※今回は以前と同じ番外編になっております。また以前のものとちょっと続いています。ご注意下さい。
柊四四八が第八層に到達した。
四周の人生を終え、そして超えた上で四四八は最後の試練に挑んでいる。
だが、大切なのは八層の試練ではなく、その先にあるもの。
甘粕正彦。光の魔王との決戦がいよいよ始まるのだ。夢を現実へ持ち帰り、そして激突する二つの勢力の戦いは想像を絶するものになるだろう。
故に局面は大詰め。もはや邯鄲の夢に用があるものはほとんどいない。
しかし、だ。
中には邯鄲の夢に未だ想いを残している者もいる。
いや、邯鄲の夢だからこそか。
我堂鈴子。
彼女にはやるべきこと……やらなければならないことが存在していた。
それは。
「あんたに引導を渡しに来たわ、吸血鬼」
鈴子の前に立つは赤い外装に身を包んだ長身の男。
最強にして最凶、そして最狂の化物―――アーカードがそこにいた。
「これはまた、何かと思えば……引導? 何の冗談かな、お嬢さん」
「冗談を言ってるように見える?」
「ああ見える。見えるとも。何せこの場所でその台詞を吐くのだから。私に敗北したこの場所で」
二人がいる場所は戦真館の校舎。その運動場だ。
そう。かつて第四層から第五層へ移動する際、アーカードと戦真館勢は激突した。そして、鈴子達はアーカードの前に敗れたのだ。
圧倒的なまでの力。そして不死。斬っても撃っても潰しても、何をしても死なない絶対的な不老不死。その前に彼らは奮闘するも、最後は成す術なく敗れ去ってしまったのだ。
それは鈴子も重々承知している事実だった。
「……そうね。あの時、妙な横槍さえ入らなければ私達は確実にあんたに殺されてたわ。言い訳のしようもなく、あれは私達の負け……そして、だからこそ私はここに来たのよ」
鈴子達は邯鄲の夢を何度も回る中で様々な敵と戦ってきた。そして何とか勝利を収めたものも存在する。
だがしかし。彼には……アーカードには一度も勝ったことがなかったのだ。
「思えば、あんたが介入してきたのはたった一度きり。それ以外は全部、キーラが攻めてきたのよね」
鈴子は既に四度の人生の記憶を取り戻していた。その中で第四層から第五層への移動の際、アーカードがやってきたのは一度のみだった。
故に彼らとアーカードが戦ったのは正真正銘、一度きりなのだ。
本来なら決戦を目前としたこの状況でアーカードとの戦闘は控えるべきもの。確かにアーカードは現在、甘粕の眷属であり、いずれは戦うであろう敵。
けれど、今ここで、しかもたった一人で戦うことは無茶であり無謀なのは目に見るより明らか。
しかし、だ。
「私には、あんたを倒さなきゃいけない理由がある。何故なら……あんたもまた、私の鏡だから」
「……、」
その言葉にアーカードは何も言わない。笑わず、無視せず、ただじっと聞いていた。
そして数拍後、どこか不敵な笑みを浮かべながら、彼は口を開く。
「よかろう。なら来るがいいフロイライン。存分に私を楽しませてくれ」
「言ってなさいこの犬っころ!! 今すぐでかい首輪をつけてやるわ!!」
啖呵を切ると同時、鈴子は薙刀を構え、そして切り込んでいった。
*
刃が交差し、獣が駆ける。
「つぅぅうううううっ!!」
衝撃を受け流ししただけで踏ん張る足から血が溢れる。全身は既に大小様々な傷で覆われており、まばらに赤く染まっていた。自己回復が得意ではないために体勢の立て直しも追いつけない。戦闘が始まってから僅か数分……それだけの間で、鈴子はこうも成す術なく追い込まれている。
