夢現   作:T・M

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#2.招く猫

 昨日一日中、街の中を歩き回って分かったことは少ない。

 この街の名前がネオ・ヴェネツィアであること。目の前の海の名前がネオ・アドリア海で、そこには様々な地球の国の文化を再現した島が点在していること。ウンディーネ、シルフ、ノーム、サラマンダーという、地球のヨーロッパ圏を起源とする精霊の名を冠した、この街の象徴的な職業があること。この星には地球と同じ四季が存在し、今は冬だということ。そして、もうじきカーニヴァル――祭りが始まるということだ。

 『お祭り騒ぎ』ならば知っているが、本物の『祭り』を実際に見るのは初めてだ。レムから教えられたこともあるが、彼女の体験談で、抽象的なことばかり言われてあまりピンと来なかったのを覚えている。ヴァッシュは興味津々だったが。

「……あの猫達も祭りに来たのか?」

 ふと、ナイブズは自分と共に汽車から降りた黒猫と白い生物を思い出した。自分が乗ったのは偶然だが、あの猫達は自ら汽車に乗っていたのだろう。ならば、この時期にこの星にやって来たのは、カーニヴァルに参加するためだったのではないか。

 普通ならば、ありえない、下らない、馬鹿馬鹿しい、等と言って一笑に付されるような考えだ。だが、今のナイブズの境遇は普通ではないし、ナイブズにとってこの街も普通ではない。ならば、普通ではありえないようなこともありえるのではないかと思えるのだ。

 態々猫までがやって来るような祭りとは、どのようなものだろうか。そして、その中で人間は、どのような姿を見せるのか。カーニヴァルの開催は明日からのはず。ならば、もう一日費やして、もっと詳しく調べておくか。

 考えを纏めると、眺めていた海に背を向け、再びネオ・ヴェネツィアの市街へと足を向けた。途中、猫のグループを幾つか見かける。その中には、猫とは掛け離れた姿の生物も混じっていた。鳴き声まで違う所から考えるに、この星の独自の生物だろうか。だとするならば、よくも違う生物と共存できているものだ。

 そんなことを考えている内に、路地裏を抜けて表通りに出た。街には仮面を被り、中世風の衣装に仮装した人間達の姿が昨日よりも多く見られる。こうして街を歩いて、人間達の姿を見ているだけでは、カーニヴァルとやらについては何も分からない。さて、何からどう調べるべきか。

 

「カーニヴァルかぁ。こんな素敵なお祭り、誰が考えたんだろー」

「カーニヴァルはイタリア語でCarnevaleと言って、『お肉よサラバ!』という意味なの。元々は、四旬節を迎えるためのお祭りだったのよ」

「しじゅんせつ?」

「キリスト教徒がイエス様の復活までの40日間、お肉やお酒を断って慎ましく過ごして、精進する期間のことよ。その長くて辛い四旬節に入る前に、思う存分、飲んで食べて陽気に騒ごう、っていう習慣からカーニヴァルは生まれたの」

「ほへー」

「もちろん今ではキリスト教徒に限らない、この街独自の仮装のお祭りになっているけどね。それにカーニヴァルは、長かった冬に終わりを告げて、やがて来る春を祝うお祭りでもあるのよ」

 

 思わぬところで解説が聞けた。

 たまたま近くを通りがかった家――ではなく、出ている表札から水先案内業の小さな会社らしい。そこのテラスで話している2人の水先案内人の会話の内容が、偶然にもナイブズが求めていたカーニヴァルの基礎知識だった。

 なるほど、そういう祭りだったのか。仮装をしている人間が多いのも、祭りだからではなく、この街のカーニヴァルがそういうものだからなのか。

 思いの他早くカーニヴァルの知識が得られたが、これ以上はカーニヴァルの何を調べたらいいかも思いつかない。ならば、他のことをするとして、どうするか。

「にゅ!?」

 聞き覚えのある、珍妙な鳴き声が聞こえた。見ると、そこにはあの汽車から一緒に降りた白い生物がいた。唐草模様の風呂敷包みを背負って、どこかに行く途中だったようだ。

 奇遇な再会だが、特に興味は無い。この後は、この街をもっと歩いて回るか。

 そう決めると、ナイブズは足元から聞こえる「にゅっ、にゅっ」という鳴き声を無視して、ネオ・ヴェネツィアの探索へと向かった。

 

