その日――
簡単かつ質素である昼食を早めに済ませた『博麗の巫女』こと博麗霊夢は、日課である境内の掃除を務めていた。
空は快晴。
まだ昼を過ぎた時間帯だとは言えど、ここ博麗神社は神社でありながら、参拝客の姿はひとりも見当たらなかった。
彼女以外には、人っ子ひとりも存在しない。
「…………」
半ば、いつものことだと諦めが入っていながらも、霊夢はだるそうに竹箒を動かし掃き掃除を続けていた。
と――
その手が不意に止まり、顔を上げた霊夢の視線がとある場所へと向けられる。
「誰かと思えば……そいつらと一緒にいるなんて、珍しい組み合わせね」
現れた人影に対して、彼女は淡々と告げていた。
石階段を昇り、境内に足を踏み入れたのは彰人である。
「どうも、博麗の巫女さん、こんにちは」
素っ気ない対応の霊夢ではあるが、彰人は特に気にした様子も見せずに会釈する。
相手もまた軽く挨拶を交わしたところで、改めて視線は彼の横に立つ者たちへと向けられていた。
「で? そいつらと一緒に居るってことは、何かあったワケ?」
霊夢が指摘する『そいつら』とは三人だった。彰人の左右に立つのは、日傘を差したフランドール・スカーレットと古明地こいし、後ろに立つ封獣ぬえである。
「里でたまたま三人に会いましてね」
言って、彰人はフランドールとこいしの頭を順にぽんぽんと手を添えていた。
ひとりぬえだけは、ぷいとそっぽを向いたまま。ぬえの頭にも触れようとした彰人ではあるが、彼女自身が恥ずかしがってか一歩ほど後ろへと下がっていた。
四人が一緒に行動する事の経緯は簡単だった。
遊び仲間のフランドールとこいし、ぬえの三人は特にやることもなしに人里にやって来ていた。村人たちの視線を気にしながらも何か面白いことはないかと物色していたところに、人里で買い物をする彰人の姿を見つけていた。
何してるの、何処かに行くの、と訊ねてみれば、博麗神社に用事があるからこれから向うところだと説明を受けたところで、ならわたしたちも付いていくと流れに落ち着いていた。
博麗神社へ向う前に、食事処で飯を済ませていたりもしたのだが。支払いは彰人持ちである。
「まぁ、そいつらがいれば、そんじょそこらの低級妖怪程度なら手も足もでないでしょうけれど。なんだかんだでそれなりに強いしね、そいつら」
わたしには劣るけれどと付け足す霊夢に彰人は軽く頷いていた。
「ええ、結果、妖怪に襲われることもなく、問題なく来ることができましたよ」
「ご苦労さま。で? わざわざ足を運んでくれたってことは、参拝なら、ほら、賽銭箱という素敵な木箱はそっちよ。思う存分に入れてってくれて構わないわよ?」
無愛想なままに顎でしゃくる霊夢に彰人は苦笑を浮かべるしかない。
もっとも、守矢神社に賽銭は入れておきながら、ここ博麗神社には賽銭を入れていないともなれば、また後々面倒なことになる。
相手の機嫌を損ねるのもよろしくはない。
「ご希望の額を奉納することは出来ませんけれど、それなりに入れさせていただきますよ」
「期待してるわ」
「それはそれとして、これは差し入れです」
言って、彰人は手にしていた風呂敷包みを持ち上げて見せていた。
「気を使ってもらわなくても別にいいのに。まぁ、そういうことなら遠慮なく貰うけれど……せっかく来たんだったら、お茶ぐらいなら出すわよ?」
『どう?』と眼で問いかけてくる霊夢に対して、彰人としては断る理由もないため素直に頷いていた。
「いただきます」
「ん」
差し入れに少しは機嫌が良くなったのか、掃除もそこそこに霊夢は竹箒を肩に担いで歩き出していた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「それで、今日はどういった用件? お賽銭と差し入れだけってワケじゃあないんでしょう?」
「察しが早くて助かります」
縁側に通された彰人にはお茶が用意されている。
霊夢が普段飲んでいる出涸らしのものではなく、少しばかり値段が張る茶葉である。
曲がりなりにも来客である彰人に――賽銭と差し入れを貰った手前ではあるため――対する霊夢なりの接待であったりするのだが。
ちなみにフランドールたちは境内で遊んでいる。つまらない話を聴いているのも退屈だからといって、適当に時間を潰しているのだった。
