振りを見せたのち、うむと頷いて、藍華は続く言葉を紡ぎだした。

「よしっ。レデントーレが無事に終わったら、ナイブズさんを探して色々聞いてみましょうか」

「ほへ?」

「急にどうしたんですか、藍華先輩」

 手をポンと叩いて、藍華が宣言した。灯里もアリスも、この提案には驚いた。

 ナイブズはたまにばったり出会う人で、自分たちから会いに行くというイメージが全く無かったのだ。

「だって、ナイブズさんからもちゃんと聞いてみたいじゃない。竜宮城のこととか、不思議なお店のこととか」

 確かに、聞いてみたい。

 自分が体験したあの不思議な瞬間を、他の人がどのように感じどのように想ったのか。

 あの人がそれを、どんな風に語るのか。

「あと、平和主義者のガンマンの冒険譚ですねっ」

 ぐいっと前のめりに、アリスも藍華の提案に加わった。

「アリスちゃん、ヴァッシュさんのお話、好きなの?」

「はい。赤くてムッくんみたいなところが、特に」

「ムッくん似かどうかは分かんないでしょっ」

 話はやがてまとまって、レデントーレ本番を頑張ろうと約束して、会はお開きとなった。幻の夜光鈴も、折角ということで船の飾りに使うことになった。

「それじゃあ、当日もこの調子で頑張るわよっ」

「おーっ!」

 

 

 

 

 レデントーレ本番から数日後。初めて催したレデントーレを事後処理も含めて無事に成功させた3人は、ゆっくり休んで疲れを取った後、約束通り、ナイブズを探しながら街中を散歩していた。の、だが。

「こういう時に限って、会えないものなのねー」

 街を歩き回っている内にお昼の鐘が鳴り、3人は近くにあった料理店で昼食をとっていた。

 いつもは何でもない時に不意に出会えるのだが、いざ探してみると、これがなかなか見つからない。

 よく考えてみれば、寝泊まりしている場所も、火星に滞在している目的も、普段どんな仕事をしているのかも分からない相手なのだから、そう簡単に見つけられるはずがないのだった。

 そんなことに考えが及んで、ふと、ある疑問が湧いて出た。

「そういえば、ナイブズさんって、どうしてこの星(アクア)にいるんだろう? 観光でも、お仕事でもないんだよね」

「ナイブズさんも大人だし、色々と事情があるんじゃないの?」

 大人の抱える事情というものは、子供には分からなくて当然と、なんだか疲れたように藍華は言う。多分、姫屋を経営している両親との間で色々とあるのだろう。

 それでも、分からないものなのだとしても――だからこそ、尚更気になってしまう。何の目的も無く訪れたのに、どうして今もこの星に、この街にいるのだろうと。

 すると、ジュースを飲み終わったアリスが、やけに神妙な表情で口を開いた。

「『どうして』ではなく、『どうやって』の話になるんですが……調べてみたら、ナイブズさんのいたであろう星って、一つしか該当するものがないんです」

「おお、分かったも同然じゃん」

「その星がどうしたの?」

 灯里だけでなく藍華も食いつき、続きを話してくれるよう、視線を送ってせがんだ。しかしアリスは、自分から口にしたことだというのに、何故だか困惑しているような難しい表情で、躊躇いがちに口を開いた。

「それが……その星は150年ほど前に移民船団が墜落して、生き残った人たちの子孫が暮らしていたそうです。墜落の影響で高度技術の大半が失われて、昨年に連邦政府が接触するまで、自力で宇宙に上がる術も無かったそうです」

「……つまり?」

「どゆこと?」

「ナイブズさんは、その星……ノーマンズランドから、このアクアまで、来られるはずがないってことです」

 

 

 

 

「ナイブズは、火星(アクア)まで汽車に乗って来たの?」

「正確には、蒸気機関車のような何か、だ」

「それで、最初に着いたのがこの場所なんだ」

「ああ」

 ネオ・ヴェネツィアの路地裏の奥の奥。

 多くの建物がひしめき合い、古い路地と水路が入り組んだ道々の奥にあるこの場所は、昼間に来ても薄暗い。着いた時は夜だったから、全く気にもしなかったのだが。

 ナイブズがこの場所を改めて訪れるのは、今日が初めて。汽車を降りて以来となる。

 火星開拓期に使われていたと思われる、旧い鉄道駅の跡地。廃墟と言っても差し支えあるまい。

 ネオ・ヴェネツィアの街は、地球のヴェネツィアで現存していた建築物を優先的に移築して街造りが行われたらしいが、移築できないもの、度重なる災害で壊れてしまったものも多くあった。なので、再現したもの、全く新しい建物なども、当時多く建てられた。

