幻想郷見聞録噺   作:ボイス

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11 狐と狸と外来人

「なにをやってるんだ……アンタら」

 肩にかけていた行李鞄が思わずズレ、どさりと音を立てて地面に落下する。

 呆れが含まれ、疲れたような声音を漏らした彰人が見入る先――

 視界に映るのは、掴み合いを繰り広げている化け狸の二ッ岩マミゾウと九尾狐の八雲藍だった。

 自宅に帰ってくるたびに、縁側に誰かが座ってくつろいでいたり、または家内に誰かがごろ寝していたりすることが多々ある。

 妖精連中――氷精チルノ、光の三妖精のサニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイアたちが家に上がり込み、好き勝手に飲み食いしているのも見慣れた光景である。

 あらかたの事では驚きもない。それは、慣れてしまっていた、ということもあるだろう。

 例え誰かが居たとしても、ああまたかという程度にしか捉えていなかった。

 もはや誰がいても驚きはしない。驚きはしないつもりでいたのだが――

 まさか、取っ組み合いの喧嘩で出迎えられるとは予想外のことであり、はじめてのことでもある。誰が想像できようか。

 いがみ合うマミゾウと藍、ふたりの視線が彰人へと向けられ――瞬時に顔に笑みを浮かべる。

「おお、(ぬし)さまや! 待っておったぞ」

「お前の帰りを待っていたところだ」

「いい酒が手に入ったんじゃ。よければ一献どうかと思ってのう」

「紫さまの提案でな、夕餉を一緒にどうかと思ってな。橙も、お前に会いたがっているんだ」

 と――

 刹那にふたりは睨み合っていた。互いの胸倉を掴み締め上げながら、である。

「九尾の……今、ワシが話してるところじゃろうて……邪魔をするでないわ。空気ぐらいも読めんのかのぅ? この戯けが」

「タヌキ風情が人の言葉を吐くとはな。滑舌が悪くて聴き取れぬだろうよ。その腑抜けた眼でよく見てみろ。耳障りな声で気分を害している顔だというのがわからんのか?」

「言うてくれるのう……白面金毛九尾の狐が、ただの一使いっ走りに落ちぶれおったくせに。お笑いじゃ」

「キサマ……」

「なんじゃ?」

 互いの唇が触れるかというほどに顔を近づけて睨み合う狐と狸。

 家主は額を押さえ息を吐いていた。

「帰ってくるタイミングが悪かったか……」

 彰人なりの認識では、狐と狸は人を化かす動物だという覚えがあった。子どもの頃に、祖母に教えてもらった昔話じみた類で、である。無論、迷信としての範疇でというのは言うまでもない。

 狐と狸の仲が悪いというのも互いに『化かす』ことに優れた種族間的の問題、空想話上などにおける要となる部分であり、ある意味必然性として捉えていたのは彰人の勝手な解釈である。

 対照となる存在が不可欠ということで、そういう位置付けにされているのだろうと捉えていた。それと同じように、実際には仲など悪くはないのではないかという考えもあった。

 しかし、現にこうして眼の前で睨み合う姿をまざまざと見せつけられてしまっては、事実、化け狐と化け狸は相容れない間柄であるというのを改めさせられるかたちとなる。

 加えて、二ッ岩マミゾウは化け狸の大頭目である。九尾妖狐の藍にとっては、まさに不倶戴天の大敵であると言わざるを得ない。

(百聞は一見に如かず、とはこのことか……?)