「アンタたち、遊ぶのは勝手だけれど、弾幕ごっこなんかしてむやみにそこら辺のものブチ壊したりしたら張っ倒すわよ」
はしゃぎ過ぎたら容赦しないわよと告げる霊夢ではあるが、三人は話を聴いているのかいないのか。
加えて言えば、フランドールとこいしの面倒をぬえが見ているといったところであろう。三人の中でもぬえはどちらかといえば大人びている。だが、かといえば三人の中では一番子どもっぽかったりするのだが。
本題に入ろうとする霊夢に彰人も頷き返していた。
「大したことではないんですが、実は、御札を売ってもらいたくて」
「札? なに? 妖怪の類にでも襲われかけでもしたの?」
何かしらの危害を加えられたというのならば、面倒ではあるが対処せざるを得ないと霊夢は考えていた。
里の守護者である上白沢慧音に頼まれてから彰人に関わった手前、問題事が起きればそれ相応に対応すると約束はしていただけに。
「ああいえ、そういうわけではないんですが」
「違うの?」
些か拍子抜けといった顔をする彼女に、彰人は再度頷き説明していた。
「ここ最近、家に入り浸る妖精連中の悪戯がちょっとばかり目立ちましてね」
妖精連中――氷精チルノたちのことだろうと霊夢は容易に察していた。
いい遊び場所を見つけたとばかりに彼の家に用もなく寄っているのを知っている。何故知っているのかといえば、当の本人から聴かされたからだ。チルノ本人から。
「カトってヤツの家からお菓子をもらった」
よく貰う、と得意気に語りはするのだが、実際にはチルノが勝手に持ち出しているというのが真相である。
「あんな連中、馬鹿正直に相手なんてしない方がいいわよ? 適当にあしらってればいいのよ」
「それが出来れば苦労しませんよ」
霊夢の指摘に彰人は頭が痛かった。
お菓子、食べ物関連に手を出しすぎていること。なによりも、額に入れて飾っていた橙、フランドール、ぬえ、こいしたちがそれぞれ描いた絵に悪戯しようとしたのを見て慌てて停めたのはつい最近のことだった。
四人が一生懸命描いた絵を破かれたり汚されたりしては、さすがに堪らない。ついでに言えば各々の絵には額の裏側に札を一枚ずつ貼っているため、以降妖精たちが悪戯することはなかったのだが。
妖精連中に混ざって、
「巫女さんの札には重宝してますよ」
「誉めてもまけないわよ?」
そっけない霊夢の態度に対して、彰人は相変わらずだなと思わず苦笑してしまう。世辞を述べたからといって、金額をいくらか値切ろうなどとは毛頭考えてもいない。そもそも、そういうつもりで口にしたワケでもないのだが。
(見た目の容姿と年齢の割には、性格はクールというか、ドライというか……)
湯呑みを口元へと運び彼。
すいと視線を動かしてみれば、境内を走り回って遊んでいるこいしとフランドールが映る。少し離れた場所で、そんなふたりを眺めているのはぬえである。
三人を見つめるこちらの視線に気がついたのか、フランドールが手を振ってくる。彰人もまた手を振り返したところで霊夢は口を開いていた。
「結界の方は?」
「今のところは問題ないと思います。そちらの方も、重宝してますよ」
「あっそ。綻びかけてたら言ってちょうだい。張り直すから」
「ええ」
とはいうものの、綻びなどそう簡単にわかるものだろうかと疑問に思う。結界が機能していないことに気付き、だが、気付いたところで食われてしまいました、では話にもならない。
それを見越した霊夢は続けて告げる。
「まだ大丈夫だとは思うけれど、用心に越したことは無いわね……近々寄らせてもらうから」
「わかりました」
「さて……ならとりあえず、札の用意はしてくるとして……まぁ、面倒ではあるんだけど、祈祷してから持ってくるから。ちょっと時間もらうわね」
「構いませんよ。お手数おかけしますが、よろしくお願いします」
「ん」
ひとつ頷いた霊夢は静かに立ち上がると廊下を歩き奥の部屋へと下がっていった。
ひとり残された彰人ではあるが、退屈紛れに部屋を何気に見渡していた。
不意に――
簡素な部屋の片隅にぽつんと置かれた物が眼に留まる。
無造作に置かれているのは、ミニチュアサイズの家だった。いわゆる、人形遊びに使われるであろうと思しきドールハウスである。
「…………」
どうしてこんなものが此処にあるのかと疑問が生じる。
霊夢も女の子であり、実はお人形遊びが好きだった?
