※一部見たことがある文面があります。ご注意ください。
唐突だが一つ問いたい。既知感というものを経験したことがあろうだろうか。
既視ではなく既知。
既に知っている感覚。
それは五感、六感にいたるまで、ありとあらゆる感覚器官に訴えるもの。
たとえばこの風景は見たことがある。
この酒は飲んだことがある。
この匂いは嗅いだことがある。
この音楽は聴いたことがある。
この女は抱いたことがある。
そして、この感情は前にも抱いたことがある。
錯覚―――脳の誤認識が生み出す、なかなかに風情がある一種の錯覚。
これを感じたことを、経験したことがある者はどれだけいるか。
少なくとも彼女―――世良聖はその既知を今まさに体験していた。
具体的に言うとだ。
「……あんた、何してんの?」
バスタオル一枚で牛乳を飲んでいた
「おお帰ったかヒジリ。何、少々汗をかいたのでな。先にシャワーを浴びさせてもらったぞ」
淡々と、微動だにせず、何の問題もないかのごとく目の前にいる少女?は言う。
おかしい、と聖は心の中で呟く。自分はいつから
などと少々パニック状態に陥っていると甘粕が飲みかけの牛乳を出し出してきた。
「何をそんなにカリカリしている? 悩むことはいいことだが、根を詰めるのはよろしくないな。牛乳でも飲んで少し落ち着いたらどうだ?」
元凶たる女らしきものが何かを言っている。
「……あんたねぇ。ほんっとそのクセやめなさいっていつも言ってるでしょう。目のやり場に困るのよ! 女同士だから気にしないとか思ってんじゃないでしょうね!!」
「思っていないとも。女同士だからとて普通に裸を見せ合うなどという考えは持ち合わせてはおらん。無論、自分がいいから周りを気にしない、というわけでもないぞ。それは相手を無視しているのと同じであり、つまりはそこらで徘徊する変質者と何も変わらん。
ただ私は風呂上りの牛乳を開放感溢れる姿で飲まないと気がすまないだけだ」
「尤もそうなことを言って、結局はそれ!?」
馬鹿はやはり馬鹿であった。
「それにな、私は誰にでもこんな姿を晒すわけではないぞ。一応女という自覚はある。故に自身が認めた相手にしかせんよ」
「ああそうですか。こっちとしてはとんでもなく迷惑な話よ」
「どうしても嫌だというのなら力づくで私を屈服させるがいい。私も相応に全力で己の在り方を貫かせてもらう」
ああ何故だ。何故こんなにも凄くいいことっぽい風に聞こえるのだろうか。内容はとんでもなく下世話な話だというのに。
そして驚きの事実が発覚。なんとこの馬鹿は自分が女であることを自覚していたらしい。普段の仕草、発言、雰囲気。どれを取ってもそんな風には見えないというのに!
しかし現実とは残酷なものだ。
ふと彼女の胸元に視線を寄せる。そこにあるのは布切れ一枚だけで隠されている豊満な代物。
一方の聖は服の上からでも分かるほどの絶壁であった。
(なんで、こうも違うのかしら……)
それは遺伝だからか、としか言えない。彼女の母親も負けず劣らずの壁であったのだから。
曰く「胸なんて気にしない」とか何とか言っていた記憶があるが、聖からしてみればそれはあの異常なまでに母のことを想っている父がいるからであり、普通の女性はやはり気になるものなのだ。
それが女の自覚があるとか言いながらタオル一枚の状態で牛乳を飲んでいる輩に負けているとなると尚更であろう。
しかしそれをどうこう言っても仕方がない。
「……はぁ。もういいわよ。今日のところはこれ以上何も言わないわ」
言ったところで目の前にいる者が聞く耳を持つとは到底思えなかった。いや、話そのものは聞くだろうが、それに従うことは断じて有り得ないだろう。
それに今の聖は試合の疲れが未だ取れていなかった。
甘粕の隣を通り過ぎ、自らの机に鞄を置く。と彼女はそのまま数秒そこで何かを考えるかのように俯いていると、ぽつりと呟く。
「……さっきセシリアが保健室に来たんだけど……彼女、代表を辞退するですって」
「ほう。そうなのか」
「で、それだとわたしと織斑一夏になるわけだけど……わたしも辞退しようと思ってる。推薦してもらったあんたには悪いと思ってるけど……」
「そうか。ならそうするといい」
あっさりと。
あまりにも呆気ないその言葉に聖は目を丸くさせた。そんな彼女に甘粕は不思議そうな顔をして問いを投げかける。
「どうした。何をそんなに驚いている」
「いや……もっと何か言われるかと思ってたから」