奮戦できていないわけではないし、当然強くもなっている。
そこは盧生という
だが、それでも追い込まれている理屈は単純にして明確。
「どうした、もう終わりか?」
目の前に立つこの吸血鬼―――アーカードは、劇的に強化された鈴子達の上を行っているということ。
闘争、闘争、闘争。ただそれのみを求めて疾走し、蹂躙し、破壊する長身の鬼。一度見定めた敵は決して決して逃さない。
豪腕が振るわれ気軽に地面を粉砕し、砕けた地面を弾へと変える。それを回避しても襲ってくる右腕。鋭く素早く全くといっていいほど迷いがない。故に殺意の塊であるそれは如何なるものも貫く。
距離はとっていた。だというのに間合いなどしったものかと言わんばかりに飛んできた死の一激。
「―――こんのォォ!!」
迎撃できたのは偶然そのもの。腕を切り裂き、攻撃を防いだのは奇跡だろう。けれど動きが止まったのはほんの一瞬。次の瞬間、鈴子がその場を飛んだと同時、彼女のいた床が男の左腕によって跡形もなく消し飛んでいた。一歩遅れていれば、自分は無残な死に様を晒していたに違いない。
そしてさらに、迫る脅威は終わっていない。彼女の視界には再生した腕が映っており、鋭い牙となって再び鈴子に襲いかかってくるのだから。
「さぁ、お嬢さん。空を飛んでみたまえ」
無慈悲な一激が防御ごと鈴子を跳ね飛ばす。
薙刀で防いだことなど無駄な足掻きであるという、絶対的な暴力。火力。そして不死身の再生能力……それらがまるで獣のような速さで襲いかかるのだ。対応できるわけがない。
アーカードは武器を持たない。けれど、彼は全身が武器そのものなのだ。野生の獣が己の牙や爪で獲物を狩るように、今の彼もまた己の手足が剣であり、槍であり、斧。その鋭さや威力はもはや凶器などという表現では足りない。
そして彼に対して場所の不利有利など問題外。例えどんな場所であろうと彼は己の武器を振りかざすのみなのだから。
かつての彼はある国の王だった。故に戦というものが何なのかを熟知している。戦術と戦略それらを駆使して戦うことが戦いに勝つということも承知している。
けれど、それは人間の話。
化物である今の彼には全くもって意味がない。化物が戦術を行使するか? 化物が戦略を練るか? 否。化物とは力を振りかざし、虐殺する存在。人間じみた行為など不必要なのだ。
考えることなど、するまでもない。
敵を、獲物を、標的を、殺戮するのに一々頭など使う必要もない。あらゆる反射と本能、そして持ち得た能力を思うがまま撒き散らす。
それこそが私。
それこそが化物。
まるで、自らも
人間性を捨て、理性を捨て、ただ闘争のみを求めた悪鬼羅刹へと変化する。
「馬鹿馬鹿しい、何がそんなに楽しいのよ」
その様が、その有り様が、どうしようもなく悲しいのだ。
攻撃は通じず、息絶え絶えによろめきながら足掻くだけ。それでも鈴子は、目の前の男を、アーカードという吸血鬼を憐れんでいた。
敗亡の淵であるが、それがどうした。血の混じった鍔を吐き、負けてなるものかと相手を睨む。
我も人、彼も人として。
「人間であることを簡単に放棄して、冗談じゃないわ。馬鹿じゃない。
良心を持たないのがそれほど自慢? 楽しく敵を殺せることがそんなに偉いの? 格好良いの? 狂気で全身を覆って、闘争に明け暮れることが幸せなの?
