幻想郷見聞録噺   作:ボイス

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01 妖精と外来人と

「大ちゃん、アレなんだろう?」

 何か面白いものはないかとあてもなく空を飛んでいた妖精のうちひとり、目敏く見つけた氷精チルノは何気なく指さしていた。

「……『アレ』?」

 思わず訊き返しながらも大妖精はチルノが指し示す方向へ視線を向けていた。

 霧の湖、魔法の森を越えたところ――人里から離れた場所に建つ一軒家。

 生い茂る樹々に囲まれるように、見慣れぬ家屋を見つけた妖精は、興味深げにふらりと降り立っていく。

「こんなところに家があるなんて、あたい知らなかった」

「――チルノちゃん!?」

 大妖精の制止を無視したチルノは縁側からずかずかと勝手に上がりこむ。無論、靴などぬいではいない。

 障子を開き中を覗けば、こじんまりとしてはいるが生活感は感じられる空間が広がっていた。

 だが、特に目立ったもの――チルノは興味を引かれるものが見当たらなくてつまらないといった顔をする。

 それでも何かないかと勝手気ままに漁りはじめる氷精に、大妖精はぎょっとした表情を浮かべていた。

「ダ、ダメだよチルノちゃん――勝手に入ったら怒られちゃうよっ!?」

「大丈夫よ、大ちゃん。注意しない相手が悪いんだから」

「そ、そういう問題じゃないよ!」

 わたわたと大妖精は慌てるだけだった。彼女はいたずら好きの妖精の仲間に分類されはするが、常識は持ち合わせている。慌てるのも理由があり、こんなところを誰かに見つかったら何をされるかわからない。怒られる程度ならまだいいが、もしも相手が凶暴な人間だったり、または妖怪の類が住居としているとなれば結果はどうなるかわからない。

 やめようよ、怒られちゃうよ、帰ろうよ、と心配する大妖精の声をやはり無視し、チルノは物色を続けていた。

 がさごそと屋内で何かを漁っている音を聴きながら、大妖精はひとりビクビクとした面持ちのまま周囲をうかがっていた。

 不意に――

 視線が止まった先は、色とりどりの綺麗な花が咲いている一角。

「…………」

 なぜか、大妖精の脳裏では、花の世話をしているのが幻想郷でも屈指の実力者に上げられる大妖、『四季のフラワーマスター』と呼ばれる風見幽香の姿が真っ先に浮かんでいた。

 瞬時に大妖精は首を振る。前にチルノが命知らずにも幽香の花壇を悪戯で荒らしたことがある。結果、三日三晩、昼夜を問わずに襲い掛かられることになったのだが。

 大妖精やリグル・ナイトバグ、宵闇の妖怪ルーミア、光の三妖精といった連中も巻き添えを喰らい、とんだとばっちりを受けたことは決して忘れていない。

 地獄とはこういう事を言うのかと思えるほどに、三日間の恐怖というものは本当に生きた心地がしなかった。

 そのため、ここがそのフラマーマスターのテリトリーではないことを祈りながら――できることならば、早くここから去りたかったのが彼女の正直な心情だった――辺りを警戒する。

 と――

「……ん? お客さんとは珍しい」

 背後からかけられた声音に、大妖精は飛び上がるかのように驚いていた。恐る恐る振り返ってみれば――作務衣姿に麦わら帽子、首には手ぬぐいをかけ、手には鍬を持つ男がひとり立っていた。