「辞退するというのはヒジリが自分で決めたことなのだろう? ならば私にそれをどうこう言う資格はない。ああ、確かにお前を推薦したのは私だ。ゆえにお前が辞退するということは残念ではある。だがそれがお前の意思ならばそれを曲げろとは言わんよ」
「……随分と聞き分けがいいじゃない。らしくないわね。もしかして、わたしに失望してもうどうでもいいとか思ってる?」
自嘲気味な聖の言葉にしかして甘粕は首を横に振った。
「まさか。そう思われたのなら心外だ。お前は試合に敗けた。それは厳然たる事実だ。だがな、一度の敗北で私がお前を見捨てることなど有り得んよ。人とは戦いの中で進化する生き物だ。一度の失敗が取り返しのつかない状態を引き起こすことなど山のようにある。だがな、それを乗り越えてこそ、人の輝きとはかくも美しくなるのだ。言い換えれば敗北とは人間が成長する過程で必要不可欠な要素と言っていいだろう。逆に言えば敗北を知らない、常に勝利してきた者はその輝きを持っていないと言えるだろう」
勝利とは輝かしいものだ。一方で敗北とは苦く、そして悔しいものだ。
だが、甘粕は敗北したものには勝利し続ける栄光よりも輝かしいものがあると述べる。
「いや、正確には一度も敗けたことがないと思い込んでいる者、というべきか。この世に生を受けて一度も敗けたことがないとは、おかしな話ではないか。だが、自分は強い、最強だ、だから誰にも負けない……結構結構。自らを信ずることができない者が強く在れるわけがない。だがな、そういう輩は必ずと言っていいほど自惚れを持っており、それが人を堕落させる」
自分は強く相手は弱い。それが事実だと相手を見下し、それ故に手を抜き、そしていずれは敗北を生じさせる。
「セシリアとの戦いで序盤の彼女の攻撃はどうだった? お前を軽く見てどうにでもなると高を括っていただろう? その油断が、驕りが、人をダメにするのだ。本来の彼女ならばもっと早くにお前を追い詰められていたはずだ」
確かに序盤からスターライトと自立機動兵器の二つ攻撃をされていたら聖もISの操縦に慣れる前に撃ち落とされていたかもしれない。
「だが、彼女は織斑一夏との戦いでは一切の自惚れを捨てていた。主戦力を大幅に削られ、相手には自らの行動パターンを知られていたにも拘らず、彼女はあの時間違いなく輝いていた。それはお前が彼女に『敗北』を与えたからにほかならん」
「敗北って……敗けたのはわたしなんだけど」
「それは試合の話だ。勝負の上ではお前が勝利していたのは誰の目から見ても明らか。故にお前は勝負の上では勝利したと言える」
実際の話などは別にいい。結局はセシリアが自分が敗けたと思えばそれでいいわけだ。その結果、彼女は気を引き締めて織斑一夏との戦いに臨み、主戦力がない状態でも互角に戦い抜いた。つまり、彼女は敗けたからこそ本来の力を発揮できたと言えるだろう。
「敗北とは勝利への道筋の一つだ。それを否定することは勝利を否定することと同義だ。お前が試合に敗けたのは悔しいし、悲しい。ああ何故だと疑問も浮かんだよ。だがな、一度の敗北で相手を失望する程私という人間は阿呆ではないよ」
堂々と何の後悔もないような口ぶりはまさしくいつもの甘粕だった。
「実際、戦っているお前は誰よりも輝いていた。そしてだからこそ私はお前に期待しているのだよ。努力し、奮闘し、敗北したお前ならば必ず次こそは己自身に勝ち、尚且つあの時以上の輝きを見せてくれる、とな」
そう。結局、聖は自分自身に敗けたのだ。あれだけ千冬に大見栄切って体の病弱性を理由にしないと語っておきながら最後はそれが原因で倒れてしまった。滑稽の一言である。
だが、目の前にいる馬鹿はそれすらも超えてくれると信じている。いや、信じ込んでいる、というべきか。
何にしろ、確かなことはただ一つ。
この
だが、それでも彼女は小さな笑みを浮かべながら。
「……ええ、見せてやるわよ、次こそは」
聞こえるか聞こえないか、ギリギリの極小の言葉をつぶたいた。
そしてその夜。
聖は久しぶりにゆっくりと熟睡することができたのだった。
*
夜。まるで何かの口のような三日月が天より光を降り注ぐ中、一人彼女は歩いていた。
いつも一緒にいる小さな金髪少女は部屋ですでに睡眠していた。無理もない。一週間のトレーニングと試合の疲れが一気に来たのだろう。
そしてそれは彼女にとっては好都合だった。
何せ、今のこの会話は誰にも聞かせたくは無いのだから。