違う。絶対に違う。こんな才能、単なる適応不全だもの」
人間で構成された世の中……すなわち社会というものを乱すことだけに長けている
環境に馴染めない不適合者。人の命という重さを無感で刈り取ってしまえる狂気の才能。そんなものは絶対に解き放っていはいけないだろう。
恐らく目の前にいる男は自分に関わりのないものを巻き込むような男ではない。だが、逆にいえば少しでも立ち塞がるものがあるとするのなら容易く殺人をこなせる。そういう化物だ。
そして、そんなものは漫画や小説だけで十分だ。
だからこそ、人には礼が必要なのだと鈴子は信じる。
他者を尊び、対等な人間として敬意を払う知性。
規範という自然界には存在しない戒律を深く重んじるかこそ、人と獣は違うのだと思う。
そして、それをこの男は分かっているのだ。理解しているのだ。
何故なら、この男は人間がどうしようもなく好きだから。
だからこそ―――。
「そこに改善の意思があるなら……」
何がこの男をここまでの化物にしてしまったのか。何がこの男を狂気の沙汰に陥れたのか。それは分からない。 けれど、それでも。
「私は、あんたを救いたい」
見捨てることはできないと、アーカードへ手を差し伸べる。
認めがたい。自分がこんな男と同じような気質を持っているなんてことは。
けれど、それが事実。殺人巧者こそが自分達の才能なのだ。方向性や在り方は全く別のものではあるが、けれども同族であることに変わりはない。
だからこそ、鈴子は軽々とこの男を切り捨てたくはないのだと思う。
「……、」
それはアーカードにとって初めてかけられた言葉。
その戸惑いからか、彼は動かなかった。攻撃をしかけることすら忘れ、白痴のように伸ばされた手を眺めている。
呆然……いや、驚愕というべき表情を浮かべる彼に、鈴子は続ける。
「その気があるなら、他の誰が何を言っても私はあんたを肯定するわ。社会復帰ができるよう全力で支援してあげる。……いいえ、そうさせてほしいのよ。そんな人間も胸を張って生きられるようにしてみせるのが、我堂鈴子の夢だから」
権利を持つ者には、相応の責務を果たさなければならない。。
自分は本当に恵まれていた。平和な時代の平和な国で、こんなろくでもない才能を自覚せずにいきてこられた。それはまごうことなき幸福であり、守ってきてくれた親や法律があったからだ。
だから自分もそうしたい。自らの本性を知った今、それを与える番が来たのだと思うから。
沈黙を経て、アーカードは唇を開いた。
「これは驚きだ。未だこの私を、このような私を見て、まだ人間に戻すと語るか」
「ええそうよ」
即答だった。
「化物が何? 吸血鬼が何? 知らないわよそんなこと。あんたが人間になりたいと、戻りたいと思うのなら、それを手伝うわ。無理? 無茶? 無謀? だからどうしたのよ。そんなものもう慣れっこよ。そんなことで諦めるほど私は、私達はやわじゃないのよ」
故に。
「お願いだから……あんたを助けさせて」
少女は化物へ救いの手を差し出す。
アーカードは思う。ああ、この少女は何と眩しいのか。
この状況、この場面で、この少女は自らの夢を貫こうとしている。自分が死ぬかもしれないというのに、命の危険がそこにあるというのに、あろうことか殺されそうになっている相手を彼女は救おうと言うのだ。
それを欺瞞だと、偽善だと断ずるのは容易かった。
けれどこの姿を、血まみれになりながらもその瞳から決して消えない光を見て尚、戯言だと切り捨てることはアーカードにはでずにいた。
彼女は本気だ。本気でアーカードを救いたいと想っている。
その勇姿こそ、アーカードが認める人間という在り方。人間は、やはり素晴らしいものだと再確認できた。
だからこそ。
「――――――それはお断りするとしようフロイライン。私は化物だ。今更化物が人間に戻りたいなどと思うわけがなく、そしてできたとしても私はそれをしない。何故なら、それこそ人間への最大の侮辱。私は諦めた者だ。私のような化物は人間でいることにいられなかった弱い化物は人間に倒されなければならない。化物は化物のまま、いつか人間に倒される日を待つのが宿命なのだから」
そして。