 その結果、街は旧来のものと新規のものとが混在する摩訶不思議な構造となり、人の立ち入らない奥の奥ともなれば、こうして唐突に古いものが顔を出してくることもままある。

 線路は、暗い、トンネルのようになっている建物の狭間へと続いている。どこに繋がっているのかは、誰にもわかるまい。

「いいのか? 最後の自由時間が、こんな街の裏側の案内などで」

 ナイブズは、アイーダに改めて尋ねた。彼女に請われてここまで案内してきたが、こんなものばかりを見続けるのは、幼い同胞には退屈ではないだろうかと慮ったのだ。

 しかし、アイーダは首を横に振った。

「地球圏のプラントの中で、お婆様(グランドマザー)の存在は御伽噺として語り継がれていたけど、私はそんなの作り話だって、ほとんど信じてなかったの」

「だが、御伽噺の通り、彼女はあそこにいた。今までも、今この時も」

「だから、ちゃんと見たいの。お婆様が育んだ大地に生まれた、この世界を」

「……そうか」

 ならば、否があるはずもなし。

 ナイブズはアイーダを連れて、次の場所へと向かった。その姿を、一匹の黒猫が無人駅の線路上から見守っていた。

「ナイブズはどうして、私たちが裏側とか境とかに入れると思う? 私は、きっとこの世界のみんなが、お婆様の同族の私たちを歓迎してくれているからだと思うんだけど、どうかな?」

「実際、賓客扱いではあるが、それとは別のような気もするな。俺は、プラントの“力”が理由ではないかと思う」

「時空間に干渉してどうのうこうの……っていう、あれ?」

「あれだ」

 道中に色々と話しながら、歩き続ける。

 次に向かう先は、予てからの約束の場所。

 以前は会いに来いと言い放っておきながら、今自ら足を踏み入れる。

「待たせたな」

 猫の國の王、カサノヴァ――猫妖精の元に様々な猫たちが集まる、猫の集会場、その一つ。

 ナイブズからの挨拶を聞き、その傍らのアイーダを見て、猫妖精は目を細めて、そのまま閉じて、穏やかにほほ笑んだ。

 

 

 

 

 空が茜色に染まる頃。3人は灯里の(ゴンドラ)の上にいた。

「結局、見つからなかったね」

「会える時はふらっと会えるのに、いざ探すと見つからないものねー」

「でっかいがっかりです……」

「会えるのは今日だけじゃないから、また今度、会えた時に聞いてみようよ」

 あれから街中を歩き回り、自主練習名目で舟も使って水路からも探したのだが、結局見つけられないまま日が暮れてしまった。

 夏も終わりが近く、日が落ちるのも早くなってきた。まだ肌寒いとまではいかないが、日が沈んでしまうより前に帰るに越したことは無い。

 灯里がオールに手を掛けると、アリスが声を上げた。

「あ、灯里先輩。夜光鈴が」

 見ると、舟の舳先に付けた夜光鈴が明滅している。夜光石の寿命が来てしまったようだ。

「噂の夜光鈴も、夏も終わりの頃に買ったんじゃ、そりゃ寿命も早いわよね」

「そうだね」

 噂によれば、夏の始まりから終わりまで輝き続けるという、特別な夜光鈴。もっと早く逢えていれば、もっと長い間この光を見ていられのに――と、口惜しい気持ちもある。

 けど、それ以上に、あの時に出会えたから、今この瞬間があるのだと思うと、堪らなく愛おしい。

「……折角だから、このまま一緒に見てくれる?」

「いいわよ」

「はい」

 舟を出し、水路を進む。水路で夜光石が落ちるのを持っていたのでは危ないから、海まで行く必要がある。帰り道には遠回りになってしまうが、こういう寄り道もいいものだ。

 3人で色々なことに話を弾ませていると、それを遮るかのように、急に風が吹いた。

 夜光鈴が揺れ、風鈴独特の透き通った音が響き――どこかから、同じ音が聞こえてきた。そちらに目を向けると、水路の分岐があった。その先にある薄暗い空間に、微かに明滅する光が見えた。