ただ普通のドールハウスと違うのは、屋根の部分に小槌が括られていることだった。
どうして不釣合いな大きさのこんなものが付属しているのか不思議に思うことであろうが。
人の趣味はそれぞれかと思い直す――のだが、直ぐに彰人はいいやと首を僅かに傾げていた。
「…………」
こういっては何であるが、それはどうかとつい思ってしまっていた。
彼女、博麗霊夢が人形遊びに興じる姿が想像できなかったからである。
似合わない、というつもりはない。ただ純粋に、そういう遊びに無縁であるというイメージの方が強かったからだった。
おままごと遊びをしている姿のイメージが全く湧かない。
しかし――
「俺の勝手な偏見だったな。巫女さんも、なんだかんだと言われようとも年頃の女の子なんだし……お人形遊びをしててもおかしくはないか」
気付けば歩み寄り、彰人はドールハウスを手に取っていた。思っていたよりも軽い造りに、少しばかり変な感じを覚えていたのだが。
と――
きしきしと、廊下を鳴らして歩く音に意識が向けられる。
しばらくして縁側にひょっこりと現れたのは小柄な人外だった。しかしながら、彰人にとっては面識のある相手である。
真紅の瞳に薄茶色の長い髪。頭に赤色の大きなリボンをつけ、上はノースリーブじみた白に、下は紫のロングスカートの装い。両の手首と腰に計三種類の分銅をぶら下げていた。
だが、それ以上にこの幼女が人外だと改めさせられるほどに眼が惹かれるのは、その髪から覗くものであろう。身長に不釣り合いな、長くねじれた角が頭部の左右に一本ずつ生えている。
「おー、人間」
「……どうも、鬼の人」
姓は伊吹、名は萃香。鬼と呼ばれる種族のひとりである小柄な体躯の少女はフラフラと歩み寄っていた。
頬は上気し、その足取りもひどくおぼつかない。身体は前後にぐらりぐらりと揺れている。
それもそのハズに、太陽の位置は頂を少し過ぎたところにあるというのにも伊吹萃香は既に出来上がっていた。
何がそんなに可笑しいのか、酒臭い息――匂いだけで酔いそうなほどに――を吐き出しながら萃香はケタケタと笑っていた。
「伊吹さん……相変わらず飛ばしてますね。まだ陽は高いですよ?」
「固いこと言いっこナシだよ。ほら人間、アンタも飲むかい?」
酒の催促と捉えた彼女は瓢箪を差し向けるが、彰人は片手を挙げてやんわりと断りを告げていた。
「遠慮しておきますよ。あなたのお酒はキツ過ぎますから」
とある事情により、彰人は前にも今と同じように萃香から酒を勧められたことがあった。
周囲が止めるにもかかわらず、その時はせっかくだからということで厚意にあやかり、鬼が愛飲する酒というものに興味があったためにご馳走にあやかりはしたのだが――
鬼専用の酒を甘く見た報いであろう。
結果的には、人間である彰人にとっては大変なこととなった。詳しく言えば、飲んだ瞬間からの記憶がなく、すっぱ抜けていた。
後から聴いた話によると、居合わせていた者たちが語るには、口に含み嚥下した途端に気を失って倒れたという。萃香はゲラゲラ笑っていたとかいないとか。
数時間後に彰人は眼を覚ましはしたが、翌日以降、激しい頭痛に数日間は悩まされていたりもした。
「だらしがないねぇ。なんて言ったっけ? 前に人間が持って来た、あの……えーと……」
「ビールですか?」
「あー、そうそう、それ。あの『びいる』ってのと同じようなモンじゃないか」
「全然違いますよ。アルコール度数も半端じゃないと思いますけれど?」
「?」