 もうひとつばかり言えば、狐狸(こり)という種族だけではなく、互いの性格も災いしている。

 片や老獪で飄々としているマミゾウと、片や堅物で真面目な藍とでは、水と油のようなものであろう。

「こうなれば、(ぬし)さまに決めてもらおうではないかっ!」

「フン、ハナから勝負など眼に見えているが、いいだろう。乗ってやる。悲嘆にくれる馬鹿なタヌキの面を拝むのも一興だ。己が身の浅ましさを知れ」

「……なんだか面倒くさいことになってるし」

 トントン拍子に話が勝手に進んでいく。

 面倒事は勘弁してくれと、そろりと逃げ出そうとするが――

「どっちじゃ!」

「どっちだ!」

 瞬時に回り込み退路を断ち、ふたりから凄まれる彰人は思わず視線を泳がせるしかない。真正面から眼を合わせることができないからだ。

 両手を向けて、落ち着いてくれと宥めるのだが――

「待ってくれ……いきなりどっちって言われてもなぁ……」

「なんも難しいことでもなかろうに。ワシと約束してくれれば万事解決じゃ」

「簡単なことだ。わたしと約束してくれるだけでいい。それほど難しい話でもあるまい?」

 決定権をこちら(彰人)に委ねるなど、最悪としか言いようがない。

 不本意ながら彰人の脳内で採決が開始される。

「…………」

 マミゾウの声に頷けば、藍の機嫌を損ねてしまう。

 藍の声に頷けば、マミゾウが機嫌を損ねるだろう。

 如何様にも、どちらかひとりを選べば、残るもうひとりは確実に不機嫌となる。変なところではプライド高いふたりであろう。

 マミゾウと酒を交わすのは嫌いではない。逆にこちらから誘い、晩酌でもどうかと考えていたものはある。

 だが、藍が口にしたように、橙に久しぶりに会ってみたいと思うのも事実。元気にやっていると紫から聴きはしたが、直に眼にしたい。

 さて、これは完全に参ったものだと考える。一番いい方法はふたりの提案をずらしてもらう手ではあるが。そうなると、今度はどちらの提案を優先するかが問題となろう。

 ハッキリと言って、眼の前のキツネとタヌキは譲る気など持ち合わせてはいない。双方、自分との約束事を相手よりも後手に回されるということは、屈辱以外の何者でもない。相手よりも劣るとみなされると捉えているからだ。

 彰人にとってみれば、マミゾウと藍に対して優劣など考えていない。

 しかしながら……どんなに頑張ったとしても、悲しいかな、加藤彰人の身体はひとつしかない。

「…………」

 結果、決めることなど当然不可能であり、彼は逃げの一手を選んでいた。

 迂闊な発言の末路など想像に難くない。瞬時に己が身に厄災が降り注ぐだけである。

 腰抜けとは言うなかれ。彼にとっては最良兼安全な手を選んだに過ぎぬ。無論、言い方次第ではあるが。

 穏便に事を済ませようとして――だが、返答に詰まる彰人に対し、痺れを切らしたキツネとタヌキが先に口を開いていた。

「まさか橙に加えて、紫さまの誘いを断るわけではあるまいな? 耳まで遠くなった馬鹿なタヌキに言ってやれ。お前と遊んでいる暇はないとな」

(ぬし)さまや、言わずともわかっておるで。ぬえも(ぬし)さまが遊びに来れば大層喜ぶでのぅ。じゃが、ここな阿呆の九尾めに、その口から敢えてハッキリと言うてやってもらえんかや? 知能の足りぬキツネの相手などしておれぬとな」

 半ば威しに近い脅迫である。

 言うに事を欠いて、どうしてそんな攻撃的な応え方をしなくてはならないのだろうか。

 と――

「耳に加えて痴呆とはな。己の発言も認識できぬとは、所詮は化かすことしか能がないタヌキといったところか」

「他人の名を引き合いに出すとはのぅ。他者の力を借りねばどうにもならんか? 滑稽じゃなぁ、九尾の」

「……なんだと?」

「……なんじゃ?」

 停める間もなく、ふたりは掴み合いをはじめていた。

 喧嘩っ早いふたりだと胸中で独りごちる彰人は頭を掻くだけ。

「とりあえず、いい加減にその掴み合いの喧嘩はやめてくれ」

 未だ互いの胸倉を締め上げ、各々のもう片方の手は――藍はマミゾウの頬を引っ張り、マミゾウは藍の髪を掴んでいる。

 こう言ってしまってはなんだが、美人のふたりが掴み合いという野蛮な行為は見ていて気分がいいものではない。

 無理やり間に入り――互いの手を解かせ、落ち着けと両者を引き剥がし離させていた。

 むーと頬を膨らませるふたりに呆れながらも、彰人は屈み、断りを入れてから互いの尻尾を手で払う。

「まったく、子どもかアンタらは……あーあ、綺麗な尻尾まで土で汚してなにをやってるんだか」

 扇状に広がる鮮やかな金色の九つの尾――

 臙脂と黄土の二色が交互に並んだ模様の尾――

 大人しく払われながらも、やはりふたりの頬の膨らみはおさまっていない。

「九尾のが――」

「化け狸が――」

 名だたる妖怪二体がなにを子どもじみた言い訳を口にしているのやら。

 ぶつぶつと呟き両者の尾っぽの土埃をあらかた払う。

「まぁいい。とりあえず、上がってくれ。ふたりとも昼まだだろう? まずはメシにしよう。貰いモンで悪いけれど、蕎麦があるからさ。あー、きつね蕎麦とたぬき蕎麦……どっちがいい?」