「……あの光」

 もしかしてと、思うが先か、感じるが先か、灯里は舟を急旋回させた。

「灯里先輩?!」

「ちょっと、どこ行くのよっ」

「ご、ごめん」

 客席からの文句に詫びつつも、灯里は舟を操り、薄暗い水路の奥へと向かう。

 進んだ先は開けた空間だった。まるで湖のような空間の岸辺に、夜光鈴を持った男性と少女の2人連れの姿があった。

「灯里さん、藍華さん、アリスさんっ」

「お前達か」

 アイーダは嬉しそうに3人の名を呼び、ナイブズはいつもと変わらない調子だ。

 岸辺に舟を付けると、ナイブズも灯里の夜光鈴に気が付いた。

「お前も買っていたのか、その夜光鈴」

「あ、はひ。ナイブズさんは……」

「アイーダに、街の案内をしていた」

「みんなは何をしてたの?」

 ここでなにをしていたか、ではなく、どこで買ったのかを聞きたかったのだが、今日この時まで街中を歩き回った理由を思い出す。

「私たち、ナイブズさんを探してたんです」

「けど、今日はもう遅いし……」

 帰りますね、と藍華が口にするより先に、ナイブズはその場に座り込んだ。

「これが落ちるまでなら、付き合ってやる」

 夜光石を指してぶっきらぼうに告げられて、3人は俄かに笑みを浮かべた。

 3人は舟に乗ったまま、ナイブズとアイーダは地べたに座って、明滅する夜光鈴を見守った。

 夜光鈴に描かれた蛇と狼の姿が淡く照らされる様子は、どこか幻想的だった。

「ナイブズさんは、ノーマンズランドという星から来たんですか?」

 早速、アリスが質問をした。これに、ナイブズは少し意外そうな様子を見せた。

「もうそこまで情報公開が進んだか。そうだ、俺はあの星から……ノーマンズランドから来た」

 アリスが予想していた通り、ナイブズが来たのはノーマンズランドという星で間違っていなかった。そうなれば、気になることはもう一つ。

「どうやって来たんです? なんか、100年以上前に色々あって、ずっと宇宙にも上がれないぐらいだったって聞いたんですけど」

 来られるはずがない星から、火星へとやって来た。解き明かされた謎によってさらに判明した謎について、藍華が早口気味になりながら質問する。

 すると、ナイブズは珍しく即答せず暫く黙り込み、考え込んだ。

「……俺にも、よく分からん。気付いたら、汽車の客席で寝ていたからな」

「汽車?」

 思いもよらない答えに、3人は揃って聞き返してしまった。

 何をどうしたら、汽車で星から星へ渡って来られるというのだろうか。

 予想外で奇想天外な答えに、藍華とアリスは拍子抜けして、放心したようになっている。

 他方、灯里は驚きに胸を高鳴らせていた。

 それって、まるで、本当に。御伽噺にもある、夜空を走る銀河鉄道なのでは、と。

 夜の闇に海と星空が融け合って、まるで銀河を走っているように思えた、あの日の光景を思い出す。

 もしかしたら、本当に星の海を走るものもあるのかもしれないと、そう思えただけで胸がいっぱいになる。

「そんなことを聞きたかったのか?」

 ナイブズはそれ以上何も説明せず――もしかしたら説明できないのか――話題を別のことへと移した。

 そんなこと、と本人から言われて、ナイブズが火星に来たことがほんの些細なことなのだと感じられた。

 そして言われた通り、聞きたかったことはそれだけではない。

「はいっ! ナイブズさんも、あのお店に行ったことがあるんですか?」

「平和主義者のガンマンについて、色々聞かせてくださいっ」

「あっ、あの、えーっと……そうだ、竜宮城について、詳しく!」

 矢継ぎ早に放たれた3人からの質問に、ナイブズは面食らったようになり、それを見たアイーダは小さく笑っていた。

 

 

 

 

「……俺が先に訊いてもいいか」

 まさか3人から一辺に別々の質問をされるとは思わず、ナイブズは先んじて、予てから水先案内人たちに聞きたかったことを尋ねることにした。

「何故、お前たちはあいつの……ヴァッシュの話が好きなんだ?」

 今の質問の中にもあった、平和主義者のガンマン――ヴァッシュ・ザ・スタンピードの物語。それがナイブズの知らないところで広まっていったことは別にいいのだが、何がそこまで受けたのか、よく分からない。

