「今日も相変わらず、いい天気だ」
軒先の掃除を終えた彰人は、竹箒を肩に担ぎ空を仰いでいた。
白日青天――
香霖堂の主人は今日も不在。いつものように無縁塚へ蒐集のために赴いており、彰人もまたいつものように留守番を任されていた。
「さてと、今日は何から整理していこうか……」
売れる見込みのあまりなさそうな品々に思いを馳せ――どうせまた、更に物が増えてくるのだろうなとも感じながら――青い空から視線を逸らした彰人は、仕事に取り掛かるべく気持ちを入れ替えていた。
「よし。やるか」
店の中へ戻ろうと踵を返し――背後で土を踏む音を耳にする。
「?」
何気なく肩越しに振り返り彼。そこには、ふたりの女性が立っていた。
今の今まで、背後には誰もいなかったはずである。
突然現れたということは――
ついと彰人の視線は空へと向けられていた。
(飛んできた、ということか?)
幻想郷で空が飛べるのは当たり前。守矢の巫女たる東風谷早苗でさえ例外なく空を飛べる。
そう考えれば然したる考察も無く、彼の視線はふたりへと戻されていた。
(しかし、まぁ、なんだ)
胸中で呟き彰人。
(ずいぶんとまぁ……個性的な恰好のふたりだな)
例えるならば――眼の前のふたりは、まさに『赤』と『青』であった。
ひとりは、いかにも大人の女性という雰囲気が感じられた。ロングスカートに、フリルじみたものが付いた長い緋色の羽衣。頭には帽子をかぶっているが、そこからひょっこりと伸びる二本の触手じみたデザインが特徴的である。
もうひとりは、腰まで伸びる青い長髪。ロングスカートにブーツ姿。エプロンのようなデザインにあしらわれた虹色の飾り。丸い帽子に付いた桃の実は、アクセサリーとしては些か不恰好と思えてしまいながらも眼に留まる。
どちらも、見知らぬ顔である。
(店に来たということは……客、ということでいいんだよな……?)
改めてふたりに視線を向け直すと――ジロジロと見入るのも失礼であると感じながらも――彰人は声をかけていた。
「いらっしゃいませ。当店に何か御用でしょうか?」
しかし――
青い少女の表情に変化が生じる。ムスッとした顔へと。
「あなた、わたしが誰だか知らないの?」
「……はい?」
開口一番に告げられた相手の言葉に、彰人は思わず訊き返していた。だが、少女は続ける。
「知らないの? この、わたしを?」
「……すみませんが、どちらさまでしょうか……? 以前、どこかでお会いしましたか?」
前に会っていれば覚えているはずだった。いくらなんでも、相手の少女は十二分にインパクトがあり過ぎる。
忘れたくても忘れられるハズもない。しかしながら、彰人の記憶には、やはり覚えがないというのが現状であった。
刹那に、青い少女の顔は見る見るうちに紅くなっていく。
「信じられないっ、このわたしを知らないなんて! これだから下賎な地上の人間は嫌なのよっ!」
「総領娘さま……そのような御言葉使いは、おやめください」
なおもなにやら喚き散らす少女を、従者の女性は懸命に宥めていた。
「学が足りない証拠じゃない! 衣玖もそう思うでしょ!?」
「…………」
知識不足だと指摘される内容――
そうは言われても、と彰人の胸中は複雑であろう。それにしても、散々な言い草である。
「……はぁ……それはどうもすみません」
何かよくはわからないが、とりあえず謝っておいた方が無難であると彼は判断する。
こうまで豪語する以上は、余程有名人――名のある資産家の御令嬢か、はたまた
仮に幻想郷における
後ろの女性と組んだユニットとして売り出しでもすれば、ビジュアル的にもなんら問題もなく、外の世界でも相応のところでは通じはするだろうと思うのも彰人の勝手な解釈である。どこぞの下手なアイドルよりは遥かに受けもいいことであろうと踏む。