「故に、貴様が人間であるというのなら、私を、この私を、倒して見せろ――――!!」
雄叫びと共にやってくる暴風。
その中で、鈴子は悲しさと悔しさ、そこに怒りを宿して叫ぶ。
「この……大馬鹿野郎ぉぉぉぉ!!」
激昂は力となり、刃が振るわれる。
アーカードという存在に対し、鈴子は複雑な想いを感じずにはいられない。この男を作り出した背景を彼女は全くしらない。けれども、理解できることはある。
先程、鈴子は言った。人間であることを簡単に放棄して、と。しかし、それは誤りであった。この男は、こうならなければならない程、追い詰められたのだ。狂気の沙汰に落なければ生きていけない世界に彼はいたのだ。殺して殺して殺し尽くして、外敵を殺戮することが存在意義であり、自らの証……そんな風に思うしかない世界に。
哀しい、などという言葉で片付けられるものではない。同情する余地は十分にある。
けれども。
「……斃すわ、絶対」
この男を世に解き放つことは、何万もの流血を許してしまうのと同義である。
人としての礼節、社会規範を守る気概が全くないのだ。恐らくではあるが、この男は公衆の面前で平気に人を殺せてしまう。闘争ができるというのなら、規律など平気で踏みにじるのだ。
そしてそれは当然、罪なのだ。
同情はする。本当ならば救いたいという想いが鈴子の中には未だに存在していた。けれど、もはや手遅れ。彼は既に自らの意思で化物であることを望んでいるのだから。
ならば下手な憐憫などもう抱かない。
同じ怪物の性質を持つ者として、この吸血鬼を打ち倒す。
「さぁ、どうした戦真館。化物はここにいるぞっ!!」
叫ぶ怪物。
そうか、そんなに自らを怪物だと、化物だと言い張るか。
ならば我堂鈴子がやるべきことはただ一つ。
「破段、顕象―――」
―――脳裏に思い描いたのは刃の牢獄。
獣と人の住む領域は、強固に分かたれてなければならない。
「はあああああァァァッ―――!」
「無駄だッ」
次の瞬間、鈴子の刃はアーカードに簡単にはじかれた。
身体全体を利用して大きく振りかぶったはずのなぎ払い。確かに詠段よりも遥か研ぎ澄まれたものになっていたが、それ以外はまったく同じ。何の変哲も遂げていない。
右手の指先を五本程切り飛ばしたが、それも瞬く間に復元されていく。結果として鈴子の戦果は無。そしてアーカードは左手を既に振り上げていた。
迷いなく放たれる左腕。薙刀を振り抜いた体勢の鈴子へ、遮るものなく激突し―――
血の花が咲いた瞬間、初めて異常事態が訪れる。
「――――なに?」
声を上げたのはアーカード。突如として裂けた手を凝視し、顔を歪ませている。しかし、それは苦痛からのものではなく、純粋な疑問。
それも無理はない。彼は相手に触れてさえいないまま、鈴子という敵を潰す寸前でいきなり腕を切り裂かれたのだから。
そして、それは一度に留まらない。
二度、三度と、互いに切り結ぶたびにアーカードは謎の現象によって切り刻まれる。
振りかぶった腕が、避けようとした左足が、敵へ視線を寄せようとした両目が、そして退こうとした胴体が離散していく。
意味不明。理解不能。理屈の一片も見抜けないまま、全身っが無数の刃で傷つけられていく。
「これは、一体……!?」
攻撃、防御、牽制、回避……どの動作を取ろうとも、不可思議な斬撃がそれを感知して獣に襲いかかってくる。まるで動くことを阻むように。末端から切断されてしまうのだ。
腕を動かせば腕が。足を動かせば足が。目を動かせば目が……どんな些細なものでもそれを挙動と判断され、損傷となって付きまとってくる。
最強を誇る吸血鬼への最大の屈辱。
窮屈、などいうものではない。これは牢獄。刃に囲まれているようではないか。
そして、それは当然のこと。
なぜならば。
「ここから先を、超えてはならない」
これこそ鈴子の描いた破段。
恐らく二人の戦いを最初から見ていたものならば、あるいは理解できた者もいるかもしれない。それが、以前に薙刀で鈴子が描いた軌道であるということに。
激突する際に攻撃を放った軌跡、そこを通ろうとした際に怪物は身体を見えない何かで斬られていく。
つまりは剣閃の残留―――それこそがこの術の正体であった。
たとえ見えなくても、人間には破ってはならない法がある。超えてはならない一線がある。