 この星とは何もかもがまるで逆の、人の心すら乾いた暴力の星で、ラブ・アンド・ピースを唱える聖者が現実に打ちのめされ続ける話の、何が面白いというのか。

 最初に答えたのは、灯里だった。

「とっても、不思議なんです。星空に見えないぐらい、遠い彼方の星の出来事を、物語を……今こうして、私が知っていることが」

 言われて、つられるように空を見上げる。

 茜色だった空も少しずつ蒼褪め、徐々に黒が濃くなっている。空にはちらほらと、星の瞬きが見えるようになっていた。

「仮に星が見えたとしても、見えるのはその時ではないだろうしな」

「その時じゃ、ない?」

 何の気なしに呟いた言葉に、アイーダが首を傾げた。他3人も同様で、少々分かり辛い言い方だったか、と補足する。

「今見える星の光は、すべて過去の光だ。何百年も、何千年も前の」

「……光の速さは有限で、宇宙はとっても広いから、星の光が届くのにもでっかい時間が掛かるって、少し前に講義でやりました」

「今見えているのに、昔の光なんだ……」

 ナイブズの言葉を更にアリスが補足する形になり、藍華は惚けたように小さな声で呟いた。

 全員が、空を見上げ、星を見る。上がちょうど空洞になっているのも幸いだった。

「遥かな、時の彼方。まだ見えない、遠い星。けど、今こうして語り継がれている、同じ人間(ひと)の物語……まるで、奇跡みたい」

「恥ずかしいセリフ禁止!」

「ええーっ」

 いつものやり取りを聞いて、今回は何が恥ずかしかったのかと首を傾げつつ、残る2人にも話を聞く。

「お前たちはどうだ?」

「私は……ヴァッシュさん、でしたっけ? その人の、何度挫けても諦めないで立ち上がって、挑み続ける姿が……憧れるというか、励まされてるみたいに感じて」

 藍華は、何やら照れ気味に、恥ずかしそうにしながら答えた。何がそんなに気恥ずかしいのだろうかと思ったが、些細なことなので気にしないことにした。

 実際のところは、自分の好きな話の作り手を目の前にして、いざ感想を言う段階になって急に羞恥心が襲ってきたのだが、ナイブズにはそういう感情の機微を察することはできなかった。

「お答えする前に、ナイブズさんにでっかい質問です」

 ピンと手をまっすぐに伸ばして、アリスは真剣な表情でナイブズに質問してきた。お手本になるぐらい、綺麗な質問の姿勢だと、レムから色々教えられた幼少期を思い出した。

「ガンマンさんは、ムッくんに似ていますか?」

「……なんだ? それは」

「これです」

 突如として謎の単語を言われて聞き返すと、アリスはポシェットから手の平サイズの小さな人形を取り出した。どうやら、これが『むっくん』らしい。

「地球発祥のテレビ番組のマスコットキャラクターだよ」

 アイーダから最低限の説明を受け、しげしげと眺める。

 赤い、もこもことした謎の球状の物体――毛玉?――に、目と口だけを貼り付けたような奇怪なキャラクター。人型でない時点でヴァッシュに似ているとは言い難い、の、だが。

「………………この間抜け面、なんとなく似ている」

「なんですとぉ!?」

「そうなの!?」

「なんとなくだ」

 ナイブズの回答に、藍華とアイーダは仰天し、アリスは目を輝かせて喜んでいる。灯里は、どうやら『ムッくん』を使ってヴァッシュのイメージをしているらしく、目を瞑って難しい顔をしている。これがヴァッシュと同じことをしている図はナイブズには到底想像できないので、中々の苦行だろう。

「私は、理想主義者で聖人みたいな行動原理の割に、感情的で喜怒哀楽が豊かなところが、親しみを持てて好きですね」

 アリスはムッくんの人形を手に持ち、ほくほくとした様子ではきはきと答えた。

 レガートはヴァッシュを指して『聖者』と評した。アリスによる『聖人』という人物評も言い得て妙だ。

 ふむ、と頷き、灯里を見遣る。

「お前は物語を知っていること自体に感動していたようだが、内容はどうでもいいのか?」

「ええー!? そんなことないですよーっ」

 投げ掛けられた疑問に、灯里は大声を出して狼狽えた。余程、ナイブズの言葉が思いもよらぬものだったらしい。

「教えて、灯里さん。人間台風(ヴァッシュ・ザ・スタンピード)の物語の、どこが素敵なの?」

 アイーダにせがまれて、深呼吸をして落ち着いてから、灯里は静かに語り始めた。

「私、前にこんなお話を聞いたことがあるんです。求めるものを探して旅をしていた旅人が、途中で道を見失ってしまって、求めるものを手に入れられなくなってしまった。旅人はとても悲しんで……けど、俯いていた顔を上げたその人は、求めていた物以上の素晴らしい世界に出会えた――という、お話。私、今でもこのお話が好きです」