 甘く煮付けた油揚げか、天かす(揚げ玉)を乗せて『かけ蕎麦』にしてでも食べるかと気楽に考え――瞬時に、彰人は失言したことに気づかされていた。

 どうして自分は、そんな大事なことに頭が回っていないのか。

 浅はかさを呪い――

「…………」

 やってしまったと後悔の念に駆られながら――しかし無視できるはずもなく――恐る恐ると振り返り視線を向けていた。

「タヌキに決まっておるじゃろう」

「キツネに決まっているだろう」

 案の定、至極嬉しそうな顔で即答するふたり。が、直ぐにその表情は怒りに満ちる。

「たぬき蕎麦だと? あんなもの、具とする『タネ』がないために、ただの天かすを乗せた程度だろうが」

 さり気にたぬき蕎麦を好む者を敵に回す藍の発言。

 また一悶着起こるのかと頭を痛める彰人ではあるが……予想外のことに、マミゾウはカラカラと笑うだけだった。

 おや、と彰人は思う。てっきり烈火のごとく怒り狂うと想像に難くなかっただけに、冷静であるからだ。

 それは藍も同様だったのか、相手の予想外な反応に些か困惑している。

「わかっておらんのぅ? その程度でも十分美味いということじゃてなぁ。きつね蕎麦なんぞ、油揚げに頼ってようやっと、というところじゃろうなぁ?」

「キ、キサマぁぁぁッ!」

 逆に烈火の如く怒り狂うのは藍である。ご丁寧に九つの尻尾まで逆立てながら。

「…………」

 ふたりのやり取りを無言のまま聴き入っていた彰人は胸中でなるほどと呟く。

 要は捉え方次第ということか――

 ああ言えばこう言う、口が減らないマミゾウの方が一枚上手であろうと彼は捉えていた。

「ならば、ソイツがどちらが好みか決めてもらおう」

「おおう、受けて立とうぞ。無論、(ぬし)さまもたぬき派じゃて」

「ヌかせ」

「…………」

 余計な火種がこちらに飛び火した。

「どっちじゃ!?」

「どっちだ!?」

「………どうしてそうなる」

 視線をあらぬ方角へ逸らしながら嘆息ひとつ漏らす彰人を無視し、狐と狸、ふたりは詰め寄る。

「たぬき派じゃよな?」

「きつね派に決まっているな?」

「……悪いが、俺は生卵を乗せた月見蕎麦派だ。それよりも、えーと……藍さんがたぬき蕎麦で、化け狸がきつね蕎麦でいいんだっけか?」

 冗談交じりにそう告げてみれば――能面のまま、揃って口を開くふたり。 

『殺すぞ?』

「……どうして、こういう時に限って息が揃ってるんだよ、アンタらは! それに蕎麦に関して言えば、たんに名前で突っかかってるだけだろうがっ!」

「そんなことはあらん。たぬき蕎麦は最高じゃ」

「そんなことはない。きつね蕎麦こそ至高だ」

「ウソをつけっ!」」

 つい荒い口調で彰人は怒鳴り返していたのだった。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「とりあえず蕎麦を茹でるのに時間がかかるから、その間に団子でも食っててくれ」