 

「あの男の人、アリア社長のお知り合いでしょうか?」

「さあ、どうかしら」

 

 

 街には、活気が溢れていた。祭りの時期だから、というのもあるのだろうが、それでも大したものだ。

 仮装の衣装に身を包んだ者、路上のみならず水上でも露店を開いている者、それを珍しそうに見ている者と、当然のように接して商品を買う者、空中をエアバイクで疾走する者、水上で船を漕ぐ者。様々な人間達がいて、それぞれ誰もが活力に溢れ、そして期待と楽しみに心を躍らせているようだった。

 頭上を飛んで行くエアバイクを見る。あれは間違いなく、ロストテクノロジー――ノーマンズランドでは廃れてしまった、地球の高度技術だ。安定したこの星ならば、高度技術が失われることなく発達しているのも当然か。

 ノーマンズランドでは見られなかった、頭上を人が乗ったバイクが飛び、遠くには浮島という人工物が宙に浮いているという光景。ナイブズからすれば異様だが、この街の人間にとってはそうでもないらしい。一部、ナイブズのように物珍しそうに見ていたり、写真を撮ったりしている者達は、恐らくは外部――別の星の人間か。

 驚いたことに、この星の周辺では星間旅行というものが定着しているらしい。その証拠が、サン・マルコという国際宇宙港だ。

 ノーマンズランドでは、表面上はどれだけ安定して豊かに見える街でも、その実は日々を生きるので精一杯だ。ヴァッシュが身を寄せていた隠れ里の者以外で、他の惑星に意識を向けていた者などいなかっただろう。まして星間旅行など、妄想や空想にすらあったかどうか。

 ナイブズも外の惑星に行こうと思ったことはあったにはあったが、それも人類を根絶やしにして生まれながらに隷属を強いられた同胞達を解放しよう、という考えからだ。他の星へ旅行をしようなどとは、一度も考えたことも無かった。

 そんな俺が、ある意味旅行同然で別の星にいるとは、皮肉というものか。

 物思いに耽りながら、歩を進める。そして、大きな川に出た。こういうものを大運河、というのだろうか。こんな大きな川に街を寸断されていては交通が不便だろうと考えて辺りを見てみると、黒い舟に10人前後の人間が乗って移動しているのが見えた。成る程、どうやらここはあの舟で横断するようだ。

 対岸で調度舟に乗り込んでいる様子が見えたのでその様子を覗う。やはり、金が必要なのは当然か。高いか安いかまでは分からないが、老若男女を問わず大勢が乗っているからには、高くは無いのだろう。

 水先案内人の服を着た3人の少女が、乗客を黒い舟へと誘導している。歳の頃は、15から17といったところか。そういえば、チャペルとGUNG-HO-GUNS唯一のダブルナンバー――ミカエルの眼から派遣されて来たあの2人も、それぐらいの歳だったか。外見の違いは、細胞レベルまで改造されているミカエルの眼と比較すれば当然か。

 ふと、気付いた。何時の間にか、舟の中にあの時の黒猫が紛れている。白い生物に続いてあの黒猫にもまた会うとは、奇遇というよりも奇縁というやつか。

 何となく、その舟がこちら側にやって来る様子を眺める。途中で黒猫の存在に他の乗客や舟を漕いでいる水先案内人も気付いたようだが、放り出すようなことはせず、そのまま来るようだ。舟が桟橋に着くと、黒猫は人間の合間を掻い潜って素早く降りると、ナイブズの足元で、ぴたり、と止まった。

「……俺に用か?」

「にゃぁ」

 どうやら、そのようだ。もしかしたら、先刻の白い生物もナイブズに用があったのかもしれない。暫し黙考し、ナイブズは黒猫に付いて行くことにした。

 その背中を、1人の『オレンジぷらねっと』所属の水先案内人が見ていた。

 

 

「190cmぐらいの長身、ワイシャツに黒いズボン、逆立った黒髪、右目の下の泣き黒子……全部、合ってる」

「どうしたんだ、杏?」

「え、う、うん。ちょっと、あの男の人が会社で探している人かもしれなくて」

「へぇ……って、その人、どこにいるんだ?」

「……あれ?」

 