「…………」

「ウチになにか用かな?」

 そう問いかけてくる声を大妖精は聴いてはいなかった。彼女の視線は鍬と男を交互に行き来していた。

 口から咄嗟に漏れた言葉は――

「こ、殺さないでください」

「……えらく、とんでもない物騒なことを口にするね」

 声をかけた男も、まさか相手の第一声が命乞いだとは思わなかった。

 驚きながらも、がたがたと震えだす妖精が向ける視線の先に気づき、それが自分の持つ鍬だというのがわかった。殴り殺されると捉えたのだろう。

 男は慌ててぶんぶんと何も持たない手を振り妖精を落ち着かせようとする。だが、妖精は眼に涙を浮かべたままふるふると首を振っていた。

 お願いですから殺さないでくださいと眼で訴えている。

「わかった、わかったから。そんなに怯えないでくれ……こんなの持ってるからダメだな。ああ、そうだ……」

 言って、男は手に持っていた鍬を適当にぽいと放っていた。

 離れた場所にからんと乾いた音を立てて転がる鍬だが、大妖精は見もせずに、まだがたがたと震えていた。

「籠を下ろすから」

 断りを入れて、男は三歩ほど後ろへ下がると両手を広げて見せていた。何もしないから安心してくれ、危害を加えるようなことはなにもしないからと示しながら、背負っていた籠を下ろすと、中を見えるように傾ける。

「人里の農作業を手伝っていたから、この中には野菜しかないよ」

「…………」

 告げたように、籠の中には赤や緑、紫といった色の野菜が顔を覗かせていた。

 この時点で、大妖精の警戒は幾分かは下がる。だが、完全ではない。それは相手もわかっている。

(自分の家に帰ってきているのに、どうして不審者扱いされているのだろうか――)

 麦わら帽子を取り、露になるのは若い男の顔。畑仕事で幾分土に汚れた面構えのまま、さて、どうしようかと思案に暮れるが――

「あれ、大ちゃん? ソイツ、誰?」

 もぐもぐとおはぎをほうばりながら、縁側に戻ってきたチルノはそう声をかけていた。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「へー、アンタ外から来たの?」

「ああ、ここじゃ外来人て言うそうだね」

 縁側から聴こえるチルノの声に返答しながら、茶葉の入った急須に沸かした湯を注ぐ。

「アキヒトさんは、こちらに来て長いんですか?」

 これは大妖精の声。彼――加藤彰人(かとうあきひと)は、顎に手をあて、反射的に頷いていた。

「結構経つかな。最初はどうしていいかわからなくてね。いろいろあって、里で世話になって……学校――ここだと寺子屋か。そこの人によくしてもらって、でも、いつまでも世話になるわけにもいかなくてね」

 だからある程度自活できるように準備はしていたという。

「この家も廃屋だったところを譲り受けてね。最初は不便ではあったけれど、雨風凌げられ暖もとれれば、住めば都とはいったものさ。不自由はまだあるけれど、生活できなくはないし……まぁ、慣れてしまえば苦にもならなくなるだろうけれど」

 納屋もあり、結界というものも張られてあるので、害意を抱く妖怪の類は近寄れないらしい、と彼は説明していた。

 彰人はオカルトじみたことは知りえないため、里の寺子屋を管理し、親身に世話をしてくれたひとりの女性が知り合いに頼んでくれていた。

 お茶の葉が開いたのを見計らい、急須を揺すり、人数分の白地の湯飲みについでいく。

「知らない森の中に放り出されて、そりゃ焦ったさ。暗闇の中から、ワケのわからないバケモノに突然襲われて――なにせ殺されかけるとは思わなかったからね。とにかく必死に身を護りながら逃げまくったもんさ」

「ふーん。情けないわね、アンタ」

 あたいにかかればそんなヤツいちころね、と腕を組み容赦の無いチルノの言葉に――大妖精は呆れてしまう。力の無い人間など、害のある妖怪の前では何もできずに一方的に襲われてしまうのが常である。それも状況すら飲み込めずにいる外来人であればなおさらに。勇猛果敢になんとかして見せろというのは酷な話でしかない。