 そう言って、炊事場で調理に入る彰人。

 縁側に残された狐と狸。両者の間に置かれたのは、皿に結構乗せられた串団子と茶が淹れられた湯呑みである。

 主食事前に甘味物を出していくというのも、ある意味おかしな話であろう。

「…………」

 毛嫌いする輩と同じ場所に残されるなど堪ったものではない。だが、彰人が自分のために用意してくれたお茶と茶請けを無駄にする必要もない。

 双方一睨みすると、湯飲みと団子を手に取り、フンと鼻を鳴らしそっぽを向いていた。

 砂糖醤油の葛餡をかけた串団子――みたらし団子を口に含み、緑茶を啜る。

 もぐもぐと団子を口にしているふたりは大人しい。

 だが――

 団子の甘辛さに加えて、程よい熱さのお茶につい食べるペースは緩みはしなかったのだが、皿に伸ばした各々の手が……唐突に停まる。

 あれほどあった量は消え、気づけば皿に残されたのは最後の一串。

 マミゾウと藍が睨み合う。

 これが上白沢慧音と藤原妹紅であれば、互いに遠慮しては譲り合うだろう。

 古明地姉妹であるならば、間違いなく姉であるさとりは妹のこいしへ譲るであろうし、スカーレット姉妹も同様に、姉のレミリアは妹のフランドールに譲る姿が想像できる。

 『騒霊姉妹』と呼ばれるプリズムリバー三姉妹のルナサ、メルラン、リリカたちであれば、もしかしたら仲良く分け合うかもしれない。

 相手が八雲紫や橙であるならば、藍は快く譲るだろう。仕える主人と可愛い式のために。

 無論のこと、マミゾウにとっても相手がぬえや聖白蓮といった命蓮寺連中であれば一歩引いて遠慮する心を持っている。

 しかし――

 今この時、この場において、マミゾウと藍にとっては相手を思いやるという気持ちは欠片も持ち合わせていない。逆に、何故自分が狐に遠慮しなければならないのか。何故自分が狸に遠慮しなければならないのかと思うほどに。むしろ相手が遠慮するべきであることが当然だとさえ考えるほどに。

「九尾の……食い意地張りおって、ちっとは遠慮したらどうじゃ? 先からガツガツと。意地汚いにも程があるぞえ? ほんに品がないのぅ……余程まともなモノは食うておらんということか」

「キサマこそ、少しは控えた方がいいのではないか? ただでさえみっともなくでっぷりと出ている腹が、さらに出っ張ることになるぞ? ああ、狸の腹鼓であれば無様にぶくぶくと太るしかないものだったなぁ?」

「…………」

「…………」

 刹那――

 三度取っ組み合いの喧嘩をはじめる狐と狸。縁側でドスンバタンと暴れ出す。

「だからいちいち喧嘩すんなっつってんだろうがお前らっ! もうわざと狙ってやってるとしか思えないんだよ、こっちは! やめろっ! 表に放り出すぞ!」

 出来上がった蕎麦を盆に乗せて戻ってきた彰人は、声を荒げてそう叫んでいた。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 出された蕎麦も綺麗に平らげ、食後の茶を口にした藍とマミゾウから冒頭の掛け合いが再燃される。