ちなみにではあるが、アイドルなどといったその手に関して彰人が詳しいのかと問われれば、答えは否となる。彼個人の偏見で言えば、そういった類には一切興味がない。ついで、わらわらと無駄に人数だけが多いグループの存在理由がわからないといったところであった。
コンビやトリオ、カルテットといった人数ならば納得できるが、一グループに二桁の人数が組まれている意図はなんなのかとに理解に苦しむ。そんなに人員が必要なのだろうか、と。
彰人の勝手な偶像考察はさておくが――だが、青い少女は怒り心頭のままに口を開いていた。
「わたしは
「……テンニン?」
耳にしたことがなく聴き慣れない言葉に対し、彰人は思わず訊き返していた。
相手の反応に――即座に眼の前の少女はこちらを蔑むような顔つきへと変わる。
「何? その馬鹿面。卑しい地上人には、お似合いの顔だけれど」
「…………」
彰人は認識不足であったことを再痛感する。
見た目と裏腹に、随分と口が悪い子だな、と彰人は思わされるのみ。
なおも小馬鹿にした口調が続く少女であるが、赤の女性はそんな態度に苦言を呈する。しかしながら、咎められたからといって素直に聞く少女ではない。
「なによ、本当のことを言って何が悪いわけ?」
「ですから、総領娘さま……こちらの方が仰る様に、地上の人々が皆ご存知であるとも限りません。加えて、聴けばこの方は『外来人』ともなればなおさらです。この幻想郷に関して疎い、というのも仕方がないことなのですよ? 総領娘さまとて、外の世界に関しては御存知ありませんよね? それと同じですよ?」
御付きと思しき女性は分別を持ち合わせている。
くどくどと説明して――
ようやくしてだが、少女は渋々と納得していたのだった。
「ああもうわかったわよ。お説教なんて聴きたくないわ」
うんざりだといわんばかりの顔のまま、少女の視線は彰人へと向けられる。
「救いようのない無知なアナタに、このわたしが教えてあげるから感謝しなさい」
天子と名乗る少女の指が――すいと指し示すのは、突き抜けるような青い青い空。
つられて彰人も再度頭上を仰いでいた。
空に何があるというのだろうか?
そんなことを考えながら、相手の言葉を待つのだが――
「天界に住む天人てのは、偉いのよ」
「……はあ」
「偉いのよ」
「…………」
無言のまま空を見上げている彰人の視線だけが天子へと向けられる。
腰に手を当て、フフンと胸を張る相手。
「…………」
恰好を崩さず維持したまま、彰人は続きを待つのだが――待てども二の句は告げられることは無かった。
どうやら、これで説明終了のようである。
彰人の視線が少女から後ろに立つ御付きへと移行する。案の定、女性は眼を瞑り片手で額を押さえていた。
「…………」
天界というには遥か頭上をさしているのだろう。まさか、宇宙などとは言わぬだろうが。
首が痛くなってきたので姿勢を戻した彰人ではあるが、状況から察して理解することが出来ていた。眼の前に立つ少女は、阿呆の子であると。
赤の女性が口を開き、代わりに説明を開始していた。このままでは仕える娘が頭の悪い子だと思われるのを危惧してのことではある――とはいえ、少々遅いのも事実ではあるのだが。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
永江衣玖と名乗る女性の話はわかりやすいものだった。
天人とは、悟りを開いたり、高い業績によって神霊化した人々が成るものであり、天界という雲の上に住む者たちのことを指すこと。
衣玖自身が仕える少女、比那名居天子は比那名居一族の娘であること。
比那名居一族とは、幻想郷の地震を担っていた神官である『名居』と呼ばれる一族に仕えた功績を認められて天界に住む事を許され、天人となったこと。
掻い摘んで説明し彼女。一通りの話を聴き終えた彰人ではあるが、そこでひとつの疑問が生まれていた。