憲法、法律、倫理観に週間、暗黙の了解や不文律……定められた決まりを突破しとうとする傲慢な輩には、刑罰が下されるのが世の定めというもの。それは怪物とて例外ではない。
力があれば何でも許されるという弱肉強食。その概念を自然界は肯定している。が、自分達は人間だ。獣ではない。
守るべき最低限の線を互いが共有し、尊重し合う礼の心。それこそが、人間が畜生ではないという証。獣の性を押し殺すことができるのだし、分かり合うということを諦めずにここまでこれた。
別段、常日頃から正しい事を選び続けろ、なんてことは言わない。欲望を完全に消しされ、なんてことも言わない。そんな無茶なことは人間にはできないのだから。
ただ、自分達が社会に生きるひとりの人間であり、一員であることに自覚と意識を持つこと。その意思が寛容であり、未来を創るべきであると鈴子は夢に描きたいのだ。
だから彼女は空へと見えない線を引く……何度も何度も、提示していく。
人はこちらで、獣はあちら、と。
「ここから先は通さない。怪物を自称するのなら、大人しく
人間社会に寄り付くなと、吼えながら不可視の斬檻を作り上げていく。
戟法と創法の二重掛け。どちらも鈴子の得意技であり、よって精度は言うまでもない。
円の軌道で疾走する彼女の動きはもはや小型の台風そのもの。見えない囲いを何十にも残留させ、アーカードを牢獄へと閉じ込める。
目視できない境界線は気づかれることなく完成した。
見えないものの、もはや二人の間には深い断絶が存在している。ここを一歩でも踏み込めようと願うのなら、相応の代償を払うはめになるだろう。
この斬気は本人にさえ解除は出来ない。自分はこの向こう側に行ってはならないという戒めと、その差は絶対であるという畏敬が軽々しく消えることなど許されないのだから。
それだけに効果は絶大。疑う余地のない夢は、断頭台の鎌のように世界を大きく二分する。
……けれども。
「ククク、ハハハ、アハハハハハッ!!」
それでもアーカードは化物だった。
狂気の笑みを浮かべながら、激突する。全身から噴水のように血を吹き出しているものの、それすら見えていないのか……いや、彼の場合そんなものは躊躇するに値しない事柄なのだろう。
それは化物故の在り方を示しているのだろう。鈴子は人のなんたるかを示した。そしてアーカードは化物の何たるかを知らしめようとしているのだ。
厳格な人の法? 知らん知らん。小賢しいにも程がある、と。
暴れ、狂い、殺し、貪りつくす。その暴虐こそ化物のすべてである。容易く繋ぎ止められるものではない。
「面白い、面白いぞフロイライン。だが、この程度で、このようなもので、化物は止まらんぞ!?」
そして次の瞬間、アーカードは合理的な手段に出た。
すなわち、単純な力押し。施錠された扉をこじ開けるかのように自壊を厭わず突撃していく。
四肢が断たれる、輪切りになる、横一文字に一刀両断される。
斬られる、斬られる、斬られる……ありとあらゆるレパートリーで分割されていくアーカードの姿はまさしく裁断機に投入された紙束そのもの。
けれど即座に回復し、また切り刻まれる。その繰り返しの中、アーカードの足は止まらない。
死の苦痛を味わっているというのに、その表情に苦悶は一切なく、あるのはただの狂気の笑みのみ。
恐らく痛みはあるはずだ。ダメージも負っているはずなのだ。
けれど、彼にとってこの程度など問題外。足は止まるが、脅威ではない。
その事実は力強く、斬気の檻を食い破っていく。
「……くっ」
これもまた、現実ではよくある光景だ。強大な暴力は時に法の絶対性をいとも容易く踏み躙る。
武力を背景に強引な条約を締結する大国。あるいは秩序を粉々にする軍の暴走。それらと同じで化物の進撃は如何なる檻でも止められない。
ましてそれが死を知らぬ化物ならなおのこと。
これこそ吸血鬼の、化物の様式美。
よって、鈴子に残された猶予はあと僅か。斬檻は確実に崩される。これは決定事項だ。このままいけば、あと幾許もなくアーカードは自由の身となり、鈴子に牙を立てるだろう。
しかし、それでも彼女は問いを投げかける。
「――――あんたは、本当にそれでいいの?