 食べている時まで喧嘩をするふたりに彰人は頭が痛かった。

 聴けば、双方彰人に用があって家を訪ねたところを鉢合わせ、喧嘩に至ったのだと洩らしていた。

 狐と狸がこれほど相容れないというのにも限度はあろう。もしかして、ふたり揃って事前に組んでこちらをからかっているのかと思うほどに。

 試しに本当は仲がいいクセになんでそんな演技をするんだと問いかけてみれば――

 射殺すかと思わせるほどの眼光鋭い双眸のマミゾウと、長く鋭い爪と牙をのぞかせる藍を前にしては、ふたりが本心から憎み合っているというのが思い知らされた。

「この前に八雲さんから聴きましたけれど、橙は元気そうですね」

「ああ、立派な式になるために日々頑張っているさ」

 妖怪の山の中に存在するとされる『マヨヒガ』という場所で、式の修行に励んでいると藍は説明していた。

「あんまり無理はさせないでくださいよ? 息抜きもさせてあげてくださいね」

「『式』たるあの化け猫の基から持っとる素質は見事でも、師が能無しのからっきしでは本末転倒じゃがのう」

 カカカと笑い横槍を入れてくるマミゾウに――藍は歯を剥き掴みかかっていた。

 ぎゃーぎゃー騒ぎ喚くふたりに彰人は両手で頭を抱えるだけ。

「なんでタヌキは逐一余計なことを言うんだよ!? 藍さんもいちいち相手にしないでください!」

 仲裁するべく声をかけるのだが――

「お前は一体どっちの味方だっ!?」

(ぬし)さまどちらの味方かやっ!?」

「…………」

 今度は味方ときたか、と頭を悩ませながら彰人は返答するべく言葉を紡ぐ。

「……どっちの味方にもならないよ。敢えて言うならば、俺は中立とさせてもらうよ」

「なぜだっ!?」

「なんでじゃ!?」

「……どうして今の話の流れで味方につくと思ってるんだ?」

 呆れ果てる彰人にはお構いなしに、掴み合いをやめたマミゾウと藍はちゃぶ台をバシバシと叩いていた。

「おかしいじゃろ、おかしいじゃて……ワシゃ何も悪くないぞえ?」

「どうしてだ? どう考えても、わたしに落ち度は何もないだろう?」

「ふたりがおかしいと思うことが、俺にとってはおかしいと感じるんだが……だから、その考えに行き着くのがおかしいってことにどうして気がつかないんだ――って、やめろやめろ、揺するな揺するな」

 ちゃぶ台を叩いていた各々の手が今度は彰人の肩を掴み、ガクガクと揺さぶられる。

 だが、いつまでもこうしているワケにも行かないのは確かである。

「お前こそ、いい加減に決めてくれ。お前が決めることであれば文句も言わん」

「その件に関してだけは、ワシも同意じゃて。(ぬし)さまがハッキリと決めてくれれば納得もしよう」

 だから自分との約束事を選べと眼力強く訴える。

 双方、選ばれるのは当然自分であり、選ばれぬハズがないという自信に満ち溢れている。

「…………」

 その自信は一体何処から来るのやら。自分が選ばれないとは微塵も考えないのだろうかと彰人はひとり息を吐く。

 結局のところ、どちらか片方を決めることに問題があるのならば、根本的なところを潰すしかなかった。

「あー、なら……こうしよう」

 思いついた提案を彼は口にする。

「藍さん、夕飯にはお呼ばれしましょう」

「そうか!」

(ぬし)さまやっ!?」

 選ばれたのが自分であることにニヤと笑う狐と、まさか選ばれなかったのは自分だということに激昂する狸。

 が――

「ただし」

 ふたりを瞬時に黙らせるように、彰人の口は間髪を容れずに言葉を紡いでいた。

「そこのタヌキも一緒だ」

「……なにっ?」

 有頂天であった藍の心境は落胆へと瞬時に変わる。

 聴き間違いであってくれと再度藍は問いかけるが、彰人は首を振るのみ。

「ふざけるなっ! どうしてこいつも一緒になる!?」

「同感じゃ。どうして狐なんぞと一緒になれるものか」

 ちゃぶ台を叩く藍と口を尖らせるマミゾウを前に――しかし彰人の態度は変わらない。

「決めるのは、俺なんだろう?」

「……っ」

「どちらか一方を決めるってのは、悪いができないし御免こうむるよ。なら間をとって、夕食も酒も互いに一緒にしてもらえないかな? 俺が譲歩してほしいと頼むのはそれだけだよ」