アルコール度数などといわれても、萃香は首を傾げるだけである。そもそも、萃香にとってみれば、ビールに含まれるアルコール度数など、まさに『水』と同じであろうが。
話半分に萃香は手に持っている瓢箪に口をつけていた。
伊吹瓢と呼ばれるこの瓢箪は彼女がいつも持ち歩いているものであり、酒虫という少量の水を多量の酒に変える生物の体液が塗布されていることにより、酒が無限に沸き出るようになっているといわれている。
口元を手の甲で拭う彼女は問いかけていた。
「で? 人間は何してるんだい? そんなの手に持って」
「ああいや、特にこれといった意味はないんですけれど……巫女さんも、人形遊びをしてるんだなと思ったもんで」
その返答に――
ぶふと息を吐き出した鬼は、唐突に腹を抱えて笑い出していた。
ある意味突然の奇行に彰人は言葉を失くすだけ。だが、当の萃香は人目を憚ることもなく床に転がるほどに笑い続けていた。
「れ、霊夢が人形遊び? は、腹痛い……く、くくくっ……」
ひとしきり笑いに笑い切ったのか、眼元に浮かんだ涙を指先で拭い彼女。
「ふ、ふふっ、あの霊夢が、お人形遊びなんて柄じゃないじゃないか」
「いや、それはどうでしょう? 巫女さんも女の子なんですから」
なにもそこまで笑うこともなかろうかと思う彰人に構わず、萃香はこれ以上笑わせないでおくれと洩らしていた。
「人形相手に遊ぶよりも、わたしらのような妖怪連中を問答無用でシバキ倒しては心なしか悦に入るようなヤツだよ?」
「…………」
言われてみれば、つい納得してしまいそうになる。
「それに、そもそもソイツは霊夢のじゃあないよ」
「?」
巫女の所有物でないというのならば、誰のものなのか?
「言っとくけれど、わたしのじゃあないからね。勘弁しとくれよ。霊夢ほどじゃあないけれど、鬼のわたしが人形遊びなんて風に見えるかい? 霊夢のじゃないからわたしのものだっていう発想は短絡過ぎるよ?」
彰人が指摘しようと口を開くよりも先に、萃香はぴしゃりと言い切っていた。
「…………」
疑問が表情に出ていたのだろう。萃香はニィと口の端を吊り上げていた。
「振ってみればわかるさ」
「?」
告げられた意味がわからぬ彰人は言葉もない。振ってみたところで答えが出るものだろうか?
「いいからいいから」
「…………」
だが、彰人は言われるままに手にしていたドールハウスを軽く振っていた。
と――
「ちょっと霊夢、だから揺すんないでよってば!」
上がる小さな声音は、今まさに手にしているドールハウスからだった。
扉が開かれ――ちょこんと顔を出すのは、文字通り『少女』であった。
「…………」
「…………」
眼と眼が合う彰人と少女は無言。双方見知らぬ初対面となる相手ともなれば、自然とそうなるだろう。
しかし、先に口火を切ったのは少女の方だった。
「……どなた?」
「……最近の人形は、ものすごく精巧に造られているんだな」
小首を傾げる少女に対し、思わず彰人はそう洩らしていた。人形遣いであるアリス・マーガトロイドが造った人形の一体なのかと思考するのだが――
「……わたしは、人形じゃないんだけれど?」
「会話が可能な高性能仕様か」
「いや、だから、わたしは人形じゃないって言ってるんだけれど……聴いてる?」
些か困惑した表情を浮かべる少女に釣られ、萃香もまた声を挟んでいた。
「あのさ、人間……ソイツは造りものなんかじゃなくて、正真正銘、生きてるよ」
鬼の説明によれば、小人の末裔であり、名前は
姿形から見て、彰人の脳裏によぎるのは――
(昔話でいえば、一寸法師……というよりも、女の子って部分だけで見れば、親指姫ってところだろうか?)