 そこで一度言葉を切り、目を瞑り、深呼吸をするように胸を膨らませる。

 息を吐き出すように、言葉を想いのまま連ねる。

「ヴァッシュさんのお話は、まるで逆。旅の最中に色んな困難に遭って、時には倒れて、道に迷ってしまっても……自分の目的地を見失わず、最初に夢見た理想を忘れず、大切な想いをずっと貫き通して、夢にまで見た景色に辿り着いた。そういうところが、大好きなんです」

 灯里の言葉が終わって、数瞬、静寂が辺りを包む。

 藍華とアリスとアイーダは顔を赤くして、ナイブズは真っ直ぐに灯里を見つめたまま。

「恥ずかしいセリフ、禁し……」

「さっき、お前が言っていたのと中身は同じだろう」

「ぬなっ!?」

 我に返った藍華が発した決まり文句に、ちょっとした気紛れから茶々を入れる。藍華も自分では気付いていなかったらしく、奇声を発して固まってしまった。

「確かに。言い方が違うだけで、言っていることはほぼ同じです」

「藍華ちゃん……」

「や、やめれー! そんな目で見るの禁止ッ!」

 アリスに追い打ちをかけられ、灯里にきらきらとした喜びの眼差しで見つめられて、羞恥心が許容量をオーバーした藍華は「ぎゃーす!」と叫んで今にも舟から飛び降りそうな勢いだった。実際には舟の上で、アイーダも巻き込んで4人で騒いでいる程度だが。

 目の前の光景を――その中心にいる少女を見て、ナイブズはあることに気付いた。

 自然と人を巻き込んで、輪を作り、輪の中心にいる。灯里とあいつは、どこか似ている。だからこそ、通じるものがあり、感じられるところも多いのだろう。

 尤も、今目の前にいるのがあいつだったら、勢い余って舟を転覆させて自分だけ溺れる、ぐらいのことは間違いなくしでかすだろうが。

 そして、ヴァッシュの話が好評を博した理由もなんとなく分かった。

 彼女たちにとって、あれはあくまで物語。ナイブズにとっては過去の事実だとしても、彼女たちにとっては現実ではない。だからこそ、綺麗なところだけでなく、辛い部分もひっくるめて受け入れることができたのだろう。