 チルノの指摘に、彰人も苦笑を浮かべながら返答していた。

「そうさ。情けなかったよ。恥も外聞も無く、ただただ逃げることだけで精一杯だったからね。足をとられて何度転んだことか」

「でも、こうしてここに居るということは、無事だったということですよね?」

 大妖精が男を見た限りでは、目立った外傷は何も無いように思えていた。

「うん。マーガトロイド、という女の子に助けてもらってね。その子の家で世話になって、人里まで送ってもらったんだ」

「そうだったんですか」

 人数分の湯飲みと茶菓子を準備して戻ってきた相手に、大妖精は恐る恐ると声をかけていた。

「あの、ところで、あの花は……?」

 気になり指さす場所は、花壇。彰人は、ああと声を漏らしていた。

「あれは貰ったものを植えてね。散歩がてらに太陽の畑というところに立ち寄った時に、そこにいた女性に話をしてさ」

「……女性、ですか?」

 大妖精に頷き、彰人は盆に乗せた湯飲みを手渡していた。

「熱いよ」

 さり気ない声に、ありがとうございます、と礼を述べて受け取る大妖精。チルノにも同様に湯飲みを渡し、茶請けに用意した団子を乗せた二皿も板敷きの床へと置いていた。

 出された団子を早速手に取り、がつがつと食べるチルノに呆れながらも、彰人もまた縁側に腰を下ろしていた。

「人里で、ここ(幻想郷)で暮らすのなら、何かを育ててみるのはどうかと言われててね。畑にはちょうど日傘を差した女の人も居て、ワケを話して花の種を貰って育ててみたんだ。しかし……あのヒマワリ畑は何度見ても凄かったな。あんなに広大な一面を覆い尽くしてるのはビックリしたよ」

「…………」

 しみじみと呟く相手に、大妖精は無言。

 親切に花の手入れ、世話の仕方を教えてくれたと口にするのだが、大妖精は聴いてはいなかった。

 間違いなく、この人間に花の種を譲ったというのは、四季のフラワーマスターだろうと確信していた。ならびに、よく平然と無事に生きてここに居るなとも感心していた。余程、その時の風見幽香は機嫌が良かったのだろうと推測する。

 恐らく、眼の前の人間は、花の種をくれた女性――風見幽香の正体を知らないから普通にしていられるのだろうと大妖精はひとり胸中で思っていた。同時に、チルノが悪戯をしなくて本当に良かったとも安堵しながら。

 何らかのかたちで幽香の耳に伝わり、考えたくは無いが、荒らされた花の恨みとして襲われでもすれば笑い話にもなりはしない。事実、花畑を荒らしたことにより思い出すのさえおぞましい光景を、再度眼にする気力を彼女は持ち合わせていなかった。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 四枚の皿を洗い終え、片づけも済ませた彰人は、戸棚から目当ての物を取り出すと、その足のまま縁側に腰を下ろしていた。

 心地よい風が吹き、樹々の葉が擦れ合い、ざあざあと音が鳴る。

 食事も済み、他愛のない話をして、お菓子食べたいお茶飲ませろとの理不尽なチルノの要求にも答え、そのたびに大妖精はおろおろとしていた。

 夕食まで馳走になり、散々好き勝手な振る舞いのチルノは暴れ疲れたのか……やがては、ゆらりゆらりと舟を漕ぎ、ぐうと眠りだしていた。

 慌てた大妖精が「ダメだよ、起きて」と声をかけて、ぺちぺちとチルノを叩くのだが、当の氷精は、一向に起きる気配は無かった。

 どうしようと困惑し、おぶって帰ろうかと悩む大妖精だったのだが、そこへ声をかけたのは彼だった。

 日は既に暮れており、周囲は暗い。夜が深まる、という時間帯ではなかったが。

「おぶって帰るのも大変だろう? 泊まっていけばいいんじゃないか?」

 何気なくそう言葉をかけると、返答に迷う大妖精を尻目に、彰人は立ち上がりてきぱきと作業をこなす。

 隣の部屋に布団を敷き、そこへ軽々とチルノを抱き上げ――ひやりとした冷たさに驚きながら――運び寝かしつける。

 居間に戻ってきた彰人にしきりに頭を下げる大妖精に軽く片手で制しながら、会話を交わして時間を過ごし――

 ゆらりとランプの火が揺らぐ中、大妖精は外の世界のことを興味深げに訊ね聴いていた。

 訊いては返ってくる応えの内容が、大妖精にとっては新鮮であり飽きることもない。

 話の内容に気になる箇所があれば更に訊く。彰人もいやな顔ひとつせず、応えられる範囲内、教えられる範囲内で逐一説明していた。

 そうこうしているうちに、大妖精もまた睡魔に襲われたのを見てから、チルノ同様に抱き上げ布団へと運んでいた。大妖精にしてみれば、本当はもっと話を聴いていたかったのだろうが。