加えて――
視線を小人から鬼へと移し彼。何気なく、ついふたりを見比べていた。
「一応確認しておきますが……伊吹さんのお子さんでした、というオチではないですよね?」
「……その発想に行き着くのはスゴイね、人間」
わたしに子どもはいなければ、そんな相手もいやしないよと萃香は赤ら顔のまま苦笑するだけでしかない。
いつまでもドールハウスを手にしているわけにもいかず、侘びを告げて畳の上にそっと置き彼。
「ぐっすり寝てたから、お腹空いた」
「もうとっくに昼過ぎだよ。寝過ぎじゃないかい?」
針妙丸にそう告げる萃香ではあるが、会話を聴いていた彰人は胸中複雑だった。陽も高いうちから飲んでるあなたが言うのは説得力に欠けるのではなかろうか、と。
「霊夢に何か御飯を作ってもらおう」
ひとつ名案を思いついたとする針妙丸だったが、彰人は持ってきていた差し入れを思い出していた。
霊夢の知り合いであるならば大丈夫だろうとして。
「お菓子、食べますか?」
「お菓子?」
風呂敷包みを解き、詰められる和菓子のひとつを手に取って見せる彰人に、ぴょんと畳に降り立った針妙丸は菓子箱に駆け寄っていた。
「どれでも好きなのを食べていいですよ」
「どれでも!?」
「ええ」
縁から覗き込んで和菓子に視線を落としていた彼女ではあるが、再度彰人を見上げて恐る恐ると訊ねていた。
「……本当に?」
「本当に」
「やっぱりあげないとか言わない?」
「言いません」
「霊夢みたいに、嘘つかない?」
「……彼女、普段なにやってるんですか?」
いいから選んでくれて構わないと彰人は箱を突き出していた。
箱に敷き詰められているのは和菓子の詰め合わせである
実際にどれでも好きなものを食べていいと言われれば、眼を輝かせて選んでしまうのは仕方がないことだろう。
「おはぎもいいけれど、栗饅頭も捨てがたい……あ、よもぎ大福も美味しそう」
どれにしようかとあれこれ目移りする彼女。
うんうんと悩み続け、中々決まらない小人に対し、彰人はさり気なく言葉をかけていた。
「別に一個に決めなくても、食べたいものがあれば二個や三個と選べばいいじゃないですか」
「!」
その指摘に、針妙丸は顔を跳ね上げていた。まさしく『その手があったか』と言わんばかりの表情で。
数ある中からひとつだけしか選べないとばかりに思っていた彼女にしてみれば、夢想だにしないことであろう。
「一個じゃなくていいの?」
「いいですよ。その様子からすると、ひとつに決められないでしょう?」
「……本当の本当に?」
「ええ。でも、さすがに全部とはいかないですよ?」
霊夢の分もあるのだからという意味合いで、である。
しかし、針妙丸は伏し目がにちぼそりと口を開いていた。
「……後で、霊夢みたいに怒ったりしない?」
「いや、ですから……普段あの巫女さんは何してるんですか?」
怒らないからと念押しされたことと、彰人からの許可を得た針妙丸は迅速だった。
そうであるならば話は別だと小人は自身が食べたいものを選んでいた。まずは最初に栗饅頭を所望する。
彰人から手渡された栗饅頭――このままでは大きすぎるだろうと手頃な大きさに千切られている――を一言礼を述べて受け取ると、早速はむはむと口にする。
口の周りを餡子で汚しながらも、実に美味しそうに食べる姿は仔リスのようだった。
と――
「ちょっと! 何勝手に食ってんのよアンタ!」
施しが終えた幾枚かの札を手にし戻ってきた霊夢の叱責は、饅頭を口にする小人に対して。
だが、普段であればたじろぐ針妙丸だが、和菓子をくれたのは彰人である。ならば咎められる道理もおかしかろうと負けじと彼女も言い返していた。
「何で霊夢の許可が必要なのよ! この人がわたしにくれるって言ったんだからいいじゃない!」