「……となると……あなたも、天人なんですか?」
彰人の質問に対し、衣玖はニコリと微笑を浮かべると、いいえと静かに首を振っていた。
「わたしは、竜宮の使いですので」
「…………」
天人ではなく妖怪であると応えて彼女。
リュウグウノツカイ、との言葉に彰人は無言となっていた。その名は彼とて聴き覚えがあり知っている。だが、知り得ているのは名前と生態であるのだが。
(……リュウグウノツカイ、てのは……俺が知ってる限りでは、確か深海魚の一種だったハズだけれど……)
衣玖と名乗る女性をジッと見入り彼。
とてもではないが、どう見ても魚類には見えなかった。露出する手、指先も極々普通の人間と同じであり変わりない。鱗に覆われているわけでもない。
なによりも身に纏う羽衣が先から異彩を放っている。
(この人の方が天人て感じがするんだが……それに紅い羽衣……天人てよりは、どっちかと言えば……なんて言うんだっけか……確か……)
なんとなく指先で頬を掻き――目当ての言葉を思いつく。
(ああ、天女ってヤツか? なんともまぁ、ここは何でもありってつくづく思わされるな……)
見た目だけで言えば、紅美鈴や今泉陽炎といった大人の女性。後者は残念美人であるが。
物腰も穏やかであり、雰囲気から察して、彰人は天女という言葉も、衣玖という女性にこそ相応しいとさえ感じていた。
ようやくして――なんとなくではあるが――天人について理解することが出来ていたのだが、それだけである。聴き終えたからと言って格別賛辞を述べるような気概は、残念ながら持ち合わせていない。
そもそも、先の天子の主語が抜けた内容ではわかり得るハズもなく。だというのに、衣玖が説明している間の天子は然も自分の講釈であったかのようにふんぞり返っていたりもしていた。
「だから、天人てのは偉いのよ」
「はあ……」
気のない返事を洩らす相手に、天子の不機嫌面は変わっていなかった。
説明を受けてから崇め奉られるのを期待していただけに、彰人の反応は予想外だといえよう。
だが、言い方を変えれば彰人にそれなりの反応を求めるというのは酷な話であろう。重複するが、彼は、天人というものの存在自体を知らないがために。
「欲を捨てて天に上がった者たちが、わたしたち『天人』てなわけ。こうまで説明されでもすれば、その劣る知能でも理解は出来るでしょう?」
イラついたような声でそう告げる天子に、思考顔である彰人の視線が向けられていた。
「……なんとなく察しはついたつもりだけれど……つまりは、端的に言えばエリートって事か?」
「えりいと?」
聴き慣れない言葉に今度は天子が訊き返していた。
言葉の意味が通じていないことに気がついた彰人は一言「悪い」と付け加える。
「優れてるって事かな。褒め言葉と受け取ってもらえれば助かるよ」
「あら? ようやく解釈できたってところかしら?」
褒めているという言葉を聴いた途端に、天子の機嫌は些か良くなっていた。
(……単純すぎるというか、なんというか……)
感情の起伏がわかりやすい子であろう。
よくわからないが、なんにせよ機嫌を幾分戻した相手に彼は続いて訊ねていた。
「……で、君はどんな偉業を為したんだ?」
「……は?」
鼻を高くしていた天子は、その言葉にきょとんとした顔をしていた。
「……偉業?」
「ああ、まず俺は天人を知らない。君が言うように、すごい事を成し得たから天人ていうのになれたんだろう。そんな君自身は、一体どんな偉業を為したんだい?」
「…………」
この質問は、純粋に彰人の興味本位によるものだった。だが、彼は衣玖の説明であった『名居一族に仕えた功績』というものを誤って捉えていた。比那名居一族ひとりひとりに、それぞれの功績があるのだろうと。一族を一斉とは見ずに、個々と認識している。
「……偉業って……」