 今は布団に包まり、ふたりそろって、くうくうと静かな寝息を立てていることだろう。

 散々振り回され、騒がしい一日だったと思い返す。ようやくして、自分だけの時間を取り戻せた気分に安堵しながら、彼は胸元に手を差し込んでいた。

 取り出したのはシガレットケース。

 本数も残り少ないため、滅多なことでは吸わないようにしていたのだが、さすがに今日は疲れていた。

「…………」

 本来の日がな一日は、何事もなく過ぎていたはずだ。

 朝に起き、日の中用事を済ませ、夜には眠る。

 必要な物があれば人里に赴き購入し、困ったことがあれば寺子屋で教鞭を振るう上白沢慧音に頼り、それでも問題が解決しなければ博麗神社の巫女に助力を仰ぐ。

 幻想郷とは言えど、無論欲する物資はタダではない。中には無償で手に入る物もあれば、物々交換で手に入る物もある。だが、合理的であり確実な方法には先立つ物――金銭に関しては、古道具屋の香霖堂というところで、この幻想郷に流れ着いた品々の使い方を教えて稼いだり、あくまでも手伝い程度の範囲で、寺子屋で読み書きを習わせる教師まがいなこともしたりする。

 香霖堂店主曰く、「名称と用途はわかるのだが、使用方法がわからない」故に、彼の存在というのは、案外と役に立っていたりする。

 耕した畑の作物をいじり、魚が食べたければ川辺で釣り、哨戒天狗の警戒網に触れぬように果実を求めて山に入る。

 暇があれば、上白沢慧音にお願いされて外の歴史を彼女に話したりもしていた。こちらに関しては、彼は博識というわけではない。ある程度のことなら、なんとなく話せるぐらいのレベルであり、だからと言って明確な史実ではない。「話せることにも限りがあり、間違って覚えていることもあるし、偏っている」と前置きしての内容ではあるが。

 それでも、上白沢慧音は気にしない。

 彼女曰く、「外の歴史を聴ける事に意味がある」との興味本位により、正否を明らかにするということまでは望んでいなかった。

 よりよく深く史実が追求されれば、それはそれで彼女も喜びはするのだが――

 そんな風に過ごしていた『日常』が、今日に限っては変化が起こる。妖精の類を見たことがないわけではなかったが、こうして接するのは初めてだった。

 悪戯好きだとは聴いてはいたが、片方は噂通りの図々しい性格。もう片方は、妖精という割にはしっかりとした性格だった。

「…………」

 自分は子ども好きだったかなと胸中で自問しながら、彼は口にくわえた煙草に火をつける。

 妖精たちの前で吸わなかったのは、単に気が引けただけだった。

 煙たい匂いも決して良いものではない。好まないだろうと考慮していたこともあったし、なによりも、チルノと大妖精の容姿が手を止めた原因でもある。

 見てくれは子どもであっても人間ではない。頭ではわかっていながらも、やはり見た目の姿を十分意識してしまっていた。

 十歳にも満たない容姿の子どもの前では、吸う気分にはならない。

 もっとも、例え喫煙していたとした場合、別の問題になっていただろうとも考える。チルノは興味を持ち、「あたいにも」とせがんできただろうと想像に難くない。

 紫煙を吐き出し、見るともなしに月を眺める。

 夜の空に浮かぶ月。雲もなく、澄んだ空には無数の星々も輝いている。

「…………」

 無言のまま、月光を浴びた彼は微動だにせず。

 チルノと大妖精に話したように、こちらへ来て結構な月日が経つ。

 空の月は、外の世界で幾度となく眼にしたであろう『月』と同じであるだろうと思いはするのだが、どうにもここ(幻想郷)へ来てから見上げる月は眺めていても飽きないなと感じていた。

 月には月人が住んでいて、高度な文明が発達していると聴く。耳にした当初は、月でウサギが餅でもついて気ままに暮らしているのか、と笑いもしたが、こちらの世界に来てから眼にする全ては信じられない異形ばかりが存在した。