「何言ってるのよ! わたしが貰ったんだから、全部わたしのものに決まってるでしょう!? 加藤さんも、こんなヤツにあげなくていいわよ!」
「こんなヤツなんて言い方酷くない!?」
「アンタには十分でしょ!」
彰人をそっちのけでいがみ合うふたりに――
「……美味いねこれ。甘いモンは酒の肴にゃ些か足りないけれど」
「どさくさに紛れてアンタもアンタで勝手に食ってるんじゃないわよ! わたしの分がなくなるでしょ!」
許可なく和菓子を勝手に摘み、遠慮もなくばくばくと食べている萃香に霊夢は怒鳴り散らしていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「そういえば、この間咲夜と会ったんだけれど、その時にたまたま加藤さんの話が出たのよね。そうしたら、アイツものすごい不機嫌な顔になったのよ。理由を訊いたら、レミリアんトコの妹のフランドールにちょっかい出してるって言ってたわ」
「ああ、あの従者さんには、俺、かなり嫌われてますからねぇ」
「そうは言っても、あの嫌いようは異常だと思うんだけれど? あんな顔した咲夜を見るのなんて随分と久しぶりのような気もするけれど……なにをやったの?」
「改めてそう訊かれると……明確な一番の原因は、俺がフランに近づいていることが気に入らないんだと思います」
「なにソレ? たったそれだけで?」
そんなことでああまで血相を変えるものかと霊夢は呆れていた。普段は感情の変化を見せないあの咲夜が、あそこまで露骨に顔に出すなど余程のことがあったのだろうと推測していたために。
「いや、十分な理由だと思いますよ? 自分が仕える主人の妹に、どこぞの馬の骨ともわからぬ輩が不用意に近寄りもすればそうなりますから」
「そういうもの? そうそう、嫌われてるって言えば、神奈子からもすごく評判悪いわよ? 早苗をいじめたって騒いでたし」
「……その件に関しては、思い当たる節は十分あります。こちらが全面的に非がありますので」
「諏訪子も一緒になって騒いでたけれど、見境無しに女性に手を出しまくってるようだけれど、本当なの?」
霊夢が告げる言葉の中に引っかかる部分があった。
「……一緒になって、とは何処からの話でしょうか?」
「天狗。当の本人も酔ったところを加藤さんにお持ち帰りされたって言ってたわよ」
「……あのふたりめ……」
また余計なことを口走っているのかと頭を痛めて嘆息を漏らしていた。ついで、この場に居ない
「巫女さん……今度そのふたりに会ったら、俺の代わりにシバキ倒しといてください」
「はいはい。それと、妖夢にも乱暴したらしいわね」
「…………」
彰人の眉がぴくりと動く。
その話が漏れるのは、とあるふたりからとしか考えられなかった。
「一応訊きますけれど、誰が言いましたか、ソレ」
魂魄妖夢本人が得意気になって語るとは、あの性格上からは思いもしない。
となれば――
「幽々子」
「…………」
霊夢の口から告げられた名前――
予想通りである人物の片割れであることに、彰人は言葉もなく顔を両手で押さえていた。
「その幽々子が祝言挙げる時はよろしくねって言ってたけれど、詳しく訊いてみれば責任を取るために妖夢と縁組みの話が進んでるとかいうのを耳にしたんだけれど……なに? 加藤さん、本気なの?」
「そんなわけないでしょう……まったく、あの亡霊の人は……まだ
「噂はいろいろ聴いてるけれど。主に七面倒くさいことになってるようだけれど?」
「……返す言葉もありません」
何故デタラメなことを吹聴して回っているのかと理解に苦しむ。
いや、理解はしている。脳がその答えを拒否しているだけだった。
面白がっての吹聴、この一言に尽きるのだから。