 一睨みする藍ではあるが、直ぐに表情を改めていた。

 紫の命を遂行すること、ならびに橙のためにも彰人の言に頷きしかね――

 つい、藍は意地として反論してしまう。

「わたしは、紫さまのお考えを代弁しているだけだ」

「なるほど……八雲さんが、そんなに器の小さな人だとは思いませんでしたよ」

「――ッ、紫さまを侮辱するのかっ!?」

 主人(八雲紫)を軽視する言葉に対し、藍は瞬時に怒りをあらわにしていた。たかが一人間ごときが調子に乗るなと彼女の両眼がそう物語る。

 しかし、彰人は臆することなく片眼を瞑り言いのけていた。

「八雲さんは、とても寛容な人だと思いますよ? ですが、正直に言えば、藍さん一個人の考えと全くもって同じだとは思えないんですけれどね」

「くっ……」

 わざと含みのある言い方をする相手に、忌々しく感じた藍は僅かに舌を鳴らしていた。

「……わたし個人では決めかねられん。紫さまの許可がなくては……それに、紫さまも反対されると思われる」

「あら? わたしは別に反対なんてしないわよ?」

 唐突に発せられた声音は――

「……紫さま」

 藍が驚き口にしたように、居間に姿を現せているのは主の八雲紫だった。自在に操る空間の境目から上半身だけの恰好で。

「戻ってくるのが遅いから様子を見てみれば……愉快なことになっているじゃない」

「いえ、決して愉快なことでは……」

 口を噤み視線を逸らす藍ではあるが、紫は気にした様子も見せていない。

 ちゃぶ台に残された空になった器。昼食を御馳走になったことを理解する紫は口元を扇子で覆っていた。

「話は全部聴かせてもらっていたけれど、わたしは賛成よ。彼がそう言うのであれば許可するわ。当然、そちらの化け狸さんの同伴も認めるわよ。藍、それでいいかしら? まだなにか問題がある?」

「……わかりました。紫さまがそう仰るのであれば、わたしはこれ以上何も申し上げることもございません」

 主の決定に藍は――渋々ではあるが、頷くだけだった。

「あらあら……」

 そんなに意固地にならなくてもいいのにと紫は考える。もっと自分の意思を持つようになってほしいと捉えるのが紫の親心とした心境であろう。

 『式』である八雲藍として仕えるだけではなく、『一個人』の八雲藍として成長してほしいと願うのだが。

 八雲紫からの許可を得た彰人は、次にマミゾウへと視線を向ける。

「お前は?」

「そうじゃのう……」

 マミゾウは顎をさすり思考する。

 八雲紫本人に敵対心はない。彼女の許可が下り、なおかつ好意的であるならば、いくら狐を嫌うマミゾウとて無碍にはしなかった。

 ふむとひとつ頷き、すいと人差し指を立てていた。

(ぬし)さまがそう言うならば従おう。それに、紫殿直々の許しともあればご相伴に与ろうぞ。されど、すまぬがもうひとりばかり連れが増えるんじゃが容認してもらえんかのぅ?」

「かまわないわよ。ひとりでもふたりでも同じことだし」

 マミゾウの声に紫はあっさりとそう応えていた。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 紫の屋敷に招かれたとはいえ手ぶらで来るワケにもいかず、彰人が持参したのは酒とジュースの類。マミゾウもまた酒瓶を数本土産に持って来ていた。