 人外で言えば天狗や河童、果ては鬼。人間で言えば魔法使いや人形遣い、魔女といった連中など。

 天狗などは、自分の持っていたイメージは、頭襟をかぶり赤ら顔で鼻が長く、葉団扇を持ち、一本歯の高下駄を履いた山伏然といった姿。だが、実際に眼にした天狗は紅い顔も鼻も長くは無かった。頭襟に高下駄、山伏のような格好は合ってはいたが、獣のような耳と尻尾を持っているとは思わなかった。

 中には獣耳はないが黒い翼を持ち、今で言えば、どこかアンティークチックなカメラを片手に自称新聞記者と名乗る天狗と相対しては、それまでに描いていたイメージは崩れていた。

 河童に関しても同じことが言えた。山にいくらでも住んでいると聴かされたが、川といった水辺を好む生き物で、どちらかといえば山などは無縁なのではと自身は考えたりもしていた。手先が器用で発明が得意だなどとは思うはずも無い。キュウリが好きだというのは合っていたが。

 とある河童に腕に巻いていた腕時計を目敏く見つけ、それは何だと訊ねられた際に、時計だと応えれば、どうすればこんなに小さく造れるのかと興奮したように詰め寄っていた。

 自分が知っている常識と掛けはなれた姿かたち。

 あげくは、自身で神と称する輩にも会いもすれば、自ずと考え方など変わってしまう。

 常識にとらわれてはいけません、と山の巫女であり現人神と名乗る少女――同じ外から来た人間として紹介はされたが――に説明されもした。第一印象では、「痛い女の子」という認識を持ったりしたのだが。

 それらを踏まえた上で、嘘か真かはわからないが、月には人が住んでいる、とそう言うのであればそうなのだろうと思うようにしていた。

 会ったことはないが、幻想郷に茂る『迷いの竹林』という場所には、竹取物語に出てくる「かぐや姫」が住んでいるという話を聴きもしたが、ここまで来ては何でもありなのだろうとさえ思わされた。

「…………」

 くわえた煙草は半ばほどまで火が過ぎる。

 ケースの中を確認してみれば、やはり本数は残り少なくなっていた。吸えなくなったら吸えなくなったで特に問題することもない。

 外の世界と幻想郷を自由に行き来できるワケもなく、場合によっては、八雲紫の使いがてらに外に出られた時にでもまとめて買ってこようかと考えながら、懐にしまう。

 そのまま――

 夜風に吹かれて、彼の視線が月から動く。

「帰るのか?」

「…………」

 かけられた声に――古明地こいしは、少々驚いた顔をして振り返っていた。

「……やっぱり、お兄さんは、わたしに気づいているのね」

「妖精ふたりは気づいてないみたいだけれどね」

「どうして?」

「どうしてって言われても……」

 返答に困る彰人は、なんと言おうかと悩んでいた。事実、眼の前の少女には、ぼんやりとではあるが気がついていたのだから。

 対して古明地こいしと名乗る少女は、じっと男を見入るだけ。

「わたしは無意識を操るの。お兄さんは人間よね? 本来なら、わたしを認識できるハズはないんだけれど?」

「いや、そう言われても……気づいたから呼んだわけだし」

 縁側で話をしていた際に、木陰から様子を窺う鴉羽色の帽子を被った少女の姿に気づいていた。チルノと大妖精の友達かと考えていたのだが、どうにも気づかないふたりの姿を見て当てが外れる。

 妖精や妖怪の類か何かなのだろうが、特に危険はないだろうとそのままにしていた。博麗の巫女に頼んで張ってもらった結界、札符は害のある輩の侵入を拒むと巫女本人からそう教えられていた。

 気づけば少女は縁側に歩み寄っては彰人の横にちょこんと座り、話に聴き入っていた。

 こうまで近寄り姿を見せているのにもかかわらず、妖精ふたりは何の反応も示さないのを見て確信する。どういう理由かはわからないが、自分には見えて、妖精たちには見えていない。

