今更ながらに、私は私の自己紹介をしないといけないらしい。どうやら、私と小さな男の子の話はもう少し続くらしいのだ。
私は百々紅葉。動物のトドに植物のモミジ。オマケに人間と来ているのだから、生物学的にややこしい存在なのだろうかと思い、ああ、私は生物学上はホモ・サピエンスだったなと思うくらいの、つまらない人間だ。
趣味はオカルト探検。休みの日は街に出て、幽霊なり何なり、そういう類の話の場所へ行って探検するのが私の生き甲斐なのだ。
まぁ、結局、三日前に自分の家周辺のオカルト話は全て攻略してしまい、これからどうしようかと思っている所だ。特に、連れて帰ってきた男の子について、私は大きく悩まされている。
男の子、名前は小道迷。小道どころか生死の境を彷徨っていた、男の子。
三日前、最後に訪れた屋敷にいた男の子。
たった一日しか記憶が持たなかった、自分の年齢と、両親から「ここでお留守番をしていなさい」という言葉だけを覚えていた男の子。
ただ、何の奇跡なのか私が何日も何日も通っていたある日、全てを思い出したらしい。全てを思い出して、これから私と私の家族と一緒に住もうという話になって、そして今に至るという訳だ。
今に至る。ああ、本当にどうしてこんなことになったのだろう。
「おねぇちゃん、だよね? どうしよう、ぼくなにもおぼえていないの」
これで二日目。迷が目を覚ますと共に、一つの事実が突き付けられる。
迷の記憶の欠損。しかも今度は、私が姉であるということ以外の全てを忘れてしまっているらしいのだ。
「そうよ。覚えていないの?」
「……うん、ごめんなさい」
「いいよ。それじゃあ、今日からまた覚え直そうね。まず、君の名前は、百々迷。迷って名前だよ」
「とど、まよい。……うん、おぼえた!」
「そう、偉い偉い。それじゃあ、次ね、私の名前は百々紅葉」
「もみじおねぇちゃん……、おぼえたよ、もう、ぜったいわすれないから!」
えへへ、と純粋無垢な笑みを見せる迷だが、恐らく明日も忘れるのだろう。忘れられるのだろう。そして、私はこのやり取りを繰り返すのだろう。
「うん、じゃあ、次。私の双子のお兄ちゃんを教えるね。迷のお兄ちゃんでもあるからね」
「おにぃちゃん?」
「そ。萩兄、入って来ていいよ」
「ほいほい、おはよう、迷。俺は百々萩だ、よろしくな」
にかっ、と正直ガキっぽい笑い方を見せるのは私の兄で百々萩。紅葉と萩。名付けの理由は母親の名前が秋で、父親が咲。秋と咲く。秋に咲くで、秋に咲くであろう花の名前を取った、ということらしい。
子供の相手は得意で、昨日も一昨日もすぐに打ち解けていた。現に今日も迷は警戒心がほとんどなく、名前を覚えることに必死だ。
「はぎおにぃちゃん、うん、おぼえた。おにぃちゃんも、もうわすれないからね!」
「おう」
雑に、しかし悪意や敵意のない頭の撫で方。髪の毛がボサボサになってしまう所を無視すれば、実に兄らしい撫で方なのだろう。迷もそれを「ん~」と甘受している。
「さて、どうしようか。私達、これから学校なのよね」
ボサボサになった迷の頭を整えながら、とりあえず最初の問題を口に出す。口に出すと、自然と解決した。
「じゃあ、ぼくはおるすばん?」
「まぁ、そういうこったな。あ、そうだ。俺の家の漫画読むか? こっちに持ってきてやるよ。全部ふりがな振ってあったはずだし、丸一日掛けてもあれは読み切れねぇはずだろ。とりあえず、今日はそれで我慢してくれねぇ?」
「……うん、わかった。でも、ちゃんとかえってきてね?」
「当たり前でしょ?」
頭を撫でて、迷を残すことを心苦しく思いながらも萩兄と一緒に学校へ登校する為の準備を始めた。
登校しながらの会話の話題は、当然ながら迷のことだった。
「しっかし、記憶喪失ねぇ。お前から聞いた時はにわかに信じがたかったし、治ったって聞いてたのに再発してんだから、訳分かんねぇな」
「ん~、この前の話はしたよね。寂しそうだったから、私が毎日通っていたら、ある日突然治ったって」
「……その辺にヒントがあるのかもしれねぇな。ちょっと軽く整理してみようぜ」