だが、この問いかけに対し――天子は言葉を詰まらせ、思わず眼さえも泳ぐ始末である。何を隠そう、天子にとって、自身の偉業など何もない。
天人になったという経緯さえ、あくまで名居一族に仕えた功績によってであり、天人としての格を備えるための修行を積んだわけではなかった。故に、比那名居一族は他の天人連中から『不良天人』と呼ばれている。加えて、天子に至っては更に込み入っており、親が名居一族に仕えていたという理由だけで天人になったという実情がある。
頼みの綱であるさすがの衣玖ですら、ついうっかりとばかりに顔を背けているのだが。
ここまで偉そうにしておきながら自分に偉業は何もない。云わばおこぼれで天人に成り上がったのだと口が裂けても告げられるわけもない。
胸中では困り果てた天子であるが、結果、口から出た咄嗟の言葉は――
「な……」
「……な?」
「なんでわたしがアンタ如きに説明しなくちゃならないわけっ!? 嫌よッ、面倒くさいっ!」
あろうことか、逆ギレである。
だが、この態度はこの場においては功を成すこととなる。
彰人にとっては、単に訊いてみたかった内容であったのだが、これ以上相手を怒らせるのは得策ではないと瞬時に判断していた。
「いや、すまない。そうまで怒るとは思わなかった」
どうしてそんなに怒っているんだと突っぱねる気力は彼にはない。要らぬことを口にし、更なる深みに嵌り修復できぬような事態は御免こうむるのみ。
と――
「わ、わかればいいのよ。ふ、ふん、身の程を弁えることね」
「…………」
いまいちよくわからないが、つい先までの怒りの溜飲は下がっている。なんにせよ、よりよく訊いて、相手の機嫌を損ねるのはよろしくはない。
誰にだって訊かれたくないことのひとつやふたつは持ち合わせていよう。
相手も言いたくないというのであれば、無理に聴く必要もなかろうと。そう汲み取った彰人は、本題に入るべくそれなりに話を合わせていた。
「それで、そのお偉い天人さまが、この店に何用でしょうか?」
「……店?」
言われて、ようやく天子はこの家屋が品を売る店だというのを理解していた。
よくよく見れば、店頭にはさまざまな品が並んでいる。
軒先にも溢れんばかりの品が置かれている。置かれているという表現はその名の通りに、とりあえずはただそこへ無造作に置かれているのだが。
「ここは、どのようなお店なのでしょうか?」
訊ねたのは赤の女性。そちらへ緯線を向けた彰人は片手を肩まで挙げて説明する。
「オーナー曰く、幻想郷にないものはない、という触れ込みですよ」
その言葉に青い少女は口を挟む。
「つまりは、天界には無いものも、ここには在るってわけ?」
「生憎と、天界ってところがどういう場所で、どういうものがあるのかがわからないんで、なんとも言えないよ」
「なによそれ」
それじゃ言ってることが違うじゃないと不平を洩らす相手に彰人は苦笑するしかない。
「まぁ、大まかに言えば、万屋てなところかな? ただ、普通の万屋と違うといえば、外の世界の品があるってところだろうか。さすがに天界には、外の品で溢れまくってるとは思えないけれど」
「ふーん」
返事はするが、然したる興味は見せずに彼女。
「ここって、アナタの店?」
「いや、俺は雇われの身でね。本来の主人は、今は不在なモンで……大事な用件があったのならば、言伝を承りますけれど?」
「ん? ああ、別に店主に用はないわ。あたしが用があるのは、アナタだから」
「?」
どういう意味かと尋ねる前に、ずいと天子は詰め寄っていた。
鼻腔を微かにくすぐる少女特有の匂い。フランドールやこいし、ぬえとはまた違う香りを彰人は覚えていた。
「アナタ、珍しいものを食べてるわよね?」
「……珍しいもの?」
そう指摘されるが……はて、と彰人は首を傾げていた。
珍しいものなど、何か口にした覚えがあろうか?