 試しに皿に残っている団子を差し出してみれば、素直に受け取り美味しそうに口にする。一連の流れに、やはりチルノたちは気づかぬまま。

 見えているのに見えていない。気づいているのに気づいていない。

 だが、相手が口にした無意識を操る、という言葉に納得はする。そうであれば妖精ふたりが気がついていないことにも合点がいく。加えて、ぼんやりと少女を認識できるということが、そういうこと(無意識を操る)を意味しているのだろう。

 後はそのまま今に至る。食事の用意も、もうひとり分増えた程度は造作もなかった。

「わたしは『覚』。人間には気味悪がられてるの」

「うん?」

「……気味悪がらないの?」

 相手の反応に小首をかしげるこいしだが、彰人は頬を掻いていた。

 『覚』という妖怪に対する幻想郷での認識をよくよく知っていれば、もしかすれば、彰人の接し方もある程度は変わったかもしれない。だが、知ったからといって彼に何ができるかと問えば、ろくなことは出来もしない。

 人の心を読む、という説明をされても、正直に言えば、いまいち釈然としなかったことが一番の原因だろうか。

「俺のいる世界だと案外、かなり役に立ちそうな能力だと思うけれど……外国ならサイコメトリーとかの特殊捜査官なんかで活躍しそうだな。嘘発見器とかいらないだろうし」

「?」

 彰人の言っている意味がわからないのだろう。こいしは小首を傾げていた。

 ああ悪い、と一言返し――

「まあ、使い方次第で良くも悪くもなるってのは、誰にでも当てはまると思うけどな」

「…………」

「……それに」

「それに?」

 訊き返すこいしに、彰人は笑う。

「ご飯を食べているときの君……こいしだっけか? すごく嬉しそうで楽しそうにしてたし、可愛かったから、別に気にしてなかったな」

「…………」

 可愛いなどと言われたためか、こいしはぷいとそっぽを向く。

 初対面の子に変なことを言ってしまい、彰人は機嫌を損ねたかなと思いながらも口を開く。

「あー、気を悪くしたのならすまない。よかったら、またおいで。何にもないけれど、今度は妖精ふたりとも仲良く遊んだらいいよ」

「…………」

 子ども扱い。ならびに妖怪を妖精と同一視している。

 こいしにしてみれば、眼の前の男も外来人であろうとも、掃いて捨てるただの人間のひとりでしかない。

 だが――

「夜も晩いし、気をつけて帰りなよ」

「…………」

 その言葉には答えず、だがよくよく注視していなければわからなかったほどに、こいしは被る帽子で顔を隠したまま首を上下に動かしていた。

 それは、本当に、ただの気まぐれでしかなかったのかもしれない。

 相手は人間ではないとわかってはいながらも、本音を言えば、いくら妖怪とはいえ、夜分晩くに見た目は幼い少女をひとりで帰らせるというのは危険を感じ気が引けた。家がわかれば送ってやるべきなのだろがとも考えながら。

 何なら妖精ふたりのように泊まっていくかい、と訊ねていた。ここまで来れば、もはやふたりだろうが三人だろうが構わないというのが正直なところ。だが――こいしは、ううんと首を振っていた。

「そうか」

 言って、彰人は床に置いていた物を取り、彼女へと手渡していた。

 素直に受け取った――こいしの表情が瞬時にほころぶ。

 渡されたのは、包装されたままで手付かずの、一枚の板チョコレート。

 外の世界のお菓子と説明され、夕食後にチルノたちと一緒に食べたのだが、同じ甘味の団子や饅頭とは違う『味』の菓子に、こいしは瞬く間に気に入っていた。

 ぱくりぱくりと口にするこいしを見て、余程気に入ったのだろうと彰人は感じていた上であげたのだった。

 一陣の風が吹くと同時、少女の姿は視界から消えていた。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「…………」