整理する。
まず迷と出会ったのは、オカルト探検の為だった。最後の最後に残しておいた、幽霊屋敷に不法侵入して、迷を見つけたのだ。
二日目になって、一日しか記憶が持たないことが分かり、それから毎日色々な人となって私は迷の下へと訪れた。
そうしてある日、突然、記憶が全て戻り、私達の家族となって私達二人が住んでいるそこそこの広さのマンションに来て、翌日から私が姉であるということ以外の全てを忘れていた。
それがこれまでのあらすじ、だ。
「正確には何日通ったんだ? 初めて出会った日から迷の記憶が戻るまで、何日だ?」
「えっと、初めて会ったのは夏休み終わって直後の土曜日で、それから、三日前の土曜日だから、丁度一週間、かな? あの日は振り替えで学校があった日だから」
「それで、色々な人になってって言ったよな、どういうことだ?」
「まぁ、話を聞く口実かな。色々な人になって、話を聞いて、寂しさを紛らわせていたんだけど、ちょっとした遊び心で色々な肩書を名乗って聞いていたの」
「例えば?」
「えっと、最初は思いつかなかったから暇人って名乗って、それで――」
『暇人』。日曜日は何も名乗らず『昨日の人』。その次は『ゴーストバスター』。次に『マジシャン』。それから、『幽霊研究会』、『オカルト研究会』、そして『姉』。
「姉はともかくとして、最後は被ってねぇか?」
「仕方ないじゃない。思い付かなかったんだから」
「……まぁ、でも、そういうことか。多分、そういうことなんだろうな」
「え、何、分かったの?」
「まぁな。とりあえず、今日、お前は一人でもう一度、その幽霊屋敷に行って来い。そうしたら多分、俺と同じことを思いつくと思うぜ」
そうだ、萩兄は答えは絶対に言わないのだ。ヒントは教えても、その答えは自分の手で導かせようとする。そうでないと、その人間の為にならないから、というのが萩兄の信条なのだ。
萩兄に言われた通り、放課後、私は幽霊屋敷へと向かった。
しかし、幽霊屋敷はどこにもなかった。初めから存在していなかったかの如く、そこには広い空き地があった。
まだ三日だ。流石に三日であの規模の屋敷を取り壊すのは無理だろう。つまりこれはオカルト的な話なのだろう。
屋敷の消失。――いや。
「違う。
屋敷の消失ではないもう一つの可能性を思い付いて、明日その可能性が正しいことを証明しようと、振り向いた所で、萩兄と迷がいることに気付いた。迷は萩兄に背負われており、少しぐったりとしていた。
「きもちわるい……」
「悪い。ちょっと急いでたんでな。ほれ、降りな」
「……大丈夫? 迷」
「うん、だいじょうぶ。えへへ」
頭を撫でてやると迷は嬉しそうに笑った。
「……さて、やっぱり、そうみたいだな」
萩兄は私の後ろを見ながら、そんなことを呟く。
「……うん。みたいだね」
振り向き、それを見て確信する。ついさっきまで無かったはずの幽霊屋敷を見て。――もとい
「別に幽霊が生物だけであるなんて誰も言ってない。むしろ物体の方こそ、幽霊というかオカルト系には結構出て来やすかったりするんだよな。付喪神といい、呪いの人形といい、迷い家といい、な。まぁ、これは迷い家とは、少し違うけどな。あれは訪れた人間に富を齎す類の伝承だし」
「でも、派生伝承の可能性はあるね。迷い家っていう字面から人を迷わせる家、或いは存在が不確かっていう意味の迷いで、迷い家」
「おねぇちゃん? おにぃちゃん?」
「迷、ちょっとおにぃちゃんとここで一緒にいてくれないかな?」
「うん、分かった!」
家の中に入る。侵入はもう手慣れている。
入って、そうして家をくまなく探す。
「迷と迷い家で、名前で引き付け合って、強調し合って、存在力を高め合っていた、みたいな感じかな。あはは、
私はオカルトを信じていない。信じてはいないが、そういう現象があることを、そういう見方があることを知っている。
今回のオカルトは、要するに屋敷の幽霊。屋敷が付喪神にならず、それでも募り募った残留思念が幽霊となったのだろう。付喪神が意思と実体を持った存在だとするならば、幽霊は実体だけを持った空虚な存在。