そう聞き返そうとするよりも早く、天子は告げる。
「馬鹿な妖精連中にあげた液体と、沸かした湯を入れてたものよ」
「…………」
そこまで言われれば、彰人とて理解していた。ペットボトル飲料と、即席インスタント食品のことをさしているのだと。
だが、それと同時に別のことも思い知らされていた。プライベートも何もない。一体何処から見られていたのか。
「随分と珍しいものを食べてるわよね? 霊夢にも同じのをあげてたでしょう?」
「…………」
霊夢、との言葉に、あの巫女さんとも知り合いなのかと彰人は瞬時に悟る。
「霊夢にちょうだいって言ったら、『これはわたしが貰ったものなんだから、あげるわけないでしょう』って言われて追い返されたのよ」
実力行使――弾幕という名の暴力によるが――によって追い出されたと告げる。
「…………」
あの巫女の性格上ではわからないでもない。特に食べ物に関してはその反応は異常であろうか。
つい同意しかけてしまったのだが――
「だから、わたしにもよこしなさいよ」
「……はい?」
耳を疑い、思わず間の抜けた声音で訊き返していた。聴き間違いではなかろうか、と。
(いや、その理屈はおかしいだろう――)
出会って僅か数分たらずである。こう言ってはなんであるが、幻想郷にはごうつくばりな輩が多すぎる。傲岸不遜な態度に彰人は内心困惑していた。
「ほら、早く出しなさいよ。このわたしが、こんなところにわざわざ足を運んで来てやって、食べてあげるって言ってんのよ。逆に感謝されて当然じゃない」
「総領娘さま……そのような言い方は……」
衣玖がそう声をかけて誡めるのだが、当の少女は聴いてはいない。逆に、なおもなぜか偉そうに振舞うだけだった。
「…………」
無言のまま、彰人の視線は背後に控える赤い女性へとスライドする。
衣玖は心底申し訳なさそうな表情のまま、深々と頭を下げていた。
「…………」
時間は僅か数秒。視線は眼の前の天子へと戻されていた。
「……つまりは、何だ……君も、食べてみたいからってことか……?」
そこで天子は――
彰人が無償で提供することに対して拒んでいるとの誤った認識で捉えていた。
「ああなに? つまりはタダじゃイヤだってこと? まったく……これだから地上人どもは……」
相手の返答すら待たずに、天子はやれやれと肩を竦めて見せていた。
当然のことではあるが、彰人は一切何の反応も示していない。いいとも悪いとも何も口にしていないのだから。
「なら、そうね……」
言って――
何かないかと彼女の視線が向けられたのは――後ろに立つ、衣玖が身に纏う羽衣であった。
ソレを摘み取ると、素早く、しゅるりと抜き取り彼女。
「ほら、コレあげるわ」
あまりの手際の良さ、ならびに一瞬の出来事であったため、衣玖は反応できずにいた。
どこかに引っかかるワケでもでもなく、一瞬のことで理解できなかった衣玖ではあるが――
「そ、総領娘さまっ!? それは、わたしの――」
「なによ。文句あるの?」
「――いえ」
一睨みされてしまった衣玖は、それ以上は口を閉ざし何も言うことができなかった。だが、表情はなおも非難がましく。
とは言えども、問答無用で黙らせた天子は既に見ていないのだが。
「アンタも、コレなら文句もないでしょう?」
半ば無理やり彰人の手に押し付け彼女。
「人間のアンタが纏えば空を飛べるっていうシロモノよ」
「…………」
さらりとした質感の羽衣をその指先に覚えながらも、彰人にとっては 眼の前で見せ付けられたやり取りはたまったものではない。
主従関係によるものなのか、口に出したくても言えない立場というのだろうか。
従者の品を主人の独断によって手放させられるなど、当然のことながら、素直に受け取れるハズもない。
自分の物は自分の物、他人の物も自分の物であるという所有権主張、極端な利己主義――
「売りでもすれば、それなりに少しは遊んで暮らせる額にでもなると思うわよ」
「…………」
挙句は売って金にでもしろとのたまう始末であった。