 律儀な相手に気を遣わなくてもいいのにと紫は苦笑する。

 客間に通された彰人であったが、襖の陰から覗く橙の姿を見つけると手招きをして呼び寄せていた。

「久しぶりだな橙、元気にしてたか?」

「う、うん」

「式の勉強もしてるんだってな。偉いぞ。でも、無理しないでやるんだぞ。それと、いつでも家に遊びに来てくれてもいいからな」

「…………」

 優しく頭を撫でられる度に、耳をピコピコと動かし嬉しそうに眼を細める橙ではあるのだが、どこかそわそわとして落ち着きがない。

「?」

 どうしたのだろうと首を傾げる彰人ではあるが、そこでようやく後ろ手に何かを隠していることに気がついていた。

 紫に促され、はいと返事をする橙は、手にしていたものをおずおずと差し出していた。

「これは?」

 それは、一枚の絵であった。

 前に渡した色鉛筆やクレヨンを使い紙面に書かれたのは――

「これは、俺か?」

「……うん。アキヒトを描いたの」

「…………」

 真ん中に大きく描かれた男性と思しき絵。その横に帽子をかぶりネコミミ、黒い尻尾がふたつあるのは無論橙であろう。

 その絵は決して上手くはない。だが、橙が一生懸命描いたのだということはよくわかる。

「上手いじゃないか」 

 紙面を見入る彰人の視線が留まるのは、とある箇所。そこにはふたり描かれていた。描かれた人物の特徴からみて、それが誰かは一目瞭然だった。

 指をさし、彰人は橙に問いかける。

「このふたりは、八雲さんと藍さんだな」

「わかるの?」

「当然」

 九つの尻尾、日傘を差す女性――

「上手いじゃないか。十分特徴を掴んで描いてるよ」

「……えー? そう? どう見たって、ただの子どものらくがきじゃないの」

 背後から覗き込み、つまらなそうにそう告げるのは封獣ぬえ。

 マミゾウが口にしたもうひとりの連れとは彼女のことである。彰人にもっとかまってもらいたいぬえは相手にしてもらえないことに些か不機嫌そうな顔だった。

 だが、瞬時に彼女はマミゾウに頭を殴られることになる。

「痛っ――なにすんのよ、マミゾウっ!」

 非難がましくムスッとした『貌』のぬえではあるが、空気を読めといわんばかりの形相で逆にマミゾウに一睨みされていた。

「阿呆じゃのう。邪魔をせんで雰囲気を悟らんか」

 談笑する彰人と橙を横目で見ながら、マミゾウはぬえの襟首を掴むとそのまま縁側へと連行していく。

「ちょっ――わたし、まだ――」

 彰人に用があるのにと漏らすぬえだが、マミゾウは取り合わなかった。

「後でいくらでもベタベタすればよかろうに。じゃが、今はダメじゃ」

「なんでよ……」

「なんでもじゃ。ほれ、いいから一杯付き合わんか。時間を置いてから好きなだけ甘えりゃいいじゃろ。ワシも手を貸してやるでの」

「べ、別にわたしは甘えたいワケじゃないもんっ! なに言ってるの!? マミゾウは馬鹿じゃないの!?」

「おうおう、そういうことにしておくでな」

 瞬時に顔を紅くして反論するぬえにマミゾウはカカカと笑うのみ。

 ふたりのやり取りを耳にしている彰人は胸中でなにをやっているんだかと独りごちていた。

 後でぬえの相手をしなくてはと考えながらも、今は橙と接している。

「この絵は貰ってもいいのか?」

「うん」

「ありがとう、橙。大事にするよ」

「……本当?」

「ああ」

 再度彰人に頭を撫でられ、橙は至極嬉しそうに顔をほころばせていた。

 と――

「橙、悪いが手伝ってくれるか?」

「はい、藍さまっ!」

 炊事場からかかる声に元気よく応え、橙は嬉しそうに両手を広げて駆けて行った。

 式とは言えど、やはり見た目通りに子どもっぽさがある。藍の調理の手伝いをする橙の姿を見るともなしに眺めていた彰人へ、紫はそっと声をかけていた。

「ありがとう。それと、ごめんなさいね……気を遣ってくれて」

「? 八雲さん、俺は別に気を遣ったつもりはないですよ。それに、せっかく描いてもらった以上はやっぱり大事にしないと……額に入れて飾るしかないよな、コレは……」

「……そこまで本気だとは思わなかったわ」

 熱心に絵を見入る彰人に――

 呆れ含んだ声音で紫はそう呟くのだった。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 翌日――

 いつものように『香霖堂』で働く彰人は、森近霖之助から一服しようとの声に頷くとお茶の用意にとりかかっていた。

 それぞれの湯呑みに茶を淹れ、茶菓子を器に乗せる。

 座る霖之助にそれらを差し出し、自分もまた休憩しようと椅子に座りかけ――思い出したように、一角へと歩み寄りがさごそと探しはじめていた。

 彰人が片付けた際に仮置きとして一箇所にまとめられた場所。そこで何かを探す彼に霖之助は思わず声をかけていた。

「なにか探しものかい?」

「ええ、手頃なサイズの額が欲しいんですよ。絵が入るほどの大きさのが……どこかで見たような気がしたんですけれどね」

「絵?」

 言われ、思わず口にする霖之助に彰人は自分の荷物の行李鞄に歩み寄ると中から取り出していた紙面を広げて見せていた。

「…………」

 何気なくしばらくじっと見入る霖之助ではあったが、ようやくして視線を逸らし、なるほどと呟いていた。

「お世辞にも『上手い』とは言えないね。こう言ってしまっては失礼だけれど、拙い絵じゃないか」

「…………」

 こき下ろす霖之助ではあるが、その口元には笑みを浮かべていた。皮肉めいた嘲りではなく、穏やかに。

 顎をさすりながら――されど、彼はひとつ頷く。

「だけれど、見ていて心が温かくなる絵ではあるね」

「でしょう?」

 言って、彰人は湯飲みを手に取り茶を啜っていた。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 さらに後日――

 ぬえに加えて、何処から話を聴いたのかフランドールとこいしが各々彰人を描いた絵を持ってきて、自分たちも褒めてもらおうと家に押しかけてきたりするのだが……それらは完全な余談である。




八雲藍が『白面金毛九尾の狐』だと正式に公言されてはおりません。
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