「こういう場合は大体、両親の部屋だよね。子供の部屋は何回も見たけど、気になるものは見なかったし」
まずは父親の部屋。あったのはアルバム。両親と迷が幸せそうに笑っている、綺麗な写真。しかし、血で汚れた写真。
次に訪れたのは母親の部屋。そこにあったのは一通の手紙だった。
一通の手紙であり、一つの真実だった。
『もし、この手紙を誰かが発見して、私と私の夫と私の息子を見つけたのならば、キッチリと埋葬して頂ければ、嬉しいです。出来れば私や夫と迷は別々の場所に埋葬して頂ければと思います。大変申し訳ございません。死体の処理まで、人任せにしてしまって。私は、何も出来ませんでした。色々なことが出来ませんでした、夫から息子を守ることも何も。申し訳ありませんでした。そんな情けのない親の私ですが、何も出来ない無力な私ですが、それでもこれだけは言わせてください。勿論、私がしたこと、出来なかったことを鑑みれば、そんな馬鹿なと嘲笑されるかもしれませんがそれでも言わせて下さい。何の説得力もない私の言葉ですが、それでもこれだけは言わないといけないのです。それが母親としての最期の言葉ですから。私は、小道迷の母親で、小道迷いを愛し、大切に思っていました。守れなくて、ごめんなさい。そしてもし、私のことを恨んでいるのならば好きなだけ恨んで下さい。私はそれを、全て受け入れます。私の罪を私は正々堂々と受け入れます。迷の為ならば地獄でも何でも行きます。それでもし迷が救われるのならば私は笑顔で地獄に行くことが出来ます。来世なんて存在しなくてもいいです。私は永遠に小道迷の母です』
「…………」
文章は滅茶苦茶だ。恐らく、迷の母親はこの後夫を殺して、自殺したのだろう。小道迷という、最愛の息子を殺した夫を殺して。
「……貴方の息子さんは。小道迷は、貴方のことを恨んでなんかいませんよ。貴方は母親失格なんかではありません。ただ、運命が悪かっただけです。ですから、来世こそは幸せな家族を築いていってください。もう、心残りに思う必要はありません。小道迷の魂は未だこの世界に彷徨い続けています。恐らく一生、彷徨い続けると思います。私は私の一生が続く限り。小道迷の姉として、生きていきます。例え死んでいても、関係ありません。ふつつかな姉ですが、迷のことを一生大切にしていきますから」
私の言葉は母親に届いたのだろう。消えていく。手紙が、部屋が、屋敷が。
ゆっくりと家の門を開けて、出る。
「迷。私は、迷の姉だよ。何があっても、私は迷の姉だ。だから、ずっと、いつまでも私を頼っていいからね」
抱きしめる。抱きしめて、抱きかかえて、そのまま家に帰る。
帰る内に迷は疲れて眠ってしまったらしい。家に帰った頃にはすっかり熟睡モードで、迷を私のベッドに寝かせておいた。
はぁ、と溜息を吐く。
「つまり、小道迷は既に死んでいて。あの幽霊屋敷は母親の後悔と懺悔が取り憑いていた。取り憑いて、それで迷の魂を守っていたってことか。迷の為に存在しているから、迷がいなくなればいなくなる。迷が近付けば現れる。そういうことか」
「うん。記憶が持たないのは幽霊だから、情報的記憶が存在しないから、かな。最初は屋敷に取り憑いて取り憑かれた関係だったから、自分の年齢と両親の、母親の言葉だけを覚えていて、今私が姉であるということしか覚えていないのは、私に取り憑いたから、いや、『おねぇちゃん』に取り憑いたから、かな。分からないのは、どうして一時的に記憶が戻ったか、よね。全然分からない」
「そりゃ、アレだろ。正直こんなベタな展開、大っ嫌いなんだがな、幽霊がいた訳だし、いや
「……え? 何?」
「だから、起きたんだろ。
まぁ、実際は「ゴーストバスター」や「幽霊研究会」、「オカルト研究会」と紅葉が名乗ったおかげで、この世ならざる者が存在すると、忘れてはいても迷が知っていったことで、自分の存在について無意識に気付いたことで、自分の存在を思い出したってだけなんですけどね。