慧眼などない彰人にとっても、この羽衣が相当値が張るものであるというのは理解していた。見るからに、いかにも高そうな雰囲気を醸し出している。
今一度、衣玖に視線を向けてみれば――案の定、蒼い顔となっており見るのに忍びない。更には僅かばかりに肩が震えてさえいる。
もし仮に、この場に霖之助が居たとするならば、打算が働き等価交換として素直に受け取っていたことだろう。
だが、彰人にとっては損得を考える以前に、本来の持ち主である衣玖の許可なく貰う気など毛頭ない。ついでに言えば、この羽衣と、即席のインスタント製品とでは差がありすぎである。価値観が違う、幻想郷には無いという部分は除いてであるが。
結果、羽衣を持ち主の衣玖へと返し――
「……なんにせよ、ここではなんですから……中へどうぞ」
いつまでも竹箒片手に店前で話し続けているわけにもいかず、彰人はふたりを店内へと招き入れていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
薄暗い室内に通されたふたりは椅子に座らされていた。
よくわからないガラクタまで所狭しと並べられており――これでも十分彰人が日々片付け分けているのだが――、テーブルの上にまでなんの道具かわからぬものが置かれている。
そんなところへ彰人は目当ての物を持って戻ってきていた。インスタント食品――いわゆるカップ麺と、ポットであり、何故此処に在るのかと言えば、休憩時に食べようと香霖堂にストックしておいたものである。働かせてもらっている自分はもとより、いつでも食べていいですよと霖之助の分も備えてあった。その何個かのうちの二個を持ってきただけなのだが。
隠し場所も彰人と霖之助のみがあずかり知るところであり、今のところは他の誰かが食している形跡はなかった。
手際よくカップ麺の準備を進め――その二個は、それぞれ天子と衣玖の前に差し出されていた。
これに眼をぱちくりとさせるのは衣玖である。まさか、自分にも出されるとは思っていなかったために。
「……わたしにも、ですか?」
「ええ。お嫌いでしたか?」
好きか嫌いかとの問いかけは無用であろう。衣玖はカップ麺を食べたことなどないのだから。
逆に彰人にとっては、ひとりもふたりも同じことであった。それに、天子にだけ食べさせて、衣玖には無しという考えそのものを持ち合わせてもいなかった。
せっかくならば、あなたもどうぞ――それだけである。
「あの、あなたの分が無くなってしまうのでは……?」
自分も居るせいで、本来彼が食べようとする分が消えてしまうことを心配する衣玖であったが、当の彰人はまったく気にしていなかった。逆に構わないからあなたも食べてみたらどうかと勧められていたのだから。
「遠慮することもないじゃないの。食べていいって言うんだから」
「…………」
天子の無遠慮さは今にはじまったことではないが、衣玖にとって見れば大変申し訳ない気持ちで一杯になっていた。そういうことではないと思わず口にしたいところであろうが。
とは言えど、彼女とてこの未知の食べ物に興味がないわけではない。
葛藤を覚えもするが――結果、好奇心が勝ってしまう。
「では……すみませんが、ご馳走になります」
「ええ」
言って、湯を注ぎ彼。
「…………」
衣玖にとっては、保温機能を有するポットに俄然興味を持っていた。
「魔法による保温ですか?」
眼にしたことのない形状、湯が注がれる容器自体を物珍しそうに見入り彼女。
ちょんちょんと指先でつつき触れる姿がなんとなく面白かった彰人は僅かに口元を上げていた。
「まあ、そんなところですかね」
彰人が使用しているこのポットも――正確には電気ポットであるのだが――埋まっていた一角を整理した際に発掘したものである。
電気ポットの名の通りに、電気を必要とする再沸騰といった類の機能は使えていない。単純に保温瓶と化しているだけに過ぎない。