 

 ネオ・ヴェネツィアには、この時期に起こる不可思議な現象がある。それは、普段は街に多くいる猫達の姿が、カーニヴァルの期間だけ殆ど見られなくなることだ。特にそれは火星猫に顕著となっている。

 カーニヴァルの活気に紛れて忘れられがちなこの現象に、ある人はこんな仮説を立てていた。この時期には猫達も猫妖精(ケット・シー)の下で『猫の集会』を開き、共にカーニヴァルを楽しんでいるのではないか、と。

 無論、そんなことはナイブズの知るところではない。だが、彼は当然のように猫達の姿を今日も見ていた。そして今も、黒猫に導かれて、路地裏を歩いていた。

 途中、ナイブズは周囲の異常に気付いたが、敢えて騒ぐようなことはせず、黒猫の後を追って歩き続けた。

 周囲が静か過ぎる。幾ら人気の無い路地裏とはいえ、祭りの活気に湧いている人間達の喧騒が聞こえて来ないはずがない。加えて、空間そのものにも違和感を覚えていた。ノーマンズランドとアクアの空気の違いは多大なものだが、それでも、空間に違いがあるなどと感じる程ではなかった。途中、どこかの角を曲がった時に、まるで目に見えない何かを『通り抜ける』ような感覚がしたが、それは勘違いではなかったようだ。

 30分ほど歩き続けて、広い空間に出た。公園のような造成された場所ではなく、人間が街を作り建物を建てて行く中で、自然と出来た空白の場所のようだ。

 人間の気配は無い。だが、人間でないものの気配ならそこら中からする。気配の正体は、猫だ。気配などを感付けない人間でも、一つの場所に大量に集まった猫達の臭いと呼吸音で分かるだろう。

 周囲を見回して、自分に向けられているのが敵意ではなく奇異の目の類であると判断すると、ナイブズはこの場所の中心部へと進んだ。黒猫は咎めるでもなく、道を開けて静かにしている。

 すると、どこからか音楽が聞こえてきた。

 

 ズンタカ ポコン  ポンココ ポコン  ズンタカ ポコテン  ズン タカタ

 

 軽妙な音楽を鳴らしながら現れたのは、黒い套に全身を包み、顔を白い仮面で隠した小人の楽団。そして、それらを率いる、豪奢な鬘と仮面とマントで仮装した“ナニカ”だった。

 その気配には、覚えがあった。この星に来るよりも前、あの星を発った後に出会った、人外の存在。

「車掌……では、ないか」

 似て非なるこの気配は、恐らく同族なのだろう。

「お前が、俺を呼んだのか?」

 問うと、仮面のものは恭しく頷いた。芝居がかった動作に見えるのは、その風体のためか。

 あの時の車掌とは違い、動作の意味が直接伝わって来ないことからも、ナイブズは目の前のものと車掌が別の存在であることを改めて確認した。

「それで、何の用だ。まさか、呼び寄せるだけが目的というわけではないだろう」

 重ねて問うと、仮面のものはどこからか黒い套と、白い仮面を取り出し、それらをナイブズへと差し出した。

 それを受け取るよりも先に、ナイブズは仮面のものの後ろに控え、軽快に音を鳴らし続けている小人たちを見た。あの体格は、明らかに人間ではない。加えて、臭いは上手く誤魔化しているようだが、この場に溶け込んでいる気配で、正体を察せる。

 なるほど、この星には本当に猫の国があったのか。昨日、海を眺めている時に何となく思いついたことが真実だったとは、なんと愉快な。ということは、目の前にいる仮面のものの正体は……猫の国の王、といったところだろうか。そして、差し出された套と仮面の意味は、誘い。

「人間に混じって、祭りをするのか?」

 ナイブズは、人間と向き合い、その在り様を理解しようと決めた。だから、人外の者だけの集いならば、参加しようという意欲は皆無だった。

 仮面のものは大きく頷いた。当然だ、と言わんばかりに。

「……そうか。ならば、いいだろう」

 頷いて、ナイブズは差し出された衣装を手に取った。


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