社会や秩序なんて知ったことじゃないって。
自分は諦めたから、だから化物のまま朽ち果てるまで暴れ回るの?
……違うでしょ。少なくとも、あんたは違う。だって、あんたは自分が諦めたことを認めてるんだから!!」
本当に、心まで化物であるというのなら人間を辞めたことを諦めたなどとは言わない。
キーラという少女がいた。
彼女のまた二人と同じような存在、そしてアーカードと同じ怪物でもあった。
彼女は自分が人間でなくなったことを、逆に誇りに思っていたのだ。自分達は獣だと。人間など自分達より劣る下種なのだと。
けれど、アーカードは違う。
彼は言った。化物はいつか人間に倒される存在なのだと。
それはつまり、化物を斃す力を人間が持っていると信じているのだ。
「そうだ。私は諦めた。そして諦めは人を殺す。殺すのだ。故に私は死んでいる。あの夕暮れの、黄昏の中で私は死んだのだ。ここにいるのは、その残骸。成れの果て。人間でいられなかった者の末路。つまりは化物だ。そして化物を倒すのはいつだって人間だ。人間でなくてはいけないのだ」
故に自分は
その意思に、その有り様に、しかして鈴子の表情は苦虫を噛んでいるようなものだった。
「だから、自分は化物のままでいるって?」
「そうだ」
「だから、自分は人間に戻らないって?」
「そうだ」
「だから……あんたはいつか、人間に倒されるその日まで、化物としてあり続けるって?」
「そうだ!!」
それこそが自らの願いだと豪語するかの如く、アーカードはついに斬気の檻から抜け出した。
しかし、鈴子の方も決意が固まった。
既に最後の審判は下されている。ならばやるべきことはただ一つ。
「……そう。なら、私があんたを倒してあげる。だから、潔く人の世界から消えなさい―――ッ!」
汝、非人なりや? ―――応とも。
条件は揃い、両者の見解は共に一致を見せた。
それはつまり合意。
すなわち。
「急段・顕象」
今ここに、互いの夢を相乗させた協力強制が巻き起こる。
「犬村大角――――礼儀」
刹那、アーカードの全身が何かを感じ取り、咄嗟に後ろへ飛ぶ。
不老で不死で最強の吸血鬼。そんな化物が危険を感じ取ったのだ。
そして、それは正しい判断だった。
次の瞬間、放たれた一閃が化物の右腕を消し去った。
細胞の一欠片、血の一滴、指先一つ残さず……そう完璧に完全に。
超速再生を誇る史上最悪の吸血鬼。その腕を切除しこの邯鄲から消滅させた。傷の治療は起こらない。何故ならそれを互いに合意したのだから。
「これは……」
まるで薙刀の軌道に従い、世界が漂白されたかのようだった。熱や衝撃という類ではない。これは一方的な消去の技。無慈悲かつ圧倒的に、鈴子の刃が通った後は万象あらゆるものが喪失している。
たった一太刀。浴びただけであるが、アーカードには分かる。これは、自分にとって致命的な技である、と。
「これがあんたの望み。その結果よ」
先程、自分達は明確にした。世界から人しての居場所を捨てたことで、人の世界から消えていく……何もおかしいことではない。そして、これはアーカードが望んだものだ。
つまり、この急段とはそういうものだ。獣、つまりは人間としてのルールを遵守しない存在を人間社会から排斥する能力。その協力条件は単純明快。鈴子が相手を人外と判断し、さらにその相手も自身が人外であると認めること。あまりに狭い条件下ではあるが、とりわけ鈴子とアーカードの間においては顕著として当てはまる。二人の関係に限定されるが、この夢は必ず嵌まる。人を捨てた化物に逃れる術は決してない。