 目を向けると、調度、夜光鈴から夜光石が落ち、暗い水面に飲み込まれた。

「ここまでだな」

 ナイブズが告げると、少女たちはまずナイブズの夜光鈴を見て、慌てて灯里の夜光鈴を見た。そちらはまだ残っており、安堵の溜め息を吐く。

 少女たちは改めて、数分後に訪れる夜光鈴の最後を見届けた。

 夜光石の結晶が残ったとかで何やら盛り上がっているが、懐から時計を取り出して、アイーダに見せて呼び寄せる。

「俺とアイーダはもう行く、お前たちもそろそろ帰れ」

 言うや否や、3人はナイブズの持っている懐中時計を覗き込んで来た。時計の針の配置を見て、二度三度と見直して時刻を確認して、2人の顔色が変わる。

「ぎゃーす! 門限過ぎてるー!?」

「私もです」

「晃さんに怒られる……っ」

「私も寮長に叱られます……」

「頼むわよ、灯里っ」

「でっかい急ぎでお願いしますっ」

 驚き慄き、2人揃って慌てて灯里に頼み込む。忙しないことだ。

 アイーダに小さく声を掛け、踵を返す。向かう先は、灯里達とは正反対。街の表通りから近くて遠い、街の裏側。

「あのっ、ナイブズさん!」

 後ろから声が掛かる。足を止め、振り向くことはせず肩越しに声の主を見遣る。

「ナイブズさんはっ……不思議の側の人、なんですか?」

 その問いの意味は、自分でも意外なほどすんなりと理解できた。

 調べたところ、プラントの“力”とは『神秘』であると過去に学会でも発表されたことがあるらしい。ならばプラントは、本当にそちら側の存在なのかもしれない。

 猫妖精やアマテラスたちと同じ。人に寄り添い生きる、人外の存在達。

 だが、ナイブズが最も不思議だと思っている存在は、彼らではない。

「不思議の定義による」

「定義?」

「俺からすれば、お前たちの方がよっぽど不思議だ」

 猫の國や海の國のように、グランドマザーの眷属として賓客の待遇を以て迎えているならばいざ知らず。

 素性の知れない怪しげな風来坊に好んで関わって来るこの星の人間たちは、不思議でしょうがない。

 言い終えて、反応を確かめもせずに歩き出す。時間に遅れるわけにはいかない。

「ばいばい、灯里さん、藍華さん、アリスさん」

 アイーダは3人に手を振って、別れの挨拶を済ませると、ナイブズの隣に並んだ。

 

 

 

 

「すまない。君も、もっと話したかっただろう」

 3人の気配が完全に消えてから、傍らの少女に詫びる。ナイブズがあの話を振らなければ、アイーダはもっとあの3人と親交を深められたはずだ。

 しかし、アイーダは笑みを浮かべて、首を横に振った。

「いいよ。ナイブズが人間と仲良くしようとしているところ、ちゃんと見れたから」

 そう言われても、遠慮して帰ろうとした少女たちを呼び止めた程度しかしていない。それでも十分な進歩だと、ナイブズの過去を知る少女は言いたいのだろう。

 話している内に、目的地へと辿り着いた。

 ここは、ナイブズがカサノヴァと最初に出会った場所であり、今はアイーダを送り返すための待ち合わせ場所。猫の集会所の一つでもある。

 後数分もすれば、店主が引き継ぎに現れるだろう。流石にナイブズが、アイーダを直接送り返しに行くわけにはいかない。

 ナイブズの存在は太陽系内では殆ど知られておらず、指名手配もまだノーマンズランド内に留まっているが、流石に連邦政府のお膝元で政府関係者に顔を合わせるのはまずい。

 ふと、手に何かが触れた。暖かな温度を持つそれは、自分のものよりずっと小さな、幼い手。アイーダの両手が、ナイブズの右手を包むように添えられていた。

「ありがとう、ナイブズ。色んなことを聞かせてくれて、たくさんのことを教えてくれて」

 告げられたのは、まっすぐな感謝の言葉。

 姉代わりであった自律種――ドミナの自我を崩壊させ、事実上殺したも同然の自分に向けられた、友好のしるし。

 手を解かぬよう慎重に動いて、片膝をつき、目線の高さを合わせる。この程度しか、彼女に誠意を示せる方法が浮かばない。

 空いた左手を、自らの右手に添えられているアイーダの手に添える。両の手で感じるぬくもりは、あたたかかった。

 こうして、誰かの温度を肌で感じることなど、果たしていつ以来だったか。

「ありがとう、アイーダ。俺を……受け入れてくれて」

 自分自身も未だ戸惑う、己自身の変化の道のり。それを、ナイブズの過去を知り、その所業に怒りながらもこの少女は認め、受け入れてくれた。これほどに、心強いことは無い。

「人間のみんなにも、これぐらい素直になれたらいいのにね」

「努力しよう」

 やがて、時間通りに店主がやって来た。

 予定に変更なく、明日の朝にアイーダは地球へと再び旅立つ。専用機で、秘密裏に。当然、周辺の警護も厳しく、ナイブズが見送りなどできるはずもない。

 どれほどの騒動を起こしても良いというのなら話は別だが、生憎、ナイブズはヴァッシュから人間台風(ヒューマノイド・タイフーン)の異名を引き継ぐつもりは微塵も無い。

「ナイブズ。いつか、また会おうね」

「ああ。いつか……星霜の彼方だろうとも」

 短く、別れの言葉を交わす。小さく手を振るアイーダに、ナイブズもぎこちなく応じる。

 人間とプラントのハーフの少女が生まれたこと。その少女と火星で出会い、怒りを向けられながらも紆余曲折を経て同じ時間を過ごしたこと。ナイブズがノーマンズランドから火星に来たこと、人間と再び向き合おうと決心したこと。

 これらの全てが奇跡的な出来事だ。ならばもう一度くらい、奇跡があってもいいと――(こいねが)うほどではないが――思うくらいはいいだろう。

 例えこれが、今生の別れだとしても。

 

 

「次に会えた時は、ゆっくり落ち着いて話したいわね」

「そうですね。あの人と会うのは、いつも突然ですから」

「うん。また、会えた時に……」


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