とは言えども、使えなくはないこのポットは丹念に洗われ今に至っている。いちいち湯を沸かす手間がなくなった点に関して言えば便利であろう。
「と言っても、純粋な魔法といったのとは違いますけれどね」
あくまでもポットは保温できる点が重宝されることであり、加熱することはできない。
(魔法瓶ても言うしな。あながち間違っちゃいないか……)
時間を待つふたりも対極的であった。
出来上がるのに数分必要だと告げられ、衣玖は素直にジッと待つのに対し、天子はそわそわと落ち着きがない。三分という間がじれったく煩わしく感じているのだろう。しきりに「まだ?」「まだ?」「もう経ったんじゃないの?」と気にしているほどに。
腕時計に視線を落としていた彰人は時間を計り――頃合を見てどうぞと声をかけていた。
「いただきます」
丁寧に両手を合わせ言葉を洩らす衣玖とは真逆。箸を握る天子は既に食していた。
「そんなに慌てて食べなくても、誰も盗りはしないぞ? でないと」
彰人の声も聴こえぬほどに一気にかっ込むかのように喰らいつけば――
「火傷するぞ?」
「――ッッ!?」
告げる指摘通りに熱する麺によって、天子は舌を、口内を、熱傷の目に遭っていた。
総領娘さま、と心配する衣玖を制し、彰人は言わんこっちゃないと水を注いで用意していたグラスを手渡し飲ませていた。
「急いで食べなくたって、誰も盗りゃしないっての。ゆっくり食べないと、また火傷するぞ?」
「…………」
冷やすように水を呷る天子に対し、言い聴かせるように彰人。
と――
無言ではあるが、先までとは違い、天子は大人しく食事を続けることとなるのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「悪くはなかったわよ。まあ、わたしが食べてやっただけでも感謝されるべきでしょうけれど」
口の悪さは変わらずだが、そう言いながらも天子は一切残さず完食していた。あまつさえ、スープすらも飲み干して。
初めて口にする味は、天子と衣玖、両者にとっても好評であった。
「それはどうも」
容器を片付け、食後のお茶の用意をしていた彰人はふたりの手元に湯呑みを差し出し、自身の分もテーブルへと置いていた。
さて――
腹が膨れたことにより、天子にとっては格別他にやりたいことは思いつかなかった。
当初の目的である飲食類は済んでいるのだから。
ぐるりと店内を見渡せば、眼につく品はどれもこれもが珍しい。
「……ねえ、コレって何?」
「どれだ? ああ、それは――」
例えどんな物であろうとも、天子の眼に留まった品は片っ端から訊ねていた。
これは何、あれは何、と興味が尽きぬ彼女に彰人は嫌な顔ひとつせず丁寧にわかりやすく説明していた。大概の品は、天子はよく理解していなかったが。一方で、衣玖は彰人の話から理解をしているのが窺い知れた。
特に天子が俄然興味を持ち、かじりついたのは携帯ゲーム機である。
彰人が実際にプレイして見せて、次に操作説明を簡単に教えたところで彼女に渡していた。
「なにコレ。アンタに出来るものが、このわたしに出来ないハズがないじゃない」
当初はそんな軽口を叩き、馬鹿にしたようにゲームをはじめるのだが――
「……え? あ、あれ……? もう終わり? ウソ……なんでやられてんの?」
「――ッ、ふっざけんじゃないわよ!」
「ありえない! 絶対おかしいわよコレ! 今絶対当たってないもんっ!」
などと、ああだこうだと不平不満を洩らしながらプレイを続けていた。
口頭での説明を受けた限りでは、簡単に出来ると判断していたのだろう。
「……もうやめるか?」
不憫に思い、そのように問いかけてみれば――
「やめるわけないじゃない! もう一回よ、もう一回! 今度こそ……」
そんなやり取りは既に五回目を超えている。
ぺろりと唇を舐めた天子はぶつくさ文句を零さず携帯ゲーム機に没頭している。今度こそと告げたように余程集中しているのか大人しい。
「…………」