 いなくなった場所を眺めていたが、不意にからからと笑い声が響く。

「巧く釣り上げられるものかと見入っておったが……いやはや、フラれたのぅ、(ぬし)さまよ?」

 入れ違いに現れた声音が誰か見当がついたのか、ひとつ息を吐き、彰人は向き直っていた。

 いつの間にやら真横に座るのは、徳利の酒を煽り、ほろ酔い加減の化け狸。

「……やっぱり、機嫌を損ねたかな?」

「いやいや、そうでもないぞえ? ワシが言ったのはそういう意味ではないしのぅ。あの娘っ子は照れておるだけじゃて」

「照れ?」

 口元を手の甲で拭い――二ッ岩マミゾウは、おうと答える。

「ああまで人間の童子のように接されるとは思わなんだで。良かったのう? こんなところを鴉天狗に見られでもしておったならば、あやつの明日の新聞の一面はものの見事に面白おかしく書き叩かれとるものよ。これほど愉快なネタはなかろうに」

 言って――

 徳利を持つ腕とは逆の手には、シガレットケースが握られていた。片手で器用に一本取り出すとマミゾウは口にくわえていた。

 咄嗟に胸元をまさぐるが――そこにあるはずの感触が存在しない。眼の前の化け狸が手にするケース、口にする煙草は、見間違うはずもない自分の所有物だ。

「おい、それは俺のだろう?」

「固いことを言うでないわ。ほれ、代わりにコレをくれてやるでな、それで勘弁してもらえんかのぅ」

 言って、マミゾウは徳利を放る。

「……っ」

 何か言おうとして、直ぐに彼は思いとどまっていた。言ってもどうせ無駄だろうと諦めると、素直に受け取った酒に口をつけようとして――

 未だ、相手が煙草を口にくわえたままなのに気づくと、ライターを手に取り火をつける。

「おお、気が利くのう、(ぬし)さまよ」

「……言ってくれる。火を出させるまで待っていたくせに」

「さあて、どうかのう」

 言いながら、口の煙草を火に近づけ――点し彼女。

 それ以上の問答もやはり無駄だと悟ると、彰人は徳利に口をつけて喉に流し込む。

 焼けるような度の強い酒に、思わず顔をしかめていた。

「……相変わらず、喉越しが強い酒だな、コレは」

「そうかのう?」

「アンタらにとっては『水』みたいなモンかもしれないけれど、俺にとっては強すぎるよ。まぁ、利き酒が得意なワケじゃないけれど、純粋に美味いとは思うよ」

 一口だけで十分だけどな、と苦笑を漏らしながら。

「小童じゃのう。コレぐらいで音を上げるとは、だらしがないぞえ?」

「ほっとけ。俺は、アンタたちで言うところの(あやかし)じゃない、ただの人間だぞ?」

「妖怪じゃ」

「どっちも同じだろ?」

 カカカと笑い、マミゾウは紫煙をくゆらせる。

 そういえば人里で、命蓮寺で、と他愛もない話を交わし、煙草を吸いきったところで、ふむとマミゾウは顎を手でさすっていた。

「しかし、こっち(紙巻煙草)は相変わらず紙くさいのう」

「まるまる一本吸ってから文句を言うなよ。ただでさえ数が少ないってのに」

 これで口直しでもしろと徳利をつき返し――マミゾウはからからと笑い受け取ると、早速口にしていた。

 ごくりごくりと浴びるように飲む相手の姿に感心しながら――彼の視線は自分の座る腰元へ向けられていた。

 そこには、何処から取り出したのか、いつの間にか酒が注がれた杯が置かれていた。

 一口だけで十分だと言っておいたのだが、と思いながらも杯に手を伸ばす。

「先の話じゃが……」

「ん?」

 差し向かいで酒を酌み交わすマミゾウがぽつりと漏らした呟きに、彰人は杯を傾けながら訊き返す。

「ほれ、『覚』の娘っ子じゃ。命蓮寺にふらっとやって来たかと思えば、またどこぞにふらりと出て行ってしもうての。待てど暮らせど姿を見せず、せっかく娘っ子の分の夕餉の用意もしておったというのにのぅ。いい月夜に、ワシもふらりと散歩がてらにここに立ち寄うてみれば、(ぬし)さまと話し込んでおるとは思わなんだ。ワシもつい息を殺して見入ってしもうたものよ。いやはや、どのような術を使うたのやら」