白玉楼の庭師である妖夢も、こんなデタラメごとに付き合わされては、さぞかしイイ迷惑をしていることだろう。
頭痛が酷い。
「……巫女さん……幽霊を、この世から完全に跡形もなく消し飛ばすような札はないんですか?」
「あるにはあるけど、それ相応に値が張って高いわよ? びた一文まけないけれど。それでもいいなら」
にこりと微笑を湛る霊夢は――だが、片手は『お金』の仕草を示すのを忘れない。
「それに、もし仮にだけど、本当にそんなことしたら……あの
「……それはそれで、心底面倒ですね」
あの庭師の行動が眼に浮かぶ。
それこそ敬愛し仕える主人が滅せられでもすれば、問答無用に怒りのままに斬りかかってくることだろう。
「まったく……あんな子までからかいの対象に巻き込んでるのはどうかと思うが……」
「……ねぇ、加藤さん、その口ぶりからすると……ひとつ勘違いしてない?」
「なにがですか?」
霊夢の問いかけに、思わず彰人は訊き返していた。
「アイツ、ああ見えても
「……はい?」
予想外の言葉に――彰人は再度思わず訊き返していた。
「どういう意味ですか?」
「そのまんま。見た目はそりゃ子どもに見えるかもしれないけれど、半人半霊ってのはその限りじゃないから……恐らく、加藤さんより二回りぐらいは上だと思うけれど」
「…………」
「あれ? まさか知らなかったの?」
「…………」
女性の年齢を事細かに訊ねるハズもなく、彰人は無言のまま。
洩矢諏訪子と同様に、見た目と実年齢が必ずしも比例するわけではないということを今一度思い知らされることとなる。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ドールハウスのことを訊ねてみれば、前に針妙丸にせがまれて『香霖堂』に連れて行った時に買わされた物だと霊夢は語る。
一目見て、気に入った、欲しい、買って、と騒ぐ針妙丸に対し、唐突過ぎる予想外の出費に霊夢が納得するハズもない。
「なんでこのわたしが、アンタのためにこんなものを買わなきゃなんないのよ」
自分で買いなさいと相手にしない霊夢ではあるが、当然の事ながら針妙丸に手持ちの金銭などあるわけがない。
「買って買って買って買って、買ってったら買って!」
「うるさいわね! 買わないって言ってるでしょ!」
買ってと喚き駄々をこねる針妙丸と、買わないわよと拒否する霊夢。
だが――
根負けしたのは、以外にも霊夢の方であったという。バタバタと暴れては喧しさに辟易して。
諦めなさいと叱られても針妙丸は『嫌だ』とごね続けていた。加えて、此処に介入したのはふたりの一連のやり取りを目の当たりにしていた『香霖堂』の店主、霖之助である。
正直に言えば、彼にとってみればこれ以上店内で騒がれても傍迷惑なだけでしかないという判断だったのであろうが。
安くしておくよと言葉巧みな店主の話術に、気がつけば霊夢は渋々と――誇張でもなく、本当に渋々とだが――提示された額を払うことを了承させられていた。
「今考えれば、予想以上に高くついた出費だったわ」
購入してからというもの、針妙丸は心底嬉しそうだったとこちらが訊いてもいないことを霊夢は説明していた。オマケで霖之助はちょっとした布団を作ってくれていたりもしたという。
「…………」
彰人は無言のまま話を聴き入っていた。
愚痴を洩らす霊夢ではあるが、小人が欲しがったものを律儀に購入しているあたりを見てみれば、誰に対しても優しくも厳しくもない性格をしていると言われながらも、結局のところはなんだかんだと面倒見がいいのだろう。
本人に自覚があるのかないのかは問題となるところであるが。
「まぁ、そんなワケでこっちとしてはイイ迷惑をかけられてるってことなのよね。まったく……本当に参るわよ」