何気なくではあるが、天界に娯楽というものは存在するかと興味を持った彰人は衣玖に訊ねていた。
「天人の方たちは、普段天界では何をしてるですか?」
「そうですね……」
湯呑みに口をつけていた衣玖は少しばかり困った表情を見せていた。
「主に……歌って踊ってらっしゃいます」
「……歌と、踊り……?」
「ええ。日々歌い、踊り、お酒を召しあがっていらっしゃいますね」
働く必要も無ければ、悩む必要も無い。毎日を遊んで暮らしているとの言葉に彰人の視線は天子へと向けられていた。
意識を向けている彼に気づいた衣玖は続けていた。
「中でも総領娘さまは好奇心旺盛で、時間があれば地上によく足を運ばれます」
「…………」
話を聴いている限りでは、天界は彼女にとっては退屈極まりなく、刺激を求めて地上にやって来るのかと捉えていた。
であれば、博麗の巫女に会いに行っているというのも、ある意味頷ける。
と――
「ああもうっ、イライラするわねっ! 衣玖ーっっ!」
「はい、なんでしょうか、総領娘さま」
やはり巧くいかなかったことに我慢の限界を迎えたのか、怒声を張り上げる相手とは対照に、そんなに大きな声を出さなくても聴こえていますよ、と衣玖は静かに返答していた。
が――
「アンタがやりなさいっ!」
「……はい?」
「二度も言わせるんじゃないわよ。衣玖、アンタがやりなさい」
天子がやれと示すのは、携帯ゲーム機である。
何度やっても巧く行かず、先に進めぬことに業を煮やしたのだろう。
しかしながら、衣玖は眼を白黒とさせていた。
「……わたしが、ですか?」
「そうよっ! だからアンタがやりなさいっ!」
「お、お待ちください総領娘さま……わたしには」
「いいからやれって言ってんのよっ! わたしがやれって言ったらやればいいのよっ!」
「…………」
無理やり天子から押し付けられた衣玖はどうしていいのかわからず困惑するだけであった。だが、いつまでもこうしているわけにも行かぬため、言われるがままにゲームをはじめていた。
その際に、天子に教えたように彰人は操作の仕方を簡単に説明していたのだが。
「……なるほど。わかりました」
口ではそう応えてはいるが、いざ実際にプレイしてみれば現実はなかなかどうして。操作に不慣れな衣玖はぎこちなかった。
右や左に操作すれば、それに合わせて彼女自身の身体も左右に動いている。
「これは……なかなか難しいですね……」
思うように行かぬ彼女を見て、天子はほくそ笑んでいた。
(わたしがこんなにやっても進めないのよ。衣玖にだって出来るわけないんだから)
今もまた巧くいかずに、思わず衣玖は残念そうに声を洩らしていた。
衣玖が失敗すればするほどに天子は愉悦に満ち溢れていた。それは、自分と同じように苦しみを味わえとばかりに。
だが――
「あ――出来た! 出来ましたよ、総領娘さま!」
「――――」
失敗するのは同じであろうとも、衣玖が天子と違うところは学習することであった。要は、何度も繰り返しているうちにコツを掴んだのだった。
ぎこちなかった操作も次第に慣れ、スムーズに動かしていく。
「巧いモンだな」
彰人も思わず呟いていたのだが――面白くない顔をするのは天子である。咄嗟に彼女は衣玖の手からゲーム機をひったくっていた。
「なんでよ! なんで衣玖が巧くいくのよ!? こんなの絶対におかしいじゃない!?」
「……そう、おっしゃられましても……」
理不尽な言いがかりに衣玖は困り果てるだけでしかない。やれと言われた通りにやった結果、怒られるなど誰が想像できようか。
「わたしが巧くいかないんだから、衣玖だって巧く出来るわけがないじゃない! 絶対そうよ! そうじゃないと納得いかないっ!」
癇癪を起こす天子は、まさに『子ども』であった。携帯ゲーム機を床に叩きつけそうな勢いのほどに。
「オイ、やめろ。壊す勢いで振り上げるな。やめろやめろやめろ」
仮にも売り物の商品のひとつである。
壊されては敵わんとばかりに、彰人は彼女の手からゲーム機を奪い取っていた。