そしてこれは嵌ったならば抜け出せない類の代物。脱出不可能。常時成立。しかもそれで描かれるのは、再生と防御を無視した完全消滅という断罪刃。
例え相手が何百、何千、何万回殺しても再生し、蘇る化物でも関係ない。
そも、その不死性を一刀両断するのだから。
誰が見ても詰んでいるのは語るに及ばず。
ゆえに勝負は決まっていた。
あと一撃、放つだけで終わるだろう。
そこに対して生理的な嫌悪感を鈴子は感じていないことから、やはり自分たちは同属であると自覚する。
殺人に付きまとう陰惨さが分からない。心のそこから健常者の観点を持ち得ることは不可能だ。
だからこそ。
「これが私がしなきゃいけないことなのよ」
全てを飲み込んだ上で、払拭できない性に対し、鈴子が見つけた一つの答え。
自分やアーカード、そしてキーラといった風に、こういう殺人に適した才能を持つ者はどうしても一定数、世の中には生まれてしまうのだ。だからそれが目覚めずにすむ世界を作る。それが鈴子の夢であり、偽りのない真実。
けれど一方でその能力が完備ということも理解している。
最初から得意な分野があって、備わっている特性を存分に活かせる場面と遭遇する……自分達で言うのなら、まさしく戦場だ。殺戮が繰り返されるその場所で幸福を感じる。アーカードなどまさしくその典型というべきだろう。
そして、それはアーカードだけには留まらず、必ず一定数の割合で存在し、生まれてくる。いかに法整備しとうとも、誕生することを自体を防ぐなんてことはできないのだから。
生まれつき死を振りまくことに才能のある、はぐれ者。
殺人に対して嫌悪を抱かないという欠陥を、まるで誇らしいと振るう愚か者。
そんな連中を放置しておけばロクでもないことになるのは明白。ならば当然、それに対抗する者が必要となるのは自然な事だろう。
そして、それこそが我堂鈴子の役目だ。
それを理解し、覚悟しているからこそ、彼女には迷いは存在しなかった。
「今こそ引導を渡してあげるわ、吸血鬼―――ッ!!」
人はこちらで、獣はあちら。
生きる場所が違うなら、それに応じて。相応しく。
けれどそれを侵すというのなら。
もはや惑わず、是非もなし。
刃の檻は断罪の鎌へと姿を変えて、最後の一撃が放たれ―――――
「
その時、鈴子の耳に入ってきたのは見知らぬ詠唱。
その意味も、その内容も彼女には理解できない。
ただ、一つ言えることは。
「
このままではいけない。このままではまずい。
何か恐ろしい……とてつもなく恐ろしいことが起きてしまうと。
既に刃は放たれている。凶悪にして凶刃。絶対無敵の一撃はアーカードの目前にまで迫っていた。
あと一秒。あと一刹那あれば届くという距離。
しかし――――それはあまりにも遠いものであった。
「――急段・顕象――」
次の瞬間、死が全てを包み込んだ。
力尽きた。その言葉しか今は出てきません。
待たせて挙句、またISと関係ない話を書く……その辺の諸々も感想で受け付けますはい。
ただ、最近hellsingを見直して旦那と鈴子の掛け合いを書きたくなってしまったんです。そして悔いはありません!! ……途中で力尽きてるけど。
一応、次回は本編投稿するつもりです。ほ、本当ですよ?
これの続きもいつか投稿したいと思います。
ただ、最近になって本当に思うのは社会人って本当に執筆時間が少ないなってことです。
それを言い訳にせず、これからも頑張っていきたいと思いますので、何卒よろしくお願いします。
それでは!