「…………」
「……で、それはそれとして、なんだけれど」
「……?」
物腰を変える相手に彰人も雰囲気で感じとっていた。
奥の部屋では、萃香が瓢箪を抱えてぐうぐうと高いびきをかいて眠りこけている。ただでさえ既に酔っ払っていたところに飽きることなく酒を呷り続けてはようやく潰れて大人しくなっていた。
寝息を耳にしながらも霊夢の視線は外へと向けられている。
境内を駆けて遊んでいるのは四人である。フランドールとこいしにぬえ。ひとり増えて針妙丸も加わり混ざっていた。
そんな連中を、『飽きもせずによくやるものね』と言う表情で見るともなしに眺める霊夢は湯呑みを片手に問いかけていた。
「話は変わるんだけれど、外の世界に帰る気はないの?」
「……そうですね」
一瞬間を空けて、彰人も湯呑みに口を付けてから応えていた。
「……今のところは、特に考えていませんけれど」
「物好きね。そんなに
呆れたように霊夢は呟くのみ。
外の世界と比べれば、ここ幻想郷は、決して過ごしやすい環境や場所とは到底呼べるものではない。
それは、外の環境に染まっている人間にとって見ればなおさらだった。
迷い込んだ外来人など数多く見てきている。命を落とさず、運よく保護されたほとんどの者は外の世界へと
彼もまた、いずれはそうなるだろうと思っていただけに。
「はは、まぁ……外の世界と比べたら、生活上制限されることが数多くありますけれどね」
「楽ではないと思うけれど?」
「確かに。ですけれど」
「……『ですけれど』、なに?」
先を促すように声をかけてくる相手に彰人はひとつ頷いていた。
「逆に言えば、縛られることもないんですよね、ここ。それなりに、自由に過ごせるってことでもあるんですよ」
「…………」
彰人の含みのある言い方だけを捉えれば、彼なりに思うことが在るために留まっているという事なのだろう。
であるならば、これ以上のやり取りは無用となる。
本人がそう言うのならば、特に関与する意味もない。興味も無ければ、霊夢は適度なところでこの会話を打ち切るだけだった。
「まあ、ひとつだけ忠告しとくなら……精々野たれ死なないようにね」
「心配してくれてるんですか?」
「そりゃそうよ。この神社にとっては、貴重な
「巫女さんらしいですね」
いかにも霊夢らしい返答に、苦笑を浮かべる彰人は境内を元気に駆ける四人を見入っていた。
なんだかんだと、ぬえもまんざらでもなくはしゃいで遊んでいるのが此処からでもわかる。
「ああ、そうそう。こちらからもひとつ。巫女さんに、森近さんからの伝言があります」
不意に、思い出したように告げる彰人に霊夢は僅かに小首を傾げていた。
「霖之助さんから? そういえば、加藤さんて『香霖堂』で働いてるんだったわね」
週に数回、日雇いで働いているという話を彼女は聴いていた。もっとも聴いていただけであって、実際に店で顔を会わせることはないのだが。ドールハウスを購入した際にも、単に彰人が働いている時間帯に合う機会がなかったためとも言える。
彰人も彰人で、『香霖堂』で休憩時にお茶の準備をしていた際に彼女専用の湯呑みが置かれているのを知っていた。博麗神社の仕事もせずに遊びに来ているとは霖之助の弁。加えて、間違ってもその湯呑みは使わないようにと念押しで教えられていた。
「ええ、森近さんには良くしてもらってますよ。それで、あの人からの言伝です」
「何?」
「ツケ、いい加減に払いなさいとのことですよ」
「……そのうちね。そう伝えといてちょうだい」
「そういうことであれば、巫女さんに払う御札代、金額分徴集してもいいんですけどね」
「お願いだから、それはやめて」
バツが悪そうに顔を背ける霊夢に対し、彰人は今一度口角を上げるだけだった。