 『娘っ子』と表現する、古明地こいしは見た目は少女ではあるが、その実、年齢が姿に伴っているわけではない。

 自身にも言えることではあるが、それでも、こいしに対して『娘っ子』という表現が当てはまることに対して――くつくつと笑い、じろりと見入る眼つきもどこかいやらしく歪むマミゾウに、彰人は呻く。

「どのようなって、別に俺はいかがわしいことなんてしていないぞ?」

「ふーむ」

 男という生き物は皆そう口にするのう、と冗談めかして笑いながら。

「わかっておるわい。ワシが言うておるのは、他人に関心を示さないあの娘っ子が、(ぬし)さまに興味を持っておることよ」

 マミゾウの指摘に――

 はて、と思わず首を傾げて彼。

「興味を持つってのは、俺が人間だから物珍しいってことか?」

 外来人ということが珍しいからなのか……と考えるのだが、聴いた話では自分のようにこの幻想郷に迷い込む人間は決して少なくはないと教えられていた。

 くつくつと笑みを漏らしながらも、どこか意味深な表情を彼女は浮かべていた。

「まぁそれもあるがのう、こればかりはワシが言う義理もないかもしれんのじゃが……あの娘っ子には、良くしてやってくれんかのう?」

「……別に邪険にする気はないけれどな」

 その答えを聴けて満足だといわんばかりにマミゾウは立ち上がっていた。

「さて、いい加減そろそろ戻らねばな。欲を言えば小腹も空いたところだしのぅ。娘っ子の分でも残っておればよいのじゃが」

 それを聴き、腕時計に視線を落とし――眼にした時間に、首を傾げる。

「こんな時間にか? どう考えたって、もうとっくに下げられて片づけられてるってのがオチだろう?」

 もしくは、誰かに食われてとっくに胃袋の中ってパターンでもあると思うがな、と意地悪く告げてみせる。

「ふむ。それは参るのぅ。いや、なにも(ぬし)さまが――」

「言っておくが、ウチには出せるメシはないぞ? 突然の来客で三人分消えたからな」

 先手を打つように宣言すると、マミゾウは「しまった」とバツの悪そうな顔をする。

 当てが外れたと漏らし、観念したのか頭を掻いていた。

「まあ、冗談はさておくとして……ではまたの、(ぬし)さまよ」

「……その呼び方、いい加減やめてくれればな」

「それはできぬ相談じゃな。ハナタレ小僧相手には、十分呼びやすいからのう。ああそれと、めんこいからとて、寝とる妖精に劣情を抑えられずに手を出すのは如何なことかと思うぞえ? 初対面の妖精を舌先三寸で丸め込み泊まらせるとは……(ぬし)さまは、ほんにケダモノじゃのう?」

 あなおそろしや、と漏らすマミゾウに、彰人は眉をしかめて睨みつけていた。

「おい、その口を閉じろ。それ以上好き勝手なことを言うな……いや、確かに、初対面なのに泊まらせたことに関しては事実だ。否定はしない。でも――」

「開き直りかや? なになに、(ぬし)さまの持つ性癖じゃて、ワシがあれやこれやととやかく口にできるコトではないがのう……見た目の幼子が好みかや? なんと言うんじゃったかな? ろ、ろりーたこんぷれっくす、とか言うんじゃっなかったかのぅ」

「泊まらせたことって言ってるだろう? 下心なんて持ってない……アホか。皮剥がされて狸鍋の具にされたいのか? 誰が手を出すか。そこまでクズじゃないぞ、俺は」

 おや、これは手厳しいとマミゾウはおどけて見せる。

「カカカ、なかなかに冗談が通じん(ぬし)さまよのぅ。馬鹿正直に親切心過ぎる故にからかいも易い。くく……ではの」

「うるさい。さっさと帰れ」

 相手の反応にひとしきり笑うと、ふわりと浮かび上がる化け狸に軽く手を振り――

 しんと静けさが戻る空間は、まるで祭囃子の喧騒が絶えたかの如く。

 夜風を身に浴びながら、午後から今の時間までの途切れることのなかった賑やかさの余韻に浸るように、杯片手に彰人は今しばらくその場に留まっていた。

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