「ああ、私だ……。何、そちらの様子はどうなのかと思ってな。こちらから連絡をさせてもらった。何、盗聴や逆探知されている心配がないことはお前がよく知っているだろう?」
それはまるで古き友人と話すような口ぶりであった。
「そもそもにして居場所がバレた程度でどうなるものでもあるまい。どうせすぐに雲隠れできる対策をしてあるのだろう? ……はははっ、そうか。そんな手が。全く抜け目のない奴だ」
相変わらずだ、と言わんばかりな表情を浮かべながら彼女は話題を切り出す。
「例の件だがな、予定通りに行おうと思う。……ああ確かに『彼』には手に負えないかもしれないな。お前が用意したものならまだしも、それに加え『アレ』が入っているとなると今の段階では確実に死ぬな。しかし、ここにいるのは何も『彼』だけではない。幸か不幸か、『彼』の周りには何人かの少女達がいる。現状、実戦に出れるのは一人だが……ん? 『彼女』か? さてな。今のところは何とも言えんが、私は信じているよ。『彼女』ならば必ずこの試練に立ち会い、そして乗り越えていくと……盲信? ああ、かもしれないな。それだけ『彼女』の輝きは私を魅了している、ということだろう」
電話の向こうの人物の呆れ声が携帯を通り越して聞こえてくる。
「はははっ。そう言うな。私という人間はそういうモノなのだ。今更この性格を直せと言われてもな。もう遅いとしか言えん」
言うもののその顔にはどこか誇らしげなものがあった。
自分とはこういう存在なのだ。周りに迷惑をかけているのは自覚しているが、それでも貫き通すと決めた。気に食わないのなら殴るなり言いくるめるなりすればいい。自分もまたそれに対抗し殴り言いくるめる覚悟がある。
実際は既に開き直っているというわけだ。
「心配するな、安心しろ、などとは言わんよ。ただ一つ述べることがあるとするのなら、信じろ。お前にとっては難しいことだろうが、私は信じているよ。『彼』らなら、『彼女』なら、この程度の
何の迷いもない言葉は携帯の向こうの人間にも通じたのだろう。もう何も言わないなどと言いつつ、反論するのをやめた。
「そうか。また近いうちに連絡するだろう。ではな」
と言いながら少女――――甘粕真琴は携帯を切った。
ポケットに携帯をしまいながら天を見上げるとそこにあったのは月。
あの試合。確かに聖は輝いていた。それは本当であり真実だ。
だが、やはり甘粕は思うのだ。
もっとその輝きを見てみたい、と。その先にある光をこの目に焼き付けたい、と。
そのためにやることはたった一つだ。
「『見せてやるわよ、次こそは』、か。ああ、疑っていないさ。何せ私はお前を信じているのだからな」
自らの友を尊敬し、期待し、信じる。
いつもと同じ。いつもと変わらない。
これが甘粕真琴。
どこまでも馬鹿でどこまで青い少女はそのまま部屋へと帰ろうとした。
とその時。
「ねぇ、ちょっといい?」
ふと見知らぬ女子が甘粕に話しかけてきた。
視線を声がした方向へと向けるとそこにいたのは小柄な体躯に不釣合いなボストンバックを持った少女がそこにいた。
左右それぞれを高い位置で結んであるその髪型は所謂ツインテール。肩にかかるかからないかくらいの髪は、金色の留め金がよく似合っていた。手に持っている紙はぐしゃぐしゃになっていることから大雑把な性格なのかもしれない。
「何かな?」
「本校舎一階総合事務受付ってどこにある?」
「ふむ。それならここをまっすぐ行った突き当たりを右に行けばあるが」
「そう、ありがとう」
「荷物から察するに今日来たばかりのようだが……転校生か?」
「ええそうよ。中国から留学しに来たの。これでも代表候補生なのよ」
「ほう、中国の……私は甘粕真琴。名前を聞いてもいいだろうか?」
「もちろん。名乗られた以上は名乗り返すのは世界共通の常識だもの」
と言って少女は一拍置いてから自己紹介を始める。
「私の名前は
犠牲者がまた一人やってきた(笑)
という冗談はさておき、聖と甘粕はこうしていつも通りの関係を続けていきます。
……が、何やら影でコソコソと動いている様子もあるのでこれまでと一緒とは限りませんが……。
そしてようやく鈴の登場。
実はこいつ、あの第四盧生の子孫で(黙れ
……はい。自粛します。以前感想で「苗字の発音同じだね」ってあったんでぼけただけです。
作者の勝手な感想ですが、鈴は気性が激しいくらいで、普通に努力家な女の子なので甘粕の琴線にはあまり触れなさそうな気がします。まあ、結局被害には会うんですけどね!